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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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まずは茂木健一郎の連続ツイートより

一生奮闘しても、絶対に到達できないような深淵。それへの予感
知性というのは本来無限であり、文脈と無関係であり、そして、野生のようにどう猛
現代における知性とは何か。それを模索し続けること以外に、大学や学者の意味はないと思う


次に池上高志
学者は、本人の世界観をもって新しい考えをつくり知の基底を作る人であり、研究者は、データの客観性、自分の玄人性ということが興味の中心で、その上に世界観や自分の考えを持つことをよしとしない態度。
最近は、研究者はごまんといるけど、学者がいない。研究者だけだと、googleの一人勝ち。


これらは非常に良い指摘だと思う
そして現在、多くの大学人が、
研究者であって、学者でない

大学教員を「職業的な研究の専門職」だととらえると、
研究者と学者の間にあるギャップの部分が、
そのままスッポリと抜け落ちてしまう

学者というのは本来的には、
社会的な肩書きではなく、属人的な性質だろう

大学という場は、
知識を与える場ではなく、
知識では到達できない深淵が世に存在することを認知する場であり、
同時にその深淵の(存在しない)底をじっと眺め想像する場である
前者が教養教育機関としての大学、
後者が研究(教育)機関としての大学
と言えるかもしれない

また、後者の行為を続けるものが学者であって、
光の届く部分にだけ注目し、
あたかも深淵には底があるように振る舞うのが研究者、
ということになるのかもしれない

自分が研究している対象の意味を考える以上、
自分が研究しているという行為の意味も考え、
そもそも研究するという行為の意味も考えて、
終着などない道を歩み続け、
あるいはその道を後進に示すことが、
学者・大学人・教養人のつとめ、なのかもしれない

 
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