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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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今日、長子である1号が10歳になった。
そんなタイミングで、悩める若手研究者の様子を見た。
10年前、1号が生まれた頃、自分にはどんな悩みがあっただろうか。
2009年3月に学位取得して、2010年の12月。

まず将来不安といえば、研究者としてのポストの問題があった。
当時は科研費雇用の任期付ポスドク。
決して安定してはいなかった。
でもまぁこの部分については、深刻に考えていなかったかもしれない。
この辺りは、今になって思うと、だけどもね。
当時は同世代の中でも抜きん出た業績があったし、職場も良かったし。

自分の研究がツマらないテーマだなぁと思って陰鬱になることの方が深刻だった。
D3の学振PD申請と、続く若手スタートアップが連続して不採択で、迷走していた。
熱水の研究はやっていたけど、だからなんやねん、という思いが消えなかった。
1号が生まれる直前には7週間の米国留学をした。
しかし英語の会話も億劫だし、前のめりに色々学びたい欲もなく、居室に籠もっていた。
「あぁ、自分は世界に通用する研究者じゃないんだな」とか思ってた。
この頃の不安は、いつ頃から解消していったんだろうか。
2011年に地震プルームと培養システマチクスをやって、見通しが立ってきたのかな。

イチ個人としては、夫婦関係が深刻に悪かった。これが一番しんどかった。
特に結婚後、妊娠するまでの1年間。
自分の研究がうまくいかないことでしんどいのに、家に帰るとベタベタと依存される。
とにかくそれが鬱陶しくて、出来るだけ家にいないようにした。
家にいる時も、話しかけられないように読書に勤しんだ。
そうして関係はさらに悪化していった。
妊娠発覚によって、関心が子供に向いたようで、幾分かはラクになった。
しかしその後、2号が生まれた後にまた依存され悪化し、距離を置くため単身赴任にした。

自分のことはさておき、日本社会やべーな、という思いはあった。
社会とか人間とか教育あたりのテーマの本を乱読していた。
もう全然ちゃんと覚えてないけど、色々と思い悩んでいたはずだ。

単身赴任を解消して一緒に住むことを決断したのは"日本社会ヤベー"の思いからだった。
ヨメ氏も義実家も、世間的には全然普通で、とりたてて悪いところがあるわけじゃない。
むしろすごく良い人達ですらある。
でもそれはつまり、世の中の『クソじゃっぷ』な考え方に染まりきっているということ。
そこの部分が、ガマンできなかった。
「良かれと思って」なんだろうが、ボクにとっては悪いパターナリズムで、不愉快に感じる。

なにより『クソじゃっぷ』な価値観に、自分の子供達が染められるのが、耐えられなかった。
これからの時代を生きる子供達に、『クソじゃっぷ』な価値観の教育をしちゃマズいだろう。
この価値観に染まって育ち、沈みゆく日本で大人になったら、地獄を見るだろう、と。
だからスイスに1年間連れて行ったのだった。
(2015年に構想して、2016年に連れ出している)

いかん。
10年前を思い出そうとしても、5年前までは一繋ぎで思い出されてしまう。

今日はここまで。
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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