自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
ここ数年、めっきり書かなくなっていたのだが、今年は高頻度に書いていこうと思っている。
「毎日更新を決意した」ぐらいの具体的で強い意思表明をできれば良いのだが、そこまでではない。
それがまた、書かなくなっていたこととも繋がっている。
決意なんだか言い訳なんだか、どっちつかずの話だが、人生はそういうものなのだ。
少し人生をさかのぼってみる。
2014年に定年制移行審査に落ちた。(ここで第三子が誕生している)
2015年に定年制の権利を得た。
2016年にスイスに行って、2017年に帰ってきた。
そこから研究スタイルを変えていこうとしていて、2020年にコロナ禍がやってきた。
2022年に第四子の誕生があり、今に至る。
どこが一番の契機だったかは、もうわからない。
でも明確に、それ以前の、いわゆるポスドク〜任期付研究員だった頃とは、日常が違う。
ハッキリと言ってしまえば、研究への切迫感が無くなった。
元来、研究が好きということもなくて、研究は仕事として進めてきたところがある。
しかし職業としてゆえに、かなり高い強度で研究をしていた。
そう。強度が高かった。
昔話はこんなもんでおしまい。
2023年の日常を振り返ると、やはり強度が低かった。
年々、「参加するだけの会議」が増えてきた。
論文に直結するような研究ではなく、その縁辺にあるような仕事も増えてきた。
それらはほぼすべて、在宅で処理できるものだ。
家には乳児がいて、中学生がいて、小学生が二人いる。
管理職(的)な業務も増えてきた。
出勤する日は、プロジェクト雇用のみんなと話をして、話をして、帰宅する。
そんなこんなで、日常が流れていった。
まさに「流れていく」という具合で、流れていったのだった。
日々がどんどん単色になっていく。
若い頃は、もうちょっと多彩だった、気がする。
それすらももう、記憶の改竄かもしれないけど。
日常の単色化に抗うように、2021年10月から手元で日記をつけはじめた。
生真面目で知られる畏友から勧められた毎日100文字程度の5年日記帳だ。
とにかく一日の中で気分が良かった話題をヒネり出して、これを書き連ねることで、ポジティブになれると考えてはじめた。
いま開くと、たしかに当初はちゃんと書いていた。
次第に雑になり、最近は二週間に一回ぐらいしか書いていない。
それもGoogleCalendarで振り返りながら、20文字ぐらい単に出来事を書いているだけで、感情が書き出されていない。
ダラダラと書いてきたが、はじめに戻って、まとめる。
日常が単色で強度が低い。
これは良くない。
ぶっちゃけ病院に行けばウツと診断される状態にある。
そんな自覚があるので、何かやろうと思った。
日記は、誰にも読まれないがゆえに一定の価値があるが、誰にも読まれないゆえに単色化に拍車をかけている気もする。
この10年、多くの時間をともに過ごしてきたツイッタランドも雲行きが怪しい。
むしろ20年前(!!)からやってきたブログに回帰するのも良いんじゃないか。
そんなわけで、2024年はここに高頻度でここに書く。
何を書くかは決めていないが、広い意味で研究関係のことを書こうと思っている。
長い文章は書けないだろう。
140字にも満たないかもしれない。
何かルールを決めておいた方が良いかもしれない。
でも窮屈なのは本意ではないし、しんどい。
2011年1月に「個人の公共性」という文章を書いていた。
このすぐ後に東北の地震があって、自分の中でもウヤムヤになってしまったところがある。
とはいえ、これは卓見だった。
こうやってネットに駄文を書くことには、一定の公共性がある。
情報を開くことで、誰かと繋がり、何かが起こるかもしれない。
世界に対して開いていることは、いまも比較的意識的に、続けていることだ。
だから、ルールというほどではないが、インタラクティブであることは意識して、書こう。
今日はここまで。
能登半島の地震の情報が入ってきた。
みなさんの無事を祈ります。
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「毎日更新を決意した」ぐらいの具体的で強い意思表明をできれば良いのだが、そこまでではない。
それがまた、書かなくなっていたこととも繋がっている。
決意なんだか言い訳なんだか、どっちつかずの話だが、人生はそういうものなのだ。
少し人生をさかのぼってみる。
2014年に定年制移行審査に落ちた。(ここで第三子が誕生している)
2015年に定年制の権利を得た。
2016年にスイスに行って、2017年に帰ってきた。
そこから研究スタイルを変えていこうとしていて、2020年にコロナ禍がやってきた。
2022年に第四子の誕生があり、今に至る。
どこが一番の契機だったかは、もうわからない。
でも明確に、それ以前の、いわゆるポスドク〜任期付研究員だった頃とは、日常が違う。
ハッキリと言ってしまえば、研究への切迫感が無くなった。
元来、研究が好きということもなくて、研究は仕事として進めてきたところがある。
しかし職業としてゆえに、かなり高い強度で研究をしていた。
そう。強度が高かった。
昔話はこんなもんでおしまい。
2023年の日常を振り返ると、やはり強度が低かった。
年々、「参加するだけの会議」が増えてきた。
論文に直結するような研究ではなく、その縁辺にあるような仕事も増えてきた。
それらはほぼすべて、在宅で処理できるものだ。
家には乳児がいて、中学生がいて、小学生が二人いる。
管理職(的)な業務も増えてきた。
出勤する日は、プロジェクト雇用のみんなと話をして、話をして、帰宅する。
そんなこんなで、日常が流れていった。
まさに「流れていく」という具合で、流れていったのだった。
日々がどんどん単色になっていく。
若い頃は、もうちょっと多彩だった、気がする。
それすらももう、記憶の改竄かもしれないけど。
日常の単色化に抗うように、2021年10月から手元で日記をつけはじめた。
生真面目で知られる畏友から勧められた毎日100文字程度の5年日記帳だ。
とにかく一日の中で気分が良かった話題をヒネり出して、これを書き連ねることで、ポジティブになれると考えてはじめた。
いま開くと、たしかに当初はちゃんと書いていた。
次第に雑になり、最近は二週間に一回ぐらいしか書いていない。
それもGoogleCalendarで振り返りながら、20文字ぐらい単に出来事を書いているだけで、感情が書き出されていない。
ダラダラと書いてきたが、はじめに戻って、まとめる。
日常が単色で強度が低い。
これは良くない。
ぶっちゃけ病院に行けばウツと診断される状態にある。
そんな自覚があるので、何かやろうと思った。
日記は、誰にも読まれないがゆえに一定の価値があるが、誰にも読まれないゆえに単色化に拍車をかけている気もする。
この10年、多くの時間をともに過ごしてきたツイッタランドも雲行きが怪しい。
むしろ20年前(!!)からやってきたブログに回帰するのも良いんじゃないか。
そんなわけで、2024年はここに高頻度でここに書く。
何を書くかは決めていないが、広い意味で研究関係のことを書こうと思っている。
長い文章は書けないだろう。
140字にも満たないかもしれない。
何かルールを決めておいた方が良いかもしれない。
でも窮屈なのは本意ではないし、しんどい。
2011年1月に「個人の公共性」という文章を書いていた。
このすぐ後に東北の地震があって、自分の中でもウヤムヤになってしまったところがある。
とはいえ、これは卓見だった。
こうやってネットに駄文を書くことには、一定の公共性がある。
情報を開くことで、誰かと繋がり、何かが起こるかもしれない。
世界に対して開いていることは、いまも比較的意識的に、続けていることだ。
だから、ルールというほどではないが、インタラクティブであることは意識して、書こう。
今日はここまで。
能登半島の地震の情報が入ってきた。
みなさんの無事を祈ります。
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