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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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最初に聞いた時は,発表の1週間後に卒業するということで,週刊誌報道か,あるいは深刻な病気かと考えてしまった。しかしブログ発表文も,その後の配信での本人達からの情報でも,とにかく「普通の女の子に」ということなので,そういうことなのだと受け止めることにする。

「普通の女の子に」というのは,来るべき時が来たという感じがする。山口百恵が引退したのも,キャンディーズが「普通の女の子に」と発表したのも,今回の杏果と同じ22歳頃。そういう年頃である。

ももクロにはいくつかの転換期がある。2010年あかり脱退。2012年米子の夜。2012年紅白出場。2014年国立ライブ。そしてあまり語られないけど,2017年春,杏果が大学を卒業し全員がプロに。

国立での夏菜子による「笑顔宣言」。「みんなを笑顔にする」といったその「みんな」の中に自分たちが含まれているのか。杏果卒業にあたって夏菜子が言った「仕事のことを除けば,1人の女の子として杏果の決断を全力で応援したい」というのは,杏果も「みんな」の1人なんだということ。

自分たちは「みんな」を笑顔にしたい,でもそんな自分たちも「みんな」であって,笑顔でいたい。その葛藤はZ女戦争で歌われている。みんなと同じ普通の女の子でいたい自分と,みんなの普通を守るために戦う自分の相克。

全員が(学校を卒業し)プロになったことで「みんな」との接点が減り,自分の中で「普通の女の子」像を描くことが困難になっていく。特に杏果は幼少期から芸能活動に従事しており「普通の女の子」であったことが無い。学校で触れ合う同級生に「普通の女の子」を感じながら暮らしていたのだろう。その「鏡」を失った2017年春。そこから卒業までが1年。


ももクロとは何か,ってのは色々な議論があるけども,川上マネージャーは作詞担当に対して「ある程度の要望や縛りは設定している」と言っていて,そんな歌詞が一貫して伝えているメッセージは,「努力の先に何かが約束されているわけではないけど,やらなきゃ何もはじまらないからやってみよう」「やるからには全力で,その方が楽しい」「頑張れない時は休んだって良いんだよ」「自分たちはいつでも楽しくやってるから,楽しそうと思ったら一緒にやろうよ」ということなのだ。

だから杏果が「普通の女の子になりたい」と思った時に,それを全力で目指すことこそが「ももクロ」だし,それを全力で応援することこそが「ももクロ」なのだ。杏果がももクロで無くなることが一番ももクロらしいことなのだ。

違和感や痛みは脱皮のタイミングかも
もう止めないよ,止められないよ,あかりが決めた道だもん
どんな物語も誰かの希望のカケラ
どうか諦めず,希望をその胸に
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1つ目。
内藤は『ドームのメイン』に立つことを目標にした。
『ドームのメイン』というのは先人が創ったブランド。
それを消費としたのが内藤。
一方,オカダはその『ドームのメイン』というブランドを高みへ引き上げようとしている。
勝利後のリング上であえて言い放った「まだ空席がある」という言葉は,そういうこと。

2つ目。
内藤は入場時にオーバーマスクを被っていた。
リングにあがってマスクを脱いだ時点でもあらわになっていたが,
マスクを被っている時点から明らかに感涙していた。
感情が高ぶることが悪いのではない。
プロレスとは虚実皮膜。
しかし「実」を隠して「虚勢」を張るということではない。
「実」と「虚」をないまぜにして,客に読ませることこそが虚実皮膜。
生の感情をさらけ出し,さらにその上に虚を塗らなければ。
たとえば,
スターダスト内藤で号泣しながら花道を歩き,
途中でロスインゴの面々が合流,
そこからロスインゴ内藤になって不敵な笑みでリングインするとか。
まぁとにかく,やりようはあったはず。
簡単に言えば「キャラがブレている」ということ。

一方のオカダは,レインメイカーになって以降,
生の感情をさらけ出さないことに徹している。
それが「演劇的」と言われたりもするが,
徹底して「実」を消して「虚」を貫くことで,
客はレインメイカーの中に「実」を探求して遊ぶことができる。


2018年の1.4については,入場時点で勝負あり。
2019年は,どうなる?
研究に必要な「能力」という言い方をすることが多いのだけど,
研究に必要な「技術」あるいは「手順」というのもあると思う。
むしろ,
この「技術」を使いこなせているかどうかが,
この「能力」の8割ぐらいを占めているんじゃないかと。

いつも同じ話をしているんだけども,
この「研究に必要な技術」を「教えるためのメソッド」を確立したい。
4月からは,また新たなポスドクを迎え入れることになるので,
それまでに整理をして,紙に落とし込んでおきたい。

もちろんみんなの成果が詰まった論文を書き上げることも必要なのであるが,
同じぐらいの優先度でこちらも進めて行こう。
年末にAbemaTVで「朝青龍を押し出したら1000万円」という企画があった。
「朝青龍」という看板を消費するだけの企画だと思って歯牙にもかけなかった。
しかし年が明けてニュースを見ると絶賛の嵐。

8人の挑戦者が設定されているが,7人は「前座」。
それでも朝青龍は,相撲としての礼を失する挑戦者には厳しくあたる。
インタビューでも繰り返し「相撲は礼に始まり礼に終わる」と,
ネット番組の企画と言えども,土俵にあがる力士として揺るぎない誠意を示す。

千秋楽は元大関琴光喜。
暴行事件の罰として相撲界を追放された朝青龍。
賭博事件の罰として相撲界を追放された琴光喜。
ともに引退相撲の許されなかった2人。
両者とも入場からうるうる。
朝青龍はそれまでの稽古回しから黒一色の締めに変えてきた。
時間いっぱい。
左手を掲げてからの,まわし「ドンッ」。
立ち会い。前座7人とはまったく違う当たり。
低く入り鋭く寄せる朝青龍の寄り倒し。
感極まるといった表情で勝ち名乗りを受け,間を置いてからのガッツポーズ。


朝青龍「汗と肌がぶつかってる感じが,本当に夢に出てくること。相撲はこれで人生最後。おわかれ。人生に残った相撲へのアレ,夢に出てくることとか,相撲を愛したこととか,この土俵に残して,本人ダグワドルジに戻ります」

琴光喜「これで気持ちよく引退できました。自分としては引退ですけど,子供達に夢を継いでもらって,自分を超えるように指導していきたい」


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「これこそが人生だ」と夢中になって取り組んでいるものを,
ある時に突然,誰かに奪われてしまう。
その火種としての「私の非」があったことは事実であろう。
でも「奪う」のは「誰か」の判断である。
「誰か」が集団を形成して「私」を罰する。
そういうことが,この国では,多すぎる。

私刑はあまりに危険だ。
法と,法に基づく裁きに委ねる必要がある。
「目には目を,歯には歯を」

エルゴラッソ(2017年12月25日発売号)に石川ナオの引退インタビュー。

・各選手に「欲」がない。たとえば今季加入して(馴染めなかった)大久保嘉人は「オレは有名になりたい,カネを稼ぎたい」と言った(がそれは響いていなかった?)。それはナオの言う「ギラつく」と一緒かも。

・リーグ優勝などの大きな目標の前に,もっと身近な小さな目標を設定する必要がある。大きな目標には逃げ場がある。

・優勝したいというけども,そこにどういう意味を見出しているのか。そこの部分の共通理解がない。それがないからすぐにチームの意志がボヤける。

・鹿島にはそれがある。ベンチ外になった選手でも勝点の計算をしてる。2位になってあれだけ悔しがれる。その違いが,今後ドンドン大きな違いになっていく。


権田のコメント
「意見を言っても跳ね返ってこなかった。唯一ナオさんは返してくれた。悪い意味では無く,ぶつかれる相手」


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ニュースなど情報を見る限りでは,ナオと大久保が言っていることは一緒。各人が熱くなること。もっと上手くなりたい,もっと勝ちたい。そういう気持ちが無いことが許せない。大久保は新加入からずっと直球でそれを言い続け,最後には諦めてしまった。ナオは,自分が怪我で出られない現状で言うのは筋が違うと感じて,言わなかった。

30前で2000万ぐらい稼いで,五輪代表とかでメディア露出して,東京に住んでたら,もうそこで満足しちゃって,緩むのかなぁ。なんとも残念。
火曜の昼サッカーぐらいから,ちょっとチンチンがムズムズしてた。
最近寒いんで,自転車の時にこすれているせいかと思って,ほったらかし。
夜はタダ送別会で飲酒。

水曜の朝,マジマジと見たら,ちょっと赤みがある様子。
まぁいいやと通常の生活。
夜,家に帰って見ると明らかに悪化している様子。
これはやばい。
調べてみると「亀頭包皮炎」というのがあるらしく,
症状としてはこれに該当しそう。
でもこれは単に症状の呼称のようで,原因は色々あるみたい。
清潔にして,しかし洗いすぎず,乾燥させるのが良いとされているが,
場所が場所だけに,それはなかなか難しいですよ。

あらためて考えると,月曜ぐらいから唇が荒れてた。
これはヘルペスかもしれん。
子供の頃から口・首・肘などに出たことはあったが,チンチンははじめて。
感染経路としては自分自身だけども,これは性病ということになるのか?
困ったなぁと思いながら木曜も生活してると,
首のいつもの場所にヘルペスっぽいプチプチが。

金曜になってもうこれはガマンならんという感じになってきたので,
近所の皮膚科に行って,首だけ見せて,
「いつものヘルペスなんで薬ちょうだい」と申告。
抗ウイルス「バラシクロビル顆粒」と消炎鎮痛軟膏「コンベック」

試しにコンベックをチンチンに塗ったところ,感覚が鈍くなる感じで,
服でこすれる痛み痒みが無くなった。これは良い。

しかし週末を経ていっこうに良くなる様子が見えず。
月曜の乃木坂会議中も痛かったりムズムズしたりなので,
火曜は家族を実家に送りがてら泌尿器科へ。
問診票に経緯を書いて自己診断で「たぶんヘルペス」と言ったら,
尿検査(ウイルスは調べられない)・採血(結果は当日中には出ない)・目視により,
特に何も言われることもなくヘルペスで確定した模様。
バラシクロビル(錠)とアラセナ(クリーム)と抗ウイルス剤の処方。

火曜夜にチューリッヒ時代の友人と荻窪で会う前ぐらいから悪寒がはじまる。
なんとか飲み終えて帰宅したあたりでかなりヤバイ気配。ノドも痛い。
水曜朝に目覚めて38度。そのまま寝たきりモード。夕方には39度超え。
朝まで寝続けて37度を下回る。ヘルペスも回復傾向。

木曜は乃木坂会議だったが,それほど大変なことはなく。
夜も若手スーパースタア氏と少し飲んでから帰宅。かなり回復。
金曜朝から宝塚へ移動。ほぼ全快。

結論。
ヘルペスの疑いがあれば早めに動いて薬をもらおう。
飲み薬も良いし,アラセナも良い。
10月15日(日) 八戸入り チェン氏と町飲み,リンジー加わり,その後大勢に
10月16日(月) 朝積み込み立ち会い,昼ひらめ丼,夜はバスガイドの店
10月17日(火) 昼は八食市場,夜には乗船して船内飲み
10月18日(水) 出航,以降毎晩飲んだくれの酒席部屋
タダ・コンドー・イノマタら連続乗船組と。
大荒れの台風21号を回避すべく早々に鹿児島西方へ。

12番ウインチ故障によりVMPSに細工。
結果的に試料は採れたが,ネットはボロボロに。
リンジーカメラは奄美で8K用増幅器を通船密輸した以外は完璧。すばらしい。

10月30日(月) 乗船者交代,CTDレグ
測点の大幅削除,海溝断面を断念して,慶良間断面に。結果は?
急遽の銅管採取。ちょっと違う用途で使うらしいけど,用途はまかせた。
帰国後まもなくから咳が止まらなくなった。
http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20170821/

ずっと鼻うがいと咳止め服用という対症療法でやってきたけど,
9月に入ってもうどうにもならんということで,
ツイッタで「す」さんが紹介してくれたステロイド吸引を試すことに。
ネットで調べて,それっぽい病院へ。横浜。

フルティフォーム125という吸引剤と,モンテルカスト錠。
学会0日目からの服用開始で,ホテル泊や飲酒が続いていたのだけども,
4日目ぐらいから咳がほとんど出なくなった。
鼻水が止まり,ノドのイガイガ感もほぼ皆無に。
無くなるまで服用を続けろということなので,2週間つづけた。
今ではまったく咳が出ない。
これはすごい。

吸引を止めて二週間が経つが,まったく症状が出ていない。
これはもう,このまま治ったと思っておけば良いのだろうか。
こんなに効くなら,不測の事態に備えて,航海に持って行きたいのだが。


首にヘルペスが出来た。
スイスで湖水浴に行き始めた時期にバーッときた。
薬局に行ったら「それは病院に行かないとダメ。今すぐ行け。」と。
でも日本で発症した時は大体放置してたし,まぁ何とでもなるでしょう。
実際,3日ぐらいでプツプツが最大化して,5日目にはカサブタになりはじめた。

日本に帰ってきたら,盆休み前にまた発症。
わりと早くに気がついたので,追浜の病院でクスリをもらい内服。

さらに今(10月上旬)に発症。葉山の病院でクスリもらって内服中。
完全に鎮まるまで,どれぐらいかかるのじゃろうか。
唯一の所属学会である地球化学会の年会に参加してきた。
そしてやはり,学会ってホンマに必要かなぁ(いらんやろ)という気持ちを強くしたわけです。


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0日目
例年通り,若手ショートコース講演と評議員会があったらしい。
今年はどっちも関係なかったので参加しなかったけど。
ショートコースの講師5名と,評議員会20名。午後から拘束。うーん。

あとショートコースみたいな,
色んな分野の研究を噛み砕いて講演してもらうのを聞くことってのが,
ショートコースに参加するような「意欲のある」院生に本当に必要なことなんじゃろうか。
某Q大のセンセとも意見が一致したのだけども,
「授業を聞く(ことで成長できる)」というメンタリティの破壊(と再構築)こそが,
大学入学〜卒論〜修論で絶対にやるべきことだと思うのだが,
ショートコースというのは,どうもそれに反しているというか,
おそらく主催側の意図は「再構築」なのだろうけども,
「破壊」がまだなのにアレを受けると,それは単なる強化でしかないのだよなぁ。

とか何とか言いつつ,ショートコースの講師で会場入りする友人を途中で捕獲して,
講演の直前までお喋りして英気を養う。
海外渡航とか異動とか諸々の話を。

夜はChina-Japan地球化学交流事業の懇親会で大井町。
2年前に北京で歓待(接待?)を受けたので参加せざるをえず。
中国側4名,日本側8名。一脚の長テーブル。
アレコレと中国側の配置に悩んでいるようなことを言いつつ,
みんな自分の周辺に日本人を配するように策を巡らせていた。
「飲む時ぐらい気を使わずにいたい」ということなのだろうか。
「咳が止まらないので」末席を確保出来たので,ノンビリと。
まぁしかしかこれも,双方にとって本当に良いことなのかどうか。
予定通り21時頃に終了してそのまま大井町で投宿。

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1日目
朝からマジメに会場入り。
ライジングスターYskwくんの講演が聴けた。
「参加費を払ってでも聞きたい講演」という事前の期待を裏切らない。

あとは適当に講演を聞いて回ったり,LOCで大変な友人のグチを聞いたり。
昼食は企業出展で来ている後輩とハンバーグ。
今後の人生について相談(?)などを受けつつ。

午後に自分の発表。海溝の水塊の概要について。
咳が止まりはじめていてよかった。
とにかく言いたかったことは,
「うちは慣熟だ資源だなんだと内部で航海の機会があるんだけど,
 うちのメンツだけだと出来ることも限られるので,
 うちからも色々と情報や機会を漏洩させるので,
 みなさんもそういう時には汚物を見る目をせず協力して一緒にやりましょね」
ということなので,それは伝わったかな,と。

次期評議員選挙の結果について,まだこの時点では公表されていないのだが,
(当選者には引継会への参加要請があるので当人は知らされている)
会場であう人々に「次期の学会をよろしくねー」などと言われるのが不思議。
どれだけリークしてんねん,と。
あとそれをなんで軽々と言ってしまうねん,と。

そういう雰囲気がイヤなのもあって,夜は早めに会場外に抜け出す。
結局,同期の友人二人と五反田。
地方大は地元企業からの寄付などがあり,そうすると「政治的」な判断も発生したり,
「地方は地方で大変なのよ」の一端を垣間見た気分。
早め開始だったので二次会でコーヒー。
そのせいで夜眠れず疲弊することに。

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2日目
朝から会場をブラブラしつつ,会場の隅でお喋りしつつ。
午後からは総会と受賞講演。
奨励賞は,紹介者のコメントが面白い。
講演はYsmrくんが出色。まったくソツがない。すごい。

わが師匠は比較的マイルドになっているものの,
根本のメンタリティがまったく変わっていなくて,それはそれで。
今なら冷静に考えられるが,そもそも目指す方向が違うのだな。
「自分が一番じゃなきゃ気がすまない」性格で博士を育成するのは大変だ。
(育成されることが大変なのかもしれない)
公式懇親会もその辺で適当に話しつつ,これといった何もなく。

まずKnkくんらの受賞パーティーに顔を出し,
結局わが社のエライ人から社内情報を聞くだけで時間終了。
師匠の受賞パーティーにハシゴしたら,
オッサンらが延々とスピーチしててウンザリ。
久々に会う北大時代の後輩達が元気な様子だったのが嬉しかった。
Omrの受賞も大変よろこばしい。
地味だけどコツコツがんばれる人が評価されるのは良いことだ。

目黒に移動して2次会の2次会。
ツヨポンの熱いカラミを適当に流すイジリさんという構図が04時まで。

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3日目
12時から引継の評議員会。今期も次期もいつものメンツ。
あきらかに多忙な庶務と,それ以外との仕事量の差がありあり。
評議員から数人の幹事が選ばれる過程が非民主的なのもあいかわらず。
なんだかなぁ。

ポスター発表を見つつ,師匠とサイエンスの話をして,
「結局この学会で自分がちゃんとサイエンスの話が出来るのはこの人だなぁ」と。
良いか悪いかは別にして。

帰路では文庫に行って同僚の送別会でゲス話。
同世代でそれなりに研究をしている連中同士だからこそ,気楽に話せるというのはある。
博士を取るぐらいから,定年制職に就くまでの約十年は,
それぞれに様々な背景があったりするので,
大人数で気楽に飲むのがなかなか大変だったのかも,と振り返って思う。
「4年間よく辛抱した。やっぱり桐生が出すべきだったと思う。」

高校時代の恩師の談話。しびれる。

高校時代の10秒01から注目を集め続けた。その重圧は生半可ではなかったはず。
普通の高校生・大学生として暮らすことはできなっただろう。
さらに他の10秒切り有力候補が続々あらわれ,直接対決で敗れもした。
普通の高校生であった頃からその様子を見続けてきた恩師。
だからこその「やっぱり桐生が出すべきだった」という思い。

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それも学生最後の学生選手権での記録樹立。しびれる。

桐生くんがどういう学生生活を送っていたのか知らないけども,
学生にとって最後の学生選手権というのはやはり別物だと思う。
いわゆる他人(ライト層?)にとっては五輪こそが最高の舞台かも知れないけど,
五輪は4年に1度やってくるが,最後の学生選手権は人生で1度きり。
五輪や世界選手権でメダルを逃しての10秒切りということも十分にありえた。
そんな背景があって,
それでも学生選手権で,部の仲間や同世代のライバルがいる中で。
まさに有終の美。

ここから先は,同世代のライバル達が次々と10秒を切って,
世界大会の決勝にたびたび出場するようになって,
そういう人が「普通にいる」世界で育った次世代の若者達が,
平気な顔して世界大会の決勝に出るようになってくる。
そういう時代への扉を開いたことに,この記録の意味がある。

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桐生が10秒を切った。
それが何の役に立つのですか。
世界では勝負にならないじゃないか。
どうしてそこに強化費を投じなければならないのか。
・・・・
そうじゃない。
この興奮でもってボク達の足が速くなるわけでもないし,
足が速くなる必要すらない。
でもこの興奮は,生きる力になるし,
自分は自分の場所で頑張ってやっていこうという気分にさせてくれる。

馳浩引退試合『オレも頑張る。オマエも頑張れ。』
プロフィール
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kawagucci
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非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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