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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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夢中になる

我を忘れる
人の目を気にしない

格好をつけない

(追記予定)
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安価で広く視聴されているメディア。

82年生まれの自分が育った環境だと,新聞・テレビ・週刊誌・マンガ。
テレビを除けば,もっと上の世代でもそう変わらないだろう。
家の中に「転がっているメディア」がこれ。

95年生まれの育った環境だと,電子媒体が出てくる。
Yahoo!などニュースポータル・ブログ・ウェブ動画。
テレビは未だ有力。
マンガは衰えが見え始め,新聞・週刊誌を読む若者はほぼいない。

かつての新聞のクオリティがウンヌンはさておき,一定の水準ではあったはず。
出し手のところでクオリティコントロールがされているメディア時代から,
誰でも出し手になれるがゆえに,クオリティコントロールがされていないメディアの時代。
だからこそ受け手の「リテラシー」が重要になる。
しかし若年層の教育ではいまだ「教科書」というクオリティコントロールされたメディアがベース。

どの段階で,どのように,メディアのクオリティは千差万別であることを教えるか。
むずかしい。
家庭教育(非学校教育)の重要性が増していることは間違いない。

どうしたもんか。
最近,80年代後半に起こったという「バブル」に興味がある。それも「どうしてバブルが起こったのか」ということじゃなくて「バブルは人の価値観にどのような影響を与えたのか」ということにすごく興味がある。

うかつな「世代論」については警戒しておく必要があると思う一方で,人格形成において社会環境の影響は無視できないものがあるとも思う。「キミは○○世代だから××だね」というような世代論と個人の性癖を直接的に結びつける言説はイカンが,個人ではなく集団として見た時には,およその傾向が浮かび上がるものだとも思う。

たとえば「戦争を知っている」世代(1935年以前に生まれた人々)は,最後の一線として「戦争はダメだ」「あんな想いは2度としたくない」と語る。たとえば大勲位とか主筆とか。それに対して今の社会で軍国化・排外主義を推進しようとしている人々は「戦争を知らない世代」=「全共闘世代」が中心になっているように見える(1940-1950年生まれ?)。戦争を知らないからこそなのだろうと感じている。

知識で知っていることと,経験で知っていることは,違う。それはもう,全然違う。

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それでバブルについて。

バブル期(1986-1991)にすでに社会人になっており(1965年以前に生まれた人々),かつ全共闘世代よりも後となると,およそ15世代(1950-1965年うまれ)であり,今の50歳-65歳にあたる。まさに今の社会の決定権を握っている世代。これを仮に「バブル世代」としよう。

ボクは研究業界で暮らしていて,この業界は基本的に大学から陸続きなので,バブル世代であっても,その渦中に身を置いた人は少ないと想像され,バブルという現象と向き合うにはむしろ例外的な集団なんじゃないかと思う。そのせいか,ボクは「バブルの頃はこんなことが・・・・」という「バブル語り」を聞いたこともあまりない。

バブルについて,金融・経済論とか,「スター」の物語とか,そういう風に語った書籍は多い。でもボクが知りたいのはそういうことじゃなくて,もっと身近な,市井の人々がどのような心象であったかとか,日頃の暮らしぶりがどうであったかとか,バブルの狂乱というものを体感したのはどういう人々なのかとか,そういうことが知りたい。

「バブル世代」の「バブル体験」が,この国の方向性に何らかの影響を与えうるほど大きなインパクトだったのか,あるいはアレは(特にメディア関係者が強く体験したからこそ)極端に誇張された思い出でしか無く「世代論」を形成するほどのものではなかったのか。どうなんだろうか。

とにかく「バブル」について市井レベルで理解しておかないと,どこかで何かの拍子に「バブル待望論」がむくむくと起こってきた時に,どう考えて良いのか整理できないと思う。バブル世代が退場する前に,色んな話を聞いておきたい。

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「ポストバブル世代」(1965-1975生まれ)は,幼少期にバブル報道に触れて知っているが,バブルそのものを体験していない世代。ITバブルと呼ばれる現象が起こったけども,その旗手と言われた人々の生年は三木谷(1965),堀江(1972),藤田(1973)でポストバブル世代が中心に見える。これはIT技術の発達時期がホリエモン世代の青年期と一致したという影響が最大要因なのだろうけども,彼らが「バブル」を直接体験していなかったことは,彼らの「遊び方」に影響を与えたんじゃないかとも思う。これは世代論とは関係無いけど。「ポストバブル世代」は「ロスジェネ世代」でもある。

「ケータイ世代」(1975-1985生まれ)が次に来る。ポケベル・PHS・携帯・iモードが中高大学生に普及した時期に中高大学生だった世代。また1995年にWindows95が発売され,当時はテレホーダイだったが,10年後の2005年には高速通信時代がはじまっている。身近な例では,中学時に1つ上の姉がポケベルを持ち,ボクは高校に入ってまずPHSを持ちすぐiモードケータイに移った。この世代は,根本的なコミュニケーション手段が変わったので,これ以前とこれ以降では,根本的な違いがあるように思う。なお1980年生まれが「松坂世代」で,1981年生まれが「キレる17歳世代」(凶悪少年犯罪多発)。関西バイアスで言えば1995年に阪神大震災。

ちなみに研究業界的には,1975年頃に生まれた世代は,ちょうど大学院重点化世代で研究者の数がすごく多い。だから同時に1975-1985年生まれが「ポスドク問題世代」でもある。また汎用コンピュータが一般家庭にも雪崩れ込んできた世代でもあるので「研究にコンピュータを使う世代」でもある。WordやExcelとか言った意味では無くインフォマティクス的な意味で。

ちなみにちなみに「アダルトビデオ」の爆発的普及は1985年頃かららしく「ポストバブル世代〜ケータイ世代」が思春期にこれと触れる世代である。これは表立って語られないだけで思想形成にかなり大きな影響を与えていると思うので「世代論」の軸として有効な気もしているのだが,果たして。

自分より若い世代のことはよくわからない。1985-2000年生まれだと,どうなんだろうか。この世代に影響を与える2000-2010年というと,技術的には高速通信,ネット動画世代か。世相というか社会事件としては,なんだろう。2001年9.11が直接的に世代に影響を及ぼしているとは思えないけども,グローバル化を中心とした社会の不安定化なのかなぁ。まだ世代論で解析できるほど時間が下っていないと考えるしかないか。

2011年に東日本大地震なので,これを就職前に経験している世代となると,1990-2000年生まれで,大きな影響を受けているように思われる。2010年頃からスマホ・Wi-Fiが普及している。
ふたたび『非モテの品格』より
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N6E5WYZ/

ジェンダーとしての男性の弱さを「自分の弱さを認められない弱さ」あるいは「社会的な男性への目線(男性は女性より良い立場が与えられている)を理解しているがゆえに自分の弱さを開陳できないことで生じる葛藤(弱さを感じるが同時に弱さを否認したがる)」について。

なんとなくボクの中にモヤモヤとあったものの正体は,これに近いんじゃないかと思った。ボクにとっての「弱さとは何か」という部分を明確に同定することは難しいけども,おそらくルサンチマン的なモノだけでは説明できないものがあって,それがこのモヤモヤ感の本質なのかもしれない。

広い意味で先天的な条件で「恵まれている人」に対して,もはや嫌悪感と言ってもいい非常に強い嫉妬を抱いてきた。体が丈夫だったり,親が金持ちだったり,男性だったり。そういう意味で。それはたぶんボク自身が,体がそれほど丈夫じゃなかったし,親はまぁ金持ちではなかったし。幼少期から心の奥にそういう気持ちがあったからか,世間的に典型的な「男同士でつるむ」的なことはあまりなかった(今も得意ではない)。

それでもなんとか生きてきて大人になると,もう親がどうこうというのは関係のない年齢になる。自身の体についても適当に暮らしていける程度には収束している。(汗をかいたらただちにシャワーを浴びないと酷いことになるとか,そういうことはあるけども,注意すれば克服可能な範囲になっている)

20代後半から30代は,おそらく女性が女性性と向き合う時期であり,そういうことはなんとなく頭では理解できるので,男性性の相対的優位さのようなモノを感じずにはいられない。また同時に,職業環境としては,ジェンダーや健康などを度外視した客観性を標榜する競争的な雰囲気があり,その中に身を起き続けることになっていた。たとえば業績リストにはジェンダーや健康状態は記載しない。たとえば今の日本では,男性が職を見つけて引っ越す時に(離職して)ついていく女性はそれなりにいるだろうけども,女性が職を見つけて引っ越す時に(離職して)ついていく男性はほとんどいない。

そういう「男性性が圧倒的に有利」な状況にあって,所与の条件としての男性性という恵まれた状態にある自分に無頓着で,他の視点からの不遇をことさら主張する男性には嫌悪感を抱いてきた。また時にそれが自分自身にむかい自己嫌悪も感じてきた。それが転じて,そういう状況の女性をサポートしたい気持ちも芽生えたりもした。自分は研究業界のことしか知らないし,研究業界の人ぐらいしか接する機会もないので,とりあえず研究業界の(いわゆる)女性問題については色々と考えたり,ちょっと行動したりしてきた。

また子供を持つことになって,子供の境遇についても考えることが増えた。経済状況とか,サポート環境とか,諸々について。とにかく子供の問題は,生まれた環境と健康に強く依存する。家庭の問題は千差万別で一概には言えないけども,うちの子供については「まぁ大体こんなもんでしょう」という範囲にはおさまっていて,相対的には恵まれた方に位置していると思う。こうやって恵まれているウンヌンと評価することが問題の根源ではあるのだけれども,まぁそう思うということで。

それで今のボクのモヤモヤについて思い至るのは,ボクは『自分の中にある基準で「弱い立場にある」と判定した上でしか他人に優しくできない』ということだ。またその圧倒的に下品な『優しさ』に気付きつつあり自己嫌悪を抱いている。さらにボク自身の妻子について「弱い立場ではない」と判定しているがゆえに優しくできないでいるということもある。ここで自分の妻子に対して「弱者でない」と判定しているのは,世の妻・子供と,それぞれ妻同士・子供同士を比較した場合の判定だ。

一方で,家庭内においては,妻子は圧倒的に弱者である。妻は専業主婦なので経済的に自立することが困難で,彼女の環境はボクの一存で決めることができるため(深い部分で)彼女はボクに逆らうことができない。子供は肉体的にも経済的にも精神的にも親にはかなわない。だから家庭においてボクは常に強者であるという現実がある。

それで,一体なにがこんなにモヤモヤさせられるのかということを突き詰めて考えると,結局のところ自分が自動的に「強者」になってしまっているということ自体に,モヤモヤの原因があるんじゃないかと。ボクは強者であるがゆえに「剥き出しの感情」を吐露することができない。なぜならボクが感情を吐露することはそのまま弱者に対する「暴力」になってしまう。一方で妻子が感情を吐露しても,それは単に感情の吐露以上の意味をもたない。だからボクは強く抑制的に暮らしている。しかし妻子は時に感情を吐露してくる。するとその感情の中身に加えて,「感情を吐露する」という行為に対して不快感を覚える。その不快感は,自分が感情を吐露できないことからくる「ある種の嫉妬」なのかもしれない。しかしこの「弱者に対して嫉妬する」ということの,その下品さに対して,自分自身が嫌悪感を抱く。

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自分が強者である状況では,強者であるがゆえに,感情を吐露できない。
自分が弱者である状況では,弱者であることを認めたくないがゆえに,感情を吐露できない。

まずは,弱者である案件について,弱者であることを認めてしまうことからはじめよう。
弱者である不遇を騒ぎ立てるのではなく,その気持ちをそのままに。
そうすれば,もう少し上手に,感情を吐露できるようになるかもしれない。

その先に,強者である状況での振る舞いが見えてくるかもせいれない。
2016念頭の目標を見て愕然とする。達成率は10%にも満たない。
http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20160103/

>科研費をゲットできれば,秋までにポスドクを雇用して,在外期間中の実験を進めてもらう
>人件費用の科研費は2口応募しているので,

->2口とも見事に落選。


>参加出来そうにもない航海プロポは書けないし,科研費もお休みになる

->航海プロポも書いたし科研費も書いた


>ツイッタジャンキーを卒業してブログに戻るのも目標

->あいかわらず。でも2017年からは・・・


>大学教育関係。まとまった分量を毎日,あるいは隔日ぐらいのペースで書きため

->まったくあかんかった


>朝晩に運動習慣をつけねば。朝はLSDで夜は筋トレかな。

->まったくあかんかった
2号はいま4歳半。2号は2歳手前でベラベラ喋り,話す内容もちゃんと考えられたものであることが多かった。逆に1号は皆の様子に合わせて振る舞うことを良しとするメンタリティが根深い。気弱で優しいが,自分で考えるというよりは誰かを模倣するような判断が多い。なので教育方針として,2号を18ヶ月先に生まれた1号に合わせるように,つまり今なら6歳児レベルで双子のように同じ扱いをすることにしている。

2号の行動原理は,とにかく甘やかしてほしいということにある。それも自由にさせてほしいのではなく,近くにいて常に褒めそやされ甘やかされることを求めている。生まれてから3年間,母+祖父母のいる家で,祖母が主担当として面倒を見ていたせいか,「大人は常に自分を見ていて甘やかしてくれる」というのが染みついているようだ。同じように育っても,やはり1号には「お姉さん気質」があって「大人に負担をかけない自分はエライでしょ」という立ち位置に入り込むので,7割方はうまくいく(残り3割は,そうじゃない,ということをやってより混乱を大きくする)。

4月から一緒に暮らしている実父は,子供を甘やかしてくれない。3号がいて,祖父母もいないので,大人の絶対数も足りていない。なにかと「父=1号2号」「母=3号」という配分になるのだが,ただでさえ自分に優しくない父が,しかも1号と半々でしか面倒を見てくれない。2号はそれが大いに不満らしく,すぐに母を求めて動き始める。それで父からも母からも叱られる。

2号が育った環境には同年齢の親戚が複数いたが,圧倒的に口が達者だった2号は,自由に振る舞っても大人に褒められてきた。そういう経験がある。また日本での幼稚園経験は4ヶ月のみだった。なのでコチラの団地キッズとうまく遊べない。まず言葉が通じない。また少し年齢が上の子供にフォローしていくことが出来ない(1号はこれがが得意。何となく皆に合わせて遊ぶので先方からも歓迎される)。むしろ自分主導で遊ぶべく皆の遊びを破壊してしまう。さらに年長者が相手をしてくれないと自分一人で遊べない。これが積もって,外で遊んでも楽しくない状況に陥ってしまっている。

泣き癖がついていて,ちょっとイヤな気分になるとすぐに泣く。家の中で泣かれるのは本当に不快になる。家が石造りなので音がよく響くというのもあるかもしれない。また泣くのは染みついた交渉術のようなもので,あやすために何かを出してくる/甘やかしてくれるというのを,無意識下に期待しているように見える。少なくとも,お母さんと二人になる時間がもたらされるとは思っている様子。しかしそのようにはいかない。

父母子が相互に負担を感じあっている現状は,間違いなく良くない。しかしだからといって,2号が機嫌良く暮らしていくことに重きを置くことは,思想的にも労力的にも不可能に近い。

「甘やかさないけど褒める」「褒めるけど甘やかさない」という親の方針がある。2号がこの違いに気付くのが先か,こちらがそれらを混合したうまい方法を見つけるのが先か。はたして。
「誕生パーティーがわからない」の回を読んで,
とても印象的だったのでメールしました.
単なる自慢話に聞こえそうですが.

我が家では,友達を呼んでの「誕生パーティー」はしたことありません.
11月にあった長女のX才の誕生日はこんな感じ.

・妻が芋とイチジクのスポンジケーキを作って,みんなで食べた.
・家族みんなで「ハッピーバースデイ」を歌った.
・プレゼントは妻がばあちゃんの服の生地を再利用して作った手袋.登下校が寒くなってきたので娘喜ぶ.
・同時に次女には部屋履き用の手作り靴下をあげる(次女は前からこれが欲しかったらしく喜ぶ).
・長女をはじめ,みんなが産まれたときの様子を妻と私が得意気に話す.当時の写真を見直すこともある.

毎回,大体こんな感じです.
他の家族に向かって「誕生日はこう過ごすべきだ」と言いたいわけではなくて,
我が家ではこのような過ごし方が気に入っている,ということです.

行事としては大規模なことはしませんが,気持ちとしては誕生日は特別です.
その一年に特に何もなかったとしても,
子どもたちと一緒に,その年齢まで生き抜いてこれたことが私にとっては嬉しいからです.

特に何かをしたわけではありませんが,家族を作りながらここまで来るのに,
大げさではなくて私と妻にとっては必死でした(今もかなり必死).
なので,何事もなく子どもたちと自分たちの誕生日が迎えられることは,
嬉しく感じます.
ありがたいことだ,と感じます.

誕生日の捉え方や過ごし方は,
人それぞれあると思いますし,
それでよいのではないかと思います.
誕生パーティーをするのが,よくわからない。何がメデタイのか。何を祝っているのか。その日が「誕生日」であることだけを理由に祝っているのだとしたら,それは単なる「記念日厨」の発想だ。「1つ歳を重ねる」というならば,数え年文化を念頭におけば,正月を祝っていることがそれにあたるんじゃないか。

いわく「だって子供が喜ぶじゃない」。それは物事の前後が逆でしょう。子供を喜ばせるために企画しているのが誕生パーティーなわけで,子供が先天的に誕生パーティーを好きなわけがない。子供にとっては理由なんて何でも良いことで,単に好きなものが食べられて幸せな感じの雰囲気に包まれれば,それは喜ぶに決まっている。

じゃあ毎日そんな生活を心がければ良いじゃないか。毎朝毎晩「この世にうまれておめでとう/ありがとう」と言って暮らせば良い。毎日三食おいしいケーキを食べ続ければ良い。24時間部屋の中を飾り付けておけば良い。そうしない理由はない。

「毎日じゃ意味が無い。感動が薄れる。稀にある特別な日であることが重要」ということであれば,別に誕生日である必要はない。正月でも良いし,毎月1日でも良い。ことさら「誕生日」に紐付けする理由はない。

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まぁそういうことを考えてきた中で,実際に自分の子供がいて,その誕生日を祝う様子などを見ていると,本当に悪影響しか見えてこない。一ヶ月前から自分の誕生日に向けてカウントダウンをして,「ああしたい,こうしたい,ああしてほしい,こうしてほしい」と延々言い続けている。自分が祝われる立場であること,皆が自分を祝福することを,当然のものとして考えている。

これが「愛されて育つ」ということなのかもしれない。誰もが自分に対して善意を持っていると信じて疑わない心の醸成。仮にそれを究極の目的として子育てをしているのであれば,その一貫として誕生パーティーを企図しているのであれば,皮肉ではなく「本当にうまくできた仕組みだなぁ」と思う。でも,たぶんそうじゃない。

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昨夜は言葉の通じない団地の子供達を招待したこともあって,負の側面がすごく顕著に出現した。それを目の当たりにして,やるせない気分になった。

まずパーティーをやるので来て欲しい,と伝えるにあたって,相手の意向を把握することができない。「バースデイパーティー,カモン」と言い捨てるだけ。言われた側からすれば,理由もなく断るわけにもいかないだろうから,当然来てくれる。でも実際のところ,どう思っているかはわからない。言葉が通じないから。

実際,昨日きた子達は相当にとまどっていた。言葉の通じない家庭に呼ばれたが,頼りになる他の大人はいない。たとえば4歳児の悪ガキはケーキを食べなかったが,どうやらケーキが好きじゃなかったらしい。それは英語を喋れる最年長に通訳をしてもらってわかったこと。なんだか気まずい雰囲気になって(でもうちの子供達だけは多幸感でハイになっていて),結果的にケーキを食べて日本のお菓子を渡して30分も経たずに解散した。

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もう誕生パーティーはやりたくない。一日一日を元気に楽しく過ごして,素晴らしいことをしたら最高に祝われて,ダメなことをしたら叱られて,それだけで十分じゃないか。それが「誕生したことを祝う」ことじゃないか。

「無条件に祝福される場面がある」という感覚を持ってほしくない。何も成し遂げていないのに祝福される感覚を抱くのだとしたら,それは麻薬と同じだ。誕生パーティーは大人が子供に与える麻薬だ。すべての責任は大人にある。

もし誕生パーティーをするのであれば,単に「おめでとう,おめでとう」と言うのではなくて,お祝いに来てくれる皆に対して感謝することも,同じぐらい強く伝えるべきだ。
12月はツイッタでの垂れ流しを止めて,こちらのブログという穴蔵に書いていくことにした。

昔にくらべて,まとまった文章を(だらだらと,しかし)まとまった分量で書くことが出来なくなってきたと感じている。それはやっぱりツイッタ的な書き方が染みついてしまっているからなんじゃないかと考えたのも,今回の方針決定の一因ではある。一番はツイッタ解毒なわけですが。

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先日,某所(ツイッタですね)で見かけた「ラボガイド」という,教員が自ラボの学生向けに作っている小冊子を,ご厚意で拝見させていただいたのだけど,それがまぁ素晴らしいデキでして,「自分にはこんなこと出来ないなあ」と思ったのです。でもそもそもどうして拝見させていただいたかというと,自分もそういうモノを作る必要があると感じているからこそで,であれば,「出来ないなぁ」とか言ってないで,作らねばならないのです。

ラボガイドには2つの要素があるわけです。1つは現実に目の前にある実験室という意味での「ラボ」のガイドで,そこにあるモノ,そこで起こるコト,それらを研究視点と安全衛生視点の両面から網羅的に記載した書物。日々の実験などに追われ,色んなことがドンドン口伝になっていくのは良くない。良くないというか,悪い。ちゃんと口伝されない一番の要因は,実は実験者自身が適切な理解を持たないまま実験をしていることなんじゃないかと疑っている。もちろん自戒をこめて。つまり,他人に伝えるための労力が問題なのじゃなくて,他人に伝えることで対象としているモノ・コトに対する理解不足が露呈することを恐れていて,それを隠蔽するために,他人に伝えないということです。「どうして液体窒素で冷やすとガスが捕まるのか?」「イオンソースとは何ぞや?」などなど,ちゃんと説明しろと言われるとシドロモドロになる案件は山のようにあるわけです。

ラボガイドのもう1つの要素は,研究者が集まる「場/集団」という意味での「ラボ」のガイドで,セミナーとか役割分担とか共同生活とかそういう部分のルールの類がこれにあたる。これはPIの色が強く出る部分,というかPIの趣味で決まるってことですね。

いま自分は国の研究所にいて,大学教員ではないんだけども,まぁ広い意味では研究者養成に携わっているわけですよ。実際,学生やポスドクのホストになっていたり,試料を持って分析にくる学生(研究者)も受け入れているので。そういうことを考えると,早急にラボガイド(的なもの)を作っておく必要があるでしょう。というか,そういうモノ無しに,色んな人がラボを往来している現状というのはすごくマズイ。しかも今自分は外国にいるし。本当にマズイ。

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研究に身が入らない時間が続いている。「研究しなきゃ」と「研究したからって何になるんよ」という間で揺れ動いている。博士院生の時からちょっと研究が落ち着くとこの精神状態になってしまう。

それってのが,自分から能動的に取りかかることが出来ない低モチベーション,まぁやる気が無いってことですが,そこから来ているのか。はたまた,現代研究というものに対する厭世観的なものから来ているのか。まぁ両方ともってのが正解ではあるんだろうけども,どっちの方がより自分にとってクリティカルなんだろうかと考えたりしている。

他人の関わる仕事については,向こうから襲いかかってくるから否応なしだからか,はたまた自分の”良い人”的部分がくすぐられるからか,いずれにせよ,わりと頑張れる。あぁ”良い人”がくすぐられるというのは,良く思われたい(ゲス)と助けて上げたい(天使)と,両方ともだな。

「常識を疑え」という立ち位置をとるなら,今の自分の状況でもっとも疑うべきは,現在の科学業界の在り方が科学にとってベストなのか,あるいは,現在の地球科学の取り組み方はベストなのか,とかそういうことなんだろうと思う。業界の在り方については,グローバル(笑),ドメスティック(文科省主導ってことですね),ローカル(大学とか海洋業界とか),あとまぁ所属ラボとか協働研究関係周辺もそうかもしれない。とにかく色んなスケールで,一体どうなのよ?ということを,もうちょっとマジメに考えていかないとなぁと。

総論的には,日本の常識的振る舞いをしていると「局所最適」「兵站軽視」「縁故重視」を指向してしまいがちである。なので,そこを是正というか,常に反省しながら,前に進んでいけるような,,,いや違うな,,,本当に前に進んでいくべきなのだろうか,本当にそっちが「前」なのだろうか,と自問自答することをやめないようにすべきだと。そういう風に考えているわけだ。

一方でサイエンスなので,つまり未知のものに取り組むわけで,どこかで「えいや」と飛び込んで行くことも大事。そんな結果が出るかどうかもわからない博打を一緒になって打ってくれる人なんてのは結構な縁故がある人に限られるわけで。結局は相反する2つの動機と行動を並立させねばならぬわけだ。アンビヴァレントな純情な感情は空回り,なのです。


とか何とか言っていてもしょうがないので,もうちょっと考え続けることと,もうちょっとまとめて書き連ねていくことを増やそうと思っているわけです。

苦手とする実践・集中・継続です。
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kawagucci
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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