音楽配信という形態は今後も普及こそすれ、少なくなることはないと思います。
これまで音楽を買っているつもりで払っていた値段が、実は製造や運搬というパッケージのコストだったことが、インターネットの登場で露わになった
もともと音楽って何万年もの間、かたちのない『ライブ』だったんです
録音した音楽は、どうやっても生を超えることはできない
あぁ、これはすごいですよ
CD時代からすでに違法コピーと規制のイタチゴッコが続いてきた
しかし、一度デジタルデータになってしまったものは、
どれだけフィルタをこしらえても所詮はデジタルデータであって、
原理的には無限にコピーできてしまう
だから、このイタチゴッコは、
(あくまで経済的な意味で)音楽販売の無価値化を加速していると言える
一方、
デジタルデータはやはりデジタルデータであって、
アナログの無処理の音楽とは似て非なるモノである
だから、
デジタル技術の発展で音楽販売のメディアの最小化し、
手元に届けられる音楽が(経済的に)無価値化したとしても、
アナログであるライブ音楽の価値は損なわれない
音楽販売が無くなった時代の音楽業界は、
製造・運搬・広告宣伝が無くなり、
それに携わる人が抜ける分だけ人口が減少し、
今より少なくなる音楽家(市場が縮小し本物しか残れなくなるから)と、
今より多くなるライブ会場屋(需要が増すから)と、
幾分かの中間業者と労働者(マネージや設営など)によって構成されることになるだろう
またそんな時代の音楽業界のキャッシュフローは、
ライブ収益がパイを決め、
上記の人々の人件費と機材費用が主たる支出となるだろう
データ配信は、どこかのライブを録音したモノが主流となり、
(技術が発達しているからライブの録音・加工も容易になる)
それは次のライブの広告としての役割を担うことになり、
基本的に無料で配布されることになるだろう
また、著作権料という概念が崩壊する
広告やカラオケに利用される音楽は、
もとが無料で配布される音源なので、
そこに著作権料をかけようがない
ある音楽家が他人の音楽をライブで演奏することも、
互いに尊敬しあうからこそ生まれる二次利用なわけで、
ここにも損益は関わらないだろう
ライブ感を突き詰めていくと、
あるいは「流し」のように客の要望に合わせて演奏することもありえる
そうこう考えると、
実はすでに、そんな音楽新時代を実践している音楽家がいることに気付いた
桑田佳祐
桑田は「ひとり紅白歌合戦」というライブで、
他人が作った楽曲を演奏することで多くの観客を熱狂させた
このライブで桑田が提供したものは、
「桑田の楽曲」ではないが、
たしかに「桑田の音楽」であった
桑田はこのライブを通じて、
新時代の音楽家像を示してみせたのだ
思えば「勝手にシンドバッド」などは、
当時から現在に至るまで、
ちまたに溢れるほとんどの楽曲が、
愛や恋や友情や人生やと、
そういった「感情の情報」を乗せている「表意歌詞」であるのに反発するかのように、
なんの情報にもなっていない「表音歌詞」がただひたすら歌われているわけで、
やはり桑田は、
デビュー当時から今に至るまで、
音楽を「そういうもの」として捉えているのだろう、と思うわけです
天才だなぁ
というようなことを、
カーラジオから流れる原由子の曲を聴きながら思い、
ヨメに力説したけど軽く聞き流されました
しくしく
そこで、問いたいのだが、憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か。(略)憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。政治家が変転する現実の中で、臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。当の政治家が、これを現実に合わぬと言って批判するのはそもそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障ると言うに等しい。現実に法をあわせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは、「法」をないがしろにする社会の中では、「法」はいつでも「理想論」なのである。 この二つの事案が矛盾しているように見えるということにこそ憲法と日米安保条約の持っている問題が集約されている。 憲法と日米安保は矛盾していない。 財政が逼迫しているアメリカがこれまでのように膨大な軍事費を拠出しつづけることについて、アメリカは国内世論の反対派を無視できなくなってくる。日本においては沖縄の基地が地方自治によって否認されようとしている。安保は、日米関係の問題であると同時に、それぞれの国内問題でもある。軍事的な問題であると同時に、心理的な問題でもある。 アメリカサイドから見れば、憲法は日本軍国主義を無害化するために必要なものであり、同時に日米安保条約もまた日本が軍事的に肥大化することを抑制するためには必要なものであったといえる。日本側から見れば理念として相反するかに見える憲法と軍事同盟は、アメリカ側から見れば同じひとつの政策の両面であるに過ぎない。 だから憲法九条が戦後日本の平和を守ってきたということが正しい認識だとすれば、日米安保条約が日本の平和を守ってきたという認識も正しく、前者がまったくの空言であるとすれば、後者もまた空言であるといわなくてはならないのである。
まずこういった「正解のない問題」に対して、
サイエンスなどはまさにそうなのですが、
その解決法に「自信を持って取り組む」というのは、
相当多角的な勉強・評価をした後でできることであって、
そんなのは、もう本当にそのことだけを徹底的に調べ尽くしても叶わないもの
それを安易に「できる」と言ってしまうのは、
この問題に対する見識云々でなく、
物事に取り組む姿勢として非常に低レベルと断じざるをえない
できないことに対してできると虚勢を張るのは子供であって、
分別のある大人はそのような態度は取らない
不可能なことを押しつけられたときの態度としては、
「困ったね」「一緒に考えてください」と、
その不可能性を共有するのが最適解だと思う
これ以上は政治的な話になるので、
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本質論は今の日本周辺の脅威をどのように捉え、それに対して海兵隊が果たしている役割とは何なのか
なぜこの時期に金総書記が訪中したか、それは韓国の哨戒艦沈没事案こそが最大のテーマ
日本周辺の緊張はかつてないレベルであるのに、我が自衛隊は領土や在外邦人を守るための法制面・装備面での能力すら十分ではない
現行憲法の範囲内でも、日本に出来ることは多くあります。
次回にまた詳説します
by 石破茂