自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
1000人ぐらいのコミュニティってのは,
ギリギリ互いの「顔」が見える範囲だと思う。
一方で「機能する集団規模は150人まで」みたいなことを言うので,
じゃあそれを基準に1000人程度のコミュニティを考えると,
7つぐらいのサブコミュニティがあるような状態か。
150人規模であれば,
トップは1人に収斂しても運用ができるだろうか。
それとも15人ぐらいのグループに割って,
そこから10人ぐらいのリーダーが出てきて,
トップグループを形成して運用するのだろうか。
7つのサブコミュニティとはいえ,
全体としては1つのコミュニティなので,
意識や計画の統合をする場面も生じるだろう。
そのためにサブコミュニティとは別の「コア」を置くのか,
はたまたそれぞれが対等に繋がる「ネットワーク」になるのか。
コアにしろネットワークにしろ,
各サブコミュニティと直接的に繋がる接点になる人員は,
1人出ると7人,2人出ると14人。
最小単位として機能するために15人のグループを作っているわけで,
これより大きな「ヘッドグループ」を編制するのは矛盾しているかもしれん。
そうやって考えていくと,
グループ:サブコミュニティ:コミュニティ:コア(ヘッドグループ)について,
どういう「割り」にしていくべきだろうか,というのが見えてくるかも。
でも,
組織システムは個性ある個人の集まりであることが大前提なので,
個性の多様性によって生じるグループの振れ幅があって,
それが伝播して組織全体も揺れ動くので,
組織図の図面だけでは管理しきれないことは自明なのだから,
その振れ幅,あるいはシステム設計の誤差と言っても良いかもしれない,を考慮して,
「あそび」のあるシステム構築が望まれるわけです。
で,
その「あそび」をどの程度織り込むか,みたいな部分で,
構成員の「顔」が見えていないと,
なかなかにうまくいかない。
基盤部なのにあそびが大きすぎたり,
縦揺れする部分なのに横方向にしかあそびが無かったり,
図面通りいかないからといって「部品」を入れ替えたり,
そういうことでは,アレです。
もうホンマ,アレっす。
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ギリギリ互いの「顔」が見える範囲だと思う。
一方で「機能する集団規模は150人まで」みたいなことを言うので,
じゃあそれを基準に1000人程度のコミュニティを考えると,
7つぐらいのサブコミュニティがあるような状態か。
150人規模であれば,
トップは1人に収斂しても運用ができるだろうか。
それとも15人ぐらいのグループに割って,
そこから10人ぐらいのリーダーが出てきて,
トップグループを形成して運用するのだろうか。
7つのサブコミュニティとはいえ,
全体としては1つのコミュニティなので,
意識や計画の統合をする場面も生じるだろう。
そのためにサブコミュニティとは別の「コア」を置くのか,
はたまたそれぞれが対等に繋がる「ネットワーク」になるのか。
コアにしろネットワークにしろ,
各サブコミュニティと直接的に繋がる接点になる人員は,
1人出ると7人,2人出ると14人。
最小単位として機能するために15人のグループを作っているわけで,
これより大きな「ヘッドグループ」を編制するのは矛盾しているかもしれん。
そうやって考えていくと,
グループ:サブコミュニティ:コミュニティ:コア(ヘッドグループ)について,
どういう「割り」にしていくべきだろうか,というのが見えてくるかも。
でも,
組織システムは個性ある個人の集まりであることが大前提なので,
個性の多様性によって生じるグループの振れ幅があって,
それが伝播して組織全体も揺れ動くので,
組織図の図面だけでは管理しきれないことは自明なのだから,
その振れ幅,あるいはシステム設計の誤差と言っても良いかもしれない,を考慮して,
「あそび」のあるシステム構築が望まれるわけです。
で,
その「あそび」をどの程度織り込むか,みたいな部分で,
構成員の「顔」が見えていないと,
なかなかにうまくいかない。
基盤部なのにあそびが大きすぎたり,
縦揺れする部分なのに横方向にしかあそびが無かったり,
図面通りいかないからといって「部品」を入れ替えたり,
そういうことでは,アレです。
もうホンマ,アレっす。
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