自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
たとえ話をすると,
たとえの歪みの部分に話題が集中して,
結局もともと伝えたかったことが伝わらないってことがままある。
ままあることはわかっているが,
今日もたとえ話をしよう。
ボクは食べることが好きだ。
しかも基本的に肉が好きだし,
味付けは濃いめが好きだし,
中華やイタリアンはもちろん好きだし,
ラーメンもスイーツも好きだし,
ビールも日本酒も大好物だ。
でも,
絶えず好きなものを食べていると,
胃や腸はずっと重たいだろうし,
健康診断的な意味でヤバイことになるだろうし,
家計だって続かない。
だから,
食事は一日三食にしているし,
コッテリガッツリの後はアッサリサッパリにしたりして,
なんとかバランスをとるようにしている。
でも,もし,
すごく効く胃腸薬が出来たなら,
食べ過ぎで苦しむこともなくなるし,
二日酔いに抜群に効く薬が出来れば,
飲み過ぎで苦しむこともなくなるし,
外科的な脂肪除去法が発達すれば,
デブることを気にせずに食べられるし,
血液の状態を一定に保つ薬が開発されれば,
塩分や油分を気にすることなく食べられる。
医学薬学が発展していけば,
たくさん食べて健康な生活がおくれる。
やったね。
というようなことが,
今現在,
世の中に流布しているお花畑思想であるところの,
「持続可能な」ということなんじゃないかと思う。
でもさ,
そもそも食べ過ぎなけりゃいいわけじゃない。
薬には頼らないけども,
健康を損ねない。
それぐらいの量・頻度で美味しいモノを食べるれれば,
まぁ幸せだと思いますよー,ってな具合で,
そういうのが,
本当の意味での「持続可能」なんじゃないのかしらね。
「コーラは健康を害する」ってなった時に,
「トクホコーラ」とか「ゼロコーラ」とかを飲むんじゃなくて,
基本的に「炭酸水」に置き換えつつ,
本当の本当に飲みたくなったら「コーラ」を飲むみたいな,
そういうことじゃないかしら。
「美味しいモノが食べたい」って欲求と,
「健康でありたい」って欲求を,
両方同時に最大限満たすために生身のポテンシャルを引き出すべく過剰な努力するのと,
両方同時に満たされる範囲を逸脱しない程度に抑えるべくガマンする努力と,
どっちを選択するかってことでしょう。
ちょっと別な話にすると,
プランA「プラス100とマイナス100を取り込めばプラマイゼロ」と,
プランB「プラス10とマイナス10を取り込めばプラマイゼロ」と,
同じように見える。
でもたとえば,
ピッタリ合わせることは難しくて誤差が10%ぐらいあるとしたら,
プランAの場合は,最大でプラマイ10の変動が起こりうる。
プランBの場合は,最大でプラマイ1の変動しか起こらない。
プラスが食べる量で,
マイナスが排泄する量だとしたら,
食べる量は自分で調節できるけど,
排泄量は内臓の具合なので完全には調節できない。
だとしたら,
プランBの方が安全策なんじゃなかろうか。
そういうようなことで,
新しいエネルギーを開発するとか,
省エネが云々とかをすることで,
「持続可能な**」を実現しようとする現在の風潮は,
「トクホコーラ」とか「ゼロコーラ」とかと同じで,
ヤバイんじゃないですかね,ということです。
常に欲求を満たす方向に,ではなく,
欲求を減らす方向に,という考えでいこうよ。
それは国民と政治家の関係もそうだし,
隣国との関係もそうです。
征服とか制御とか,そういうことじゃなくて,
降参とか隷従とか,そういうことでもなくて,
譲歩とか我慢とか,そういうことですよ。
「持続可能な」って言葉を使うなら。
Tweet
たとえの歪みの部分に話題が集中して,
結局もともと伝えたかったことが伝わらないってことがままある。
ままあることはわかっているが,
今日もたとえ話をしよう。
ボクは食べることが好きだ。
しかも基本的に肉が好きだし,
味付けは濃いめが好きだし,
中華やイタリアンはもちろん好きだし,
ラーメンもスイーツも好きだし,
ビールも日本酒も大好物だ。
でも,
絶えず好きなものを食べていると,
胃や腸はずっと重たいだろうし,
健康診断的な意味でヤバイことになるだろうし,
家計だって続かない。
だから,
食事は一日三食にしているし,
コッテリガッツリの後はアッサリサッパリにしたりして,
なんとかバランスをとるようにしている。
でも,もし,
すごく効く胃腸薬が出来たなら,
食べ過ぎで苦しむこともなくなるし,
二日酔いに抜群に効く薬が出来れば,
飲み過ぎで苦しむこともなくなるし,
外科的な脂肪除去法が発達すれば,
デブることを気にせずに食べられるし,
血液の状態を一定に保つ薬が開発されれば,
塩分や油分を気にすることなく食べられる。
医学薬学が発展していけば,
たくさん食べて健康な生活がおくれる。
やったね。
というようなことが,
今現在,
世の中に流布しているお花畑思想であるところの,
「持続可能な」ということなんじゃないかと思う。
でもさ,
そもそも食べ過ぎなけりゃいいわけじゃない。
薬には頼らないけども,
健康を損ねない。
それぐらいの量・頻度で美味しいモノを食べるれれば,
まぁ幸せだと思いますよー,ってな具合で,
そういうのが,
本当の意味での「持続可能」なんじゃないのかしらね。
「コーラは健康を害する」ってなった時に,
「トクホコーラ」とか「ゼロコーラ」とかを飲むんじゃなくて,
基本的に「炭酸水」に置き換えつつ,
本当の本当に飲みたくなったら「コーラ」を飲むみたいな,
そういうことじゃないかしら。
「美味しいモノが食べたい」って欲求と,
「健康でありたい」って欲求を,
両方同時に最大限満たすために生身のポテンシャルを引き出すべく過剰な努力するのと,
両方同時に満たされる範囲を逸脱しない程度に抑えるべくガマンする努力と,
どっちを選択するかってことでしょう。
ちょっと別な話にすると,
プランA「プラス100とマイナス100を取り込めばプラマイゼロ」と,
プランB「プラス10とマイナス10を取り込めばプラマイゼロ」と,
同じように見える。
でもたとえば,
ピッタリ合わせることは難しくて誤差が10%ぐらいあるとしたら,
プランAの場合は,最大でプラマイ10の変動が起こりうる。
プランBの場合は,最大でプラマイ1の変動しか起こらない。
プラスが食べる量で,
マイナスが排泄する量だとしたら,
食べる量は自分で調節できるけど,
排泄量は内臓の具合なので完全には調節できない。
だとしたら,
プランBの方が安全策なんじゃなかろうか。
そういうようなことで,
新しいエネルギーを開発するとか,
省エネが云々とかをすることで,
「持続可能な**」を実現しようとする現在の風潮は,
「トクホコーラ」とか「ゼロコーラ」とかと同じで,
ヤバイんじゃないですかね,ということです。
常に欲求を満たす方向に,ではなく,
欲求を減らす方向に,という考えでいこうよ。
それは国民と政治家の関係もそうだし,
隣国との関係もそうです。
征服とか制御とか,そういうことじゃなくて,
降参とか隷従とか,そういうことでもなくて,
譲歩とか我慢とか,そういうことですよ。
「持続可能な」って言葉を使うなら。
PR