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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ふたたび『非モテの品格』より
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ジェンダーとしての男性の弱さを「自分の弱さを認められない弱さ」あるいは「社会的な男性への目線(男性は女性より良い立場が与えられている)を理解しているがゆえに自分の弱さを開陳できないことで生じる葛藤(弱さを感じるが同時に弱さを否認したがる)」について。

なんとなくボクの中にモヤモヤとあったものの正体は,これに近いんじゃないかと思った。ボクにとっての「弱さとは何か」という部分を明確に同定することは難しいけども,おそらくルサンチマン的なモノだけでは説明できないものがあって,それがこのモヤモヤ感の本質なのかもしれない。

広い意味で先天的な条件で「恵まれている人」に対して,もはや嫌悪感と言ってもいい非常に強い嫉妬を抱いてきた。体が丈夫だったり,親が金持ちだったり,男性だったり。そういう意味で。それはたぶんボク自身が,体がそれほど丈夫じゃなかったし,親はまぁ金持ちではなかったし。幼少期から心の奥にそういう気持ちがあったからか,世間的に典型的な「男同士でつるむ」的なことはあまりなかった(今も得意ではない)。

それでもなんとか生きてきて大人になると,もう親がどうこうというのは関係のない年齢になる。自身の体についても適当に暮らしていける程度には収束している。(汗をかいたらただちにシャワーを浴びないと酷いことになるとか,そういうことはあるけども,注意すれば克服可能な範囲になっている)

20代後半から30代は,おそらく女性が女性性と向き合う時期であり,そういうことはなんとなく頭では理解できるので,男性性の相対的優位さのようなモノを感じずにはいられない。また同時に,職業環境としては,ジェンダーや健康などを度外視した客観性を標榜する競争的な雰囲気があり,その中に身を起き続けることになっていた。たとえば業績リストにはジェンダーや健康状態は記載しない。たとえば今の日本では,男性が職を見つけて引っ越す時に(離職して)ついていく女性はそれなりにいるだろうけども,女性が職を見つけて引っ越す時に(離職して)ついていく男性はほとんどいない。

そういう「男性性が圧倒的に有利」な状況にあって,所与の条件としての男性性という恵まれた状態にある自分に無頓着で,他の視点からの不遇をことさら主張する男性には嫌悪感を抱いてきた。また時にそれが自分自身にむかい自己嫌悪も感じてきた。それが転じて,そういう状況の女性をサポートしたい気持ちも芽生えたりもした。自分は研究業界のことしか知らないし,研究業界の人ぐらいしか接する機会もないので,とりあえず研究業界の(いわゆる)女性問題については色々と考えたり,ちょっと行動したりしてきた。

また子供を持つことになって,子供の境遇についても考えることが増えた。経済状況とか,サポート環境とか,諸々について。とにかく子供の問題は,生まれた環境と健康に強く依存する。家庭の問題は千差万別で一概には言えないけども,うちの子供については「まぁ大体こんなもんでしょう」という範囲にはおさまっていて,相対的には恵まれた方に位置していると思う。こうやって恵まれているウンヌンと評価することが問題の根源ではあるのだけれども,まぁそう思うということで。

それで今のボクのモヤモヤについて思い至るのは,ボクは『自分の中にある基準で「弱い立場にある」と判定した上でしか他人に優しくできない』ということだ。またその圧倒的に下品な『優しさ』に気付きつつあり自己嫌悪を抱いている。さらにボク自身の妻子について「弱い立場ではない」と判定しているがゆえに優しくできないでいるということもある。ここで自分の妻子に対して「弱者でない」と判定しているのは,世の妻・子供と,それぞれ妻同士・子供同士を比較した場合の判定だ。

一方で,家庭内においては,妻子は圧倒的に弱者である。妻は専業主婦なので経済的に自立することが困難で,彼女の環境はボクの一存で決めることができるため(深い部分で)彼女はボクに逆らうことができない。子供は肉体的にも経済的にも精神的にも親にはかなわない。だから家庭においてボクは常に強者であるという現実がある。

それで,一体なにがこんなにモヤモヤさせられるのかということを突き詰めて考えると,結局のところ自分が自動的に「強者」になってしまっているということ自体に,モヤモヤの原因があるんじゃないかと。ボクは強者であるがゆえに「剥き出しの感情」を吐露することができない。なぜならボクが感情を吐露することはそのまま弱者に対する「暴力」になってしまう。一方で妻子が感情を吐露しても,それは単に感情の吐露以上の意味をもたない。だからボクは強く抑制的に暮らしている。しかし妻子は時に感情を吐露してくる。するとその感情の中身に加えて,「感情を吐露する」という行為に対して不快感を覚える。その不快感は,自分が感情を吐露できないことからくる「ある種の嫉妬」なのかもしれない。しかしこの「弱者に対して嫉妬する」ということの,その下品さに対して,自分自身が嫌悪感を抱く。

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自分が強者である状況では,強者であるがゆえに,感情を吐露できない。
自分が弱者である状況では,弱者であることを認めたくないがゆえに,感情を吐露できない。

まずは,弱者である案件について,弱者であることを認めてしまうことからはじめよう。
弱者である不遇を騒ぎ立てるのではなく,その気持ちをそのままに。
そうすれば,もう少し上手に,感情を吐露できるようになるかもしれない。

その先に,強者である状況での振る舞いが見えてくるかもせいれない。
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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