自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
理系の研究をやっていると、
研究上の議論を論理的に行うものだから、
他の案件(たとえば研究室運営上のアレコレ)についても、
ついつい論理的に主張をしてしまいがち
でも、こと人間関係に関する議論ってものに、
論理性を持ち込んではいけないのです
絶対的に各々に正しさがあり、
相対的にはそれぞれが正しくないわけだからね
内田樹の研究室より
つねづね申し上げているように、人文系の領域での論争というのは、最終的には脊髄反射的な揚げ足取り能力と性格の悪さで決する。
私はこれまでいくつかの論争を読者として見てきたが、論争の勝者から学んだ知見はあまり多くない(というか、ほとんどない)。
むしろ「論争で勝つ側の人間は、別のかたちで何かを、それも論争の勝利で得たよりも多く失う」ということを学んだように思う。
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研究上の議論を論理的に行うものだから、
他の案件(たとえば研究室運営上のアレコレ)についても、
ついつい論理的に主張をしてしまいがち
でも、こと人間関係に関する議論ってものに、
論理性を持ち込んではいけないのです
絶対的に各々に正しさがあり、
相対的にはそれぞれが正しくないわけだからね
内田樹の研究室より
つねづね申し上げているように、人文系の領域での論争というのは、最終的には脊髄反射的な揚げ足取り能力と性格の悪さで決する。
私はこれまでいくつかの論争を読者として見てきたが、論争の勝者から学んだ知見はあまり多くない(というか、ほとんどない)。
むしろ「論争で勝つ側の人間は、別のかたちで何かを、それも論争の勝利で得たよりも多く失う」ということを学んだように思う。
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