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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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初日の説明会は、
きっといいだろうと思って、
居部屋からそのまま行ったら、
みんなスーツでした・・・
反省してないねぇ

木金月火と9~17時で研修
火曜はどうしても外せない用事が盛りだくさん
ビザ・ORI・本郷など
横浜研での研修らしいがお休みさせてもらうことにする


買い物の勝手も違って、
個人での見積もりはいいけど発注はダメらしい
コンシェルジュさんにお願いするみたい
うーん


書かねばならん論文が4
今年度の航海が4
実験ラインの構築が2
これに学会や新婚旅行やナンヤカンヤと入ると、
とてもじゃないけど・・・な感じ


しかし、
契約書に記載された金額が、
目玉が飛び出るほどの数字だったので、
やらねばならぬと思った初日でした


さすがに金額はココには書きませんよー
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昨日はプライベートで仕事を中抜けして、
そしたらやる気が回復しなくなったので、
早々に帰って早々に寝ました

新しい仕事の買い物準備をしているのだけど、
300万ぐらいは余裕でいきそう
これはこれは



今日は朝から研修?などがあるみたい
今後もしばらくはそんな感じなんだとさ
WBC優勝のおかげでMの字バーガーが安く、
ビッグマックを4つ食べてしまいました


この3月30日で27歳になりました
ありがとうございます
この誕生日、
先生の先生であるホリベ大先生と一緒らしいです
大先生は86歳ということで、
すばらしくめでたい


ついでに【こんなめでたいこと】
本人は直接存じ上げないのですが、
いや、
あちらはボクのことをもちろん良くご存知だとは思いますが、
なんせめでたいです


でも、
めざましテレビの占いは最下位でした

さぁ月曜日!!
1-0で勝利
これでW杯はほぼ決まり


で、
肝心の試合内容ですが、
今までと同じことができて、
今までと同じことができていない感じでした

前からガンガンプレスをかけて相手のミスを誘いボールを奪う
獲ったらただちに前を向いて後ろからもどんどん押し上げていく
これはやりたい形なんだろうし、
まぁできていると思う

ただ、攻めきれない
押し上げて、
こっちが固まりになって攻める分だけ、
向こうも固まりになって守る
PA内には人の密集ができてスペースがなくなる
この状態でサイドにボールを出すんだけど、
特に明確な崩すプランはなくてグダグダ
そんな展開が続く

前が詰まったら、
簡単に後ろに落としてミドルとか、
前後の関係でワンツーをするとか、
そういう工夫がない
前を向いたらずっと前に行き続ける
あるいは外に開いてコーナーの狭いエリアで3vs3ぐらいでグダグダする
これではいかんです


これも以前から言っていますが、
自陣DFラインからのゲーム展開が、
片方のサイド一辺倒か、
CBからのロングフィードか、
その二択しかない
いずれにせよ、
・とにかくボールをいったん前に進めて、
・相手に取られて、
・それを取り返して、
・そこから急いで攻める
という形しかない
うーん


そうなってしまう現状は、
チュンとエンドが有機的でないせいかと
密集の中でも短いパスを確実につなげるのが二人だけでは、
パスコースが少ないからボールが落ち着かない
ベーハセさんは守備や前向きの攻め上がり良く効いているが、
二人をリンクさせるタイプではない
ハシモトさんが入ってやや落ち着くのはそういうことだと思う
となると、
やはり中盤にもう一枚ほしいところ
これまでに代表で見た中でこれができたのは、
ケンゴ・ハシモトか

で、
そうなると前線は、
動き回るタイプよりもボールがおさまるタイプがいいな
Jで調子が良いのは柳・巻、
調子は悪いけどおさまりがいいのは前田




とはいえ、
選手を選ぶのは岡ちゃん
選手選考だけはどうしようもないので、しょうがない
しょうがないので、
選ばれたメンバーの中でいいから、
トルシエの時のように、
選手発信で変えていってください
これで昔話シリーズはおしまいにします
海洋研でやったこととかはこのブログですでに触れているので、
もうちょっと漠然としたこと、もしくはすごく細かいことについて、
雑多に書こう
一部は名誉毀損的になるかもしれないけど、そこは勘弁





まず、
海洋研に移って一番大きかったことは、
「論文にして初めて研究が一段落するということを明確に意識する」ということだった

博士に進むまでは、
なんというか、
「反学歴主義の職人思考」のような、
「論文よりもオンリーワンのスキルの方が価値がある」というか、
まぁそんな感じの考え方をしていたような気がする
で、
それが大いなる誤認識だということに気づいたわけです

もちろん論文の数が絶対的に意味があるというわけではなくって、
そうではなくって、
やや危険な言い方ではあるけども、
論文としてアウトプットしていない仕事というのは、
それが例えいくら素晴らしかったとしても、
科学業界では承認されていない仕事であって、
存在しないことになるのだ

税金を使ってやっているのだからとか、
そういうことではなくって、
「論文を書かない研究者はネズミを獲らないネコ」じゃないけども、
「論文を書くゆえにわれ研究者なり」というか、
研究者にとって「論文を書く」とはそういうものであって、
「観測に行く」「技術を身につける」「学会発表をする」では置換不可能なものなのだ

たとえそれが同様に快感で、
快楽だけが自身の目的だとしても、
セックスが、たとえそれ自体を目的とせずとも、
生命の連鎖を生み出しうるのに対して、
オナニーはどこまでいってもただのオナニーでしかない
そいうことなのかな

だから、
何がだからなのかわかんないけど、
たとえ自分的に納得できなかったとしても、
研究成果を論文にするということは重要なことなのだ
もちろん論文は著者の分身であり、
科学は神聖なものであるから、
100%のものしか論文にするべきではないという考え方もあるだろう
でも、
特に地球科学(化学)のような分野では、
不愉快なノイズもあるいは意味を持つわけで、
論文にして世に問う、という側面もあるような気もする

着地点が見えませんが、
ボクが現時点で思っていることは、
データや技術は秘するものではなく、
とにかく論文を通じて白日の下にさらさねばならない
そしてボクを含む研究者はその使命を遂行してはじめて研究者たりえるのだ
というようなことです



で、
そういう考え方とか、
実際に研究を進める上での、
態度とか姿勢とかいうものは、
オバタさんから教わった部分が非常に大きいように思う
もちろん直接的な助言(指導?)もあったけど、
むしろ雑談の中に含まれる概念的な話が特に印象に残っている

たとえばボクの専門であるところの、
ガス分析や熱水の内容について議論する相手がいないことは残念だったけども、
オバタさんと研究や研究者について様々な話をできたことは、
同じような研究をしている人と狭い専門内で喧々諤々するよりも余程ためになった
本当にオバタさんが研究室にいてくれて良かった



とはいえ、
専門を同じくする人が周囲にいないという環境は中々に困ったもので、
学術的にも精神的にも大変だった
ゼミ無し、かつ、ポスドク無し、
というのは非常に厳しい
自分がドツボに向かっていっている時に、
「ん?それちょっとおかしくない?」
と言ってもらえる機会があることがどれだけありがたいか
一方で、
そういう甘えられる環境でなかったからこそ、
自分でシビアに考えて研究をまとめるという作業を、
逃げることなくできたのかもしれない
ということで、
このこと自体は結果的に非常にプラスになったと思っている

故ゴッドの金言の一つであるところの、
「ゼミみたいなオママゴトをやっている暇があったら論文を書け」(大意、詳細不明)
という考え方に、
全面的ではないけども同意するところであります




色々な価値観に触れられたことも良かった
ついつい陥りがちな、
「身内の語法」ですべてを語ってしまう風潮は、
かなりヤバイ

またもや故ゴッドからの引用だけど、
「金で買えないモノ以外はすべて捨てろ」(こちらはたぶん正解)
というのには、
モノの価値観を考えさせられた
別にモノを捨てる必要はないのだけれども、
モノの本当の価値というのはそういうことなのだろう
特急料金というのは時間を買うためのものだけども、
研究物品の購入においてもそういう考え方はあてはまる
安く研究をすること自体は何の意味も無い
それがために時間を多く消費するのであれば、
むしろそれは、悪だ
もちろんパトロンから得た金を湯水のように使うことは控えるべきではあるが、
それでも迅速にデータを得て論文を書くための金をケチることは、
研究と金との関係を、
パトロンとの関係のためにネジれさせてしまっていることになるんじゃないだろうか

故ナカヤマ氏の「塩検瓶を早く温めるために風呂の湯を云々」という伝説の話も、
ただの笑い話ではないと思っている
なんというか、
ボクも末席に加わっている、
「分析化学によって地球化学を切り開く」研究者にとって、
決して忘れてはいけない部分だと思う
細かい話はイッシキさんのエッセイの「現場主義」の件を読んでいただくとして、
特に大気と熱水を行ったり来たりしていると見失いがちな、
手法と観測のサジ加減には常に気を払っていたい
(参考-- http://www.kochi-wu.ac.jp/~isshiki/isshiki/essay/20021005.html)



比較的同期に恵まれなかった北大時代に比べ(オッサンしかいなかったもんね)、
海洋研ではアトラクティブな同世代の奴らが多くて、
非常に楽しくすごすことができた
論文を書くことの重要性を常々口にするコウちゃんと、
鬼のように観測をこなすタダを見ていると、
自分のやるべきことがクリアになった
研究室に入った時にタゾエモンがいなかったらと思うとゾッとする
姉さんとのくだらない会話は精神的に病みかけている自分にとっては癒しだった
オシャフネさんやトーナイさんとは社会考察にシンパシーを感じることができて、
考えを整理したり構築したりと頭をスッキリさせることができた
ヨメとの出会いも同世代(同期入所、かな)の集まりでした






書くのに一時間以上かかっていると、
だんだんテンションが変わってくるので、
まとまりが一段となくなってくるねぇ

これで昔話を終わりにするのは、
なんだか全然書ききれてない気がするんだけど、
もう終わります

おしまーい
勉強不足で過去の研究をフォローできていないことは、
敬意を欠いていると受け取られても仕方が無い
ちゃんと勉強せねば
ということで、
バターフィールド・バンダム・ライリーの教科書を勉強開始
今さらかよ、ですけどね


年度末なので、
方々にお別れと連絡先変更のごあいさつをメール
感謝の気持ちをお届け


他人の業績リストを見ると、
単なるリストの裏に、
色々と感じることがあるので面白い


査読の依頼がきた
雑誌はJGRの大気で、
内容はPANとかPNNの話
たぶん、
AGUの会員登録で大気化学を選んでいるせいなんだろうけども、
いくらなんでも専門外すぎる
せめて時間の短縮に、と思い、
すぐさまリンクの張られたweb経由で丁重にお断り
申し訳ない
せめてもう少しわかる分野なら・・・
こういう事情で、
22時過ぎにケーキを食べることが多くなりました
昨夜はホールのショートケーキを3/4ほど

舌は喜べど、
腹は膨らみ、
我は悲しい
まず、
5月末の航海に乗ることになった、っぽい
いまいち全容はつかめないがとりあえず乗る
まぁ今までと同じですね


放射線取り扱い免許があると、
絶対に就職に有利だ、という話題に
どこの組織もRIは使いたい、
でも実験室や航海には有資格者が必要
3年前にツノパパが白鳳に乗ったみたいにね
で、
これはマジで、
サイエンスとはやや離れた部分ではあるけども、
「研究者として生き延びる」ためにはかなり戦略的なのではないだろうか
論文が10本の無資格者と、
論文が1本の有資格者がいたとして、
受け入れる組織が有資格者を求めていたら、
論文の数なんかはけしとんでしまう程、
選考過程では有利な資格なんじゃなかろうか
少なくとも某海洋系の組織では、
若年の有資格者を求めているという噂
PDしながらこっそりと勉強して取得するのもアリか
まぁ、
ボクは試験勉強が苦手なのでパスしますが・・・


共著と謝辞の線引きは難しいね、というネタも話題に
共著に入るということは、
その論文に対して責任を持つということ
だから、
共著に入れるといっても、
責任を負えるほどその論文をフォローしていないからといって、
共著を断るという方針がある一方、
自分の貢献は共著に値するということで、
共著に入れるべきだと考える人もいる
最終的には主著者に任せられているのが現状で、
いわゆる日本的な風潮で「アノ人も」となると断らないことが多いようだ
しかし本来的には、
「あなたこの論文に責任を負いますか」と共著者には確認をするべきで、
いや、だから投稿前に共著者に原稿を送付するわけですが、
それに対してリアクションがないということは承認ということで、
その後、
「ボクも共著に入ってるけど、あの論文は、ねぇ・・・」
というのは反則なのだ
で、
何を言わんとするかと言いますと、
共著の論文が主著者から回ってきたら、
ちゃんと目を通して、
本当の意味で承認すること、
必ずコメントを返すこと(このままで結構です、など)、
それができないなら共著を断ること、
というのは、
これからちゃんとやっていきなさい、
という、
自分へのメッセージなのでした
博士論文や就職、結婚など、
ストレスまみれの生活が続き、
体調がボロボロになってしまっていました
新年度までこれを引っ張ることはできないので、
不本意ながら病院へ行き、
リンデロンとプロトピックを処方してもらいました
かなり抵抗はありますが、
ここまで悪化してしまってはしょうがない
なんとか1週間の処置で回復したい

うーん




やや先走ってますが、
タイトルを変えました!
もうしばらくは書き続けます
さて、
修士修了までをさっさと書いてしまおう
時系列はグチャグチャです



卒論研究で開発した分析手法について、
投稿用に論文を書き始めたのは、
M1の夏ぐらいからだったような気がする
まぁとにかく、
右も左もわからぬままただ駄文を書いて、
無責任に先生に渡して、
返ってきた赤ペンをなぞってまた渡して、
って作業を繰り返して、
自分で書いた記憶もないままに投稿したわけです
投稿がバレンタイン、返事がホワイトデー、
「English is very poor」というコメントをちょうだいして、
その後reviseは先生とケンカしながらで、
M2の5月頭にrevise投稿して、
3日後にアクセプト
無事、学振の申請に間に合ったわけです


M1の12月には、
はじめての海外&国際学会として、
サンフランシスコのAGUに参加
ThiemensやらClaytonやらなんやらかんやらで、
論文の中の人たちに出会うことにとにかくスゲー大興奮
この勢いで博士に進むことを決意したような、しなかったような
今思うと、
なんて浅はかな決断だったんだろうという感じではある


実はマスター修了に合わせて、
就職活動も少しだけしました
河合塾とウッドワンの二社
河合塾の方は、福岡会場で一次試験を受けたのですが、
前夜に中州で散財するほど楽しんでしまい、
二日酔いで会場入りしてあえなく撃沈
ウッドワンは最終の手前まで、
計4回東京に行ったけども、
「イノウエワカをCMに使うのはイメージダウンじゃないですか?」
と言ったらアウト(そのせいかどうかは知らんが・・・)
交通費10万円以上が水の泡
当時は決まったら就職するつもりだったんだけど、
この中途半端な態度を振り返ると、
もう博士に進む気だったという風にも思えますね


学振申請の前に、
ツノ先生およびガモ先生に博士から移籍する旨の打診をしました
移籍しようと考えたのは、
研究室には直近の5世代までに5人の先輩がドクターにいて、
そのまま同じ研究室でドクターを取ったら、
世間的にも自分的にも、
「ツノ先生のところの六男坊」になってしまい、
劣化コピー甚だしい自分になってしまう危惧を覚えたからです
(先輩方が先生のコピーだという意味ではないです、表現が難しい・・・)
で、
M2の5月の学振申請は、
とりあえずツノ先生にしておいて、
その後、進路変更については熟慮しようという結論を出しました
結論を先送りするという結論です
これは両先生と相談し、そうなった気がします


学振の申請書はほとんど自分で書いて、
先生には一度も見せなかったような気がする
「自分の得る給料のことだからこれはプライベート」
「先生に申請書を添削してもらうのは筋違い」
と考えていた記憶があります
(あ、ナカガワさんには見せたかな?)
コバさんと雑談している時に出てきたネタを書いて提出
自分でも面白いと思っていたし、
通る気マンマンでした
で、
「地獄の淡青」から戻った次の日、
まずカメさんに青い封筒が、
続いてイマヤマさんに葉書が届き、
ボクには何も届かないという時間帯があった
申請書の不備などで申請自体が受理されていないのかと思い、
かなり落ち込んでいたのですが、
その日、五回目ぐらいに事務室に行くと、
青い封筒が来てました
事務室で「ヨシッ」って言ってしまったのは若気の至りです


そうそう、
地獄の淡青は、
地獄でした
石垣四日前入りもビーチに行くことなくひたすら準備
出港後は大荒れの中ひたすらサンプリング&処理
しかも分析の見通しのたってない試料のろ過、
そして熱水探しで外れた試料の塩検
荒れる精神
沈黙の作業
滅びる肉体
これ以上の詳細は思い出したくないので書きません
人生のワースト5には入るであろう出来事だった
下船後の学振採択が無ければ、
業界を去っていたと思う
これはマジで
これ以降、航海が楽しいとは思うまいと決意した
(沖ノ鳥島航海ですぐに翻意したけど)
あ、この航海はイマイさんも一緒だった
詳しく知りたい人は聞いてみるといいかもね


地獄の淡青なども引き金になり、
「研究はもういい」
「東京で学振もらいながら院生をして裏で就活をする」
という思いが大きくなって、
ついに本格的に移籍を決意
もちろん、
「研究が面白くなったらそのまま続ける」
という気持ちもあった
で、
両先生に報告
紆余曲折
皆さんには「ケンカ別れ」だと言われるが決してそんなことはない
ボクは後ろ髪をひかれる思いながら前向きに出ていったし、
先生も残るも出るも君次第という態度だった(と思っている)
まあまあとにかく、
出て行くのを決めたわけです


M2の秋には若手会の主催もしましたね
あれもほとんど記憶ないです
楽しかった
本当に
ただそれだけ
そうだ、
この時にはMLに案内を配布しただけで、
研究室の人には特に参加要請をしなかったんだけど、
そうしたら上の人々がジャマするまいと遠慮してしまったらしく、
これについては失敗だった
皆に出てほしかったのに


で、
肝心の研究だけども、
修士の間はロクにしてなかった
成層圏アーカイブを測定しただけ
修論もそれだけ
あとは、
分析法論文書きとか、
COや硝酸の17Oとか、
チュン教育航海とか、
地獄淡青とか、
なんだか色々と雑多にやって、
何もまとまらないまま
勉強も全然しなかった
これは非常にもったいなかった
後悔





読み直すと凹みますね
ちゃんと書けないのは、
当時の自分を直視したくないからでしょう
あぁ・・・



次はORI編を、できれば一回でまとめたい
プロフィール
HN:
kawagucci
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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