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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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地球科学の祭典JpGU連合大会が終わりました。
今年は本当に一度も発表会場に足を踏み入れませんでした。
(会議参加と学会ブース番のためパシフィコ自体には行きましたが)
それはさておき。

------------------

学会発表をする理由は,2つあるように思う。
1つは,自分という研究者をアピールするため。
1つは,自分の研究をアピールするため。

まず研究者としてアピールすることを考える。
言うまでもなく発表のクオリティは非常に重要だ。
発表の内容はもちろんのこと,
プレゼンスキルだったり,言動や服装まで含めた,
自分という「全人」をあらゆる角度から見られるわけだから,
相当な覚悟をもって,入念に準備をして,
発表の場にいかねばならぬだろう。
他人からの評価は,ゆっくりしか上がらないが,下がる時は一瞬だ。

次に研究をアピールすることを考える。
この場合,「研究内容をより確実に伝えるため」という意味で,
最低限のプレゼンスキルは必要になるが,
「全人」的な評価は気にする必要なくて,
研究の内容を聴衆に知らしめれば成功といえるだろう。
ただ,研究の内容を知らせるだけならば,論文発表で足りるわけで,
それでも学会発表をするというのは,
誌上発表ではえられない「何か」がそこにあるから,
あるいは,その「何か」が起こると期待できるからではないか。
その「何か」というのは一概には言えないが,
第三者的な聴衆との関係で言えば「議論が盛り上がる」ということだろうし,
特定の相手が想定されているならば「自分の主張を聞かせる」ということだろう。


うちの研究グループ(たぶんよそのグループも)では,
先生が学生に課すような「予聴会」のようなことはやっていない。
もちろん個々の研究者が独立して自立した研究者なのだから,
先生のように発表内容や発表スキルを「校閲」する必要がないわけで,
予聴会をしなければならない理由はない。

しかし,上に述べたように,学会発表には目的がある。

学会発表で念頭におく目的を達成するためには,
内容の精査,発表スキルの向上,想定される特定の聴衆の把握など,
発表を前に備えておくべきことが多々ある。
そしてその多くは,予聴会「的」なことを通じてえられる。

同僚は相応のレベルで自身の研究内容を理解している存在であって,
会場に集まる聴衆の大部分以上に深い内容の議論が期待できる相手である。
また日頃から一緒に行動している親しい同僚だからこそ,
言動や服装,発表スキルについても遠慮なくコメントできるだろう。
さらに突っ込んで言えば,
研究所において「ヒラ社員」の身分であれば,
学会会場で受ける外部の研究者からの評価と同等か,あるいはそれ以上に,
内部での(評価者たる上司からの)評価こそが,今後の人生において重要なわけだ。


そうやって考えた時に,
手前のグループで予聴会的なこともせずに学会発表にのぞむのは,
「もったいない」というか,
「意味ない」というか,
「なにやってんの?」というか,
「目の前に転がっている機会をみすみす見逃すの?」というか,
「アホ?」というか,
そういう悲しくて哀れな気分になる。



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*スマホ機種のまま通信契約を切ることが可能
・現機種のまま
・モペラ契約を切る(パケホーダイも切る)
・月額使用1000円ほど(無料通話少々)
・電話とショートメールが使用可。imode不可。Wifi接続可。
・ドコモ公衆wifiは月300円(?)
・モペラ(spモード)の再契約も可(およそ月契約)

*ガラケーの機種変は1万から3万かかる。


ということで,
現機種のまま通信契約を切るのが一番おいしそう。
月5000円以上の節約に。
大学ってのは賢い子供じゃなくてバカでもいいから大人になるところだ,
というのはずっと主張しているところなのだけど,
まさに子供の論理を振りかざす大人を目の当たりにすると,
なんというか,悲しくて怒りに震える。
それがさらに学位持ちだったりすると,もう。


「出来ないと思ったら,できるだけ早く「出来ない」と言ってくれ。
 あなたがそれを出来ないことよりも,
 それを隠蔽してプロジェクトが滞る方が損害が大きい。」
という言い方もよくする。

この言い方ってのは,
個人の資質云々よりもプロジェクトの方が大事だ,という話で,
登場人物は基本的にビジネスパートナーで,
だから当然それは大人だと思って接しているからこその発言だ。

プロジェクトの達成のために,
個人の「ギブアップ」発言を許容しているわけだが,
だからといって,プロジェクトが成功したとして,
ギブアップした個人に対する評価が下がらないかというと,そんなことはない。
むしろ,
以前に与えられた職務を「ギブアップ」した実績のある人は,
次のプロジェクトを立ち上げる時は最初から関与させない。


「プロジェクトに損害を与えないため」という言葉を,
自分が出来ないことの免罪符にすることは,
「能力のない自分には次の機会が与えられないでも仕方がない」
ということも同時に受け入れることだ。
それを自覚せずに「ギブアップ」というのは,
単に職務を放棄しているだけだ。

さらに言えば,
「プロジェクトに損害を与えないため」に「ギブアップ」と言ったことを,
自分の能力不足はさておき,
「早めにギブアップと言った判断は適切だった」という具合に,
自分に一定の評価を与えるのだとしたら,
それは自己欺瞞だ。もう最悪。


大人になるということは,
与えられた責務を,どんな手段を用いてでも果たすこと。
自分には出来そうにない任は引き受けないこと。
引き受けた責務を果たせそうにない時はギブアップを明言すること。
その時には「責務を果たせない人」という(自己)評価と,
それに付随する措置を受け入れること。
その覚悟を持って任に当たること。
つまり,すべてを一人称で引き受けるということ。

そういう大人になるのが大学というところ。
研究に関する部分で大人であれることが学位を授与されるということ。

それが出来ないのに,
自由だとか給料だとか,
そういうものだけいっぱしの大人ばりに要求するのは,
不潔だ。

そんな不潔な人間の存在をボクは許せない。

研究業界で,
でも研究上の関係はなくて,
同期で,
じっとりとした話のできる,
そんな数少ない友人が学会で上京してきていたので,
二人で晩ご飯。

のっけから「愛の言葉」としか言いようのない言葉を交わして,
そのまま最後まで愛の語らいだった。

たとえば何度も言われた言葉では,
「キミはキラキラしている」
「キミみたいに潔癖な人はいない」
「どうやったらそんな風に生きていけるのか」
とか,
まぁそういうことを言われるわけです。

大学とは,
教育とは,
研究とは,
科学とは,
みたいな話を,
茶化すことなく大まじめに,
理想を本気で実現するために,
でも深刻にならずに,
という会話ができるってのは,
本当にありがたいことです。

すばらしい夜だった。


申請書にとりかかるのにウンウンうなるのは,
やることが決まってないか,
ストーリーが決まってないか,
どっちかなんだけど,
それを自己診断するのがなかなかに難しい。

アカデミックライティングの「砂時計」型で言うと,
一番大きなところのGeneralがぼやけているのか,
一番狭いところのSpecificがぼやけているのか。

今はどっちなんだろうか。
どうしたもんか。

もうそんなに時間はないのだけど,
書きだしたら一瞬で勝負を決められる気もするので,
もうちょっと悩もう。
4月24日(木)
同僚から相談。
共同研究関係での言い分の不一致から,
噂話が拡散して云々というような面倒くさい案件。
25時まで。へろへろ。

4月25日(金)
普通に起きて朝から出勤。分析計の設定変更など。
昼過ぎに帰宅して準備して出発。
池袋東横インにチェックインして西武池袋1530集合。
IJRさんとKNKさんとその友人と連れだって西武ドーム。
AEイベント初日,1900開演,2100終演。
2230池袋で居酒屋,2500頃就寝。

4月26日(土)
6時起床で幕張メッセ。ニコ超一日目。
隣のブースでエビ中。
1300離脱,1500西武ドーム。
AEイベント二日目。良席。
1600開演,1830終演。
東横インを捨てて帰宅。
2300就寝。

4月27日(日)
6時起床で幕張メッセ。
有楽町からの京葉線東京駅。たしかに近くて早い。
ニコ超二日目。開場前にうろついて,しゃち発見。
開場後すぐ,DDTブースの男色ディーノのトークイベント乱入。
1300離脱。西武池袋1410集合。
AEイベント三日目。良席。
1600開演,1830終演。
池袋で飲んで,KNK氏と東横線で帰宅。00時就寝。

4月28日(月)
6時起床で出勤。マスの様子確認など。
岩石破砕実験本番。昼サッカー。疲労困憊。
1930資源飲み。00時就寝。

4月29日(火)
午前中いっぱい就寝。
午後はJ1観戦。回復を目指す。


*5月の予定
5月1日JpGU。
5月6日までに海外特別研究員書類。
5月7日面接。
5月10日一般公開。
(この辺で帰省)
5月15-17日JTRACK-WG。
5月中旬テニュア審査書類。
5月中旬ドードー論文投稿。
そろそろメタン菌論文が査読バック。
人事評価は社内で行われるので,
「いかに仕事をしているように見せるか」
が重要になってしまうのだろうか。

これが営利企業であれば,
そういうことを続けているうちに経営が危うくなるので,
自浄作用(倒産も含めて)が働くのだろうけども,
役所みたいな場所だと,
何もしなくてもお金は降ってくるわけだから,
加点を目指すより失点を減らすことが大事で,
じっくり考えてピンポイントで働くより,
とにかく体を動かすことで上司に見られることが大事で,
と,
そういうメンタリティになっていくのだろうか。

それに加えて,
上意下達のメンタリティが(悪い意味で)染みついているからか,
自分が上司に見られていることを意識することに加えて,
部下に対して「おれが納得する仕事をしろ」という視線を投げかけがちで,
それが「会社/社会の利益」と整合するかどうかとは完全に別物で,
しかもそのことに何の違和感も抱かなくなってしまう,のだろうか。

まぁそういう分析は良いんだけども,
じゃあそういう人とどうやって一緒に仕事をしていくのか,
ってことが悩みで,
どうしたもんだろうか。

「文脈」が違う人とはコミュニケーションが成り立たないもんで,
あっちに合わせるのはありえないけど,
むこうが合わせてくる,合わさせるのも難しそう。
上司/部下の関係を入れ替えてしまえれば解決しうるんだけど,
まぁそれが一番難しいわけで。

昨日は3件もそういう事項が続いて,
「この会社オワタ,この国オワタ」
という絶望と怒りと悲しみに襲われていましたとさ。
「お前に関係無い」



どんな局面でも,
このコミュニケーションを拒否する姿勢をとられると,
つらい。

殴るでも蹴るでもなく,
銃で撃ち殺すような。

もうその先には何もない。
死と同じ。
そんなお題が出されたものの,
まぁぶっちゃけ,いっぺん一緒に船に乗れば,
「ひととなり」みたいなものはおよそ明らかになるので,
「こいつはアレやな」みたいな判断は,
つまり汚い言い方をすれば「人材の値踏み」は,
早々に済んでしまっているようなもの。
さらに狭くて特殊な業界ゆえに,新規参入障壁もそれなりに高いし。

純粋に科学研究の能力での審査とは違って,
大規模研究計画たる調査航海を取り仕切る能力ってのは,
頭脳的な意味の能力よりも,はるかに人間性が重要な要素で,
それも一般的な「良い人/悪い人」という意味ではなく,
「硬軟織り交ぜて」「調整と独断を駆使して」仕事を進められるとか,
そういう部分が問われるものだと思う。

なので,
オジサン達が「がんばれーがんばれー」と言ったからといって,
あらたにそんな能力が開発されるってのは,
正直,あんまり期待できないだろうねぇ。

とはいえ,とはいえ,
そうやって「若手の育成」みたいなことに心血を注がんとするオジサンがいることは,
そのコミュニティの若手にとっては,
大変にありがたいことだなぁ,と感じるわけです。


???「世界の金はすべて俺様のものだ!」
???「世界の金をすべて持ってこい!」

XXX「地球にはどれほどの金があるのでしょうか?」

???「それを調べるのもお前たちの仕事だろうが!」

XXX「は,はい!」

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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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