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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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大学ってのは賢い子供じゃなくてバカでもいいから大人になるところだ,
というのはずっと主張しているところなのだけど,
まさに子供の論理を振りかざす大人を目の当たりにすると,
なんというか,悲しくて怒りに震える。
それがさらに学位持ちだったりすると,もう。


「出来ないと思ったら,できるだけ早く「出来ない」と言ってくれ。
 あなたがそれを出来ないことよりも,
 それを隠蔽してプロジェクトが滞る方が損害が大きい。」
という言い方もよくする。

この言い方ってのは,
個人の資質云々よりもプロジェクトの方が大事だ,という話で,
登場人物は基本的にビジネスパートナーで,
だから当然それは大人だと思って接しているからこその発言だ。

プロジェクトの達成のために,
個人の「ギブアップ」発言を許容しているわけだが,
だからといって,プロジェクトが成功したとして,
ギブアップした個人に対する評価が下がらないかというと,そんなことはない。
むしろ,
以前に与えられた職務を「ギブアップ」した実績のある人は,
次のプロジェクトを立ち上げる時は最初から関与させない。


「プロジェクトに損害を与えないため」という言葉を,
自分が出来ないことの免罪符にすることは,
「能力のない自分には次の機会が与えられないでも仕方がない」
ということも同時に受け入れることだ。
それを自覚せずに「ギブアップ」というのは,
単に職務を放棄しているだけだ。

さらに言えば,
「プロジェクトに損害を与えないため」に「ギブアップ」と言ったことを,
自分の能力不足はさておき,
「早めにギブアップと言った判断は適切だった」という具合に,
自分に一定の評価を与えるのだとしたら,
それは自己欺瞞だ。もう最悪。


大人になるということは,
与えられた責務を,どんな手段を用いてでも果たすこと。
自分には出来そうにない任は引き受けないこと。
引き受けた責務を果たせそうにない時はギブアップを明言すること。
その時には「責務を果たせない人」という(自己)評価と,
それに付随する措置を受け入れること。
その覚悟を持って任に当たること。
つまり,すべてを一人称で引き受けるということ。

そういう大人になるのが大学というところ。
研究に関する部分で大人であれることが学位を授与されるということ。

それが出来ないのに,
自由だとか給料だとか,
そういうものだけいっぱしの大人ばりに要求するのは,
不潔だ。

そんな不潔な人間の存在をボクは許せない。

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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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