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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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■あのな、プロレスを「八百長だ!」と言う奴はプロレス見なきゃいいんだよ。
「八百長でも面白ければいい。」そういう割り切り方をできる奴じゃなきゃプロレスは楽しめない。
セメント見たけりゃ総合へどうぞ、ってさ。馬鹿な客は、頭の中で楽しむべき部分を変に明確に
しようとするんだ。「勝ち負け決まってんだろ?」とかな。決まってたらどうなの?って逆に聞きた
いな(笑)それをはっきりさせてどうしたいの?って逆に聞きたい、俺は。プロレスにむいてない
レスラーってたくさんいるけど、プロレスにむいてない客もたくさんいるんだよ。そういう奴らは
映画とか小説を見てればいいと思うんだけどな。

■だって張り手とかチョップの打ち合いするんだから、プロレスは(笑)セメントならよけるだろ(笑)
その時点である意味、アホでも分かるのになぁ。それなのに「プロレスって八百長なんですか?」
なんて言う奴は馬鹿だよな。自分で判断しなさいって(笑)あのな、プロレスの楽しみは想像と予測だよ。
想像力が無いやつがプロレス見たって何も面白くないんだ。客が頭に浮かべてる想像とか予測を、
遥かに越えた展開や試合なんかを提供するのが俺達の仕事。


from http://diovsjojo.exblog.jp/4082262/
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なんだか体調不良が続いている気がしたので,
カレンダーなど見ながら振り返ってみた。

まず2012年初頭からダイエットをして体重が激減した。(90->70)
12月AGUか1月デンマークかは忘れたけど,
はじめて飛行機で貧血になった。

12月ぐらいから首痛で通院をはじめた。
(今となっては,おそらくこの時期に枕をかえたせいだと思われる)

2月のインド洋航海は健康に過ごした。
3月は別居−>単身だったがなんともなかった(?)。

4月のはじめに首痛がひどくなり別の病院へ。牽引など。
4月下旬の航海は激しい頭痛(と熱と咳?)でふらふら。
下船したらまったく問題無くなった。

5月は問題無くすごした(たぶん)。
6月はNYが寒くて,プエルトリコ行きで飛行機貧血。
航海中は特に問題無く。

7月にもどってすぐ疲労をおして休日サッカーをやって,
しっかり熱が出て一日寝込む。

7月末から実家に帰省して子供と遊びダンゴを売り,
寝付きが悪く,戻る頃には熱と咳が出始め。
現地最終日ぐらいから手先足先に湿疹が出て,手足口病が疑われ,
微熱と激しい咳が2週間続く。
内科と皮膚科で薬をもらって,およそ治ってきたものの,
肺とノドがゴロゴロする状況は続いている(8/18現在)
他人の気持ちなんて,わかりっこない。
自分が知らないところで他人が何をしているかも,わかりっこない。
だから,他人のことなんて,理解しようがない。

ある人が自分にとって味方なのか敵なのかは,
まったくもってわからない。
自分が疑う気持ちを抱いていれば,
どんな他人も敵に見えるし,
その逆も真である。

また相手から見た自分は他人であって,
だから相手が自分を味方とみなすか敵とみなすかは,
完全に相手の心持ちによることで,
自分が何をした,何をされた,ということでわかることではない。

つまり味方や敵やというのは気の持ちようなので,
猜疑心が敵を作り,博愛が味方を作る。
「信じる」「隣人を愛する」ということは,
人間関係における「天下無敵」の秘訣なのだ。

上岡龍太郎の横山ノックへの弔辞の中で,
「そして,いつでも,どんな時でも,必ず,僕の味方をしてくれたノックさん」
という一節がある。
こういう人と出会い,関係を持てることは,
これ以上のない幸せだと思う。

ボク自身が本当にほしいものは,
上岡にとってのノックさんだけど,
だからこそ,そのためにボクが出来ることは,
誰かにとってのノックさんになることだと思う。
これはボクの行動基準の大きな位置を占めている。



ずっとずっと悩んでいるわけですが,
「よりよい社会のためには科学技術の開発が」
ってのは違うと思う。

やっぱり科学研究のモチベーションの根底は,
単に「好奇心」の発露であって,
いわば人間の持つ「欲望」そのものなんじゃないか,と。

それは「食欲」や「性欲」なんかと同じで,
ヒトが生きていく上で抱かずにはいられないものであって,
その「好奇心」が「未知のもの」に向いた時に,
それが「研究」になって,
それが積み重なって「科学研究」になってきた,
と考えるのが自然なんじゃないかな。

そう考えていくと,
「先端科学研究をやっている」ということは,
何も外に向かって胸を張って言うようなことではなくて,
むしろ食事や性行為のように,
イエの内側で,当事者のみによって行われる,
ある種の「秘め事」であるべきなのではないか。

科学者が「科学は社会に不可欠だ」と社会に向けて言うのは,
あるヒトが「性行為は社会に不可欠だ」と言うのと同じで,
その事実自体は真理として正しいのだけれども,
それと同時に,
「そんなことを公に言うなよ」
というものである気がする。



吉本隆明が原発について下のように語っている。

「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。
だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完襞な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」

この話は科学と人類社会の交点を明確に論じていると思う。

「科学が発達を遂げてしまった」ことが問題なのである。
人類が原始的に持つ好奇心にまかせておいたら,
(自動的に)科学が発達を「遂げてしまった」と考える。
しかし「もう到達した場所」から後戻りは出来ない。
それは人類の積み重ねてきた歴史を否定することだからだ。
その歴史は,われわれ今を生きる人間が「人類の原罪」として引き受けるしかない。
だからこそ,
知恵を集め,防御装置をつくるのもまた,人類のすべきことである。

しかし一方で,
(科学が)さらに発達すること,少なくともその速度にブレーキをかけることは,
人類を否定することにはならない。
人類の好奇心にまかせておいたら,
科学技術がもたらす厄災が人類に降りかかるのだ。
それを原子力のみならず多くの環境問題から学び取って,
「さらなる科学の発達で解決する」のではなく,
「(今ある)知恵を集め」て対応していけばいい。



科学の発展と経済成長は同じ方向を向いているので,
現代社会は「科学の暴走」に歯止めがかからない。

科学研究などは人類の持つ欲望でしかない。
その副産物は,
人類社会に革命を起こすが,
同時に厄災ももたらす。

「好奇心」を「社会的な罪」とはしない。
むしろ人類を代表して,
「好奇心」という「人類の原罪」を背負う科学者は一定数必要だろう。
しかし社会はそれにブレーキをかけねばならない。
主にネットで(?)親しくしていただいている朱野帰子さんから新作をいただいたので,
お礼として書評を。

ちなみに,ボクの読書はもっぱらノンフィクションで,
小説は人生で10編も読んでないので,そういう人が書く書評と言うことで,ご勘弁を。




憲法9条改正だとかなんだとか言ってるが,
双方の言い分を極論してしまうと。
「軍を持っているから殺してしまうんだ。持たなければいい。」
「軍を持っていないで無抵抗のまま殺されてもいいのか。」
ということで,
こうして考えると,
「たとえ殺されても殺さない」のか,
「殺されるぐらいなら殺す」のか,
という話に帰着できる気がする。

でもね,
戦争の引き金って,後者だと思うんですよ。
「得体の知れない相手がいて,
 何をしだすかわからなくって,
 でもまだそんなに力は持ってなくて,
 だから今のうちに屈服させておこう」
ってのが,
強い方が弱い方に攻め込む口実じゃないですか。
(湾岸もアフガンも,そんな感じじゃなかったっけ?)

あとネトウヨ系の人々は,
「中韓は日本を嫌っているから何をするかわからん」
「日本の領土侵攻を企んでいる」
「戦争ならやってやるよ!」
って感じだけども,
彼らとて,領土領海を増やしたいのかもしれないけども,
本気でドンパチ戦争を仕掛けてくるってことはないんじゃないか。

というのも,
今のご時世,アメリカが圧倒的に強くて,
彼らは経済的な事情からか,示威行為なのかわからんけども,
とにかく兵力をどこかに投下して,
「世界の警察・米軍は必要だよね」
というポーズを決めたいわけでしょう。

そうやって考えると,
日本のとる立場として,
変にカッコだけ立派な兵力を整えてしまうと,
周辺国からは「大日本帝国の暴走再び」と誤解されるし,
米軍からは「世界の警察の一員ならもっと頑張れや」と言われるし,
で,
良いことがないように思われる。

むしろ,
軍備を完全に放棄してしまったらどうか。
それを世界中にアナウンスすればどうか。
「得体のしれない恐怖」を周辺国にあたえることはないし,
領土問題の解決策として戦争を選択する恐れもないし,
たとえ政権が変わって好戦的な内閣になっても急に軍備することは出来ないし。
周辺国も米軍も,
完全武装放棄を宣言した国に対して戦争を仕掛けることは,
世界の警察・米軍の睨みがきいているという意味でも,
世界の警察・米軍の立場としても,
出来ることではないように思われる。
仮に完全武装放棄をした国に攻め込もうものなら,
国際的な批難は必至だから。


ということで,
世界に先駆けて,
日本は「完全武装放棄」を宣言すれば良いと思うの。
わりとマジで。

で,その旗の下になら,
大同小異で,
現野党も結集できると思うんだけどなぁ。
一人目の子供が生まれたのが2010年12月,地震が2011年3月。両方が近接しているので,どちらが効いているのかわからんけども,この頃から,かなり明確に,「次の世代の社会」を意識するようになって,自分の「現役生活」は,これに向けたなんらかの取り組みに費やしたい,あるいは費やすべきだ,と考えているわけです。

もうはっきりとこのままではアカン,という感じで,それは「経済成長神話」と「外交神話」と「軍備抑止力神話」と,その辺りに特に感じているわけで,だって,人口が減るのに経済成長するなんてことはありえないし,日本はアカンけど外交で途上国から金を巻き上げて先進国と対等に渡り合うなんて歴史的に一度も出来たことがないし,他国が日本に戦争を仕掛けるモチベーションとして「日本は軍備が疎か」ってのは本当に不確かな話だし,でも,そこを盲信して前提条件に据えて,国民の努力を傾注して社会を運営しているのが今の日本なわけだ。

逆に考えれば目指す社会像というのも浮かび上がってきて,経済成長がなくても回る「ローリスクローリターン」経済サイクルを確立して,国の基礎となる食糧/エネルギー資源については「健康で文化的な最低限度の生活」レベルは国内自給できるように(消費エネルギーも抑制)して,世界に先駆けて軍備を完全廃止して,そんな国になれば良いのにな,と夢想するわけです。

そんでもって,ただ夢想するのが「大人」のやることなのか,ここまで考えられているなら後はやるだけなんじゃないか,という思いもあって,やはりなんらかのアクションを起こして,未来への責任じゃないけども,なにか礎になるようなものを築いておければな,と考えるわけですね。もちろん選挙に行くってのも,小さいけども確実な一歩ではあるのだけど,じゃあこのまま現行制度に乗って「選挙の力」を信じているだけでどうにかなるのか,というと,それもまたそれで,ということで。一家庭人としての責任を果たしつつ,同時に地域とか国とかのスケールで,大人として何かを残していかねばと思う次第で。

そうこう考えた時に,先端研究って,いわゆるグローバルな活動で,あんまりこう,ローカルとかドメスティックとか,そういう貢献の部分でどうなのよ,という感じで,もちろん大学教育を通じて云々とか考えないわけではないけども,それとてアレなので,悩ましいところなわけですね。

まぁとにかく,平和を願うばかりです。

もともと言いたかったことは,
「文脈に沿った価値を提供する必要がある」
という第一段階を超えて,
「文脈を超越した普遍的価値を創造」したり,
「創造したモノ自体が文脈を形成」したり,
そういうところまでいって,
はじめて本当のクリエイティブだよね,ということでした。
あるところで「価値がある」ものが,
別の場所でも「価値がある」かというと,そうではない。
そういうことを考えたのは,セブンカフェの話題から。
http://sevencafecoffeemakeradhocsignage.tumblr.com/

某デザイナーによるシンプルな感じがスタイリッシュ(なのか?)なサーバーが,
各店舗に配置されるや「わかりやすく」という配慮から,
テプラなどでバンバン装飾されて台無しになっているという話。


ボクは,何も装飾されていないオリジナルバージョンを見て,
「オシャレだな」と思ったし,「わかりにくい」とも思わなかった。
つまり,ボクの中の「文脈」では,
このサーバーは価値が認められたということになる。

でも,多くの店舗ではそうではないらしい。
より多くの情報を(デザイン的な配慮は乏しくとも)掲載している現状は,
コンビニにおけるセルフサービス式コーヒーサーバには,
「デザイン」などには価値が求められておらず,
むしろ「誰もが」「間違うことなく」コーヒーをいれられるという,
「機能にこそ価値が認められている」ことを表しているのだろう。

ここでいう「誰もが」というのが重要なポイント。
特定の層,たとえばこのデザインがステキと思って,
かつ,RegularとかLargeとかの意味を判読できて,
かつ,RとかLとかがそれらのアイコンになっていることを理解できる,
そういう「層」には,オリジナルデザインは「価値」が認められるかもしれない。

でも,コンビニの店員は,そういう文脈では考えない。
なぜならコンビニにやってくる客は,
老若男女を問わず不特定で,
さらにそれが一日数百人(もっと?)もやってくるわけだから,
来客はできる限りベルトコンベア的に捌いていきたいと考えている。
そんな客の中には,
「買いたいけど,使い方がわからない」と思う人が数人いるかもしれないし,
それには接客の基本として,誠心誠意対応しなければならず,
それはレジ機能を停止してしまうリスク,
つまりコンビニ店員の文脈では「マイナスの価値」でしかない。

もしかしたら,
そう考えて作成したテプラまみれのサーバを「ダサい」と感じて,
それでコーヒーの購入を止める人がいるかもしれない。
でもそれは,店員の文脈では,労力が割かれるわけでは無いので,リスクではない。
(経営者的にはちょっとしたリスクだけど)

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いたるところにコンビニがあって,
そこで働く人はその地域の一般的な人であることを考えると,
(特殊な教育や職業訓練を受けていないという意味で)
コンビニ店員っていうのは,
ある地域に暮らす人々の平均的なモデルと言えるかもしれない。
(もちろんコンビニ店員という役割のバイアスはあるが)

そう考えると,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことについては,
日本全国で,かなり高いレベルにあるんじゃないかな,と思う。
それに付随して,
「与えられた文脈から逸脱するものを切り捨てる」ことについても,
なかなか思い切った決断と行動力を発揮しているように思う。

だって,本部機能が一押しとして作って配置している機械を,
現場の判断で勝手に改変してしまっているわけだから,
これはかなり背信的だと言えるだろうに,
でもそんなのおかまいなしで,
現場の「お客様第一」という文脈が,何よりの価値基準になっているわけだ。

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学校での試験も,同じようなことかもしれない。
「試験で高い点数を取る」という文脈が与えられたら,
その価値は「高い点数を取る」ことだから,
夜更かしもすればカンニングもする。
つまり,学校機能の中の文脈で,
自分の価値を高めることにやっきになってしまう。

でも試験の目的って,
学習の到達度を,教える側と教わる側の双方で確認することであって,
点数はその目安でしかない。
夜更かしは学習意欲と体力を低下させるし,
カンニングするヒマがあれば勉強すればいいだけの話だ。

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日本人の得意とするところが,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことだとして,
逆に不得手,あるいは忌避しているようなことは,
「複数の文脈が存在していることに気付く」
「複数の文脈から1つを選択する」
「文脈から逸脱する」
「文脈を与える」
というようなことかもしれない。


疲れてきたので,このへんで

『微生物ハンター,深海を行く』高井研著

献本いただいたのでレビューします。

と,何か書評らしいことを書こうと思ったのですが,あまりに身近すぎて難しいです。
どうしましょうね。

=========

この本には2つのテーマが(たぶん)あると思われます。

1つめのテーマは,高井研という一人の研究者のキャリアパスです。
「ナニモノか」になるべく奮闘する4畳半的青春時代の若手研究者「タカイくん/ケン」が,
「ナニモノか」である真の地球微生物学者「高井研」になるに至った経緯,
節目節目で何を考え,何をして,今に至ったのかという履歴が紹介されています。

だいたい第4話までが「タカイくん」,第6話からが「高井研」の話です。
大学院生やポスドクなどこれから「ナニモノか」になろうとする若手研究者にとっては,
(特に第4話までが)大変参考になるものなのではないかと思います。

が,一方で,
こちらのテーマは「高井研以外の一流の研究者」のものでも,
同じように参考になるのではないか,とも思え,
その意味で,特筆すべきものは感じません。

むしろこの本で特筆すべきは,もう1つのテーマである,高井研という一人の人間の人生感です。

大学進学・卒論テーマ・学位取得後の就職など,
いわゆる人生のターニングポイントにおいて,
「4畳半的青春時代のタカイくん」の眼前には複数の選択肢が用意されます。
そんな時,タカイくんはいつも,
一人で決断するでも,誰かに強いられるでもなく,
必ず「誰かに背中を押される形」で進む道を選んでいきます。

おばあちゃんや母が言います。「そら京大よ」
森くんが言います。「そら超好熱菌よ」
妻が言います。「そらJAMSTECよ」

そして晴れて「地球微生物学者となった高井研」は,
「ひとりアーキアンパーク」「ウルトラエイチキューブ」「プレカンラボ」など,
壮大な研究計画を立案し,チームを牽引し,研究を実行していきます。
しかしここでも,すでにナニモノかになっているにもかかわらず,
やはり高井研は「誰かに背中を押されて」進んでいきます。

石橋さんが言います。「たぶんそれが真実だと思うんだよ」
沖野さんが言います。「アリかもしれない」
謙太郎さんが言います。「ソレおもしろいっすね」

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まぁそういうことです。


プロフィール
HN:
kawagucci
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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