自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
憲法9条改正だとかなんだとか言ってるが,
双方の言い分を極論してしまうと。
「軍を持っているから殺してしまうんだ。持たなければいい。」
「軍を持っていないで無抵抗のまま殺されてもいいのか。」
ということで,
こうして考えると,
「たとえ殺されても殺さない」のか,
「殺されるぐらいなら殺す」のか,
という話に帰着できる気がする。
でもね,
戦争の引き金って,後者だと思うんですよ。
「得体の知れない相手がいて,
何をしだすかわからなくって,
でもまだそんなに力は持ってなくて,
だから今のうちに屈服させておこう」
ってのが,
強い方が弱い方に攻め込む口実じゃないですか。
(湾岸もアフガンも,そんな感じじゃなかったっけ?)
あとネトウヨ系の人々は,
「中韓は日本を嫌っているから何をするかわからん」
「日本の領土侵攻を企んでいる」
「戦争ならやってやるよ!」
って感じだけども,
彼らとて,領土領海を増やしたいのかもしれないけども,
本気でドンパチ戦争を仕掛けてくるってことはないんじゃないか。
というのも,
今のご時世,アメリカが圧倒的に強くて,
彼らは経済的な事情からか,示威行為なのかわからんけども,
とにかく兵力をどこかに投下して,
「世界の警察・米軍は必要だよね」
というポーズを決めたいわけでしょう。
そうやって考えると,
日本のとる立場として,
変にカッコだけ立派な兵力を整えてしまうと,
周辺国からは「大日本帝国の暴走再び」と誤解されるし,
米軍からは「世界の警察の一員ならもっと頑張れや」と言われるし,
で,
良いことがないように思われる。
むしろ,
軍備を完全に放棄してしまったらどうか。
それを世界中にアナウンスすればどうか。
「得体のしれない恐怖」を周辺国にあたえることはないし,
領土問題の解決策として戦争を選択する恐れもないし,
たとえ政権が変わって好戦的な内閣になっても急に軍備することは出来ないし。
周辺国も米軍も,
完全武装放棄を宣言した国に対して戦争を仕掛けることは,
世界の警察・米軍の睨みがきいているという意味でも,
世界の警察・米軍の立場としても,
出来ることではないように思われる。
仮に完全武装放棄をした国に攻め込もうものなら,
国際的な批難は必至だから。
ということで,
世界に先駆けて,
日本は「完全武装放棄」を宣言すれば良いと思うの。
わりとマジで。
で,その旗の下になら,
大同小異で,
現野党も結集できると思うんだけどなぁ。
Tweet
双方の言い分を極論してしまうと。
「軍を持っているから殺してしまうんだ。持たなければいい。」
「軍を持っていないで無抵抗のまま殺されてもいいのか。」
ということで,
こうして考えると,
「たとえ殺されても殺さない」のか,
「殺されるぐらいなら殺す」のか,
という話に帰着できる気がする。
でもね,
戦争の引き金って,後者だと思うんですよ。
「得体の知れない相手がいて,
何をしだすかわからなくって,
でもまだそんなに力は持ってなくて,
だから今のうちに屈服させておこう」
ってのが,
強い方が弱い方に攻め込む口実じゃないですか。
(湾岸もアフガンも,そんな感じじゃなかったっけ?)
あとネトウヨ系の人々は,
「中韓は日本を嫌っているから何をするかわからん」
「日本の領土侵攻を企んでいる」
「戦争ならやってやるよ!」
って感じだけども,
彼らとて,領土領海を増やしたいのかもしれないけども,
本気でドンパチ戦争を仕掛けてくるってことはないんじゃないか。
というのも,
今のご時世,アメリカが圧倒的に強くて,
彼らは経済的な事情からか,示威行為なのかわからんけども,
とにかく兵力をどこかに投下して,
「世界の警察・米軍は必要だよね」
というポーズを決めたいわけでしょう。
そうやって考えると,
日本のとる立場として,
変にカッコだけ立派な兵力を整えてしまうと,
周辺国からは「大日本帝国の暴走再び」と誤解されるし,
米軍からは「世界の警察の一員ならもっと頑張れや」と言われるし,
で,
良いことがないように思われる。
むしろ,
軍備を完全に放棄してしまったらどうか。
それを世界中にアナウンスすればどうか。
「得体のしれない恐怖」を周辺国にあたえることはないし,
領土問題の解決策として戦争を選択する恐れもないし,
たとえ政権が変わって好戦的な内閣になっても急に軍備することは出来ないし。
周辺国も米軍も,
完全武装放棄を宣言した国に対して戦争を仕掛けることは,
世界の警察・米軍の睨みがきいているという意味でも,
世界の警察・米軍の立場としても,
出来ることではないように思われる。
仮に完全武装放棄をした国に攻め込もうものなら,
国際的な批難は必至だから。
ということで,
世界に先駆けて,
日本は「完全武装放棄」を宣言すれば良いと思うの。
わりとマジで。
で,その旗の下になら,
大同小異で,
現野党も結集できると思うんだけどなぁ。
一人目の子供が生まれたのが2010年12月,地震が2011年3月。両方が近接しているので,どちらが効いているのかわからんけども,この頃から,かなり明確に,「次の世代の社会」を意識するようになって,自分の「現役生活」は,これに向けたなんらかの取り組みに費やしたい,あるいは費やすべきだ,と考えているわけです。
もうはっきりとこのままではアカン,という感じで,それは「経済成長神話」と「外交神話」と「軍備抑止力神話」と,その辺りに特に感じているわけで,だって,人口が減るのに経済成長するなんてことはありえないし,日本はアカンけど外交で途上国から金を巻き上げて先進国と対等に渡り合うなんて歴史的に一度も出来たことがないし,他国が日本に戦争を仕掛けるモチベーションとして「日本は軍備が疎か」ってのは本当に不確かな話だし,でも,そこを盲信して前提条件に据えて,国民の努力を傾注して社会を運営しているのが今の日本なわけだ。
逆に考えれば目指す社会像というのも浮かび上がってきて,経済成長がなくても回る「ローリスクローリターン」経済サイクルを確立して,国の基礎となる食糧/エネルギー資源については「健康で文化的な最低限度の生活」レベルは国内自給できるように(消費エネルギーも抑制)して,世界に先駆けて軍備を完全廃止して,そんな国になれば良いのにな,と夢想するわけです。
そんでもって,ただ夢想するのが「大人」のやることなのか,ここまで考えられているなら後はやるだけなんじゃないか,という思いもあって,やはりなんらかのアクションを起こして,未来への責任じゃないけども,なにか礎になるようなものを築いておければな,と考えるわけですね。もちろん選挙に行くってのも,小さいけども確実な一歩ではあるのだけど,じゃあこのまま現行制度に乗って「選挙の力」を信じているだけでどうにかなるのか,というと,それもまたそれで,ということで。一家庭人としての責任を果たしつつ,同時に地域とか国とかのスケールで,大人として何かを残していかねばと思う次第で。
そうこう考えた時に,先端研究って,いわゆるグローバルな活動で,あんまりこう,ローカルとかドメスティックとか,そういう貢献の部分でどうなのよ,という感じで,もちろん大学教育を通じて云々とか考えないわけではないけども,それとてアレなので,悩ましいところなわけですね。
まぁとにかく,平和を願うばかりです。
Tweet
もうはっきりとこのままではアカン,という感じで,それは「経済成長神話」と「外交神話」と「軍備抑止力神話」と,その辺りに特に感じているわけで,だって,人口が減るのに経済成長するなんてことはありえないし,日本はアカンけど外交で途上国から金を巻き上げて先進国と対等に渡り合うなんて歴史的に一度も出来たことがないし,他国が日本に戦争を仕掛けるモチベーションとして「日本は軍備が疎か」ってのは本当に不確かな話だし,でも,そこを盲信して前提条件に据えて,国民の努力を傾注して社会を運営しているのが今の日本なわけだ。
逆に考えれば目指す社会像というのも浮かび上がってきて,経済成長がなくても回る「ローリスクローリターン」経済サイクルを確立して,国の基礎となる食糧/エネルギー資源については「健康で文化的な最低限度の生活」レベルは国内自給できるように(消費エネルギーも抑制)して,世界に先駆けて軍備を完全廃止して,そんな国になれば良いのにな,と夢想するわけです。
そんでもって,ただ夢想するのが「大人」のやることなのか,ここまで考えられているなら後はやるだけなんじゃないか,という思いもあって,やはりなんらかのアクションを起こして,未来への責任じゃないけども,なにか礎になるようなものを築いておければな,と考えるわけですね。もちろん選挙に行くってのも,小さいけども確実な一歩ではあるのだけど,じゃあこのまま現行制度に乗って「選挙の力」を信じているだけでどうにかなるのか,というと,それもまたそれで,ということで。一家庭人としての責任を果たしつつ,同時に地域とか国とかのスケールで,大人として何かを残していかねばと思う次第で。
そうこう考えた時に,先端研究って,いわゆるグローバルな活動で,あんまりこう,ローカルとかドメスティックとか,そういう貢献の部分でどうなのよ,という感じで,もちろん大学教育を通じて云々とか考えないわけではないけども,それとてアレなので,悩ましいところなわけですね。
まぁとにかく,平和を願うばかりです。
もともと言いたかったことは,
「文脈に沿った価値を提供する必要がある」
という第一段階を超えて,
「文脈を超越した普遍的価値を創造」したり,
「創造したモノ自体が文脈を形成」したり,
そういうところまでいって,
はじめて本当のクリエイティブだよね,ということでした。
Tweet
「文脈に沿った価値を提供する必要がある」
という第一段階を超えて,
「文脈を超越した普遍的価値を創造」したり,
「創造したモノ自体が文脈を形成」したり,
そういうところまでいって,
はじめて本当のクリエイティブだよね,ということでした。
あるところで「価値がある」ものが,
別の場所でも「価値がある」かというと,そうではない。
そういうことを考えたのは,セブンカフェの話題から。
http://sevencafecoffeemakeradhocsignage.tumblr.com/
某デザイナーによるシンプルな感じがスタイリッシュ(なのか?)なサーバーが,
各店舗に配置されるや「わかりやすく」という配慮から,
テプラなどでバンバン装飾されて台無しになっているという話。
ボクは,何も装飾されていないオリジナルバージョンを見て,
「オシャレだな」と思ったし,「わかりにくい」とも思わなかった。
つまり,ボクの中の「文脈」では,
このサーバーは価値が認められたということになる。
でも,多くの店舗ではそうではないらしい。
より多くの情報を(デザイン的な配慮は乏しくとも)掲載している現状は,
コンビニにおけるセルフサービス式コーヒーサーバには,
「デザイン」などには価値が求められておらず,
むしろ「誰もが」「間違うことなく」コーヒーをいれられるという,
「機能にこそ価値が認められている」ことを表しているのだろう。
ここでいう「誰もが」というのが重要なポイント。
特定の層,たとえばこのデザインがステキと思って,
かつ,RegularとかLargeとかの意味を判読できて,
かつ,RとかLとかがそれらのアイコンになっていることを理解できる,
そういう「層」には,オリジナルデザインは「価値」が認められるかもしれない。
でも,コンビニの店員は,そういう文脈では考えない。
なぜならコンビニにやってくる客は,
老若男女を問わず不特定で,
さらにそれが一日数百人(もっと?)もやってくるわけだから,
来客はできる限りベルトコンベア的に捌いていきたいと考えている。
そんな客の中には,
「買いたいけど,使い方がわからない」と思う人が数人いるかもしれないし,
それには接客の基本として,誠心誠意対応しなければならず,
それはレジ機能を停止してしまうリスク,
つまりコンビニ店員の文脈では「マイナスの価値」でしかない。
もしかしたら,
そう考えて作成したテプラまみれのサーバを「ダサい」と感じて,
それでコーヒーの購入を止める人がいるかもしれない。
でもそれは,店員の文脈では,労力が割かれるわけでは無いので,リスクではない。
(経営者的にはちょっとしたリスクだけど)
-----------------------------
いたるところにコンビニがあって,
そこで働く人はその地域の一般的な人であることを考えると,
(特殊な教育や職業訓練を受けていないという意味で)
コンビニ店員っていうのは,
ある地域に暮らす人々の平均的なモデルと言えるかもしれない。
(もちろんコンビニ店員という役割のバイアスはあるが)
そう考えると,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことについては,
日本全国で,かなり高いレベルにあるんじゃないかな,と思う。
それに付随して,
「与えられた文脈から逸脱するものを切り捨てる」ことについても,
なかなか思い切った決断と行動力を発揮しているように思う。
だって,本部機能が一押しとして作って配置している機械を,
現場の判断で勝手に改変してしまっているわけだから,
これはかなり背信的だと言えるだろうに,
でもそんなのおかまいなしで,
現場の「お客様第一」という文脈が,何よりの価値基準になっているわけだ。
-----------------------------
学校での試験も,同じようなことかもしれない。
「試験で高い点数を取る」という文脈が与えられたら,
その価値は「高い点数を取る」ことだから,
夜更かしもすればカンニングもする。
つまり,学校機能の中の文脈で,
自分の価値を高めることにやっきになってしまう。
でも試験の目的って,
学習の到達度を,教える側と教わる側の双方で確認することであって,
点数はその目安でしかない。
夜更かしは学習意欲と体力を低下させるし,
カンニングするヒマがあれば勉強すればいいだけの話だ。
-----------------------------
日本人の得意とするところが,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことだとして,
逆に不得手,あるいは忌避しているようなことは,
「複数の文脈が存在していることに気付く」
「複数の文脈から1つを選択する」
「文脈から逸脱する」
「文脈を与える」
というようなことかもしれない。
疲れてきたので,このへんで
Tweet
別の場所でも「価値がある」かというと,そうではない。
そういうことを考えたのは,セブンカフェの話題から。
http://sevencafecoffeemakeradhocsignage.tumblr.com/
某デザイナーによるシンプルな感じがスタイリッシュ(なのか?)なサーバーが,
各店舗に配置されるや「わかりやすく」という配慮から,
テプラなどでバンバン装飾されて台無しになっているという話。
ボクは,何も装飾されていないオリジナルバージョンを見て,
「オシャレだな」と思ったし,「わかりにくい」とも思わなかった。
つまり,ボクの中の「文脈」では,
このサーバーは価値が認められたということになる。
でも,多くの店舗ではそうではないらしい。
より多くの情報を(デザイン的な配慮は乏しくとも)掲載している現状は,
コンビニにおけるセルフサービス式コーヒーサーバには,
「デザイン」などには価値が求められておらず,
むしろ「誰もが」「間違うことなく」コーヒーをいれられるという,
「機能にこそ価値が認められている」ことを表しているのだろう。
ここでいう「誰もが」というのが重要なポイント。
特定の層,たとえばこのデザインがステキと思って,
かつ,RegularとかLargeとかの意味を判読できて,
かつ,RとかLとかがそれらのアイコンになっていることを理解できる,
そういう「層」には,オリジナルデザインは「価値」が認められるかもしれない。
でも,コンビニの店員は,そういう文脈では考えない。
なぜならコンビニにやってくる客は,
老若男女を問わず不特定で,
さらにそれが一日数百人(もっと?)もやってくるわけだから,
来客はできる限りベルトコンベア的に捌いていきたいと考えている。
そんな客の中には,
「買いたいけど,使い方がわからない」と思う人が数人いるかもしれないし,
それには接客の基本として,誠心誠意対応しなければならず,
それはレジ機能を停止してしまうリスク,
つまりコンビニ店員の文脈では「マイナスの価値」でしかない。
もしかしたら,
そう考えて作成したテプラまみれのサーバを「ダサい」と感じて,
それでコーヒーの購入を止める人がいるかもしれない。
でもそれは,店員の文脈では,労力が割かれるわけでは無いので,リスクではない。
(経営者的にはちょっとしたリスクだけど)
-----------------------------
いたるところにコンビニがあって,
そこで働く人はその地域の一般的な人であることを考えると,
(特殊な教育や職業訓練を受けていないという意味で)
コンビニ店員っていうのは,
ある地域に暮らす人々の平均的なモデルと言えるかもしれない。
(もちろんコンビニ店員という役割のバイアスはあるが)
そう考えると,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことについては,
日本全国で,かなり高いレベルにあるんじゃないかな,と思う。
それに付随して,
「与えられた文脈から逸脱するものを切り捨てる」ことについても,
なかなか思い切った決断と行動力を発揮しているように思う。
だって,本部機能が一押しとして作って配置している機械を,
現場の判断で勝手に改変してしまっているわけだから,
これはかなり背信的だと言えるだろうに,
でもそんなのおかまいなしで,
現場の「お客様第一」という文脈が,何よりの価値基準になっているわけだ。
-----------------------------
学校での試験も,同じようなことかもしれない。
「試験で高い点数を取る」という文脈が与えられたら,
その価値は「高い点数を取る」ことだから,
夜更かしもすればカンニングもする。
つまり,学校機能の中の文脈で,
自分の価値を高めることにやっきになってしまう。
でも試験の目的って,
学習の到達度を,教える側と教わる側の双方で確認することであって,
点数はその目安でしかない。
夜更かしは学習意欲と体力を低下させるし,
カンニングするヒマがあれば勉強すればいいだけの話だ。
-----------------------------
日本人の得意とするところが,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことだとして,
逆に不得手,あるいは忌避しているようなことは,
「複数の文脈が存在していることに気付く」
「複数の文脈から1つを選択する」
「文脈から逸脱する」
「文脈を与える」
というようなことかもしれない。
疲れてきたので,このへんで
『微生物ハンター,深海を行く』高井研著
献本いただいたのでレビューします。
と,何か書評らしいことを書こうと思ったのですが,あまりに身近すぎて難しいです。
どうしましょうね。
=========
この本には2つのテーマが(たぶん)あると思われます。
1つめのテーマは,高井研という一人の研究者のキャリアパスです。
「ナニモノか」になるべく奮闘する4畳半的青春時代の若手研究者「タカイくん/ケン」が,
「ナニモノか」である真の地球微生物学者「高井研」になるに至った経緯,
節目節目で何を考え,何をして,今に至ったのかという履歴が紹介されています。
だいたい第4話までが「タカイくん」,第6話からが「高井研」の話です。
大学院生やポスドクなどこれから「ナニモノか」になろうとする若手研究者にとっては,
(特に第4話までが)大変参考になるものなのではないかと思います。
が,一方で,
こちらのテーマは「高井研以外の一流の研究者」のものでも,
同じように参考になるのではないか,とも思え,
その意味で,特筆すべきものは感じません。
むしろこの本で特筆すべきは,もう1つのテーマである,高井研という一人の人間の人生感です。
大学進学・卒論テーマ・学位取得後の就職など,
いわゆる人生のターニングポイントにおいて,
「4畳半的青春時代のタカイくん」の眼前には複数の選択肢が用意されます。
そんな時,タカイくんはいつも,
一人で決断するでも,誰かに強いられるでもなく,
必ず「誰かに背中を押される形」で進む道を選んでいきます。
おばあちゃんや母が言います。「そら京大よ」
森くんが言います。「そら超好熱菌よ」
妻が言います。「そらJAMSTECよ」
そして晴れて「地球微生物学者となった高井研」は,
「ひとりアーキアンパーク」「ウルトラエイチキューブ」「プレカンラボ」など,
壮大な研究計画を立案し,チームを牽引し,研究を実行していきます。
しかしここでも,すでにナニモノかになっているにもかかわらず,
やはり高井研は「誰かに背中を押されて」進んでいきます。
石橋さんが言います。「たぶんそれが真実だと思うんだよ」
沖野さんが言います。「アリかもしれない」
謙太郎さんが言います。「ソレおもしろいっすね」
=========
まぁそういうことです。
Tweet
献本いただいたのでレビューします。
と,何か書評らしいことを書こうと思ったのですが,あまりに身近すぎて難しいです。
どうしましょうね。
=========
この本には2つのテーマが(たぶん)あると思われます。
1つめのテーマは,高井研という一人の研究者のキャリアパスです。
「ナニモノか」になるべく奮闘する4畳半的青春時代の若手研究者「タカイくん/ケン」が,
「ナニモノか」である真の地球微生物学者「高井研」になるに至った経緯,
節目節目で何を考え,何をして,今に至ったのかという履歴が紹介されています。
だいたい第4話までが「タカイくん」,第6話からが「高井研」の話です。
大学院生やポスドクなどこれから「ナニモノか」になろうとする若手研究者にとっては,
(特に第4話までが)大変参考になるものなのではないかと思います。
が,一方で,
こちらのテーマは「高井研以外の一流の研究者」のものでも,
同じように参考になるのではないか,とも思え,
その意味で,特筆すべきものは感じません。
むしろこの本で特筆すべきは,もう1つのテーマである,高井研という一人の人間の人生感です。
大学進学・卒論テーマ・学位取得後の就職など,
いわゆる人生のターニングポイントにおいて,
「4畳半的青春時代のタカイくん」の眼前には複数の選択肢が用意されます。
そんな時,タカイくんはいつも,
一人で決断するでも,誰かに強いられるでもなく,
必ず「誰かに背中を押される形」で進む道を選んでいきます。
おばあちゃんや母が言います。「そら京大よ」
森くんが言います。「そら超好熱菌よ」
妻が言います。「そらJAMSTECよ」
そして晴れて「地球微生物学者となった高井研」は,
「ひとりアーキアンパーク」「ウルトラエイチキューブ」「プレカンラボ」など,
壮大な研究計画を立案し,チームを牽引し,研究を実行していきます。
しかしここでも,すでにナニモノかになっているにもかかわらず,
やはり高井研は「誰かに背中を押されて」進んでいきます。
石橋さんが言います。「たぶんそれが真実だと思うんだよ」
沖野さんが言います。「アリかもしれない」
謙太郎さんが言います。「ソレおもしろいっすね」
=========
まぁそういうことです。
相手のクロスがゴールに吸い込まれ0−1。
最後にハンドでもらったPKを本田が決めて1−1。
そのまま試合終了でW杯出場決定。
しかしまぁ,試合内容はダメダメでした。
オーストラリアはケーヒルをトップに残す4−4−1−1っぽい陣形。
かなり縦幅の短いコンパクトな4−4ラインを崩さず,
押し込まれればなすがままにラインを下げブロックごと後退していく。
明らかに「引き分け上等,カウンターはまればごっつぁん」という戦略。
日本はザック以降のベスト布陣で4−2−3−1。
本田が中央でボールをキープして時間を作れてはいるが,
それとて4−4ラインの手前なので時間を使わされているとも言える状況。
前半は内田岡崎長谷部の右サイドを押し込む展開も,
オーストラリアに奪われると内田の裏にロブを落とされて押し返される。
オーストラリアはかなり明確にこの作戦。
4−4ブロックで奪い,短く回して前があいたらロングを内田裏に。
(日本が奪われた後にインテンシティを上げて奪いにいかないからかわされがち)
日本の戻りが遅ければグラウンダを裏に流して走り込み,
日本が戻っていれば日本2CBの奥側までクロス。
ケーヒルは今野の外側で長友側に流れながらヘッドで落とし。
日本は攻撃時に遠藤長谷部があがっているせいで,
CBの前に広い空間が出来てしまっていてルーズを拾えない。
逆に日本がじっくり守った後のカウンターの場面。
オーストラリアは遅攻ではしっかりラインをあげてくるので,
奪ってカウンターならスペースも広く日本にチャンスがうまれる,はずだった。
でもここで日本の前線は,全員がボール保持者と同じスピードで前にスライドするだけ。
オーストラリアブロックはこれにあわせてスライドして守備陣形完成。
たとえば前田や岡崎が一発で裏を狙うダッシュをかければ,
相手最終ラインは後ろに引っ張れるので,
4−4の間を開けられて香川や本田が崩す土台ができる。
あるいは前田が外に逃げながら岡崎が絞ってきて交差すれば,
ブロックの横間隔を狂わせられる。
そういう「受け手の工夫」が全然なかった。
そこがケーヒルと日本の前線の差で,カウンターの威力の分かれ目。
4−4ブロックの崩し方としてはゴール前まで侵入した場面が参考になる。
本田が4−4ブロックの隙間にいて,
サイドから侵入していく香川が本田にあてて2度ワンツーを繰り返した。
あれよ。
本田も香川もブロックの外にいて,
4−4ブロックを舐めるようにU字に回してるうちはチャンスはできない。
4−4の中で受けて,出来ればそこで2タッチ以上ボールを持って,
相手を縮めてから展開していくヤツ。
本田ならそれが出来るわけよ。
(前田やマイクは出来ないけど,大迫は出来るよ)
それよ。
そういう大きな枠組みの攻め方もそうだけど,
いわゆる,攻から守,守から攻,そういう切り替えの部分が,
やっぱり遅いし,ごちゃっとしてしまう。
誰がどこを埋めるか,詰めるかってのが感覚的に出来るのが強豪国で,
日本はどうしても決めごとがないとうまくはまらない感じ。
ザックはポジショニングの修正でこれを矯正しようとしてるけど,
トランジションでのダイナミックなポジショニングはまだまだ出来てない。
(カタカナばっかりだ・・)
とりあえずおつかれ。
Tweet
最後にハンドでもらったPKを本田が決めて1−1。
そのまま試合終了でW杯出場決定。
しかしまぁ,試合内容はダメダメでした。
オーストラリアはケーヒルをトップに残す4−4−1−1っぽい陣形。
かなり縦幅の短いコンパクトな4−4ラインを崩さず,
押し込まれればなすがままにラインを下げブロックごと後退していく。
明らかに「引き分け上等,カウンターはまればごっつぁん」という戦略。
日本はザック以降のベスト布陣で4−2−3−1。
本田が中央でボールをキープして時間を作れてはいるが,
それとて4−4ラインの手前なので時間を使わされているとも言える状況。
前半は内田岡崎長谷部の右サイドを押し込む展開も,
オーストラリアに奪われると内田の裏にロブを落とされて押し返される。
オーストラリアはかなり明確にこの作戦。
4−4ブロックで奪い,短く回して前があいたらロングを内田裏に。
(日本が奪われた後にインテンシティを上げて奪いにいかないからかわされがち)
日本の戻りが遅ければグラウンダを裏に流して走り込み,
日本が戻っていれば日本2CBの奥側までクロス。
ケーヒルは今野の外側で長友側に流れながらヘッドで落とし。
日本は攻撃時に遠藤長谷部があがっているせいで,
CBの前に広い空間が出来てしまっていてルーズを拾えない。
逆に日本がじっくり守った後のカウンターの場面。
オーストラリアは遅攻ではしっかりラインをあげてくるので,
奪ってカウンターならスペースも広く日本にチャンスがうまれる,はずだった。
でもここで日本の前線は,全員がボール保持者と同じスピードで前にスライドするだけ。
オーストラリアブロックはこれにあわせてスライドして守備陣形完成。
たとえば前田や岡崎が一発で裏を狙うダッシュをかければ,
相手最終ラインは後ろに引っ張れるので,
4−4の間を開けられて香川や本田が崩す土台ができる。
あるいは前田が外に逃げながら岡崎が絞ってきて交差すれば,
ブロックの横間隔を狂わせられる。
そういう「受け手の工夫」が全然なかった。
そこがケーヒルと日本の前線の差で,カウンターの威力の分かれ目。
4−4ブロックの崩し方としてはゴール前まで侵入した場面が参考になる。
本田が4−4ブロックの隙間にいて,
サイドから侵入していく香川が本田にあてて2度ワンツーを繰り返した。
あれよ。
本田も香川もブロックの外にいて,
4−4ブロックを舐めるようにU字に回してるうちはチャンスはできない。
4−4の中で受けて,出来ればそこで2タッチ以上ボールを持って,
相手を縮めてから展開していくヤツ。
本田ならそれが出来るわけよ。
(前田やマイクは出来ないけど,大迫は出来るよ)
それよ。
そういう大きな枠組みの攻め方もそうだけど,
いわゆる,攻から守,守から攻,そういう切り替えの部分が,
やっぱり遅いし,ごちゃっとしてしまう。
誰がどこを埋めるか,詰めるかってのが感覚的に出来るのが強豪国で,
日本はどうしても決めごとがないとうまくはまらない感じ。
ザックはポジショニングの修正でこれを矯正しようとしてるけど,
トランジションでのダイナミックなポジショニングはまだまだ出来てない。
(カタカナばっかりだ・・)
とりあえずおつかれ。
昔からアイドルとかスターが好きなんですけども,
今はももクロに注目してるんですけども,
それについて「キモイ」みたいに言われることが多くて,
もうほんと,おっしゃる通りなんですけども,
でも,ボクの中でのアイドルとかスターってのは,
世間の人が思ってるような見方とはちょっと違ってるんじゃないかな,
そう思うことがあるので,その辺を書いておこうと思う。
(キモイと言われることへの言い訳,ですかね)
「アイドル」というか「スター」なんですけども,
そういうものの存在ってのが,
ボクの心の中でどういうものなのか,ってことです。
「ウソみたいな存在感」なんですよね。
長嶋茂雄とか,郷ひろみとか,松岡修造とか。
彼らは,なんていうか,
自分が生きていて,現実と折り合いを付けていく過程で捨てたモノを,
まったく捨てないまま保持して,
しかもそれをさらけ出して生きている。
みんな,深層心理的には「持っていたい」と思っているけども,
「でもこの世の中で生きていくためには」と思って妥協したモノを,
彼らは逆に,それだけで構成されていて,それを全開にして生きているんだよね。
だから彼らを見ると,それはやっぱり「なりたかった自分」なんだよね。
底抜けの陽気さだったり,格好良さだったり,不屈の努力と根性だったり。
ジョホールバルで山本浩が,
「日本代表は、私たちにとっては「彼ら」ではありません。これは、私たちそのものです。」
って言ってるけど,まさにその通りなんだよ。
そんな彼らとももクロの共通点を考えると,
まぁ共通点は上にあげたようなことなんだけど,
彼らが完成形であるのに対して,
ももクロは形成途上だってことが一番の特徴なんじゃないかな,と。
つまり,
今はまだ,そこら辺の高校生達とそれほど大きな差があるわけじゃない。
でも,間違いなく彼女たちは,普通の人生では思春期あたりで「捨てるモノ」を,
今も持ち続けているし,これからも持ち続けてくれそうで,
その先には長嶋や修造のような存在への昇華がありそうな気がする。
だから,ももクロの楽しみ方として「彼女たちの成長を見守る」ってのがあって,
たとえば五次元アルバムやツアーに対する当初のアレルギー的な反応は,
彼女たちがその魅力である「オリジナルである」ってことを捨てて,
さらに「出来合いの格好良さ」に屈したように見えて,
それに由来するもんだったんじゃないかな,とも。
もちろんそれは杞憂で,彼女たちは昇華しているけども。
プロレスは,こうした属人的なアイドル性・スター性を,
肉体と試合とキャラクターとストーリーで,
集団として保持して動かしているものと見られるんじゃないかな。
超人的な身体だったり,
凶暴で極悪非道だったり,
気は優しく力持ちだったり,
貧弱だけどずる賢かったり,
それぞれ皆が少しずつは持っている性質なんだけど,
それだけで現実世界を生きていくことは難しい。
そんな性質だけをそこまで貫くのか!ってぐらいに突き詰めてキャラを作って,
そんなキャラがそれぞれに交わるストーリーってのは,
私たちがいま生きている現実の相似形の極端系であって,
やっぱり「彼らは私たち」なんだよね。
古典的な女性アイドルも,この枠に入ってくる。
それは純粋さ,可憐さ,可愛らしさだけで存在している人で,
それこそ「アイドルはウンチしない」を具現化したような(?)。
つまり,アイドルとかスターってのは,
三人称の形をとった一人称というか,
一人称の妄想の中の三人称がそのまま具現化したものというか,
そういうものなんだと思う。
そうこう考えた時に,
「あの子たち」ってのは,
どうしても二人称なんだよね。
「触る」ってのは,つまり二人称なんだよ。
幻想じゃなくて現実なんだよ。
一人称の妄想の中の三人称を,
誰かが人為的に操作して作り出して提供してきたもの,なんだよね。
だからどうしても「不純物」が混じってて,
それがどうしても気になってしまう。
まぁ要するに,
アイドルとスターとプロレスが好きだって,
ただそれだけのことですね。
未完
Tweet
今はももクロに注目してるんですけども,
それについて「キモイ」みたいに言われることが多くて,
もうほんと,おっしゃる通りなんですけども,
でも,ボクの中でのアイドルとかスターってのは,
世間の人が思ってるような見方とはちょっと違ってるんじゃないかな,
そう思うことがあるので,その辺を書いておこうと思う。
(キモイと言われることへの言い訳,ですかね)
「アイドル」というか「スター」なんですけども,
そういうものの存在ってのが,
ボクの心の中でどういうものなのか,ってことです。
「ウソみたいな存在感」なんですよね。
長嶋茂雄とか,郷ひろみとか,松岡修造とか。
彼らは,なんていうか,
自分が生きていて,現実と折り合いを付けていく過程で捨てたモノを,
まったく捨てないまま保持して,
しかもそれをさらけ出して生きている。
みんな,深層心理的には「持っていたい」と思っているけども,
「でもこの世の中で生きていくためには」と思って妥協したモノを,
彼らは逆に,それだけで構成されていて,それを全開にして生きているんだよね。
だから彼らを見ると,それはやっぱり「なりたかった自分」なんだよね。
底抜けの陽気さだったり,格好良さだったり,不屈の努力と根性だったり。
ジョホールバルで山本浩が,
「日本代表は、私たちにとっては「彼ら」ではありません。これは、私たちそのものです。」
って言ってるけど,まさにその通りなんだよ。
そんな彼らとももクロの共通点を考えると,
まぁ共通点は上にあげたようなことなんだけど,
彼らが完成形であるのに対して,
ももクロは形成途上だってことが一番の特徴なんじゃないかな,と。
つまり,
今はまだ,そこら辺の高校生達とそれほど大きな差があるわけじゃない。
でも,間違いなく彼女たちは,普通の人生では思春期あたりで「捨てるモノ」を,
今も持ち続けているし,これからも持ち続けてくれそうで,
その先には長嶋や修造のような存在への昇華がありそうな気がする。
だから,ももクロの楽しみ方として「彼女たちの成長を見守る」ってのがあって,
たとえば五次元アルバムやツアーに対する当初のアレルギー的な反応は,
彼女たちがその魅力である「オリジナルである」ってことを捨てて,
さらに「出来合いの格好良さ」に屈したように見えて,
それに由来するもんだったんじゃないかな,とも。
もちろんそれは杞憂で,彼女たちは昇華しているけども。
プロレスは,こうした属人的なアイドル性・スター性を,
肉体と試合とキャラクターとストーリーで,
集団として保持して動かしているものと見られるんじゃないかな。
超人的な身体だったり,
凶暴で極悪非道だったり,
気は優しく力持ちだったり,
貧弱だけどずる賢かったり,
それぞれ皆が少しずつは持っている性質なんだけど,
それだけで現実世界を生きていくことは難しい。
そんな性質だけをそこまで貫くのか!ってぐらいに突き詰めてキャラを作って,
そんなキャラがそれぞれに交わるストーリーってのは,
私たちがいま生きている現実の相似形の極端系であって,
やっぱり「彼らは私たち」なんだよね。
古典的な女性アイドルも,この枠に入ってくる。
それは純粋さ,可憐さ,可愛らしさだけで存在している人で,
それこそ「アイドルはウンチしない」を具現化したような(?)。
つまり,アイドルとかスターってのは,
三人称の形をとった一人称というか,
一人称の妄想の中の三人称がそのまま具現化したものというか,
そういうものなんだと思う。
そうこう考えた時に,
「あの子たち」ってのは,
どうしても二人称なんだよね。
「触る」ってのは,つまり二人称なんだよ。
幻想じゃなくて現実なんだよ。
一人称の妄想の中の三人称を,
誰かが人為的に操作して作り出して提供してきたもの,なんだよね。
だからどうしても「不純物」が混じってて,
それがどうしても気になってしまう。
まぁ要するに,
アイドルとスターとプロレスが好きだって,
ただそれだけのことですね。
未完
当該会見の文字起こしはリンク先参照。
(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2994.html)
(http://synodos.jp/politics/3894/2)
以下は抜粋。
=======
A) 当時の歴史をちょっと調べてみたらね、
日本国軍だけじゃなくて、いろんな軍で慰安婦制度っていうものを活用していた訳なんですよ。
B) ただ慰安婦制度についてね、
意に反して慰安婦になった方に対しては、
やっぱり僕は配慮しなければいけないと思いますけれどもね。
C) 銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命かけて、あの、そこを走っていく時にね、
そりゃそんなあのー、武者集団と言いますか、精神的にも高ぶっているようなそういう集団は
やっぱりどこかでね、そのーー、あのーーーーーー、
まあ、休息じゃないけれども、そういう事をさせてあげようと思ったら
慰安婦制度というのが必要だという事は、これは誰だってわかるわけです。
D) 慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。法律の範囲内で認められている中でね、いわゆるそういう性的なエネルギーを、ある意味合法的に解消できる場所ってのが日本にはあるわけですから。もっと真正面からそういうところ活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者のね、性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですかと。
=======
橋下さんの発言を抜粋した上で,
論点は,
A) 従軍慰安婦は歴史的事実として各国が”活用”していたのに日本だけ批難されるのはおかしい。
B) 慰安婦について「強制」であったなら配慮が必要だ。
C) 兵士のために慰安婦精度が必要だということは「誰だって」わかる。
D) 兵士の性的エネルギーは,慰安婦の代替として風俗業を活用すれば,コントロールできる。
でしょうか。
(A)について,
「日本だけが批難されるのはおかしい」という意見は理解できる。
それはその通りかもしれない。
でも,それを言いたいのだとしたら,
それ以外の主張とは混ぜないで,
「世界中の軍組織にはびこる慰安婦制度に対する遺憾」
として表明するべきものではないか。
そこの切り分けがないのが問題なのかな,と。
もちろん,軍に限ったことではないのだけど,とりあえずは。
たぶんこの部分の主張が(他の主張に比べ)一番理解がえやすいので,
ガンガン喋った時に,結構ここに立ち返って主張しているようにみえる。
(B)について,
橋下さんの主張は「強制していたならダメだ」ということ。
「自由意思で慰安婦となった人もいる。実際に良い暮らしを手に入れた」
という主張の裏返しなんだろうと思う。
でもそもそも「強制」云々は,
もともと政治的・外向的な文脈の中でのことであって,
「軍が」というのを主語にする「集団/全体」としての話で,
「慰安婦の人権」とか「慰安婦の人生観」とか,
そういう「個人」ものとは別物なんじゃないか。
それは赤紙がきたら形式上は「お国のために」と送り出しながら,
人目に触れぬ家の中では「戦争が無ければ」と涙を流していたような,
そういう話の類型であって,
必ずしも表面上の「証拠」が云々では語れないものだと思う。
「慰安婦自身の告白」のみが証拠である以上,
「あなたたちだって,お金が稼げると思ったからやったんでしょ?」
みたいなことを言うのは,どうなんよ?という感じ。
(C)が大問題。
橋下さんの主張をもう少し分解すると,
1.「戦場で兵士の感情がたかぶる」
2.「性的エネルギーもたかぶる」
3.「性的エネルギーの発散には性行為しかない」
4.「性的エネルギーの暴発は軍の規律や一般人に迷惑」
5.「軍の規律と一般人を守るために職業慰安婦が必要」
6.「(1-5のロジックは)誰だってわかる」
ということなんだと思う。
1-2については,戦場に行ったことが無いのでわからないけども,
そういうものかな,と想像はできる。
4は,現在も沖縄などで事実として問題になっている。
問題は,3と5で,それを受ける6。
橋下さんの考えの根底には,
「性的エネルギーは性行為でしか発散できない」
「発散させなければ暴発する」
という「男性観」がある。
ここで「軍人観」じゃなくて「男性観」というのは,
「誰だってわかる」と軍人経験のない橋下さんが言っているから。
つまりこの部分は,
「興奮した男の性的エネルギー(性欲?)は性行為で発散しないと暴発する」という,
もはや軍とは関係のない一般論なわけです。
でも,
すべての男が興奮したら性的エネルギーが昂ぶるわけでもないし,
すべての男が性的エネルギーは性欲でしか発散できないわけでもないし,
すべての男が性的エネルギーを発散しないと暴発するわけでもない。
従軍経験がないからわからないけど,
もちろん「すべての男」を「すべての兵士」に置換したってかまわない。
「自分の欲望の発露で他人を傷つけないようにしよう」ってのが社会を営む大前提だし,
そのための第一歩は「自制」だと思う。
それを,軍という特殊状況だから,という言い訳のもとに,
欲望を自制することを放棄している,欲望を自制しないことを容認している,というのも,
橋下さんの考えの根底にある気がする。
そして,自制できない欲望があって,それが社会に迷惑をかけるから,
(強制ではなく自分の意思を持つ)女性を活用することで解決しよう,
ということだろう。
つまり橋下さんのこの発言の問題点は,
・「男性は性欲を性行為で発散しないと暴発する」という男性一般に対する愚弄
・「従軍中の性欲は自制できないもので仕方がない」という軍人に対する愚弄
・「社会のために女性の肉体を活用する」という女性一般に対する愚弄
あたりにあるんじゃないか。
女性が性風俗業に従事することに関しては,
ボク自身,これといった意見が固まってないので,ここではこれ以上踏み込まない。
とにかく,こうやって考えると,
(D)でいうところの「建前だ」というのは,
「軍で興奮して高まった性欲を自制できず暴発し事件化している事例が山ほどあるのは,
軍人が性欲を自制できないことを認めず風俗禁止とか言ってるせいだ。」
ということと解釈できる。
そうすると一連の橋下発言の何よりの問題点は,
【政治家が「(男性は)性欲を自制できないものだ」という認識を持っていること】
なんじゃないだろうか。
ここで大事なのは,
「自制できていない」という現状認識と,
「自制できない」という能力の問題の違いで,
橋下さんの言い分だと,
「努力しても自制できっこない。だって実際,自制できてないじゃないか」
ということになる。
「自制できない」という理性の限界があって,
もうそれはどうにも改善しないから,
「自制できない」ベースで制度設計しましょうね,というのが橋下論。
でも,たぶん世界の一般論としては,
「なんとかして自制しましょう」
「欲望を理性で自制できないことは恥ずべき事だ」
「理性を持ち社会を営むのが人間の尊厳」
ということだと思う。
この部分って,
本当に社会観の根底の部分で,
あまりに根底の部分過ぎて,
だから,まさかそんなことが論点だなんて,って感じ。
不勉強で適当な感じになってしまった。
とにかく,
こういう部分って,
近代社会学・哲学を担ってきた欧州には,
文化的に染みついてるものだと思うから,
明日の外国人特派員会見でそういう人達から踏み込んだことを突っ込まれて,
はたしてどうなるのか,って感じですね。
Tweet
(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2994.html)
(http://synodos.jp/politics/3894/2)
以下は抜粋。
=======
A) 当時の歴史をちょっと調べてみたらね、
日本国軍だけじゃなくて、いろんな軍で慰安婦制度っていうものを活用していた訳なんですよ。
B) ただ慰安婦制度についてね、
意に反して慰安婦になった方に対しては、
やっぱり僕は配慮しなければいけないと思いますけれどもね。
C) 銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命かけて、あの、そこを走っていく時にね、
そりゃそんなあのー、武者集団と言いますか、精神的にも高ぶっているようなそういう集団は
やっぱりどこかでね、そのーー、あのーーーーーー、
まあ、休息じゃないけれども、そういう事をさせてあげようと思ったら
慰安婦制度というのが必要だという事は、これは誰だってわかるわけです。
D) 慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。法律の範囲内で認められている中でね、いわゆるそういう性的なエネルギーを、ある意味合法的に解消できる場所ってのが日本にはあるわけですから。もっと真正面からそういうところ活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者のね、性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですかと。
=======
橋下さんの発言を抜粋した上で,
論点は,
A) 従軍慰安婦は歴史的事実として各国が”活用”していたのに日本だけ批難されるのはおかしい。
B) 慰安婦について「強制」であったなら配慮が必要だ。
C) 兵士のために慰安婦精度が必要だということは「誰だって」わかる。
D) 兵士の性的エネルギーは,慰安婦の代替として風俗業を活用すれば,コントロールできる。
でしょうか。
(A)について,
「日本だけが批難されるのはおかしい」という意見は理解できる。
それはその通りかもしれない。
でも,それを言いたいのだとしたら,
それ以外の主張とは混ぜないで,
「世界中の軍組織にはびこる慰安婦制度に対する遺憾」
として表明するべきものではないか。
そこの切り分けがないのが問題なのかな,と。
もちろん,軍に限ったことではないのだけど,とりあえずは。
たぶんこの部分の主張が(他の主張に比べ)一番理解がえやすいので,
ガンガン喋った時に,結構ここに立ち返って主張しているようにみえる。
(B)について,
橋下さんの主張は「強制していたならダメだ」ということ。
「自由意思で慰安婦となった人もいる。実際に良い暮らしを手に入れた」
という主張の裏返しなんだろうと思う。
でもそもそも「強制」云々は,
もともと政治的・外向的な文脈の中でのことであって,
「軍が」というのを主語にする「集団/全体」としての話で,
「慰安婦の人権」とか「慰安婦の人生観」とか,
そういう「個人」ものとは別物なんじゃないか。
それは赤紙がきたら形式上は「お国のために」と送り出しながら,
人目に触れぬ家の中では「戦争が無ければ」と涙を流していたような,
そういう話の類型であって,
必ずしも表面上の「証拠」が云々では語れないものだと思う。
「慰安婦自身の告白」のみが証拠である以上,
「あなたたちだって,お金が稼げると思ったからやったんでしょ?」
みたいなことを言うのは,どうなんよ?という感じ。
(C)が大問題。
橋下さんの主張をもう少し分解すると,
1.「戦場で兵士の感情がたかぶる」
2.「性的エネルギーもたかぶる」
3.「性的エネルギーの発散には性行為しかない」
4.「性的エネルギーの暴発は軍の規律や一般人に迷惑」
5.「軍の規律と一般人を守るために職業慰安婦が必要」
6.「(1-5のロジックは)誰だってわかる」
ということなんだと思う。
1-2については,戦場に行ったことが無いのでわからないけども,
そういうものかな,と想像はできる。
4は,現在も沖縄などで事実として問題になっている。
問題は,3と5で,それを受ける6。
橋下さんの考えの根底には,
「性的エネルギーは性行為でしか発散できない」
「発散させなければ暴発する」
という「男性観」がある。
ここで「軍人観」じゃなくて「男性観」というのは,
「誰だってわかる」と軍人経験のない橋下さんが言っているから。
つまりこの部分は,
「興奮した男の性的エネルギー(性欲?)は性行為で発散しないと暴発する」という,
もはや軍とは関係のない一般論なわけです。
でも,
すべての男が興奮したら性的エネルギーが昂ぶるわけでもないし,
すべての男が性的エネルギーは性欲でしか発散できないわけでもないし,
すべての男が性的エネルギーを発散しないと暴発するわけでもない。
従軍経験がないからわからないけど,
もちろん「すべての男」を「すべての兵士」に置換したってかまわない。
「自分の欲望の発露で他人を傷つけないようにしよう」ってのが社会を営む大前提だし,
そのための第一歩は「自制」だと思う。
それを,軍という特殊状況だから,という言い訳のもとに,
欲望を自制することを放棄している,欲望を自制しないことを容認している,というのも,
橋下さんの考えの根底にある気がする。
そして,自制できない欲望があって,それが社会に迷惑をかけるから,
(強制ではなく自分の意思を持つ)女性を活用することで解決しよう,
ということだろう。
つまり橋下さんのこの発言の問題点は,
・「男性は性欲を性行為で発散しないと暴発する」という男性一般に対する愚弄
・「従軍中の性欲は自制できないもので仕方がない」という軍人に対する愚弄
・「社会のために女性の肉体を活用する」という女性一般に対する愚弄
あたりにあるんじゃないか。
女性が性風俗業に従事することに関しては,
ボク自身,これといった意見が固まってないので,ここではこれ以上踏み込まない。
とにかく,こうやって考えると,
(D)でいうところの「建前だ」というのは,
「軍で興奮して高まった性欲を自制できず暴発し事件化している事例が山ほどあるのは,
軍人が性欲を自制できないことを認めず風俗禁止とか言ってるせいだ。」
ということと解釈できる。
そうすると一連の橋下発言の何よりの問題点は,
【政治家が「(男性は)性欲を自制できないものだ」という認識を持っていること】
なんじゃないだろうか。
ここで大事なのは,
「自制できていない」という現状認識と,
「自制できない」という能力の問題の違いで,
橋下さんの言い分だと,
「努力しても自制できっこない。だって実際,自制できてないじゃないか」
ということになる。
「自制できない」という理性の限界があって,
もうそれはどうにも改善しないから,
「自制できない」ベースで制度設計しましょうね,というのが橋下論。
でも,たぶん世界の一般論としては,
「なんとかして自制しましょう」
「欲望を理性で自制できないことは恥ずべき事だ」
「理性を持ち社会を営むのが人間の尊厳」
ということだと思う。
この部分って,
本当に社会観の根底の部分で,
あまりに根底の部分過ぎて,
だから,まさかそんなことが論点だなんて,って感じ。
不勉強で適当な感じになってしまった。
とにかく,
こういう部分って,
近代社会学・哲学を担ってきた欧州には,
文化的に染みついてるものだと思うから,
明日の外国人特派員会見でそういう人達から踏み込んだことを突っ込まれて,
はたしてどうなるのか,って感じですね。
自分の信条として,
これは絶対にやりたくない,ってことがある。
そんなやりたくないことを強要されるような,
そういう環境に身を置くのは良くない。
別の動機で乗り越えられるかもしれないけども,
その動機が枯渇した時には大変なことになる。
仕事の選択では,特にそれが大事だ。
今のこの国で生きていくためにお金が必要で,
お金を得るためにすることを仕事とするなら,
仕事には自分の生命がかかっている。
そんな生命がかかっていることをするという自分の生活環境が,
自分の信条に反するものであるってのは,
つまりは自分の生存条件と生存理由が相反しているようなもので,
あやうい。
はとくん(http://haliotis-hato.blogspot.jp/)は,
その危険性に身が引き裂かれそうになっていたけど,
(子供の誕生をきっかけに?)
自分の中で大事なものを大事にするために,慣れてきた環境を飛び出した。
このジャンプはすごく勇気のいるもので,
その決断を下したこと自体に敬意を抱くわけです。
ジャンプの着地点に自分の生存条件がかかっていて,
にもかかわらず着地点がほとんど見えない状況で,
それでもジャンプしたってのは,
1つは根底の部分で「どこでも生きていける」っていう自信があって,
もう1つは「やりたくないことはやりたくない」っていう信条があって,
そういうことなんだろう(どういうことなんだ?)
翻ってボク自身には,
「どこでも生きていける」ってほどの自信がないわけで。
「やりたくないことはやりたくない」っていう信条はあるんだけど,
それが「でも生きていくためには」に勝てなくて,
こうして研究を続けている理由にもなってしまっていて,
なんだか良くないなぁ,と思い続けていて,
やっぱりそういう態度ってのがアウトプットにも反映されていて,
それを看破されてしまうとギクリとしてしまって,
フラフラになってしまう。
「科学研究なんてものは,もっと規模を縮小すべきだ」
っていうことに気付いたのが,
ボクが科学研究をして到達した1つの信条で,
もうそこに到達した以上は,
科学研究のステージから降りるべきなんだ。
「中の声で改革」なんてことも一時期は考えたけど,
その間,口に糊する手段が科学研究ってのも,やっぱりおかしい。
ジャンプする勇気。
Tweet
これは絶対にやりたくない,ってことがある。
そんなやりたくないことを強要されるような,
そういう環境に身を置くのは良くない。
別の動機で乗り越えられるかもしれないけども,
その動機が枯渇した時には大変なことになる。
仕事の選択では,特にそれが大事だ。
今のこの国で生きていくためにお金が必要で,
お金を得るためにすることを仕事とするなら,
仕事には自分の生命がかかっている。
そんな生命がかかっていることをするという自分の生活環境が,
自分の信条に反するものであるってのは,
つまりは自分の生存条件と生存理由が相反しているようなもので,
あやうい。
はとくん(http://haliotis-hato.blogspot.jp/)は,
その危険性に身が引き裂かれそうになっていたけど,
(子供の誕生をきっかけに?)
自分の中で大事なものを大事にするために,慣れてきた環境を飛び出した。
このジャンプはすごく勇気のいるもので,
その決断を下したこと自体に敬意を抱くわけです。
ジャンプの着地点に自分の生存条件がかかっていて,
にもかかわらず着地点がほとんど見えない状況で,
それでもジャンプしたってのは,
1つは根底の部分で「どこでも生きていける」っていう自信があって,
もう1つは「やりたくないことはやりたくない」っていう信条があって,
そういうことなんだろう(どういうことなんだ?)
翻ってボク自身には,
「どこでも生きていける」ってほどの自信がないわけで。
「やりたくないことはやりたくない」っていう信条はあるんだけど,
それが「でも生きていくためには」に勝てなくて,
こうして研究を続けている理由にもなってしまっていて,
なんだか良くないなぁ,と思い続けていて,
やっぱりそういう態度ってのがアウトプットにも反映されていて,
それを看破されてしまうとギクリとしてしまって,
フラフラになってしまう。
「科学研究なんてものは,もっと規模を縮小すべきだ」
っていうことに気付いたのが,
ボクが科学研究をして到達した1つの信条で,
もうそこに到達した以上は,
科学研究のステージから降りるべきなんだ。
「中の声で改革」なんてことも一時期は考えたけど,
その間,口に糊する手段が科学研究ってのも,やっぱりおかしい。
ジャンプする勇気。