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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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民主党初(発)の予算案がでまして、
特別会計と国債に依存した大型予算でした
これらは「現在の貯金の切り崩し」と「未来への借金」なので、
はっきり言ってジョーカーなわけで、
初回からジョーカー切って勝てるゲームなんてないだろう、って感じで、
先行きが不安です
(別に民主党を攻撃したいわけではありません、あしからず)
さらにその使い道が、
子育て支援や経済テコ入れということで、
残念が二倍です
(以下、政治とは無縁の話です)


「少子化対策」と言いますが、
本当にそんなことが可能だと思ってるんでしょうか
少子化は「問題」などではなく、
単に「現状」でしかないのですよ

「長生きできる社会にしよう」
「一人一人が生き甲斐を見つけよう」
「男女の性差によらず自由に社会活動できるようにしよう」
そのすべてが少子化(高齢化)を促しているわけです
だから少子化は、
豊かな社会を考えて発展を遂げたこの国がついに辿り着いた、
まさに理想の状態と言えるわけです
そしてえてして、
理想郷にはそれまで見えなかった現実が待っているものなのです
ただそれだけのことです

天皇陛下即位20年式典で、
皇后陛下が下のようにおっしゃられたそうです
『高齢化が常に「問題」としてのみ取り扱われることは少し残念に思います。』
『90歳、100歳と生きていらした方々を皆して寿(ことほ)ぐ気持ちも失いたくないと思います。』
本当にその通りです
高齢化(これは相対的に少子化を意味する)は本質的には問題ではないのです

最近流行りの「自分らしさ」とやらを求める人達においては、
「性差という逃れられない特徴こそが自分らしさを損なう最も根源的な問題である」
という風に考えられているように思われます
しかし、
「自分らしさ」とやらを追求していけば、
人類における男女という絶対的な性差こそが、
まさに「自分らしさ」を第一義に規定する特徴である現実に直面すると思うのです
それを問題視して逃れようとする人は、
決して本当の「自分らしさ」を獲得することができません
だって、
性差を自分の特徴として組み込まないと、
「自分らしさを損なう魔物としての性差」
にいつまでも付き纏われるんですから

出産や育児などは、
そのまま単語(言葉)で表しているうちは、
確かにどこの家庭でも行われている平凡な行為かもしれません
でもその実際は、
それぞれの人間にそれぞれの人生があるのだから、
決して平凡で画一的なものではなく、
まさに個人差、つまりは自分らしさの表現の最たるものだと思うわけです
ボクは、
会社での仕事なんかの方が、
むしろ誰にでも代替可能な、
自分らしさを消却しうる魔物に思えます


経済成長についても何か誤解が蔓延しているような気がします

経済は無限に成長するわけではありません
貨幣は「何かと代替しうるもの」という性質を帯びているのだから、
実際には流通するモノ(サービス)量に整合した適正規模というのがあります
今の日本は、
モノもサービスもほとんど十分に行き渡っていて、
もはや経済成長の余地はほとんどありません
もちろん一部の金持ちは過剰なモノとサービスを買い、
一部の貧しい人は生存に必要なモノやサービスを買えていません
それでも、
たとえば日本のおよそ8割の人々は、
生きていくことに不自由することのない環境をすでに手にしています

こういう状況では経済規模は拡大しません
新しいモノを開発しなくても暮らしていくことは十分可能だし、
今あるものは長持ちするので早々に買い換える必要もない
だからモノが売れず経済が大きくならない
でも、
上でも述べましたが、
これが戦後われわれが目指してきた社会を実現した理想の姿なのです

われわれは「経済が成長を続けている社会」で60年暮らしてきました
でも今は違います
それでも今の政策や提言のほとんどが、
「いかに経済を成長させ続けるか」
に焦点をあてていますが、
そんなことは到底不可能なのであって、
(だって人口は増えないしモノは十分にあるんだもん)
このお題目を掲げる以上は、
どんな方針をとろうとも納得できる回答にたどり着けません
「経済対策に予算」などは愚の骨頂です
もう「おらがうちにもテレビがきた」という昭和時代ではないのです
過去の栄光にすがり、
同じレジームの中で、
「おらがうちにも地デジがきた」をやろうとしたって、
そんなことで経済成長が達成されるわけはないんです

「0を1にする社会」と「1を0にしない社会」は、
根本から異なるものなのです
今考えるべきは、
「経済がもう成長しない定常状態でいかに生きていくか」
なのです

食料でも家電でも「手持ちのモノの消耗分の補充品」しか購入しない、
(実際に現在そうなりつつある)社会において、
どうやって人々は収入を得て、
どうやって子供を育てて、
どうやって会社は生き延びて、
そういうことを考えなければならないんでしょう

「じゃあお前に妙案があるのか」
と言われると、
何も無いんです
「だってサラリーマンとかやったことないし・・・」
という状態ですが、
そんなボクでも言えることは、
今できる経済対策は「定常状態経済社会での社会のあり方を議論する」ことじゃないですか、
ということです



あぁ、
本当は、
「100円ショップ利用者批判をしておいて自分自身はヘビーなユニクラー」
という現状への戒めを、
今日のテーマにしようと思っていたのに、
ちっともそんな展開になりませんでした
ダメだこりゃ

そこから発展して、
「今の状態で上手に日本経済を回すには、
目の前の海外生産の廉価品から足を洗い、
多少高くても純国産製品にシフトしていくことで、
国内経済は良化するのではないか」
という提案をしようと思っていたのでした



ということで、
本日はこれにて閉店



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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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