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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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昨日の「人格と意見は対立する」話に対して,
ツンデレ芸人の銭本さんがやや斜めな方向に反応したので,
さらに斜めの方向に話を進めてみよう。

ボクにとって【部活】ってのは,かなり大きなテーマで,
扱いが難しいというか,軽々に議論の俎上に上げたくないものなわけです。
それはたぶん,
ボク自身の体験として,非常に大きな部分を占めていて,
客観性・一般性を保ちきれない不安があるからなんだろう。
もっと突っ込んで言えば,
ボクの中には,いまだに,「部活」に関わりたいという欲求が大きくて,
その思いが爆発してしまうのが怖いということでもある。
まぁそれは今日は置いておこう。


色々と話が発散しがちなので,
とりあえずココでの部活は運動部ということにしよう。

運動競技というのは,
一定のルールの下で勝敗を競うもので,
だから選手(や監督やマネージャー)は,
そのルールの範囲で行動する人という,
まさに「ロールプレイヤー」だと言える。

競技の「ロールプレイ性」については,
これまでに「野蛮と茶番」というキーワードで語ってきているうちの,
「茶番」に該当するのだと再認識した次第で,
これまでの文章もぜひ読んでもらって次も読んでもらおう。
茶番と野蛮
茶番と野蛮 2012夏
代表戦は代理戦争か

よく「部活は単純な勝負論の世界ではなく教育の場だ」と言われます。
ごく最近で言えば済美高校のエース安楽くんの「投げすぎ」論とか,
部活指導における「体罰」の是非とか,
定期的に問題視されるのに,
それでもいっこうに解決される方向に向かわないのは,
個別の事象を超えた次元で,
「部活」ってものを語ってこなかったせいだと思うわけです。

ボクの「部活を通じた教育」に対する意見は明確です。

競技はロールプレイです。
だから部活で大事なことはロールプレイに徹することです。
指導者も競技者も「競技力の向上」のみに注力します。
そのために,
自分の感情とか,肉体の限界とか,競技技術とか,
そういうものを把握して,抑制して,改善して,
「競技力」を最大化する方向に向けて努力します。
それは日々の練習でも,特別な試合でも,同じ事です。
また団体競技であっても本質はかわりません。
ここで大事なことは,
「競技力」というのは競技のルールの下でのみ成立する能力であって,
本質的に「非普遍的」で「他のことには役に立たない力」です。
それでも「競技力の向上」のために考えた頭や,動いた体は,
ロールプレイをしていても,していなくても,自分の頭であり体であるので,
たとえロールプレイに徹していたとしても,
「意図せず」個々人の生身に「普遍的な能力」が開発されていきます。
それが「部活を通じた教育」の意味だと考えます。
だから,
部活の中で競技とは無関係な「教育」を行う必要はありません。

この考えに基づいて,
たとえば安楽くんの「投げすぎ」について解釈しよう。
監督は済美野球部の監督で,
安楽は済美野球部の投手で,
野球部の目的は「野球競技」での「競技力の向上」,
野球部は「勝利」を目的とするロールプレイ集団なわけです。
だから,
監督は「野球部の勝利のために」安楽に投げさせるし,
安楽も「野球部の勝利のために」自分が投げることを選びます。
「監督は安楽の体のことを考えていない」と言っても,
それはロールプレイの範囲外の話で,
「野球部の監督」として勘案すべき案件では無い。
だから,
また同じような場面があったとしても,
監督は連投させ,エースは連投を望むと思う。
それが「競技のルールの下でチームの競技力を最大化」するための最良の策なので,
当然の帰結なのです。
でも,
安楽くんの体は,高校野球というロールプレイゲームを離れても,
安楽くんの体であり続けます。
競技で壊れた体は,競技を離れても治りません。
じゃあどうすべきなのか。
出口は一つしかありません。
「ルールを変える」ことです。
ルール上で「球数制限」があれば,
その範囲内でチームの競技力を向上させる方向に努力します。
「選手を多数集められる私立校が有利」とかいうのは,
あくまで「競技力の出発地点」の問題であって,
高校三年間での「競技力の向上」とは基本的に無関係です。

長くなってきたので,体罰にからめた話は割愛。

で。

院生になって周りを見渡すと,
学部時代にちゃんと授業に出ていた連中よりも,
授業に出ずにガチ系部活に出ていた連中の方が,
研究が進んでいることが,ままある。(自慢みたいですけど)
イタイくんとか,トーナイさんとか。

それについて「何かに打ち込む力が強い」みたいな言い方をされるけど,
まぁそれはそうなんだろうけど,
じゃあそれは「大学の授業では開発できないのか」って疑問で,
逆に言うと,
部活と授業の違いってなんなんだろうってことで,
そのヒントが「ロールプレイ性」に隠されているんじゃないのかな,と。

学生競技っていう,年限が決まっていて,指導者もロクにいない中で,
いかに競技力を向上させるか,ってことに向き合って暮らすことが,
情報収集・立案・実行・解析・フィードバックという,
まさに研究と同じ作業を,
違う競技のロールプレイとして体験することになっていたわけだ。
そういう意味で,
部活をやっていた連中は「研究の経験者」で,
授業を聞いていた連中は「研究の初心者」なわけだ。

って考えれば,
大学の授業でやるべきことは,
ロールプレイ上,研究と同じ作業をするような「競技」であって,
もちろんいきなり「研究」をさせても良いけども,
「ディベート」とか「演劇」とか,そういうものであって,
「講義と聴講」ではないと確信するわけです。


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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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