自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
長嶋茂雄は本当に長嶋茂雄だったのか
われわれの知る長嶋茂雄は真の長嶋茂雄だったのか
長嶋茂雄であろうとするうちに、
自分でも気づかぬ間に、
長嶋茂雄になっていったのだろうか
われわれにはわからない
いずれにせよ、
長嶋茂雄であり続けるということは、
並大抵のことではない
たとえそれが、
もはや無意識の振る舞いであったとしても
笑っていいともは、森田一義アワーだ
タモリとは、
森田一義の演じる一人格であり、
それは例えるなら、
劇団ひとりにおける春樹のようなものなのだろう
ただし、
劇団ひとりのそれと違い、
森田一義は、
われわれの前に姿をあらわす時、
常にタモリであり続ける
赤塚不二夫の葬儀において、
白紙の弔辞を読んだが、
その結びでは、
しっかりと森田一義と名乗った
あの弔辞を読んだのは、
タモリではなく、
森田一義だったのだ
そして白紙の弔辞は、
われわれがはじめて目撃した、
タモリではない、
森田一義の芸だったのだろう
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われわれの知る長嶋茂雄は真の長嶋茂雄だったのか
長嶋茂雄であろうとするうちに、
自分でも気づかぬ間に、
長嶋茂雄になっていったのだろうか
われわれにはわからない
いずれにせよ、
長嶋茂雄であり続けるということは、
並大抵のことではない
たとえそれが、
もはや無意識の振る舞いであったとしても
笑っていいともは、森田一義アワーだ
タモリとは、
森田一義の演じる一人格であり、
それは例えるなら、
劇団ひとりにおける春樹のようなものなのだろう
ただし、
劇団ひとりのそれと違い、
森田一義は、
われわれの前に姿をあらわす時、
常にタモリであり続ける
赤塚不二夫の葬儀において、
白紙の弔辞を読んだが、
その結びでは、
しっかりと森田一義と名乗った
あの弔辞を読んだのは、
タモリではなく、
森田一義だったのだ
そして白紙の弔辞は、
われわれがはじめて目撃した、
タモリではない、
森田一義の芸だったのだろう
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