自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
家庭でも職場でもない居場所を「サードプレイス」と呼ぶとして,それってのが大事だよなぁと思っている。
家庭と職場(学校)以外の居場所が見つからないせいで「追い込まれる」って事態は少なくないと思う。衣食住が家庭に限られていると,家庭からは逃れられない。収入が職場に限られていると,職場からは逃れられない。勉強が学校に限られていると,学校からは逃れられない。学校での「イジメ」が悲劇的な結末に至るのも,退職したオジサンが急に老け込むのも,まぁその他にも色々とあるだろうけども,この「逃げられない」「でも他に居場所がない」という状況が背景に潜んでいる。また,家庭と職場という集団においては「楽しい」が第一の存在目的ではない。そこに楽しさを見出すことはできるが,それはあくまで副次的なものであり,「楽しい」だけを理由に存在し続けることは難しい。
これを逆さまに捉えれば,サードプレイスの意義が浮かび上がる。家庭ではない衣食住の場,職場じゃない収入の場,学校じゃない学びの場,単に「楽しい」ことがある場。1つのサードプレイスですべてをまかなう必要はなくて,それぞれに特徴をもった多様なサードプレイスがあればいい。
たとえばメレ山メレ子氏による「昆虫大学」というイベントがある。虫好きが集まって,虫グッズを売買したり,虫について語り合ったりする,そういうイベントらしい。数百人規模の集会で,参加者の高い満足度がネットで散見される。「虫はキモイ」という世間の一般的価値観があって,その「呪い」のせいで「虫好き」の人々は家庭や職場で息を潜めて生きている。しかし昆虫大学は「虫好き」が集まる場で,そこには「虫はキモイ」という「呪い」の声は届かない。「自分の好きなモノを大声で好きと言える場」であり,「自分の好きなモノを好きと言ってくれる人がいる場」だ。これはまさにサードプレイスだなぁと思って見ている。
こういう「娯楽系サードプレイス」は,その日その時に楽しさの頂点があるが,その頂点の前後におこる「昂ぶる気持ち」や「鎮まらない興奮」とともに生きていくことで,呪いが蔓延する家庭や職場において息を潜めてでも生きていく活力がえられる(のだろう)。もちろんカミングアウトしてしまっても良いわけだが。たとえば敬愛する某先輩は,アイドルを追っかけていることを職場で3年ほど隠していたそうだが,カミングアウトしてからは堂々と「明日は現場です!」と言ったり,デスク周りにグッズを並べたり出来ているそうで,そうすると職場での居心地も改善する。まぁカミングアウト出来るぐらい良好な職場環境ならそもそも大きな問題はないわけだが。
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昆虫大学に触発されて「誰かにとってのサードプレイスを作る」ということへの意欲(?)があらためて高まっている。内田樹の道場兼私塾だったり,平川克美の喫茶店だったり,そういうモノからの影響もある。原体験としては「ボックス」(部活で使う部室代わりの溜まり場)なのだろう。とにかく「誰かが楽しそうにしている」「誰かが助かる」というのは,自分にとって非常に大きな喜びなので,そういう場を作りたい。
どういうものが自分が作るサードプレイスの「幹」になるのかと考えると,やっぱり「教育」だよなぁと。学校とか学習塾とかそういう直球の「教育」じゃなくて,もっと緩い「教育」。あえて言えば「学びの場」みたいな。
ソクラテスじゃないけども,対話とか問答ってのが「学び」ではすごく重要。重要なんだけど,それを学校や職場でやるとなると,人間関係的なモノが介在するせいで,非常にやりにくい。喋れる「場」が用意されれば,喋りたい人・聞きたい人が自然と集まってくるんじゃないかと。現在の日本だとそれは「飲み屋」が担っていると思う。ただ「飲み屋」は,酒・夜という性質があるので,「語りたいけど飲み屋には出入り出来ない」という人には利用価値が無い。あと普通に暮らしていると年齢層で輪切りにされた中でしか暮らさないので,できれば色んな年齢層の人が交わる場が望ましい。
自分に金があればという前提で言えば,アパートを建てたいなと。1階を世間に開放した大広間にして,近所の人が勝手に出入りするような場にする。日中は乳幼児連れとか老人とかが集まったり大学生がゴロゴロしてたり。そこには大きな本棚を用意して,皆のオススメ本を置いておく。スクリーンを用意しておいて,映画鑑賞会とかスポーツ観戦とか,あるいはシンポジウムとか。トイレと簡単な炊事場があれば良いかな。それで2階以上には学生が住む。近所の仕事とうまくパッケージ化して,簡単な仕事を負うかわりに家賃を取らないとか,そんな仕組みで。家賃が理由で学校に行けない(家から出られない)という人の助けになれば,と。
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自分が身を置くサードプレイスを見つける,ということも進めて行きたい。家庭も仕事も,そろそろ10年目が見えてきていて,それなりに慣れてきて,だからこそ単調になりつつある。職場と家庭以外で言えば,今の趣味はサッカーだけれども,プレイするのは職場のチームだし,観戦するのは自宅テレビなので,サードプレイスにはなっていない。飲みに行くのも職場の人間ばかりだ。もうちょっと踏み出して,何かに手を出して,そこで交流したいなと。どうしたものか。
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家庭と職場(学校)以外の居場所が見つからないせいで「追い込まれる」って事態は少なくないと思う。衣食住が家庭に限られていると,家庭からは逃れられない。収入が職場に限られていると,職場からは逃れられない。勉強が学校に限られていると,学校からは逃れられない。学校での「イジメ」が悲劇的な結末に至るのも,退職したオジサンが急に老け込むのも,まぁその他にも色々とあるだろうけども,この「逃げられない」「でも他に居場所がない」という状況が背景に潜んでいる。また,家庭と職場という集団においては「楽しい」が第一の存在目的ではない。そこに楽しさを見出すことはできるが,それはあくまで副次的なものであり,「楽しい」だけを理由に存在し続けることは難しい。
これを逆さまに捉えれば,サードプレイスの意義が浮かび上がる。家庭ではない衣食住の場,職場じゃない収入の場,学校じゃない学びの場,単に「楽しい」ことがある場。1つのサードプレイスですべてをまかなう必要はなくて,それぞれに特徴をもった多様なサードプレイスがあればいい。
たとえばメレ山メレ子氏による「昆虫大学」というイベントがある。虫好きが集まって,虫グッズを売買したり,虫について語り合ったりする,そういうイベントらしい。数百人規模の集会で,参加者の高い満足度がネットで散見される。「虫はキモイ」という世間の一般的価値観があって,その「呪い」のせいで「虫好き」の人々は家庭や職場で息を潜めて生きている。しかし昆虫大学は「虫好き」が集まる場で,そこには「虫はキモイ」という「呪い」の声は届かない。「自分の好きなモノを大声で好きと言える場」であり,「自分の好きなモノを好きと言ってくれる人がいる場」だ。これはまさにサードプレイスだなぁと思って見ている。
こういう「娯楽系サードプレイス」は,その日その時に楽しさの頂点があるが,その頂点の前後におこる「昂ぶる気持ち」や「鎮まらない興奮」とともに生きていくことで,呪いが蔓延する家庭や職場において息を潜めてでも生きていく活力がえられる(のだろう)。もちろんカミングアウトしてしまっても良いわけだが。たとえば敬愛する某先輩は,アイドルを追っかけていることを職場で3年ほど隠していたそうだが,カミングアウトしてからは堂々と「明日は現場です!」と言ったり,デスク周りにグッズを並べたり出来ているそうで,そうすると職場での居心地も改善する。まぁカミングアウト出来るぐらい良好な職場環境ならそもそも大きな問題はないわけだが。
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昆虫大学に触発されて「誰かにとってのサードプレイスを作る」ということへの意欲(?)があらためて高まっている。内田樹の道場兼私塾だったり,平川克美の喫茶店だったり,そういうモノからの影響もある。原体験としては「ボックス」(部活で使う部室代わりの溜まり場)なのだろう。とにかく「誰かが楽しそうにしている」「誰かが助かる」というのは,自分にとって非常に大きな喜びなので,そういう場を作りたい。
どういうものが自分が作るサードプレイスの「幹」になるのかと考えると,やっぱり「教育」だよなぁと。学校とか学習塾とかそういう直球の「教育」じゃなくて,もっと緩い「教育」。あえて言えば「学びの場」みたいな。
ソクラテスじゃないけども,対話とか問答ってのが「学び」ではすごく重要。重要なんだけど,それを学校や職場でやるとなると,人間関係的なモノが介在するせいで,非常にやりにくい。喋れる「場」が用意されれば,喋りたい人・聞きたい人が自然と集まってくるんじゃないかと。現在の日本だとそれは「飲み屋」が担っていると思う。ただ「飲み屋」は,酒・夜という性質があるので,「語りたいけど飲み屋には出入り出来ない」という人には利用価値が無い。あと普通に暮らしていると年齢層で輪切りにされた中でしか暮らさないので,できれば色んな年齢層の人が交わる場が望ましい。
自分に金があればという前提で言えば,アパートを建てたいなと。1階を世間に開放した大広間にして,近所の人が勝手に出入りするような場にする。日中は乳幼児連れとか老人とかが集まったり大学生がゴロゴロしてたり。そこには大きな本棚を用意して,皆のオススメ本を置いておく。スクリーンを用意しておいて,映画鑑賞会とかスポーツ観戦とか,あるいはシンポジウムとか。トイレと簡単な炊事場があれば良いかな。それで2階以上には学生が住む。近所の仕事とうまくパッケージ化して,簡単な仕事を負うかわりに家賃を取らないとか,そんな仕組みで。家賃が理由で学校に行けない(家から出られない)という人の助けになれば,と。
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自分が身を置くサードプレイスを見つける,ということも進めて行きたい。家庭も仕事も,そろそろ10年目が見えてきていて,それなりに慣れてきて,だからこそ単調になりつつある。職場と家庭以外で言えば,今の趣味はサッカーだけれども,プレイするのは職場のチームだし,観戦するのは自宅テレビなので,サードプレイスにはなっていない。飲みに行くのも職場の人間ばかりだ。もうちょっと踏み出して,何かに手を出して,そこで交流したいなと。どうしたものか。
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