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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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イタイ君の昔話がおもしろいので、
触発されてこちらも昔話を書き始めようと思う
ボクは彼ほどの努力家・勉強家ではないので、
非常に残念な仕上がりになることが期待されるが、
まぁがんばって書いてみよう



大学進学については、
・とりあえず大学に行くことは決まり
・大学は国公立しかダメ(お金ないし)
という家庭の方針で育った

ボクが生まれ育った地域は、
いわゆる富裕層の多いところで、
小学受験・中学受験が非常に盛んであった
一方で我が父は普通のサラリーマンであり、
「お受験」なんてものとは無縁で、
小中高と地元の公立校に進学していた

宝塚市の高校は、市内の高校合格者を校区で割り振るシステム(総合選抜?)で、
兄は比較的進学に力を入れている高校(通称・西高)になったのだが、
姉とボクは残念な方の高校(通称・県宝)になった
県宝では大学進学もままならないと危機感を抱いた母と兄のススメにより、
ボクは高校進学前の春休みから大阪の河合塾に通い始めることになった
(実際、県宝は、勉強に関してはひどいところだった)

高校時代、学校の勉強は適当に流して、
柔道の黒帯取得と、取得後はバイトに明け暮れる毎日だった
高校二年からは全8クラスのうち1クラスしかない理系クラスになり、
男まみれのアホばかりという楽しい毎日を過ごした

高校三年になってバイトをやめ、いよいよ受験勉強に精を出し始めた
(といっても家で勉強することはなく単に河合塾での授業数を増やしただけだった)
この当時はさほど成績も良くなく、
たしか姫工(姫路工業大)でもA判定が出ないような状態だった気がする

この時、
父が東京、兄が京都、姉が愛知、と、
見事に散り散りになっていて、
念願の一人暮らしを達成できる七大学は、
北海道・東北・九州の三校しかなかった
(なぜ七大学にこだわったかは思い出せない)

河合塾で尊敬する化学の大西先生に相談に行ったところ、
「大学の雰囲気は行かなきゃわからない」
と言われ、
とりあえずこの三大学を見学して回ることを決意した
(大西先生の「行かなきゃ」は「入学しなきゃ」の意だったと思うが、
 当時は「見学にいってみろ」の意だと感じたのだった。アホだ)

まず手始めに、
4月19日月曜日(だったと思う)に学校を休んで、
日帰りで札幌に行った
はじめての飛行機で、はじめての北海道で、はじめての大学探訪で、
そんな状況で冷静な判断ができるわけない
できるわけないのだが、
だだっぴろいキャンパスと活気ある構内、さらに積雪に興奮して、
「ボクが行くべきは北大だ!」
と、
浮き足だった状態で無根拠に確信したのだった

この無根拠な確信をもって、
ついには「東北と九大はどうでもいい」と考えるようになり、
あとは北大の中でどの学部を選ぶかの問題になった
当時、北大の前期試験は薬学部・農学部・理学部の同時併願が可能であったので、
とりあえず薬学部を第一希望にして受験することにした
ただ、英語と数学が苦手であったので、
これらの比重が大きい前期試験はおそらく無理だろうという予感があり、
実際は化学と生物だけで入れる理学部の後期試験を本命にすえていた

大雪で開始時間の遅れた前期試験(会場理学部)は、
英語と数学の前に為す術もなく敗れ去り、
二科目二時間の受験の為に行った後期試験(会場農学部)では、
両科目満点の手応えを感じ、無事入学を果たすのであった



あぁ、駄文
次回は「大学生活編(研究開始以前)」になると思います
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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