自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
来年度の学会開催をどうするかという会議。
オンラインとオンサイトで、それぞれメリットデメリットがある、というのは当然のことで。
そんなことは当たり前すぎて、今さら語ることでもない。
しかし運営にかかる労力コストは、あまり大きくは語られない。
さらに、運営方針が途中で変わることで生じる労力コストとか、
ギリギリまで判断を延ばすことで、その間に『ヤキモキする精神的コスト』とか、
そういう部分が見落とされているんじゃないかと。
COVIDの推移なんて誰にもわからない。
とはいえ緊急事態宣言の3月上旬までの延長がほぼ決まっている以上、5月までは低めで推移するだろう。
そんな5月に9月のことを判断するというのは、かなり難易度の高い判断になる。
今日から乗船する船は、装備的には何でも出来る。
装備的には何でも出来るのだが、運航開始からの5年間で、それぞれの装備の使用実績があがっていない。
それはまぁ当然で、たくさん装備があるから、それぞれにかけられる時間が足りない。
使用実績は、現場作業員の『練度』に大きく関わってくる。
しんかいやかいこうのように、製作から自前であれば「ネジの1本まで」理解できているから、
練度の向上は、運用を開始すれば比較的早いことが期待できる。
しかし洋物輸入品では、そうはいかない。
使用頻度の低い機能に初期不良があっても、それは温存されてしまう。
仕様書が英語だということもあるし、現場作業員の理解が及びにくい。
『練度』は、トラブル頻度のみならず、毎日の作業のちょっとした部分に要する時間にも効いてくる。
現場の人間が悪いのではない。
練度が上げられないような多種多様の装備品を同時に用意して渡すという、判断の問題だ。
「何でも出来る装備を渡した。出来ないのは現場の問題」と思っているなら、大間違い。
全部やらなきゃいけない状況が、どれだけの負担になるか。
現場の責任者は、見るからに疲弊している。
顔の見えない位置にいる人には、現場の疲弊は、わからないだろうけどね。
オンラインとオンサイトで、それぞれメリットデメリットがある、というのは当然のことで。
そんなことは当たり前すぎて、今さら語ることでもない。
しかし運営にかかる労力コストは、あまり大きくは語られない。
さらに、運営方針が途中で変わることで生じる労力コストとか、
ギリギリまで判断を延ばすことで、その間に『ヤキモキする精神的コスト』とか、
そういう部分が見落とされているんじゃないかと。
COVIDの推移なんて誰にもわからない。
とはいえ緊急事態宣言の3月上旬までの延長がほぼ決まっている以上、5月までは低めで推移するだろう。
そんな5月に9月のことを判断するというのは、かなり難易度の高い判断になる。
今日から乗船する船は、装備的には何でも出来る。
装備的には何でも出来るのだが、運航開始からの5年間で、それぞれの装備の使用実績があがっていない。
それはまぁ当然で、たくさん装備があるから、それぞれにかけられる時間が足りない。
使用実績は、現場作業員の『練度』に大きく関わってくる。
しんかいやかいこうのように、製作から自前であれば「ネジの1本まで」理解できているから、
練度の向上は、運用を開始すれば比較的早いことが期待できる。
しかし洋物輸入品では、そうはいかない。
使用頻度の低い機能に初期不良があっても、それは温存されてしまう。
仕様書が英語だということもあるし、現場作業員の理解が及びにくい。
『練度』は、トラブル頻度のみならず、毎日の作業のちょっとした部分に要する時間にも効いてくる。
現場の人間が悪いのではない。
練度が上げられないような多種多様の装備品を同時に用意して渡すという、判断の問題だ。
「何でも出来る装備を渡した。出来ないのは現場の問題」と思っているなら、大間違い。
全部やらなきゃいけない状況が、どれだけの負担になるか。
現場の責任者は、見るからに疲弊している。
顔の見えない位置にいる人には、現場の疲弊は、わからないだろうけどね。
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集中講義から戻った翌週月曜、一息つこうというところで、1日に4件もプレゼン案件が舞い込む。
「チャンスのドアにはドアノブがない。誘いは断らないこと」と学生に檄を飛ばした手前、引き受けるしかないでしょう。
これを機に、スライドのフォーマットを修正し、色バリアフリーと全体の見やすさ向上に取り組む。
マイナーチェンジだけども。
鉱床養殖の話はもうすっかり離れているので概論だけ。一瞬でできた。
親会社(カイチカ)向けの話は新作。結構時間かかりそう。
異分野融合のヤツは、日本人セミナーのヤツをイジればすぐに出来そう。
某大の定期セミナーは、ネタに困るので、どうしたもんか。
来年度は航海が続くので、この2-3月は執筆にあてる予定だったのだが、そんなうまくいくわけない。
Tweet
「チャンスのドアにはドアノブがない。誘いは断らないこと」と学生に檄を飛ばした手前、引き受けるしかないでしょう。
これを機に、スライドのフォーマットを修正し、色バリアフリーと全体の見やすさ向上に取り組む。
マイナーチェンジだけども。
鉱床養殖の話はもうすっかり離れているので概論だけ。一瞬でできた。
親会社(カイチカ)向けの話は新作。結構時間かかりそう。
異分野融合のヤツは、日本人セミナーのヤツをイジればすぐに出来そう。
某大の定期セミナーは、ネタに困るので、どうしたもんか。
来年度は航海が続くので、この2-3月は執筆にあてる予定だったのだが、そんなうまくいくわけない。
自分のことではなく(いや自分のことでもあるが)一般論として。
一方に「論文が書けない」本人。
もう一方に「なぜ書けないのか」と思う指導者。
こういう不幸な状態は本当に良くない(妙に実感のこもった口調)。
「書けない」本人はもちろん「自分がなぜ書けないか」はわからない。
わかっていれば、書けるはずだからね。
だから指導者の側が「どこで書けなくなっているのか」を理解して、
その状況に合わせた指導をしていかねばならん。
1.出したデータをまとめられない
2.まとめたデータを図示できない
3.図から考察ができない
4.文章構成ができない
5.英語で書けない
さぁどこだ。
学会発表までしているネタならば、4にハードルがありそう。
口頭での報告だけを聞いているネタならば、1の可能性もある。
最初から英文で書けというと、つい5のせいにして逃げがちだが、はたして。
Tweet
一方に「論文が書けない」本人。
もう一方に「なぜ書けないのか」と思う指導者。
こういう不幸な状態は本当に良くない(妙に実感のこもった口調)。
「書けない」本人はもちろん「自分がなぜ書けないか」はわからない。
わかっていれば、書けるはずだからね。
だから指導者の側が「どこで書けなくなっているのか」を理解して、
その状況に合わせた指導をしていかねばならん。
1.出したデータをまとめられない
2.まとめたデータを図示できない
3.図から考察ができない
4.文章構成ができない
5.英語で書けない
さぁどこだ。
学会発表までしているネタならば、4にハードルがありそう。
口頭での報告だけを聞いているネタならば、1の可能性もある。
最初から英文で書けというと、つい5のせいにして逃げがちだが、はたして。
わが愛する母校、北海道大学で大学院の集中講義をしてきた。
2006年の修士卒業後、北大には幾度となく訪問していたのだが、今回は特別に"くる"ものがあった。
大学院の集中講義というのは、大学全体から見ればほんのわずかな出来事ではあるのだけども、それでも自分にとっては滅多にない教育機会なので、それだけでも身の引き締まる思いのだが、それに輪を掛けて、自分が(講義には出ていないのだけども)学んだ場所で自分が教える側に回るというのは、やはり何かこう、グッとくるのだ。
正直、ちょっとウルッときちゃったよね、構内に足を踏み入れた時に。
おセンチになりながら、卒論修論の3年間を過ごした理学部6号館の8階に行ったら、卒論生部屋も院生部屋(6-8-08)も変わらず存在していた。
博士課程から東大ORIに移って中野でも3年間を過ごしているのだけど、体感としては6号館暮らしの方が3倍ぐらい長い。
今の職場なんて11年間いるけども、ORIでの3年間よりも体感は短い。
こうして人は()、懐古老人になっていくのだな。
当時の指導教員は、30代後半で、今のボクがまさに同じ年齢層だということも、なんだかグッときた。
修士の最後の方はもう本当に人間関係が破綻していたのだけども、今の自分が卒論修論博論の学生15人ぐらいを同時に指導して、その中にボクみたいなヤツが混じっていると思うと、そらまぁツラく当たるのも理解はできる。
そういう態度を肯定するつもりはないけど、私的な過去として振り返った場合に、アレはアレでシャーなかったかもねとは思える。
ちなみに今では普通に会話をする仲である。
講義に招いてくれたのは、研究もお人柄も敬愛しているチカライシさん。
お誘いのメイルの段階から「教員会議で熱い要望が」「とても楽しみにしている」と言ってくれたのだが、お世辞も上手いなぁ程度に思いあまり重く受け止めていなかった。
その教員会議には、直接の先輩であるカメヤマさんや、ボクが学生の時から教員でいたスギモトさんやヤマモトさんやユタカさんがいるはずで、そこら辺のメンバーからしたらボクなんて「アイツか・・・」という具合だろう。
そういう人柄への評価という意味だけでなく、研究内容も同位体・海洋・メタン・生態系物質循環などそれぞれ重なっていて、外部から呼ぶにしては変わりばえのない講義内容になってしまうんじゃないかと(声をかけられておきながら)懸念して、どうしたもんかと懸念していた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
講義の構成は、アレコレと思案して、3つの方針を立てた。
・「論文を読む」という行為と講義とを一連のものとして接続する
・「研究史の連なり」を通じて高校で勉強した理科と研究を繋げる
・「研究の相互関係」を把握することで、地球科学をより楽しむ
「論文を読む」は、白木賢太郎さんの輪読からヒントを得た。
https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000090334797/
論文を読んで「ふむふむ」と思うことと、講義を聴いて「ふむふむ」と思うこととが、彼らの中で接続されることを期待した。
どうしても「英語の論文」というハードルを感じてしまいがちなので、そのハードルを下げてやることが狙い。
勉強と研究の接続、ということなのかもしれない。
実際には、彼らの指導教員を含むコース教員の論文を、目の前でボクが「ふむふむ」と適当に読んでみせて、それをマクラにして講義に入っていくという構成にした。
現地で聴講生の様子を見て、テキストを読んでもらう部分は取り下げることにした。
テキストを読まされて、うまく読めずにイヤな思い出として残ってしまっては本末転倒なので。
「研究史の連なり」は、『風雲児たち』やアシモフの化学や生物の歴史を参考にした。
今の状況というのが、過去から連綿と紡がれてきた研究の結果として存在するものであることを感じてもらうことが狙い。
同位体・生物・(深海)資源という対象が、どのように研究され、発見され、発展してきたのか。
その先に、いま目の前で読んだ論文の価値があるのだよ、ということを示したかった。
この狙いについては、成功したかどうかはわからないけど、自分としては言いたいことを言って、気分が良くなったので、まあそれで良いのだ。
「研究の相互関係」は、アイデア着想とか、申請書を書くヒントを得る方法論が狙い。
これはポスドクレベルの人が多かったら具体的に申請書を書く課題としてやりたかったけど、あまり人数がいなかったので課題は省略した。
講義の構成として読んだ論文をマクラにするのだけど、その論文で議論している主眼とは違う部分で論文を評価して、「こういう風な視点で面白いなとボクは思う」と触れてから講義をはじめる。
その後は、上記の通り歴史的な経緯で話を進めていき、最後に冒頭で読んだ論文と接続される。
そんな(かなり迂遠な)構成にしてみたので、それなりに研究経験を積んでいる人であれば、「あの分野とその分野が、そういう課題設定で繋がっていくのか」という具合で受け止められたのではないかと思う。
このやり方は、これまでちょっと長めのセミナーなどでも採用したのだけども、アレコレと展開するせいで聞いている側が混乱している様子だったので、とてもゆっくりと話を進めることにして、集中講義全体で3つの大テーマに絞り込み、1テーマで3-5時間ぐらい話すつもりで準備した。
3つの方針を横の糸、3つのテーマを縦の糸、そんな講義にしてみた。
0. 学問のすすめ~大学院生編~
1. Chikaraishi+ 2009を読む:安定同位体指標の本質的欠陥とその打破(とその欠点)
2. Sugimoto&Wada 1995を読む:宇宙生物学は気体地球化学
3. Nishioka+ 2013を読む:深海底利用で世界を救うかもしれない学
上手くいった実感はないし、まだまだ改善の余地があるし、正直かなり凹んでいる。
帰宅して2日経った今でも「あそこはアカンかった、ここはアレだった」と悶々としている。
聴講生からフィードバックをもらう仕組みを用意しなかったので評価はわからないけども、彼らの専門とは違う上に結構面倒な内容だったにも関わらず、ほとんど寝られることもなかったので、講義全体として合格点とは言わずとも、及第点には到達できていた、かもしれない。
新しい安定同位体比指標の紹介について、学生以上に聴講していた教員にウケていたようで、そこは嬉しい誤算であった。
言い古されたことだけども『教える側も教えることを通じて学ぶのだ』というのは、本当にその通りだな、と。
資料の準備段階で色々と学んだし、講義しながら気付くこともあったし、聴講生の質問に答えているうちに自分の中で何かがスパークすることもあった。
これからも「誘いは断らない」ので、集中講義の話がきたら何はさておき引き受けようと、決意を新たにした次第。
とにかく、楽しかった。
北海道旅行記は、また今度。
Tweet
2006年の修士卒業後、北大には幾度となく訪問していたのだが、今回は特別に"くる"ものがあった。
大学院の集中講義というのは、大学全体から見ればほんのわずかな出来事ではあるのだけども、それでも自分にとっては滅多にない教育機会なので、それだけでも身の引き締まる思いのだが、それに輪を掛けて、自分が(講義には出ていないのだけども)学んだ場所で自分が教える側に回るというのは、やはり何かこう、グッとくるのだ。
正直、ちょっとウルッときちゃったよね、構内に足を踏み入れた時に。
おセンチになりながら、卒論修論の3年間を過ごした理学部6号館の8階に行ったら、卒論生部屋も院生部屋(6-8-08)も変わらず存在していた。
博士課程から東大ORIに移って中野でも3年間を過ごしているのだけど、体感としては6号館暮らしの方が3倍ぐらい長い。
今の職場なんて11年間いるけども、ORIでの3年間よりも体感は短い。
こうして人は()、懐古老人になっていくのだな。
当時の指導教員は、30代後半で、今のボクがまさに同じ年齢層だということも、なんだかグッときた。
修士の最後の方はもう本当に人間関係が破綻していたのだけども、今の自分が卒論修論博論の学生15人ぐらいを同時に指導して、その中にボクみたいなヤツが混じっていると思うと、そらまぁツラく当たるのも理解はできる。
そういう態度を肯定するつもりはないけど、私的な過去として振り返った場合に、アレはアレでシャーなかったかもねとは思える。
ちなみに今では普通に会話をする仲である。
講義に招いてくれたのは、研究もお人柄も敬愛しているチカライシさん。
お誘いのメイルの段階から「教員会議で熱い要望が」「とても楽しみにしている」と言ってくれたのだが、お世辞も上手いなぁ程度に思いあまり重く受け止めていなかった。
その教員会議には、直接の先輩であるカメヤマさんや、ボクが学生の時から教員でいたスギモトさんやヤマモトさんやユタカさんがいるはずで、そこら辺のメンバーからしたらボクなんて「アイツか・・・」という具合だろう。
そういう人柄への評価という意味だけでなく、研究内容も同位体・海洋・メタン・生態系物質循環などそれぞれ重なっていて、外部から呼ぶにしては変わりばえのない講義内容になってしまうんじゃないかと(声をかけられておきながら)懸念して、どうしたもんかと懸念していた。
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講義の構成は、アレコレと思案して、3つの方針を立てた。
・「論文を読む」という行為と講義とを一連のものとして接続する
・「研究史の連なり」を通じて高校で勉強した理科と研究を繋げる
・「研究の相互関係」を把握することで、地球科学をより楽しむ
「論文を読む」は、白木賢太郎さんの輪読からヒントを得た。
https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000090334797/
論文を読んで「ふむふむ」と思うことと、講義を聴いて「ふむふむ」と思うこととが、彼らの中で接続されることを期待した。
どうしても「英語の論文」というハードルを感じてしまいがちなので、そのハードルを下げてやることが狙い。
勉強と研究の接続、ということなのかもしれない。
実際には、彼らの指導教員を含むコース教員の論文を、目の前でボクが「ふむふむ」と適当に読んでみせて、それをマクラにして講義に入っていくという構成にした。
現地で聴講生の様子を見て、テキストを読んでもらう部分は取り下げることにした。
テキストを読まされて、うまく読めずにイヤな思い出として残ってしまっては本末転倒なので。
「研究史の連なり」は、『風雲児たち』やアシモフの化学や生物の歴史を参考にした。
今の状況というのが、過去から連綿と紡がれてきた研究の結果として存在するものであることを感じてもらうことが狙い。
同位体・生物・(深海)資源という対象が、どのように研究され、発見され、発展してきたのか。
その先に、いま目の前で読んだ論文の価値があるのだよ、ということを示したかった。
この狙いについては、成功したかどうかはわからないけど、自分としては言いたいことを言って、気分が良くなったので、まあそれで良いのだ。
「研究の相互関係」は、アイデア着想とか、申請書を書くヒントを得る方法論が狙い。
これはポスドクレベルの人が多かったら具体的に申請書を書く課題としてやりたかったけど、あまり人数がいなかったので課題は省略した。
講義の構成として読んだ論文をマクラにするのだけど、その論文で議論している主眼とは違う部分で論文を評価して、「こういう風な視点で面白いなとボクは思う」と触れてから講義をはじめる。
その後は、上記の通り歴史的な経緯で話を進めていき、最後に冒頭で読んだ論文と接続される。
そんな(かなり迂遠な)構成にしてみたので、それなりに研究経験を積んでいる人であれば、「あの分野とその分野が、そういう課題設定で繋がっていくのか」という具合で受け止められたのではないかと思う。
このやり方は、これまでちょっと長めのセミナーなどでも採用したのだけども、アレコレと展開するせいで聞いている側が混乱している様子だったので、とてもゆっくりと話を進めることにして、集中講義全体で3つの大テーマに絞り込み、1テーマで3-5時間ぐらい話すつもりで準備した。
3つの方針を横の糸、3つのテーマを縦の糸、そんな講義にしてみた。
0. 学問のすすめ~大学院生編~
1. Chikaraishi+ 2009を読む:安定同位体指標の本質的欠陥とその打破(とその欠点)
2. Sugimoto&Wada 1995を読む:宇宙生物学は気体地球化学
3. Nishioka+ 2013を読む:深海底利用で世界を救うかもしれない学
上手くいった実感はないし、まだまだ改善の余地があるし、正直かなり凹んでいる。
帰宅して2日経った今でも「あそこはアカンかった、ここはアレだった」と悶々としている。
聴講生からフィードバックをもらう仕組みを用意しなかったので評価はわからないけども、彼らの専門とは違う上に結構面倒な内容だったにも関わらず、ほとんど寝られることもなかったので、講義全体として合格点とは言わずとも、及第点には到達できていた、かもしれない。
新しい安定同位体比指標の紹介について、学生以上に聴講していた教員にウケていたようで、そこは嬉しい誤算であった。
言い古されたことだけども『教える側も教えることを通じて学ぶのだ』というのは、本当にその通りだな、と。
資料の準備段階で色々と学んだし、講義しながら気付くこともあったし、聴講生の質問に答えているうちに自分の中で何かがスパークすることもあった。
これからも「誘いは断らない」ので、集中講義の話がきたら何はさておき引き受けようと、決意を新たにした次第。
とにかく、楽しかった。
北海道旅行記は、また今度。
自分の今のところの見解の備忘と整理のためのメモ。
日本学術会議第25期は、今のところ13の委員会・分科会に入った。
自分から希望したモノもあるし、指名を受けてのモノもある。
ボクは所属機関で教務がなく時間があるから、出来る限り引き受けている。
乃木坂に出て行く場合も、東京支社が使えるので、無駄もあまりない。
ここには書かないけど、自分の中では重みの差をつけて取り組む。
人材育成関係。
大学院卒業後の非専門職への進路と評価の調査。
「博士を取っても稼げない」が院進を思いとどまらせるなら、
「博士まで行っても普通の就職は潰えない」という状況が確保できれば良いんだ、という考え。
実際、企業としても新卒にこだわるメリットは減ってきている(はず)。
産学官と多方面に説明する機会が多くなるので作図が必要。
ジェンダーダイバーシティ関係。
女性の少ない職場でハラスメントが起こりがちな傾向を確認し重く受け止め、アフォーマティブアクションは中途半端だと逆効果になりかねないので一気呵成に進めるべきという視点と、
子育て世代にとってワークライフバランスの実現にはワーク総量の削減が絶対不可欠で、その実現可能性をコロナ禍が示しているじゃないかという視点と。
社会貢献関係。
学者が、研究者としてのみ振る舞い、知識人として貢献していないことを問題視。
「学術界から見た時に、社会が何をすべきかを、学術界から提案する」のではなく、
「社会の側から見た時に、学術界が何をすべきかを考え、学術界からまず動く」。
学術会議改革関係。
日学−政治:任命拒否問題で説明を求める態度を堅持しながら、丁寧に物事を進める執行部を支持。
日学内部 :元・前会長から以前の接触状況を聞き取り、会員・連携会員に周知すべしと要求。
日学-研究者:日学の位置づけ、選考過程、CSTIやMEXTとの関係、これまでの働きの説明。
日学-社会 :活動の発信。特に「初等中等教育」と「防災など生活環境」の提言を前面に。
//
●若手アカデミー
・学術界の業界体質改善分科会(世話人)
・学術の未来を担う人材育成分科会(世話人)
・GYA総会国内組織分科会
//
●地球惑星科学委員会
・地球惑星科学人材育成分科会
・地球惑星科学社会貢献分科会
・地球・人間圏分科会
・SCOR分科会(幹事)
//
・第三部・理工学ジェンダー・ダイバーシティ分科会
・科学者委員会 男女共同参画分科会 アンケート小分科会
・科学者委員会 学協会連携分科会
・広報委員会 「学術の動向」編集分科会
Tweet
日本学術会議第25期は、今のところ13の委員会・分科会に入った。
自分から希望したモノもあるし、指名を受けてのモノもある。
ボクは所属機関で教務がなく時間があるから、出来る限り引き受けている。
乃木坂に出て行く場合も、東京支社が使えるので、無駄もあまりない。
ここには書かないけど、自分の中では重みの差をつけて取り組む。
人材育成関係。
大学院卒業後の非専門職への進路と評価の調査。
「博士を取っても稼げない」が院進を思いとどまらせるなら、
「博士まで行っても普通の就職は潰えない」という状況が確保できれば良いんだ、という考え。
実際、企業としても新卒にこだわるメリットは減ってきている(はず)。
産学官と多方面に説明する機会が多くなるので作図が必要。
ジェンダーダイバーシティ関係。
女性の少ない職場でハラスメントが起こりがちな傾向を確認し重く受け止め、アフォーマティブアクションは中途半端だと逆効果になりかねないので一気呵成に進めるべきという視点と、
子育て世代にとってワークライフバランスの実現にはワーク総量の削減が絶対不可欠で、その実現可能性をコロナ禍が示しているじゃないかという視点と。
社会貢献関係。
学者が、研究者としてのみ振る舞い、知識人として貢献していないことを問題視。
「学術界から見た時に、社会が何をすべきかを、学術界から提案する」のではなく、
「社会の側から見た時に、学術界が何をすべきかを考え、学術界からまず動く」。
学術会議改革関係。
日学−政治:任命拒否問題で説明を求める態度を堅持しながら、丁寧に物事を進める執行部を支持。
日学内部 :元・前会長から以前の接触状況を聞き取り、会員・連携会員に周知すべしと要求。
日学-研究者:日学の位置づけ、選考過程、CSTIやMEXTとの関係、これまでの働きの説明。
日学-社会 :活動の発信。特に「初等中等教育」と「防災など生活環境」の提言を前面に。
//
●若手アカデミー
・学術界の業界体質改善分科会(世話人)
・学術の未来を担う人材育成分科会(世話人)
・GYA総会国内組織分科会
//
●地球惑星科学委員会
・地球惑星科学人材育成分科会
・地球惑星科学社会貢献分科会
・地球・人間圏分科会
・SCOR分科会(幹事)
//
・第三部・理工学ジェンダー・ダイバーシティ分科会
・科学者委員会 男女共同参画分科会 アンケート小分科会
・科学者委員会 学協会連携分科会
・広報委員会 「学術の動向」編集分科会
今の時点では何も決まっていません。組織からも上司からもリーダー職への就任打診は一切ありません。これは立候補宣言です。遠くない将来にリーダーになるぞという意思表示です。
なにか大きなキッカケがあったわけではなく、ずっと考えてきたというか、うっすらと思い続けてきたというか、大筋の方向性は自分としては明瞭なんだけど詳細はボンヤリしたまま放置していたことなんだけど、最近になって色んなことが自分の中でハマってきたので、その発露として『宣言する』ということに決めたわけです。
この『リーダー宣言』は、自分の今後とか所属グループの現状とかいくつかの要素が絡み合っていて、自分の中でもまだ完全には整理が出来ていないので、ゆっくり出来る今の時間を使って整理をつけようと思って書き始めているものです。だから未完です。
うちは会社組織で、上役が誰かを指名して管理職たるリーダー職を決める仕組みなんです。そのせいか、リーダーになるのは年功序列(所属年数)みたいな雰囲気を感じなくもないし、やっぱり上役にとって都合の良い部下たる中間管理職が選ばれがちみたいな風潮もないわけではない。上役がどこかから連れてきて落下傘的にやってくる場合もあるけど。これまでヒラ社員として見てきて、リーダーになる過程の正当性とか、リーダーたる人物の正統性とか、そこが明確になっていてほしいなと思っていたので、そこを明確にする方法を考えて「先に自ら立候補」という結論に至ったのです。
リーダーになるということは、部下になる人が出来るということ。リーダー本人以外は、たとえば4月1日にいきなり発表されて部下になってしまうんですよ。そうなるとやっぱり、どこか気持ち悪さが残ってしまう。もちろんほとんどの会社組織でこうなんだろうけど、でもやっぱり気持ち悪い。先に「リーダーになるぞ」と宣言している人がいれば、これをしばらく眺めて「まぁアレなら良いかな」とか「アレの下はキツい」とか、そうやって吟味する過程を経れば、お互いの気持ち悪さが軽減できるんじゃないかな。
自分の覚悟の問題でもあります。大学教員だと、自分が公募に応募するという形で、つまりは立候補するじゃないですか。そこには結構な覚悟が必要なのに、それに準じるナニカは経ないで、ある時に上役(直上の上司とは限らない)から指名されてリーダーになってしまうと、自分の中でもおさまりが悪いだろうな、と思ってしまったのです。やっぱり「言われたからやる」んじゃなくて、「やると決めたからやる」という腹の括り方をしたい。
「リーダーになる」というのは、「リーダーになりたい」とは違うのです。うまく説明できないけども、全然違う。自分が「なりたい」という願望を持っているのでもなく、周囲に際して「なりたい」から認めてくださいというお願いでもない。自分自身に対する「お前がならねばならぬ」というプレッシャーと、周囲から「彼がなるべきだ」と思われねばならぬというプレッシャーの、両方を引き受けたい気持ちなのです。覚悟を決めたぞという内外への宣言というか、宛先のない独り言ではあるのだけども、聞かれてもかまわないし、なんなら聞いてもらいたいというお気持ちの表明ですね。
最近になって立て続けに「リーダーにならないのか/なるつもりはないのか」と身近な同僚から言われたことも大きな要因ですね。真意はわからないので、色気を出すんじゃないぞという警告なのかもしれないけど、ボクは基本的に他人の言葉については裏を読まずにまっすぐ受け取ることにしているので、リーダーになってもある程度は納得してもらえるのかなと思う契機になりました。ボクが首席の航海に参加した人が、働きぶりにポジティブな評価をくれるので、これもリーダー的な働きを務めることへの自信に繋がっています。
どうして周囲の人がリーダーについて言及しがちかというと、今のグループが巨大すぎるという共通認識があり「グループを分割すべきだろう」と思っている人が少なくないという背景があるのでしょう。グループが巨大になっている原因は明確で、上司があまりにも人間的魅力に溢れ、また研究面で多様な関心と知識を持っているために、色んなところから人が集まってくるせいです。しかしこれをひっくり返した理由で、つまりあまりに強大な上司のせいで、グループを分割しようとして適当にその辺の人をリーダーに立てたグループを作っても、構成員のほとんどが残留を希望してしまい現実的に分割が進まないこともグループが巨大なままでいる原因でしょう。とはいえ近い将来には、会社全体での組織改編に伴うグループ分割、あるいは上司のアレに伴う直轄グループ解散が起こることもあるだろうから、セカンドベスト的なリーダーの選択肢を探っているというのが、実状なんじゃないかと思っています。
うちは今、7年間の中期計画の2年度目ですが、たとえば1年ちょっと後の4年度目からリーダーをやって、次の7年間も続けると、11年になる。自分の年齢でいえば、40代が丸々ここにハマることになるわけです。20-30代は自分の研究を進めてきたけど、40代はグループとしての仕事を進めて、50代からは何かまた別のことを進めるという、身勝手な人生計画もあります。これは完全なる絵に描いた餅だけども、漠然とそんなことも考えています。
深海を誰よりも(比喩)理解している人物として、深海環境をいかに人間活動と繋げて(あるいは切り離して)社会を運営していくのかという課題に挑戦したいという気持ちも大きな要因です。この視点で色んな活動を進めるには、どうしても自分一人では限界があって、グループで進めなければ社会にインパクトがある大きなことは成し遂げられない、という考えもあります。この部分で同じような思いを持っている人で集まる時に、それを自分がまとめることで、想定以上のところまで連れて行きたいわけです。
全然うまく書けていないけど、とりあえずここまで。
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なにか大きなキッカケがあったわけではなく、ずっと考えてきたというか、うっすらと思い続けてきたというか、大筋の方向性は自分としては明瞭なんだけど詳細はボンヤリしたまま放置していたことなんだけど、最近になって色んなことが自分の中でハマってきたので、その発露として『宣言する』ということに決めたわけです。
この『リーダー宣言』は、自分の今後とか所属グループの現状とかいくつかの要素が絡み合っていて、自分の中でもまだ完全には整理が出来ていないので、ゆっくり出来る今の時間を使って整理をつけようと思って書き始めているものです。だから未完です。
うちは会社組織で、上役が誰かを指名して管理職たるリーダー職を決める仕組みなんです。そのせいか、リーダーになるのは年功序列(所属年数)みたいな雰囲気を感じなくもないし、やっぱり上役にとって都合の良い部下たる中間管理職が選ばれがちみたいな風潮もないわけではない。上役がどこかから連れてきて落下傘的にやってくる場合もあるけど。これまでヒラ社員として見てきて、リーダーになる過程の正当性とか、リーダーたる人物の正統性とか、そこが明確になっていてほしいなと思っていたので、そこを明確にする方法を考えて「先に自ら立候補」という結論に至ったのです。
リーダーになるということは、部下になる人が出来るということ。リーダー本人以外は、たとえば4月1日にいきなり発表されて部下になってしまうんですよ。そうなるとやっぱり、どこか気持ち悪さが残ってしまう。もちろんほとんどの会社組織でこうなんだろうけど、でもやっぱり気持ち悪い。先に「リーダーになるぞ」と宣言している人がいれば、これをしばらく眺めて「まぁアレなら良いかな」とか「アレの下はキツい」とか、そうやって吟味する過程を経れば、お互いの気持ち悪さが軽減できるんじゃないかな。
自分の覚悟の問題でもあります。大学教員だと、自分が公募に応募するという形で、つまりは立候補するじゃないですか。そこには結構な覚悟が必要なのに、それに準じるナニカは経ないで、ある時に上役(直上の上司とは限らない)から指名されてリーダーになってしまうと、自分の中でもおさまりが悪いだろうな、と思ってしまったのです。やっぱり「言われたからやる」んじゃなくて、「やると決めたからやる」という腹の括り方をしたい。
「リーダーになる」というのは、「リーダーになりたい」とは違うのです。うまく説明できないけども、全然違う。自分が「なりたい」という願望を持っているのでもなく、周囲に際して「なりたい」から認めてくださいというお願いでもない。自分自身に対する「お前がならねばならぬ」というプレッシャーと、周囲から「彼がなるべきだ」と思われねばならぬというプレッシャーの、両方を引き受けたい気持ちなのです。覚悟を決めたぞという内外への宣言というか、宛先のない独り言ではあるのだけども、聞かれてもかまわないし、なんなら聞いてもらいたいというお気持ちの表明ですね。
最近になって立て続けに「リーダーにならないのか/なるつもりはないのか」と身近な同僚から言われたことも大きな要因ですね。真意はわからないので、色気を出すんじゃないぞという警告なのかもしれないけど、ボクは基本的に他人の言葉については裏を読まずにまっすぐ受け取ることにしているので、リーダーになってもある程度は納得してもらえるのかなと思う契機になりました。ボクが首席の航海に参加した人が、働きぶりにポジティブな評価をくれるので、これもリーダー的な働きを務めることへの自信に繋がっています。
どうして周囲の人がリーダーについて言及しがちかというと、今のグループが巨大すぎるという共通認識があり「グループを分割すべきだろう」と思っている人が少なくないという背景があるのでしょう。グループが巨大になっている原因は明確で、上司があまりにも人間的魅力に溢れ、また研究面で多様な関心と知識を持っているために、色んなところから人が集まってくるせいです。しかしこれをひっくり返した理由で、つまりあまりに強大な上司のせいで、グループを分割しようとして適当にその辺の人をリーダーに立てたグループを作っても、構成員のほとんどが残留を希望してしまい現実的に分割が進まないこともグループが巨大なままでいる原因でしょう。とはいえ近い将来には、会社全体での組織改編に伴うグループ分割、あるいは上司のアレに伴う直轄グループ解散が起こることもあるだろうから、セカンドベスト的なリーダーの選択肢を探っているというのが、実状なんじゃないかと思っています。
うちは今、7年間の中期計画の2年度目ですが、たとえば1年ちょっと後の4年度目からリーダーをやって、次の7年間も続けると、11年になる。自分の年齢でいえば、40代が丸々ここにハマることになるわけです。20-30代は自分の研究を進めてきたけど、40代はグループとしての仕事を進めて、50代からは何かまた別のことを進めるという、身勝手な人生計画もあります。これは完全なる絵に描いた餅だけども、漠然とそんなことも考えています。
深海を誰よりも(比喩)理解している人物として、深海環境をいかに人間活動と繋げて(あるいは切り離して)社会を運営していくのかという課題に挑戦したいという気持ちも大きな要因です。この視点で色んな活動を進めるには、どうしても自分一人では限界があって、グループで進めなければ社会にインパクトがある大きなことは成し遂げられない、という考えもあります。この部分で同じような思いを持っている人で集まる時に、それを自分がまとめることで、想定以上のところまで連れて行きたいわけです。
全然うまく書けていないけど、とりあえずここまで。
11月5日 SMS「ちょっと電話していいですか?」
11月13日 メイル「進展がありました。zoomか電話で」
11月19日 Zoom班会議1
11月23日 Zoom班会議2
11月25日 現地ライン確認、製作課題持ち帰り
12月1日 物品搬入、セッティング(欠席)
12月6日 本体帰還
12月8日 相模原作業
12月9日 H分析
12月11日 C分析
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11月13日 メイル「進展がありました。zoomか電話で」
11月19日 Zoom班会議1
11月23日 Zoom班会議2
11月25日 現地ライン確認、製作課題持ち帰り
12月1日 物品搬入、セッティング(欠席)
12月6日 本体帰還
12月8日 相模原作業
12月9日 H分析
12月11日 C分析
今日、長子である1号が10歳になった。
そんなタイミングで、悩める若手研究者の様子を見た。
10年前、1号が生まれた頃、自分にはどんな悩みがあっただろうか。
2009年3月に学位取得して、2010年の12月。
まず将来不安といえば、研究者としてのポストの問題があった。
当時は科研費雇用の任期付ポスドク。
決して安定してはいなかった。
でもまぁこの部分については、深刻に考えていなかったかもしれない。
この辺りは、今になって思うと、だけどもね。
当時は同世代の中でも抜きん出た業績があったし、職場も良かったし。
自分の研究がツマらないテーマだなぁと思って陰鬱になることの方が深刻だった。
D3の学振PD申請と、続く若手スタートアップが連続して不採択で、迷走していた。
熱水の研究はやっていたけど、だからなんやねん、という思いが消えなかった。
1号が生まれる直前には7週間の米国留学をした。
しかし英語の会話も億劫だし、前のめりに色々学びたい欲もなく、居室に籠もっていた。
「あぁ、自分は世界に通用する研究者じゃないんだな」とか思ってた。
この頃の不安は、いつ頃から解消していったんだろうか。
2011年に地震プルームと培養システマチクスをやって、見通しが立ってきたのかな。
イチ個人としては、夫婦関係が深刻に悪かった。これが一番しんどかった。
特に結婚後、妊娠するまでの1年間。
自分の研究がうまくいかないことでしんどいのに、家に帰るとベタベタと依存される。
とにかくそれが鬱陶しくて、出来るだけ家にいないようにした。
家にいる時も、話しかけられないように読書に勤しんだ。
そうして関係はさらに悪化していった。
妊娠発覚によって、関心が子供に向いたようで、幾分かはラクになった。
しかしその後、2号が生まれた後にまた依存され悪化し、距離を置くため単身赴任にした。
自分のことはさておき、日本社会やべーな、という思いはあった。
社会とか人間とか教育あたりのテーマの本を乱読していた。
もう全然ちゃんと覚えてないけど、色々と思い悩んでいたはずだ。
単身赴任を解消して一緒に住むことを決断したのは"日本社会ヤベー"の思いからだった。
ヨメ氏も義実家も、世間的には全然普通で、とりたてて悪いところがあるわけじゃない。
むしろすごく良い人達ですらある。
でもそれはつまり、世の中の『クソじゃっぷ』な考え方に染まりきっているということ。
そこの部分が、ガマンできなかった。
「良かれと思って」なんだろうが、ボクにとっては悪いパターナリズムで、不愉快に感じる。
なにより『クソじゃっぷ』な価値観に、自分の子供達が染められるのが、耐えられなかった。
これからの時代を生きる子供達に、『クソじゃっぷ』な価値観の教育をしちゃマズいだろう。
この価値観に染まって育ち、沈みゆく日本で大人になったら、地獄を見るだろう、と。
だからスイスに1年間連れて行ったのだった。
(2015年に構想して、2016年に連れ出している)
いかん。
10年前を思い出そうとしても、5年前までは一繋ぎで思い出されてしまう。
今日はここまで。
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そんなタイミングで、悩める若手研究者の様子を見た。
10年前、1号が生まれた頃、自分にはどんな悩みがあっただろうか。
2009年3月に学位取得して、2010年の12月。
まず将来不安といえば、研究者としてのポストの問題があった。
当時は科研費雇用の任期付ポスドク。
決して安定してはいなかった。
でもまぁこの部分については、深刻に考えていなかったかもしれない。
この辺りは、今になって思うと、だけどもね。
当時は同世代の中でも抜きん出た業績があったし、職場も良かったし。
自分の研究がツマらないテーマだなぁと思って陰鬱になることの方が深刻だった。
D3の学振PD申請と、続く若手スタートアップが連続して不採択で、迷走していた。
熱水の研究はやっていたけど、だからなんやねん、という思いが消えなかった。
1号が生まれる直前には7週間の米国留学をした。
しかし英語の会話も億劫だし、前のめりに色々学びたい欲もなく、居室に籠もっていた。
「あぁ、自分は世界に通用する研究者じゃないんだな」とか思ってた。
この頃の不安は、いつ頃から解消していったんだろうか。
2011年に地震プルームと培養システマチクスをやって、見通しが立ってきたのかな。
イチ個人としては、夫婦関係が深刻に悪かった。これが一番しんどかった。
特に結婚後、妊娠するまでの1年間。
自分の研究がうまくいかないことでしんどいのに、家に帰るとベタベタと依存される。
とにかくそれが鬱陶しくて、出来るだけ家にいないようにした。
家にいる時も、話しかけられないように読書に勤しんだ。
そうして関係はさらに悪化していった。
妊娠発覚によって、関心が子供に向いたようで、幾分かはラクになった。
しかしその後、2号が生まれた後にまた依存され悪化し、距離を置くため単身赴任にした。
自分のことはさておき、日本社会やべーな、という思いはあった。
社会とか人間とか教育あたりのテーマの本を乱読していた。
もう全然ちゃんと覚えてないけど、色々と思い悩んでいたはずだ。
単身赴任を解消して一緒に住むことを決断したのは"日本社会ヤベー"の思いからだった。
ヨメ氏も義実家も、世間的には全然普通で、とりたてて悪いところがあるわけじゃない。
むしろすごく良い人達ですらある。
でもそれはつまり、世の中の『クソじゃっぷ』な考え方に染まりきっているということ。
そこの部分が、ガマンできなかった。
「良かれと思って」なんだろうが、ボクにとっては悪いパターナリズムで、不愉快に感じる。
なにより『クソじゃっぷ』な価値観に、自分の子供達が染められるのが、耐えられなかった。
これからの時代を生きる子供達に、『クソじゃっぷ』な価値観の教育をしちゃマズいだろう。
この価値観に染まって育ち、沈みゆく日本で大人になったら、地獄を見るだろう、と。
だからスイスに1年間連れて行ったのだった。
(2015年に構想して、2016年に連れ出している)
いかん。
10年前を思い出そうとしても、5年前までは一繋ぎで思い出されてしまう。
今日はここまで。
体重がついに82kgに到達した。普通に暮らしていて77kgだったので、これはもう減量をはじめねばならない水準だ。実際、動いていても身体が重くキレがない。なお身長は公称で173cmである。
3月航海から続いての新コ症生活で、飲酒量増大かつ運動量激減のため、予想できたことではある。この最中も、もっと戦略的に体重をコントロールしても良かった。しかし子供達と暮らしていると、なかなかそうも出来ない。
もっとも大きな理由は、耳年増になっている子供達を「細身=良いこと」「食事制限=美容」「ダイエット=善行」というジャパニーズ勘違いに染めたくないからだ。ボクはの体重は肥満水準で、ここから標準体重に戻すことを目的として食事制限をしようと考えているわけだ。しかしボクの口から「ダイエットのために食事制限をする」と言ってしまうと、ただでさえ厳格な父親が意を決して取り組むことだから、子供達には「ダイエット=すべきこと」と刷り込まれてしまいかねない。
ここまで「ダイエットしたい」と言い出したキッズに「たくさん食べてたくさん動くことが良いこと」と言ってきた手前、言行不一致は避けたい。もちろん、こういう理屈をしっかりと説明して納得させることの方が望ましい対処ではあるのだが、納得がえられるとは思えない。少女マンガを読むようになり、バレエコミュニティと触れあっていると、どうしても細身絶対主義に引きずられてしまうから、ただでさえカウンターを当て続けねばならない状況なのだ。
さて、どうなるか。
当面の目標は、2ヶ月で5kg減。7月末で77kgに戻す。
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3月航海から続いての新コ症生活で、飲酒量増大かつ運動量激減のため、予想できたことではある。この最中も、もっと戦略的に体重をコントロールしても良かった。しかし子供達と暮らしていると、なかなかそうも出来ない。
もっとも大きな理由は、耳年増になっている子供達を「細身=良いこと」「食事制限=美容」「ダイエット=善行」というジャパニーズ勘違いに染めたくないからだ。ボクはの体重は肥満水準で、ここから標準体重に戻すことを目的として食事制限をしようと考えているわけだ。しかしボクの口から「ダイエットのために食事制限をする」と言ってしまうと、ただでさえ厳格な父親が意を決して取り組むことだから、子供達には「ダイエット=すべきこと」と刷り込まれてしまいかねない。
ここまで「ダイエットしたい」と言い出したキッズに「たくさん食べてたくさん動くことが良いこと」と言ってきた手前、言行不一致は避けたい。もちろん、こういう理屈をしっかりと説明して納得させることの方が望ましい対処ではあるのだが、納得がえられるとは思えない。少女マンガを読むようになり、バレエコミュニティと触れあっていると、どうしても細身絶対主義に引きずられてしまうから、ただでさえカウンターを当て続けねばならない状況なのだ。
さて、どうなるか。
当面の目標は、2ヶ月で5kg減。7月末で77kgに戻す。
2018年の9月に透明球有人潜水船の視察のため、米国の超富豪が所有する豪華クルーザーに乗って2日間を過ごす機会があった。超富豪の所有物を見て、色々と思うところがあって、それが転じて鬱々とした状態になってしまっている。そのことを書き連ねようと思っている。
超富豪のクルーザーは2隻あって、1隻はレジャー用で、もう1隻は宿泊用。レジャー用のクルーザーには、海遊びに使うものなら何でもあった。ボード、ジェットスキー、スキューバセット、そして透明球潜水船。クルーザーを運用するための乗組員も10名程度いて、海からあがるとふわふわのタオルをファサって肩にかけられたり、揺れてるボートから移るときにはガシッと手を握ってくれたりなど、高級ホテルの従業員に劣らない丁寧な接遇だった。レジャー船にはキッチンがあって、シェフはオーナーがレストランで食事をした時に気に入って引き抜いたとかで、ベーグルにベーコンや卵焼きがつく朝食や、バーベキューコンロで肉を焼いたハンバーガーランチなど、典型的なアメリカの食事なんだけども抜群においしかった。宿泊用クルーザーはシャワールームが総大理石だったり、最上階に露天ジャグジーとバーカウンターがあったり、これまた船とは思えないスーパーラグジュアリーだった。さらにネットで調べると、バハマに島を所有していて、城のような住居と、クルーザーを数十隻は止められそうな波止場と、小型機用の滑走路と十数機は収められそうな駐機場があった。
と、超富豪の生活を垣間見て「とんでもねぇな!」と驚き続けて帰ってきた興奮が冷めた頃に、ちょっと違う感慨が襲ってきた。よくよく考えてみれば、富豪の生活や遊び方は、別にぜんぜん特別じゃなくて、ボクの生きている世界と地続きで、本質的には何も変わらないんだなって、そんな考えに至った。美味しいものを食べる時はちょっと良い店に行くとか、本州の梅雨から逃げて北海道に行くとか、ヒッチハイクや18切符よりも新幹線の方が快適とか。超富豪の暮らしってのはそういうものの極端事例でしかなくって、結局は自分が『何かやりたい』って思った時に、それをどれだけ苦労せず実現できるかっていう部分の違いでしかないんだなって。
それに気付いて、じゃあなんで鬱々とした状態になってしまうのかというと、つまり、結局のところ重要なのは自分が『何かやりたい』って思うかどうかで、それがボクにとってはすごく難しいってことを、あらためて思い知らされたからだ。
話は変わるけど、箸が転んでもおかしいって表現されるような心持ちがある。心持ちのことを言った表現ではないけども、つまり箸が転んでもおかしいと思える人がそこには存在しているということだと思う。別にそんな極端なことじゃなくても、日々の暮らしの中で、なんか面白いことがあって、なんとなく「あぁ楽しいなぁ」って思いながら過ごすことってのは、きっと多くの人にあるのだと思う。それがボクにはない。
楽しいって自ら実感することって、毎日あるんですかね?毎週あるんですかね?ちょっと想像できない。思わず吹き出してしまって笑うとか、そんな日常的に起こっているのだろうか。ボクの場合、日常の中でのポジティブな感情ってのは、何か考えて納得した時とか、新しいことを知った時とか、大体がそういう時に限られていて、それってのは直接的に感情にくるってよりは、考察した結果として感情に落ちてくるものなので、頭でっかちな感情だ。さらにそれですら、自ら率先して何か新しいことを考えようとか、知りたいとか、そういう好奇心みたいなモノに動かされているわけではなくて、大体が仕事とか生活の中で必要だから考えたり調べたりした結果として抱く感慨なのだ。
飲み会なんかでみんなが楽しそうに話している時、場合によっては自分もその会話の輪に入っているのだけども、そんな時でも、どこか別の場所からその(自分も含めた)場を眺めているような気分で過ごしている。だからその場が楽しいということもわかるし、自分もどこかポジティブな感情になっていることはなっているのだけども、その輪の全体が共有している楽しさとはまた別のところに感情があるような、そういう場所に自分を置いているような気がする。自分のネガティブな感情は自分のこととして引き受けているのに、ポジティブな感情は他人事、みたいな。ちょっと違うけど。
『何かやりたい』って動機を起点にして、自分の行動で自分にポジティブな感情を引き起こす。そういうのって、みんな普通にやってることなのかな?その起点になる感情がなければ、どれだけ富豪であっても、楽しさってのは別に大したことがない。お金があれば不愉快なことから逃げられるっていう考えは強く持っているけども。内発的動機付けがうまく構築されていないんだな。
で、そんな自分が、自分の考えに基づいて子供と接していると、子供もそうなってしまうんじゃないかとか思って、でも子供と一緒に過ごすことは避けられないから、その圧迫感もあって、さらに鬱々としてしまうのだ。
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超富豪のクルーザーは2隻あって、1隻はレジャー用で、もう1隻は宿泊用。レジャー用のクルーザーには、海遊びに使うものなら何でもあった。ボード、ジェットスキー、スキューバセット、そして透明球潜水船。クルーザーを運用するための乗組員も10名程度いて、海からあがるとふわふわのタオルをファサって肩にかけられたり、揺れてるボートから移るときにはガシッと手を握ってくれたりなど、高級ホテルの従業員に劣らない丁寧な接遇だった。レジャー船にはキッチンがあって、シェフはオーナーがレストランで食事をした時に気に入って引き抜いたとかで、ベーグルにベーコンや卵焼きがつく朝食や、バーベキューコンロで肉を焼いたハンバーガーランチなど、典型的なアメリカの食事なんだけども抜群においしかった。宿泊用クルーザーはシャワールームが総大理石だったり、最上階に露天ジャグジーとバーカウンターがあったり、これまた船とは思えないスーパーラグジュアリーだった。さらにネットで調べると、バハマに島を所有していて、城のような住居と、クルーザーを数十隻は止められそうな波止場と、小型機用の滑走路と十数機は収められそうな駐機場があった。
と、超富豪の生活を垣間見て「とんでもねぇな!」と驚き続けて帰ってきた興奮が冷めた頃に、ちょっと違う感慨が襲ってきた。よくよく考えてみれば、富豪の生活や遊び方は、別にぜんぜん特別じゃなくて、ボクの生きている世界と地続きで、本質的には何も変わらないんだなって、そんな考えに至った。美味しいものを食べる時はちょっと良い店に行くとか、本州の梅雨から逃げて北海道に行くとか、ヒッチハイクや18切符よりも新幹線の方が快適とか。超富豪の暮らしってのはそういうものの極端事例でしかなくって、結局は自分が『何かやりたい』って思った時に、それをどれだけ苦労せず実現できるかっていう部分の違いでしかないんだなって。
それに気付いて、じゃあなんで鬱々とした状態になってしまうのかというと、つまり、結局のところ重要なのは自分が『何かやりたい』って思うかどうかで、それがボクにとってはすごく難しいってことを、あらためて思い知らされたからだ。
話は変わるけど、箸が転んでもおかしいって表現されるような心持ちがある。心持ちのことを言った表現ではないけども、つまり箸が転んでもおかしいと思える人がそこには存在しているということだと思う。別にそんな極端なことじゃなくても、日々の暮らしの中で、なんか面白いことがあって、なんとなく「あぁ楽しいなぁ」って思いながら過ごすことってのは、きっと多くの人にあるのだと思う。それがボクにはない。
楽しいって自ら実感することって、毎日あるんですかね?毎週あるんですかね?ちょっと想像できない。思わず吹き出してしまって笑うとか、そんな日常的に起こっているのだろうか。ボクの場合、日常の中でのポジティブな感情ってのは、何か考えて納得した時とか、新しいことを知った時とか、大体がそういう時に限られていて、それってのは直接的に感情にくるってよりは、考察した結果として感情に落ちてくるものなので、頭でっかちな感情だ。さらにそれですら、自ら率先して何か新しいことを考えようとか、知りたいとか、そういう好奇心みたいなモノに動かされているわけではなくて、大体が仕事とか生活の中で必要だから考えたり調べたりした結果として抱く感慨なのだ。
飲み会なんかでみんなが楽しそうに話している時、場合によっては自分もその会話の輪に入っているのだけども、そんな時でも、どこか別の場所からその(自分も含めた)場を眺めているような気分で過ごしている。だからその場が楽しいということもわかるし、自分もどこかポジティブな感情になっていることはなっているのだけども、その輪の全体が共有している楽しさとはまた別のところに感情があるような、そういう場所に自分を置いているような気がする。自分のネガティブな感情は自分のこととして引き受けているのに、ポジティブな感情は他人事、みたいな。ちょっと違うけど。
『何かやりたい』って動機を起点にして、自分の行動で自分にポジティブな感情を引き起こす。そういうのって、みんな普通にやってることなのかな?その起点になる感情がなければ、どれだけ富豪であっても、楽しさってのは別に大したことがない。お金があれば不愉快なことから逃げられるっていう考えは強く持っているけども。内発的動機付けがうまく構築されていないんだな。
で、そんな自分が、自分の考えに基づいて子供と接していると、子供もそうなってしまうんじゃないかとか思って、でも子供と一緒に過ごすことは避けられないから、その圧迫感もあって、さらに鬱々としてしまうのだ。