自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
家庭でも職場でもない居場所を「サードプレイス」と呼ぶとして,それってのが大事だよなぁと思っている。
家庭と職場(学校)以外の居場所が見つからないせいで「追い込まれる」って事態は少なくないと思う。衣食住が家庭に限られていると,家庭からは逃れられない。収入が職場に限られていると,職場からは逃れられない。勉強が学校に限られていると,学校からは逃れられない。学校での「イジメ」が悲劇的な結末に至るのも,退職したオジサンが急に老け込むのも,まぁその他にも色々とあるだろうけども,この「逃げられない」「でも他に居場所がない」という状況が背景に潜んでいる。また,家庭と職場という集団においては「楽しい」が第一の存在目的ではない。そこに楽しさを見出すことはできるが,それはあくまで副次的なものであり,「楽しい」だけを理由に存在し続けることは難しい。
これを逆さまに捉えれば,サードプレイスの意義が浮かび上がる。家庭ではない衣食住の場,職場じゃない収入の場,学校じゃない学びの場,単に「楽しい」ことがある場。1つのサードプレイスですべてをまかなう必要はなくて,それぞれに特徴をもった多様なサードプレイスがあればいい。
たとえばメレ山メレ子氏による「昆虫大学」というイベントがある。虫好きが集まって,虫グッズを売買したり,虫について語り合ったりする,そういうイベントらしい。数百人規模の集会で,参加者の高い満足度がネットで散見される。「虫はキモイ」という世間の一般的価値観があって,その「呪い」のせいで「虫好き」の人々は家庭や職場で息を潜めて生きている。しかし昆虫大学は「虫好き」が集まる場で,そこには「虫はキモイ」という「呪い」の声は届かない。「自分の好きなモノを大声で好きと言える場」であり,「自分の好きなモノを好きと言ってくれる人がいる場」だ。これはまさにサードプレイスだなぁと思って見ている。
こういう「娯楽系サードプレイス」は,その日その時に楽しさの頂点があるが,その頂点の前後におこる「昂ぶる気持ち」や「鎮まらない興奮」とともに生きていくことで,呪いが蔓延する家庭や職場において息を潜めてでも生きていく活力がえられる(のだろう)。もちろんカミングアウトしてしまっても良いわけだが。たとえば敬愛する某先輩は,アイドルを追っかけていることを職場で3年ほど隠していたそうだが,カミングアウトしてからは堂々と「明日は現場です!」と言ったり,デスク周りにグッズを並べたり出来ているそうで,そうすると職場での居心地も改善する。まぁカミングアウト出来るぐらい良好な職場環境ならそもそも大きな問題はないわけだが。
=============
昆虫大学に触発されて「誰かにとってのサードプレイスを作る」ということへの意欲(?)があらためて高まっている。内田樹の道場兼私塾だったり,平川克美の喫茶店だったり,そういうモノからの影響もある。原体験としては「ボックス」(部活で使う部室代わりの溜まり場)なのだろう。とにかく「誰かが楽しそうにしている」「誰かが助かる」というのは,自分にとって非常に大きな喜びなので,そういう場を作りたい。
どういうものが自分が作るサードプレイスの「幹」になるのかと考えると,やっぱり「教育」だよなぁと。学校とか学習塾とかそういう直球の「教育」じゃなくて,もっと緩い「教育」。あえて言えば「学びの場」みたいな。
ソクラテスじゃないけども,対話とか問答ってのが「学び」ではすごく重要。重要なんだけど,それを学校や職場でやるとなると,人間関係的なモノが介在するせいで,非常にやりにくい。喋れる「場」が用意されれば,喋りたい人・聞きたい人が自然と集まってくるんじゃないかと。現在の日本だとそれは「飲み屋」が担っていると思う。ただ「飲み屋」は,酒・夜という性質があるので,「語りたいけど飲み屋には出入り出来ない」という人には利用価値が無い。あと普通に暮らしていると年齢層で輪切りにされた中でしか暮らさないので,できれば色んな年齢層の人が交わる場が望ましい。
自分に金があればという前提で言えば,アパートを建てたいなと。1階を世間に開放した大広間にして,近所の人が勝手に出入りするような場にする。日中は乳幼児連れとか老人とかが集まったり大学生がゴロゴロしてたり。そこには大きな本棚を用意して,皆のオススメ本を置いておく。スクリーンを用意しておいて,映画鑑賞会とかスポーツ観戦とか,あるいはシンポジウムとか。トイレと簡単な炊事場があれば良いかな。それで2階以上には学生が住む。近所の仕事とうまくパッケージ化して,簡単な仕事を負うかわりに家賃を取らないとか,そんな仕組みで。家賃が理由で学校に行けない(家から出られない)という人の助けになれば,と。
=============
自分が身を置くサードプレイスを見つける,ということも進めて行きたい。家庭も仕事も,そろそろ10年目が見えてきていて,それなりに慣れてきて,だからこそ単調になりつつある。職場と家庭以外で言えば,今の趣味はサッカーだけれども,プレイするのは職場のチームだし,観戦するのは自宅テレビなので,サードプレイスにはなっていない。飲みに行くのも職場の人間ばかりだ。もうちょっと踏み出して,何かに手を出して,そこで交流したいなと。どうしたものか。
家庭と職場(学校)以外の居場所が見つからないせいで「追い込まれる」って事態は少なくないと思う。衣食住が家庭に限られていると,家庭からは逃れられない。収入が職場に限られていると,職場からは逃れられない。勉強が学校に限られていると,学校からは逃れられない。学校での「イジメ」が悲劇的な結末に至るのも,退職したオジサンが急に老け込むのも,まぁその他にも色々とあるだろうけども,この「逃げられない」「でも他に居場所がない」という状況が背景に潜んでいる。また,家庭と職場という集団においては「楽しい」が第一の存在目的ではない。そこに楽しさを見出すことはできるが,それはあくまで副次的なものであり,「楽しい」だけを理由に存在し続けることは難しい。
これを逆さまに捉えれば,サードプレイスの意義が浮かび上がる。家庭ではない衣食住の場,職場じゃない収入の場,学校じゃない学びの場,単に「楽しい」ことがある場。1つのサードプレイスですべてをまかなう必要はなくて,それぞれに特徴をもった多様なサードプレイスがあればいい。
たとえばメレ山メレ子氏による「昆虫大学」というイベントがある。虫好きが集まって,虫グッズを売買したり,虫について語り合ったりする,そういうイベントらしい。数百人規模の集会で,参加者の高い満足度がネットで散見される。「虫はキモイ」という世間の一般的価値観があって,その「呪い」のせいで「虫好き」の人々は家庭や職場で息を潜めて生きている。しかし昆虫大学は「虫好き」が集まる場で,そこには「虫はキモイ」という「呪い」の声は届かない。「自分の好きなモノを大声で好きと言える場」であり,「自分の好きなモノを好きと言ってくれる人がいる場」だ。これはまさにサードプレイスだなぁと思って見ている。
こういう「娯楽系サードプレイス」は,その日その時に楽しさの頂点があるが,その頂点の前後におこる「昂ぶる気持ち」や「鎮まらない興奮」とともに生きていくことで,呪いが蔓延する家庭や職場において息を潜めてでも生きていく活力がえられる(のだろう)。もちろんカミングアウトしてしまっても良いわけだが。たとえば敬愛する某先輩は,アイドルを追っかけていることを職場で3年ほど隠していたそうだが,カミングアウトしてからは堂々と「明日は現場です!」と言ったり,デスク周りにグッズを並べたり出来ているそうで,そうすると職場での居心地も改善する。まぁカミングアウト出来るぐらい良好な職場環境ならそもそも大きな問題はないわけだが。
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昆虫大学に触発されて「誰かにとってのサードプレイスを作る」ということへの意欲(?)があらためて高まっている。内田樹の道場兼私塾だったり,平川克美の喫茶店だったり,そういうモノからの影響もある。原体験としては「ボックス」(部活で使う部室代わりの溜まり場)なのだろう。とにかく「誰かが楽しそうにしている」「誰かが助かる」というのは,自分にとって非常に大きな喜びなので,そういう場を作りたい。
どういうものが自分が作るサードプレイスの「幹」になるのかと考えると,やっぱり「教育」だよなぁと。学校とか学習塾とかそういう直球の「教育」じゃなくて,もっと緩い「教育」。あえて言えば「学びの場」みたいな。
ソクラテスじゃないけども,対話とか問答ってのが「学び」ではすごく重要。重要なんだけど,それを学校や職場でやるとなると,人間関係的なモノが介在するせいで,非常にやりにくい。喋れる「場」が用意されれば,喋りたい人・聞きたい人が自然と集まってくるんじゃないかと。現在の日本だとそれは「飲み屋」が担っていると思う。ただ「飲み屋」は,酒・夜という性質があるので,「語りたいけど飲み屋には出入り出来ない」という人には利用価値が無い。あと普通に暮らしていると年齢層で輪切りにされた中でしか暮らさないので,できれば色んな年齢層の人が交わる場が望ましい。
自分に金があればという前提で言えば,アパートを建てたいなと。1階を世間に開放した大広間にして,近所の人が勝手に出入りするような場にする。日中は乳幼児連れとか老人とかが集まったり大学生がゴロゴロしてたり。そこには大きな本棚を用意して,皆のオススメ本を置いておく。スクリーンを用意しておいて,映画鑑賞会とかスポーツ観戦とか,あるいはシンポジウムとか。トイレと簡単な炊事場があれば良いかな。それで2階以上には学生が住む。近所の仕事とうまくパッケージ化して,簡単な仕事を負うかわりに家賃を取らないとか,そんな仕組みで。家賃が理由で学校に行けない(家から出られない)という人の助けになれば,と。
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自分が身を置くサードプレイスを見つける,ということも進めて行きたい。家庭も仕事も,そろそろ10年目が見えてきていて,それなりに慣れてきて,だからこそ単調になりつつある。職場と家庭以外で言えば,今の趣味はサッカーだけれども,プレイするのは職場のチームだし,観戦するのは自宅テレビなので,サードプレイスにはなっていない。飲みに行くのも職場の人間ばかりだ。もうちょっと踏み出して,何かに手を出して,そこで交流したいなと。どうしたものか。
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先人のブログを頼りにスイスの免許を取得した。
http://blog.issei.org/2015/02/blog-post.html
チューリッヒ交通局のサイトから書式を取得する。
書式自体は簡単なのでGoogle翻訳があればすぐ埋められる。
町の眼鏡屋で視力検査をして結果を書式に記入してもらう。
http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20161125/
日本の免許の公式翻訳をベルンの大使館に依頼する。ウェブサイトから申請して,直接受け取りに行く。17CHF。
チューリッヒ交通局で申請をする。この時点では支払いはなし。
日本の免許証を一時預けることになる。
1週間後に「中型免許(C種)をどうしますか?」という手紙が届く。
面倒が増えるそうなので「いらない」にチェックして返送。
さらに1週間後に別便でそれぞれ日本とスイスの免許証が届く。
振込用紙が同封されている。105CHF。
健康保険にしても免許にしても,後払いというのが面白い。
番号を電子管理していれば,問題が生じた場合に支払いの有無をすぐ確認できるからか。
とにかく終身国際免許をゲットしたということで一安心(?)。
日本で免許を失効した場合,このスイスの免許から復元できるのかな?
Tweet
http://blog.issei.org/2015/02/blog-post.html
チューリッヒ交通局のサイトから書式を取得する。
書式自体は簡単なのでGoogle翻訳があればすぐ埋められる。
町の眼鏡屋で視力検査をして結果を書式に記入してもらう。
http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20161125/
日本の免許の公式翻訳をベルンの大使館に依頼する。ウェブサイトから申請して,直接受け取りに行く。17CHF。
チューリッヒ交通局で申請をする。この時点では支払いはなし。
日本の免許証を一時預けることになる。
1週間後に「中型免許(C種)をどうしますか?」という手紙が届く。
面倒が増えるそうなので「いらない」にチェックして返送。
さらに1週間後に別便でそれぞれ日本とスイスの免許証が届く。
振込用紙が同封されている。105CHF。
健康保険にしても免許にしても,後払いというのが面白い。
番号を電子管理していれば,問題が生じた場合に支払いの有無をすぐ確認できるからか。
とにかく終身国際免許をゲットしたということで一安心(?)。
日本で免許を失効した場合,このスイスの免許から復元できるのかな?
1月5日(木)に我が町にも結構な量の雪が降り,町中のいたる斜面でソリ遊びをしている。散歩がてら良い滑り場を探し,簡易ソリを持って家族5人で町中を歩いた。子供は待ちきれず道路横の1m長の斜面でも滑ろうとしはじめる。
すると散歩中の町民A(ご婦人)が我々を通り過ぎた後にわざわざ戻ってきて,「ワイン畑のあぜ道が良いわよ」「ワイン畑から湖の方にいった道もロングライドができるわ」と教えてくれた。元々行くつもりであったワイン畑に向かうと,すでにソリ遊びをしている町民達がチラホラ。30代カポーもキャッキャ言いながら滑っておる。
ワイン畑を離れ,湖と並行に町を横断するとバス停横の開けた斜面で雪遊びをしている町民B&C(10歳ぐらいのキッズ)を発見。早速その横にある斜面でソリ滑りを敢行。すると町民Bが近寄ってきて「xxxx, xxxxx」とドイツ語で言ってくる。これは誰かの土地に入ってしまったかと困惑していると,「English?」と言い,説明を英語に切り替えてくれた。曰く「ソリを滑るなら道路の向こう側にある斜面の方が良いよ」。わざわざ親切に「良い斜面」を紹介してくれたのだった。確かに勾配も長さも具合の良い斜面があり,しばらくソリ遊び。
そろそろ帰ろうかと歩き始めたところ,向こうの方から歓声が。こちらから見えるのは丘の頂上で,ブラインドになっている向こう側に滑って遊んでいる様子。「あんなところにも斜面があるんだねー」などとヨメ氏と話していると,通りすがりの町民D(極寒の中なぜか超ミニスカのオバチャン)が手を「クイッ!」とやって「この道を通り抜ければあそこに行けるよ」と指示してくれた。(結局行けなかったけど)。
最後に家近くのALDIの斜面を通ると,1号の幼稚園メイツ(カタリーナ)が母子でソリ遊びをしていた。カタリーナは一人っ子のお姫さま育ちらしく,子供一人で遊んでいるのにソリを2つ持っていて,しかも雪だるま作りに夢中でソリはほったらかしになっている。カタリーナ母が「使って良いよ」と言ってくれたので立派なソリを借りて滑りまくり。カタリーナが雪遊びに飽きたので1号はカタリーナ宅に遊びに行くことに。しかしまだ遊びたい2号。カタリーナ母が「今夜1号を送っていく時に回収するから,それまで使っていて良いよ」と申し出てくれて,2号は存分にソリを楽しめた。
ということで,町中を歩いているだけで,町民達がすごく親切にしてくれた。すべて,こちらから質問したわけではなく,向こうから話しかけてくれた。しかも,具体的に何かに困惑しているところで助けてくれたという話ではなく,単に楽しいことを教えてくれたという話。
気持ちが良い。
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すると散歩中の町民A(ご婦人)が我々を通り過ぎた後にわざわざ戻ってきて,「ワイン畑のあぜ道が良いわよ」「ワイン畑から湖の方にいった道もロングライドができるわ」と教えてくれた。元々行くつもりであったワイン畑に向かうと,すでにソリ遊びをしている町民達がチラホラ。30代カポーもキャッキャ言いながら滑っておる。
ワイン畑を離れ,湖と並行に町を横断するとバス停横の開けた斜面で雪遊びをしている町民B&C(10歳ぐらいのキッズ)を発見。早速その横にある斜面でソリ滑りを敢行。すると町民Bが近寄ってきて「xxxx, xxxxx」とドイツ語で言ってくる。これは誰かの土地に入ってしまったかと困惑していると,「English?」と言い,説明を英語に切り替えてくれた。曰く「ソリを滑るなら道路の向こう側にある斜面の方が良いよ」。わざわざ親切に「良い斜面」を紹介してくれたのだった。確かに勾配も長さも具合の良い斜面があり,しばらくソリ遊び。
そろそろ帰ろうかと歩き始めたところ,向こうの方から歓声が。こちらから見えるのは丘の頂上で,ブラインドになっている向こう側に滑って遊んでいる様子。「あんなところにも斜面があるんだねー」などとヨメ氏と話していると,通りすがりの町民D(極寒の中なぜか超ミニスカのオバチャン)が手を「クイッ!」とやって「この道を通り抜ければあそこに行けるよ」と指示してくれた。(結局行けなかったけど)。
最後に家近くのALDIの斜面を通ると,1号の幼稚園メイツ(カタリーナ)が母子でソリ遊びをしていた。カタリーナは一人っ子のお姫さま育ちらしく,子供一人で遊んでいるのにソリを2つ持っていて,しかも雪だるま作りに夢中でソリはほったらかしになっている。カタリーナ母が「使って良いよ」と言ってくれたので立派なソリを借りて滑りまくり。カタリーナが雪遊びに飽きたので1号はカタリーナ宅に遊びに行くことに。しかしまだ遊びたい2号。カタリーナ母が「今夜1号を送っていく時に回収するから,それまで使っていて良いよ」と申し出てくれて,2号は存分にソリを楽しめた。
ということで,町中を歩いているだけで,町民達がすごく親切にしてくれた。すべて,こちらから質問したわけではなく,向こうから話しかけてくれた。しかも,具体的に何かに困惑しているところで助けてくれたという話ではなく,単に楽しいことを教えてくれたという話。
気持ちが良い。
25日2号,27日3号とヨメ氏,29日1号。次々にゲロ風邪(ロタ?)に見舞われ身動きがとれず。年末はどこにも行けず,29日には1家庭のみお招きして自宅フォンデュ会を開催したのみで,大晦日に予定していた町の日本人との忘年会もできず。
年越し時には(普段は本当に閑静な住宅街なのだが)花火爆竹の大騒音。寝ていたが起きた。翌朝見るとそこら中の地面にカスが散乱していた。1日は2号3号とチューリッヒ市街に繰り出す。クリスマスより店が開いている。飲食店はどこも繁盛の様子。観光客なのかな?
2日午後から雪予報のため遠出できず。3日朝には5cmほど雪が積もっていた。ペラペラのプラスチック製ソリを持って近所のスーパーALDI前の斜面でソリ遊び。2号がスピードにビビってちょっとしか滑らない。1号も跳ね返りの雪が顔に当たるのがイヤらしく家に帰りたい,と。家の前で雪遊び。昼過ぎから幼稚園や教会など広場に行ってさらに雪遊び。
4日はちょっと職場で調べ物をして,すぐ帰宅。家で1.4東京ドーム観戦。その後,ぱったり寝てしまい,夕飯を挟んで朝までほぼ寝通し。
Kindleのおかげで読書がはかどる。小説など読んでみたり。
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年越し時には(普段は本当に閑静な住宅街なのだが)花火爆竹の大騒音。寝ていたが起きた。翌朝見るとそこら中の地面にカスが散乱していた。1日は2号3号とチューリッヒ市街に繰り出す。クリスマスより店が開いている。飲食店はどこも繁盛の様子。観光客なのかな?
2日午後から雪予報のため遠出できず。3日朝には5cmほど雪が積もっていた。ペラペラのプラスチック製ソリを持って近所のスーパーALDI前の斜面でソリ遊び。2号がスピードにビビってちょっとしか滑らない。1号も跳ね返りの雪が顔に当たるのがイヤらしく家に帰りたい,と。家の前で雪遊び。昼過ぎから幼稚園や教会など広場に行ってさらに雪遊び。
4日はちょっと職場で調べ物をして,すぐ帰宅。家で1.4東京ドーム観戦。その後,ぱったり寝てしまい,夕飯を挟んで朝までほぼ寝通し。
Kindleのおかげで読書がはかどる。小説など読んでみたり。
安価で広く視聴されているメディア。
82年生まれの自分が育った環境だと,新聞・テレビ・週刊誌・マンガ。
テレビを除けば,もっと上の世代でもそう変わらないだろう。
家の中に「転がっているメディア」がこれ。
95年生まれの育った環境だと,電子媒体が出てくる。
Yahoo!などニュースポータル・ブログ・ウェブ動画。
テレビは未だ有力。
マンガは衰えが見え始め,新聞・週刊誌を読む若者はほぼいない。
かつての新聞のクオリティがウンヌンはさておき,一定の水準ではあったはず。
出し手のところでクオリティコントロールがされているメディア時代から,
誰でも出し手になれるがゆえに,クオリティコントロールがされていないメディアの時代。
だからこそ受け手の「リテラシー」が重要になる。
しかし若年層の教育ではいまだ「教科書」というクオリティコントロールされたメディアがベース。
どの段階で,どのように,メディアのクオリティは千差万別であることを教えるか。
むずかしい。
家庭教育(非学校教育)の重要性が増していることは間違いない。
どうしたもんか。
Tweet
82年生まれの自分が育った環境だと,新聞・テレビ・週刊誌・マンガ。
テレビを除けば,もっと上の世代でもそう変わらないだろう。
家の中に「転がっているメディア」がこれ。
95年生まれの育った環境だと,電子媒体が出てくる。
Yahoo!などニュースポータル・ブログ・ウェブ動画。
テレビは未だ有力。
マンガは衰えが見え始め,新聞・週刊誌を読む若者はほぼいない。
かつての新聞のクオリティがウンヌンはさておき,一定の水準ではあったはず。
出し手のところでクオリティコントロールがされているメディア時代から,
誰でも出し手になれるがゆえに,クオリティコントロールがされていないメディアの時代。
だからこそ受け手の「リテラシー」が重要になる。
しかし若年層の教育ではいまだ「教科書」というクオリティコントロールされたメディアがベース。
どの段階で,どのように,メディアのクオリティは千差万別であることを教えるか。
むずかしい。
家庭教育(非学校教育)の重要性が増していることは間違いない。
どうしたもんか。
最近,80年代後半に起こったという「バブル」に興味がある。それも「どうしてバブルが起こったのか」ということじゃなくて「バブルは人の価値観にどのような影響を与えたのか」ということにすごく興味がある。
うかつな「世代論」については警戒しておく必要があると思う一方で,人格形成において社会環境の影響は無視できないものがあるとも思う。「キミは○○世代だから××だね」というような世代論と個人の性癖を直接的に結びつける言説はイカンが,個人ではなく集団として見た時には,およその傾向が浮かび上がるものだとも思う。
たとえば「戦争を知っている」世代(1935年以前に生まれた人々)は,最後の一線として「戦争はダメだ」「あんな想いは2度としたくない」と語る。たとえば大勲位とか主筆とか。それに対して今の社会で軍国化・排外主義を推進しようとしている人々は「戦争を知らない世代」=「全共闘世代」が中心になっているように見える(1940-1950年生まれ?)。戦争を知らないからこそなのだろうと感じている。
知識で知っていることと,経験で知っていることは,違う。それはもう,全然違う。
===============
それでバブルについて。
バブル期(1986-1991)にすでに社会人になっており(1965年以前に生まれた人々),かつ全共闘世代よりも後となると,およそ15世代(1950-1965年うまれ)であり,今の50歳-65歳にあたる。まさに今の社会の決定権を握っている世代。これを仮に「バブル世代」としよう。
ボクは研究業界で暮らしていて,この業界は基本的に大学から陸続きなので,バブル世代であっても,その渦中に身を置いた人は少ないと想像され,バブルという現象と向き合うにはむしろ例外的な集団なんじゃないかと思う。そのせいか,ボクは「バブルの頃はこんなことが・・・・」という「バブル語り」を聞いたこともあまりない。
バブルについて,金融・経済論とか,「スター」の物語とか,そういう風に語った書籍は多い。でもボクが知りたいのはそういうことじゃなくて,もっと身近な,市井の人々がどのような心象であったかとか,日頃の暮らしぶりがどうであったかとか,バブルの狂乱というものを体感したのはどういう人々なのかとか,そういうことが知りたい。
「バブル世代」の「バブル体験」が,この国の方向性に何らかの影響を与えうるほど大きなインパクトだったのか,あるいはアレは(特にメディア関係者が強く体験したからこそ)極端に誇張された思い出でしか無く「世代論」を形成するほどのものではなかったのか。どうなんだろうか。
とにかく「バブル」について市井レベルで理解しておかないと,どこかで何かの拍子に「バブル待望論」がむくむくと起こってきた時に,どう考えて良いのか整理できないと思う。バブル世代が退場する前に,色んな話を聞いておきたい。
===============
「ポストバブル世代」(1965-1975生まれ)は,幼少期にバブル報道に触れて知っているが,バブルそのものを体験していない世代。ITバブルと呼ばれる現象が起こったけども,その旗手と言われた人々の生年は三木谷(1965),堀江(1972),藤田(1973)でポストバブル世代が中心に見える。これはIT技術の発達時期がホリエモン世代の青年期と一致したという影響が最大要因なのだろうけども,彼らが「バブル」を直接体験していなかったことは,彼らの「遊び方」に影響を与えたんじゃないかとも思う。これは世代論とは関係無いけど。「ポストバブル世代」は「ロスジェネ世代」でもある。
「ケータイ世代」(1975-1985生まれ)が次に来る。ポケベル・PHS・携帯・iモードが中高大学生に普及した時期に中高大学生だった世代。また1995年にWindows95が発売され,当時はテレホーダイだったが,10年後の2005年には高速通信時代がはじまっている。身近な例では,中学時に1つ上の姉がポケベルを持ち,ボクは高校に入ってまずPHSを持ちすぐiモードケータイに移った。この世代は,根本的なコミュニケーション手段が変わったので,これ以前とこれ以降では,根本的な違いがあるように思う。なお1980年生まれが「松坂世代」で,1981年生まれが「キレる17歳世代」(凶悪少年犯罪多発)。関西バイアスで言えば1995年に阪神大震災。
ちなみに研究業界的には,1975年頃に生まれた世代は,ちょうど大学院重点化世代で研究者の数がすごく多い。だから同時に1975-1985年生まれが「ポスドク問題世代」でもある。また汎用コンピュータが一般家庭にも雪崩れ込んできた世代でもあるので「研究にコンピュータを使う世代」でもある。WordやExcelとか言った意味では無くインフォマティクス的な意味で。
ちなみにちなみに「アダルトビデオ」の爆発的普及は1985年頃かららしく「ポストバブル世代〜ケータイ世代」が思春期にこれと触れる世代である。これは表立って語られないだけで思想形成にかなり大きな影響を与えていると思うので「世代論」の軸として有効な気もしているのだが,果たして。
自分より若い世代のことはよくわからない。1985-2000年生まれだと,どうなんだろうか。この世代に影響を与える2000-2010年というと,技術的には高速通信,ネット動画世代か。世相というか社会事件としては,なんだろう。2001年9.11が直接的に世代に影響を及ぼしているとは思えないけども,グローバル化を中心とした社会の不安定化なのかなぁ。まだ世代論で解析できるほど時間が下っていないと考えるしかないか。
2011年に東日本大地震なので,これを就職前に経験している世代となると,1990-2000年生まれで,大きな影響を受けているように思われる。2010年頃からスマホ・Wi-Fiが普及している。
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うかつな「世代論」については警戒しておく必要があると思う一方で,人格形成において社会環境の影響は無視できないものがあるとも思う。「キミは○○世代だから××だね」というような世代論と個人の性癖を直接的に結びつける言説はイカンが,個人ではなく集団として見た時には,およその傾向が浮かび上がるものだとも思う。
たとえば「戦争を知っている」世代(1935年以前に生まれた人々)は,最後の一線として「戦争はダメだ」「あんな想いは2度としたくない」と語る。たとえば大勲位とか主筆とか。それに対して今の社会で軍国化・排外主義を推進しようとしている人々は「戦争を知らない世代」=「全共闘世代」が中心になっているように見える(1940-1950年生まれ?)。戦争を知らないからこそなのだろうと感じている。
知識で知っていることと,経験で知っていることは,違う。それはもう,全然違う。
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それでバブルについて。
バブル期(1986-1991)にすでに社会人になっており(1965年以前に生まれた人々),かつ全共闘世代よりも後となると,およそ15世代(1950-1965年うまれ)であり,今の50歳-65歳にあたる。まさに今の社会の決定権を握っている世代。これを仮に「バブル世代」としよう。
ボクは研究業界で暮らしていて,この業界は基本的に大学から陸続きなので,バブル世代であっても,その渦中に身を置いた人は少ないと想像され,バブルという現象と向き合うにはむしろ例外的な集団なんじゃないかと思う。そのせいか,ボクは「バブルの頃はこんなことが・・・・」という「バブル語り」を聞いたこともあまりない。
バブルについて,金融・経済論とか,「スター」の物語とか,そういう風に語った書籍は多い。でもボクが知りたいのはそういうことじゃなくて,もっと身近な,市井の人々がどのような心象であったかとか,日頃の暮らしぶりがどうであったかとか,バブルの狂乱というものを体感したのはどういう人々なのかとか,そういうことが知りたい。
「バブル世代」の「バブル体験」が,この国の方向性に何らかの影響を与えうるほど大きなインパクトだったのか,あるいはアレは(特にメディア関係者が強く体験したからこそ)極端に誇張された思い出でしか無く「世代論」を形成するほどのものではなかったのか。どうなんだろうか。
とにかく「バブル」について市井レベルで理解しておかないと,どこかで何かの拍子に「バブル待望論」がむくむくと起こってきた時に,どう考えて良いのか整理できないと思う。バブル世代が退場する前に,色んな話を聞いておきたい。
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「ポストバブル世代」(1965-1975生まれ)は,幼少期にバブル報道に触れて知っているが,バブルそのものを体験していない世代。ITバブルと呼ばれる現象が起こったけども,その旗手と言われた人々の生年は三木谷(1965),堀江(1972),藤田(1973)でポストバブル世代が中心に見える。これはIT技術の発達時期がホリエモン世代の青年期と一致したという影響が最大要因なのだろうけども,彼らが「バブル」を直接体験していなかったことは,彼らの「遊び方」に影響を与えたんじゃないかとも思う。これは世代論とは関係無いけど。「ポストバブル世代」は「ロスジェネ世代」でもある。
「ケータイ世代」(1975-1985生まれ)が次に来る。ポケベル・PHS・携帯・iモードが中高大学生に普及した時期に中高大学生だった世代。また1995年にWindows95が発売され,当時はテレホーダイだったが,10年後の2005年には高速通信時代がはじまっている。身近な例では,中学時に1つ上の姉がポケベルを持ち,ボクは高校に入ってまずPHSを持ちすぐiモードケータイに移った。この世代は,根本的なコミュニケーション手段が変わったので,これ以前とこれ以降では,根本的な違いがあるように思う。なお1980年生まれが「松坂世代」で,1981年生まれが「キレる17歳世代」(凶悪少年犯罪多発)。関西バイアスで言えば1995年に阪神大震災。
ちなみに研究業界的には,1975年頃に生まれた世代は,ちょうど大学院重点化世代で研究者の数がすごく多い。だから同時に1975-1985年生まれが「ポスドク問題世代」でもある。また汎用コンピュータが一般家庭にも雪崩れ込んできた世代でもあるので「研究にコンピュータを使う世代」でもある。WordやExcelとか言った意味では無くインフォマティクス的な意味で。
ちなみにちなみに「アダルトビデオ」の爆発的普及は1985年頃かららしく「ポストバブル世代〜ケータイ世代」が思春期にこれと触れる世代である。これは表立って語られないだけで思想形成にかなり大きな影響を与えていると思うので「世代論」の軸として有効な気もしているのだが,果たして。
自分より若い世代のことはよくわからない。1985-2000年生まれだと,どうなんだろうか。この世代に影響を与える2000-2010年というと,技術的には高速通信,ネット動画世代か。世相というか社会事件としては,なんだろう。2001年9.11が直接的に世代に影響を及ぼしているとは思えないけども,グローバル化を中心とした社会の不安定化なのかなぁ。まだ世代論で解析できるほど時間が下っていないと考えるしかないか。
2011年に東日本大地震なので,これを就職前に経験している世代となると,1990-2000年生まれで,大きな影響を受けているように思われる。2010年頃からスマホ・Wi-Fiが普及している。
ふたたび『非モテの品格』より
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N6E5WYZ/
ジェンダーとしての男性の弱さを「自分の弱さを認められない弱さ」あるいは「社会的な男性への目線(男性は女性より良い立場が与えられている)を理解しているがゆえに自分の弱さを開陳できないことで生じる葛藤(弱さを感じるが同時に弱さを否認したがる)」について。
なんとなくボクの中にモヤモヤとあったものの正体は,これに近いんじゃないかと思った。ボクにとっての「弱さとは何か」という部分を明確に同定することは難しいけども,おそらくルサンチマン的なモノだけでは説明できないものがあって,それがこのモヤモヤ感の本質なのかもしれない。
広い意味で先天的な条件で「恵まれている人」に対して,もはや嫌悪感と言ってもいい非常に強い嫉妬を抱いてきた。体が丈夫だったり,親が金持ちだったり,男性だったり。そういう意味で。それはたぶんボク自身が,体がそれほど丈夫じゃなかったし,親はまぁ金持ちではなかったし。幼少期から心の奥にそういう気持ちがあったからか,世間的に典型的な「男同士でつるむ」的なことはあまりなかった(今も得意ではない)。
それでもなんとか生きてきて大人になると,もう親がどうこうというのは関係のない年齢になる。自身の体についても適当に暮らしていける程度には収束している。(汗をかいたらただちにシャワーを浴びないと酷いことになるとか,そういうことはあるけども,注意すれば克服可能な範囲になっている)
20代後半から30代は,おそらく女性が女性性と向き合う時期であり,そういうことはなんとなく頭では理解できるので,男性性の相対的優位さのようなモノを感じずにはいられない。また同時に,職業環境としては,ジェンダーや健康などを度外視した客観性を標榜する競争的な雰囲気があり,その中に身を起き続けることになっていた。たとえば業績リストにはジェンダーや健康状態は記載しない。たとえば今の日本では,男性が職を見つけて引っ越す時に(離職して)ついていく女性はそれなりにいるだろうけども,女性が職を見つけて引っ越す時に(離職して)ついていく男性はほとんどいない。
そういう「男性性が圧倒的に有利」な状況にあって,所与の条件としての男性性という恵まれた状態にある自分に無頓着で,他の視点からの不遇をことさら主張する男性には嫌悪感を抱いてきた。また時にそれが自分自身にむかい自己嫌悪も感じてきた。それが転じて,そういう状況の女性をサポートしたい気持ちも芽生えたりもした。自分は研究業界のことしか知らないし,研究業界の人ぐらいしか接する機会もないので,とりあえず研究業界の(いわゆる)女性問題については色々と考えたり,ちょっと行動したりしてきた。
また子供を持つことになって,子供の境遇についても考えることが増えた。経済状況とか,サポート環境とか,諸々について。とにかく子供の問題は,生まれた環境と健康に強く依存する。家庭の問題は千差万別で一概には言えないけども,うちの子供については「まぁ大体こんなもんでしょう」という範囲にはおさまっていて,相対的には恵まれた方に位置していると思う。こうやって恵まれているウンヌンと評価することが問題の根源ではあるのだけれども,まぁそう思うということで。
それで今のボクのモヤモヤについて思い至るのは,ボクは『自分の中にある基準で「弱い立場にある」と判定した上でしか他人に優しくできない』ということだ。またその圧倒的に下品な『優しさ』に気付きつつあり自己嫌悪を抱いている。さらにボク自身の妻子について「弱い立場ではない」と判定しているがゆえに優しくできないでいるということもある。ここで自分の妻子に対して「弱者でない」と判定しているのは,世の妻・子供と,それぞれ妻同士・子供同士を比較した場合の判定だ。
一方で,家庭内においては,妻子は圧倒的に弱者である。妻は専業主婦なので経済的に自立することが困難で,彼女の環境はボクの一存で決めることができるため(深い部分で)彼女はボクに逆らうことができない。子供は肉体的にも経済的にも精神的にも親にはかなわない。だから家庭においてボクは常に強者であるという現実がある。
それで,一体なにがこんなにモヤモヤさせられるのかということを突き詰めて考えると,結局のところ自分が自動的に「強者」になってしまっているということ自体に,モヤモヤの原因があるんじゃないかと。ボクは強者であるがゆえに「剥き出しの感情」を吐露することができない。なぜならボクが感情を吐露することはそのまま弱者に対する「暴力」になってしまう。一方で妻子が感情を吐露しても,それは単に感情の吐露以上の意味をもたない。だからボクは強く抑制的に暮らしている。しかし妻子は時に感情を吐露してくる。するとその感情の中身に加えて,「感情を吐露する」という行為に対して不快感を覚える。その不快感は,自分が感情を吐露できないことからくる「ある種の嫉妬」なのかもしれない。しかしこの「弱者に対して嫉妬する」ということの,その下品さに対して,自分自身が嫌悪感を抱く。
============
自分が強者である状況では,強者であるがゆえに,感情を吐露できない。
自分が弱者である状況では,弱者であることを認めたくないがゆえに,感情を吐露できない。
まずは,弱者である案件について,弱者であることを認めてしまうことからはじめよう。
弱者である不遇を騒ぎ立てるのではなく,その気持ちをそのままに。
そうすれば,もう少し上手に,感情を吐露できるようになるかもしれない。
その先に,強者である状況での振る舞いが見えてくるかもせいれない。
Tweet
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ジェンダーとしての男性の弱さを「自分の弱さを認められない弱さ」あるいは「社会的な男性への目線(男性は女性より良い立場が与えられている)を理解しているがゆえに自分の弱さを開陳できないことで生じる葛藤(弱さを感じるが同時に弱さを否認したがる)」について。
なんとなくボクの中にモヤモヤとあったものの正体は,これに近いんじゃないかと思った。ボクにとっての「弱さとは何か」という部分を明確に同定することは難しいけども,おそらくルサンチマン的なモノだけでは説明できないものがあって,それがこのモヤモヤ感の本質なのかもしれない。
広い意味で先天的な条件で「恵まれている人」に対して,もはや嫌悪感と言ってもいい非常に強い嫉妬を抱いてきた。体が丈夫だったり,親が金持ちだったり,男性だったり。そういう意味で。それはたぶんボク自身が,体がそれほど丈夫じゃなかったし,親はまぁ金持ちではなかったし。幼少期から心の奥にそういう気持ちがあったからか,世間的に典型的な「男同士でつるむ」的なことはあまりなかった(今も得意ではない)。
それでもなんとか生きてきて大人になると,もう親がどうこうというのは関係のない年齢になる。自身の体についても適当に暮らしていける程度には収束している。(汗をかいたらただちにシャワーを浴びないと酷いことになるとか,そういうことはあるけども,注意すれば克服可能な範囲になっている)
20代後半から30代は,おそらく女性が女性性と向き合う時期であり,そういうことはなんとなく頭では理解できるので,男性性の相対的優位さのようなモノを感じずにはいられない。また同時に,職業環境としては,ジェンダーや健康などを度外視した客観性を標榜する競争的な雰囲気があり,その中に身を起き続けることになっていた。たとえば業績リストにはジェンダーや健康状態は記載しない。たとえば今の日本では,男性が職を見つけて引っ越す時に(離職して)ついていく女性はそれなりにいるだろうけども,女性が職を見つけて引っ越す時に(離職して)ついていく男性はほとんどいない。
そういう「男性性が圧倒的に有利」な状況にあって,所与の条件としての男性性という恵まれた状態にある自分に無頓着で,他の視点からの不遇をことさら主張する男性には嫌悪感を抱いてきた。また時にそれが自分自身にむかい自己嫌悪も感じてきた。それが転じて,そういう状況の女性をサポートしたい気持ちも芽生えたりもした。自分は研究業界のことしか知らないし,研究業界の人ぐらいしか接する機会もないので,とりあえず研究業界の(いわゆる)女性問題については色々と考えたり,ちょっと行動したりしてきた。
また子供を持つことになって,子供の境遇についても考えることが増えた。経済状況とか,サポート環境とか,諸々について。とにかく子供の問題は,生まれた環境と健康に強く依存する。家庭の問題は千差万別で一概には言えないけども,うちの子供については「まぁ大体こんなもんでしょう」という範囲にはおさまっていて,相対的には恵まれた方に位置していると思う。こうやって恵まれているウンヌンと評価することが問題の根源ではあるのだけれども,まぁそう思うということで。
それで今のボクのモヤモヤについて思い至るのは,ボクは『自分の中にある基準で「弱い立場にある」と判定した上でしか他人に優しくできない』ということだ。またその圧倒的に下品な『優しさ』に気付きつつあり自己嫌悪を抱いている。さらにボク自身の妻子について「弱い立場ではない」と判定しているがゆえに優しくできないでいるということもある。ここで自分の妻子に対して「弱者でない」と判定しているのは,世の妻・子供と,それぞれ妻同士・子供同士を比較した場合の判定だ。
一方で,家庭内においては,妻子は圧倒的に弱者である。妻は専業主婦なので経済的に自立することが困難で,彼女の環境はボクの一存で決めることができるため(深い部分で)彼女はボクに逆らうことができない。子供は肉体的にも経済的にも精神的にも親にはかなわない。だから家庭においてボクは常に強者であるという現実がある。
それで,一体なにがこんなにモヤモヤさせられるのかということを突き詰めて考えると,結局のところ自分が自動的に「強者」になってしまっているということ自体に,モヤモヤの原因があるんじゃないかと。ボクは強者であるがゆえに「剥き出しの感情」を吐露することができない。なぜならボクが感情を吐露することはそのまま弱者に対する「暴力」になってしまう。一方で妻子が感情を吐露しても,それは単に感情の吐露以上の意味をもたない。だからボクは強く抑制的に暮らしている。しかし妻子は時に感情を吐露してくる。するとその感情の中身に加えて,「感情を吐露する」という行為に対して不快感を覚える。その不快感は,自分が感情を吐露できないことからくる「ある種の嫉妬」なのかもしれない。しかしこの「弱者に対して嫉妬する」ということの,その下品さに対して,自分自身が嫌悪感を抱く。
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自分が強者である状況では,強者であるがゆえに,感情を吐露できない。
自分が弱者である状況では,弱者であることを認めたくないがゆえに,感情を吐露できない。
まずは,弱者である案件について,弱者であることを認めてしまうことからはじめよう。
弱者である不遇を騒ぎ立てるのではなく,その気持ちをそのままに。
そうすれば,もう少し上手に,感情を吐露できるようになるかもしれない。
その先に,強者である状況での振る舞いが見えてくるかもせいれない。
2016念頭の目標を見て愕然とする。達成率は10%にも満たない。
http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20160103/
>科研費をゲットできれば,秋までにポスドクを雇用して,在外期間中の実験を進めてもらう
>人件費用の科研費は2口応募しているので,
->2口とも見事に落選。
>参加出来そうにもない航海プロポは書けないし,科研費もお休みになる
->航海プロポも書いたし科研費も書いた
>ツイッタジャンキーを卒業してブログに戻るのも目標
->あいかわらず。でも2017年からは・・・
>大学教育関係。まとまった分量を毎日,あるいは隔日ぐらいのペースで書きため
->まったくあかんかった
>朝晩に運動習慣をつけねば。朝はLSDで夜は筋トレかな。
->まったくあかんかった
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http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20160103/
>科研費をゲットできれば,秋までにポスドクを雇用して,在外期間中の実験を進めてもらう
>人件費用の科研費は2口応募しているので,
->2口とも見事に落選。
>参加出来そうにもない航海プロポは書けないし,科研費もお休みになる
->航海プロポも書いたし科研費も書いた
>ツイッタジャンキーを卒業してブログに戻るのも目標
->あいかわらず。でも2017年からは・・・
>大学教育関係。まとまった分量を毎日,あるいは隔日ぐらいのペースで書きため
->まったくあかんかった
>朝晩に運動習慣をつけねば。朝はLSDで夜は筋トレかな。
->まったくあかんかった
2号はいま4歳半。2号は2歳手前でベラベラ喋り,話す内容もちゃんと考えられたものであることが多かった。逆に1号は皆の様子に合わせて振る舞うことを良しとするメンタリティが根深い。気弱で優しいが,自分で考えるというよりは誰かを模倣するような判断が多い。なので教育方針として,2号を18ヶ月先に生まれた1号に合わせるように,つまり今なら6歳児レベルで双子のように同じ扱いをすることにしている。
2号の行動原理は,とにかく甘やかしてほしいということにある。それも自由にさせてほしいのではなく,近くにいて常に褒めそやされ甘やかされることを求めている。生まれてから3年間,母+祖父母のいる家で,祖母が主担当として面倒を見ていたせいか,「大人は常に自分を見ていて甘やかしてくれる」というのが染みついているようだ。同じように育っても,やはり1号には「お姉さん気質」があって「大人に負担をかけない自分はエライでしょ」という立ち位置に入り込むので,7割方はうまくいく(残り3割は,そうじゃない,ということをやってより混乱を大きくする)。
4月から一緒に暮らしている実父は,子供を甘やかしてくれない。3号がいて,祖父母もいないので,大人の絶対数も足りていない。なにかと「父=1号2号」「母=3号」という配分になるのだが,ただでさえ自分に優しくない父が,しかも1号と半々でしか面倒を見てくれない。2号はそれが大いに不満らしく,すぐに母を求めて動き始める。それで父からも母からも叱られる。
2号が育った環境には同年齢の親戚が複数いたが,圧倒的に口が達者だった2号は,自由に振る舞っても大人に褒められてきた。そういう経験がある。また日本での幼稚園経験は4ヶ月のみだった。なのでコチラの団地キッズとうまく遊べない。まず言葉が通じない。また少し年齢が上の子供にフォローしていくことが出来ない(1号はこれがが得意。何となく皆に合わせて遊ぶので先方からも歓迎される)。むしろ自分主導で遊ぶべく皆の遊びを破壊してしまう。さらに年長者が相手をしてくれないと自分一人で遊べない。これが積もって,外で遊んでも楽しくない状況に陥ってしまっている。
泣き癖がついていて,ちょっとイヤな気分になるとすぐに泣く。家の中で泣かれるのは本当に不快になる。家が石造りなので音がよく響くというのもあるかもしれない。また泣くのは染みついた交渉術のようなもので,あやすために何かを出してくる/甘やかしてくれるというのを,無意識下に期待しているように見える。少なくとも,お母さんと二人になる時間がもたらされるとは思っている様子。しかしそのようにはいかない。
父母子が相互に負担を感じあっている現状は,間違いなく良くない。しかしだからといって,2号が機嫌良く暮らしていくことに重きを置くことは,思想的にも労力的にも不可能に近い。
「甘やかさないけど褒める」「褒めるけど甘やかさない」という親の方針がある。2号がこの違いに気付くのが先か,こちらがそれらを混合したうまい方法を見つけるのが先か。はたして。
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2号の行動原理は,とにかく甘やかしてほしいということにある。それも自由にさせてほしいのではなく,近くにいて常に褒めそやされ甘やかされることを求めている。生まれてから3年間,母+祖父母のいる家で,祖母が主担当として面倒を見ていたせいか,「大人は常に自分を見ていて甘やかしてくれる」というのが染みついているようだ。同じように育っても,やはり1号には「お姉さん気質」があって「大人に負担をかけない自分はエライでしょ」という立ち位置に入り込むので,7割方はうまくいく(残り3割は,そうじゃない,ということをやってより混乱を大きくする)。
4月から一緒に暮らしている実父は,子供を甘やかしてくれない。3号がいて,祖父母もいないので,大人の絶対数も足りていない。なにかと「父=1号2号」「母=3号」という配分になるのだが,ただでさえ自分に優しくない父が,しかも1号と半々でしか面倒を見てくれない。2号はそれが大いに不満らしく,すぐに母を求めて動き始める。それで父からも母からも叱られる。
2号が育った環境には同年齢の親戚が複数いたが,圧倒的に口が達者だった2号は,自由に振る舞っても大人に褒められてきた。そういう経験がある。また日本での幼稚園経験は4ヶ月のみだった。なのでコチラの団地キッズとうまく遊べない。まず言葉が通じない。また少し年齢が上の子供にフォローしていくことが出来ない(1号はこれがが得意。何となく皆に合わせて遊ぶので先方からも歓迎される)。むしろ自分主導で遊ぶべく皆の遊びを破壊してしまう。さらに年長者が相手をしてくれないと自分一人で遊べない。これが積もって,外で遊んでも楽しくない状況に陥ってしまっている。
泣き癖がついていて,ちょっとイヤな気分になるとすぐに泣く。家の中で泣かれるのは本当に不快になる。家が石造りなので音がよく響くというのもあるかもしれない。また泣くのは染みついた交渉術のようなもので,あやすために何かを出してくる/甘やかしてくれるというのを,無意識下に期待しているように見える。少なくとも,お母さんと二人になる時間がもたらされるとは思っている様子。しかしそのようにはいかない。
父母子が相互に負担を感じあっている現状は,間違いなく良くない。しかしだからといって,2号が機嫌良く暮らしていくことに重きを置くことは,思想的にも労力的にも不可能に近い。
「甘やかさないけど褒める」「褒めるけど甘やかさない」という親の方針がある。2号がこの違いに気付くのが先か,こちらがそれらを混合したうまい方法を見つけるのが先か。はたして。