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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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「楽しく生きていたい」これに尽きる。

そのためにどういう状況が必要なのか。

「自分の周囲の人々が楽しく生きている中で自分も生きていく」のがきっと楽しいだろう。

そんで「自分の周囲」って何かねと聞かれれば,まぁつまり世界ですよ。ボクの場合は。ネットを開くだけで見える範囲でこんな状況で,きっとネットでは見えないところにはもっともっとアレな状況が広がっているのだと思っています。

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じゃあどうするか。垂直と水平の展開がありえる。自分が暮らしている「層」の中で(水平方向に)より強く思いを巡らせるということもありえる。研究業界だったり,収入の頃合いだったり,まぁそういう社会的地位みたいなもの。

でもあんまりそこには興味がない。どちらかというと,もっと垂直方向だと思う。というか,自分がいま身を置いている「層」は,極めて恵まれていて,この内側でさらに状況を良くしていくというのが,ボクにとってはそれほど重要に思えない。具体的に言えば,「研究者の給料が少ない」とか「自由な時間が少ない」とか「任期制がー」とか「アホとは一緒に仕事ができん」とか「ジャパニーズ・お役所仕事がー」とか何とかかんとか,そういう「問題」が水平方向の人々と共有されているわけ。

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でもボクの状況って,もうちょっと広い範囲から見たら,たとえば世界の人々を履歴書的というかカタログ的に見たら,本当に恵まれていると思う。日本という比較的平和な国に生まれ育って,一般的に見れば健康で,男性で,公教育を享受して,今の給料は平均以上にはあるし,労働条件は悪くないし,子供もいる。70億人スケールで見たら,上位1%レベルで恵まれている状況にあると思う。

そんな1%層にいる自分が,例外的に恵まれている1%層の自分が,その状況を享受してノウノウと生きて「あぁ楽しいなぁー」なんて言っていて良いのか。いや違うな。そんな自分の状況を認識してしまっている現状では,無邪気に「あぁ楽しいなぁー」という気分にはなれない,というのが今の心境なんだな。

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おこがましい?恩着せがましい?厚かましい?ピッタリくる表現はわかんないけども,そういう態度であることは理解している。理解しているんだけども,やっぱり自分がノウノウと暮らしているのは,オサマリが悪い。

結局は自分のオサマリの悪さを解消したくて,そのために「キミは不幸な人だね。ボクが助けてあげるよ。」とやって気持ちよくなりたいだけなんだな。なんてイヤなヤツなんだ。最低だな。

そもそも自分を「上位1%層にいる」とか言ってる時点で終わってる。マジで終わってる。きもい。

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でも,間違いなく最低でキモイんだけど,でもやっぱり,この世界には「それはアカンでしょ」ということが蔓延していて,それに気付いていて,それを解消できる立場にあって,それをどうにもしないでただ看過するだけってのは,それはそれで最低なことだと思う。

どう言って良いのかよくわかんないけど,たとえば女性の方が「損」していると思う。損をさせる社会があって,損させられている当人達が頑張らないとそれが解消できない状況にある。そんなのはおかしい。

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自由とか人権とか公教育とか,何でそんなものがあるのかって,その人間の「生」を他人が収奪しないために,昔の人が色々と考えて創作したからこそ,あるんだと思ってる。そういうモノを開発して普及させた人達自身は,別に収奪される側ではなかったんじゃないかな,とも思う。本当に収奪される側の人間だったら,こんなモノを創作するだけの知力も体力も,獲得することが困難だったはずだと思う。まぁこの辺りは勉強すればすぐにわかるか。

いずれにせよ,ボクはそうやって今ここに存在している自由とか人権とか公教育とか,そういうものをたっぷりと享受して,それなりに楽しく生きている。そしてボク自身は,自由とか人権とか公教育とか,そういうモノが機能している社会の方が,より多くの人が幸せになれて,そういう社会で生きている方が自分もより幸せになれると確信している。

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そんなわけで,動機は「自分が気持ちよくなりたい」という極めてキモイものなんだけども,自分がやろうとしていることについては「悪くないんじゃないかな」と思っている。

ということで,目標というか大きな方針としては,「人道・理念にもとる社会的な問題」だと思うことについて,たとえ自分がその問題における直接的な被害者でなかったとしても,改善するように何らかのアクションを起こしていこう。そんなことになる。

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それで実践上,何をどうするかということ。つまり「垂直方向にどこまで延ばしてアプローチするか」ってことと「アプローチの方法をどうするか」ってこと。

自分が今置かれている状況を最大限に利用するなら,やっぱり「大学教育を通じた何か」になる。つまり対象は「大学生」あるいは「大学界隈の人々」になる。アプローチの方法は,まずはごく単純に「大学教員としての業務」を通じたものがある。でもこれだけで良いのだろうか,という悩みが残る。「大学教員である」ということを利用して,もうちょっと先に延ばしたアプローチも可能なんじゃないか。それが何かは煮え切らないけども。

あとはやっぱり,ウェブを通じた取り組み。今はこうして駄文を連ねることぐらいしか出来ないけども,もしかしたらもうちょっと違う何かができるかもしれない。できないかもしれない。それは考えないと。

100人に1のダメージを与えるよりも,100人の中にいる1人に100のダメージを与えるような,イオラよりもメラゾーマというか,そういうモノを目指している。

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だんだんわからなくなってきたので,このへんで。
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ある1年に大学へ入学する人数がだいたい60万
ある1年に修士に進学する人数がだいたい8万
ある1年に博士に進学する人数がだいたい2.5万弱
(大学教員は20万程度らしい)

4大卒で就職する比率は8割以上。
修士に進むのは15%未満。
博士を取得するのは5%未満。

やっぱり大学教育ってものをどうするか,あるいは大学というものの役割をどうするか,その部分に対して真っ正面から向き合っていかねばならんと思う。授業料無償化とか給付型奨学金とか,そういう議論ももちろん進めれば良いけども,でもやっぱり「そもそもどうして大学が必要なの?」って部分を社会で共有できていないことには,議論が立ち返る場所がないし,「どうしてそこに税金を」という話に戻ってしまうことは容易に想像ができる。

あとそこを突き詰めることで「大学教員は”研究者”である必要があるか」という議論にもつながる。これは色々な見方があるだろうけども。たとえば欧米式だと学部生の授業は,大学院生がTAとして受け持つ比率が小さくないらしい。日本でも非常勤講師だったり,あるいは企業人が教員として授業をすることもあるようだし。

とにかく議論が偏っているのが気になる。偏っているというのは,トップクラスの大学(東大以下帝大など)の人々が,彼らの世界観での「大学」を語り方針を決めがちな現状があるんだけども,でも実態として大学(大学生)のヴォリュームゾーンにおける実態としての大学(大学生)ってのは,そういうトップクラス大学の世界観とは似ても似つかぬものだと思う。

じゃあこの両者(トップクラスと非トップクラス)で,「社会における大学の役割」という大スローガンを別々に掲げるのはどうかというと,それはそれで大問題な気がする(たぶん制度的に)。だからそこは分別せずに,同一視して共有しつつも,各大学における教育強度みたいなもので分別するのが良いんじゃないかと考えるわけ。

トップクラス大学が目指しているのは,次世代の研究者・大学教員・官僚・医者・経営者など,社会を牽引するリーダー的な人材の育成なんだろう。たぶんこの部分は明確で,それほど見解の相違が生じることはない。

翻って,非トップ大学が目指しているのは,いったい何なのだろうか。「特色ある大学」や「地域貢献」というが,果たしてそれが意味するものは。特に大学での「教育」に焦点を当てた場合に,非トップ大学はどういう人材を育成することを目的にするのだろうか。あるいは世間は非トップ大学にどういう人材を育成することを望んでいるのだろうか。ここが不明瞭なんじゃないか。


自分自身が北大でしか大学生活を送っていないので,こういうことは想像するしかない。しかしまぁ,どうなんだろうか。せっかく時間があるので,整理していきたい。
「誕生パーティーがわからない」の回を読んで,
とても印象的だったのでメールしました.
単なる自慢話に聞こえそうですが.

我が家では,友達を呼んでの「誕生パーティー」はしたことありません.
11月にあった長女のX才の誕生日はこんな感じ.

・妻が芋とイチジクのスポンジケーキを作って,みんなで食べた.
・家族みんなで「ハッピーバースデイ」を歌った.
・プレゼントは妻がばあちゃんの服の生地を再利用して作った手袋.登下校が寒くなってきたので娘喜ぶ.
・同時に次女には部屋履き用の手作り靴下をあげる(次女は前からこれが欲しかったらしく喜ぶ).
・長女をはじめ,みんなが産まれたときの様子を妻と私が得意気に話す.当時の写真を見直すこともある.

毎回,大体こんな感じです.
他の家族に向かって「誕生日はこう過ごすべきだ」と言いたいわけではなくて,
我が家ではこのような過ごし方が気に入っている,ということです.

行事としては大規模なことはしませんが,気持ちとしては誕生日は特別です.
その一年に特に何もなかったとしても,
子どもたちと一緒に,その年齢まで生き抜いてこれたことが私にとっては嬉しいからです.

特に何かをしたわけではありませんが,家族を作りながらここまで来るのに,
大げさではなくて私と妻にとっては必死でした(今もかなり必死).
なので,何事もなく子どもたちと自分たちの誕生日が迎えられることは,
嬉しく感じます.
ありがたいことだ,と感じます.

誕生日の捉え方や過ごし方は,
人それぞれあると思いますし,
それでよいのではないかと思います.
チューリッヒに来て4ヶ月が経過したところでの帰国。スイスの人々との交流はそれほどでもないし,スイスの習慣にどっぷり浸かっているわけでもない。そんな状況で日本に戻って,どう感じたかってことを,記録しておこうと思う。以下つらつら。

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自動販売機が素晴らしい。あれはすばらしい。今回は特に味噌汁と汁粉にお世話になった。100円ちょっとで,温かくて美味しいモノが,即座に手に入る。自販機へのSuica普及も素晴らしい。煩わしいコミュニケーションがないのは良い。チューリッヒにも自動販売機があるが,総じて割高(500のペットが300円ぐらいとか)。自動販売機の負の側面(労働負担・環境負荷)はマジメに評価する必要があるが,とはいえ,素晴らしい。

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コケがはえてる。空気の湿度の違いだろうけども,地面や壁がべたっとしていて,薄くコケがはえている。道の端も黒ずんでいたり,雑草が元気に生えていたり。

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山間部に複雑な地形や植生が残っている。篠山という田舎にいったからかもしれんが。田んぼにしているところ以外はグネグネの地形で草木がボーボー。チューリッヒ郊外だと,地形はそのままだけど木はほとんど伐採されていて丘のほとんどが放牧地になっている。その分,視界も開けている。良し悪しではないが,篠山は「うっそうとしている」という感じだった。

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「うるさい」。交通機関や街中や,とにかく色んな「音」がする。それぞれの機械からそれぞれのメロディーが流れていたり。電車が入線する,ドアが開く,信号が変わる,自販機に近づく,何をしても何らかのメロディーが流れる。ペラペラの音質で。店の店員もよく喋る。街中では勧誘などの声もする。音量が大きいのではなく,音の放出源が多い。情報量も多い。「京成線内でおきました急病のお客様の救護のため」遅延しているらしいが,「遅延」以外の情報っているか?むしろ前段の情報のせいで,「遅延」なのか「停止」なのかがわかりにくい。

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掲示物も「うるさい」。まずポスターや看板が多い。色使いもドギツイものが多い。その上,それぞれのコンテンツにビッチリと文字が書かれている。大きなものから小さなものまで「うるさい」。たとえばトイレの水洗ボタン。「このボタンを押すと水が流れます」って書いてある。「流す」で十分でしょ,と。さらにそれを英訳・中訳したものが並記してあったり。エスカレーターの絵に斜め上向きの矢印が描かれているアイコンが看板にある。その横に「のぼりエスカレーター/Escalator UP」と文字が書いてある。アイコンにしてる意味がない。看板文字のフォント・サイズ・配置にも統一感がなく詰め込んでいる。「デザイン」がわかっていないんだな。

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街が汚い。自分の中に「日本はきれい」という何となくの幻想があったのかもしれない。そんなことは無かった。落ちているゴミはわりと多い。建物の外壁など,業者が入っているところはピカピカだが,それ以外は黒ずんでいたり。

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接客が良くない。言葉面は丁寧なんだけども,本当に懇切丁寧に接客しているかというと,そうでもない。あくまでお仕事として,表面的に「丁寧さ」を演出しているのが丸わかり。表現が難しいところではなるが。あくまで「賃金労働としての丁寧さ」ということか。たぶん私生活において「紳士的に振る舞う」という文化がないので,極端な擬装になってしまうのではないかと。チューリッヒで店に行ったり近所づきあいをしたりすると,もうちょっと自然でグラデュアルな「丁寧さ」があるように感じる。

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他人に対する態度が極端。日本では自分と知り合い以外は「敵視」ぐらいの感じを受けた。新幹線の自由席の奪い合いとか,席を詰める時の振る舞いとか,ベビーカーが載ってきた時とか。露骨にイヤそうにする。

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電車で人が寝てる。チューリッヒと日本で,それぞれ同じような位置付け(郊外の住宅地から都心への朝6時台の通勤電車)で乗車したが,8割が寝ていた。チューリッヒでは8割はフリーペーパーかスマホを見ている。電車内という場の位置付けと,朝という時間帯の位置づけと,疲労の残留と,大きな違いがあるんじゃないかと。あとは身なりが汚いというか「だらしない」かな。服がヨレヨレだったり,カバンがしなしなだったり。チューリッヒの方が「パリッと」しているように。

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だめだ。滞在中の感情の生々しい部分がだいぶ減っている。帰りの機内で書くべきだった。
誕生パーティーをするのが,よくわからない。何がメデタイのか。何を祝っているのか。その日が「誕生日」であることだけを理由に祝っているのだとしたら,それは単なる「記念日厨」の発想だ。「1つ歳を重ねる」というならば,数え年文化を念頭におけば,正月を祝っていることがそれにあたるんじゃないか。

いわく「だって子供が喜ぶじゃない」。それは物事の前後が逆でしょう。子供を喜ばせるために企画しているのが誕生パーティーなわけで,子供が先天的に誕生パーティーを好きなわけがない。子供にとっては理由なんて何でも良いことで,単に好きなものが食べられて幸せな感じの雰囲気に包まれれば,それは喜ぶに決まっている。

じゃあ毎日そんな生活を心がければ良いじゃないか。毎朝毎晩「この世にうまれておめでとう/ありがとう」と言って暮らせば良い。毎日三食おいしいケーキを食べ続ければ良い。24時間部屋の中を飾り付けておけば良い。そうしない理由はない。

「毎日じゃ意味が無い。感動が薄れる。稀にある特別な日であることが重要」ということであれば,別に誕生日である必要はない。正月でも良いし,毎月1日でも良い。ことさら「誕生日」に紐付けする理由はない。

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まぁそういうことを考えてきた中で,実際に自分の子供がいて,その誕生日を祝う様子などを見ていると,本当に悪影響しか見えてこない。一ヶ月前から自分の誕生日に向けてカウントダウンをして,「ああしたい,こうしたい,ああしてほしい,こうしてほしい」と延々言い続けている。自分が祝われる立場であること,皆が自分を祝福することを,当然のものとして考えている。

これが「愛されて育つ」ということなのかもしれない。誰もが自分に対して善意を持っていると信じて疑わない心の醸成。仮にそれを究極の目的として子育てをしているのであれば,その一貫として誕生パーティーを企図しているのであれば,皮肉ではなく「本当にうまくできた仕組みだなぁ」と思う。でも,たぶんそうじゃない。

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昨夜は言葉の通じない団地の子供達を招待したこともあって,負の側面がすごく顕著に出現した。それを目の当たりにして,やるせない気分になった。

まずパーティーをやるので来て欲しい,と伝えるにあたって,相手の意向を把握することができない。「バースデイパーティー,カモン」と言い捨てるだけ。言われた側からすれば,理由もなく断るわけにもいかないだろうから,当然来てくれる。でも実際のところ,どう思っているかはわからない。言葉が通じないから。

実際,昨日きた子達は相当にとまどっていた。言葉の通じない家庭に呼ばれたが,頼りになる他の大人はいない。たとえば4歳児の悪ガキはケーキを食べなかったが,どうやらケーキが好きじゃなかったらしい。それは英語を喋れる最年長に通訳をしてもらってわかったこと。なんだか気まずい雰囲気になって(でもうちの子供達だけは多幸感でハイになっていて),結果的にケーキを食べて日本のお菓子を渡して30分も経たずに解散した。

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もう誕生パーティーはやりたくない。一日一日を元気に楽しく過ごして,素晴らしいことをしたら最高に祝われて,ダメなことをしたら叱られて,それだけで十分じゃないか。それが「誕生したことを祝う」ことじゃないか。

「無条件に祝福される場面がある」という感覚を持ってほしくない。何も成し遂げていないのに祝福される感覚を抱くのだとしたら,それは麻薬と同じだ。誕生パーティーは大人が子供に与える麻薬だ。すべての責任は大人にある。

もし誕生パーティーをするのであれば,単に「おめでとう,おめでとう」と言うのではなくて,お祝いに来てくれる皆に対して感謝することも,同じぐらい強く伝えるべきだ。
12月3日(土)
06時。実母からのメイルにて父方祖母の訃報を受ける。葬儀は12月5日(月)とのこと。飛行機を調べると,この日の昼過ぎまでに出れば間に合いそう。ヨメ氏に相談すると「私なら行く」とのお言葉。自分としても「冠婚葬祭は可能な限り参列」というポリシーもあるし,母方祖父母の時にも北海道や東京から参列したので,海外だからといって行かない理由にはならないよなぁと考え,渡航を決意する。

国際線の当日購入は初めてだったが20万円程度と無理ではない価格だった。葬儀があるのは関西なので,飛行機の取り方を悩んだが,日本国内移動はフレキシブルな方が良いと考えて,スイス航空チューリッヒ〜成田直通便を手配した。「12月5日(月)が葬儀」というが前後に通夜的なモノがあったり,あるいは家族の集まりがあったりするかもと考え,帰路は12月7日(水)昼成田発にした。航空券をポチってから,日本に行くなら会いたい人達に連絡を開始。同時に宿の手配にも取りかかる。あと日本でしか使わないカード類なども,引越時に封印した箱を開いて取り出す。

10時。自宅発。出国時にはパスポートに加えて滞在許可証の提示が必要だった。再入国することを考えたら,ここで滞在許可証の保持を確認してくれたことはありがたかった。13時チューリッヒ空港発。機内満席。通路側の席だったが隣人のサイズがでかく狭い。弱小会社のため映画ラインナップが貧弱で座席に充電ポートもない。しかも紙の本も持ち合わせがない。1時間だけ睡眠。

12月4日(日)
08時。成田着。まず短期プリペイドSIMカードを購入する。改札階のショップでは「デュアルSIM機種へは販売できない」と言われ,到着ロビー階のショップで購入することにした。7日間のパックを購入してセッティングするも,どうしても上手くいかない。よくよく確認してみると「データ通信専用のため電話は使えない」と書いてある。一度もそんな説明はなかった。これが「お・も・て・な・し」なのか?旅行先でプリペイドSIM買う人ってのは電話機能を求めないことが前提にあるのか?解せない思い。

この間Wifiでメイルして今後の行動を考える。両親は葬儀準備で忙しかろうと実姉に連絡する。「両親宅の鍵は姉が持っている(ボクは持っていない)。19時までに取りにくるべし。」とのことで,そうなると関東離脱は15時になる。しかも19時過ぎに両親宅入りしても誰もいないわけで,翌日の葬儀までヒマを持て余すことになる。これはイマイチ。とりあえずギリギリまで粘ることに決め,葉山の自宅まで向かう。

12時。大船駅でラーメン。一風堂みたいな店。良い。葉山自宅に到着して驚愕する。庭など草がボーボー。4ヶ月でここまでなるのかと。部屋の窓を開けて換気をしつつ喪服セットを回収する。途中に便意に襲われるも水道契約がないので近所のローゼンまでダッシュする(を2度繰り返す)。隣家のマダムが様子を見て訪問してくれて,夏に我が家で咲いていたひまわりとすいかの写真を見せてくれる。この辺りで元ポスドク女史と会えそうなことが判明し,姉に「21時まで延長を」と依頼。

15時。横浜で元ポスドク女史とお茶。公募戦績など現在の状況を聞いたり,こちらの状況をお喋りしたり。途中,同僚兄さんとのメイルで宿泊OKをもらう。妻子が里帰り中という僥倖。

19時。金沢文庫で兄さんと馴染みの焼鳥屋「風」。「あれ?もう帰国ですか?」とか言われながら南横浜ビール研究所のペールエールを飲みつつ焼鳥を食べつつ雑多なお喋りをする。途中,同僚若手も来てくれる。社内の雰囲気についてなど。22時頃に解散して兄さん宅。シャワーを浴びてリビングで就寝。24時頃。

12月5日(月)
05時。起床。身支度をして金沢文庫を出発。ピットインを懸念し飲まず食わずで新横浜まで。崎陽軒の炒飯弁当と明太蒲鉾とよなよなエール。寝不足に加えチューリッヒでは寝ている時刻(21-24時)なのでツライ。0830頃新大阪着。宝塚線(福知山線じゃないのか?)で宝塚。実姉と合流して両親宅に荷物を置く。

10時。宝塚発。宝塚駅であんぱんとコーヒー。快速で篠山口まで。姉とは特に会話もなく。タクシーでJAの葬儀場。両親にはそれほど疲労した様子がなく一安心。ほぼ面識のない親戚とご挨拶をしたり,軽食の弁当を食べたり。実父は「ええ戒名をつけてもろたんや。で,この漢字なんて読むかわかるか?」など安定のアホっぷり。実兄も到着。あいかわらず会話はない。10年が経過。

13時。葬儀開始。曹洞宗らしい。メインの坊さんが読経し,サブの坊さんが木魚や鐘を叩きながらユニゾンするスタイル。サブ坊さんはノドの調子が悪そう。1度目の火葬場で姉が,2度目の火葬場で兄が離脱。この間,特に誰とも喋らず,携帯を見たり本を読んだり。18時頃終了。参列者が村バスで帰るのを見送り,最後にタクシーで篠山口。特急こうのとりで宝塚。19時着。20時閉店の南口ルマンまで間に合いそうではあったが疲労を勘案して断念。阪急百貨店でカツ丼,アズナスで関西風すき焼きを購入して両親宅で食す。あると踏んだレトルト味噌汁がなくて意気消沈。湯を張って浸かる。20時過ぎには入眠。

12月6日(火)
06時。起床。宝塚発。在来線土産物コーナーで焼鯖寿司購入。新幹線構内でうどんやを見つけられず朝ラーメン(しょうゆ)にする。新幹線では頭が働かずボーッとすごす。

11時バスで会社へ。事務姉さん,同世代若手とお喋りの後,昼サッカー。食堂でそばを食べてから,悩める同僚と散歩をしながら長めのおしゃべり。自信がなくて踏み出せないんだなぁという感想を抱いたので「ごちゃごちゃ言わんと飛び込めよ!」という旨を伝える。つづいて上司ともおしゃべり。翌日から長期航海だったので会えて良かった。外角低めのコントロールだけが求められること,決断が出来ないこと,本音と建前の使い分けを放棄したこと,など。その他の人はすべて「髪が伸びた」と言ったが,スーパーパートさんだけは「太った」と。さすがの洞察力。形式上はホストになっている学振PD氏から今後の見通しを聞く。悪くないんじゃないかな。

18時。会社離脱。横浜で本屋をぶらぶら。20時から都内某所に潜伏して夜通しの宴。リラックスして私的な話などをつらつらと。研究職に就いたので学生時代から今に至る人間関係が連続的なので,研究関係とほぼ接点のない友人コミュニティは貴重である。たぶん02時ぐらいに入眠した。

12月7日(水)
05時。起床。6時過ぎに渋谷駅でコンビニおにぎり(いくら)と味噌汁缶。09時成田空港着。チェックイン時に滞在許可証を提示する。アナラウンジでカレー・焼きそば・カレーうどんを食してシャワーを浴びてすっきり。11時成田空港発。中4席で2席が空いている。離陸前に入眠。2時間後(?)の最初の食事で起床。これ以降は入眠はしないが体を横にするなどリラックスして過ごす。結婚式の余興の台本執筆など。16時チューリッヒ空港着。18時地元駅着。へろへろ。妻子の帰宅を待って20時就寝。
12月はツイッタでの垂れ流しを止めて,こちらのブログという穴蔵に書いていくことにした。

昔にくらべて,まとまった文章を(だらだらと,しかし)まとまった分量で書くことが出来なくなってきたと感じている。それはやっぱりツイッタ的な書き方が染みついてしまっているからなんじゃないかと考えたのも,今回の方針決定の一因ではある。一番はツイッタ解毒なわけですが。

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先日,某所(ツイッタですね)で見かけた「ラボガイド」という,教員が自ラボの学生向けに作っている小冊子を,ご厚意で拝見させていただいたのだけど,それがまぁ素晴らしいデキでして,「自分にはこんなこと出来ないなあ」と思ったのです。でもそもそもどうして拝見させていただいたかというと,自分もそういうモノを作る必要があると感じているからこそで,であれば,「出来ないなぁ」とか言ってないで,作らねばならないのです。

ラボガイドには2つの要素があるわけです。1つは現実に目の前にある実験室という意味での「ラボ」のガイドで,そこにあるモノ,そこで起こるコト,それらを研究視点と安全衛生視点の両面から網羅的に記載した書物。日々の実験などに追われ,色んなことがドンドン口伝になっていくのは良くない。良くないというか,悪い。ちゃんと口伝されない一番の要因は,実は実験者自身が適切な理解を持たないまま実験をしていることなんじゃないかと疑っている。もちろん自戒をこめて。つまり,他人に伝えるための労力が問題なのじゃなくて,他人に伝えることで対象としているモノ・コトに対する理解不足が露呈することを恐れていて,それを隠蔽するために,他人に伝えないということです。「どうして液体窒素で冷やすとガスが捕まるのか?」「イオンソースとは何ぞや?」などなど,ちゃんと説明しろと言われるとシドロモドロになる案件は山のようにあるわけです。

ラボガイドのもう1つの要素は,研究者が集まる「場/集団」という意味での「ラボ」のガイドで,セミナーとか役割分担とか共同生活とかそういう部分のルールの類がこれにあたる。これはPIの色が強く出る部分,というかPIの趣味で決まるってことですね。

いま自分は国の研究所にいて,大学教員ではないんだけども,まぁ広い意味では研究者養成に携わっているわけですよ。実際,学生やポスドクのホストになっていたり,試料を持って分析にくる学生(研究者)も受け入れているので。そういうことを考えると,早急にラボガイド(的なもの)を作っておく必要があるでしょう。というか,そういうモノ無しに,色んな人がラボを往来している現状というのはすごくマズイ。しかも今自分は外国にいるし。本当にマズイ。

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早いものでもう4ヶ月が経過した。すっかり(悪い意味で)落ち着いてしまっているので,生活習慣をかなり根深いところから掘り返して混ぜ返さねば,せっかくの遊学の意味がない,と考えていながら何もせず過ごしている。

それもこれも何が究極的な原因かと問われれば,おそらく「今後の生き方」が定まっていないことにある。今後の行き方と言うと仰々しいけども,すごく簡単に言ってしまえば,「サイエンスでエクセレンスを目指す」ということを目標にするのか,はたまたそれは手段であって目的は別のところ(大学教育的なモノなど)に明確に設定するのか,ということだ。もともと後者であったわけだけども,今の(日本の)ラボにいて「当面,在籍している間はエクセレンス路線で行こう」と決めて暮らしていた。

エクセレンス路線に対して,やっぱり煮え切らない気持ちというか,「なんか違うんじゃないかなー」という気持ちが捨てきれないでいる。それには2つの(もしかすると2つ以上の)視点がある。

1つは,今の業界でエクセレンスとされるサイエンスが,もうちょっと長い展望で見た時のエクセレンスから乖離してるんじゃないかということだ。自分の業界で言えば,物理・化学・生物・地質のあらゆるデータをテンコ盛りにして1つの論文として発表するとか,新規な手法で新規なデータを出すとか,モデルを仮定してフィットさせて見せるとか,まぁそういうのが「エクセレンス」と位置付けられているように感じられる。でも実際にうごめいている世界は,100個程度の元素だけから成り立っていて,あらゆる生物は物理化学法則に従っていて,まぁそういうシンプルなものだと思っている。シンプルな対象を,あえて「こねくりまわす」ような手法で論じて,そうやって出した結論が「新しい」ものだとして,それって何かおかしいんじゃないかと。「多彩な調味料が複雑に絡み合って絶妙なハーモニーを奏でていてめっちゃ美味しい料理。だけど素材の味は皆無」みたいな。違うか。でもイメージとしてはそんな感じで,つまり「白米・塩・うまい!」の方が理想なんじゃないか,というような意味だ。これまたちょっと違うけども「食事の目的って一次的には栄養摂取であって健康のためよね。味覚は二次的な要素だし健康を害するようではアレよね」というような意味のことが言いたいわけだ。「体には悪いけど美味しい!」って食事の必要性や,そのエクセレンスは大いに認めるところなわけだけども,それが主流になるというのはやはり歪んでいるのではないでしょうか。

もう1つのエクセレンス路線に対する「違うんじゃないかなー」ってのは,エクセレンスを目指す層の厚みとか質とか,そういう部分で「猫も杓子もエクセレンス」ってのは違うんじゃないかと。逆の見方で言うと,研究者と呼ばれる層のみんなが「エクセレンス」ばかり向いていて,これとは別に非研究者というグループがあって,その境界が完全に抜け落ちてしまっているんじゃないんかね,ということだ。すべての人を「研究者/非研究者」と分類することと,研究者の内側で「エクセレンス/非エクセレンス」と分類するとして,この「研究者でありながら非エクセレンスという存在は必要か否か」ということが悩みなのだ。さらにこれには志向の問題と,能力の問題と,両面があると思う。つまり「エクセレンスな(研究が出来る)研究者」でありながら「非セクセレンス路線を取る」ということに意味というか意義というか,それがあるんじゃないかと考えているということ。

まあとにかくそういうことで,悶々と悩み,鬱々としているわけです。続く。
日本の健康保険を継続しているため,そちらで読み替えられるらしい。
日・スイス社会保障協定 申請書一覧(加入免除手続き) 【日本年金機構】

情報は知っていたが,どうせ無理だと思って諦めていた。
しかしヨメ氏が駐在妻ネットワークから「やるべし」と言われたとのことで,
ダメ元で動いてみることに。

まず日本の勤務先に連絡。
すると「厚生年金保険・健康保険・船員保険適用証明書」で進めてくれるとのこと。
ちなみに日本の健康保険は「科学技術健康保険組合」である。

次に現地の保険会社。うちはSWICA
ウェブサイトから問い合わせをして「メイルで連絡」にチェックした。
しかし翌日に電話がかかってきた。英語電話つらい。
曰く「まずは市役所でconfirmation letterをもらえ。それを持ってうちに来い」と。

ということで市役所。(Zurich市の場合はKreisburoが窓口)
窓口姉さんも英語が苦手なのだが,お互いがんばって意思疎通。
姉さんがチューリッヒ州の保険局(Gesundheitsdirection)に電話で確認してくれた。
曰く「日本からの適用証明書が必要。それに所定の用紙*を添えて市役所に提出」と。
その後は,市役所から州保険局に連絡して,また市役所に証明書が届くらしい。
それを受け取って,保険会社に行って,これまでの契約分のキャンセル手続きとなる。
(*英語書式[Application for exemption from health insurance obligation])

保険会社の支払いについて,直接SWICAを訪問して確認。
ここまでの状況は,8月から住んでいて,すでに最初の3ヶ月分の掛金は支払い済み。
また「11月末が契約更新の期限」とウェブサイトに記載があった。
窓口兄さんとお話。
曰く,
「11月末期限とは別件。これは国内で契約会社を乗り換える場合の申告期限。」
「日本の保険でカバーするという本件の場合,期限はない。書類が出来たら手続き。」
「obligationとしての基本保険に入る必要が無いという本件の場合,全額返金。」
「ただし解約手続きまでに同保険を利用した場合は解約不可となる。」
と。
まだ解約をしていないし,返金もされていないので予断を許さぬ状況ではあるが,
本当に全額返金だとしたら,大助かりだ。

それにしても,SWICA兄さん,会社としての儲けが無くなる案件なのに,
ずっと笑顔で,拙い英語に嫌がる素振りも見せず,すべて懇切丁寧に教えてくれた。
彼の人柄なのか,スイスの国民性なのか。
SWICAが損する案件だけに,適当に言いくるめられるのでは無いかと構えていったのだが。
人を疑ってかかっている自分の人柄に問題があるんだな。
日本の免許証をスイスのものに書き換える手続き。
視力検査が必要ということで町の眼鏡屋へ。

ボクは左眼2.0,右目0.1以下といういわゆるガチャ目。
日本の免許では別室に置いてある「視野判定器」で片目視野を測定し,
130度以上(?)を記録しているので,免許にはメガネ制限がかかっていない。
スイスではどんな検査をするのかな,と。

単純な視力検査は日本と同じ。
両目で覗き込む器械で,気付かぬように片目ずつ遮断される。
【E】の字が色んな四方向を向いているのを回答する。
左眼は全問正解。右目は一問もわからず。
ここまではいつも通り。

次にガチャ目検査。
左眼視野には横向きに1~5の数字が映ってて,右目視野には縦線が映ってる。
(というのはコッソリと片目ずつ閉じて確認した)
両目を開けて見ると,縦線がグワングワンと動く。
これは,どうやら自分の焦点が定まっていなくて,
焦点を合わせようとすると右目の像が動いてしまっているのではないか,と。
その次に見せられたのは,
左眼視野に縦向きに1~3の数字が並んでいて,右目視野には横線が映っている。
これは2の位置でビタッと止まっていて動かない。
おそらく焦点を合わせる作業が左右の眼球運動であって上下の運動ではないからかと。

最後に奥行きの検査のようなもの。
説明が難しいが,自分には同一平面にすべての図が並んでいるように見えた。

「責任者に聞かないと,さらなる医者の診断が必要か否かが判断出来ない」
と言われて,少し町をぶらついて,また店に戻る。
「上司と話した結果,問題ないと言うことになりました」
「この紙にサインしたので,これを持って交通局に行ってね」
とのこと。
紙を受け取って,サヨナラ。

先人のブログによれば,10CHFとか5CHFとか,とにかく有料ということだったが,
なぜか請求はされなかった。
片目問題でごちゃごちゃしていて請求し忘れられたのかも。
ラッキー。
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