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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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文科省から,
「研究トップ30大学のみに資源を投下し,
 これを研究大学とし,
 残りは教育大学とする」
みたいな方針がチラリと見え隠れしているとか。
(以下,理系に限る話かも)

「学問の多様性の維持」とか,
「基礎科学は広い裾野が必要」とか,
研究者側からはそういう声があがるだろうけど,
一方でそういうことを言い出すとキリがない。
なぜなら,
科学技術史上,そんな状況になったことがないから。
これまで科学技術は,
裾野の拡がりと頂点の高さを,同時に大きくしてきた。
いわゆる「ピラミッド型」の発展
だから,
裾野の狭い「タワー型」の発展が,
本当に可能かどうか,値踏みすることは難しい。
なので,やはり,そこを議論の軸にすることは出来ない。
(結論でないから)

議論すべきは,
「先端研究と隔離された高等教育」
というものが存在しうるか否か。

文科省の方針で言うところの,
「研究大学」は,現在の大学にエッジを効かせたようなもので,
想像することは難しくない。
しかし一方,
「教育大学」は,難しい。

「教育大学」が,
専門学校や高専のような,
(と言ってもボクは内状を知らないので語れないが)
職業的な出口が比較的明示されている中での技術習得が,
教育目的の大きな軸の一つとなっているようなモノであれば,
それはやはり専門学校や高専であって,
「大学」では無いだろう。

結局のところ,
いつも行き着くところは同じで,
「大学」での「高等教育」とは何なのか,
何を目的としているのか。
少なくとも,
「科学技術の専門的知識を身につける」ことでは無いはずだ。

もっともっと,
「大学における教育」の意味を,
真剣に考えていかねばならないし,
それを抜きにして,
大学の研究機能強化や,
研究体制の改善などと話していても,
何も結論は出せないのだ。

それには,多様な大学の実態についての見聞を広めることが大事で,
学生としても教員としても,
旧帝大など先端研究大学しか経験したことが無い人が,
アレコレと議論できるようなものではないのだろう。

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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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