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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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5月17日ぐらいから左耳奥がコロコロ
5月25日ぐらいから体調わるめ
5月26日は連合で一泊
5月28日にノドと高熱が爆発
5月30日から咳が止まらず
6月3日から熊本で一泊
6月6日から子供で一泊
6月10日ぐらいから右顎下にぷつぷつ
6月12日ぐらいから左前腕が過敏


だいたいいつもの流れ。
疲労が溜まる。
扁桃腺がはれる。
高熱が出る。
熱がひいて咳が出る。
ヘルペスが出る。

これを年に数回。
どうにかならんもんか。
PR
年間売り上げ550億円,
月間販売タイトル4500本,
AV女優1万人,
AV男優70人
という売り文句に興味を持って購入。

AV男優のみで生計を立てる人々へのインタビューを中心に,
AV男優の実態,撮影現場の様子,セックスとは,愛とは,など。

面白かったのは,
全員が相手(女優・視聴者)をものすごく意識していること。
つまり自分が楽しい・気持ち良いということよりも,
相手が喜んでくれることに自分の喜びを見出す,ということ。
これって,スポーツの「プロ論」にも通じると思う。

ところどころに「へー」と思う統計や仕組みが紹介されているものの,
それ以上のことは特になく。
ボケーッと読んですぐ読了。

星3つ
http://www.amazon.co.jp/dp/4041103886
政治と宗教と家族の話は,よほど親しくない限り話してはならぬ。
そうやって教わった(のか刷り込まれたのか)わけだけど,
それってどうなの,ってことを,
今回のいわゆる大阪都構想の住民投票で考えたわけです。

「話してはならぬ」のは,
話し手と受け手の,両方が「未熟」であるからなんじゃないか,
というのが結論なのですが,
それをうまくまとめられないでいる状況です。


「話してはならぬ」のは「人それぞれに事情」があって,
傷つけてしまったり,不仲になってしまったりする。
そういうリスクを感じて,そのリスクを回避しようということなんだろうと思う。

でも,じゃあなんで,「リスク」が生じてしまうのだろうか。


イマイチまとまってないので,今日はここまで。
ナギの幼稚園の親子遠足に参加。
09時に幼稚園に集合して,3ブロックほど先の緑地公園へ。
記念撮影,ドラえもんダンス,自由時間,お弁当,帰路,14時解散。

親の構成としては,母親のみ参加が8割ぐらいで圧倒的。
GWの谷間だからか両親参加が2割弱。
その他(父親のみのウチも含む)は5組ぐらいか。
下の子供をベビーカーで連れてきている組も多かった。

出発前に,園長先生が幼稚園側の意図として,遠足の目的を3つあげた。
1. 幼稚園での子供の様子を親が見る
2. 子供と外を出歩く時の作法を親が身につける
3. 親同士の親睦を深める

1は,そのまんま。
2は,「手を離さない」「親は常に車道側へ」「交差点では立ち止まる」の3点。
3は,どうなんでしょうか。

そんな話を聞いた上で出発しても,
子供が路上で遊ぶのを放っておいたり,
携帯いじってたり,
そういう親がわりと多かった(感覚的には2割ぐらい)。
あと,よその子がそうやって遊び回ってるのに対して,
注意したり,車道に飛び出さないように手を出したり,
そういうことは,ほとんどどの親もやってなかった。


一番の戦慄がお弁当タイム。

タコさんウインナーどころか,
ハート型の卵焼きとか,
星形のサンドイッチとか,
もちろんキャラ弁とか,
とにかく手間暇かかった手作り弁当ばかり。

かくいう我が家も手作りで,
オニギリが人面になっていたわけです。
それだけではなくて,家を出る前には,
「暑くて腐るかもしれないから,お弁当の時間に公園まで届ける」
などとも言っていたわけです。

こういうのって,ボクにはサッパリ理解できない。
むしろこういうのが,「生き苦しい世の中」を形成しているんじゃないかと真剣に思う。

幼稚園に子供を行かせるのは,
子供の成長のためってのが第一にはあるけども,
少なくない比率で「親がラクをするため」ってのも理由としてあると思うのです。
もちろんそうじゃない家庭もあるだろうし,それ自体は良し悪しの話じゃないけど,
「親がラクをする」ってことを,何か否定的な意味合いだけで捉えるのは,
それは違うんじゃないの,と思うわけです。

「親がラクをする」っていうと,
「子供への愛がない」って捉える人が少なくない。
そういうのの具体的な形として,
「お弁当は手作りじゃないと(子供が愛を感じない)」ってのがあるんだと思う。
それを自分自身が思って,それで自分が弁当を作るなら,それはそれで良い。

でもボクが感じるのは,それだけじゃないよな,ってことで,
なんというか,もう一周迂回しているような感じ。

つまり,
「お弁当は手作りじゃないと(子供が愛を感じない)」って自意識があって,
それが他人に向いて,
「お弁当が手作りじゃないなんて(ロクな家庭じゃないのね)」ってなって,
それがもう一度ひっくり返って,
「お弁当が手作りじゃないなんて(ロクな家庭じゃないのねって思われる)」ってなって,
そんな視線を感じるがゆえに,
忙しい中わざわざ凝ったお弁当を作っているんじゃないか,って。

そんな風に考えちゃって,グッタリしてしまった。


ボクは家人(嫁・義母)に対しては,
「コンビニ弁当でも良いじゃん」「パン屋のパンじゃダメなの」と言ったんだけど,
やっぱりその感覚は彼女らにとっては受け入れ難いものだったみたい。

「世間」が総体として「なんとなく形成していく空気」みたいなものに対して,
ボクはすごく反感を抱く習性がある。
その感覚が,家人と共有できていないってのが悲しいし,
ひいてはうちの子もそういう価値観に育っていくのかと想像したりして,
今後の生き方について考え込んでしまっている。

【今日のダーリン】2015/04/25より。


 「本気」までは、けっこうなれるのだ。
 「本気」というのは、瞬間でもかまわないし、
 「本気」でやった結果が不首尾に終っても、
 いいといえばいいようなところがある。
 しかし、「ほんとうの本気」の場合は、
 地面に叩きつけられるような失敗があっても、
 「やらなきゃならないから」また立ち上がる。
 あたりまえのこととして、ファイティングポーズをとる。
 そこでうまくいかないことがあっても、
 やめずに、どうやったらうまくいくのか考えて、
 考えたことをやってみる。
 やってみるだけの条件が整わなかったら、
 それをするために、また「本気」になる。
 
 「夢」を語る人は多いけれど、
 それが語るだけのためのものだったりすることも多い。
 「ほぼ日」の2月にやったイベント
 『活きる場所のつくりかた』に出てくれた人たちは、
 みんな共通して、「ほんとうの本気」をやっていた。
 「ほんとうの本気」というのは、
 大きく目を見開いて、肩ひじに力を入れてやること?
 そうじゃない、「ほんとうにやる」にはどうしたらいいか
 考えて、ほんとうに動き出すことなのだ。
 それを笑顔でやれたら、もっといいけどね。
 そのほうが、人が手伝いたくもなるしね。
最近「建前」の捉え方について考えてる。

「建前」って「かくあるべし」みたいなモノで,
いわば「理想」みたいなモノだと思う。
それに対して「本音」の方は,
「でも現実ってこうだよね」というようなモノ。

「建前」ってのは社会で共有されている(という設定の)モノで,
だから,ある時に「建前」を掲げてしまうと,
意外とその「建前」は堅牢なものになってしまう。

「ある時の理想」を「建前」にしたんだけど,
その後,状況がかわって「理想」も変わることがある。

そういう時に,
「建前」を堅持することで,
「建前」が「今の理想」と乖離してしまう。

そういう状況になっている場合に,
「建前」に対して「本音」と「理想」の2つが逆方向に存在することになって,
これが整理しきれてないと,
同じように「それは建前でしょ」って言い方をしても,
むかっていく主張がまったく逆方向ってことになる。

「建前」が堅牢すぎるのも考え物だ。
幼馴染みであるTATSUO氏がスタイリングをしたという舞台を見てきました。
それ以外の理由はなしに,ただ単にそれだけの理由で。


作品はいわゆる「フクシマ後」を描いたもの。
ある家族(一族)を中心として,
それぞれの「アレ」に対する「考え」と「思い」が行き交う感じ。
本でじっくり読んでも読み応えがあるような,
そんな内容を,舞台でドバーッとたたみかけられた。
自分の中で色んなものが飽和してしまって,
全体に対してこれという感想を述べることが難しい。

これという場面を考えると,やはり,
いろんなことがあって,ぐるぐる頭を悩ませても,
やっぱり最後は「ご飯を食べる」ということ。
「生きる」「生きていく」ってことを極端に純化していった先の,
絶対不可避な結晶が「食べる」ってことなんだって。


あとは作品の中身じゃないけど,
やっぱり「ナマ」は良いな,と。
鑑賞はライブに限るね。


菅原文太「誠意ってなにかね」
福留孝介「誠意は言葉ではなく金額」

というのはさておき,
「評価」されてばかりですが,
それがどういう形で反映されているのか,
まったく見えないんですよ。

というか,たぶん,
なんにも反映されてないんですよ。

じゃあなんで「評価」やってんの,と。
被評価者として,真摯に自己評価しているわけですよ,こっちは。

やってられませんよ。
2月23日までの産休(第二子の隔離)の後,
一泊二日で横浜の自宅に滞在し,
2月24日から妻子の住む家で育休。
合間合間にちょろちょろコメダで執筆を進める。

3月3日に一次予選突破の報が入り,
急転直下の申請書祭り。
3月9日に「帰って良し」の許可が大命が下ったので帰宅。
月刊TAKAHASHIなど行きつつ申請書祭りを継続。
ゴールが見えてきたところ。

この後,育休第二段を1週間とって,
月末から完全復帰の予定。


産休・育休はバシバシ取るべしって意見は変わらないけど,
多くの人が関与するプロジェクトが動き出すと,
「(迷惑をかけるし)休んでいられないなぁ」と思ってしまうことを実感。

落ち着いたら,ゆっくり振り返ろう。
2月6日(金)が予定日だったこともあり,
2月5日(木)から2泊でヨメ宅に入ったが産気がなく,
幼稚園の図書当番とスイミングの送り迎えをしただけ。

2月7日(土)には東京事務所で学会の評議員会。
その後も呼び出しがないので,
2月8日(日)から2月10日(火)は出勤。

2月11日(水)にヨメ宅に行き,
2月12日(木)からは,
幼稚園も習い事もない第2子(ムスコ)を隔離すべく実家へ。
2月13日(金)は九大で修士進捗報告会で(一応)指導学生の状況把握。

2月14日(土)の朝に伯母が亡くなったと連絡。
2月14日(土)の夜に第3子(次女)が産まれたと連絡。
2月15日(日)は通夜。
2月16日(月)は葬式。

2月17日(火)と2月18日(水)は平日育児(放棄してちょっと仕事したり)

2月19日(木)の朝から実母とムスコと3人で北海道。
電車バカのムスコに他のモノへ関心を持つように仕向けることと,
温泉バカの実母への労いなどをあわせて。
伊丹ー千歳ー羊ヶ丘ー中山峠ー北湯沢ホロホロー洞爺湖ー千歳
2月20日(金)の16時伊丹着。
家族旅行はゼッタイにしないと神様に誓うほどに疲労困憊。


今年度いっぱいは自主的育休になる模様。

我が社の男性育休制度は,
「休んでも良いけど無給だよ(はあと)」なのだが,
どうやら事務職員向けの制度のようで,
研究員の評価や任期がどうなるといったことは不明。
当面は航海振休と有給休暇でやり過ごそう。
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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