自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
あるところで「価値がある」ものが,
別の場所でも「価値がある」かというと,そうではない。
そういうことを考えたのは,セブンカフェの話題から。
http://sevencafecoffeemakeradhocsignage.tumblr.com/
某デザイナーによるシンプルな感じがスタイリッシュ(なのか?)なサーバーが,
各店舗に配置されるや「わかりやすく」という配慮から,
テプラなどでバンバン装飾されて台無しになっているという話。
ボクは,何も装飾されていないオリジナルバージョンを見て,
「オシャレだな」と思ったし,「わかりにくい」とも思わなかった。
つまり,ボクの中の「文脈」では,
このサーバーは価値が認められたということになる。
でも,多くの店舗ではそうではないらしい。
より多くの情報を(デザイン的な配慮は乏しくとも)掲載している現状は,
コンビニにおけるセルフサービス式コーヒーサーバには,
「デザイン」などには価値が求められておらず,
むしろ「誰もが」「間違うことなく」コーヒーをいれられるという,
「機能にこそ価値が認められている」ことを表しているのだろう。
ここでいう「誰もが」というのが重要なポイント。
特定の層,たとえばこのデザインがステキと思って,
かつ,RegularとかLargeとかの意味を判読できて,
かつ,RとかLとかがそれらのアイコンになっていることを理解できる,
そういう「層」には,オリジナルデザインは「価値」が認められるかもしれない。
でも,コンビニの店員は,そういう文脈では考えない。
なぜならコンビニにやってくる客は,
老若男女を問わず不特定で,
さらにそれが一日数百人(もっと?)もやってくるわけだから,
来客はできる限りベルトコンベア的に捌いていきたいと考えている。
そんな客の中には,
「買いたいけど,使い方がわからない」と思う人が数人いるかもしれないし,
それには接客の基本として,誠心誠意対応しなければならず,
それはレジ機能を停止してしまうリスク,
つまりコンビニ店員の文脈では「マイナスの価値」でしかない。
もしかしたら,
そう考えて作成したテプラまみれのサーバを「ダサい」と感じて,
それでコーヒーの購入を止める人がいるかもしれない。
でもそれは,店員の文脈では,労力が割かれるわけでは無いので,リスクではない。
(経営者的にはちょっとしたリスクだけど)
-----------------------------
いたるところにコンビニがあって,
そこで働く人はその地域の一般的な人であることを考えると,
(特殊な教育や職業訓練を受けていないという意味で)
コンビニ店員っていうのは,
ある地域に暮らす人々の平均的なモデルと言えるかもしれない。
(もちろんコンビニ店員という役割のバイアスはあるが)
そう考えると,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことについては,
日本全国で,かなり高いレベルにあるんじゃないかな,と思う。
それに付随して,
「与えられた文脈から逸脱するものを切り捨てる」ことについても,
なかなか思い切った決断と行動力を発揮しているように思う。
だって,本部機能が一押しとして作って配置している機械を,
現場の判断で勝手に改変してしまっているわけだから,
これはかなり背信的だと言えるだろうに,
でもそんなのおかまいなしで,
現場の「お客様第一」という文脈が,何よりの価値基準になっているわけだ。
-----------------------------
学校での試験も,同じようなことかもしれない。
「試験で高い点数を取る」という文脈が与えられたら,
その価値は「高い点数を取る」ことだから,
夜更かしもすればカンニングもする。
つまり,学校機能の中の文脈で,
自分の価値を高めることにやっきになってしまう。
でも試験の目的って,
学習の到達度を,教える側と教わる側の双方で確認することであって,
点数はその目安でしかない。
夜更かしは学習意欲と体力を低下させるし,
カンニングするヒマがあれば勉強すればいいだけの話だ。
-----------------------------
日本人の得意とするところが,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことだとして,
逆に不得手,あるいは忌避しているようなことは,
「複数の文脈が存在していることに気付く」
「複数の文脈から1つを選択する」
「文脈から逸脱する」
「文脈を与える」
というようなことかもしれない。
疲れてきたので,このへんで
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別の場所でも「価値がある」かというと,そうではない。
そういうことを考えたのは,セブンカフェの話題から。
http://sevencafecoffeemakeradhocsignage.tumblr.com/
某デザイナーによるシンプルな感じがスタイリッシュ(なのか?)なサーバーが,
各店舗に配置されるや「わかりやすく」という配慮から,
テプラなどでバンバン装飾されて台無しになっているという話。
ボクは,何も装飾されていないオリジナルバージョンを見て,
「オシャレだな」と思ったし,「わかりにくい」とも思わなかった。
つまり,ボクの中の「文脈」では,
このサーバーは価値が認められたということになる。
でも,多くの店舗ではそうではないらしい。
より多くの情報を(デザイン的な配慮は乏しくとも)掲載している現状は,
コンビニにおけるセルフサービス式コーヒーサーバには,
「デザイン」などには価値が求められておらず,
むしろ「誰もが」「間違うことなく」コーヒーをいれられるという,
「機能にこそ価値が認められている」ことを表しているのだろう。
ここでいう「誰もが」というのが重要なポイント。
特定の層,たとえばこのデザインがステキと思って,
かつ,RegularとかLargeとかの意味を判読できて,
かつ,RとかLとかがそれらのアイコンになっていることを理解できる,
そういう「層」には,オリジナルデザインは「価値」が認められるかもしれない。
でも,コンビニの店員は,そういう文脈では考えない。
なぜならコンビニにやってくる客は,
老若男女を問わず不特定で,
さらにそれが一日数百人(もっと?)もやってくるわけだから,
来客はできる限りベルトコンベア的に捌いていきたいと考えている。
そんな客の中には,
「買いたいけど,使い方がわからない」と思う人が数人いるかもしれないし,
それには接客の基本として,誠心誠意対応しなければならず,
それはレジ機能を停止してしまうリスク,
つまりコンビニ店員の文脈では「マイナスの価値」でしかない。
もしかしたら,
そう考えて作成したテプラまみれのサーバを「ダサい」と感じて,
それでコーヒーの購入を止める人がいるかもしれない。
でもそれは,店員の文脈では,労力が割かれるわけでは無いので,リスクではない。
(経営者的にはちょっとしたリスクだけど)
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いたるところにコンビニがあって,
そこで働く人はその地域の一般的な人であることを考えると,
(特殊な教育や職業訓練を受けていないという意味で)
コンビニ店員っていうのは,
ある地域に暮らす人々の平均的なモデルと言えるかもしれない。
(もちろんコンビニ店員という役割のバイアスはあるが)
そう考えると,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことについては,
日本全国で,かなり高いレベルにあるんじゃないかな,と思う。
それに付随して,
「与えられた文脈から逸脱するものを切り捨てる」ことについても,
なかなか思い切った決断と行動力を発揮しているように思う。
だって,本部機能が一押しとして作って配置している機械を,
現場の判断で勝手に改変してしまっているわけだから,
これはかなり背信的だと言えるだろうに,
でもそんなのおかまいなしで,
現場の「お客様第一」という文脈が,何よりの価値基準になっているわけだ。
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学校での試験も,同じようなことかもしれない。
「試験で高い点数を取る」という文脈が与えられたら,
その価値は「高い点数を取る」ことだから,
夜更かしもすればカンニングもする。
つまり,学校機能の中の文脈で,
自分の価値を高めることにやっきになってしまう。
でも試験の目的って,
学習の到達度を,教える側と教わる側の双方で確認することであって,
点数はその目安でしかない。
夜更かしは学習意欲と体力を低下させるし,
カンニングするヒマがあれば勉強すればいいだけの話だ。
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日本人の得意とするところが,
「与えられた文脈の中で価値あることを追究する」ことだとして,
逆に不得手,あるいは忌避しているようなことは,
「複数の文脈が存在していることに気付く」
「複数の文脈から1つを選択する」
「文脈から逸脱する」
「文脈を与える」
というようなことかもしれない。
疲れてきたので,このへんで
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