自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
わが愛する母校、北海道大学で大学院の集中講義をしてきた。
2006年の修士卒業後、北大には幾度となく訪問していたのだが、今回は特別に"くる"ものがあった。
大学院の集中講義というのは、大学全体から見ればほんのわずかな出来事ではあるのだけども、それでも自分にとっては滅多にない教育機会なので、それだけでも身の引き締まる思いのだが、それに輪を掛けて、自分が(講義には出ていないのだけども)学んだ場所で自分が教える側に回るというのは、やはり何かこう、グッとくるのだ。
正直、ちょっとウルッときちゃったよね、構内に足を踏み入れた時に。
おセンチになりながら、卒論修論の3年間を過ごした理学部6号館の8階に行ったら、卒論生部屋も院生部屋(6-8-08)も変わらず存在していた。
博士課程から東大ORIに移って中野でも3年間を過ごしているのだけど、体感としては6号館暮らしの方が3倍ぐらい長い。
今の職場なんて11年間いるけども、ORIでの3年間よりも体感は短い。
こうして人は()、懐古老人になっていくのだな。
当時の指導教員は、30代後半で、今のボクがまさに同じ年齢層だということも、なんだかグッときた。
修士の最後の方はもう本当に人間関係が破綻していたのだけども、今の自分が卒論修論博論の学生15人ぐらいを同時に指導して、その中にボクみたいなヤツが混じっていると思うと、そらまぁツラく当たるのも理解はできる。
そういう態度を肯定するつもりはないけど、私的な過去として振り返った場合に、アレはアレでシャーなかったかもねとは思える。
ちなみに今では普通に会話をする仲である。
講義に招いてくれたのは、研究もお人柄も敬愛しているチカライシさん。
お誘いのメイルの段階から「教員会議で熱い要望が」「とても楽しみにしている」と言ってくれたのだが、お世辞も上手いなぁ程度に思いあまり重く受け止めていなかった。
その教員会議には、直接の先輩であるカメヤマさんや、ボクが学生の時から教員でいたスギモトさんやヤマモトさんやユタカさんがいるはずで、そこら辺のメンバーからしたらボクなんて「アイツか・・・」という具合だろう。
そういう人柄への評価という意味だけでなく、研究内容も同位体・海洋・メタン・生態系物質循環などそれぞれ重なっていて、外部から呼ぶにしては変わりばえのない講義内容になってしまうんじゃないかと(声をかけられておきながら)懸念して、どうしたもんかと懸念していた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
講義の構成は、アレコレと思案して、3つの方針を立てた。
・「論文を読む」という行為と講義とを一連のものとして接続する
・「研究史の連なり」を通じて高校で勉強した理科と研究を繋げる
・「研究の相互関係」を把握することで、地球科学をより楽しむ
「論文を読む」は、白木賢太郎さんの輪読からヒントを得た。
https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000090334797/
論文を読んで「ふむふむ」と思うことと、講義を聴いて「ふむふむ」と思うこととが、彼らの中で接続されることを期待した。
どうしても「英語の論文」というハードルを感じてしまいがちなので、そのハードルを下げてやることが狙い。
勉強と研究の接続、ということなのかもしれない。
実際には、彼らの指導教員を含むコース教員の論文を、目の前でボクが「ふむふむ」と適当に読んでみせて、それをマクラにして講義に入っていくという構成にした。
現地で聴講生の様子を見て、テキストを読んでもらう部分は取り下げることにした。
テキストを読まされて、うまく読めずにイヤな思い出として残ってしまっては本末転倒なので。
「研究史の連なり」は、『風雲児たち』やアシモフの化学や生物の歴史を参考にした。
今の状況というのが、過去から連綿と紡がれてきた研究の結果として存在するものであることを感じてもらうことが狙い。
同位体・生物・(深海)資源という対象が、どのように研究され、発見され、発展してきたのか。
その先に、いま目の前で読んだ論文の価値があるのだよ、ということを示したかった。
この狙いについては、成功したかどうかはわからないけど、自分としては言いたいことを言って、気分が良くなったので、まあそれで良いのだ。
「研究の相互関係」は、アイデア着想とか、申請書を書くヒントを得る方法論が狙い。
これはポスドクレベルの人が多かったら具体的に申請書を書く課題としてやりたかったけど、あまり人数がいなかったので課題は省略した。
講義の構成として読んだ論文をマクラにするのだけど、その論文で議論している主眼とは違う部分で論文を評価して、「こういう風な視点で面白いなとボクは思う」と触れてから講義をはじめる。
その後は、上記の通り歴史的な経緯で話を進めていき、最後に冒頭で読んだ論文と接続される。
そんな(かなり迂遠な)構成にしてみたので、それなりに研究経験を積んでいる人であれば、「あの分野とその分野が、そういう課題設定で繋がっていくのか」という具合で受け止められたのではないかと思う。
このやり方は、これまでちょっと長めのセミナーなどでも採用したのだけども、アレコレと展開するせいで聞いている側が混乱している様子だったので、とてもゆっくりと話を進めることにして、集中講義全体で3つの大テーマに絞り込み、1テーマで3-5時間ぐらい話すつもりで準備した。
3つの方針を横の糸、3つのテーマを縦の糸、そんな講義にしてみた。
0. 学問のすすめ~大学院生編~
1. Chikaraishi+ 2009を読む:安定同位体指標の本質的欠陥とその打破(とその欠点)
2. Sugimoto&Wada 1995を読む:宇宙生物学は気体地球化学
3. Nishioka+ 2013を読む:深海底利用で世界を救うかもしれない学
上手くいった実感はないし、まだまだ改善の余地があるし、正直かなり凹んでいる。
帰宅して2日経った今でも「あそこはアカンかった、ここはアレだった」と悶々としている。
聴講生からフィードバックをもらう仕組みを用意しなかったので評価はわからないけども、彼らの専門とは違う上に結構面倒な内容だったにも関わらず、ほとんど寝られることもなかったので、講義全体として合格点とは言わずとも、及第点には到達できていた、かもしれない。
新しい安定同位体比指標の紹介について、学生以上に聴講していた教員にウケていたようで、そこは嬉しい誤算であった。
言い古されたことだけども『教える側も教えることを通じて学ぶのだ』というのは、本当にその通りだな、と。
資料の準備段階で色々と学んだし、講義しながら気付くこともあったし、聴講生の質問に答えているうちに自分の中で何かがスパークすることもあった。
これからも「誘いは断らない」ので、集中講義の話がきたら何はさておき引き受けようと、決意を新たにした次第。
とにかく、楽しかった。
北海道旅行記は、また今度。
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2006年の修士卒業後、北大には幾度となく訪問していたのだが、今回は特別に"くる"ものがあった。
大学院の集中講義というのは、大学全体から見ればほんのわずかな出来事ではあるのだけども、それでも自分にとっては滅多にない教育機会なので、それだけでも身の引き締まる思いのだが、それに輪を掛けて、自分が(講義には出ていないのだけども)学んだ場所で自分が教える側に回るというのは、やはり何かこう、グッとくるのだ。
正直、ちょっとウルッときちゃったよね、構内に足を踏み入れた時に。
おセンチになりながら、卒論修論の3年間を過ごした理学部6号館の8階に行ったら、卒論生部屋も院生部屋(6-8-08)も変わらず存在していた。
博士課程から東大ORIに移って中野でも3年間を過ごしているのだけど、体感としては6号館暮らしの方が3倍ぐらい長い。
今の職場なんて11年間いるけども、ORIでの3年間よりも体感は短い。
こうして人は()、懐古老人になっていくのだな。
当時の指導教員は、30代後半で、今のボクがまさに同じ年齢層だということも、なんだかグッときた。
修士の最後の方はもう本当に人間関係が破綻していたのだけども、今の自分が卒論修論博論の学生15人ぐらいを同時に指導して、その中にボクみたいなヤツが混じっていると思うと、そらまぁツラく当たるのも理解はできる。
そういう態度を肯定するつもりはないけど、私的な過去として振り返った場合に、アレはアレでシャーなかったかもねとは思える。
ちなみに今では普通に会話をする仲である。
講義に招いてくれたのは、研究もお人柄も敬愛しているチカライシさん。
お誘いのメイルの段階から「教員会議で熱い要望が」「とても楽しみにしている」と言ってくれたのだが、お世辞も上手いなぁ程度に思いあまり重く受け止めていなかった。
その教員会議には、直接の先輩であるカメヤマさんや、ボクが学生の時から教員でいたスギモトさんやヤマモトさんやユタカさんがいるはずで、そこら辺のメンバーからしたらボクなんて「アイツか・・・」という具合だろう。
そういう人柄への評価という意味だけでなく、研究内容も同位体・海洋・メタン・生態系物質循環などそれぞれ重なっていて、外部から呼ぶにしては変わりばえのない講義内容になってしまうんじゃないかと(声をかけられておきながら)懸念して、どうしたもんかと懸念していた。
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講義の構成は、アレコレと思案して、3つの方針を立てた。
・「論文を読む」という行為と講義とを一連のものとして接続する
・「研究史の連なり」を通じて高校で勉強した理科と研究を繋げる
・「研究の相互関係」を把握することで、地球科学をより楽しむ
「論文を読む」は、白木賢太郎さんの輪読からヒントを得た。
https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000090334797/
論文を読んで「ふむふむ」と思うことと、講義を聴いて「ふむふむ」と思うこととが、彼らの中で接続されることを期待した。
どうしても「英語の論文」というハードルを感じてしまいがちなので、そのハードルを下げてやることが狙い。
勉強と研究の接続、ということなのかもしれない。
実際には、彼らの指導教員を含むコース教員の論文を、目の前でボクが「ふむふむ」と適当に読んでみせて、それをマクラにして講義に入っていくという構成にした。
現地で聴講生の様子を見て、テキストを読んでもらう部分は取り下げることにした。
テキストを読まされて、うまく読めずにイヤな思い出として残ってしまっては本末転倒なので。
「研究史の連なり」は、『風雲児たち』やアシモフの化学や生物の歴史を参考にした。
今の状況というのが、過去から連綿と紡がれてきた研究の結果として存在するものであることを感じてもらうことが狙い。
同位体・生物・(深海)資源という対象が、どのように研究され、発見され、発展してきたのか。
その先に、いま目の前で読んだ論文の価値があるのだよ、ということを示したかった。
この狙いについては、成功したかどうかはわからないけど、自分としては言いたいことを言って、気分が良くなったので、まあそれで良いのだ。
「研究の相互関係」は、アイデア着想とか、申請書を書くヒントを得る方法論が狙い。
これはポスドクレベルの人が多かったら具体的に申請書を書く課題としてやりたかったけど、あまり人数がいなかったので課題は省略した。
講義の構成として読んだ論文をマクラにするのだけど、その論文で議論している主眼とは違う部分で論文を評価して、「こういう風な視点で面白いなとボクは思う」と触れてから講義をはじめる。
その後は、上記の通り歴史的な経緯で話を進めていき、最後に冒頭で読んだ論文と接続される。
そんな(かなり迂遠な)構成にしてみたので、それなりに研究経験を積んでいる人であれば、「あの分野とその分野が、そういう課題設定で繋がっていくのか」という具合で受け止められたのではないかと思う。
このやり方は、これまでちょっと長めのセミナーなどでも採用したのだけども、アレコレと展開するせいで聞いている側が混乱している様子だったので、とてもゆっくりと話を進めることにして、集中講義全体で3つの大テーマに絞り込み、1テーマで3-5時間ぐらい話すつもりで準備した。
3つの方針を横の糸、3つのテーマを縦の糸、そんな講義にしてみた。
0. 学問のすすめ~大学院生編~
1. Chikaraishi+ 2009を読む:安定同位体指標の本質的欠陥とその打破(とその欠点)
2. Sugimoto&Wada 1995を読む:宇宙生物学は気体地球化学
3. Nishioka+ 2013を読む:深海底利用で世界を救うかもしれない学
上手くいった実感はないし、まだまだ改善の余地があるし、正直かなり凹んでいる。
帰宅して2日経った今でも「あそこはアカンかった、ここはアレだった」と悶々としている。
聴講生からフィードバックをもらう仕組みを用意しなかったので評価はわからないけども、彼らの専門とは違う上に結構面倒な内容だったにも関わらず、ほとんど寝られることもなかったので、講義全体として合格点とは言わずとも、及第点には到達できていた、かもしれない。
新しい安定同位体比指標の紹介について、学生以上に聴講していた教員にウケていたようで、そこは嬉しい誤算であった。
言い古されたことだけども『教える側も教えることを通じて学ぶのだ』というのは、本当にその通りだな、と。
資料の準備段階で色々と学んだし、講義しながら気付くこともあったし、聴講生の質問に答えているうちに自分の中で何かがスパークすることもあった。
これからも「誘いは断らない」ので、集中講義の話がきたら何はさておき引き受けようと、決意を新たにした次第。
とにかく、楽しかった。
北海道旅行記は、また今度。
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