自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
小田嶋隆が大好きだ。
大学生から大学院生を過ごした00年代は、ちょうど内田樹がブログを経て世に出てきた頃だと記憶している。
ボクはたしか、木庭さんのブログを通じて内田樹の存在を知ったはずだ。
いまでも覚えているのは、2006年冬の白鳳丸インド洋航海。
まったく春の植松SOLAS航海とはうってかわって、同世代のメンバーがほとんどいなかった熱水探査航海。
当時はまだ熱水をヤル気でもなく、先生から言われて乗船し、なぜかDOと塩検を両方やらされた航海。
あの頃はまだ船でネットは使えず、個人のメイルが使えるようになったばかり。
船内で遊ぶ相手もいなそうだったので、出発前にTzeさんにお願いして、スポニチウェブのテキストを転送してもらっていた。
なぜか内田樹の「ためらいの倫理学」を持っていった。
船内で読んだ記憶はないのだけど、成田空港までの空港バスで読んでいた記憶だけが鮮明にある。
バスで先生と乗り合わせ、会話がなく気まずい雰囲気を感じながら、読んでいたのだ。
ボクはそれまで本を読んだことがなかった。
「ためらいの倫理学」が最初だったかは覚えていない。
でも札幌時代の自宅にもラボにも本棚はなかったから、読書習慣は東京に移ってからだ。
新宿で昼から夜まで立ち読みしていた記憶があるが、札幌での記憶はない。
札幌でも雑誌は読んでいたかもしれない。
いずれにせよ、内田樹をブログで読むようになった頃から、本を読むことを覚えた。
そして、そんな内田樹自身がファンだと公言していたのが、小田嶋隆だ。
内田樹による小田嶋隆の追悼文がある。
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220627-takashi-odajima-tatsuru-uchida
ボクが好きになった内田樹の文章で、ボクが大好きな小田嶋隆の小田嶋隆たるところが表現されている。
小田嶋隆の文章は、常に、小田嶋隆によって書かれている。
当たり前なのだけど。
借り物の表現は、徹底的に排除される。
たとえば「徹底的ってなんだよ」といった具合だ。
近頃はやりの相手を論破するとか冷笑や逆張りとは、似て非なるものだ。
相手があって、自分の立ち位置が決まるのではない。
自分は単に立っていて、そこから相手が見えるだけなのだ。
世間に対して斜に構えているようにも読めるが、それは違う。
小田嶋隆からすれば「なんでお前ら斜めに並んでんだ」ということだ。
内田樹の追悼文を借りれば、
"孤立していることは彼にとっては初期条件なのであり、彼はそのことにそれほど大きな意味を認めていなかった"
"「私は世の『ふつうの人たち』が考えるようには考えないし、『ふつうの人たち』が用いるような言葉づかいをしないのだが、それには個人的な経緯や理由があり、それをみなさんは理解できるはずである」というのが小田嶋さんのスタンス"
ということのようだ。
小田嶋隆が晩年、たびたび使ったフレーズに「お詫びせず訂正します」がある。
「おれの書き損じを、お前らに詫びる理由はない」と。
「話が通じない」という場面に接し、無力感と憤怒にまみれた時、小田嶋隆を読むようにしている。
「オレがなぜそう感じるのか、考えたことを説明してみる。わかってもらおうとは思っていない。」
「わかってくれれば嬉しい」とか「なんでわかってもらえないんだ」とか、そういうものがボクの場合は続いてしまうのだが、小田嶋隆のコラムにはそういう部分が感じられない。
相手に伝わらなければ、いや伝わったとしても、ひとしきりの説明を終えたら、家に帰るだけなのだ。
時間切れ。
大学生から大学院生を過ごした00年代は、ちょうど内田樹がブログを経て世に出てきた頃だと記憶している。
ボクはたしか、木庭さんのブログを通じて内田樹の存在を知ったはずだ。
いまでも覚えているのは、2006年冬の白鳳丸インド洋航海。
まったく春の植松SOLAS航海とはうってかわって、同世代のメンバーがほとんどいなかった熱水探査航海。
当時はまだ熱水をヤル気でもなく、先生から言われて乗船し、なぜかDOと塩検を両方やらされた航海。
あの頃はまだ船でネットは使えず、個人のメイルが使えるようになったばかり。
船内で遊ぶ相手もいなそうだったので、出発前にTzeさんにお願いして、スポニチウェブのテキストを転送してもらっていた。
なぜか内田樹の「ためらいの倫理学」を持っていった。
船内で読んだ記憶はないのだけど、成田空港までの空港バスで読んでいた記憶だけが鮮明にある。
バスで先生と乗り合わせ、会話がなく気まずい雰囲気を感じながら、読んでいたのだ。
ボクはそれまで本を読んだことがなかった。
「ためらいの倫理学」が最初だったかは覚えていない。
でも札幌時代の自宅にもラボにも本棚はなかったから、読書習慣は東京に移ってからだ。
新宿で昼から夜まで立ち読みしていた記憶があるが、札幌での記憶はない。
札幌でも雑誌は読んでいたかもしれない。
いずれにせよ、内田樹をブログで読むようになった頃から、本を読むことを覚えた。
そして、そんな内田樹自身がファンだと公言していたのが、小田嶋隆だ。
内田樹による小田嶋隆の追悼文がある。
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220627-takashi-odajima-tatsuru-uchida
ボクが好きになった内田樹の文章で、ボクが大好きな小田嶋隆の小田嶋隆たるところが表現されている。
小田嶋隆の文章は、常に、小田嶋隆によって書かれている。
当たり前なのだけど。
借り物の表現は、徹底的に排除される。
たとえば「徹底的ってなんだよ」といった具合だ。
近頃はやりの相手を論破するとか冷笑や逆張りとは、似て非なるものだ。
相手があって、自分の立ち位置が決まるのではない。
自分は単に立っていて、そこから相手が見えるだけなのだ。
世間に対して斜に構えているようにも読めるが、それは違う。
小田嶋隆からすれば「なんでお前ら斜めに並んでんだ」ということだ。
内田樹の追悼文を借りれば、
"孤立していることは彼にとっては初期条件なのであり、彼はそのことにそれほど大きな意味を認めていなかった"
"「私は世の『ふつうの人たち』が考えるようには考えないし、『ふつうの人たち』が用いるような言葉づかいをしないのだが、それには個人的な経緯や理由があり、それをみなさんは理解できるはずである」というのが小田嶋さんのスタンス"
ということのようだ。
小田嶋隆が晩年、たびたび使ったフレーズに「お詫びせず訂正します」がある。
「おれの書き損じを、お前らに詫びる理由はない」と。
「話が通じない」という場面に接し、無力感と憤怒にまみれた時、小田嶋隆を読むようにしている。
「オレがなぜそう感じるのか、考えたことを説明してみる。わかってもらおうとは思っていない。」
「わかってくれれば嬉しい」とか「なんでわかってもらえないんだ」とか、そういうものがボクの場合は続いてしまうのだが、小田嶋隆のコラムにはそういう部分が感じられない。
相手に伝わらなければ、いや伝わったとしても、ひとしきりの説明を終えたら、家に帰るだけなのだ。
時間切れ。
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