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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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2022年が始まった時点で「今年は今後10年のターニングポイントになるぞ」と思っていたが、フタを開ければ何てことはないという状況。

特に以下の3つが大きいと思っていた。

2021年11月にエライ人から呼び出され「2022年度から10年モノの重ため案件を頼みたい」と告げられ、天を仰ぎつつこれも天命と受け入れることにした。しかし2022年には断続的に会議が開催されるものの本丸での作業が遅れたおかげで負担はそれほどでもなかった。そして話の流れから総大将は別の人が担当することになっていった。これはラッキー。

2023年からはじまりそうな(事実上の継続)案件について「キミに任せる」と言われていた。それなりにマジメに準備にも関わっていたのだが、9月になって突然「やっぱりキミには任せない」と言われた。弊所に代々伝わる奥義ハシゴ外し。しかしその後の成り行きを見るに、「任せない」という判断をした部分と、ボクが「関わりたくない」と感じる部分とが同根の様子で、結果オーライかもしれない。

8月に第四子が生まれた。上の三人のリアクションが読めず、うまくハマらないと家庭内が大変になるなと思っていた。高齢出産でもあるので、母子の健康も不安だった。しかしこれは嬉しい誤算というか、母子健康はもちろんのこと、上の子達も歳の離れた弟の誕生を非常に前向きにとらえて生活している。

その他は、これまで通りで、可もなく不可もなしという具合。

50周年記念誌は、3月までキュウキュウ、夏まではダラダラと作業を続けた。9月の公開以降、基本的には非常に高い評価をもらっている。やって良かったと思える仕事になった。

入れ替わるように学術会議の『回答』にむけた委員会活動。隔週開催の委員会では前に進んでいる実感がえられず、案の定、締切直前にスゴい負荷でガガーっと書くハメになった。自分の中では真摯に取り組んで、他の委員からも色々なインプットがあって、最終的に公表したバージョンはなかなかの出来になったと自負している。しかし、銃殺事件などがあって、施策への実装が吹き飛んでしまった印象。中長期的に活きていけば良いのだが。

航海は4つ。プロジェクト、企業、プロジェクト、共同利用公募。すべて主席。それぞれの航海で色々あった気もするけど、それほど特別なことは起こらなかった。今まで一緒に乗ったことがなかった人との新たな出会いが(近年の航海に比べ)多く、航海後にも交流が続いたりした。

5月の連休明けには超弩級案件が発生。記念誌後始末、回答会議連発、妊娠後期という時期で判断力が鈍っていたのだろう。うっかり引き受けたものの、まったく対応できないでほぼ放置してきた。年末になってついに追撃を受けてしまい、逃げ道がなくなった。しかし幸か不幸か、色んなことが片付きつつあるので、観念して取り組むことに。

そんなところに深海探査機能WGでの議論が発生したり、某企画の主要メンバーになったりで、まだまだ仕事はなくならない。しかしこういうのは、同じアホなら踊らにゃそんそんですからね。やりますよ。

主著論文は出てない。出してない。出てないのではなく出してないんだから、問題ない。問題ないんだ。

ミニバスが楽しくなって、すっかり常連になっている。小学生の成長を見守るのは何よりの娯楽だ。安西先生のきもちがよくわかる。ずっと思い描いていた「早めにセミリタイアを決め込んで町の子供たちにサッカーを教える」というのがバスケに変わっただけだし、自分自身もバスケの素人だから勉強するのも楽しい。在宅勤務が続くので、これまで平日の昼サッカーがあった分の運動量が浮いていて、これを週末のミニバスに回せているのも大きい。まだまだ続けるだろう。


こんなもんかな。
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2021年8月に提案書を提出。
熱水プルーム内のプロセスを見るべく、比較的新規な手法を持つメンバーで総合調査を行うもの。
申請書としては、萌芽探索系なのか網羅観測系なのか、立場が揺れて微妙だった。

2021年11月に「仮採択」。
C評価。40件中の13-18位。
可もなく不可もなし。

2022年12月17-24日の実施となり、提案から時間が十分にできた。
が、他の航海などあり本航海にむけて勉強が出来ていたとは言いがたい。
事前の乗船者セミナーの感触を受けて、実施にあたっては、萌芽探索系に絞ることにした。

積込などの手配は、主席として航海準備を番頭殿に任せきりで気楽であった。
毎度のことであるが、本当に感謝している。
一方、試料採取立案でプルーム専門家としての立場でまで気を抜いてしまったことは反省。
結果的に現場で説明なく急な変更を迫ることになってしまった。
この辺りの「カマすとマカす」をうまく出来るようになりたい。

今回は提案書通りのメンバーで航海が出来た。
乗船メンバーからは「誘われたことで新たなテーマに取り組めた」とか「大親分の庇護を離れてチームリーダーとして振る舞う経験が積めた」とか「単純に楽しかった」とか、満足してもらえた。

強烈な北風が吹き続けて、出港を早めて八丈島待機。
たった9時間しか観測できなかった。それも21-06時。
船長判断でAフレームから投入したCTDは、ケーブルが軽いせいか線長からかなり離れた。
それでも実施した3キャストで、それなりに良い試料が取れたはず。

06時に離脱して最高速度で高知沖へ走る。
それでも室戸沖ぐらいから揺れ始めた。
翌朝は吹雪。高知観測史上最高の積雪。

白鳳丸での人身事故もあり、時間外の飲酒を伴う集会は自粛要請があった。
それでも、幸か不幸か待機時間が長かったので、三々五々ながら十分な会話ができた。
それぞれが昔なじみでもあり、昔話や共通の知人の話題などで盛り上がる。
みんな気の良いニイチャンネエチャンだった。

今回の試料を使ってみんなが年度末までに出してくるプレリミナリな結果に期待。
それはきっと面白い結果になる(ここには根拠なき自信がある)。
それをベースに、同じ座組でさらに練った航海提案をすることになる。
というか、そう出来ればこの上なく嬉しいし、そうすることが提案者主席としての責務だとも思う。
40になって、60以降の人生も見据え、少し仕事比率を下げている。
具体的には、土日に仕事をしないで、キッズのミニバスに参加している。
もともと、良いところでセミリタイアしてサッカー少年團をやりたかったので、競技は違うものの、理想的な着地点を見出しつつあるとも言える。
小学生の指導というものは、考えていたよりもずっとずっと難しい。
しかし成長速度は、想定よりもずっとずっと速くて、ハマった時のノビを見るのは快感だ。

それはさておき。
土日にまったく仕事をしないと、さすがに色んなことが回らなくなってくる。
ただでさえ最近は多様な仕事にそれぞれイッチョ噛みするような状況であり、頭の切り替えが難しいから、より進捗は芳しくない。
「カマすとこカマす、まかすとこまかす、割と適当な段取りで」だが、まだまだうまくない。

これも昔からわかっていたことで、やっぱり期限のない仕事が後回しになっていく。
論文執筆は、執筆そのものは期限がないけど出さないと失職する、というかつてのプレッシャーがなくなり、本当に後回しになっている。
でもこれは、前向きに選択している部分でもあるので、それほど問題とは思っていない。
いや、問題なのだけど。
学徒から学者へのトランスフォーメーションの核であって、学徒でなくなり学者であるとしても、インプットを続けることと合わせて、アウトプットで一定の品質保証を続けることが不可欠だからね。

「世の人のためになれば」と引き受ける仕事と、「世のためになるから引き受けねば」と着手する仕事と、両方にまみれていると、どっちがどっちか見失いそうになる。
隣人を愛しながら、しかし世界も愛していきたい。
二律背反だと言ってしまえば簡単な事態に陥った時に、それでも両取りできる道を探る。
あるいは、心情的には悩み抜いたとしても、論理と態度では毅然として泣いて馬謖を斬る。
その辺りの腹の据え方を、そろそろ身につけねばならない。

ついに狭い意味でのラボの陣容が確固たるものになった。
本当はもう一歩、最終的なラインがあるけども、そこの突破は時間の問題に過ぎない。
安堵&安堵。
ヒトの人生を背負う、じゃないけども、人事は軽々に扱えることではない。
「結果的にどうこう」と言って、適当に丸めて良い話じゃない。
心配や心労をかけてしまうことになったのは本当に申し訳なく思っている。
それでも、何とか話を進められ、ここまで漕ぎつけた。
本当に良かった。

この先の混沌の時代をいかに歩むか、と言われる。
しかし、この世には不変の原理原則がいくつか存在する。
元素は不変で、熱力学にしたがい、海水は光を通さない緩衝溶液だ。
原理原則を押さえ、そこから論を構築すれば、最新にキャッチアップできていなくても、大きく外れることはない。
逆に、最新のうわべをなぞっているだけなのが、一番あやうい。
心情に委ねるのはもっと危険かもしれない。


書かねばならん文章から逃げているだけの、ひさびさのブログ。
7月末に学術会議の回答を発出した。
8月下旬に4号が誕生した。
9月5日には弊所50周年記念誌が納品された。
某10年計画への関わり方は浅めで良いことになった。
某5年計画の方は落ち着くところに落ち着きそうな見込みになった。
気が重たい案件は、ほぼ片付いたんじゃないだろうか。
執筆案件は期限を自分で設定できるせいで後回しになっているから、そろそろ。

小学生が3人いる車なし家庭なので、日々の食糧の買い出しが3日に1回ぐらい必要。
ゴールデンウィーク丸つぶれ航海の3週間が、ちょうど妊婦の体調が安定する時期で助かった。
夏休みになって昼ご飯も間食も家で食べるから、買い出し頻度があがった。
臨月に突入する今回の夏休みは帰省もできず、妊婦は家で身動きが取れない。
地元校ではないキッズは近所に友達もいないので、遊び相手もせねばならん。
しかも、幸か不幸か、出勤せずともオンラインで会議には出られてしまう。

赤子はかわいい。ヨメ氏を労う気持ちもある。
しかしボクは睡眠不足が体調悪化に直結するので、夜泣き対応はしない。
別の部屋で戸を閉めて寝る。
この辺り、世の中的にはとてもセンシティブな話になるが、世論と実態とは別だ。
正直言って、一番怖いのは共倒れ。
こっちは仕事、あっちは赤子。これはお互いに死守するライン。
その中間にある小学生の生活維持はグレーゾーンにして、余力で対応する。
限界が近づいたら、小学生の生活水準を下げれば良い。
とはいえ、研究者稼業の仕事量なぞ自由に差配できるので、余力はたっぷり。
睡眠時間さえくれるならば、起きている間はどうぞどうぞ。

狭い意味での研究者稼業、つまり研究は、完全に停滞している。
停滞というか、凍結というか、停止というか。
ほとんど頭を使えていない。
これは本当にイカン。
ただし、イカンと思う気持ちもイカン、かもしれん。
モデルチェンジの踏ん切りをつければ(と何回も言っているが)落ち着くのだろうか。
今のままでは、ドッチ付かず。
ドッチもやるならば、家庭のグレーゾーンを全放棄してエフォートを作らねばならん。
それは今の状態では考えられない。
さりとて、家庭エフォートが下がる10年後になって、そこで研究に再点火できるだろうか。
でもそれって家庭を理由に仕事をサボっているだけですよね?

結論はない。
内閣府(実質CSTI)から日本学術会議への審議依頼『研究力強化-特に大学等における研究環境改善の視点から-に関する審議について』に対して「回答」を出しました。

委員長は「若手の声を前面に押し出したい」と言うのだけど、委員会の中で若手はボクだけなので、つまりボクが書けってことなんだと受け止め、好き放題に論点をあげて書き殴ってみたところ、歴戦の先生方が適切な引用を盛り込みつつ流麗な表現にあらためてくれて(最後に横槍でガチャガチャとやられたものの)、発出まで漕ぎつけられました。

「学術界の中間層の視点に立つこと」
「人文社会も含めた全分野に関係すること」
「単純な増額要求は控えること」
「夢物語の改革提案ではなく、地に足をつけ現在の問題を解決することを目指すこと」
「産業界や政界との対話も目指すこと」
などに気をつけて考えました。

大学教員として奮闘されている方からすると「それよりコッチを」「アレに触れてないじゃないか」という部分もあると思うのですが、今回はあくまで「研究力強化にむけた審議依頼への回答」という体裁なので、ゼロベースで何でも言えるわけではなかったので、ご承知&ご容赦くださいませ。

つかれた。。。

[サイト] https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-8.html
[PDF直リン] https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-k328.pdf
7月末日までに『回答』。委員長から明確な作文依頼がきたら、ただちに。
先回りして着手する?

7月末までに科研費基盤A、分担者へ回覧。

なるはやで、S社論文。

暗黒案件は年末までロードがなさそう。

某継続案件は年度内は買い物と軽め作文、翁にまかせられる。

年末メドの某私的案件は、常にバックグラウンドで進行。積立がモノを言う。
4月20日〜5月9日という極悪な日程で調査航海に行ってきました。20回に迫ろうとする首席任務ではじめて計画完遂を達成する充実の内容でした。

プロジェクト航海なので好き放題には研究が出来ないのだけど、プロジェクト最終年度ということで色々と理由を作って自由研究ができる枠を構築し、主に原核微生物と微小動物の解析に使えそうな試料を収集してきました。サメの歯の化石も狙って取れるようになりました。

そして、南鳥島に上陸しました!
2006年白鳳丸KH-06-2航海での沖ノ鳥島への上陸に続く国境離島上陸達成。
離島芸人として着実に階段をのぼっております。

日本最東端の記念碑がある区域は、野鳥の営巣地になっているそうで近づくことが許されませんでした。
島内のタワーに登って島内施設を一望したり、ロランC局跡地の記念碑を見学したり、戦没者墓地にお参りしたり、帝国海軍の遺物を観察したり、海岸でプラスチックゴミを確認したり、とても充実した訪問になりました。

なお南鳥島は自衛隊施設があるため写真については「撮っても良いけど絶対にネットに載せるなよ!絶対だからな!」とのこと。これはいわゆるフリだと思ってあげるとマジでバチクソにシバきあげられるので、掲載しません。残念。
会社と個人の幸せな関係というのが何なのか、そんなことがありえるかどうかはわからないけども、ここ最近、ボクと弊所の関係はとても良いものになっていると感じている。もちろんそれは、この2年間で、ヒラ研究員から副主任研究員を経て主任研究員になったり、自分から申し出た所内異動なのに行った先で管理職になったり、そういう目に見える身分として評価が表れてきたことと無関係ではない。でも、それだけでもない。

人事面接で会社側から「キミを雇うことで弊社にどのようなメリットがありますか?」という内容の問いかけを受けたことがある。1回目の定年制移行審査です。6年前。色々とイライラして、やりたいことやって、落ちた時です。

ボクがあの時に思ったのは「(社会における弊所の価値を理解していない上に、弊所におけるボクの価値も認識できていない)お前らなんかが最重要事項たる人事を決めるな」ということ。思ったというか、そういうことを話した。「社会がこの状況で、アンタらが今やってる施策がコレなのに、何をエラそうに選ぶ側の顔してそこに座っとるんじゃ!」と。実際は、興奮してたので全然まとまってなくて、ただ文句を言って終わったんだけど。

〜〜〜

『会社』と『会社側の人間(経営者)』は同一ではない。ボクはこの『会社』を愛しているし、ボクと会社の関係は本当に良いものだと思っている。だけどあの時、ボクと『会社側の人間』の意見は一致していなかった。ボクからすれば、『会社側の人間』で、この『会社』が世界にとってどのような存在か、どのような存在であるべきか、そのためにどのような人物が『会社側の人間』としているべきか、ということを煮詰め切れていないとしか思えなかった。

いま、ボクの中で「JAM$TECが社会においてどのような存在であるべきか」ということが十分に煮詰まった。法人としてのアイデンティティ。そして、そのボクの中で煮詰まった法人のアイデンティティから見て、ボクという個人には、それを実現するに足る十分な価値が備わっていると確信している。もっと踏み込めば「ボクという価値の利用なくしてJAM$TECは理想のアイデンティティには到達できない」という大いなる勘違いさえ抱いている。ボクにとってボクという価値が最大化される場所がJAM$TECであり、JAM$TECにとってボクという価値が必要不可欠なのだから、こんなに幸せな関係はない。恋は盲目。

「大学教員にならないの?そっちの方が向いてるのでは?」と言われることがある。ボク個人の資質だけで言えば、大学教員でも国研研究員でも、どちらでも構わないのだと思う。翻って、ある大学から見て、採用する教員としてボクでなくてはならない理由があるかというと、そうでもないはずだ。ワンオブゼム。そこに身を置いて、ボクは幸せだろうか。

実態として存在する駒としてのボクと、ボクという駒を持っている指し手としてのボクがいる。指し手としてのボクが「この駒はココに置くべし」と考える場所。まさにその場所に、今のボクは置かれている。『殺し合いの螺旋から降りる』と決めたのは、自身の駒としての自由度を高め、奇抜な打ち手を実現できるニュートラルな位置に置いておきたかったから、と解釈できるかもしれない。こういうことは、自分でもよくわからない。

〜〜〜

『帝王学』ということをずっと考えてきた。一騎当千の兵士が、千人軍の将軍に向いているとは限らない。兵としての資質と、将としての資質は、似て非なるもの。帝王学で作られた将の「民の声を聞く」態度と、現場あがりの将の「民の声を聞く」態度とは、やはり位相が違うだろう。

血脈や出自などの「正統性」が存在しない世界だけど、それでも叩き上げではなく、帝王学によって『会社側の人間(経営者)』を作ることは出来るんじゃないだろうか。すくなくとも「正当性」だけに任せていると縮小再生産に陥ってしまいがちなことは、今の日本社会が示している。キングがいてこその、ピープルズ・チャンピオン。ヒールがいてこそのベビーフェイス。

そんなわけで(?)、ボクはセルフ帝王学によるショートカットでヒールとしてのキングになろうと考えている。なんだかよくわからない話だけども。ずっとピープルズ・チャンプを身近で見てきて、その正当性ゆえの輝きと、玉座に近づいてなおピープルズ・チャンプであり続けることの困難と、その困難の一端がキングの不在に起因することと、そんなことをヒシヒシと感じている。

イメージとして一番しっくりくるのが、原辰徳なんだよね。正当性と正統性がどっちも中途半端で、長嶋にも王にもなれなくて、でもそこを超越して、謎ポジションを確立している。アレは、若い頃から球界のプリンスとして叩き込まれた帝王学と、プリンス扱いゆえの孤高な苦しみを克服するセルフ帝王学との、両方で出来ているんだと思う。マツイは逃げたし、ヨシノブは耐えられなかった。アベも無理だろう。
査読付の原著論文を公表することが、研究者であることの必要条件である。
公表した論文の量と質によって、研究者としての評価が定まる。

そういう価値観・価値基準が、すくなくともボクが身を置く地球科学(とか生態学とか分析化学)のような分野では、すっかり定着している。この価値観を否定したいわけではない。ボク自身もこの価値観に浸って生きてきた。むしろボクはこの価値基準によって、研究者としての生きる道を与えられてきた。その話は以前に書いた

でも一方で同時に、現在の業界が、理想的であろう適切な範囲を超えて、この価値観に覆われ過ぎているとも思っていた。そんな思いを抱き始めたのがいつ頃だったかは定かではないのだけど、東北の地震以降は悩み続けている。2015年に書いた受賞記念論文にも、その思いをまとめている東北の地震が契機であるのには、たぶん2つの側面がある。

あの頃、ボクは自分の研究の「型」のようなものを掴んだ感触があった。型というのは、つまり「大体こんな感じでやれば原著論文を創出し続けられる」という意味だ。研究業界で採用されている価値基準で及第点を取り続けることができるだけの能力を獲得した感覚。これをやっていれば自分が今後も生きていけるという安心感、でもあったのだと思う。これが1つの側面。

もう1つの側面は、研究者として生きていながら、研究者が社会に対して果たすべき責任を果たせていないのではないかという不安。その不安は、もう一つ大きなレイヤーで、「研究者が社会に対して果たすべき責任、とは何か」という問いに対する回答が自分の中で確立できていない焦燥であったのだと思う。言い換えるなら、第1の側面で得た安心感の否定。「こんな感じでやっていれば良い」というのは、大きなアヤマチなのではないか、という自己否定に繋がる感情。これは東北の地震の影響を深海の海水で観測した査読付原著論文を公表したことで、実感されたものだった。「これをやっていればいい。でもこれをやっているだけでいいのか」

査読付の原著論文の出版に至る計画-実行-執筆-査読(+競争的資金の獲得)を、ここで「狭義の研究」と、とりあえず定義する。狭義の研究の価値は明確で、科学の発展だ。科学とは、人類が生み出した知を、時空間を超えて共有できるカタチで蓄積する行為、あるいはその蓄積物である。科学は積み重ねることが本質であり、狭義の研究の成果として生み出される一報一報の原著論文は、科学の山に積まれる石にあたる。研究者が原著論文という石を置くことは、そのまま人類の知の拡張たる科学の発展への貢献である。

これを為すことを否定するものは何もない。しかしそれは「これだけで良い」ことを何ら認めていない。

バガボンドの主題の1つに「殺し合いの螺旋」がある。その意味の解釈はわかれるのだと思う。今のボクには、狭義の研究を是とする価値観に覆われた業界が大きな「殺し合いの螺旋」に見えていて、ボク自身もその螺旋の中に身を置いていると感じている。だからボクは、殺し合いの螺旋から「降りる」という考え、あるいは「降りるための方法論」を、いかにして確立して実現するか、そのことについてずっと悩んできた。

狭義の研究に従事し新たな知を創出する研究者を「学徒」と呼び、獲得した知を用いて社会に貢献する研究者を「学者」と呼ぶ。研究者が学徒としてのみ振る舞って、学者としての責務を果たさないことの危険性、あるいは無責任さを、2015年の受賞論文で書いた。その考えは、今もなお変わっていない。しかし当時のボクは「じゃあ、お前は、何をどうするんだよ」という問いに対する回答を持っていなかった。

最近、その回答を獲得できたような感覚がある。まだ「感覚」としか呼べないものだが、かなり確かな感覚だ。その感覚を、自信を確信に変えるべく、この文章を書いている。辿り着いてみれば、何のことはない。

殺し合いの螺旋から降りれば良いのだ。

降り方なんて、どうだって良いんだ。降りてしまえば良い。それだけのことだ。何がキッカケだったのかは覚えていない。ある時、ふと、「あ、降りちゃえば良いだけだ」と思った。

ボクはこれから、学者として生きる。学者として生きるという決意を固めた。一方で、学徒としても生きるかもしれないし学徒としては生きないかもしれない。そこはとても曖昧なままにしておく。この「曖昧なままにしておく」という決意が、ボクの悩みの核心だったんだろう。ボクはなぜか、学徒を続けるか辞めるかは、二者択一であると考えていた。でも全然そんなことはない。狭義の研究は、いつはじめても良いし、いつやめても良い。だから学徒を続けるも辞めるもない。

「学徒を辞める」ということが何かとても重い決断だと思っていたのは、研究業界の仲間たちから後ろ指をさされるんじゃないかという恐怖感なのだと気付いた。「あいつ、終わったな」と。でもそれは、殺し合いの螺旋にいる人間から「逃げるのか」と言われているだけなんだ。「とりあえず逃げるよ」と言ってしまえば良い。ただそれだけだった。

研究評価のあり方うんぬんという議論がある。論文業績評価が人物評価と直線的に結びつけられるのはいかがなものかというアレと、まさに一緒だ。ボクは学徒としての活動をやめるかもしれないが、ボクの学者としての価値が、それで損なわれないだけのものとして存在していれば、それで十分だ。なぜならボクはこれから学者として活動するのだから。

ここまで書いておいてなんなのだが、実際のところは、学徒としても生き続けると思う。自分でも「なんじゃそら」と思わないではない。でも「曖昧なままにしておく」という着地点は、つまりそういうことだ。フトコロに隠したナイフがあるから、いくら殴られてもヘラヘラ笑っていられる。いつでも学徒として一線に飛び出せるんだという確信を胸の内側に秘めていれば、学徒としての活動をしていなくても問題ない。いつでも抜けるよう、抜けば刺せるよう、ナイフを研ぎ続けていればいい。

この生き方は、自制心や克己心が要求される。学徒として生きていれば、論文の査読や研究費の審査という目に見える形で、他者の評価にさらされる。それは己の無能や怠惰を否応なく指摘し、自覚させてくれる。定期的な生き方の答え合わせ。学徒でない生き方では、答え合わせの機会はない

学者として生きるということは、他より優れた知見を持つ有識者あるいは権威としての己に価値が見出される。そんな場に身を置き続けるということだ。場の空気に乗せられて、勘違いして自惚れて、ナイフを手放す誘惑が襲いかかるだろう。選ばれし者の恍惚と不安。恍惚に溺れず不安を抱き続ける臆病さ。なんとなくだけど、そこには自信がある。不安になることに自信があるというのも、おかしな話ではあるけども。


何の因果か、年度末うまれ。
何の偶然か、次で40。
惑わずいけよ、いけばわかるさ。
宮崎のビニールハウスで競う相手がいない孤独を抱えながら黙々と泳いできた松田丈志が泳力で抜きん出ている北島康介の振る舞いに接する中で仲間の存在を力に変えることを学び取りその感謝が「手ぶらで帰らせるわけにはいかない」思いになって皆を奮い立たせてレースで結実するの最高すぎるんだよ。

そんな松田丈志が、昔の自分と萩野公介を重ね心配しつつ、北島康介にあって瀬戸大也に欠けているものを暗示している。

競泳界における北島康介のような周囲を感化する人間性については、野球界だと松坂大輔、サッカー界だと小野伸二なんだよね。イチローや田中マーや中田英寿や本田圭佑はちょっと違う。

この辺りがとても興味深いところで、業界の太陽になって業界全体を底上げする存在になるのに、実力や実績は必要条件ではあるのだけど、十分条件ではないんだよね。外からは見えないロッカールーム(楽屋)や練習場での振る舞い。

粗い言い方をしてしまえば、人間臭さと呼ばれるものなんだろうね。

一点の濁りもないお吸い物の美味しさと、雑味を伴う豚骨スープのウマさと。どちらが大衆料理たりえるか、みたいなことなのかもしれない。



〜〜〜以下引用〜〜〜
松田丈志が語る「北島康介さんから教えられたこと」https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/swim/2016/07/04/post_661/

「2位で帰ってきて本人も、『ヤバい』と思ったのでしょう。トレーナーのマッサージを受けていたときはヘッドホンをつけて、下を向いたまま誰とも話さなかったんです。その瞬間は人を寄せつけない雰囲気があり、戦っている感じがすごくありました。準決勝での自分の泳ぎを考え、決勝で絶対に勝つためにはどうしたらいいのか、というのを自分自身で消化している感じがして......。そのオーラを感じたとき、最後は勝つのではないかと思いました。でも、そういう雰囲気になるのは本当に一瞬。あとはみんなと仲よく話すなど、すぐに気持ちを切り替えていました。」

「僕の場合は地方の小さなクラブで育ったので、中学生くらいになると同じメニューを一緒にできる選手もいなくなったので、常に孤独と向き合って練習をしている感じでした。そういう環境で僕は泳ぎを突き詰め、アネネ五輪の代表権を獲った。だけど、それだけでは戦えなかった。そのことから学んだのが、自分が頑張るというのは基本だけど、そのうえで周囲の力も自分の力に変え、他人に頼る部分があってもいい、ということでした。」

「康介さんのすごいところは、苦しい場面でも、それを楽しんでしまうようなところがあることです。極限の舞台でも冗談を言えるし、それを楽しめる力がある。」

「信頼感があって、『絶対にやってくれる』と思っているから、『俺らも絶対にやらなければいけない』という気持ちになった。」

「そんな相手と対峙しても、『俺らがトップで戻れば、丈志さんは絶対にトップで帰ってきてくれる』という信頼感を作りたいし、それを裏切りたくない。」

「康介さんを見て、次の世代の選手たちが受け継いでいかなければならないのは、『世界で戦う楽しさを味わうこと』だと思います。それをしっかり自分で味わって結果を出せば、喜びや感動があるし、1回味わえば絶対、『またそれを味わいたい!」といういいサイクルに入っていく。」

「康介さんは五輪で金メダルを獲るとか、世界記録を出すことを、"日本人でもできること"にしてくれた。だから僕らも、金メダルを目指したし、世界記録を出したいと本気で思えた。」
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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