自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
査読付の原著論文を公表することが、研究者であることの必要条件である。
公表した論文の量と質によって、研究者としての評価が定まる。
そういう価値観・価値基準が、すくなくともボクが身を置く地球科学(とか生態学とか分析化学)のような分野では、すっかり定着している。この価値観を否定したいわけではない。ボク自身もこの価値観に浸って生きてきた。むしろボクはこの価値基準によって、研究者としての生きる道を与えられてきた。その話は以前に書いた。
でも一方で同時に、現在の業界が、理想的であろう適切な範囲を超えて、この価値観に覆われ過ぎているとも思っていた。そんな思いを抱き始めたのがいつ頃だったかは定かではないのだけど、東北の地震以降は悩み続けている。2015年に書いた受賞記念論文にも、その思いをまとめている。東北の地震が契機であるのには、たぶん2つの側面がある。
あの頃、ボクは自分の研究の「型」のようなものを掴んだ感触があった。型というのは、つまり「大体こんな感じでやれば原著論文を創出し続けられる」という意味だ。研究業界で採用されている価値基準で及第点を取り続けることができるだけの能力を獲得した感覚。これをやっていれば自分が今後も生きていけるという安心感、でもあったのだと思う。これが1つの側面。
もう1つの側面は、研究者として生きていながら、研究者が社会に対して果たすべき責任を果たせていないのではないかという不安。その不安は、もう一つ大きなレイヤーで、「研究者が社会に対して果たすべき責任、とは何か」という問いに対する回答が自分の中で確立できていない焦燥であったのだと思う。言い換えるなら、第1の側面で得た安心感の否定。「こんな感じでやっていれば良い」というのは、大きなアヤマチなのではないか、という自己否定に繋がる感情。これは東北の地震の影響を深海の海水で観測した査読付原著論文を公表したことで、実感されたものだった。「これをやっていればいい。でもこれをやっているだけでいいのか」
査読付の原著論文の出版に至る計画-実行-執筆-査読(+競争的資金の獲得)を、ここで「狭義の研究」と、とりあえず定義する。狭義の研究の価値は明確で、科学の発展だ。科学とは、人類が生み出した知を、時空間を超えて共有できるカタチで蓄積する行為、あるいはその蓄積物である。科学は積み重ねることが本質であり、狭義の研究の成果として生み出される一報一報の原著論文は、科学の山に積まれる石にあたる。研究者が原著論文という石を置くことは、そのまま人類の知の拡張たる科学の発展への貢献である。
これを為すことを否定するものは何もない。しかしそれは「これだけで良い」ことを何ら認めていない。
バガボンドの主題の1つに「殺し合いの螺旋」がある。その意味の解釈はわかれるのだと思う。今のボクには、狭義の研究を是とする価値観に覆われた業界が大きな「殺し合いの螺旋」に見えていて、ボク自身もその螺旋の中に身を置いていると感じている。だからボクは、殺し合いの螺旋から「降りる」という考え、あるいは「降りるための方法論」を、いかにして確立して実現するか、そのことについてずっと悩んできた。
狭義の研究に従事し新たな知を創出する研究者を「学徒」と呼び、獲得した知を用いて社会に貢献する研究者を「学者」と呼ぶ。研究者が学徒としてのみ振る舞って、学者としての責務を果たさないことの危険性、あるいは無責任さを、2015年の受賞論文で書いた。その考えは、今もなお変わっていない。しかし当時のボクは「じゃあ、お前は、何をどうするんだよ」という問いに対する回答を持っていなかった。
最近、その回答を獲得できたような感覚がある。まだ「感覚」としか呼べないものだが、かなり確かな感覚だ。その感覚を、自信を確信に変えるべく、この文章を書いている。辿り着いてみれば、何のことはない。
殺し合いの螺旋から降りれば良いのだ。
降り方なんて、どうだって良いんだ。降りてしまえば良い。それだけのことだ。何がキッカケだったのかは覚えていない。ある時、ふと、「あ、降りちゃえば良いだけだ」と思った。
ボクはこれから、学者として生きる。学者として生きるという決意を固めた。一方で、学徒としても生きるかもしれないし学徒としては生きないかもしれない。そこはとても曖昧なままにしておく。この「曖昧なままにしておく」という決意が、ボクの悩みの核心だったんだろう。ボクはなぜか、学徒を続けるか辞めるかは、二者択一であると考えていた。でも全然そんなことはない。狭義の研究は、いつはじめても良いし、いつやめても良い。だから学徒を続けるも辞めるもない。
「学徒を辞める」ということが何かとても重い決断だと思っていたのは、研究業界の仲間たちから後ろ指をさされるんじゃないかという恐怖感なのだと気付いた。「あいつ、終わったな」と。でもそれは、殺し合いの螺旋にいる人間から「逃げるのか」と言われているだけなんだ。「とりあえず逃げるよ」と言ってしまえば良い。ただそれだけだった。
研究評価のあり方うんぬんという議論がある。論文業績評価が人物評価と直線的に結びつけられるのはいかがなものかというアレと、まさに一緒だ。ボクは学徒としての活動をやめるかもしれないが、ボクの学者としての価値が、それで損なわれないだけのものとして存在していれば、それで十分だ。なぜならボクはこれから学者として活動するのだから。
ここまで書いておいてなんなのだが、実際のところは、学徒としても生き続けると思う。自分でも「なんじゃそら」と思わないではない。でも「曖昧なままにしておく」という着地点は、つまりそういうことだ。フトコロに隠したナイフがあるから、いくら殴られてもヘラヘラ笑っていられる。いつでも学徒として一線に飛び出せるんだという確信を胸の内側に秘めていれば、学徒としての活動をしていなくても問題ない。いつでも抜けるよう、抜けば刺せるよう、ナイフを研ぎ続けていればいい。
この生き方は、自制心や克己心が要求される。学徒として生きていれば、論文の査読や研究費の審査という目に見える形で、他者の評価にさらされる。それは己の無能や怠惰を否応なく指摘し、自覚させてくれる。定期的な生き方の答え合わせ。学徒でない生き方では、答え合わせの機会はない。
学者として生きるということは、他より優れた知見を持つ有識者あるいは権威としての己に価値が見出される。そんな場に身を置き続けるということだ。場の空気に乗せられて、勘違いして自惚れて、ナイフを手放す誘惑が襲いかかるだろう。選ばれし者の恍惚と不安。恍惚に溺れず不安を抱き続ける臆病さ。なんとなくだけど、そこには自信がある。不安になることに自信があるというのも、おかしな話ではあるけども。
何の因果か、年度末うまれ。
何の偶然か、次で40。
惑わずいけよ、いけばわかるさ。
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公表した論文の量と質によって、研究者としての評価が定まる。
そういう価値観・価値基準が、すくなくともボクが身を置く地球科学(とか生態学とか分析化学)のような分野では、すっかり定着している。この価値観を否定したいわけではない。ボク自身もこの価値観に浸って生きてきた。むしろボクはこの価値基準によって、研究者としての生きる道を与えられてきた。その話は以前に書いた。
でも一方で同時に、現在の業界が、理想的であろう適切な範囲を超えて、この価値観に覆われ過ぎているとも思っていた。そんな思いを抱き始めたのがいつ頃だったかは定かではないのだけど、東北の地震以降は悩み続けている。2015年に書いた受賞記念論文にも、その思いをまとめている。東北の地震が契機であるのには、たぶん2つの側面がある。
あの頃、ボクは自分の研究の「型」のようなものを掴んだ感触があった。型というのは、つまり「大体こんな感じでやれば原著論文を創出し続けられる」という意味だ。研究業界で採用されている価値基準で及第点を取り続けることができるだけの能力を獲得した感覚。これをやっていれば自分が今後も生きていけるという安心感、でもあったのだと思う。これが1つの側面。
もう1つの側面は、研究者として生きていながら、研究者が社会に対して果たすべき責任を果たせていないのではないかという不安。その不安は、もう一つ大きなレイヤーで、「研究者が社会に対して果たすべき責任、とは何か」という問いに対する回答が自分の中で確立できていない焦燥であったのだと思う。言い換えるなら、第1の側面で得た安心感の否定。「こんな感じでやっていれば良い」というのは、大きなアヤマチなのではないか、という自己否定に繋がる感情。これは東北の地震の影響を深海の海水で観測した査読付原著論文を公表したことで、実感されたものだった。「これをやっていればいい。でもこれをやっているだけでいいのか」
査読付の原著論文の出版に至る計画-実行-執筆-査読(+競争的資金の獲得)を、ここで「狭義の研究」と、とりあえず定義する。狭義の研究の価値は明確で、科学の発展だ。科学とは、人類が生み出した知を、時空間を超えて共有できるカタチで蓄積する行為、あるいはその蓄積物である。科学は積み重ねることが本質であり、狭義の研究の成果として生み出される一報一報の原著論文は、科学の山に積まれる石にあたる。研究者が原著論文という石を置くことは、そのまま人類の知の拡張たる科学の発展への貢献である。
これを為すことを否定するものは何もない。しかしそれは「これだけで良い」ことを何ら認めていない。
バガボンドの主題の1つに「殺し合いの螺旋」がある。その意味の解釈はわかれるのだと思う。今のボクには、狭義の研究を是とする価値観に覆われた業界が大きな「殺し合いの螺旋」に見えていて、ボク自身もその螺旋の中に身を置いていると感じている。だからボクは、殺し合いの螺旋から「降りる」という考え、あるいは「降りるための方法論」を、いかにして確立して実現するか、そのことについてずっと悩んできた。
狭義の研究に従事し新たな知を創出する研究者を「学徒」と呼び、獲得した知を用いて社会に貢献する研究者を「学者」と呼ぶ。研究者が学徒としてのみ振る舞って、学者としての責務を果たさないことの危険性、あるいは無責任さを、2015年の受賞論文で書いた。その考えは、今もなお変わっていない。しかし当時のボクは「じゃあ、お前は、何をどうするんだよ」という問いに対する回答を持っていなかった。
最近、その回答を獲得できたような感覚がある。まだ「感覚」としか呼べないものだが、かなり確かな感覚だ。その感覚を、自信を確信に変えるべく、この文章を書いている。辿り着いてみれば、何のことはない。
殺し合いの螺旋から降りれば良いのだ。
降り方なんて、どうだって良いんだ。降りてしまえば良い。それだけのことだ。何がキッカケだったのかは覚えていない。ある時、ふと、「あ、降りちゃえば良いだけだ」と思った。
ボクはこれから、学者として生きる。学者として生きるという決意を固めた。一方で、学徒としても生きるかもしれないし学徒としては生きないかもしれない。そこはとても曖昧なままにしておく。この「曖昧なままにしておく」という決意が、ボクの悩みの核心だったんだろう。ボクはなぜか、学徒を続けるか辞めるかは、二者択一であると考えていた。でも全然そんなことはない。狭義の研究は、いつはじめても良いし、いつやめても良い。だから学徒を続けるも辞めるもない。
「学徒を辞める」ということが何かとても重い決断だと思っていたのは、研究業界の仲間たちから後ろ指をさされるんじゃないかという恐怖感なのだと気付いた。「あいつ、終わったな」と。でもそれは、殺し合いの螺旋にいる人間から「逃げるのか」と言われているだけなんだ。「とりあえず逃げるよ」と言ってしまえば良い。ただそれだけだった。
研究評価のあり方うんぬんという議論がある。論文業績評価が人物評価と直線的に結びつけられるのはいかがなものかというアレと、まさに一緒だ。ボクは学徒としての活動をやめるかもしれないが、ボクの学者としての価値が、それで損なわれないだけのものとして存在していれば、それで十分だ。なぜならボクはこれから学者として活動するのだから。
ここまで書いておいてなんなのだが、実際のところは、学徒としても生き続けると思う。自分でも「なんじゃそら」と思わないではない。でも「曖昧なままにしておく」という着地点は、つまりそういうことだ。フトコロに隠したナイフがあるから、いくら殴られてもヘラヘラ笑っていられる。いつでも学徒として一線に飛び出せるんだという確信を胸の内側に秘めていれば、学徒としての活動をしていなくても問題ない。いつでも抜けるよう、抜けば刺せるよう、ナイフを研ぎ続けていればいい。
この生き方は、自制心や克己心が要求される。学徒として生きていれば、論文の査読や研究費の審査という目に見える形で、他者の評価にさらされる。それは己の無能や怠惰を否応なく指摘し、自覚させてくれる。定期的な生き方の答え合わせ。学徒でない生き方では、答え合わせの機会はない。
学者として生きるということは、他より優れた知見を持つ有識者あるいは権威としての己に価値が見出される。そんな場に身を置き続けるということだ。場の空気に乗せられて、勘違いして自惚れて、ナイフを手放す誘惑が襲いかかるだろう。選ばれし者の恍惚と不安。恍惚に溺れず不安を抱き続ける臆病さ。なんとなくだけど、そこには自信がある。不安になることに自信があるというのも、おかしな話ではあるけども。
何の因果か、年度末うまれ。
何の偶然か、次で40。
惑わずいけよ、いけばわかるさ。
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