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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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本ブログと並行しているため、
ほとんど更新してなかった「kawagucci web!」ですが、
広告が出てくるようになったので、
削除しました

機構のwebで作るか、
もう作らないかは悩みどころですが、
とりあえずは無しのままにします

すいません
(って誰に謝ってるのかな)
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カフェ・ヒラカワ店主軽薄(中小零細企業の地獄)より

俺は、ひとりの経営者として、経営の不振を景気のせいだと
いうことを潔しとしない。それはあくまでも、経営者の問題であり、
その経営者に率いられた会社の問題である。

(中略)

ビジネスを単に、戦略的競争、合理的解決、利益至上主義だと考える
気の短い合理主義者たちが、一見無駄に見えた慣習や、儲けにならない仕事を排除し、
焼き畑農業のように、購買力のある市場だけを探索し、
即効性のある取引に流れていった結果、
足元の安定的な市場の育成や、信用の蓄積といったものを
非効率的でカウントできないものとして貶めてきたのである。

このことに関しては誰もが幾分かは加害者であり、幾分かは被害者である。
そのことを承知した上で、何ができるのか、どうすればいいのか考える必要がある。

(中略)

基本に戻る。
できる事を確実にやり、顧客との信用を再構築し、自分たちが生きるための
コストを再点検して見る。
そして、たぶんそんなことは誰でもが既にやっていることかもしれない。
それでも、もしそれ以外の方法がないのだとするならば、覚悟を持って、
自分たちの生命力を信じて日に日を継いでいくことである。

人も企業も、そう簡単にはくたばらない。
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利益至上主義のビジネス社会、
金を儲けるために努力する、
というルールが跋扈する社会で暮らしていくのが嫌で、
ボクは研究者の道に進んでいるんだけど、
利益至上主義のど真ん中でも、
こういう気持ちを持って仕事をしている人がいる
その心の強さ、信念みたいなものに感服する

「誰もが幾分かは加害者であり、幾分かは被害者である」
という言葉に強く感じるものがある
前に100円ショップが嫌いって話を書いたけど、
ヒラカワの言うトコロの「加害者」になりたくないっていう、
非常にワガママな気持ちの発露なのかもしれない


研究者になることで「被害者」になることから逃げ、
100円ショップを目の敵にすることで「加害者」になることから逃げたつもりになる
うーん



経済成長という病 (講談社現代新書) (新書)
ビジネスに「戦略」なんていらない (新書y) (新書)
休みの日には喋る相手がいないので、
やたらとネットサーフィンをしてしまう
さっき反省したばかりなのに
よくない

でも、
良い文章に出会えるうれしさもある
食糧自給率を上げるのは無理だ

以下抜粋
多くのひとが懸念する「有事の際の自給率」だが、
これもあまり心配はいらないかもしれない。
もし、アメリカとの関係が家畜飼料を売ってくれないほどの政治的な状況になったとすると、
にわとりのエサの心配をしているヒマなどない。
(中略)
ちなみに餓死が起こるのは「戦争」よりも「内乱」のときだ。



シミズさん(現ウゴモリさん)と連れだって、
大通公園でコーラを飲んでまったりしてた

そしたら、
悪人フジタがオンナノコを連れてやってきた
しかもそのオンナノコが、
スエトウさんだった
当時フジタ一年、スエトウ二年
「年上の女に手を出すとはやりおるのう」
なんて言いながらそれをながめる

するとラジオの取材のネエちゃんがやってきて、
敬老の日なので何か一言とか言われて、
シミズさんは、
「お仕事続けてて尊敬してます、元気でね」
みたいなことを、
ボクは、
「おばあちゃんにもらった入学祝いはお酒になりました」
と言っておいた

で、その後、
そのラジオのネエちゃんをそそのかし、
フジタ&スエトウに、
「お二人はどのような関係ですか?」
って聞きにいかせた
しばらくして戻ってきたネエちゃんが言うには、
「単なる先輩後輩です」
という回答だったらしく、
なんだかがっかりして帰宅

翌日、
ラジオ大好きジゲチが、
「二人とも放送にのりましたよ」
と、ご丁寧に録音したテープをくれた
放送はシミズさんにはじまり、
他数名をはさんでオオトリがボクの回答
ラジオのDJさんに、
「最後のヤツさえいなければ非常に良いインタビューだったのに」
みたいなことを言われてました


そんな敬老の日の思い出は、
2003年の出来事
あれから6年ですか
早いねぇ
内田樹の研究室より

アスリートのパフォーマンスを数値でしか語れないというのは、現代日本を覆い尽くしている「幼児化」の端的な徴候である。

長嶋茂雄はただ「守備しているときに来たボールは捕って投げる。攻撃しているときに来たボールはバットで打ち返す」ということだけに全身全霊をあげて打ち込んだプレイヤーである。
長嶋のプレイを見ているときに、私たちは彼の身体に想像的に嵌入することを通じて「野球そのもの」に触れることができた。
その意味で長嶋は一種の「巫者」であったと思う。

長嶋がそうであったように、卓越したパフォーマーに私たちが敬意を払うのは、その高度な能力を鑑賞することを娯楽として享受できるからではない。
そうではなくて、私たちの日常的な感覚では決して到達できない境位に想像的に私たちを拉致し去る「involveする力」に驚嘆するからである。



なるほどね、という感じ
「とにかく安いものを買う」
という感覚に嫌悪感
100円ショップは嫌なのです

消費者の多くが、
質ではなく価格でものを選ぶ時代
いや、
おそらく、
「質を見極める能力の欠如」が先にあって、
「価格でしかものを判断できない」という方が正確なのだろう
そんな気がする

このことについては、
実は日本の行く末を支配しかねない重大な問題だと思っているんだけど、
いまだ自分の中でまとまっていないので、
今後、整理していきたい課題


一次産業従事者にとっては、
質の良し悪しで商品価値を判断できない消費者というのは、
モンスターであろう

一次産業、特に衰退が著しい漁業の現状については、
海洋研サッカー部仲間の勝川さんの日記が勉強になる
「法治国家と放置国家」という項は、
漁業関係者に対する警鐘であるとともに、
消費者へのメッセージのようにも受け取れる

しかし、
こういう硬軟おりまぜた文章を書ける人は、
やはり相当に頭がいいんだろうなぁ
ぜひ新書などで一般に啓蒙活動をしてほしいものだ
科研費申請書
冒頭に要旨を書く用の欄がある
これって、
「基本的にココしか読まないよ」
って意味だよね?
むむむー


RI実験第一弾
それっぽい結果であるが、
RIでしか検出できないので検証は不可能
他との相対評価になるんだね


熱水研究も30年がたって、
いい加減、ダイブだけではいかんだろうという感じ
「ポストダイブ時代の熱水研究」
というものを意識して、
何をすべきかを考えていかねば
これは、
「ポストドリリング時代の海底下研究」
ということにもつながるし、
ボクの研究者人生を考えると、
かなり重要なテーマなのではないかと思う
そもそも熱水や海底下に、
突き詰めていって意味のあることが待っているかどうか、
という見極めも必要
とにかく、
「潜って何をしよう」
「コアで何を測定しよう」
ではダメだ
新基軸!




ここから下はまた政治の話です
すいません




三党連立は、
基本合意も細部で合意に至らず、という報道ですが、
実際は社民が国防について主張を退かないということで、
予想通りの展開のようです
ここで社民を切らないと、
民主には大打撃がくるんじゃないかと思うなぁ


一方、自民は首班指名でもめて、
中途半端な結論に至ってしまいました
あんたら、
仮に民主党がシャレをきかせて、
若林さんに大量投票してきて、
まさかの総理になってしまったとして、
そんな事態を国民にどうやって説明するんですか?
そういうことまで考えて、
少なくとも「本当に指名されても」という部分は考慮に入れて決定すべき
身内の論理で落としどころに落ち着かせては、
結局、民意が否定した「自民の論理」からは抜け出せていないのだから

首班指名のためではなく、
国家のための自民党総裁選挙という側面で考えるならば、
『「(新総裁には)国家の将来のため、
  国民に負担をお願いできる勇気と真心が持てるか、
  そしてそれをお願いできる資格を持っているか」
 それこそがまさしく問われるのだと思っております。』
という、
イシバシゲル議員に同意するものであります

常に勝者であり続けたのだからこそ、
次に勝つという意思を持っているのであれば、
美しい負け方というのを見せていただきたい

国民の多くは、
「とりあえず やらせてみよう 民主党」
「ダメならば やっぱり今度は 自民党」
という意識だと思う

一度の敗北で過剰に悲観し、
投票行動を発現させた心底の民意を見誤ってはならない

「A党とB党のマニフェストを見比べたら、
 A党の方が子育て支援に多く触れていて、
 支援額も大きかったから、
 A党に投票することにした」
という意見があることを、
ヨメから友人主婦の話として聞き、
普通の主婦の感覚はそういうものなのかな、と思いました
選挙については以上です


土曜の夜はキド・チュン・ワカゾーと横浜で
はじめキドと二人飲みをしている間に色々とお話
「自分が10年後にこうなっていたいから、
 そのためには3年後にはこんな感じでないと間に合わないだろう
 だから今、自分はこれをやっておこう」
「会社でも何でも、
 結局最後の部分で人間関係が効いてくるんだし、
 一度断ると関係が断絶するリスクがあるんだから、
 とにかく交際・交友には重心を置いておきたい」
というような感覚でいる人は意外と少ない、というようなコト

4人になってからは、
もっぱらコーイグチと前妻ミチコについて
この辺りはノリが学生だね


ついつい飲み過ぎたので日曜も仕事できず家に引きこもり
全然仕事が進んでいない
(・A・)イクナイ!!


====================
まず自分は「システムの被害者」であるという名乗りから社会関係を説明しようとする一般的傾向を何とか食い止めないと、この社会はますます住みにくくなる。
====================
  (内田樹の研究室)

いや、ほんとに、その通りだと思います


ポスドクの数は多いけど大学教員の枠は減ってるとか、
大学教員の枠は既得権が優先されてなかなか空かないとか、
あそこの人事は内部昇格だからアリバイ公募だとか、
あいつが採用されたのは教授と飲み友達だからだとか、
そんなこと言っててもしょうがない
(卑近な例で申し訳ない)

そういう人事システムの中で生きているんだから、
いまなすべきコト、考えるべきコトは、
このシステムを、
自分に都合の良いように変えることではなくって、
自分に都合の良いように解釈して、
このシステムはそのままに、
このシステムの中で、
自分を受益者として振る舞わせることが重要なのではないだろうか



とか考えると、
いかようにも解釈できる振れ幅を持つ現状の日本国憲法の条文はそのままにして、
ひたすら解釈問題にして物事を処理するという戦後政治のあり方は、
意外と理想的なものなのかもしれない
憲法の条文の中で「クリアな言及」をしてしまうと、
「憲法という支配的なシステム」を増強することに他ならず、
結果として我々にとって息苦しい社会を構築してしまうことにはならないだろうか
そういうクリアカットな面でガチガチに固められた、
角張ったデジタル社会というものの生きづらさみたいなものに、
我々は「お役所的」というあだ名をつけて、
それを快く思わずに暮らしているのが現代日本じゃないのかい、
なんて思うわけです

たとえば車のスピード違反だって、
自分が捕まった時には、
「もっと飛ばしてるヤツをなんで捕まえないんだ!」
とか思いますが、
逆に、
「じゃあ今からちょっとでも違反したら切符切ります」
なんて風に警察がお役所的取り締まりをはじめたら、
常にビクビクしてなきゃならないし、
速くも走れないし、
罰金のリスクは上がるし、で、
車を乗る人にとって良いことなんて一つもないんですね
現状は、「法律自体」よりも「警察の解釈」でもって、
「自家用車に乗る人が不便しない程度で国民の安全もそれなりに守る」
というちょうどいい塩梅になっているわけです
それでいいじゃないですか
「捕まった時は自分は最大の被害者のような気がするし、
 そうでない時に特段受益者であるという感覚もないけども、
 よくよく考えてみれば、
 このシステムの中でほどよく利益を享受しているな」
ということです


国の政治が国民にもたらす利益というのは、
「何もないように感じる程度で何かをしている」ような、
ことさらにアナウンスして重点的に行われることでもない、
「バックグラウンドレベル」で生活を良くすることなわけで、
これは結構バカにならないほど、
我々の生活を豊かなものにしてくれていると思う
こういう「欲を言わなければ充足している社会」にあって、
ことさらに自分を被害者にして、
被害を受けていると思う点を重点的に改善しようとすると、
かえって「バックグラウンドレベル」の部分に歪みが生じ、
ひいては別の部分で大きな被害を被ることになるのではないだろうか
もちろんそれは、
目に見えるようなものではないし、
その被害は体感レベルでは何もないと感じるだろうし、
実際に何の被害もないかもしれない
でも、
「なんとなく上手くいっているシステム」を変えるということは、
「なんとなく」の部分にある塩梅の良い何かを放棄してしまうことで、
「なんとなく上手くいっている」という事態に支障をきたす恐れがある、
そういうことも評価に入れ込んでしまうのが、
巨大なシステムの中で上手に生きていく術なのではないかと思うわけです

「我々は今のシステムの被害者であり、今のシステムは悪である。
 よって、今のシステムを変えれば、今の生活は改善するのである。」
というのは、
「今のシステムがもたらしている利益」
の部分にまったく言及していない極論であり、
非常に危険なものなわけです

そして、
前衆院選の「改革無くして成長無し」や、
今衆院選の「まずは政権交代」というのは、
まさにそういうことなのです

ここ最近、
右下半身の肉が固くて時々動かしづらいので、
ネットで調べて金沢文庫駅近くのトコロへ行ってきました

まず「駐車場はないか」と聞くと、
「駅前のスーパーの駐車場を使ってください」とのこと
常識ない感じがするも、まぁ実際に買い物の予定もあるしそのように

問診票などを書いてしばらく待っていると呼ばれる
若い兄ちゃん(院内ナンバー3って感じだった)
「誰かの紹介じゃなくてネットで見つけてきたんだー」
と言われたが、なんでそんなことを言われたのかナゾ
体の様子を確認されたあと、
「ここでの治療についてまとめてあるものなので目を通してください」
と言って「構造医学」に関する雑誌の切り抜き集を渡される
これが何ともいかがわしい

ホッカイロの熱で固まった卵の写真とともに、
「温めすぎはよくない。だからアイシング」
「痛いは炎症。だからアイシング」
と、とにかく冷やす、が構造医学の方針らしい

ベッドに通されてナンバー2とおぼしき女性がやってくる
首を氷嚢で冷やしながら足腰をグイグイされる
そして先ほど読んだ冊子の話を繰り返してくる
「ちまたで言われている方法はもう古い」
「ストレッチは良くない。今のスポーツ選手は誰もしてない」
など、どんどん宗教的な発言
これがちっとも論理的じゃない(冊子は稚拙だが一応論理的だった)
また、ここでも「誰の紹介なんですか」と聞かれた

つづいてイスでの処置
座り方、立ち上がり方などの指導
「本当に姿勢が悪い」
と院内に聞こえるように大きな声
皆さんこちらを向いて、
「すごい悪いねー」「いやー、ひどい」
と好き好きにご発言
なんとも感じが悪い
隣で中学生を治療していた院長が、
「誰の紹介できたの?」
って、なんでココの人はそればっかり聞くのかね

その後なんじゃかんじゃと話があって、
もう相当にくたびれてしまったのだが、
帰り際に、
「体の変化を見たいので明日も来てください」
と言われてしまった
誰が行くかボケ!

で、
おうちに帰って「構造医学」を調べたところ、
まぁ、あれですな
気になった方はお調べください

あれだけ「誰の紹介か」を聞いたのは、
・同業者のスパイを恐れてる?
・エセ医学告発ライターのようなものを警戒?
なんだかよくわかんない

とにかく、
「構造医学」
には気をつけます
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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