忍者ブログ
自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
[11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21]
WBC優勝のおかげでMの字バーガーが安く、
ビッグマックを4つ食べてしまいました


この3月30日で27歳になりました
ありがとうございます
この誕生日、
先生の先生であるホリベ大先生と一緒らしいです
大先生は86歳ということで、
すばらしくめでたい


ついでに【こんなめでたいこと】
本人は直接存じ上げないのですが、
いや、
あちらはボクのことをもちろん良くご存知だとは思いますが、
なんせめでたいです


でも、
めざましテレビの占いは最下位でした

さぁ月曜日!!
PR
博士論文や就職、結婚など、
ストレスまみれの生活が続き、
体調がボロボロになってしまっていました
新年度までこれを引っ張ることはできないので、
不本意ながら病院へ行き、
リンデロンとプロトピックを処方してもらいました
かなり抵抗はありますが、
ここまで悪化してしまってはしょうがない
なんとか1週間の処置で回復したい

うーん




やや先走ってますが、
タイトルを変えました!
もうしばらくは書き続けます
さて、
修士修了までをさっさと書いてしまおう
時系列はグチャグチャです



卒論研究で開発した分析手法について、
投稿用に論文を書き始めたのは、
M1の夏ぐらいからだったような気がする
まぁとにかく、
右も左もわからぬままただ駄文を書いて、
無責任に先生に渡して、
返ってきた赤ペンをなぞってまた渡して、
って作業を繰り返して、
自分で書いた記憶もないままに投稿したわけです
投稿がバレンタイン、返事がホワイトデー、
「English is very poor」というコメントをちょうだいして、
その後reviseは先生とケンカしながらで、
M2の5月頭にrevise投稿して、
3日後にアクセプト
無事、学振の申請に間に合ったわけです


M1の12月には、
はじめての海外&国際学会として、
サンフランシスコのAGUに参加
ThiemensやらClaytonやらなんやらかんやらで、
論文の中の人たちに出会うことにとにかくスゲー大興奮
この勢いで博士に進むことを決意したような、しなかったような
今思うと、
なんて浅はかな決断だったんだろうという感じではある


実はマスター修了に合わせて、
就職活動も少しだけしました
河合塾とウッドワンの二社
河合塾の方は、福岡会場で一次試験を受けたのですが、
前夜に中州で散財するほど楽しんでしまい、
二日酔いで会場入りしてあえなく撃沈
ウッドワンは最終の手前まで、
計4回東京に行ったけども、
「イノウエワカをCMに使うのはイメージダウンじゃないですか?」
と言ったらアウト(そのせいかどうかは知らんが・・・)
交通費10万円以上が水の泡
当時は決まったら就職するつもりだったんだけど、
この中途半端な態度を振り返ると、
もう博士に進む気だったという風にも思えますね


学振申請の前に、
ツノ先生およびガモ先生に博士から移籍する旨の打診をしました
移籍しようと考えたのは、
研究室には直近の5世代までに5人の先輩がドクターにいて、
そのまま同じ研究室でドクターを取ったら、
世間的にも自分的にも、
「ツノ先生のところの六男坊」になってしまい、
劣化コピー甚だしい自分になってしまう危惧を覚えたからです
(先輩方が先生のコピーだという意味ではないです、表現が難しい・・・)
で、
M2の5月の学振申請は、
とりあえずツノ先生にしておいて、
その後、進路変更については熟慮しようという結論を出しました
結論を先送りするという結論です
これは両先生と相談し、そうなった気がします


学振の申請書はほとんど自分で書いて、
先生には一度も見せなかったような気がする
「自分の得る給料のことだからこれはプライベート」
「先生に申請書を添削してもらうのは筋違い」
と考えていた記憶があります
(あ、ナカガワさんには見せたかな?)
コバさんと雑談している時に出てきたネタを書いて提出
自分でも面白いと思っていたし、
通る気マンマンでした
で、
「地獄の淡青」から戻った次の日、
まずカメさんに青い封筒が、
続いてイマヤマさんに葉書が届き、
ボクには何も届かないという時間帯があった
申請書の不備などで申請自体が受理されていないのかと思い、
かなり落ち込んでいたのですが、
その日、五回目ぐらいに事務室に行くと、
青い封筒が来てました
事務室で「ヨシッ」って言ってしまったのは若気の至りです


そうそう、
地獄の淡青は、
地獄でした
石垣四日前入りもビーチに行くことなくひたすら準備
出港後は大荒れの中ひたすらサンプリング&処理
しかも分析の見通しのたってない試料のろ過、
そして熱水探しで外れた試料の塩検
荒れる精神
沈黙の作業
滅びる肉体
これ以上の詳細は思い出したくないので書きません
人生のワースト5には入るであろう出来事だった
下船後の学振採択が無ければ、
業界を去っていたと思う
これはマジで
これ以降、航海が楽しいとは思うまいと決意した
(沖ノ鳥島航海ですぐに翻意したけど)
あ、この航海はイマイさんも一緒だった
詳しく知りたい人は聞いてみるといいかもね


地獄の淡青なども引き金になり、
「研究はもういい」
「東京で学振もらいながら院生をして裏で就活をする」
という思いが大きくなって、
ついに本格的に移籍を決意
もちろん、
「研究が面白くなったらそのまま続ける」
という気持ちもあった
で、
両先生に報告
紆余曲折
皆さんには「ケンカ別れ」だと言われるが決してそんなことはない
ボクは後ろ髪をひかれる思いながら前向きに出ていったし、
先生も残るも出るも君次第という態度だった(と思っている)
まあまあとにかく、
出て行くのを決めたわけです


M2の秋には若手会の主催もしましたね
あれもほとんど記憶ないです
楽しかった
本当に
ただそれだけ
そうだ、
この時にはMLに案内を配布しただけで、
研究室の人には特に参加要請をしなかったんだけど、
そうしたら上の人々がジャマするまいと遠慮してしまったらしく、
これについては失敗だった
皆に出てほしかったのに


で、
肝心の研究だけども、
修士の間はロクにしてなかった
成層圏アーカイブを測定しただけ
修論もそれだけ
あとは、
分析法論文書きとか、
COや硝酸の17Oとか、
チュン教育航海とか、
地獄淡青とか、
なんだか色々と雑多にやって、
何もまとまらないまま
勉強も全然しなかった
これは非常にもったいなかった
後悔





読み直すと凹みますね
ちゃんと書けないのは、
当時の自分を直視したくないからでしょう
あぁ・・・



次はORI編を、できれば一回でまとめたい
11時から安田講堂で、
これが仕事納め、という総長のありがたく長い話
席ではみんながワンセグでWBCを見てる感じ
オケはピット内でダラダラしてた

12:30に終わって、
農学食堂でご飯をかきこんで、
13:00から研究科長賞授与式
あ、このたび、
農学生命科学研究科の研究科長賞をいただきました
やったね

さらに13:30から水圏生物科学専攻の授与式
ここでついに学位記をもらう
全体写真後、懇親会
最後にカワムラさんからありがたいお言葉をちょうだいする
はい、よりマジメな態度を見せていきます

海洋研に戻って、
ウエマツさんにあいさつに言ったらイワモト両親もいて、一杯
4合瓶が一瞬で空いた、さすが

夜はいくちゃんとイワモトと三人で「やまもと」
すっかり顔なじみになったのに、
もうお別れかと思うと残念
さらに残念なことに、月曜はレバ刺しがないとのこと
それでも三人でダラダラ話して帰宅

トサカ部分がかゆかったので、
家に戻ってヨメにお願いして丸刈り
すっきりして就寝


さぁいよいよ社会人
なのだが、
年度末の報告書も書かねばならないのだ・・・・



キクチさんがノムさんと!!??
おめでとう!!
今日は休日なのね
まず、
うちから坂を下るのがこわい
ブレーキが握りにくい

続いて車道
国道16号への右折侵入はやめて、
手前の信号から歩道経由

川沿いに進み、
工場地帯へ
ここからアスファルトに轍ができていて、
非常に走りにくい
歩道に逃げてのんびりと

最後の日産→住友→ジャムは快適に飛ばす
ブイブイ

で、
研究生カード忘れててびびった

帰りは同じ道をたどり、
最後の坂は足をつかずに登りきれた

片道30分ぐらい
楽しい
もうちょっと慣れて、
道も工夫していけば、
これはかなり楽しいぞー
良い運動にもなってる気がするし


日中は、
GJに投稿する予定のYさんの論文を、
横からヤイヤイ言ってじゃまする
良きものになり、
受理され、
学の振に通ってほしいという、
大人の皆さんの願いがこもった論文
ぜひがんばってもらおう
4月からの通勤用に、
バイクを買いました

購入にあたっては、
海洋底のオオツカ君やタニオカ君に聞き込みを実施し、
色々と考えました
で、
結局、
とりあえずロードであれば何でもいい、
もしホンキでやるならその時に考える、
という結論に至り、
下記を購入しました

GTR シリーズ4 2008

年度一年落ちで、
なんと40%引き
ライトやヘルメット、空気入れ、家用スタンドなど、
とりあえずの最低備品だけそろえて、
なんと65000円!!
予算13万円で考えていたので、
これは非常に安い
今後バックミラーやケミカルをそろえても、
10万以内に抑えられる、はず
いやー、良い買い物です


で、
購入後さっそく、
横浜のY's Roadから金沢文庫まで乗って帰りました
スピード感がたまりません!!
車道をシャーっと走る感覚は爽快です!!
気付いたら90分走りっぱなし
いやー、買ってよかった
通勤生活が楽しみです

一方、趣味にしたい長距離乗車については、
まだブレーキやギアチェンジ、コース取りに不安があるので、
ボチボチ乗りながら慣れていきます
そしたら箱根あたりまでいっちゃおうかな

それが調子よければ、
ついにトライアスロン!!



電車通学で読み漁った本たちの、
本棚への登録がなかなか進まない
無心で読んでたから、
中身を思い出せないのだ・・・
このブログ、
就職きっかけでもうやめようか、
と思っていたんですよ
職場で書くのもどうかと思うし、
家でヨメに見られながらでは集中して書けないし

でも、
何かを発信し続けることで、
たとえ一方通行でも良いから共有したり、
あるいは勝手に解釈してもらったりして、
とにかく何か刺激を与えたり、
もらったりするために書いていたと思うんです
「自分のために書いてる」
「人に読まれることを想定してない」
なんて照れ隠しの嘘ですよ
もちろん、自己満足や備忘録的な意味もあるんですけどね

そんな気分でモヤモヤだったんですが、
熱心な読者の方々から直接、
「最近、更新が定時じゃない」
「適当になってる」
と言われてしまうと、
やはりうれしくって、
ちゃんと書かねばなぁ、
という気持ちを新たに、強くしました

で、
続けることは決めたんですが、
今後、どうしましょうかね
何を書こうか
うーん
とりあえず、
年度内は学生時代の昔話をまとめます
意外と反響があるのでね




海外にいる時もわざわざ本日記を読んでくれていた、
某研究所のTNMT氏から、
卒業と結婚を祝う、
非常に適当で、
おそらく一分ぐらいで書いた感じのするお手紙をいただきました

TNMT氏とは、
学会でお会いしたのがきっかけで知り合いになりましたが、
基本的には年に一回会うか会わないかで、
本当にこれといった接点もないわけです

そんな関係にもかかわらず、
多忙の間隙を縫うように捻出した貴重な一分を、
ボクに費やしてくれたその気持ちが、
たまらなくうれしいです

こんな場で申し訳ないですが、お礼を申し上げます
「卒業後の3年が研究者として独り立ちできるかどうかの重要な時期」
というのは、
きっとその通りなのでしょう
がんばりますよ
ドンドンと大気から遠ざかって、
次からは熱水と微生物を対象に研究をする予定ですが、
分野は違えども、これからもよろしくお願いします
北大時代の研究室のOB会の伝統行事に、
といっても10年にも満たない研究室で、
OB会と言っても一部の飲み好きの寄り合いなんですが、
「前学位取得者が新学位取得者に樽酒を振る舞う」
というものがあり、
本来は研究室を出奔したボクには権利がないのですが、
・みんなkawagucciがかわいくてしょうがない
・今年卒業するはずの人が延長してしまいOB連中の鏡割り熱のやり場がない
・がも先生が北大の同研究室の教授でありながらやったことがなかった
・関東でやった方が都合が良い人がいる
などなど、
まぁとにかく、
今回は伝統行事の番外編と言うことで、
海洋研で鏡割りをすることになりました

参加者は、
海洋研・北大OB会・私的友人など、
総勢30人ぐらいで、
まぁとにかくどんちゃんでしたよ
鏡割りはがも先生とボクが担当し、
30回ぐらい、
餅つき張りに叩き続けようやく割りました

食べ物は、
東工大吉田研出身のアベッチから広島の牡蠣が剥き身で3kg届き、
プランクトンのマッチーさんが芋煮を作成してくれ、
その他、多数のお土産をいただきました
オシャフネさんがホットプレートを用意してくれて、
大量の牡蠣を樽酒で煮込み食べましたが、
うまかったですねぇ

で、
皆さん入り乱れて楽しい会が続き、
見事、
一斗樽を空けることができました!

その後は北大OB会と新宿でカラオケ
酒も飲まず汗をかき、
朝5時に海洋研に戻り、
転がっているハッチを横目にシャワーして1時間だけ仮眠

デスクの最後のお片付けをして、
気持ち悪くて作業進まず片付けきれなくて、
10時に海洋研を出発
ふらふらながら12時に帰宅
それから寝たり起きたりをして今に至っております


色んな人が来てくれてうれしかったのと、
色々と話せて楽しかったのと、
とにかくありがたいのとで、
幸せです
ボクは幸せ者ですね
お昼のサッカー

密集でボールをキープしようとした時に、
かなり痛い感じで足を蹴られた
ちなみに誰に蹴られたかはわからなかった

ファウルではなかったので、
ゲームはそのまま続いていったが、
その後も謝罪がなかった

ファウルが云々とかはさておき、
相手の足を蹴ってるんだし、
ボクが痛んでることは皆さん認識していたみたいなんだから、
せめて謝罪はしましょうよ

これが本当の競技だったら謝らないのも選択肢の一つだけども、
少なくともスポーツ、あるいは娯楽の範囲でやってるんだから、
もうちょっとどうにかならんもんですかね

ボクの足が痛かったことよりも、
そういう思いやりの無い、
頭に血が上った人がプレーしている現状に、
いつか大怪我が出たり、
大喧嘩が起こったりするのではないかと思い、
なんともいえない、
さみしい気持ちになりました
プロフィール
HN:
kawagucci
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
ブログ内検索
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
アクセス解析
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright (c) kawagucci's Weblog All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]