自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
このネタは全然まとまっていないのでグダグダと書いていく。
いきなりだけども,
ボクは「自分は天才だ」と思っている。
小学校とかそれぐらいの頃から,なんとなくそういう感じがしていて,
結構本気でそう思って生きてきた。(実は今でも思ってる)
最近になって,そういう評価を受けることがままあるけど,
学生の頃にそんな風に言われたことは本当になかった。
自己評価と周囲の評価のギャップが苦しかった。
小学校の時のテストの点数なんかは悪くなかった(と思う)けど,
うちの小学校には灘中など難関私立を目指す「受験組」がいて,
学校のテストなどは満点で当たり前的な部分もあり,
ボクが飛び抜けて勉強ができると認知される環境ではなかった。
それでも当時から,
「ボクの能力なら,普通に灘とか,入れるんじゃ無いかな」
みたいなことを思っていたことは覚えている。
その思いが転じて,
「高い金を出して塾で勉強して灘に行ってようが,
公立に行ってようが,
最終的に東大に行けば変わらんやろ」
と考えるようになっていた。
進学した地元の公立中学・高校では,
学校の勉強,特に定期試験にマジメに取り組まなかった。
中学の時には実兄が地元の公立高校から京大に現役合格して,
「今の学校のテストの点数なんてどうでもいい」
「最終的に東大に入れば中高の成績など関係ない」
という思いはドンドン強まっていた気がする。
さらに実兄がボクのことを「アイツは天才だ」と周囲に言っていて,
他人を介してボクがそれを聞いていたことも,
自分の天才を信じる根拠になっていたかもしれない。
そんなこんなで,
常に勉強に対しては斜に構え続け,
北海道大学理学部という,
当初の「東大余裕やろ」からはだいぶ劣るが,
世の中的には「まぁまぁ立派」という受験成果を出すに至った。
いざ北大に入学して周りを見渡しても,
なんだか皆さん頑張って勉強して北大に入ったようで,
「受験時にポテンシャルは全部絞り出しました」みたいな出がらしに見え,
「全力で取り組んだわけじゃないもんね」という言い訳を残したボクの中の,
「自分はやはり天才なんじゃないか」という思いが瓦解することはなかった。
むしろ大学に入っても勉強をせず成績もひどいものだったボクのことを,
同期の連中は劣等生だと思っていたわけでしょうけども。
この頃の思いはというと,
「大学の試験の成績じゃねえんだよ。
最終的に研究で成果を出せるかどうかなんだよ。」
と,中高の時と同じ論法で,
自分の頑張りどころを先延ばしにして,
自分の天才ポテンシャルを発揮する機会も先延ばしにしていた。
4年生になって研究室に入って指導教員と研究の話をする中で,
「この人は自分よりもスゴイかもしれん」
と思った。
「自分よりもスゴイ」と思う人に出会ったのは,
20年の人生で初めてだった。
「この人に認められたい」と思った。
卒論から修論に至る研究をする中で,
早くに論文業績が出て,学振DCにも採択されたりして,
世の中の人々に「すごいね」と評価されるようになった。
でも,
これまでの人生で「自分の才能を評価されたい」と思ってきたのに,
まったく納得がいかなかった。
むしろ悔しかった。
この頃の業績なんてのは所詮,指導教員の指導の範疇であって,
結局はこれまで目の敵にしていた,
「塾に行って難関私立に行って東大を目指す」ような環境にいるだけで,
自分自身が評価されているとは到底思えなかった。
そして何より,指導教員の範囲で研究をしているという時点で,
指導教員がボクのことを評価するような状況では無かった。
なんだかんだで博士では別の研究室に移って研究をして,
その頃になると「彼は優秀」という評価の方が一般的になり,
今までの劣等生扱いとは違ったのだけれども,
それでもその「優秀」という評価は,
指導教員のおかげで得た「学振DC」という看板に対するもので,
やはり自分に対する評価では無いと思っていた。
身近な人では唯一(?),研究室の准教授は,
ものすごく客観的にいろいろなことを話してくれて,
ボクに対する直接的な評価を述べてくれたことは無いけど,
「君はまあまあだけど,まだまだだよ」というようなことを示唆してくれた。
ボクの「この人に認めてもらいたいリスト」に,この准教授が加わった。
そんな頃に業界でも誰もが「スーパー」と認める研究者に出会った。
話すと確かに噂通り(個人的には噂以上だと思っている)で,
結局この人に雇ってもらい今に至るまで一緒に研究をしていて,
もちろんボクの「この人に認めてもらいたいリスト」に加わっている。
グダグダと考えてきて,
ようやくわかってきたことだけど,
ボクが求めているのは,
『「自分がスゴイと思っている人」から「対等な存在と思われること」』
なんだろう。
そういう視点で考えると,
今までは,学生だったり雇用されていたり,
最初っからそんなボクの欲求は満たされるはずがない状況だった。
そしてその「構造的に対等になりえない状況」に甘えて,
「認められないこと」の責任から自分自身を逃避させて,
「自分は天才」という殻に閉じこもって満足していたのだろう。
でも,これからは違う。
いや,今までも違ったのだけど,
もう本当に生身をさらけ出して勝負しなければならない。
ポテンシャルではなく,目に見える実力で,
「この人に認めてもらいたいリスト」をコンプリートしなければならない。
そう思う一方で,
それすらもやはり無理なんじゃないか,と思う部分もある。
こういうのっていわゆる「承認欲求」の一種で,
「社会的・心理的な父・兄」というモノとの闘争なんだろう。
幼少の頃の家族構成がこういう根源的な欲求に与える影響ってのが,
やはり大きいのかな,とも思う。
ボクは(実父はそうでもないのに)実兄のことをずっと尊敬していて,
今でも超えられない壁だと思っている部分がある。
そう考えると,
研究生活での「この人に認めてもらいたいリスト」の3人は,
ボクにとって父的ではなく,兄的な存在だ。
「三つ子の魂百まで」じゃないけど,
やはり家庭環境というのは,そういうものなのかもしれん。
最後に後味悪く終わらせるのは気が引けるけども,
橋下さんってのは「父との戦い」をしているのだと思う。
ボクは彼の考え方に同意する部分が多いのだけど,
やはり何かが違うという引っかかりも感じていて,
それはボクの対象が「兄」であり,彼の闘争対象が「父」で,
ボクは「対等」を求めていて,彼は「超越」を目指していて,
そういう違いに起因するのかもしれない。
ヒトは成長して「父」にはなれるけど「兄」には絶対になれない。
一方で,生物学的な「父」を生物学的に超越することは絶対にできない。
だから父や兄との闘争は死ぬまで続ことになる。
闘争をやめない限りは。
それは敗北を受け入れるということではなく,
(そもそもこの闘争は子・弟による一方的な闘争だから)
現状を承認して飲み込むということになるのだろう。
一般に生物学的な「父兄の死」や「子の生誕」は大きいだろうが,
ヒトが社会生活を営むイキモノである以上,
社会的なキッカケで「父兄なるものとの和解」を達成することは可能だろう。
要するに,
「父兄からの直接的な他者承認」ではなく,
「自らの中にある父兄なる幻想の自己承認」こそが,
トラウマ的に求めているものなのだろう,ということだ。
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いきなりだけども,
ボクは「自分は天才だ」と思っている。
小学校とかそれぐらいの頃から,なんとなくそういう感じがしていて,
結構本気でそう思って生きてきた。(実は今でも思ってる)
最近になって,そういう評価を受けることがままあるけど,
学生の頃にそんな風に言われたことは本当になかった。
自己評価と周囲の評価のギャップが苦しかった。
小学校の時のテストの点数なんかは悪くなかった(と思う)けど,
うちの小学校には灘中など難関私立を目指す「受験組」がいて,
学校のテストなどは満点で当たり前的な部分もあり,
ボクが飛び抜けて勉強ができると認知される環境ではなかった。
それでも当時から,
「ボクの能力なら,普通に灘とか,入れるんじゃ無いかな」
みたいなことを思っていたことは覚えている。
その思いが転じて,
「高い金を出して塾で勉強して灘に行ってようが,
公立に行ってようが,
最終的に東大に行けば変わらんやろ」
と考えるようになっていた。
進学した地元の公立中学・高校では,
学校の勉強,特に定期試験にマジメに取り組まなかった。
中学の時には実兄が地元の公立高校から京大に現役合格して,
「今の学校のテストの点数なんてどうでもいい」
「最終的に東大に入れば中高の成績など関係ない」
という思いはドンドン強まっていた気がする。
さらに実兄がボクのことを「アイツは天才だ」と周囲に言っていて,
他人を介してボクがそれを聞いていたことも,
自分の天才を信じる根拠になっていたかもしれない。
そんなこんなで,
常に勉強に対しては斜に構え続け,
北海道大学理学部という,
当初の「東大余裕やろ」からはだいぶ劣るが,
世の中的には「まぁまぁ立派」という受験成果を出すに至った。
いざ北大に入学して周りを見渡しても,
なんだか皆さん頑張って勉強して北大に入ったようで,
「受験時にポテンシャルは全部絞り出しました」みたいな出がらしに見え,
「全力で取り組んだわけじゃないもんね」という言い訳を残したボクの中の,
「自分はやはり天才なんじゃないか」という思いが瓦解することはなかった。
むしろ大学に入っても勉強をせず成績もひどいものだったボクのことを,
同期の連中は劣等生だと思っていたわけでしょうけども。
この頃の思いはというと,
「大学の試験の成績じゃねえんだよ。
最終的に研究で成果を出せるかどうかなんだよ。」
と,中高の時と同じ論法で,
自分の頑張りどころを先延ばしにして,
自分の天才ポテンシャルを発揮する機会も先延ばしにしていた。
4年生になって研究室に入って指導教員と研究の話をする中で,
「この人は自分よりもスゴイかもしれん」
と思った。
「自分よりもスゴイ」と思う人に出会ったのは,
20年の人生で初めてだった。
「この人に認められたい」と思った。
卒論から修論に至る研究をする中で,
早くに論文業績が出て,学振DCにも採択されたりして,
世の中の人々に「すごいね」と評価されるようになった。
でも,
これまでの人生で「自分の才能を評価されたい」と思ってきたのに,
まったく納得がいかなかった。
むしろ悔しかった。
この頃の業績なんてのは所詮,指導教員の指導の範疇であって,
結局はこれまで目の敵にしていた,
「塾に行って難関私立に行って東大を目指す」ような環境にいるだけで,
自分自身が評価されているとは到底思えなかった。
そして何より,指導教員の範囲で研究をしているという時点で,
指導教員がボクのことを評価するような状況では無かった。
なんだかんだで博士では別の研究室に移って研究をして,
その頃になると「彼は優秀」という評価の方が一般的になり,
今までの劣等生扱いとは違ったのだけれども,
それでもその「優秀」という評価は,
指導教員のおかげで得た「学振DC」という看板に対するもので,
やはり自分に対する評価では無いと思っていた。
身近な人では唯一(?),研究室の准教授は,
ものすごく客観的にいろいろなことを話してくれて,
ボクに対する直接的な評価を述べてくれたことは無いけど,
「君はまあまあだけど,まだまだだよ」というようなことを示唆してくれた。
ボクの「この人に認めてもらいたいリスト」に,この准教授が加わった。
そんな頃に業界でも誰もが「スーパー」と認める研究者に出会った。
話すと確かに噂通り(個人的には噂以上だと思っている)で,
結局この人に雇ってもらい今に至るまで一緒に研究をしていて,
もちろんボクの「この人に認めてもらいたいリスト」に加わっている。
グダグダと考えてきて,
ようやくわかってきたことだけど,
ボクが求めているのは,
『「自分がスゴイと思っている人」から「対等な存在と思われること」』
なんだろう。
そういう視点で考えると,
今までは,学生だったり雇用されていたり,
最初っからそんなボクの欲求は満たされるはずがない状況だった。
そしてその「構造的に対等になりえない状況」に甘えて,
「認められないこと」の責任から自分自身を逃避させて,
「自分は天才」という殻に閉じこもって満足していたのだろう。
でも,これからは違う。
いや,今までも違ったのだけど,
もう本当に生身をさらけ出して勝負しなければならない。
ポテンシャルではなく,目に見える実力で,
「この人に認めてもらいたいリスト」をコンプリートしなければならない。
そう思う一方で,
それすらもやはり無理なんじゃないか,と思う部分もある。
こういうのっていわゆる「承認欲求」の一種で,
「社会的・心理的な父・兄」というモノとの闘争なんだろう。
幼少の頃の家族構成がこういう根源的な欲求に与える影響ってのが,
やはり大きいのかな,とも思う。
ボクは(実父はそうでもないのに)実兄のことをずっと尊敬していて,
今でも超えられない壁だと思っている部分がある。
そう考えると,
研究生活での「この人に認めてもらいたいリスト」の3人は,
ボクにとって父的ではなく,兄的な存在だ。
「三つ子の魂百まで」じゃないけど,
やはり家庭環境というのは,そういうものなのかもしれん。
最後に後味悪く終わらせるのは気が引けるけども,
橋下さんってのは「父との戦い」をしているのだと思う。
ボクは彼の考え方に同意する部分が多いのだけど,
やはり何かが違うという引っかかりも感じていて,
それはボクの対象が「兄」であり,彼の闘争対象が「父」で,
ボクは「対等」を求めていて,彼は「超越」を目指していて,
そういう違いに起因するのかもしれない。
ヒトは成長して「父」にはなれるけど「兄」には絶対になれない。
一方で,生物学的な「父」を生物学的に超越することは絶対にできない。
だから父や兄との闘争は死ぬまで続ことになる。
闘争をやめない限りは。
それは敗北を受け入れるということではなく,
(そもそもこの闘争は子・弟による一方的な闘争だから)
現状を承認して飲み込むということになるのだろう。
一般に生物学的な「父兄の死」や「子の生誕」は大きいだろうが,
ヒトが社会生活を営むイキモノである以上,
社会的なキッカケで「父兄なるものとの和解」を達成することは可能だろう。
要するに,
「父兄からの直接的な他者承認」ではなく,
「自らの中にある父兄なる幻想の自己承認」こそが,
トラウマ的に求めているものなのだろう,ということだ。
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