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理科離れに明確な根拠はないらしい。

「国際数学・理科教育調査」によって、
日本の生徒は成績が良いにもかかわらず、
理科が面白いと思う生徒が極めて少ないことが明らかになり,
これを「理科離れ」として報じたのがはじまりか,と言われている。
その後,工学部進学が半減したことも,理科離れの存在の論拠とされている。

ちなみに「国際数学・理科教育調査2007」の概要を見ると,
設問は「理科(算数・数学)の勉強は楽しいか」となっていて,
単に「理科という学校科目の勉強が面白くない」ということであり,
「面白くない」のは「理科」なのか「勉強」なのか判別が難しい。
詳細を転載すると,
中学二年生の「理科の勉強が楽しいか」に対する4段階回答では,
「強くそう思う」が18%(国際平均は46%)であるが,
「そう思う」を合わせると58%と過半数となる。

一方で,
読売オンラインで「理科離れ」で検索すると,
「理科離れが進む中」「理科離れが懸念」
「理科離れを背景に」「理科離れを食い止める」
などの文言が踊るが,
これらの前段には理科離れが存在する旨の記載はない。
また,たとえば,
「理科離れを引き起こす原因に関する研究」のおいては,
「教師と生徒」という視点で「理科科目」を取り上げて,
「理科離れ」の原因を明らかにしようと取り組んでいるが,
その根拠は前掲の「国際数学・理科教育調査」である。

重要なことだが,
この「国際数学・理科教育調査」は,
数学と理科のみに関する調査で,
国語や社会や英語や体育などの科目については,
同時に調査されていない。

つまり,
「国際数学・理科教育調査」で,
「(他国に比べて)成績は良いけど,
 (他国に比べて)理科をすごく面白いと思っている割合が少ない」
という結果が出た。
それを解釈するのに「理科離れ」という概念を提案した報道があった。
この用語を他の案件での報道でも安易に使い流布し,
結果的に「理科離れ」が既成事実化してしまった。
というのが「理科離れ」の経緯だろう。

要するに,
報道による「理科離れ」の再生産でしかないのだ。
「理科離れなんてないさ,理科離れなんてウソさ」なのだ。


では「理科離れのようなもの」が,
まったく実態がないものなのかというと,
そういうわけでもないだろう。
たとえ「理科離れ」の根拠が薄弱だとはいえ,
「理科離れ」には皆が感覚的に納得しているわけだから,
社会現象として「理科離れのようなもの」は存在していると考える方が妥当だ。

これについては,
理科離れに関するいくつかの問題:武竿久雄(PostDoc生物系)」による,
『「理科離れ=学習意欲の総合的低下」である。
 あえて"理科離れ"という言葉を使わない方がよいと感じている。』
という指摘が一番しっくりくる。


「理科離れ」=「学習意欲の総合的低下」だとすると,
それを招いているのは何か。

ボクは経済至上主義だと思う。

テレビをつければ「金持ち特集」か「安いモ ノ特集」。
若い時からこういった言説に触れて育つと,
「いかに稼ぎ,いかに安く買うか」が,
人生の目標に思えてしまう子供が育ってしまうのではないか。
そうなると,
人々がよく使う言い回しである,
「それやって意味あるんですか?」
という考え方が,
物事の最も根源的な判断基準になってしまう。

言い換えよう。
スポーツをした時の爽快感,
難題を突破した時の達成感,
誰かと協力した時の一体感,
これら内面的な喜びには金銭価値がない。

体が疲労するスポーツよりも,
何かを知ることができるネットサーフィン。
人の心の機微を知る映画・ドラマよりも,
何かを知ることができる雑学・情報番組。

金銭という絶対的な数字や,
入手した情報の多寡といったものに囚われると,
定量不可能なものに対する判断力・思考力・想像力が低下する。

将来を考えても数字ばかりが頭に浮かび,
知らない事実が隠れていることにおびえ,
内面的な喜びの体験が薄く,
それがために将来の喜びを想像することもできない。
それでは将来に不安を感じてしまうのだろう。


だから「理科離れ」「学習意欲の低下」を解決するには,
「学習」の内面的な快楽を知る体験機会を増やすことが重要だろう。
でもそれは,学校教育だけでは限界がある。
というか,それこそ,
親に課せられている「教育を受けさせる義務」の本質ではないのか,と。

「教育を受けさせる義務」の本質は,
「子供の将来を,労働のために搾取しないため」なはず。
もし子供の将来の稼ぎを目的に教育を受けさせるのだとしたら,
あるいは子供に「学習の目的は金稼ぎだよ」という観念を植え付けているなら,
それは迂回はしてい るものの,
子供の将来を労働によって搾取していることに変わりない。

「理科離れ」は子供に顕在化しているが,
根は親にあるのだ。

1960-1980ぐらいに産まれた世代,
つまりは日本の誇りが経済にあった時代の人々には,
明るい将来が経済と結びつくのかもしれない。
しかし彼らの子供は経済成長が止まった世代。
親自身が育った環境の価値観と,
世相の変遷による親が大人になってからの価値観との不整合が,
そのまま子供の精神に歪みをもたらしているのではないだろうか。

子供の将来を労働に搾取させず教育ことを考えると,
何もない荒野に子供を放ちながら,
子供に気付かれないように安全柵を設置して,
子供自身が自発的(と感じるよう)に,
「世界と自分」「自分とは何か」「世界の仕組み」について,
考えざるをえない機会を与える,
というようなやり方が,ある種の理想型と思われる。


最後に。
だから科学者が,
「理科離れって言われてるけど,理科は楽しいよ」
って言うのは金輪際やめにしたい。
その枕はいらない。
アウトリーチとかサイエンスコミュニケーションも,
「理科離れ対策」としてはほとんど意味をなさない。
ただ,
大人が楽しそうにしている様子を見せれば,
子供は自分も体験したいと思うはず。
それだけで良いのだ。
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