自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
気付けば時間というのは流れているモノで,
恐ろしいことに,
ブログを書きはじめて9年になる。
そんなこんなで,今週は軽めな話。
ボクがブログを書き始めたのは,
4年生の時に知り合った研究者がやっていたから。
彼は「研究者・大学教員の日常・考え」をネットに公開することで,
「研究者・大学教員は超天才しかなれないもの」という障壁を無くし,
相互理解を深めようと思っていたのだと勝手に思っている。
(ちょっと違うんだけど,今日の本題ではないので割愛)
その内に「内田樹」などなど,
多くのネット上の「先生」に出会ったこともあいまって,
自分もそういう人間でありたいと思ったことが,
こうやって9年も続く原動力になっているのだろう。
ちなみにボクの読書習慣は,
ネットで記事を読む習慣を身につけたのが先で,
そこで内田樹を知って,
彼の本を買って読んだのがはじまり(たぶんD1)。
先週の承認欲求にもつながるけども,
自分を「兄」と見る視線を感じたかったのかもしれない。
このブログで主張している内容ってのは,
面と向かって真顔で語るには青臭くて恥ずかしいものが多い。
というか,
こういった内容を主題とする議論の場ならいざ知らず,
飲み会でいきなりここで主張しているようなことを語り始めるのは,
いわゆる「コミュ障」に分類されるような人間だろう。
ボクのブログは当初研究室の管理するサーバー上で,
HTML上にテキストでシコシコと書いていた。
別にアナウンスするでもなくはじめていたので,
研究室人々とごく一部の外部者が見ているだけだったのだろうと思う。
ドクターで東大に移った時にサーバーにアクセスできなくなって,
もうやめようか,と思ったのだが,やっぱり再開した。
その時にカウンターとアクセス解析をはじめて,
学会に参加する度に常連読者が増えていくのが目に見えてわかって,
それで気を良くして,今に至るまで続けてきている。
最近はツイッターの方に移行しつつあり,
今年からこのブログは「週に一回こってり」にすることにした。
ブログでは一貫してコメント欄は設けておらず,
ボクがボクの主張をしたいブログだから,
垂れ流しにできれば目的を達成しているわけだし,
本当にコメントがあれば直接メイルが送られてくるので,
それで何の問題もないし,なにより,
コメントなんてあったら返事しなきゃいけないし。
学位取得前後には,
結構な数の人がこのブログを読んでいる状況になった。
ブログの内容のようなことをボクが直接語れるぐらいの親しい知人から,
ボクの顔を見たことはないけどもブログは読んでいるという人まで,
読者層にもバリエーションがでてきた。
ボクと読者との現実世界での関係性も様々で,
それがまたおもしろい。
たとえば,コンノ。
ボクが大学2年,ヤツが1年の時から知り合いだけども,
同じ組織に属して生活したのは,ボクがM1-M2の2年間だけ。
だから3月から一緒に仕事をはじめたけど,それは6年ぶりのこと。
それでも阿吽の呼吸でいけるのは,
このブログを通じてボクの考えが伝わっていることが根底にあると思う。
たとえば,ナオさん。
いつもホカホカご飯のアイコンで癒やしてもらっているが,
実際のところ現実世界ではほとんど面識がなかった。
面識がなかったのに,ブログ上の主張はよく読んでくれていて,
おかげで実際に向き合って挨拶を交わした時はモゾモゾしてしまった。
コンノとも共通するが,サッカーの見方などで共感する部分が大きい。
なにより,ナオさんの邪悪なシステムに対する義憤と,
そこからくる弱者に向けるまなざしの優しさがたまらない。
「ジャズ好きは変態」論に従えば,変態であるはずだが,それはまだ不明。
たとえば,某同期。
学歴的にいわゆるエリート街道を歩んできて,
基本的には紳士然と振る舞っているが,その実はジャズ好きの変態である。
面と向かって会話しているだけだったら,
ボクの身なりと日頃の振る舞いから,
彼がボクのことを敬遠して仲良くなれなかっただろう。
でもブログを通じて「意外とマトモかも」と思ってくれたのが奏効して,
なんだかんだで仲良くやっている。
見かけによらず結構感情的になる部分もあるようで,
たぎる想いを吐露してくれるほどボクに対してガードが下がっていることが,
実は嬉しかったりする。
具体例を挙げるとキリがないので,
少しまとめのようなことを。
ボクは基本的に乱暴者と思われるような身なり・振る舞いなので,
特に研究をやっているような人達にはあまり良いようには思われない。
そう思われないこと自体は仕方が無いし,
それで良いとも思っている。
だけれども,
ボクが本当に理解してほしいと思っている人が,
それは同僚や同期や仕事仲間であるわけだけれども,
そういった人達がこのブログを読むことで,
現実世界でのボクとの接点が変質しているのであれば,
これを書いている意味もあると思う。
あら,考えてるのと違う方向になってきた。
このブログを通じて知り合う(一方的に知られるのだけれども)人々と,
現実世界で暮らしていてボクと知り合う人々とでは,
ボクに対する見方が異なると思う。
それはボクの振るまい方がネットと現実では違うから当然ではある。
じゃあ現実では建前で生きていて,
ネット上では本音を吐露している二面性なのか,というと,
それも違う。
現実のボクを知る人が「あいつは建前で生きている」とは思わないと思う。
いわゆる「本音と建て前」の二面性ではなくて,
むしろ「議論と結論」だったり「論理と感情」だったり,
そういう二面性のつもり。
現実に面と向かって喋ると,
そこには時間の制約があるから,
時間の範囲内で自分の言いたいことを相手に伝えなければならない。
会話のキャッチボールということを考えると,制限時間は一分もなくて,
そんな中で言いたいことを言うとなると,結論のみになる。
だから凄く乱暴な物言いになる。
「ボクはそれはイヤだからやりたくない」とか,
「悩んでないでやっちまえば良いんだ」とか,
そういう言い方。
一方で,
ネットでは文章や論理を組み立てている時間が見えないから,
一定の分量を時間に関係なく出せるし,受け手も自分の都合で読める。
そう思うと,話はいくらでも迂回できるし,
エッセンスのみを抽出すること無く,
言いたいことを言いたいままに言うことができる。
だから,
このブログを日頃から読んでいる人と直接会って話をすると,
ボクが乱暴な言い方をしても,
ボクの言いたいことを脳内補完をしてくれて,
比較的好意を持って話を聞いてくれる。
(ブログを読んでいる時点で好意を持っているから当然かもね)
まぁしかし,
こういう装置に甘えちゃダメで,
このブログを知らない人とも初対面で上手に会話できるようにならないとね。
まったくまとまらなかった。
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恐ろしいことに,
ブログを書きはじめて9年になる。
そんなこんなで,今週は軽めな話。
ボクがブログを書き始めたのは,
4年生の時に知り合った研究者がやっていたから。
彼は「研究者・大学教員の日常・考え」をネットに公開することで,
「研究者・大学教員は超天才しかなれないもの」という障壁を無くし,
相互理解を深めようと思っていたのだと勝手に思っている。
(ちょっと違うんだけど,今日の本題ではないので割愛)
その内に「内田樹」などなど,
多くのネット上の「先生」に出会ったこともあいまって,
自分もそういう人間でありたいと思ったことが,
こうやって9年も続く原動力になっているのだろう。
ちなみにボクの読書習慣は,
ネットで記事を読む習慣を身につけたのが先で,
そこで内田樹を知って,
彼の本を買って読んだのがはじまり(たぶんD1)。
先週の承認欲求にもつながるけども,
自分を「兄」と見る視線を感じたかったのかもしれない。
このブログで主張している内容ってのは,
面と向かって真顔で語るには青臭くて恥ずかしいものが多い。
というか,
こういった内容を主題とする議論の場ならいざ知らず,
飲み会でいきなりここで主張しているようなことを語り始めるのは,
いわゆる「コミュ障」に分類されるような人間だろう。
ボクのブログは当初研究室の管理するサーバー上で,
HTML上にテキストでシコシコと書いていた。
別にアナウンスするでもなくはじめていたので,
研究室人々とごく一部の外部者が見ているだけだったのだろうと思う。
ドクターで東大に移った時にサーバーにアクセスできなくなって,
もうやめようか,と思ったのだが,やっぱり再開した。
その時にカウンターとアクセス解析をはじめて,
学会に参加する度に常連読者が増えていくのが目に見えてわかって,
それで気を良くして,今に至るまで続けてきている。
最近はツイッターの方に移行しつつあり,
今年からこのブログは「週に一回こってり」にすることにした。
ブログでは一貫してコメント欄は設けておらず,
ボクがボクの主張をしたいブログだから,
垂れ流しにできれば目的を達成しているわけだし,
本当にコメントがあれば直接メイルが送られてくるので,
それで何の問題もないし,なにより,
コメントなんてあったら返事しなきゃいけないし。
学位取得前後には,
結構な数の人がこのブログを読んでいる状況になった。
ブログの内容のようなことをボクが直接語れるぐらいの親しい知人から,
ボクの顔を見たことはないけどもブログは読んでいるという人まで,
読者層にもバリエーションがでてきた。
ボクと読者との現実世界での関係性も様々で,
それがまたおもしろい。
たとえば,コンノ。
ボクが大学2年,ヤツが1年の時から知り合いだけども,
同じ組織に属して生活したのは,ボクがM1-M2の2年間だけ。
だから3月から一緒に仕事をはじめたけど,それは6年ぶりのこと。
それでも阿吽の呼吸でいけるのは,
このブログを通じてボクの考えが伝わっていることが根底にあると思う。
たとえば,ナオさん。
いつもホカホカご飯のアイコンで癒やしてもらっているが,
実際のところ現実世界ではほとんど面識がなかった。
面識がなかったのに,ブログ上の主張はよく読んでくれていて,
おかげで実際に向き合って挨拶を交わした時はモゾモゾしてしまった。
コンノとも共通するが,サッカーの見方などで共感する部分が大きい。
なにより,ナオさんの邪悪なシステムに対する義憤と,
そこからくる弱者に向けるまなざしの優しさがたまらない。
「ジャズ好きは変態」論に従えば,変態であるはずだが,それはまだ不明。
たとえば,某同期。
学歴的にいわゆるエリート街道を歩んできて,
基本的には紳士然と振る舞っているが,その実はジャズ好きの変態である。
面と向かって会話しているだけだったら,
ボクの身なりと日頃の振る舞いから,
彼がボクのことを敬遠して仲良くなれなかっただろう。
でもブログを通じて「意外とマトモかも」と思ってくれたのが奏効して,
なんだかんだで仲良くやっている。
見かけによらず結構感情的になる部分もあるようで,
たぎる想いを吐露してくれるほどボクに対してガードが下がっていることが,
実は嬉しかったりする。
具体例を挙げるとキリがないので,
少しまとめのようなことを。
ボクは基本的に乱暴者と思われるような身なり・振る舞いなので,
特に研究をやっているような人達にはあまり良いようには思われない。
そう思われないこと自体は仕方が無いし,
それで良いとも思っている。
だけれども,
ボクが本当に理解してほしいと思っている人が,
それは同僚や同期や仕事仲間であるわけだけれども,
そういった人達がこのブログを読むことで,
現実世界でのボクとの接点が変質しているのであれば,
これを書いている意味もあると思う。
あら,考えてるのと違う方向になってきた。
このブログを通じて知り合う(一方的に知られるのだけれども)人々と,
現実世界で暮らしていてボクと知り合う人々とでは,
ボクに対する見方が異なると思う。
それはボクの振るまい方がネットと現実では違うから当然ではある。
じゃあ現実では建前で生きていて,
ネット上では本音を吐露している二面性なのか,というと,
それも違う。
現実のボクを知る人が「あいつは建前で生きている」とは思わないと思う。
いわゆる「本音と建て前」の二面性ではなくて,
むしろ「議論と結論」だったり「論理と感情」だったり,
そういう二面性のつもり。
現実に面と向かって喋ると,
そこには時間の制約があるから,
時間の範囲内で自分の言いたいことを相手に伝えなければならない。
会話のキャッチボールということを考えると,制限時間は一分もなくて,
そんな中で言いたいことを言うとなると,結論のみになる。
だから凄く乱暴な物言いになる。
「ボクはそれはイヤだからやりたくない」とか,
「悩んでないでやっちまえば良いんだ」とか,
そういう言い方。
一方で,
ネットでは文章や論理を組み立てている時間が見えないから,
一定の分量を時間に関係なく出せるし,受け手も自分の都合で読める。
そう思うと,話はいくらでも迂回できるし,
エッセンスのみを抽出すること無く,
言いたいことを言いたいままに言うことができる。
だから,
このブログを日頃から読んでいる人と直接会って話をすると,
ボクが乱暴な言い方をしても,
ボクの言いたいことを脳内補完をしてくれて,
比較的好意を持って話を聞いてくれる。
(ブログを読んでいる時点で好意を持っているから当然かもね)
まぁしかし,
こういう装置に甘えちゃダメで,
このブログを知らない人とも初対面で上手に会話できるようにならないとね。
まったくまとまらなかった。
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