自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
初対面の方とご挨拶をする場面で、とりわけ会議冒頭の自己紹介で、研究の『専門分野』を聞かれることがあります。これはなかなか難しい問題です。
一番狭く捉えれば「海洋における溶存気体の動態を同位体比指標を用いて調べている」なんですが、まぁそんな回答は期待されていないでしょう。もう少し広範に捉えた話にしたい。
学会名のような学問分野を提示するならば、たとえば地球化学とか海洋学とか、そういうことになるのかもしれないけど、どちらにもピタッとはハマっていない。地球化学というにはソフトで生物に寄っているし、海洋学というには海底に寄りすぎている。もちろん地質学や地震学や生態学でもない。
そもそも研究者として唯一無二であることが重要だと思って活動してきたのですよ。師匠や先輩と違うことをしないと研究者としての価値がない、そういう考え。だから「同位体指標を使わない研究」とか「気体を相手にしない研究」とか、そんな方向に研究を展開している。もちろん同位体指標を使った気体動態の研究は続けている。
つまり『専門分野』みたいな(雑な)括りに自分の活動を落とし込んで説明すること自体に、ちょっとした嫌悪感のようなものを感じるわけです。括られない自分、ええやん、みたいな。
そんな思いでそれなりにキャリアを積んできた結果として構築されたボクの研究の総体には、なにか呼称がつけられる独自性のようなものが備わってきている気もする。実施した研究成果に閉じず、これから着手しようとしている志向(嗜好?)まで踏まえて全部ひっくるめると、バチッと自己紹介ができる『専門分野』みたいなものになっているかもしれない。
『人類の海洋利用拡張と環境影響評価の統合的推進』。社内外でまとまった時間の与えられたプレゼンでは、取り組みの総体としてコレをテーマとして掲げている。しかし専門分野というには長い。
短くするならば『海洋環境影響評価』かもしれない。事実、所属部署もそんな名前だし。でもこれだけだと、常にリアクション側みたいな印象がある。「誰かが開発しちゃうから評価します」みたいな。でもボクの志向は、新しい利用法を提示すると"同時に"環境影響評価も済ませてしまうパッケージとしての取り組み、つまり"統合的"推進にある。それってつまり『海洋研究開発』が専門ってことで、もはや社名なんですね。
「海洋研究開発機構のゴリラです。専門は海洋研究開発です」
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一番狭く捉えれば「海洋における溶存気体の動態を同位体比指標を用いて調べている」なんですが、まぁそんな回答は期待されていないでしょう。もう少し広範に捉えた話にしたい。
学会名のような学問分野を提示するならば、たとえば地球化学とか海洋学とか、そういうことになるのかもしれないけど、どちらにもピタッとはハマっていない。地球化学というにはソフトで生物に寄っているし、海洋学というには海底に寄りすぎている。もちろん地質学や地震学や生態学でもない。
そもそも研究者として唯一無二であることが重要だと思って活動してきたのですよ。師匠や先輩と違うことをしないと研究者としての価値がない、そういう考え。だから「同位体指標を使わない研究」とか「気体を相手にしない研究」とか、そんな方向に研究を展開している。もちろん同位体指標を使った気体動態の研究は続けている。
つまり『専門分野』みたいな(雑な)括りに自分の活動を落とし込んで説明すること自体に、ちょっとした嫌悪感のようなものを感じるわけです。括られない自分、ええやん、みたいな。
そんな思いでそれなりにキャリアを積んできた結果として構築されたボクの研究の総体には、なにか呼称がつけられる独自性のようなものが備わってきている気もする。実施した研究成果に閉じず、これから着手しようとしている志向(嗜好?)まで踏まえて全部ひっくるめると、バチッと自己紹介ができる『専門分野』みたいなものになっているかもしれない。
『人類の海洋利用拡張と環境影響評価の統合的推進』。社内外でまとまった時間の与えられたプレゼンでは、取り組みの総体としてコレをテーマとして掲げている。しかし専門分野というには長い。
短くするならば『海洋環境影響評価』かもしれない。事実、所属部署もそんな名前だし。でもこれだけだと、常にリアクション側みたいな印象がある。「誰かが開発しちゃうから評価します」みたいな。でもボクの志向は、新しい利用法を提示すると"同時に"環境影響評価も済ませてしまうパッケージとしての取り組み、つまり"統合的"推進にある。それってつまり『海洋研究開発』が専門ってことで、もはや社名なんですね。
「海洋研究開発機構のゴリラです。専門は海洋研究開発です」
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