自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
大学の運営費交付金の削減がよく話題になりますが、われわれ国研においても状況は似たり寄ったりです。削減されてます。
http://www.jamstec.go.jp/j/about/suii/
うちは調査船の運航を担っているので、それにかかる費用もこの中に含まれています。船体の維持はもちろんのこと、運航要員(いわゆる船員さん)や調査要員(探査機パイロットとか)の確保とか、消費する燃料とか、運航管理はとにかくかなりお金のかかる事業なのです。お金の足りなくなってきた最近は、保有する船の数を減らすとか、船はあるけど港の留まっているとか、そんな状態に陥っています。この国全体で起こっていることと一緒ですね。財政健全化というのか「健康のためにはダイエットが必要、ダイエットのために断食する」みたいな話です。存在理由の自己否定。アイデンティティ・クライシス。
個々の研究者からすると、自身が実施したいと調査航海に要する日程は、プロポーサルベースで獲得するものなので、必ず獲得できるとは決まっていない。その母数になる航海枠は、上記の都合によって年々減少している。そうするとプロポ審査の競争が激しくなるので、プロポが落ちた時のために航海に依存しない研究にも着手しはじめる。さらに近年は、1期15回講義必須化(単位の実質化)で、大学教員が休講にして長期の航海に出るってのも難しくなっている。そんなこんなで、採択数が減って航海機会が減る、航海に出ないテーマに着手する、機会があっても講義のため断念する、といった具合で次世代が育つ機会が激減する。
一方で、研究資金のプロジェクト化によって、調査航海の予算をプロジェクトから拠出することで、調査航海の枠を確保する流れも強くなっている。ボク個人で言えば、ここ数年はこの枠での乗船が半分以上になっている。業界全体は航海枠が取れなくてヒーヒー言って次世代育成が成立せず縮小しつつある中で、業界の中堅たるボクのような限られた人間が航海日数が多すぎてヒーヒー言っている。とても不健全だ。じゃあボクの航海枠を業界でシェアすれば良いじゃないかとも思うのだけど、そして出来る限りはやっているのだけど、どうしてもプロジェクトの壁があって、そうそう簡単にはいかない。これはもどかしい。
そして自分自身の話。
今後のキャリアを考えると、そろそろココが分岐点という状態にある。つまり、ウチじゃない場所に異動して業界で生きていくならば、リスクヘッジとして調査航海に依存しない研究も続けておく方が良い。ウチに居続けるにしても、調査航海の機会が減ることは間違いないので、その意味でも航海依存研究の一本足打法は危険だ。
でも逆の視点からすれば、ボクみたいな特権的に調査航海機会に恵まれた人間が、調査航海に依存する深海研究に対して半身で構えているのは、失礼というか、もったいないというか、無責任な態度だともいえる。ボクがちゃんとやらなきゃ(どこかの鹿馬が考えた自己マン調査に貴重な航海枠が消費されて)業界が沈んでいってしまう。
内向き政治的な文脈重視の「我が国は素晴らしい」路線に寄り添って科学的な視点が欠落した海洋調査を進めることは恥ずかしい。でも、国際的な海洋業界の北西太平洋支部であることは、なんとなく意義があるようにも見えるけど、アタマが「我が国」か「国際コミュニティ」かの違いはあれども考えなしの文脈依存という点で変わりが無い。
そういう考えがあって、さしあたり向こう10年間ぐらいは、調査船をつかう研究に、今まで以上にズッポリと足を突っ込んでいくと決めた。自分の道を狭める方向に足を踏み出したわけです。狭めた先が行き止まりになるのではなくて、広大な世界を開拓するつもりではいるけども、そんなことが出来るかどうかは全然わかんない。
〜〜〜
休憩しながら書いたら、まとまりがない。
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http://www.jamstec.go.jp/j/about/suii/
うちは調査船の運航を担っているので、それにかかる費用もこの中に含まれています。船体の維持はもちろんのこと、運航要員(いわゆる船員さん)や調査要員(探査機パイロットとか)の確保とか、消費する燃料とか、運航管理はとにかくかなりお金のかかる事業なのです。お金の足りなくなってきた最近は、保有する船の数を減らすとか、船はあるけど港の留まっているとか、そんな状態に陥っています。この国全体で起こっていることと一緒ですね。財政健全化というのか「健康のためにはダイエットが必要、ダイエットのために断食する」みたいな話です。存在理由の自己否定。アイデンティティ・クライシス。
個々の研究者からすると、自身が実施したいと調査航海に要する日程は、プロポーサルベースで獲得するものなので、必ず獲得できるとは決まっていない。その母数になる航海枠は、上記の都合によって年々減少している。そうするとプロポ審査の競争が激しくなるので、プロポが落ちた時のために航海に依存しない研究にも着手しはじめる。さらに近年は、1期15回講義必須化(単位の実質化)で、大学教員が休講にして長期の航海に出るってのも難しくなっている。そんなこんなで、採択数が減って航海機会が減る、航海に出ないテーマに着手する、機会があっても講義のため断念する、といった具合で次世代が育つ機会が激減する。
一方で、研究資金のプロジェクト化によって、調査航海の予算をプロジェクトから拠出することで、調査航海の枠を確保する流れも強くなっている。ボク個人で言えば、ここ数年はこの枠での乗船が半分以上になっている。業界全体は航海枠が取れなくてヒーヒー言って次世代育成が成立せず縮小しつつある中で、業界の中堅たるボクのような限られた人間が航海日数が多すぎてヒーヒー言っている。とても不健全だ。じゃあボクの航海枠を業界でシェアすれば良いじゃないかとも思うのだけど、そして出来る限りはやっているのだけど、どうしてもプロジェクトの壁があって、そうそう簡単にはいかない。これはもどかしい。
そして自分自身の話。
今後のキャリアを考えると、そろそろココが分岐点という状態にある。つまり、ウチじゃない場所に異動して業界で生きていくならば、リスクヘッジとして調査航海に依存しない研究も続けておく方が良い。ウチに居続けるにしても、調査航海の機会が減ることは間違いないので、その意味でも航海依存研究の一本足打法は危険だ。
でも逆の視点からすれば、ボクみたいな特権的に調査航海機会に恵まれた人間が、調査航海に依存する深海研究に対して半身で構えているのは、失礼というか、もったいないというか、無責任な態度だともいえる。ボクがちゃんとやらなきゃ(どこかの鹿馬が考えた自己マン調査に貴重な航海枠が消費されて)業界が沈んでいってしまう。
内向き政治的な文脈重視の「我が国は素晴らしい」路線に寄り添って科学的な視点が欠落した海洋調査を進めることは恥ずかしい。でも、国際的な海洋業界の北西太平洋支部であることは、なんとなく意義があるようにも見えるけど、アタマが「我が国」か「国際コミュニティ」かの違いはあれども考えなしの文脈依存という点で変わりが無い。
そういう考えがあって、さしあたり向こう10年間ぐらいは、調査船をつかう研究に、今まで以上にズッポリと足を突っ込んでいくと決めた。自分の道を狭める方向に足を踏み出したわけです。狭めた先が行き止まりになるのではなくて、広大な世界を開拓するつもりではいるけども、そんなことが出来るかどうかは全然わかんない。
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休憩しながら書いたら、まとまりがない。
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