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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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高岡蒼甫が韓国に肩入れした番組を多く流すフジテレビに反感を示した騒動
会社は高岡を解雇、フジテレビはスルー

まず何はともあれ、
高岡は業界人で、事務所に所属していて、
事務所の取引先であるフジテレビに無礼を働いたわけだから、
所属事務所としては行動を問題視し解雇するのは当然
自分が確固たる思想を持っていて、
相手の思想がそれと大きく食い違っていても、
会社の看板の下で商売している以上は、
自分の思想は横に置いて振る舞わねばならないのは、
ビジネスの常識です
商売相手の思想がどうにも気にくわないのであれば、
商売からおりて、会社の看板をおろしてから(会社を辞めてから)、
相手を批判すればいいのだ

次に、フジテレビが韓国に肩入れするのは、
ネトウヨさん達が大喜びしているような思想ゆえというよりも、
もっと単純に営業的な意味合いが強い様子
たとえばKARAはフジテレビ系列の音楽会社が著作権を有するらしい
安く買えて高く売れる韓国(人)を利用して金儲けをしているということでしょう
そういう意味で、むしろネトウヨさん的にはフジGJ!なのではないのかとも思う

ただここで重要な点が一つ
高岡はフジテレビが「韓国」を推していることについて、
右翼的な発想で怒っているわけではない
彼は「この国難の時に海外のモノを売り込むこと」について、
異議を申し立てているのであって、
その異議自体は考慮に値するモノである
ようするに、
高岡にとっては「韓国」でも「米国」でも一緒なのだから、
そういう意味では、今回は「8」と名指ししているが、
たとえばメジャーリーグ放送に熱心な国営放送なども、
本来的には槍玉にあがってもおかしくないのである

フジテレビやNHK含めテレビ局が抱える問題は、
(日本に敵意を持っていると考える人もいる)「韓国」を推す思想的な問題でなく、
この国難の時に、
公共の電波利用の認可を得ているメディアとして、
自分たちの営利目的で特定の国・企業に肩入れしている場合か、
今この国で起こっていることの深層を考え、伝えるメディアとしての任を果たしているのか、
という、
倫理的な問題だろう
そして高岡が指摘したのもまた、この点なのではないか
この点でボクは高岡に同意するものだし、
テレビ局にこういう意味での倫理観がまったく欠如していることは明らかだと思う

無料放送のテレビが持つ強い影響力を考慮した時、
対等な立場で意見できるチェック機構があっても良いと思う
一番理想的なのは、
テレビ局同士が相互に(前向きに)批判しあえることなのだが、
その「タブー」に踏み込むのは大変だろう


これは予想であり希望でもあるのだけれど、
経営に行き詰まり広告の取れなくなったテレビ局が、
一気に翻って、広告主の影響を考慮しないメディアになることは、ありえる
スタジオも簡素に制作費を抑え(ジャパネット体制)、
一年中、朝ナマをしているような、
そんなテレビ局が誕生するのではないか、誕生すれば良いな、と
もちろん、
政治経済ネタだけでなく、
音楽やスポーツや芝居や科学や、何でも論じれば良いし、
使用料の発生しない映像などはバンバン利用すれば良し、
有料放送会社と提携するのも手かも知れない
持ち込みのパワポ画像を流しても良い
広告主の意向を気にしなければ、結構なんだってアリなんだ
互いを牽制して雁字搦めにしているBPOだって、この際ムシだ
とにかく、論客だって研究者だって芸術家だって、
「金を払ってでも自分(意見・作品)を公共の電波に乗せたい」ってのはゴマンといるのだから、
そういう意欲的な連中を吸い上げて、拡げることを手伝うような、
そういうメディアがあって良いし、というか、
本来的にはそれがメディアの役割なのではなかろうか

 
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研究者がある研究を行ったとする。その研究者は、着眼点や発想力が凄いので、研究構想の段階で既に他を凌駕している。そしてシンプルな検証でその正しさをほぼ確かであることを示す。おぉぉ、エレガント、後は皆に任せた。

これでいいと思うのは「チョビっと優秀なヤツの自己満足」にすぎない。実は、ほぼ確からしいことを「確かにする」最後のツメが一番困難で苦しい。その一番困難な完成への道のシナリオがないなら、そこでやめればいい。それは単なる能力不足。シナリオがあるのにやめるのは、単なる努力不足。

ある研究の完成(それは研究の美と言っていい)は、その研究を無から生み出した研究者の創造力の観念的責任である。特に、「近代数学」のように目の前にある明確な社会的価値に結びつかないような科学を対象としているなら、ある研究の完成途上での放棄は、研究の美しさへの冒涜だけでなく、その研究へのパトロンたる国家や組織、国民や組織構成員への責任放棄とも言える。そして、そんな事より何より、研究を一番美しく完成させることができる人間が完成させなければ、その研究に直接・間接に関わるすべての人の思いが矮小化されてしまいかねない。それは一言で言えば「利己的思考」。

もちろん研究なんてある意味「好奇心におかされたヒトの利己的行為」にすぎないわけだが、そこに社会資本が関わる以上、「利己」と「利他」の折り合いをつける必然性がある。そして「利他」を追求すると「最終目的を共有した他者」との研究の完結性を共有できるため、研究の美しさへの責任は軽減されるかもしれない。しかし、「利己的でかつ利他的」を追求するなら、やはり利己的な研究には、その生み親の研究者の100%の努力と完成の美しさに対する「他者の思い」が、当面唯一の利他性ではないだろうか。つまり、独創的で優秀な研究者なら100%の努力をつぎ込むことが自分の、周り人々の、そして国民や人類のためのシアワセにつながるではないかと。「自分のスタイルや価値観の反映」は極めて重要な事ではあるが、研究の完結性美しさは研究者の思惑とは離れた絶対的座標軸にあるものだと思うのです。



 
震災以来継続してきた調査に関するお仕事が、
そろそろ自分の手元を離れそう
(ようするに投稿するってこと)

こいつは色んな意味で大変だった

まず自分の中で、
地震に関係あるが復興とか予知とかに関わらない研究を、
今の時点で、研究船を使って実施することに、
まったくもって納得できなかった
今も納得できていない
そんなことしてるなら、
福島沖で海底堆積物やプランクトンを集めた方が、
よほど世に資する行為だと思う
しかし、ボクのようなポスドク風情ではいかんともしがたく、
「やるからにはちゃんとやる」というお題目を自分に掲げて、
自分を奮い立たせて調査したわけです

次に調査のために、色んな人に連絡して、
分析など調査への協力を呼びかけたが、
これまた若造のボクにとっては、
基本的に「偉い先生」との接触になるわけで、
これまた疲れました
メールが返ってこないという忙しい研究者にありがちなパターンや、
モノの輸送の期限が間に合うかなど、
そういう面でも疲れました

しかし何よりしんどかったのが、
最後、論文にまとめる時のオーサーシップ
ボクは調査のとりまとめと、現場作業員だったのだけど、
項目が多岐にわたっていたり、
関わった人同士の面識がなかったりで、
ボクが執筆することになった
もちろんそれは望むところで、ありがたいことなのだが、
それはそれで重荷だった(今も)

ボクが書くことに決まった時点で思ったことは、
調査自体を良いサイエンスとしてちゃんと早く報告すること、
調査に関わった多くの人がちゃんと幸福感を得られること、だった
しかしまぁ、
「だからって、なんでお前なんだ」という問いに対しては、
「ボクが一番顔がきくから」というだけの理由で、
それってサイエンス関係ないじゃない、みたいな、
そんな感情もあったりで、やる気喪失も度々だった
 
大親分みたいな人の名前を一番前に掲げて、
形だけでも「オールジャパンの研究ですよ」とするのもアリだが、
そうすると共著者同士が知らない者同士だったりして、
不満を言う人もいたりして、
なんだかんだとあって、
最終的にやっぱりボクが筆頭になっている
はっきり言って、
「エグ味」はほとばしるけど、
大親分自らが「朕を筆頭にすれば良かろう」と言ってくれれば、
どれほど楽だったか
結局、上に立つ人間の度量というか、器というか、
そういうものの問題なのかもしれない

筆頭著者なことについては何度か「荷が重い」と言ったりしたが、
「「ワシがやればベストになるはずだから、外野は黙ってろ」と思えるかどうか」
「傲慢さが嫌悪を与えるかむしろ潔さを与えるかは「利己を捨てた傲慢さ」かどうかだ」 とか言われたりして、
なんとか踏みとどまったりしながら、
なんとか原稿を仕上げられそうなところまで持ってきた

って、
なんかもう終わったようなこと言ってるけど、
まだ投稿もしてないので、
まだまだ先は長いんだけど、
投稿してしまうと後出し感が出てしまうので、
投稿前にちゃんと書き留めておこう、と

今日英文校正が返ってくるので、
今夜には投稿してしまいたいね

ボクは貨幣経済活動に、
仕事の面でかかわりたくなくって研究者になった部分があって、
それは「自分の仕事(会社の儲け)が自分の儲けにつながる」ってのが、
なんだか受入れられ無くって、
つまり誰かが儲けているってことは誰かが貧しているってことで、
それが本当に世界の幸せにつながるのかがわからんからで、
まぁそんなこと最初から考えていたわけではないけど、
やっぱりそういう側面はあるのだと思う

研究者は、
給料も、研究費も、
人の財布から出ているし、
それは貨幣経済の基本である「交換対価」ではなくて、
「先行投資」とか「贈与」のようなものだと思う

つまりは、
今現在、それ(研究者やその研究)自身には価値がなく、
しかしそれはそのうち価値が見いだされるものだという、
世界の約束事のようなものの中にある
まぁこの部分は意見がわかれるかもしれないが

とはいえ、
要するにこの論で重要な部分というのは、
「先行投資」であり「贈与」の時点では、
研究者にも研究にも【価値はまだない】ということで、
研究者はその知恵(や体力など全精力)でもって、
どこかに次の贈与をしなければならない
それは遠い遠い未来の地球にとって役に立つ何かでもかまわない

ただ、そう考えた時、
だからこそ、
研究者は、研究者自身から、
「研究費をよこせ」「給料をあげろ」
というようなことを言ってはならないと思う
それは、絶対に間違ってる
 
いくら文面が丁寧でも、
中身が無礼だったら意味ないよね
ほんと、やってらんない

約束守るのは人としての基本でしょ
それも一旦もめた上で調整した予定なんだからさ
それを「大変申し訳ありませんが」ですまされたら、
たまったもんじゃないよ

自分の都合だけで動く人ってのが相当数いて、
それでも社会を回していくのは、
結局いろんな思いをグッと飲み込んで、
みんなのために働く人がいるからなんだよな

そういう人には最大限の配慮と、
「たまには自分のことやってても良いんだよ」
ってメッセージ(と行動)を伝えたい

しかし、ねぇ
なんか悲しい気持ちになる

イトイシゲサトは、
こういう気分を徹底的に回避するために、
自分で会社を作ったんだな、たぶん
ボクも、考えねばならないかなぁ
でも、お金を管理する能力が決定的にないんだよなぁ 
船に乗ると、
「航海中は観測あるし」
「揺れると集中できないし」
「いつものデスクじゃないから不便だし」
みたいな、
論文を書かないための言い訳が、
たんまり用意されてるわけですよね

毎度この言い訳に屈してマンガを読むのですが、
それってホント、いかんと思うのです
だから、
「航海行くべし」って状況になった時にまず思うのは、
「航海参加を言い訳にしない」ってこと
それにはかなり強い意志がいる
実際、いつも負けてるわけだし

だから、
「航海多くて大変だね」
って言われると、
なんかすごくモヤモヤするのね
相手はもちろん心から「大変だね」って思ってるんだろうけど、
こっちはこっちで、
「航海を言い訳にしたくない」って気持ちがある

とか何とか思ってしまうので、
思いっきり言い訳がない状態でいる方が、
そういう意味での精神的には楽

ただ一方で、
本当に言い訳がない状態で、
ひたすら論文と向き合うと、
それはそれで心が折れる

まぁなんだ、ようするに、
論文なんか書きたくないってことだね
 
まずは茂木健一郎の連続ツイートより

一生奮闘しても、絶対に到達できないような深淵。それへの予感
知性というのは本来無限であり、文脈と無関係であり、そして、野生のようにどう猛
現代における知性とは何か。それを模索し続けること以外に、大学や学者の意味はないと思う


次に池上高志
学者は、本人の世界観をもって新しい考えをつくり知の基底を作る人であり、研究者は、データの客観性、自分の玄人性ということが興味の中心で、その上に世界観や自分の考えを持つことをよしとしない態度。
最近は、研究者はごまんといるけど、学者がいない。研究者だけだと、googleの一人勝ち。


これらは非常に良い指摘だと思う
そして現在、多くの大学人が、
研究者であって、学者でない

大学教員を「職業的な研究の専門職」だととらえると、
研究者と学者の間にあるギャップの部分が、
そのままスッポリと抜け落ちてしまう

学者というのは本来的には、
社会的な肩書きではなく、属人的な性質だろう

大学という場は、
知識を与える場ではなく、
知識では到達できない深淵が世に存在することを認知する場であり、
同時にその深淵の(存在しない)底をじっと眺め想像する場である
前者が教養教育機関としての大学、
後者が研究(教育)機関としての大学
と言えるかもしれない

また、後者の行為を続けるものが学者であって、
光の届く部分にだけ注目し、
あたかも深淵には底があるように振る舞うのが研究者、
ということになるのかもしれない

自分が研究している対象の意味を考える以上、
自分が研究しているという行為の意味も考え、
そもそも研究するという行為の意味も考えて、
終着などない道を歩み続け、
あるいはその道を後進に示すことが、
学者・大学人・教養人のつとめ、なのかもしれない

 
こないだまで寝返りすらうてなかった娘が、
今やつかまり立ちでリビングのテーブルをひっくり返している
この凄まじいまでの急激な成長を目の当たりにする一方で、
いつまでたっても向上しない自分の論文執筆能力にがっかりぐったり

もうこの歳になってしまうと、
成長曲線の傾きは限りなく0に近いわけだが、
そんなこと言わずにグイグイいきたい
ってか、
成長なんてしなくて良いけど、成熟していきたい
いや、とはいえ、
今の感覚を忘れるようになるのも困る
なんていうのか、
良い意味での現状維持と、
良い意味での破壊と創造を繰り返して、
立派な人間なんてものを目指していくんじゃなくて、
周りに光をあてるような、
それも太陽みたいにグアーって感じじゃなくて、
日陰になってしまうような場所に気付いて、
こっそりと照明をあてるような、
そういう細やかな部分も忘れたくない

今のところ強烈な太陽が身近にいるので、
これをうまく反射しつつ、吸収しつつ、
世界を明るくしていきたい


ということで、
とりあえず今は地震論文
こりゃ大変
 
このたび「かいれい」に乗船し、
ついに全船制覇を成し遂げました
実際は「ちきゅう」がまだなのですが、
あれは船ではない、という意見が大勢を占めるので、
全船制覇とします

せっかくなのでそれぞれの特徴をあげてみよう

「かいよう」
双胴船のため、揺れに強いとか、弱いとか、諸説有り
四次元殺法的な揺れは人によって好みが分かれる
ラボは狭いが、甲板から直結しているので助かる
ハイパードルフィン操作コンテナも甲板に設置され便利
居室は広めの4人部屋以外は普通
娯楽室のマンガ充実度は最高ランク

「なつしま」
比較的小さく遠くまで行かない
揺れは素直で慣れやすくあまり酔わない
ラボは狭めで甲板の下なので不便
ハイパーコンテナが最上部にあり、ラボとの往復が大変
雑魚が入る4人部屋は位置が低く揺れが小さくて良しだが、
男4人の場合は部屋の臭いに注意が必要
マンガ充実度はイマイチで欠損も多い

「よこすか」
アイドル「しんかい6500」や「うらしま」の母船
揺れは「かいよう」と「なつしま」の中間ぐらいだが、
部屋がすべて高い位置なので体感する揺れは大きい
今年度から甲板にラボができて格段に利便性が向上
マンガ充実度は最低だが、「まぐろ土佐船」がある

「かいれい」
よこすかの兄弟船
4人部屋だが、共有リビングと4個室があり、実質1人部屋
ラボは甲板にあり便利だがやや狭い
「かいこう」コントロールルームが船内にあるので、
ハイパーコンテナのように外部に出る必要がないのが楽
マンガ充実度はよこすかクラスだが「シュート」が全編全巻ある

「みらい」
元「むつ」のため頑丈で荒れる海域にも行ける
船体が大きいからか、揺れが大きくてもあまり酔わない
部屋は「かいれい」と同様の方式だが、みらいの方が広い
CTD採水とルーチン測定はマリンさんのヘルプがあり楽
ラボは広めで充実している
マンガの品揃えが他の船とは異なる
「宇宙兄弟」など新作とともに「ジョジョ」文庫版など名作も充実

「白鳳丸」
元々は東大海洋研の船
首席と次席以外は低い位置に居室があり揺れが小さい
船自体の揺れも素直でもっとも酔いにくい
アッパーデッキが木甲板なのでゴロゴロすると最高に気持ちが良い
研究者が35人乗れる上、ラボスペースが足りなくなることも無い
マンガはあまり充実していないが、カラ○ケやマージ○ンなどができる
色恋沙汰が多いことでも有名

「淡青丸」
白鳳丸と同じく元々は東大海洋研の船
船体は小さく、漁船登録らしいともっぱらの噂
居室にエンジンの臭いが吹き込む上、
4人部屋には若手男性が詰め込まれ悪臭に包まれる
淡青シャワーはいつでも浴びられるが、風呂は2日に1回が基本
とはいえ、甲板とラボは十分な広さがあり、研究環境としては良い
娯楽室は無い(と思う)が、船員さんと飲むことが多い



以上はまったくの私見ですのであしからず


メインにしている学会の要旨を書かねばならない
ならないのだが、
どういうものにするかが定まらない

ぶっちゃけ、
学会発表は聞いてもらってなんぼであって、
要旨が論文のアブストのようなものである必要は、
必ずしもないのではないかと、
ここ3年ぐらい思っている

で、
そう思って3年もたつと、
もはや学会発表の要旨とは思えない、
完全にふざけていると受け取られかねないものができる

ボクはそれで良いと思っているのだけど、
それではいかんと思っている人もいるかもしれず、
意味もなく人を不愉快にさせるのは、
こちらとしても本意ではない

しかししかし、
はっきりと言ってしまえば、
学会発表とはなんたるか、ってことを突き詰めたら、
しょせん仲間内の意見交換会でしかないのだから、
ふざけていようがマジメであろうが、
そんなことはどうだって良いのである

もちろん、科学的に誤っていることや、
科学のお作法に則っていない研究のことを話すのは御法度である
逆に言うと、
科学的に正しいとされる範囲内においては、
その表現手法について、
他人からとやかく言われる筋合いはないのだ

とはいえ、
サジ加減が難しい
 
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kawagucci
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非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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