自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
噂の新人研修でした
平朝彦理事のありがたい講和にはじまり、
機構の成り立ち、概要、契約や労働体系の仕組み、船舶の紹介など、
多岐にわたる情報が満載で、
ボクのような小さな容量の脳みそはフリーズして、
口からは水漏れ、
鼻からは汁漏れ、
頭からは魂漏れの、
ひどいありさまでした
ワタナベカヤマヒロミさんと、
形式上では同期入社のようで、
ちょいちょい突っ込みいれながら研修されてます
面白かったのは、
「かいこう」があるのに、
なぜ「ABISMO」を作ったのか、
という話
「機器の必要性もさることながら、
製造技術の継承に重点が・・・」
こういう無形の資産、
技術とか経験とかを、
どのように評価するかが難しいところですね
白鳳丸と淡青丸の移管については、
「運用日数を増やすための移管だ」
という解説でした
あと、
機構と某組織の統合について、
国会・文部科学委員会で、
「看板は一緒にするけど組織据え置きでは、
名簿上の数減らしに過ぎず、
統合することはかえってよくない」
というような質問が某党から出され、
保留案件となっているという案内もあった
統合は今年度中には無い!?
(上記、詳細は違うかも)
平朝彦理事のありがたい講和にはじまり、
機構の成り立ち、概要、契約や労働体系の仕組み、船舶の紹介など、
多岐にわたる情報が満載で、
ボクのような小さな容量の脳みそはフリーズして、
口からは水漏れ、
鼻からは汁漏れ、
頭からは魂漏れの、
ひどいありさまでした
ワタナベカヤマヒロミさんと、
形式上では同期入社のようで、
ちょいちょい突っ込みいれながら研修されてます
面白かったのは、
「かいこう」があるのに、
なぜ「ABISMO」を作ったのか、
という話
「機器の必要性もさることながら、
製造技術の継承に重点が・・・」
こういう無形の資産、
技術とか経験とかを、
どのように評価するかが難しいところですね
白鳳丸と淡青丸の移管については、
「運用日数を増やすための移管だ」
という解説でした
あと、
機構と某組織の統合について、
国会・文部科学委員会で、
「看板は一緒にするけど組織据え置きでは、
名簿上の数減らしに過ぎず、
統合することはかえってよくない」
というような質問が某党から出され、
保留案件となっているという案内もあった
統合は今年度中には無い!?
(上記、詳細は違うかも)
PR
初日の説明会は、
きっといいだろうと思って、
居部屋からそのまま行ったら、
みんなスーツでした・・・
反省してないねぇ
木金月火と9~17時で研修
火曜はどうしても外せない用事が盛りだくさん
ビザ・ORI・本郷など
横浜研での研修らしいがお休みさせてもらうことにする
買い物の勝手も違って、
個人での見積もりはいいけど発注はダメらしい
コンシェルジュさんにお願いするみたい
うーん
書かねばならん論文が4
今年度の航海が4
実験ラインの構築が2
これに学会や新婚旅行やナンヤカンヤと入ると、
とてもじゃないけど・・・な感じ
しかし、
契約書に記載された金額が、
目玉が飛び出るほどの数字だったので、
やらねばならぬと思った初日でした
さすがに金額はココには書きませんよー
Tweet
きっといいだろうと思って、
居部屋からそのまま行ったら、
みんなスーツでした・・・
反省してないねぇ
木金月火と9~17時で研修
火曜はどうしても外せない用事が盛りだくさん
ビザ・ORI・本郷など
横浜研での研修らしいがお休みさせてもらうことにする
買い物の勝手も違って、
個人での見積もりはいいけど発注はダメらしい
コンシェルジュさんにお願いするみたい
うーん
書かねばならん論文が4
今年度の航海が4
実験ラインの構築が2
これに学会や新婚旅行やナンヤカンヤと入ると、
とてもじゃないけど・・・な感じ
しかし、
契約書に記載された金額が、
目玉が飛び出るほどの数字だったので、
やらねばならぬと思った初日でした
さすがに金額はココには書きませんよー
昨日はプライベートで仕事を中抜けして、
そしたらやる気が回復しなくなったので、
早々に帰って早々に寝ました
新しい仕事の買い物準備をしているのだけど、
300万ぐらいは余裕でいきそう
これはこれは
今日は朝から研修?などがあるみたい
今後もしばらくはそんな感じなんだとさ
Tweet
そしたらやる気が回復しなくなったので、
早々に帰って早々に寝ました
新しい仕事の買い物準備をしているのだけど、
300万ぐらいは余裕でいきそう
これはこれは
今日は朝から研修?などがあるみたい
今後もしばらくはそんな感じなんだとさ
これで昔話シリーズはおしまいにします
海洋研でやったこととかはこのブログですでに触れているので、
もうちょっと漠然としたこと、もしくはすごく細かいことについて、
雑多に書こう
一部は名誉毀損的になるかもしれないけど、そこは勘弁
まず、
海洋研に移って一番大きかったことは、
「論文にして初めて研究が一段落するということを明確に意識する」ということだった
博士に進むまでは、
なんというか、
「反学歴主義の職人思考」のような、
「論文よりもオンリーワンのスキルの方が価値がある」というか、
まぁそんな感じの考え方をしていたような気がする
で、
それが大いなる誤認識だということに気づいたわけです
もちろん論文の数が絶対的に意味があるというわけではなくって、
そうではなくって、
やや危険な言い方ではあるけども、
論文としてアウトプットしていない仕事というのは、
それが例えいくら素晴らしかったとしても、
科学業界では承認されていない仕事であって、
存在しないことになるのだ
税金を使ってやっているのだからとか、
そういうことではなくって、
「論文を書かない研究者はネズミを獲らないネコ」じゃないけども、
「論文を書くゆえにわれ研究者なり」というか、
研究者にとって「論文を書く」とはそういうものであって、
「観測に行く」「技術を身につける」「学会発表をする」では置換不可能なものなのだ
たとえそれが同様に快感で、
快楽だけが自身の目的だとしても、
セックスが、たとえそれ自体を目的とせずとも、
生命の連鎖を生み出しうるのに対して、
オナニーはどこまでいってもただのオナニーでしかない
そいうことなのかな
だから、
何がだからなのかわかんないけど、
たとえ自分的に納得できなかったとしても、
研究成果を論文にするということは重要なことなのだ
もちろん論文は著者の分身であり、
科学は神聖なものであるから、
100%のものしか論文にするべきではないという考え方もあるだろう
でも、
特に地球科学(化学)のような分野では、
不愉快なノイズもあるいは意味を持つわけで、
論文にして世に問う、という側面もあるような気もする
着地点が見えませんが、
ボクが現時点で思っていることは、
データや技術は秘するものではなく、
とにかく論文を通じて白日の下にさらさねばならない
そしてボクを含む研究者はその使命を遂行してはじめて研究者たりえるのだ
というようなことです
で、
そういう考え方とか、
実際に研究を進める上での、
態度とか姿勢とかいうものは、
オバタさんから教わった部分が非常に大きいように思う
もちろん直接的な助言(指導?)もあったけど、
むしろ雑談の中に含まれる概念的な話が特に印象に残っている
たとえばボクの専門であるところの、
ガス分析や熱水の内容について議論する相手がいないことは残念だったけども、
オバタさんと研究や研究者について様々な話をできたことは、
同じような研究をしている人と狭い専門内で喧々諤々するよりも余程ためになった
本当にオバタさんが研究室にいてくれて良かった
とはいえ、
専門を同じくする人が周囲にいないという環境は中々に困ったもので、
学術的にも精神的にも大変だった
ゼミ無し、かつ、ポスドク無し、
というのは非常に厳しい
自分がドツボに向かっていっている時に、
「ん?それちょっとおかしくない?」
と言ってもらえる機会があることがどれだけありがたいか
一方で、
そういう甘えられる環境でなかったからこそ、
自分でシビアに考えて研究をまとめるという作業を、
逃げることなくできたのかもしれない
ということで、
このこと自体は結果的に非常にプラスになったと思っている
故ゴッドの金言の一つであるところの、
「ゼミみたいなオママゴトをやっている暇があったら論文を書け」(大意、詳細不明)
という考え方に、
全面的ではないけども同意するところであります
色々な価値観に触れられたことも良かった
ついつい陥りがちな、
「身内の語法」ですべてを語ってしまう風潮は、
かなりヤバイ
またもや故ゴッドからの引用だけど、
「金で買えないモノ以外はすべて捨てろ」(こちらはたぶん正解)
というのには、
モノの価値観を考えさせられた
別にモノを捨てる必要はないのだけれども、
モノの本当の価値というのはそういうことなのだろう
特急料金というのは時間を買うためのものだけども、
研究物品の購入においてもそういう考え方はあてはまる
安く研究をすること自体は何の意味も無い
それがために時間を多く消費するのであれば、
むしろそれは、悪だ
もちろんパトロンから得た金を湯水のように使うことは控えるべきではあるが、
それでも迅速にデータを得て論文を書くための金をケチることは、
研究と金との関係を、
パトロンとの関係のためにネジれさせてしまっていることになるんじゃないだろうか
故ナカヤマ氏の「塩検瓶を早く温めるために風呂の湯を云々」という伝説の話も、
ただの笑い話ではないと思っている
なんというか、
ボクも末席に加わっている、
「分析化学によって地球化学を切り開く」研究者にとって、
決して忘れてはいけない部分だと思う
細かい話はイッシキさんのエッセイの「現場主義」の件を読んでいただくとして、
特に大気と熱水を行ったり来たりしていると見失いがちな、
手法と観測のサジ加減には常に気を払っていたい
(参考-- http://www.kochi-wu.ac.jp/~isshiki/isshiki/essay/20021005.html)
比較的同期に恵まれなかった北大時代に比べ(オッサンしかいなかったもんね)、
海洋研ではアトラクティブな同世代の奴らが多くて、
非常に楽しくすごすことができた
論文を書くことの重要性を常々口にするコウちゃんと、
鬼のように観測をこなすタダを見ていると、
自分のやるべきことがクリアになった
研究室に入った時にタゾエモンがいなかったらと思うとゾッとする
姉さんとのくだらない会話は精神的に病みかけている自分にとっては癒しだった
オシャフネさんやトーナイさんとは社会考察にシンパシーを感じることができて、
考えを整理したり構築したりと頭をスッキリさせることができた
ヨメとの出会いも同世代(同期入所、かな)の集まりでした
書くのに一時間以上かかっていると、
だんだんテンションが変わってくるので、
まとまりが一段となくなってくるねぇ
これで昔話を終わりにするのは、
なんだか全然書ききれてない気がするんだけど、
もう終わります
おしまーい
Tweet
海洋研でやったこととかはこのブログですでに触れているので、
もうちょっと漠然としたこと、もしくはすごく細かいことについて、
雑多に書こう
一部は名誉毀損的になるかもしれないけど、そこは勘弁
まず、
海洋研に移って一番大きかったことは、
「論文にして初めて研究が一段落するということを明確に意識する」ということだった
博士に進むまでは、
なんというか、
「反学歴主義の職人思考」のような、
「論文よりもオンリーワンのスキルの方が価値がある」というか、
まぁそんな感じの考え方をしていたような気がする
で、
それが大いなる誤認識だということに気づいたわけです
もちろん論文の数が絶対的に意味があるというわけではなくって、
そうではなくって、
やや危険な言い方ではあるけども、
論文としてアウトプットしていない仕事というのは、
それが例えいくら素晴らしかったとしても、
科学業界では承認されていない仕事であって、
存在しないことになるのだ
税金を使ってやっているのだからとか、
そういうことではなくって、
「論文を書かない研究者はネズミを獲らないネコ」じゃないけども、
「論文を書くゆえにわれ研究者なり」というか、
研究者にとって「論文を書く」とはそういうものであって、
「観測に行く」「技術を身につける」「学会発表をする」では置換不可能なものなのだ
たとえそれが同様に快感で、
快楽だけが自身の目的だとしても、
セックスが、たとえそれ自体を目的とせずとも、
生命の連鎖を生み出しうるのに対して、
オナニーはどこまでいってもただのオナニーでしかない
そいうことなのかな
だから、
何がだからなのかわかんないけど、
たとえ自分的に納得できなかったとしても、
研究成果を論文にするということは重要なことなのだ
もちろん論文は著者の分身であり、
科学は神聖なものであるから、
100%のものしか論文にするべきではないという考え方もあるだろう
でも、
特に地球科学(化学)のような分野では、
不愉快なノイズもあるいは意味を持つわけで、
論文にして世に問う、という側面もあるような気もする
着地点が見えませんが、
ボクが現時点で思っていることは、
データや技術は秘するものではなく、
とにかく論文を通じて白日の下にさらさねばならない
そしてボクを含む研究者はその使命を遂行してはじめて研究者たりえるのだ
というようなことです
で、
そういう考え方とか、
実際に研究を進める上での、
態度とか姿勢とかいうものは、
オバタさんから教わった部分が非常に大きいように思う
もちろん直接的な助言(指導?)もあったけど、
むしろ雑談の中に含まれる概念的な話が特に印象に残っている
たとえばボクの専門であるところの、
ガス分析や熱水の内容について議論する相手がいないことは残念だったけども、
オバタさんと研究や研究者について様々な話をできたことは、
同じような研究をしている人と狭い専門内で喧々諤々するよりも余程ためになった
本当にオバタさんが研究室にいてくれて良かった
とはいえ、
専門を同じくする人が周囲にいないという環境は中々に困ったもので、
学術的にも精神的にも大変だった
ゼミ無し、かつ、ポスドク無し、
というのは非常に厳しい
自分がドツボに向かっていっている時に、
「ん?それちょっとおかしくない?」
と言ってもらえる機会があることがどれだけありがたいか
一方で、
そういう甘えられる環境でなかったからこそ、
自分でシビアに考えて研究をまとめるという作業を、
逃げることなくできたのかもしれない
ということで、
このこと自体は結果的に非常にプラスになったと思っている
故ゴッドの金言の一つであるところの、
「ゼミみたいなオママゴトをやっている暇があったら論文を書け」(大意、詳細不明)
という考え方に、
全面的ではないけども同意するところであります
色々な価値観に触れられたことも良かった
ついつい陥りがちな、
「身内の語法」ですべてを語ってしまう風潮は、
かなりヤバイ
またもや故ゴッドからの引用だけど、
「金で買えないモノ以外はすべて捨てろ」(こちらはたぶん正解)
というのには、
モノの価値観を考えさせられた
別にモノを捨てる必要はないのだけれども、
モノの本当の価値というのはそういうことなのだろう
特急料金というのは時間を買うためのものだけども、
研究物品の購入においてもそういう考え方はあてはまる
安く研究をすること自体は何の意味も無い
それがために時間を多く消費するのであれば、
むしろそれは、悪だ
もちろんパトロンから得た金を湯水のように使うことは控えるべきではあるが、
それでも迅速にデータを得て論文を書くための金をケチることは、
研究と金との関係を、
パトロンとの関係のためにネジれさせてしまっていることになるんじゃないだろうか
故ナカヤマ氏の「塩検瓶を早く温めるために風呂の湯を云々」という伝説の話も、
ただの笑い話ではないと思っている
なんというか、
ボクも末席に加わっている、
「分析化学によって地球化学を切り開く」研究者にとって、
決して忘れてはいけない部分だと思う
細かい話はイッシキさんのエッセイの「現場主義」の件を読んでいただくとして、
特に大気と熱水を行ったり来たりしていると見失いがちな、
手法と観測のサジ加減には常に気を払っていたい
(参考-- http://www.kochi-wu.ac.jp/~isshiki/isshiki/essay/20021005.html)
比較的同期に恵まれなかった北大時代に比べ(オッサンしかいなかったもんね)、
海洋研ではアトラクティブな同世代の奴らが多くて、
非常に楽しくすごすことができた
論文を書くことの重要性を常々口にするコウちゃんと、
鬼のように観測をこなすタダを見ていると、
自分のやるべきことがクリアになった
研究室に入った時にタゾエモンがいなかったらと思うとゾッとする
姉さんとのくだらない会話は精神的に病みかけている自分にとっては癒しだった
オシャフネさんやトーナイさんとは社会考察にシンパシーを感じることができて、
考えを整理したり構築したりと頭をスッキリさせることができた
ヨメとの出会いも同世代(同期入所、かな)の集まりでした
書くのに一時間以上かかっていると、
だんだんテンションが変わってくるので、
まとまりが一段となくなってくるねぇ
これで昔話を終わりにするのは、
なんだか全然書ききれてない気がするんだけど、
もう終わります
おしまーい
勉強不足で過去の研究をフォローできていないことは、
敬意を欠いていると受け取られても仕方が無い
ちゃんと勉強せねば
ということで、
バターフィールド・バンダム・ライリーの教科書を勉強開始
今さらかよ、ですけどね
年度末なので、
方々にお別れと連絡先変更のごあいさつをメール
感謝の気持ちをお届け
他人の業績リストを見ると、
単なるリストの裏に、
色々と感じることがあるので面白い
査読の依頼がきた
雑誌はJGRの大気で、
内容はPANとかPNNの話
たぶん、
AGUの会員登録で大気化学を選んでいるせいなんだろうけども、
いくらなんでも専門外すぎる
せめて時間の短縮に、と思い、
すぐさまリンクの張られたweb経由で丁重にお断り
申し訳ない
せめてもう少しわかる分野なら・・・
Tweet
敬意を欠いていると受け取られても仕方が無い
ちゃんと勉強せねば
ということで、
バターフィールド・バンダム・ライリーの教科書を勉強開始
今さらかよ、ですけどね
年度末なので、
方々にお別れと連絡先変更のごあいさつをメール
感謝の気持ちをお届け
他人の業績リストを見ると、
単なるリストの裏に、
色々と感じることがあるので面白い
査読の依頼がきた
雑誌はJGRの大気で、
内容はPANとかPNNの話
たぶん、
AGUの会員登録で大気化学を選んでいるせいなんだろうけども、
いくらなんでも専門外すぎる
せめて時間の短縮に、と思い、
すぐさまリンクの張られたweb経由で丁重にお断り
申し訳ない
せめてもう少しわかる分野なら・・・
まず、
5月末の航海に乗ることになった、っぽい
いまいち全容はつかめないがとりあえず乗る
まぁ今までと同じですね
放射線取り扱い免許があると、
絶対に就職に有利だ、という話題に
どこの組織もRIは使いたい、
でも実験室や航海には有資格者が必要
3年前にツノパパが白鳳に乗ったみたいにね
で、
これはマジで、
サイエンスとはやや離れた部分ではあるけども、
「研究者として生き延びる」ためにはかなり戦略的なのではないだろうか
論文が10本の無資格者と、
論文が1本の有資格者がいたとして、
受け入れる組織が有資格者を求めていたら、
論文の数なんかはけしとんでしまう程、
選考過程では有利な資格なんじゃなかろうか
少なくとも某海洋系の組織では、
若年の有資格者を求めているという噂
PDしながらこっそりと勉強して取得するのもアリか
まぁ、
ボクは試験勉強が苦手なのでパスしますが・・・
共著と謝辞の線引きは難しいね、というネタも話題に
共著に入るということは、
その論文に対して責任を持つということ
だから、
共著に入れるといっても、
責任を負えるほどその論文をフォローしていないからといって、
共著を断るという方針がある一方、
自分の貢献は共著に値するということで、
共著に入れるべきだと考える人もいる
最終的には主著者に任せられているのが現状で、
いわゆる日本的な風潮で「アノ人も」となると断らないことが多いようだ
しかし本来的には、
「あなたこの論文に責任を負いますか」と共著者には確認をするべきで、
いや、だから投稿前に共著者に原稿を送付するわけですが、
それに対してリアクションがないということは承認ということで、
その後、
「ボクも共著に入ってるけど、あの論文は、ねぇ・・・」
というのは反則なのだ
で、
何を言わんとするかと言いますと、
共著の論文が主著者から回ってきたら、
ちゃんと目を通して、
本当の意味で承認すること、
必ずコメントを返すこと(このままで結構です、など)、
それができないなら共著を断ること、
というのは、
これからちゃんとやっていきなさい、
という、
自分へのメッセージなのでした
Tweet
5月末の航海に乗ることになった、っぽい
いまいち全容はつかめないがとりあえず乗る
まぁ今までと同じですね
放射線取り扱い免許があると、
絶対に就職に有利だ、という話題に
どこの組織もRIは使いたい、
でも実験室や航海には有資格者が必要
3年前にツノパパが白鳳に乗ったみたいにね
で、
これはマジで、
サイエンスとはやや離れた部分ではあるけども、
「研究者として生き延びる」ためにはかなり戦略的なのではないだろうか
論文が10本の無資格者と、
論文が1本の有資格者がいたとして、
受け入れる組織が有資格者を求めていたら、
論文の数なんかはけしとんでしまう程、
選考過程では有利な資格なんじゃなかろうか
少なくとも某海洋系の組織では、
若年の有資格者を求めているという噂
PDしながらこっそりと勉強して取得するのもアリか
まぁ、
ボクは試験勉強が苦手なのでパスしますが・・・
共著と謝辞の線引きは難しいね、というネタも話題に
共著に入るということは、
その論文に対して責任を持つということ
だから、
共著に入れるといっても、
責任を負えるほどその論文をフォローしていないからといって、
共著を断るという方針がある一方、
自分の貢献は共著に値するということで、
共著に入れるべきだと考える人もいる
最終的には主著者に任せられているのが現状で、
いわゆる日本的な風潮で「アノ人も」となると断らないことが多いようだ
しかし本来的には、
「あなたこの論文に責任を負いますか」と共著者には確認をするべきで、
いや、だから投稿前に共著者に原稿を送付するわけですが、
それに対してリアクションがないということは承認ということで、
その後、
「ボクも共著に入ってるけど、あの論文は、ねぇ・・・」
というのは反則なのだ
で、
何を言わんとするかと言いますと、
共著の論文が主著者から回ってきたら、
ちゃんと目を通して、
本当の意味で承認すること、
必ずコメントを返すこと(このままで結構です、など)、
それができないなら共著を断ること、
というのは、
これからちゃんとやっていきなさい、
という、
自分へのメッセージなのでした
間が空いてしまいましたが、
引き続きお楽しみくださいませ
そういえば、
なんで修士課程に進んだかははっきり思い出せない
たぶん、そういうものなんだろうと思っていたんでしょうね
それか、
「勉強の場では自分の才能は発揮されていない」
「研究の場であればきっと才能は花開く」
という無根拠に高揚した自意識によるものでしょう
研究室として行かねばならぬ航海が年末にあり、
乗り手を募集していたので、
部活も終わり時間がたんまりあるボクは、
興味本位(+アレ目当て)で手を挙げた
で、
いきなり年末の航海に乗せても仕事ができないから、
という理由で、
なぜか10月の航海にも乗ることになった
納得はいかなかったがしょうがない
この時の航海は「かいよう」に「NSS」を積んで、
海底を見ながら相模湾だか駿河湾だかの堆積物を採ることが目的、
だったような気がするが、なんせ初めてだったのでよくわかんない
ツノさん、カメさんと同乗
北海道から出て、
蒲郡ビジネスホテルという、
kawagucci史上いまだ破られぬ、
不滅の金字塔的ホテル(悪い意味で)に前泊し、翌朝に通船で乗船
台風がきて三河湾から出られず、
ほとんど揺れない船の中でひたすらワンピースを読み漁った
(この時に初めて読んだ、25巻ぐらいまで)
この時はアシさんなどが同乗していた
船が動かないおかげで試料はほとんどなかったが、
堆積物を絞って比色分析をしたような気がする
(廃液を無限希釈しようとして顔にかかったことを覚えているから)
年末の望星丸航海でも同様の作業をしたが、
その時も台風が直撃したのでほとんど試料がなく、
イケハラケンさんに「お前はもう乗るな」と通告された
かいよう航海の最終日に午前三時までかかって片づけをして、
あれはたぶんJAMSTECだったと思うが、
着陸したその足で本郷へ向かい、
その後ふかーいお付き合いになる地球化学若手会に参加
若さと疲れで、
ただひたすら飲んで暴れた記憶しかない
実際にそれしかしていなかったのだろうけど・・・
今や昵懇のコバ氏、アベッチ、コウタロウなどと出会ったのもこの時が最初
ある日、先生から電話があり、
「箱根である学会に行く気はあるか?」
と言われた
関西人かつ箱根駅伝好きなボクにとって箱根は憧れの地なわけで、
もちろん即答で「行きます」と回答した
しかし、
これは聞き間違い(ボクは先生の言い間違いだったと思っているが)で、
実は、
箱根ではなく伊東だった
「「伊東に行くならハトヤ」の伊東だよ」と慰められても、
関西人のボクにその意味がわかるはずもなく、
落胆したまま伊東で開かれた同位体比部会に参加した
そんな形で参加したわけだが、
今振り返ると色々と思い出深いものになった
発表こそ難しくてわからなかったが、
「この会は温泉の浴衣が正装だ」
という発表を聞いて、
「学会ってのは町の寄り合いみたいなもんだ」
という誤った(ある意味正しい)認識を得ることができた
また、
先生が発表のときに、
「この装置はあそこに座ってるうちのkawagucciが作った」
と名指ししてきて、ドキっとしたと同時に、
それまでなんだか居場所のなかった会に参加できた気分になった
最後の発表から晩ご飯までのわずかな時間に飛び込むようにお風呂に入ったが、
ツノ先生と親しいオジサンがすでに脱衣場にいたことに驚いた
(その後サノさんの温泉好きを知ることになる)
懇親会の後は“コウタロウが率いられている”女性軍団とともに行動し、
その女性軍団が長老らしき爺さんをたぶらかしたのに乗じて、
夜の街でスイーツをごっつぁんになった
この爺さんはオジマミノルという名前だった
(やばすぎる・・・)
ICPMSを愛するなんだか勢いのある関西人のオジサンとも話し、
この研究室に行ってみたいと思い、
後に実際に東工大の研究室見学までさせてもらった
この時にコウタロウの家に押しかけで泊まったんだったと思う
(少しの勇気を出してヒラタ研に移籍していれば・・・)
さて、
4年生の時はゼミをこなすものイッパイイッパイだったが、
ボクの同期の二人が色々とやらかしてくれたおかげで、
なんとなく、相対的に逃げ切れていた気がする
同期の一人であるハムは、
コンビニ夜勤明けでゼミ発表をして貧血で倒れかかるとか、
後に「ハムの刑」と言われる「先生の部屋に10時-17時の軟禁」とか、
「ここにいる皆の10分の浪費だ!」とか、
そういう感じだった
ハムといえば、
10mLぐらいの吸着剤カラムを冷却し1Lの空気を濃集し、
カラムを密閉した後に冷媒を外すという、
ハム爆弾でステンレス蛇腹を爆発寸前まで追い込んだこともあった
アレを見たから、ナリタ君には冷媒を扱う真空系の作業はさせなかった
で、
もう一人の同期、チバチャンは、
先生が生物関係が苦手だと知り、
自分の研究とはほとんど関係のなさそうな生物関係の論文を紹介したりしていた
利口だ
しかしそんなチバチャンは卒論提出間際のゼミで、
本人的には「いわれの無い罵倒」を受けたと感じ、
周りの人的には「逆ギレ」と受け取られるような形で、
研究室を去ってしまった
そんな「チバチャンショック」の中、
なんとなくボクの卒論は仕上がったのであった
(卒論については記憶がないなぁ)
なかなか時間が前に進まない・・・
次回以降は昔の日記に書いてあることがほとんどなので、
さらっと流していくと思います
「修士修了編」かな
Tweet
引き続きお楽しみくださいませ
そういえば、
なんで修士課程に進んだかははっきり思い出せない
たぶん、そういうものなんだろうと思っていたんでしょうね
それか、
「勉強の場では自分の才能は発揮されていない」
「研究の場であればきっと才能は花開く」
という無根拠に高揚した自意識によるものでしょう
研究室として行かねばならぬ航海が年末にあり、
乗り手を募集していたので、
部活も終わり時間がたんまりあるボクは、
興味本位(+アレ目当て)で手を挙げた
で、
いきなり年末の航海に乗せても仕事ができないから、
という理由で、
なぜか10月の航海にも乗ることになった
納得はいかなかったがしょうがない
この時の航海は「かいよう」に「NSS」を積んで、
海底を見ながら相模湾だか駿河湾だかの堆積物を採ることが目的、
だったような気がするが、なんせ初めてだったのでよくわかんない
ツノさん、カメさんと同乗
北海道から出て、
蒲郡ビジネスホテルという、
kawagucci史上いまだ破られぬ、
不滅の金字塔的ホテル(悪い意味で)に前泊し、翌朝に通船で乗船
台風がきて三河湾から出られず、
ほとんど揺れない船の中でひたすらワンピースを読み漁った
(この時に初めて読んだ、25巻ぐらいまで)
この時はアシさんなどが同乗していた
船が動かないおかげで試料はほとんどなかったが、
堆積物を絞って比色分析をしたような気がする
(廃液を無限希釈しようとして顔にかかったことを覚えているから)
年末の望星丸航海でも同様の作業をしたが、
その時も台風が直撃したのでほとんど試料がなく、
イケハラケンさんに「お前はもう乗るな」と通告された
かいよう航海の最終日に午前三時までかかって片づけをして、
あれはたぶんJAMSTECだったと思うが、
着陸したその足で本郷へ向かい、
その後ふかーいお付き合いになる地球化学若手会に参加
若さと疲れで、
ただひたすら飲んで暴れた記憶しかない
実際にそれしかしていなかったのだろうけど・・・
今や昵懇のコバ氏、アベッチ、コウタロウなどと出会ったのもこの時が最初
ある日、先生から電話があり、
「箱根である学会に行く気はあるか?」
と言われた
関西人かつ箱根駅伝好きなボクにとって箱根は憧れの地なわけで、
もちろん即答で「行きます」と回答した
しかし、
これは聞き間違い(ボクは先生の言い間違いだったと思っているが)で、
実は、
箱根ではなく伊東だった
「「伊東に行くならハトヤ」の伊東だよ」と慰められても、
関西人のボクにその意味がわかるはずもなく、
落胆したまま伊東で開かれた同位体比部会に参加した
そんな形で参加したわけだが、
今振り返ると色々と思い出深いものになった
発表こそ難しくてわからなかったが、
「この会は温泉の浴衣が正装だ」
という発表を聞いて、
「学会ってのは町の寄り合いみたいなもんだ」
という誤った(ある意味正しい)認識を得ることができた
また、
先生が発表のときに、
「この装置はあそこに座ってるうちのkawagucciが作った」
と名指ししてきて、ドキっとしたと同時に、
それまでなんだか居場所のなかった会に参加できた気分になった
最後の発表から晩ご飯までのわずかな時間に飛び込むようにお風呂に入ったが、
ツノ先生と親しいオジサンがすでに脱衣場にいたことに驚いた
(その後サノさんの温泉好きを知ることになる)
懇親会の後は“コウタロウが率いられている”女性軍団とともに行動し、
その女性軍団が長老らしき爺さんをたぶらかしたのに乗じて、
夜の街でスイーツをごっつぁんになった
この爺さんはオジマミノルという名前だった
(やばすぎる・・・)
ICPMSを愛するなんだか勢いのある関西人のオジサンとも話し、
この研究室に行ってみたいと思い、
後に実際に東工大の研究室見学までさせてもらった
この時にコウタロウの家に押しかけで泊まったんだったと思う
(少しの勇気を出してヒラタ研に移籍していれば・・・)
さて、
4年生の時はゼミをこなすものイッパイイッパイだったが、
ボクの同期の二人が色々とやらかしてくれたおかげで、
なんとなく、相対的に逃げ切れていた気がする
同期の一人であるハムは、
コンビニ夜勤明けでゼミ発表をして貧血で倒れかかるとか、
後に「ハムの刑」と言われる「先生の部屋に10時-17時の軟禁」とか、
「ここにいる皆の10分の浪費だ!」とか、
そういう感じだった
ハムといえば、
10mLぐらいの吸着剤カラムを冷却し1Lの空気を濃集し、
カラムを密閉した後に冷媒を外すという、
ハム爆弾でステンレス蛇腹を爆発寸前まで追い込んだこともあった
アレを見たから、ナリタ君には冷媒を扱う真空系の作業はさせなかった
で、
もう一人の同期、チバチャンは、
先生が生物関係が苦手だと知り、
自分の研究とはほとんど関係のなさそうな生物関係の論文を紹介したりしていた
利口だ
しかしそんなチバチャンは卒論提出間際のゼミで、
本人的には「いわれの無い罵倒」を受けたと感じ、
周りの人的には「逆ギレ」と受け取られるような形で、
研究室を去ってしまった
そんな「チバチャンショック」の中、
なんとなくボクの卒論は仕上がったのであった
(卒論については記憶がないなぁ)
なかなか時間が前に進まない・・・
次回以降は昔の日記に書いてあることがほとんどなので、
さらっと流していくと思います
「修士修了編」かな
博士論文の中で、
投稿できるのは4報分
インド洋プルームはもう出したので、
あと3つ
培養実験は追加があるので、
現状で書けるのは2つ
熱水水素論文は9割がた書いた
伊是名プルームは、まだ0割
ある時に時間を捻出し、
3日ぐらいで一気に書き上げてしまおう
それにしても皮膚の調子が悪い
この10年でもっとも悪い部類だろう
今週末にでも、集中的に治療にあたろう
Tweet
投稿できるのは4報分
インド洋プルームはもう出したので、
あと3つ
培養実験は追加があるので、
現状で書けるのは2つ
熱水水素論文は9割がた書いた
伊是名プルームは、まだ0割
ある時に時間を捻出し、
3日ぐらいで一気に書き上げてしまおう
それにしても皮膚の調子が悪い
この10年でもっとも悪い部類だろう
今週末にでも、集中的に治療にあたろう
そんなこんなでガモ・ツノ研(以下3G)に加入したわけです
研究テーマについての面談では、
「研究内容に希望は無い。
ただし毎日のトレーニングは欠かしたくないので、
フィールド系ではなく実験室系がいい」
と、
何様なのかという放言をした
もちろん先生はあきれていた
結果、
「CO2のd17OをCF-IRMSで測る方法を自動化する」
という実験室系のテーマをいただいた
(17OとかCF-IRMSについては、各位勉強してください)
前年度に修士で卒業した先輩のテーマが、
「CO2のd17OをCF-IRMSで測る」
であったため、
分析ラインや設定の諸条件はすでに決められており、
ボクに課された仕事は、
「自動化するとともにそれに適応させてラインをマイナーチェンジする」
というものであった
同期のチバちゃんが4月2日から熱水航海に出発した一方、
ボクには「LOGO!」という名の自動化用装置(おもちゃ)が与えられ、
8階の角の部屋で装置の自動化に向け、
ひたすらに導線を剥いたり繋いだり、
電源を作ったりしながら過ごしていた
実家にいたころから工作とは縁遠い人生であったため、
ニッパー・ストリッパー・モンキーなどといった工具の名前もわからず、
ただ目の前にあるLOGO!を動かすことに必死だった、ような気がする
必死にはなってなかった気もするが・・・
導線をいじったりする作業は決して面白いものではなかったが、
コンセントやタップの自作、端子台を用いた導線の分岐など、
これまでに気にしたことのなかった電気系に触れられたことは、
その後、家庭や実験室の修繕に役立った
自動化の作業で面白かったのは「LOGO!」でのプログラミングだった
プログラミングといっても、
アプリケーションを使って画面上で直感的にいじるもので、
決してパソコンの知識などは必要はなく、
まぁ要するにシミュレーションゲームみたいなものだった
もう一つこの作業にボクが没頭できた理由は、
「研究室の誰も、先生すらもわからないものを、自分はわかっている」
という優越感だった
この時、自動化と並行してマスにつなぐラインの改造もやっていたのだが、
こちらはボク一人でやることは許されておらず、
もっぱら先生の都合にあわせて進行していた
ボクは工作作業に飽きると家に帰ったり、
コンビニやボックスでマンガや雑誌を読んだりしていたので、
先生から「5分以内に来い」と呼び出されたら実験室に行く、
という感じでライン作業をしていた
なので、
ライン作業は「やらされている」「手伝わされている」感じが強く、
なんだか気乗りのしないものだった
そのうちラインを自分でいじる許可が出て、
ラインを自動で動かすことができるようになったのは、
確か4年生の7月ぐらいだったような気がする
この時は研究室の先輩方も自動で動くラインを面白がってくれて、
自分の仕事を誇らしく思い悦に入っていた
自分自身もマスからアウトプットを得たことで、
やっと「地球化学」をやっている実感も得られた
しかし、
それは同時に飽くなきブランクとの戦いの幕開けでもあった
何もサンプルを導入しなくてもあらわれるCO2ピーク
様々なパターンでトラップを試したものの、
どのバルブも問題ないし、
どのトラップも問題がない
最終的には、
「とりあえずよくわからないから全ての部品を新品と入れ替える」
という、
クドウ先輩が残した、
何の根拠もない願掛けのような作業を実施した
そして、
これが当たり
なぜかブランクは消え去った
この分析法の完成はその後の研究人生に大きな影響を及ぼしたが、
それは後編で
さて、
研究室に入ってはじめて読んだ論文は、
先生から渡されたThiemens 1995 GRLだった
(Thiemens 1995ならscienceの方を読むべきだったと思うが・・・)
とにかく何が書いてあるかがわからない
「Mass-Independent isotope fractionation」
は、
「量独立的同位体分画」
で、
それって何?だったわけです
そのうち読めるようになってたけど、
とにかく最初は何が書いてあるのかちっともわからなかった
なんせ人生においてマジメに勉強してこなかったので、
基本的なことでわからないことが多い
はじめて論文を読んだ時のメモを見ると、
「atmosphere」「effect」「divide」「isotope」「composition」
などを記録している
この程度の単語もわからなかった、
そんなレベルだったのだ
あぁ、書くことが多いねぇ
まだ4年生の前半しか書けてない
4年生の後半には、
初めての航海・若手会・同位体比部会・卒論などがあり、
修士では、
初めての論文執筆・学振申請・AGU・地獄淡青・脱北など、
噂の真相的なことも含めて、
言及すべき部分が多い
多いよー
Tweet
研究テーマについての面談では、
「研究内容に希望は無い。
ただし毎日のトレーニングは欠かしたくないので、
フィールド系ではなく実験室系がいい」
と、
何様なのかという放言をした
もちろん先生はあきれていた
結果、
「CO2のd17OをCF-IRMSで測る方法を自動化する」
という実験室系のテーマをいただいた
(17OとかCF-IRMSについては、各位勉強してください)
前年度に修士で卒業した先輩のテーマが、
「CO2のd17OをCF-IRMSで測る」
であったため、
分析ラインや設定の諸条件はすでに決められており、
ボクに課された仕事は、
「自動化するとともにそれに適応させてラインをマイナーチェンジする」
というものであった
同期のチバちゃんが4月2日から熱水航海に出発した一方、
ボクには「LOGO!」という名の自動化用装置(おもちゃ)が与えられ、
8階の角の部屋で装置の自動化に向け、
ひたすらに導線を剥いたり繋いだり、
電源を作ったりしながら過ごしていた
実家にいたころから工作とは縁遠い人生であったため、
ニッパー・ストリッパー・モンキーなどといった工具の名前もわからず、
ただ目の前にあるLOGO!を動かすことに必死だった、ような気がする
必死にはなってなかった気もするが・・・
導線をいじったりする作業は決して面白いものではなかったが、
コンセントやタップの自作、端子台を用いた導線の分岐など、
これまでに気にしたことのなかった電気系に触れられたことは、
その後、家庭や実験室の修繕に役立った
自動化の作業で面白かったのは「LOGO!」でのプログラミングだった
プログラミングといっても、
アプリケーションを使って画面上で直感的にいじるもので、
決してパソコンの知識などは必要はなく、
まぁ要するにシミュレーションゲームみたいなものだった
もう一つこの作業にボクが没頭できた理由は、
「研究室の誰も、先生すらもわからないものを、自分はわかっている」
という優越感だった
この時、自動化と並行してマスにつなぐラインの改造もやっていたのだが、
こちらはボク一人でやることは許されておらず、
もっぱら先生の都合にあわせて進行していた
ボクは工作作業に飽きると家に帰ったり、
コンビニやボックスでマンガや雑誌を読んだりしていたので、
先生から「5分以内に来い」と呼び出されたら実験室に行く、
という感じでライン作業をしていた
なので、
ライン作業は「やらされている」「手伝わされている」感じが強く、
なんだか気乗りのしないものだった
そのうちラインを自分でいじる許可が出て、
ラインを自動で動かすことができるようになったのは、
確か4年生の7月ぐらいだったような気がする
この時は研究室の先輩方も自動で動くラインを面白がってくれて、
自分の仕事を誇らしく思い悦に入っていた
自分自身もマスからアウトプットを得たことで、
やっと「地球化学」をやっている実感も得られた
しかし、
それは同時に飽くなきブランクとの戦いの幕開けでもあった
何もサンプルを導入しなくてもあらわれるCO2ピーク
様々なパターンでトラップを試したものの、
どのバルブも問題ないし、
どのトラップも問題がない
最終的には、
「とりあえずよくわからないから全ての部品を新品と入れ替える」
という、
クドウ先輩が残した、
何の根拠もない願掛けのような作業を実施した
そして、
これが当たり
なぜかブランクは消え去った
この分析法の完成はその後の研究人生に大きな影響を及ぼしたが、
それは後編で
さて、
研究室に入ってはじめて読んだ論文は、
先生から渡されたThiemens 1995 GRLだった
(Thiemens 1995ならscienceの方を読むべきだったと思うが・・・)
とにかく何が書いてあるかがわからない
「Mass-Independent isotope fractionation」
は、
「量独立的同位体分画」
で、
それって何?だったわけです
そのうち読めるようになってたけど、
とにかく最初は何が書いてあるのかちっともわからなかった
なんせ人生においてマジメに勉強してこなかったので、
基本的なことでわからないことが多い
はじめて論文を読んだ時のメモを見ると、
「atmosphere」「effect」「divide」「isotope」「composition」
などを記録している
この程度の単語もわからなかった、
そんなレベルだったのだ
あぁ、書くことが多いねぇ
まだ4年生の前半しか書けてない
4年生の後半には、
初めての航海・若手会・同位体比部会・卒論などがあり、
修士では、
初めての論文執筆・学振申請・AGU・地獄淡青・脱北など、
噂の真相的なことも含めて、
言及すべき部分が多い
多いよー
たぶんに間違えてると思うけど・・・・
予測モデル
未来到達する定常状態(温暖化の場合、温度・CO2濃度など)を仮定し、
ある変数(CO2放出量など)の遷移を求めるようにすることで、
「どうしたらどうなるか」を導き出す
結果はすべて「今日になることのない明日」の情報
結果に重要な影響をあたえるパラメータが重要
マイナーなファクターは集めて丸めて一つのパラメータに
再現モデル
過去から今までの観測値を組み合わせ、
再現性を確認し、
その時にあるパラメータがどのような挙動をしたかを調べる
主要なパラメータを動かしたときのアンノウンファクターの挙動解析
予測モデルにおける過去の観測の再現性は、
性能試験であり目的ではない(?)
予測モデルの高精度化は、
グリッドを詳細にするとかパラメータを正確に描写することで、
達成されるのかもしれない
しかし重要なことはそこではなく、
シナリオに対するアウトプットの差
今日の明後日を正確にするか、
明日になって明日を正確にするか
地球化学者のカウンターパートとなるのは再現モデル屋
たとえば素反応とその反応速度などを与えたときに、
ある物質の同位体比がどのような振る舞いをするのか、など
成層圏や海洋の物質挙動解析モデルもこれ
「自分が観測した値以外のパラメータでモデルを組んで、
モデル結果と観測値があえば、
モデルに描写したようなことが起きていると考えて妥当」
というスタンス
うーん、わからん
モデルって、
思ってた以上に面白いかも
そして、
モデルって、
頭が良い人しかできないね、きっと
Tweet
予測モデル
未来到達する定常状態(温暖化の場合、温度・CO2濃度など)を仮定し、
ある変数(CO2放出量など)の遷移を求めるようにすることで、
「どうしたらどうなるか」を導き出す
結果はすべて「今日になることのない明日」の情報
結果に重要な影響をあたえるパラメータが重要
マイナーなファクターは集めて丸めて一つのパラメータに
再現モデル
過去から今までの観測値を組み合わせ、
再現性を確認し、
その時にあるパラメータがどのような挙動をしたかを調べる
主要なパラメータを動かしたときのアンノウンファクターの挙動解析
予測モデルにおける過去の観測の再現性は、
性能試験であり目的ではない(?)
予測モデルの高精度化は、
グリッドを詳細にするとかパラメータを正確に描写することで、
達成されるのかもしれない
しかし重要なことはそこではなく、
シナリオに対するアウトプットの差
今日の明後日を正確にするか、
明日になって明日を正確にするか
地球化学者のカウンターパートとなるのは再現モデル屋
たとえば素反応とその反応速度などを与えたときに、
ある物質の同位体比がどのような振る舞いをするのか、など
成層圏や海洋の物質挙動解析モデルもこれ
「自分が観測した値以外のパラメータでモデルを組んで、
モデル結果と観測値があえば、
モデルに描写したようなことが起きていると考えて妥当」
というスタンス
うーん、わからん
モデルって、
思ってた以上に面白いかも
そして、
モデルって、
頭が良い人しかできないね、きっと