自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
博士論文の中で、
投稿できるのは4報分
インド洋プルームはもう出したので、
あと3つ
培養実験は追加があるので、
現状で書けるのは2つ
熱水水素論文は9割がた書いた
伊是名プルームは、まだ0割
ある時に時間を捻出し、
3日ぐらいで一気に書き上げてしまおう
それにしても皮膚の調子が悪い
この10年でもっとも悪い部類だろう
今週末にでも、集中的に治療にあたろう
投稿できるのは4報分
インド洋プルームはもう出したので、
あと3つ
培養実験は追加があるので、
現状で書けるのは2つ
熱水水素論文は9割がた書いた
伊是名プルームは、まだ0割
ある時に時間を捻出し、
3日ぐらいで一気に書き上げてしまおう
それにしても皮膚の調子が悪い
この10年でもっとも悪い部類だろう
今週末にでも、集中的に治療にあたろう
PR
そんなこんなでガモ・ツノ研(以下3G)に加入したわけです
研究テーマについての面談では、
「研究内容に希望は無い。
ただし毎日のトレーニングは欠かしたくないので、
フィールド系ではなく実験室系がいい」
と、
何様なのかという放言をした
もちろん先生はあきれていた
結果、
「CO2のd17OをCF-IRMSで測る方法を自動化する」
という実験室系のテーマをいただいた
(17OとかCF-IRMSについては、各位勉強してください)
前年度に修士で卒業した先輩のテーマが、
「CO2のd17OをCF-IRMSで測る」
であったため、
分析ラインや設定の諸条件はすでに決められており、
ボクに課された仕事は、
「自動化するとともにそれに適応させてラインをマイナーチェンジする」
というものであった
同期のチバちゃんが4月2日から熱水航海に出発した一方、
ボクには「LOGO!」という名の自動化用装置(おもちゃ)が与えられ、
8階の角の部屋で装置の自動化に向け、
ひたすらに導線を剥いたり繋いだり、
電源を作ったりしながら過ごしていた
実家にいたころから工作とは縁遠い人生であったため、
ニッパー・ストリッパー・モンキーなどといった工具の名前もわからず、
ただ目の前にあるLOGO!を動かすことに必死だった、ような気がする
必死にはなってなかった気もするが・・・
導線をいじったりする作業は決して面白いものではなかったが、
コンセントやタップの自作、端子台を用いた導線の分岐など、
これまでに気にしたことのなかった電気系に触れられたことは、
その後、家庭や実験室の修繕に役立った
自動化の作業で面白かったのは「LOGO!」でのプログラミングだった
プログラミングといっても、
アプリケーションを使って画面上で直感的にいじるもので、
決してパソコンの知識などは必要はなく、
まぁ要するにシミュレーションゲームみたいなものだった
もう一つこの作業にボクが没頭できた理由は、
「研究室の誰も、先生すらもわからないものを、自分はわかっている」
という優越感だった
この時、自動化と並行してマスにつなぐラインの改造もやっていたのだが、
こちらはボク一人でやることは許されておらず、
もっぱら先生の都合にあわせて進行していた
ボクは工作作業に飽きると家に帰ったり、
コンビニやボックスでマンガや雑誌を読んだりしていたので、
先生から「5分以内に来い」と呼び出されたら実験室に行く、
という感じでライン作業をしていた
なので、
ライン作業は「やらされている」「手伝わされている」感じが強く、
なんだか気乗りのしないものだった
そのうちラインを自分でいじる許可が出て、
ラインを自動で動かすことができるようになったのは、
確か4年生の7月ぐらいだったような気がする
この時は研究室の先輩方も自動で動くラインを面白がってくれて、
自分の仕事を誇らしく思い悦に入っていた
自分自身もマスからアウトプットを得たことで、
やっと「地球化学」をやっている実感も得られた
しかし、
それは同時に飽くなきブランクとの戦いの幕開けでもあった
何もサンプルを導入しなくてもあらわれるCO2ピーク
様々なパターンでトラップを試したものの、
どのバルブも問題ないし、
どのトラップも問題がない
最終的には、
「とりあえずよくわからないから全ての部品を新品と入れ替える」
という、
クドウ先輩が残した、
何の根拠もない願掛けのような作業を実施した
そして、
これが当たり
なぜかブランクは消え去った
この分析法の完成はその後の研究人生に大きな影響を及ぼしたが、
それは後編で
さて、
研究室に入ってはじめて読んだ論文は、
先生から渡されたThiemens 1995 GRLだった
(Thiemens 1995ならscienceの方を読むべきだったと思うが・・・)
とにかく何が書いてあるかがわからない
「Mass-Independent isotope fractionation」
は、
「量独立的同位体分画」
で、
それって何?だったわけです
そのうち読めるようになってたけど、
とにかく最初は何が書いてあるのかちっともわからなかった
なんせ人生においてマジメに勉強してこなかったので、
基本的なことでわからないことが多い
はじめて論文を読んだ時のメモを見ると、
「atmosphere」「effect」「divide」「isotope」「composition」
などを記録している
この程度の単語もわからなかった、
そんなレベルだったのだ
あぁ、書くことが多いねぇ
まだ4年生の前半しか書けてない
4年生の後半には、
初めての航海・若手会・同位体比部会・卒論などがあり、
修士では、
初めての論文執筆・学振申請・AGU・地獄淡青・脱北など、
噂の真相的なことも含めて、
言及すべき部分が多い
多いよー
Tweet
研究テーマについての面談では、
「研究内容に希望は無い。
ただし毎日のトレーニングは欠かしたくないので、
フィールド系ではなく実験室系がいい」
と、
何様なのかという放言をした
もちろん先生はあきれていた
結果、
「CO2のd17OをCF-IRMSで測る方法を自動化する」
という実験室系のテーマをいただいた
(17OとかCF-IRMSについては、各位勉強してください)
前年度に修士で卒業した先輩のテーマが、
「CO2のd17OをCF-IRMSで測る」
であったため、
分析ラインや設定の諸条件はすでに決められており、
ボクに課された仕事は、
「自動化するとともにそれに適応させてラインをマイナーチェンジする」
というものであった
同期のチバちゃんが4月2日から熱水航海に出発した一方、
ボクには「LOGO!」という名の自動化用装置(おもちゃ)が与えられ、
8階の角の部屋で装置の自動化に向け、
ひたすらに導線を剥いたり繋いだり、
電源を作ったりしながら過ごしていた
実家にいたころから工作とは縁遠い人生であったため、
ニッパー・ストリッパー・モンキーなどといった工具の名前もわからず、
ただ目の前にあるLOGO!を動かすことに必死だった、ような気がする
必死にはなってなかった気もするが・・・
導線をいじったりする作業は決して面白いものではなかったが、
コンセントやタップの自作、端子台を用いた導線の分岐など、
これまでに気にしたことのなかった電気系に触れられたことは、
その後、家庭や実験室の修繕に役立った
自動化の作業で面白かったのは「LOGO!」でのプログラミングだった
プログラミングといっても、
アプリケーションを使って画面上で直感的にいじるもので、
決してパソコンの知識などは必要はなく、
まぁ要するにシミュレーションゲームみたいなものだった
もう一つこの作業にボクが没頭できた理由は、
「研究室の誰も、先生すらもわからないものを、自分はわかっている」
という優越感だった
この時、自動化と並行してマスにつなぐラインの改造もやっていたのだが、
こちらはボク一人でやることは許されておらず、
もっぱら先生の都合にあわせて進行していた
ボクは工作作業に飽きると家に帰ったり、
コンビニやボックスでマンガや雑誌を読んだりしていたので、
先生から「5分以内に来い」と呼び出されたら実験室に行く、
という感じでライン作業をしていた
なので、
ライン作業は「やらされている」「手伝わされている」感じが強く、
なんだか気乗りのしないものだった
そのうちラインを自分でいじる許可が出て、
ラインを自動で動かすことができるようになったのは、
確か4年生の7月ぐらいだったような気がする
この時は研究室の先輩方も自動で動くラインを面白がってくれて、
自分の仕事を誇らしく思い悦に入っていた
自分自身もマスからアウトプットを得たことで、
やっと「地球化学」をやっている実感も得られた
しかし、
それは同時に飽くなきブランクとの戦いの幕開けでもあった
何もサンプルを導入しなくてもあらわれるCO2ピーク
様々なパターンでトラップを試したものの、
どのバルブも問題ないし、
どのトラップも問題がない
最終的には、
「とりあえずよくわからないから全ての部品を新品と入れ替える」
という、
クドウ先輩が残した、
何の根拠もない願掛けのような作業を実施した
そして、
これが当たり
なぜかブランクは消え去った
この分析法の完成はその後の研究人生に大きな影響を及ぼしたが、
それは後編で
さて、
研究室に入ってはじめて読んだ論文は、
先生から渡されたThiemens 1995 GRLだった
(Thiemens 1995ならscienceの方を読むべきだったと思うが・・・)
とにかく何が書いてあるかがわからない
「Mass-Independent isotope fractionation」
は、
「量独立的同位体分画」
で、
それって何?だったわけです
そのうち読めるようになってたけど、
とにかく最初は何が書いてあるのかちっともわからなかった
なんせ人生においてマジメに勉強してこなかったので、
基本的なことでわからないことが多い
はじめて論文を読んだ時のメモを見ると、
「atmosphere」「effect」「divide」「isotope」「composition」
などを記録している
この程度の単語もわからなかった、
そんなレベルだったのだ
あぁ、書くことが多いねぇ
まだ4年生の前半しか書けてない
4年生の後半には、
初めての航海・若手会・同位体比部会・卒論などがあり、
修士では、
初めての論文執筆・学振申請・AGU・地獄淡青・脱北など、
噂の真相的なことも含めて、
言及すべき部分が多い
多いよー
たぶんに間違えてると思うけど・・・・
予測モデル
未来到達する定常状態(温暖化の場合、温度・CO2濃度など)を仮定し、
ある変数(CO2放出量など)の遷移を求めるようにすることで、
「どうしたらどうなるか」を導き出す
結果はすべて「今日になることのない明日」の情報
結果に重要な影響をあたえるパラメータが重要
マイナーなファクターは集めて丸めて一つのパラメータに
再現モデル
過去から今までの観測値を組み合わせ、
再現性を確認し、
その時にあるパラメータがどのような挙動をしたかを調べる
主要なパラメータを動かしたときのアンノウンファクターの挙動解析
予測モデルにおける過去の観測の再現性は、
性能試験であり目的ではない(?)
予測モデルの高精度化は、
グリッドを詳細にするとかパラメータを正確に描写することで、
達成されるのかもしれない
しかし重要なことはそこではなく、
シナリオに対するアウトプットの差
今日の明後日を正確にするか、
明日になって明日を正確にするか
地球化学者のカウンターパートとなるのは再現モデル屋
たとえば素反応とその反応速度などを与えたときに、
ある物質の同位体比がどのような振る舞いをするのか、など
成層圏や海洋の物質挙動解析モデルもこれ
「自分が観測した値以外のパラメータでモデルを組んで、
モデル結果と観測値があえば、
モデルに描写したようなことが起きていると考えて妥当」
というスタンス
うーん、わからん
モデルって、
思ってた以上に面白いかも
そして、
モデルって、
頭が良い人しかできないね、きっと
Tweet
予測モデル
未来到達する定常状態(温暖化の場合、温度・CO2濃度など)を仮定し、
ある変数(CO2放出量など)の遷移を求めるようにすることで、
「どうしたらどうなるか」を導き出す
結果はすべて「今日になることのない明日」の情報
結果に重要な影響をあたえるパラメータが重要
マイナーなファクターは集めて丸めて一つのパラメータに
再現モデル
過去から今までの観測値を組み合わせ、
再現性を確認し、
その時にあるパラメータがどのような挙動をしたかを調べる
主要なパラメータを動かしたときのアンノウンファクターの挙動解析
予測モデルにおける過去の観測の再現性は、
性能試験であり目的ではない(?)
予測モデルの高精度化は、
グリッドを詳細にするとかパラメータを正確に描写することで、
達成されるのかもしれない
しかし重要なことはそこではなく、
シナリオに対するアウトプットの差
今日の明後日を正確にするか、
明日になって明日を正確にするか
地球化学者のカウンターパートとなるのは再現モデル屋
たとえば素反応とその反応速度などを与えたときに、
ある物質の同位体比がどのような振る舞いをするのか、など
成層圏や海洋の物質挙動解析モデルもこれ
「自分が観測した値以外のパラメータでモデルを組んで、
モデル結果と観測値があえば、
モデルに描写したようなことが起きていると考えて妥当」
というスタンス
うーん、わからん
モデルって、
思ってた以上に面白いかも
そして、
モデルって、
頭が良い人しかできないね、きっと
JAMSTECのカワミヤさんのセミナーを拝聴
非常に面白い
とにかく、
地球温暖化予測に関する限り、
もう地球化学の出番はない、
というか、
少なくとも予測モデル屋さんにとっては、
残る必要なデータはコレとコレというのがあって、
それ以外はいらんのだ
地球化学は地球温暖化の方向性に対して、
もはや貢献することはないのだろう
もちろん温暖化が進むことで何かがどうかなる、
ということを地球化学的に調べることはありえると思う
海洋酸性化の話が出ていたが、
あれは、
「温暖化予測に対して地球化学が貢献できることはもうない」
ということになっているけども、
地球化学としても「温暖化マネー」はほしいという状況でひねり出された、
地球化学と温暖化の新たな太い接点ということなんだろう
で、面白かったのが聞いている人の反応
相互関係を持つことを期待している人とそうでない人が明確だった
つまり、
モデル側は「Argoで十分」というスタンスで、
突き詰めれば「地球化学者とやることはございません」なのだ
その状況で地球化学者が「何をやるべきか示してもらわないと」と言っても、
それは「何もないです」で終了、
それ以上のコミュニケーションもコラボレーションもないのだ
で、
隊長と話したのは、
サイエンスにゴールが明確な目標は存在しないということ
そもそも、
サイエンス、
というか、
人が生きる上での唯一無二の原動力は、
未知への好奇心なのだ
だから、
見えているゴールへの道筋をたどる作業は、
サイエンスじゃない
テーマは「清貧」
Tweet
非常に面白い
とにかく、
地球温暖化予測に関する限り、
もう地球化学の出番はない、
というか、
少なくとも予測モデル屋さんにとっては、
残る必要なデータはコレとコレというのがあって、
それ以外はいらんのだ
地球化学は地球温暖化の方向性に対して、
もはや貢献することはないのだろう
もちろん温暖化が進むことで何かがどうかなる、
ということを地球化学的に調べることはありえると思う
海洋酸性化の話が出ていたが、
あれは、
「温暖化予測に対して地球化学が貢献できることはもうない」
ということになっているけども、
地球化学としても「温暖化マネー」はほしいという状況でひねり出された、
地球化学と温暖化の新たな太い接点ということなんだろう
で、面白かったのが聞いている人の反応
相互関係を持つことを期待している人とそうでない人が明確だった
つまり、
モデル側は「Argoで十分」というスタンスで、
突き詰めれば「地球化学者とやることはございません」なのだ
その状況で地球化学者が「何をやるべきか示してもらわないと」と言っても、
それは「何もないです」で終了、
それ以上のコミュニケーションもコラボレーションもないのだ
で、
隊長と話したのは、
サイエンスにゴールが明確な目標は存在しないということ
そもそも、
サイエンス、
というか、
人が生きる上での唯一無二の原動力は、
未知への好奇心なのだ
だから、
見えているゴールへの道筋をたどる作業は、
サイエンスじゃない
テーマは「清貧」
無事、北大の門をくぐったものの、
とにかく大学に入ることが目的だったため、
大学で何をするかについてはまったく未定であった
(まぁ普通の話ですね)
どこの大学でもあると思われる、
ご存知の通りの新歓活動に巻き込まれているうちに、
水泳をあらためてちゃんとやりたいことを思い出した
幼い頃にスイミングに通ったことはあるものの、
その時はどうしても平泳ぎができず途中で挫折
高校でやろうと思ったが、
愛しのカナちゃんが水泳部におり、
色々と悩みぬいた挙句、入らなかったという経緯があった
(カナちゃんは元気でやっておるのか・・・会いたいねぇ・・・)
ということで、水泳部に入部
そしてゴールデンウィークの合宿を経て、
水泳部教に入信
ここから「正しい体育会系大学生」としての道を歩み始める
大学には毎日いるものの、
部室(北大ではボックスと呼ばれる天上界)に入り浸り、
飲む・食う・泳ぐに明け暮れ、
授業についてはとにかく出席数だけを確保し、
勉強するつもりなんてサラサラない、
という風情であった
そんな一年生の年度末、
計算どおり6単位しか落とさず、
無事進級を勝ち取ったが、
成績不良(114位/116人)のため、
まったく希望しない地球科学科へ配属される
(この頃はまだ、化学科か高分子科で薬学的な仕事をしたい気持ちがあった)
学問的にはまったく希望しない地惑配属であったが、
実験ない・授業少ない・教員やる気ない(?)という三無い状態の地惑科は、
水泳に専念する最高の環境であった
当時の生活を振り返ると、
平日の5日間は、
7時から10時までに2時間強の練習
二限中に栄養補給と睡眠
昼休みに昼食をとり、三限の頭で出席をとったら即退出
14時過ぎから20時頃までスイミングコーチのバイト
その後、同プールでの他大の練習に加わるか、
あるいはジムに移動して筋トレをして、
23時頃就寝が普通だった
土曜は10時以降がミーティング→筋トレ→飲み会で、
日曜は完全オフでひたすら休憩、ずーっと休みっぱなし
そんな一週間だった
余談になるが、
「成績不良っぷり」は「非常に優秀」であった
卒業時に手にした成績表で、
優が5、良が10、可が40ぐらいの割合だった
これだけの低空飛行をしながら、
3年終了時には必要単位を満たしており、
留年をしなかった自分をほめてやりたい
さて、
そんなこんなで三年生もおしまい
四月からお世話になる研究室を選ばねばならない
学科配属以降の二年間ほとんど授業に出ていなかったにも関わらず、
というか、
興味がないから授業に出ていなかったのかもしれないけど、
とにかく、
岩石・鉱物・古環境には興味が持てず、
「まぁ面白いかな」と思える研究室は一つしかなかった
それが「3G・地球化学グループ」こと「ガモ・ツノ研究室」だった
2月に行ったツノ先生との面談では、
「オレの授業をとってもいないくせに研究室に来たいとはどういうことだ」
と、
包み隠さない「問題児は来るな」的発言を放たれたが、
そんなことを言われてもしょうがない
だって他のところは絶対イヤなんだもん
その時に何と言ったかは思い出せないが、
まぁとにかく無事、研究室に入れてもらえることになった
ということで、
こんな流れではあったが、
これ以降、
地球化学の道を歩み続けることになったのだった
次回、「3Gでの日々前編」へ続きます
Tweet
とにかく大学に入ることが目的だったため、
大学で何をするかについてはまったく未定であった
(まぁ普通の話ですね)
どこの大学でもあると思われる、
ご存知の通りの新歓活動に巻き込まれているうちに、
水泳をあらためてちゃんとやりたいことを思い出した
幼い頃にスイミングに通ったことはあるものの、
その時はどうしても平泳ぎができず途中で挫折
高校でやろうと思ったが、
愛しのカナちゃんが水泳部におり、
色々と悩みぬいた挙句、入らなかったという経緯があった
(カナちゃんは元気でやっておるのか・・・会いたいねぇ・・・)
ということで、水泳部に入部
そしてゴールデンウィークの合宿を経て、
水泳部教に入信
ここから「正しい体育会系大学生」としての道を歩み始める
大学には毎日いるものの、
部室(北大ではボックスと呼ばれる天上界)に入り浸り、
飲む・食う・泳ぐに明け暮れ、
授業についてはとにかく出席数だけを確保し、
勉強するつもりなんてサラサラない、
という風情であった
そんな一年生の年度末、
計算どおり6単位しか落とさず、
無事進級を勝ち取ったが、
成績不良(114位/116人)のため、
まったく希望しない地球科学科へ配属される
(この頃はまだ、化学科か高分子科で薬学的な仕事をしたい気持ちがあった)
学問的にはまったく希望しない地惑配属であったが、
実験ない・授業少ない・教員やる気ない(?)という三無い状態の地惑科は、
水泳に専念する最高の環境であった
当時の生活を振り返ると、
平日の5日間は、
7時から10時までに2時間強の練習
二限中に栄養補給と睡眠
昼休みに昼食をとり、三限の頭で出席をとったら即退出
14時過ぎから20時頃までスイミングコーチのバイト
その後、同プールでの他大の練習に加わるか、
あるいはジムに移動して筋トレをして、
23時頃就寝が普通だった
土曜は10時以降がミーティング→筋トレ→飲み会で、
日曜は完全オフでひたすら休憩、ずーっと休みっぱなし
そんな一週間だった
余談になるが、
「成績不良っぷり」は「非常に優秀」であった
卒業時に手にした成績表で、
優が5、良が10、可が40ぐらいの割合だった
これだけの低空飛行をしながら、
3年終了時には必要単位を満たしており、
留年をしなかった自分をほめてやりたい
さて、
そんなこんなで三年生もおしまい
四月からお世話になる研究室を選ばねばならない
学科配属以降の二年間ほとんど授業に出ていなかったにも関わらず、
というか、
興味がないから授業に出ていなかったのかもしれないけど、
とにかく、
岩石・鉱物・古環境には興味が持てず、
「まぁ面白いかな」と思える研究室は一つしかなかった
それが「3G・地球化学グループ」こと「ガモ・ツノ研究室」だった
2月に行ったツノ先生との面談では、
「オレの授業をとってもいないくせに研究室に来たいとはどういうことだ」
と、
包み隠さない「問題児は来るな」的発言を放たれたが、
そんなことを言われてもしょうがない
だって他のところは絶対イヤなんだもん
その時に何と言ったかは思い出せないが、
まぁとにかく無事、研究室に入れてもらえることになった
ということで、
こんな流れではあったが、
これ以降、
地球化学の道を歩み続けることになったのだった
次回、「3Gでの日々前編」へ続きます
イタイ君の昔話がおもしろいので、
触発されてこちらも昔話を書き始めようと思う
ボクは彼ほどの努力家・勉強家ではないので、
非常に残念な仕上がりになることが期待されるが、
まぁがんばって書いてみよう
大学進学については、
・とりあえず大学に行くことは決まり
・大学は国公立しかダメ(お金ないし)
という家庭の方針で育った
ボクが生まれ育った地域は、
いわゆる富裕層の多いところで、
小学受験・中学受験が非常に盛んであった
一方で我が父は普通のサラリーマンであり、
「お受験」なんてものとは無縁で、
小中高と地元の公立校に進学していた
宝塚市の高校は、市内の高校合格者を校区で割り振るシステム(総合選抜?)で、
兄は比較的進学に力を入れている高校(通称・西高)になったのだが、
姉とボクは残念な方の高校(通称・県宝)になった
県宝では大学進学もままならないと危機感を抱いた母と兄のススメにより、
ボクは高校進学前の春休みから大阪の河合塾に通い始めることになった
(実際、県宝は、勉強に関してはひどいところだった)
高校時代、学校の勉強は適当に流して、
柔道の黒帯取得と、取得後はバイトに明け暮れる毎日だった
高校二年からは全8クラスのうち1クラスしかない理系クラスになり、
男まみれのアホばかりという楽しい毎日を過ごした
高校三年になってバイトをやめ、いよいよ受験勉強に精を出し始めた
(といっても家で勉強することはなく単に河合塾での授業数を増やしただけだった)
この当時はさほど成績も良くなく、
たしか姫工(姫路工業大)でもA判定が出ないような状態だった気がする
この時、
父が東京、兄が京都、姉が愛知、と、
見事に散り散りになっていて、
念願の一人暮らしを達成できる七大学は、
北海道・東北・九州の三校しかなかった
(なぜ七大学にこだわったかは思い出せない)
河合塾で尊敬する化学の大西先生に相談に行ったところ、
「大学の雰囲気は行かなきゃわからない」
と言われ、
とりあえずこの三大学を見学して回ることを決意した
(大西先生の「行かなきゃ」は「入学しなきゃ」の意だったと思うが、
当時は「見学にいってみろ」の意だと感じたのだった。アホだ)
まず手始めに、
4月19日月曜日(だったと思う)に学校を休んで、
日帰りで札幌に行った
はじめての飛行機で、はじめての北海道で、はじめての大学探訪で、
そんな状況で冷静な判断ができるわけない
できるわけないのだが、
だだっぴろいキャンパスと活気ある構内、さらに積雪に興奮して、
「ボクが行くべきは北大だ!」
と、
浮き足だった状態で無根拠に確信したのだった
この無根拠な確信をもって、
ついには「東北と九大はどうでもいい」と考えるようになり、
あとは北大の中でどの学部を選ぶかの問題になった
当時、北大の前期試験は薬学部・農学部・理学部の同時併願が可能であったので、
とりあえず薬学部を第一希望にして受験することにした
ただ、英語と数学が苦手であったので、
これらの比重が大きい前期試験はおそらく無理だろうという予感があり、
実際は化学と生物だけで入れる理学部の後期試験を本命にすえていた
大雪で開始時間の遅れた前期試験(会場理学部)は、
英語と数学の前に為す術もなく敗れ去り、
二科目二時間の受験の為に行った後期試験(会場農学部)では、
両科目満点の手応えを感じ、無事入学を果たすのであった
あぁ、駄文
次回は「大学生活編(研究開始以前)」になると思います
Tweet
触発されてこちらも昔話を書き始めようと思う
ボクは彼ほどの努力家・勉強家ではないので、
非常に残念な仕上がりになることが期待されるが、
まぁがんばって書いてみよう
大学進学については、
・とりあえず大学に行くことは決まり
・大学は国公立しかダメ(お金ないし)
という家庭の方針で育った
ボクが生まれ育った地域は、
いわゆる富裕層の多いところで、
小学受験・中学受験が非常に盛んであった
一方で我が父は普通のサラリーマンであり、
「お受験」なんてものとは無縁で、
小中高と地元の公立校に進学していた
宝塚市の高校は、市内の高校合格者を校区で割り振るシステム(総合選抜?)で、
兄は比較的進学に力を入れている高校(通称・西高)になったのだが、
姉とボクは残念な方の高校(通称・県宝)になった
県宝では大学進学もままならないと危機感を抱いた母と兄のススメにより、
ボクは高校進学前の春休みから大阪の河合塾に通い始めることになった
(実際、県宝は、勉強に関してはひどいところだった)
高校時代、学校の勉強は適当に流して、
柔道の黒帯取得と、取得後はバイトに明け暮れる毎日だった
高校二年からは全8クラスのうち1クラスしかない理系クラスになり、
男まみれのアホばかりという楽しい毎日を過ごした
高校三年になってバイトをやめ、いよいよ受験勉強に精を出し始めた
(といっても家で勉強することはなく単に河合塾での授業数を増やしただけだった)
この当時はさほど成績も良くなく、
たしか姫工(姫路工業大)でもA判定が出ないような状態だった気がする
この時、
父が東京、兄が京都、姉が愛知、と、
見事に散り散りになっていて、
念願の一人暮らしを達成できる七大学は、
北海道・東北・九州の三校しかなかった
(なぜ七大学にこだわったかは思い出せない)
河合塾で尊敬する化学の大西先生に相談に行ったところ、
「大学の雰囲気は行かなきゃわからない」
と言われ、
とりあえずこの三大学を見学して回ることを決意した
(大西先生の「行かなきゃ」は「入学しなきゃ」の意だったと思うが、
当時は「見学にいってみろ」の意だと感じたのだった。アホだ)
まず手始めに、
4月19日月曜日(だったと思う)に学校を休んで、
日帰りで札幌に行った
はじめての飛行機で、はじめての北海道で、はじめての大学探訪で、
そんな状況で冷静な判断ができるわけない
できるわけないのだが、
だだっぴろいキャンパスと活気ある構内、さらに積雪に興奮して、
「ボクが行くべきは北大だ!」
と、
浮き足だった状態で無根拠に確信したのだった
この無根拠な確信をもって、
ついには「東北と九大はどうでもいい」と考えるようになり、
あとは北大の中でどの学部を選ぶかの問題になった
当時、北大の前期試験は薬学部・農学部・理学部の同時併願が可能であったので、
とりあえず薬学部を第一希望にして受験することにした
ただ、英語と数学が苦手であったので、
これらの比重が大きい前期試験はおそらく無理だろうという予感があり、
実際は化学と生物だけで入れる理学部の後期試験を本命にすえていた
大雪で開始時間の遅れた前期試験(会場理学部)は、
英語と数学の前に為す術もなく敗れ去り、
二科目二時間の受験の為に行った後期試験(会場農学部)では、
両科目満点の手応えを感じ、無事入学を果たすのであった
あぁ、駄文
次回は「大学生活編(研究開始以前)」になると思います
メインPCと周辺機器、
本と論文の大半を移転した
ダンボール10個程度
大した量ではないのが悲しい
移転先でPCが立ち上がり、
特に何もない日であれば、
不快な通学に悩まされることもなくなる
うん
いいね
しかしまだ、
「どうでもいいけど、どうしよう」
的な荷物が残されており、
もう一度、車通学の必要がありそう
一方で、
通学は飲み会の日だけにしたい気持ちもあり、
悩ましい
ヨメはネズミの国へ旅立った
今週末は独身だ
Tweet
本と論文の大半を移転した
ダンボール10個程度
大した量ではないのが悲しい
移転先でPCが立ち上がり、
特に何もない日であれば、
不快な通学に悩まされることもなくなる
うん
いいね
しかしまだ、
「どうでもいいけど、どうしよう」
的な荷物が残されており、
もう一度、車通学の必要がありそう
一方で、
通学は飲み会の日だけにしたい気持ちもあり、
悩ましい
ヨメはネズミの国へ旅立った
今週末は独身だ
今年からの企画
自分は一番で発表
・つかみスライドで結婚式写真
・目次スライドに短文
・自分の結果は二枚だけ
・本の紹介
・フォントの紹介
・リハーサル機能に覚えさせて自動スライドめくり
と、
スライドの作りはお祭り仕様にしつつ、
内容については一応サイエンスの話をした
後から聞いた話では、
評価は割れたらしい
まぁそうだろうなぁ
嫌いな人は嫌いだろうから
余計なトコロを削っておけば良かったのかもしれないが、
そこまでして賞を獲れなかったら悲しいので、
「自分への言い訳用に余計なことを入れとく」
という気持ちもあった
小心者
その後、本郷でクルーズミーティング
なんだか雑多に色々と
雨降りもあり、
豚の丸焼きには参加できず所に向かう
帰ってきて終わりの二人半を聞く
オサフネ氏、やはり知的
ただし、お疲れの様子
総括として、
会場は非常にいい雰囲気で、
企画自体は盛り上がった様子
それは非常にいいことだと思うし、
これからもぜひ続けていってほしいと思う
しかし、
やはり、
教員の思惑と、
発表者側の心づもりに、
大きな乖離があったと思う
教員団からは
・交流目的
・お祭りみたいなもの
・賞はおまけ
・決して賞レースではない
・まぁ気楽に
と言われていたが、
これについては解せずにいた
だって、
教員が発表聞いて、
相対評価で点数をつけられるんだったら、
それは「お祭り」じゃないし「気楽」にはできないでしょう
こちらとしては、
・なめられたくない
・でもマジメにやるほどでもない、と言われた中で、マジメにはできない
というジレンマで、
立ち位置が定まらず、
色々と発表の方向性について悩んだわけです
なんせ第一回だからね、空気が読めなかった
終わった後の宴会でヨシザワさんが言った、
・人より長くやってるしね
・カワグチ君には負けたくなかった
・むしろ獲れなかったらどないやねん(要約)
という言葉が印象的
なんとなくわかる気がする
疲れました
Tweet
自分は一番で発表
・つかみスライドで結婚式写真
・目次スライドに短文
・自分の結果は二枚だけ
・本の紹介
・フォントの紹介
・リハーサル機能に覚えさせて自動スライドめくり
と、
スライドの作りはお祭り仕様にしつつ、
内容については一応サイエンスの話をした
後から聞いた話では、
評価は割れたらしい
まぁそうだろうなぁ
嫌いな人は嫌いだろうから
余計なトコロを削っておけば良かったのかもしれないが、
そこまでして賞を獲れなかったら悲しいので、
「自分への言い訳用に余計なことを入れとく」
という気持ちもあった
小心者
その後、本郷でクルーズミーティング
なんだか雑多に色々と
雨降りもあり、
豚の丸焼きには参加できず所に向かう
帰ってきて終わりの二人半を聞く
オサフネ氏、やはり知的
ただし、お疲れの様子
総括として、
会場は非常にいい雰囲気で、
企画自体は盛り上がった様子
それは非常にいいことだと思うし、
これからもぜひ続けていってほしいと思う
しかし、
やはり、
教員の思惑と、
発表者側の心づもりに、
大きな乖離があったと思う
教員団からは
・交流目的
・お祭りみたいなもの
・賞はおまけ
・決して賞レースではない
・まぁ気楽に
と言われていたが、
これについては解せずにいた
だって、
教員が発表聞いて、
相対評価で点数をつけられるんだったら、
それは「お祭り」じゃないし「気楽」にはできないでしょう
こちらとしては、
・なめられたくない
・でもマジメにやるほどでもない、と言われた中で、マジメにはできない
というジレンマで、
立ち位置が定まらず、
色々と発表の方向性について悩んだわけです
なんせ第一回だからね、空気が読めなかった
終わった後の宴会でヨシザワさんが言った、
・人より長くやってるしね
・カワグチ君には負けたくなかった
・むしろ獲れなかったらどないやねん(要約)
という言葉が印象的
なんとなくわかる気がする
疲れました
博士論文を事務に提出しました
あとは不祥事を起こさずに今年度を終えるのみです
製本代は\46000
サイフには今月の小遣い3万円しかなく、
しかもキャッシュカードを明け渡したのでおろすことも出来ない
姉さんにお借りし、
今回は事なきを得たが、
今後もこの調子では大変だ
へそくり用の口座を作り、
そこにバッファー用のスタートアップ資金をもらえるよう交渉してみよう
そうしよう
Tweet
あとは不祥事を起こさずに今年度を終えるのみです
製本代は\46000
サイフには今月の小遣い3万円しかなく、
しかもキャッシュカードを明け渡したのでおろすことも出来ない
姉さんにお借りし、
今回は事なきを得たが、
今後もこの調子では大変だ
へそくり用の口座を作り、
そこにバッファー用のスタートアップ資金をもらえるよう交渉してみよう
そうしよう
西に暮らす同期かつライバルのI君が、
この3月、
ブログで身の上話を連載してくれるようです
今日は第一話
非常におもしろく、
早く第二話が読みたい気分です
と、
挑発してもしょうがないですね
ボクもこの3月は、
なんかこれまでと違うことを書こうかなぁ
身の上話かぁ
書けないことが多すぎるなぁ
Tweet
この3月、
ブログで身の上話を連載してくれるようです
今日は第一話
非常におもしろく、
早く第二話が読みたい気分です
と、
挑発してもしょうがないですね
ボクもこの3月は、
なんかこれまでと違うことを書こうかなぁ
身の上話かぁ
書けないことが多すぎるなぁ