自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
JAMSTECのカワミヤさんのセミナーを拝聴
非常に面白い
とにかく、
地球温暖化予測に関する限り、
もう地球化学の出番はない、
というか、
少なくとも予測モデル屋さんにとっては、
残る必要なデータはコレとコレというのがあって、
それ以外はいらんのだ
地球化学は地球温暖化の方向性に対して、
もはや貢献することはないのだろう
もちろん温暖化が進むことで何かがどうかなる、
ということを地球化学的に調べることはありえると思う
海洋酸性化の話が出ていたが、
あれは、
「温暖化予測に対して地球化学が貢献できることはもうない」
ということになっているけども、
地球化学としても「温暖化マネー」はほしいという状況でひねり出された、
地球化学と温暖化の新たな太い接点ということなんだろう
で、面白かったのが聞いている人の反応
相互関係を持つことを期待している人とそうでない人が明確だった
つまり、
モデル側は「Argoで十分」というスタンスで、
突き詰めれば「地球化学者とやることはございません」なのだ
その状況で地球化学者が「何をやるべきか示してもらわないと」と言っても、
それは「何もないです」で終了、
それ以上のコミュニケーションもコラボレーションもないのだ
で、
隊長と話したのは、
サイエンスにゴールが明確な目標は存在しないということ
そもそも、
サイエンス、
というか、
人が生きる上での唯一無二の原動力は、
未知への好奇心なのだ
だから、
見えているゴールへの道筋をたどる作業は、
サイエンスじゃない
テーマは「清貧」
非常に面白い
とにかく、
地球温暖化予測に関する限り、
もう地球化学の出番はない、
というか、
少なくとも予測モデル屋さんにとっては、
残る必要なデータはコレとコレというのがあって、
それ以外はいらんのだ
地球化学は地球温暖化の方向性に対して、
もはや貢献することはないのだろう
もちろん温暖化が進むことで何かがどうかなる、
ということを地球化学的に調べることはありえると思う
海洋酸性化の話が出ていたが、
あれは、
「温暖化予測に対して地球化学が貢献できることはもうない」
ということになっているけども、
地球化学としても「温暖化マネー」はほしいという状況でひねり出された、
地球化学と温暖化の新たな太い接点ということなんだろう
で、面白かったのが聞いている人の反応
相互関係を持つことを期待している人とそうでない人が明確だった
つまり、
モデル側は「Argoで十分」というスタンスで、
突き詰めれば「地球化学者とやることはございません」なのだ
その状況で地球化学者が「何をやるべきか示してもらわないと」と言っても、
それは「何もないです」で終了、
それ以上のコミュニケーションもコラボレーションもないのだ
で、
隊長と話したのは、
サイエンスにゴールが明確な目標は存在しないということ
そもそも、
サイエンス、
というか、
人が生きる上での唯一無二の原動力は、
未知への好奇心なのだ
だから、
見えているゴールへの道筋をたどる作業は、
サイエンスじゃない
テーマは「清貧」
PR
無事、北大の門をくぐったものの、
とにかく大学に入ることが目的だったため、
大学で何をするかについてはまったく未定であった
(まぁ普通の話ですね)
どこの大学でもあると思われる、
ご存知の通りの新歓活動に巻き込まれているうちに、
水泳をあらためてちゃんとやりたいことを思い出した
幼い頃にスイミングに通ったことはあるものの、
その時はどうしても平泳ぎができず途中で挫折
高校でやろうと思ったが、
愛しのカナちゃんが水泳部におり、
色々と悩みぬいた挙句、入らなかったという経緯があった
(カナちゃんは元気でやっておるのか・・・会いたいねぇ・・・)
ということで、水泳部に入部
そしてゴールデンウィークの合宿を経て、
水泳部教に入信
ここから「正しい体育会系大学生」としての道を歩み始める
大学には毎日いるものの、
部室(北大ではボックスと呼ばれる天上界)に入り浸り、
飲む・食う・泳ぐに明け暮れ、
授業についてはとにかく出席数だけを確保し、
勉強するつもりなんてサラサラない、
という風情であった
そんな一年生の年度末、
計算どおり6単位しか落とさず、
無事進級を勝ち取ったが、
成績不良(114位/116人)のため、
まったく希望しない地球科学科へ配属される
(この頃はまだ、化学科か高分子科で薬学的な仕事をしたい気持ちがあった)
学問的にはまったく希望しない地惑配属であったが、
実験ない・授業少ない・教員やる気ない(?)という三無い状態の地惑科は、
水泳に専念する最高の環境であった
当時の生活を振り返ると、
平日の5日間は、
7時から10時までに2時間強の練習
二限中に栄養補給と睡眠
昼休みに昼食をとり、三限の頭で出席をとったら即退出
14時過ぎから20時頃までスイミングコーチのバイト
その後、同プールでの他大の練習に加わるか、
あるいはジムに移動して筋トレをして、
23時頃就寝が普通だった
土曜は10時以降がミーティング→筋トレ→飲み会で、
日曜は完全オフでひたすら休憩、ずーっと休みっぱなし
そんな一週間だった
余談になるが、
「成績不良っぷり」は「非常に優秀」であった
卒業時に手にした成績表で、
優が5、良が10、可が40ぐらいの割合だった
これだけの低空飛行をしながら、
3年終了時には必要単位を満たしており、
留年をしなかった自分をほめてやりたい
さて、
そんなこんなで三年生もおしまい
四月からお世話になる研究室を選ばねばならない
学科配属以降の二年間ほとんど授業に出ていなかったにも関わらず、
というか、
興味がないから授業に出ていなかったのかもしれないけど、
とにかく、
岩石・鉱物・古環境には興味が持てず、
「まぁ面白いかな」と思える研究室は一つしかなかった
それが「3G・地球化学グループ」こと「ガモ・ツノ研究室」だった
2月に行ったツノ先生との面談では、
「オレの授業をとってもいないくせに研究室に来たいとはどういうことだ」
と、
包み隠さない「問題児は来るな」的発言を放たれたが、
そんなことを言われてもしょうがない
だって他のところは絶対イヤなんだもん
その時に何と言ったかは思い出せないが、
まぁとにかく無事、研究室に入れてもらえることになった
ということで、
こんな流れではあったが、
これ以降、
地球化学の道を歩み続けることになったのだった
次回、「3Gでの日々前編」へ続きます
Tweet
とにかく大学に入ることが目的だったため、
大学で何をするかについてはまったく未定であった
(まぁ普通の話ですね)
どこの大学でもあると思われる、
ご存知の通りの新歓活動に巻き込まれているうちに、
水泳をあらためてちゃんとやりたいことを思い出した
幼い頃にスイミングに通ったことはあるものの、
その時はどうしても平泳ぎができず途中で挫折
高校でやろうと思ったが、
愛しのカナちゃんが水泳部におり、
色々と悩みぬいた挙句、入らなかったという経緯があった
(カナちゃんは元気でやっておるのか・・・会いたいねぇ・・・)
ということで、水泳部に入部
そしてゴールデンウィークの合宿を経て、
水泳部教に入信
ここから「正しい体育会系大学生」としての道を歩み始める
大学には毎日いるものの、
部室(北大ではボックスと呼ばれる天上界)に入り浸り、
飲む・食う・泳ぐに明け暮れ、
授業についてはとにかく出席数だけを確保し、
勉強するつもりなんてサラサラない、
という風情であった
そんな一年生の年度末、
計算どおり6単位しか落とさず、
無事進級を勝ち取ったが、
成績不良(114位/116人)のため、
まったく希望しない地球科学科へ配属される
(この頃はまだ、化学科か高分子科で薬学的な仕事をしたい気持ちがあった)
学問的にはまったく希望しない地惑配属であったが、
実験ない・授業少ない・教員やる気ない(?)という三無い状態の地惑科は、
水泳に専念する最高の環境であった
当時の生活を振り返ると、
平日の5日間は、
7時から10時までに2時間強の練習
二限中に栄養補給と睡眠
昼休みに昼食をとり、三限の頭で出席をとったら即退出
14時過ぎから20時頃までスイミングコーチのバイト
その後、同プールでの他大の練習に加わるか、
あるいはジムに移動して筋トレをして、
23時頃就寝が普通だった
土曜は10時以降がミーティング→筋トレ→飲み会で、
日曜は完全オフでひたすら休憩、ずーっと休みっぱなし
そんな一週間だった
余談になるが、
「成績不良っぷり」は「非常に優秀」であった
卒業時に手にした成績表で、
優が5、良が10、可が40ぐらいの割合だった
これだけの低空飛行をしながら、
3年終了時には必要単位を満たしており、
留年をしなかった自分をほめてやりたい
さて、
そんなこんなで三年生もおしまい
四月からお世話になる研究室を選ばねばならない
学科配属以降の二年間ほとんど授業に出ていなかったにも関わらず、
というか、
興味がないから授業に出ていなかったのかもしれないけど、
とにかく、
岩石・鉱物・古環境には興味が持てず、
「まぁ面白いかな」と思える研究室は一つしかなかった
それが「3G・地球化学グループ」こと「ガモ・ツノ研究室」だった
2月に行ったツノ先生との面談では、
「オレの授業をとってもいないくせに研究室に来たいとはどういうことだ」
と、
包み隠さない「問題児は来るな」的発言を放たれたが、
そんなことを言われてもしょうがない
だって他のところは絶対イヤなんだもん
その時に何と言ったかは思い出せないが、
まぁとにかく無事、研究室に入れてもらえることになった
ということで、
こんな流れではあったが、
これ以降、
地球化学の道を歩み続けることになったのだった
次回、「3Gでの日々前編」へ続きます
イタイ君の昔話がおもしろいので、
触発されてこちらも昔話を書き始めようと思う
ボクは彼ほどの努力家・勉強家ではないので、
非常に残念な仕上がりになることが期待されるが、
まぁがんばって書いてみよう
大学進学については、
・とりあえず大学に行くことは決まり
・大学は国公立しかダメ(お金ないし)
という家庭の方針で育った
ボクが生まれ育った地域は、
いわゆる富裕層の多いところで、
小学受験・中学受験が非常に盛んであった
一方で我が父は普通のサラリーマンであり、
「お受験」なんてものとは無縁で、
小中高と地元の公立校に進学していた
宝塚市の高校は、市内の高校合格者を校区で割り振るシステム(総合選抜?)で、
兄は比較的進学に力を入れている高校(通称・西高)になったのだが、
姉とボクは残念な方の高校(通称・県宝)になった
県宝では大学進学もままならないと危機感を抱いた母と兄のススメにより、
ボクは高校進学前の春休みから大阪の河合塾に通い始めることになった
(実際、県宝は、勉強に関してはひどいところだった)
高校時代、学校の勉強は適当に流して、
柔道の黒帯取得と、取得後はバイトに明け暮れる毎日だった
高校二年からは全8クラスのうち1クラスしかない理系クラスになり、
男まみれのアホばかりという楽しい毎日を過ごした
高校三年になってバイトをやめ、いよいよ受験勉強に精を出し始めた
(といっても家で勉強することはなく単に河合塾での授業数を増やしただけだった)
この当時はさほど成績も良くなく、
たしか姫工(姫路工業大)でもA判定が出ないような状態だった気がする
この時、
父が東京、兄が京都、姉が愛知、と、
見事に散り散りになっていて、
念願の一人暮らしを達成できる七大学は、
北海道・東北・九州の三校しかなかった
(なぜ七大学にこだわったかは思い出せない)
河合塾で尊敬する化学の大西先生に相談に行ったところ、
「大学の雰囲気は行かなきゃわからない」
と言われ、
とりあえずこの三大学を見学して回ることを決意した
(大西先生の「行かなきゃ」は「入学しなきゃ」の意だったと思うが、
当時は「見学にいってみろ」の意だと感じたのだった。アホだ)
まず手始めに、
4月19日月曜日(だったと思う)に学校を休んで、
日帰りで札幌に行った
はじめての飛行機で、はじめての北海道で、はじめての大学探訪で、
そんな状況で冷静な判断ができるわけない
できるわけないのだが、
だだっぴろいキャンパスと活気ある構内、さらに積雪に興奮して、
「ボクが行くべきは北大だ!」
と、
浮き足だった状態で無根拠に確信したのだった
この無根拠な確信をもって、
ついには「東北と九大はどうでもいい」と考えるようになり、
あとは北大の中でどの学部を選ぶかの問題になった
当時、北大の前期試験は薬学部・農学部・理学部の同時併願が可能であったので、
とりあえず薬学部を第一希望にして受験することにした
ただ、英語と数学が苦手であったので、
これらの比重が大きい前期試験はおそらく無理だろうという予感があり、
実際は化学と生物だけで入れる理学部の後期試験を本命にすえていた
大雪で開始時間の遅れた前期試験(会場理学部)は、
英語と数学の前に為す術もなく敗れ去り、
二科目二時間の受験の為に行った後期試験(会場農学部)では、
両科目満点の手応えを感じ、無事入学を果たすのであった
あぁ、駄文
次回は「大学生活編(研究開始以前)」になると思います
Tweet
触発されてこちらも昔話を書き始めようと思う
ボクは彼ほどの努力家・勉強家ではないので、
非常に残念な仕上がりになることが期待されるが、
まぁがんばって書いてみよう
大学進学については、
・とりあえず大学に行くことは決まり
・大学は国公立しかダメ(お金ないし)
という家庭の方針で育った
ボクが生まれ育った地域は、
いわゆる富裕層の多いところで、
小学受験・中学受験が非常に盛んであった
一方で我が父は普通のサラリーマンであり、
「お受験」なんてものとは無縁で、
小中高と地元の公立校に進学していた
宝塚市の高校は、市内の高校合格者を校区で割り振るシステム(総合選抜?)で、
兄は比較的進学に力を入れている高校(通称・西高)になったのだが、
姉とボクは残念な方の高校(通称・県宝)になった
県宝では大学進学もままならないと危機感を抱いた母と兄のススメにより、
ボクは高校進学前の春休みから大阪の河合塾に通い始めることになった
(実際、県宝は、勉強に関してはひどいところだった)
高校時代、学校の勉強は適当に流して、
柔道の黒帯取得と、取得後はバイトに明け暮れる毎日だった
高校二年からは全8クラスのうち1クラスしかない理系クラスになり、
男まみれのアホばかりという楽しい毎日を過ごした
高校三年になってバイトをやめ、いよいよ受験勉強に精を出し始めた
(といっても家で勉強することはなく単に河合塾での授業数を増やしただけだった)
この当時はさほど成績も良くなく、
たしか姫工(姫路工業大)でもA判定が出ないような状態だった気がする
この時、
父が東京、兄が京都、姉が愛知、と、
見事に散り散りになっていて、
念願の一人暮らしを達成できる七大学は、
北海道・東北・九州の三校しかなかった
(なぜ七大学にこだわったかは思い出せない)
河合塾で尊敬する化学の大西先生に相談に行ったところ、
「大学の雰囲気は行かなきゃわからない」
と言われ、
とりあえずこの三大学を見学して回ることを決意した
(大西先生の「行かなきゃ」は「入学しなきゃ」の意だったと思うが、
当時は「見学にいってみろ」の意だと感じたのだった。アホだ)
まず手始めに、
4月19日月曜日(だったと思う)に学校を休んで、
日帰りで札幌に行った
はじめての飛行機で、はじめての北海道で、はじめての大学探訪で、
そんな状況で冷静な判断ができるわけない
できるわけないのだが、
だだっぴろいキャンパスと活気ある構内、さらに積雪に興奮して、
「ボクが行くべきは北大だ!」
と、
浮き足だった状態で無根拠に確信したのだった
この無根拠な確信をもって、
ついには「東北と九大はどうでもいい」と考えるようになり、
あとは北大の中でどの学部を選ぶかの問題になった
当時、北大の前期試験は薬学部・農学部・理学部の同時併願が可能であったので、
とりあえず薬学部を第一希望にして受験することにした
ただ、英語と数学が苦手であったので、
これらの比重が大きい前期試験はおそらく無理だろうという予感があり、
実際は化学と生物だけで入れる理学部の後期試験を本命にすえていた
大雪で開始時間の遅れた前期試験(会場理学部)は、
英語と数学の前に為す術もなく敗れ去り、
二科目二時間の受験の為に行った後期試験(会場農学部)では、
両科目満点の手応えを感じ、無事入学を果たすのであった
あぁ、駄文
次回は「大学生活編(研究開始以前)」になると思います
メインPCと周辺機器、
本と論文の大半を移転した
ダンボール10個程度
大した量ではないのが悲しい
移転先でPCが立ち上がり、
特に何もない日であれば、
不快な通学に悩まされることもなくなる
うん
いいね
しかしまだ、
「どうでもいいけど、どうしよう」
的な荷物が残されており、
もう一度、車通学の必要がありそう
一方で、
通学は飲み会の日だけにしたい気持ちもあり、
悩ましい
ヨメはネズミの国へ旅立った
今週末は独身だ
Tweet
本と論文の大半を移転した
ダンボール10個程度
大した量ではないのが悲しい
移転先でPCが立ち上がり、
特に何もない日であれば、
不快な通学に悩まされることもなくなる
うん
いいね
しかしまだ、
「どうでもいいけど、どうしよう」
的な荷物が残されており、
もう一度、車通学の必要がありそう
一方で、
通学は飲み会の日だけにしたい気持ちもあり、
悩ましい
ヨメはネズミの国へ旅立った
今週末は独身だ
今年からの企画
自分は一番で発表
・つかみスライドで結婚式写真
・目次スライドに短文
・自分の結果は二枚だけ
・本の紹介
・フォントの紹介
・リハーサル機能に覚えさせて自動スライドめくり
と、
スライドの作りはお祭り仕様にしつつ、
内容については一応サイエンスの話をした
後から聞いた話では、
評価は割れたらしい
まぁそうだろうなぁ
嫌いな人は嫌いだろうから
余計なトコロを削っておけば良かったのかもしれないが、
そこまでして賞を獲れなかったら悲しいので、
「自分への言い訳用に余計なことを入れとく」
という気持ちもあった
小心者
その後、本郷でクルーズミーティング
なんだか雑多に色々と
雨降りもあり、
豚の丸焼きには参加できず所に向かう
帰ってきて終わりの二人半を聞く
オサフネ氏、やはり知的
ただし、お疲れの様子
総括として、
会場は非常にいい雰囲気で、
企画自体は盛り上がった様子
それは非常にいいことだと思うし、
これからもぜひ続けていってほしいと思う
しかし、
やはり、
教員の思惑と、
発表者側の心づもりに、
大きな乖離があったと思う
教員団からは
・交流目的
・お祭りみたいなもの
・賞はおまけ
・決して賞レースではない
・まぁ気楽に
と言われていたが、
これについては解せずにいた
だって、
教員が発表聞いて、
相対評価で点数をつけられるんだったら、
それは「お祭り」じゃないし「気楽」にはできないでしょう
こちらとしては、
・なめられたくない
・でもマジメにやるほどでもない、と言われた中で、マジメにはできない
というジレンマで、
立ち位置が定まらず、
色々と発表の方向性について悩んだわけです
なんせ第一回だからね、空気が読めなかった
終わった後の宴会でヨシザワさんが言った、
・人より長くやってるしね
・カワグチ君には負けたくなかった
・むしろ獲れなかったらどないやねん(要約)
という言葉が印象的
なんとなくわかる気がする
疲れました
Tweet
自分は一番で発表
・つかみスライドで結婚式写真
・目次スライドに短文
・自分の結果は二枚だけ
・本の紹介
・フォントの紹介
・リハーサル機能に覚えさせて自動スライドめくり
と、
スライドの作りはお祭り仕様にしつつ、
内容については一応サイエンスの話をした
後から聞いた話では、
評価は割れたらしい
まぁそうだろうなぁ
嫌いな人は嫌いだろうから
余計なトコロを削っておけば良かったのかもしれないが、
そこまでして賞を獲れなかったら悲しいので、
「自分への言い訳用に余計なことを入れとく」
という気持ちもあった
小心者
その後、本郷でクルーズミーティング
なんだか雑多に色々と
雨降りもあり、
豚の丸焼きには参加できず所に向かう
帰ってきて終わりの二人半を聞く
オサフネ氏、やはり知的
ただし、お疲れの様子
総括として、
会場は非常にいい雰囲気で、
企画自体は盛り上がった様子
それは非常にいいことだと思うし、
これからもぜひ続けていってほしいと思う
しかし、
やはり、
教員の思惑と、
発表者側の心づもりに、
大きな乖離があったと思う
教員団からは
・交流目的
・お祭りみたいなもの
・賞はおまけ
・決して賞レースではない
・まぁ気楽に
と言われていたが、
これについては解せずにいた
だって、
教員が発表聞いて、
相対評価で点数をつけられるんだったら、
それは「お祭り」じゃないし「気楽」にはできないでしょう
こちらとしては、
・なめられたくない
・でもマジメにやるほどでもない、と言われた中で、マジメにはできない
というジレンマで、
立ち位置が定まらず、
色々と発表の方向性について悩んだわけです
なんせ第一回だからね、空気が読めなかった
終わった後の宴会でヨシザワさんが言った、
・人より長くやってるしね
・カワグチ君には負けたくなかった
・むしろ獲れなかったらどないやねん(要約)
という言葉が印象的
なんとなくわかる気がする
疲れました
博士論文を事務に提出しました
あとは不祥事を起こさずに今年度を終えるのみです
製本代は\46000
サイフには今月の小遣い3万円しかなく、
しかもキャッシュカードを明け渡したのでおろすことも出来ない
姉さんにお借りし、
今回は事なきを得たが、
今後もこの調子では大変だ
へそくり用の口座を作り、
そこにバッファー用のスタートアップ資金をもらえるよう交渉してみよう
そうしよう
Tweet
あとは不祥事を起こさずに今年度を終えるのみです
製本代は\46000
サイフには今月の小遣い3万円しかなく、
しかもキャッシュカードを明け渡したのでおろすことも出来ない
姉さんにお借りし、
今回は事なきを得たが、
今後もこの調子では大変だ
へそくり用の口座を作り、
そこにバッファー用のスタートアップ資金をもらえるよう交渉してみよう
そうしよう
西に暮らす同期かつライバルのI君が、
この3月、
ブログで身の上話を連載してくれるようです
今日は第一話
非常におもしろく、
早く第二話が読みたい気分です
と、
挑発してもしょうがないですね
ボクもこの3月は、
なんかこれまでと違うことを書こうかなぁ
身の上話かぁ
書けないことが多すぎるなぁ
Tweet
この3月、
ブログで身の上話を連載してくれるようです
今日は第一話
非常におもしろく、
早く第二話が読みたい気分です
と、
挑発してもしょうがないですね
ボクもこの3月は、
なんかこれまでと違うことを書こうかなぁ
身の上話かぁ
書けないことが多すぎるなぁ
生活のリズムが生まれません
ようやく通学にもなれ始めたところですが、
なんと明日で定期が切れる模様
どうしよっかな
考えてみれば、
ボクは札幌・中野・横須賀と生活拠点を移しても、
延々と連続した世界で一定のリズムで生活していて、
そういう意味で非常に楽な生活をしている
一方のヨメは、
中野・滋賀・横須賀と、
そのたびに属するコミュニティーをリセットし、
リズムを再構築する状態で、
非常な労力を要しているのだろう
うーん
申し訳ない
で、
そんなヨメがこの度、
仕事をはじめることになりそうで、
ダンナとして、
理解を示し、
大いにサポートしていきたいと思ったわけです
ここを読んでいる若手地球化学者の皆さん
下記、該当する人は投稿をお願いします
会長からのお願いです
• 博士論文抄録
過去5年に遡り提出された博士論文の抄録(1ページ)を掲載します。会員による地球化学に関連した博士論文と判断されれば、審査は行いません。書式は最近公表された抄録にならって下さい。
Tweet
ようやく通学にもなれ始めたところですが、
なんと明日で定期が切れる模様
どうしよっかな
考えてみれば、
ボクは札幌・中野・横須賀と生活拠点を移しても、
延々と連続した世界で一定のリズムで生活していて、
そういう意味で非常に楽な生活をしている
一方のヨメは、
中野・滋賀・横須賀と、
そのたびに属するコミュニティーをリセットし、
リズムを再構築する状態で、
非常な労力を要しているのだろう
うーん
申し訳ない
で、
そんなヨメがこの度、
仕事をはじめることになりそうで、
ダンナとして、
理解を示し、
大いにサポートしていきたいと思ったわけです
ここを読んでいる若手地球化学者の皆さん
下記、該当する人は投稿をお願いします
会長からのお願いです
• 博士論文抄録
過去5年に遡り提出された博士論文の抄録(1ページ)を掲載します。会員による地球化学に関連した博士論文と判断されれば、審査は行いません。書式は最近公表された抄録にならって下さい。
あらためて、
家が遠いです
通学疲れる・・・・
直接本郷に通学
とある件で別刷りを運ぶ
その後、シオ様と色々
絶対カレンカシオッチのとこに行くべき!!
コウチャロウとピリピリ麺食べて直後にサッカー
気持ち悪い
午後はアブストとか、
お礼とか、
案内とか
帰路も混んでてもう辟易
生活のリズムがつかめないので、
不定期更新&中身無しになっていますが、
落ち着いたら卒業・就職・結婚など、
院生らしい想いをしたためようと思っています
Tweet
家が遠いです
通学疲れる・・・・
直接本郷に通学
とある件で別刷りを運ぶ
その後、シオ様と色々
絶対カレンカシオッチのとこに行くべき!!
コウチャロウとピリピリ麺食べて直後にサッカー
気持ち悪い
午後はアブストとか、
お礼とか、
案内とか
帰路も混んでてもう辟易
生活のリズムがつかめないので、
不定期更新&中身無しになっていますが、
落ち着いたら卒業・就職・結婚など、
院生らしい想いをしたためようと思っています
木曜からおさぼりして、
実家に帰らせていただいています
昨夜は高校時代の同級生たちと、
いつもの魚民でダラダラと過ごしました
みんなあいかわらずで、
うれしいね
うれしいことといえば、
先ほど、
●洋研●開発●構から、
PD研究員採用の通知がきました
やったね
今日金曜に上記の通知をいただき、
明日土曜は結婚式です
自分の
ボクは、
真っ当な表街道を歩いてこなかった日陰者だと自分では思っているので、
尊敬する人から評価されたり、
愛する仲間から祝われたり、
ボクという存在を求められたり、
そういうことが多い最近の自分に、
なかなか心がついていけません
自分の性格的なものとしての、
物や他人への愛情の薄さとか、
他人への厳しさとか、
そういうものは社会不適合だと自分で感じています
実際に、
属するコミュニティーで、
いわゆる主流派の人達と仲違いをすることが多かったですし、
そのせいか、
他人の目に対して、
臆病というか、
疑念を抱いてしまったりしています
こんな自分が社会に出て、
家庭を持つことで、
またこれまでのように、
誰かを傷つけたり、
コミュニティーに軋轢を生んだり、
そういうことをしてしまうのではないかと考えると、
明るいはずである新たな門出を、
素直に喜べず、
卑屈になり、
そっぽを向いて逃げ出したくなります
とはいえ、
色んな人と出会い、
色んな経験を経て、
ボク自身が、
変化をしていることは間違いないわけです
それがいわゆる成長なのかどうかはわからないけども、
でも、
これからは、
自分に責任と自信を持って、
周りの人々に愛を表明して、
生きていければ良いな、
そんな風に思います
明日は、
飲んだくれます!!
Tweet
実家に帰らせていただいています
昨夜は高校時代の同級生たちと、
いつもの魚民でダラダラと過ごしました
みんなあいかわらずで、
うれしいね
うれしいことといえば、
先ほど、
●洋研●開発●構から、
PD研究員採用の通知がきました
やったね
今日金曜に上記の通知をいただき、
明日土曜は結婚式です
自分の
ボクは、
真っ当な表街道を歩いてこなかった日陰者だと自分では思っているので、
尊敬する人から評価されたり、
愛する仲間から祝われたり、
ボクという存在を求められたり、
そういうことが多い最近の自分に、
なかなか心がついていけません
自分の性格的なものとしての、
物や他人への愛情の薄さとか、
他人への厳しさとか、
そういうものは社会不適合だと自分で感じています
実際に、
属するコミュニティーで、
いわゆる主流派の人達と仲違いをすることが多かったですし、
そのせいか、
他人の目に対して、
臆病というか、
疑念を抱いてしまったりしています
こんな自分が社会に出て、
家庭を持つことで、
またこれまでのように、
誰かを傷つけたり、
コミュニティーに軋轢を生んだり、
そういうことをしてしまうのではないかと考えると、
明るいはずである新たな門出を、
素直に喜べず、
卑屈になり、
そっぽを向いて逃げ出したくなります
とはいえ、
色んな人と出会い、
色んな経験を経て、
ボク自身が、
変化をしていることは間違いないわけです
それがいわゆる成長なのかどうかはわからないけども、
でも、
これからは、
自分に責任と自信を持って、
周りの人々に愛を表明して、
生きていければ良いな、
そんな風に思います
明日は、
飲んだくれます!!