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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ボクは研究では無いところに強い関心があって、
それを達成するためにプロ研究者をやっているから、
「(やりたい研究をしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではないが、
「(やりたいコトをしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではある
手段としてのプロ

研究者が論文を書くのは、
表現なのか自己表現なのか
表現と自己表現は違う

「せっかくドクターを取ったんだから」って、
一見すごくもっともらしいけど、何の理由にもなってないよね
残虐な回答

研究者は職業的専門家であるから不断の自己批判が必要ということになる
また、
研究内容のみならず、
いや、
むしろ研究者個人についてこそ、
専門的知見・職業的規範に対する厳しい直接的な相互批判が必要ということだろう
社会的共通資本としての研究(者)

アメリカ滞在中に、いわゆるテクニシャンと触れたが、
彼らは完全に月-金の9-17しか働かないで余暇を満喫しているし、
自分の得意な作業をすることで周囲から尊敬を集めているし、
先端の研究に携わっているというプライドみたいなものを帯びていた
そういう生き方も、
学位取得者の生き方として、
ありっちゃありだな、と
ターニングポイント

「研究をあきらめること」と「人生をあきらめること」は全く違うということ
あと、
「人生には研究以外にも、まだ見ぬステキなことがたくさんある」ということ
理科・科学・研究

今の科学はあまりにも細分化し過ぎていて,
今の科学の先端を行こうとすると,
あまりに多くのことから目をそらさなければならない。
そんな行為が,本当の意味で,
人類の役に立つとは,到底思えないのです。
知識人としての科学者を目指す

研究者の場合は、
誰も引導を渡してくれないので、
引き際は自分で決めなければならない
研究者の引き際

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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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