自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
論文の著者になることは、名誉あることだ。
自らの名の下に、人類発展の歩を進める。
人類史に(ほんのわずかではあるが)その名を刻む。
そういうことだ。
最近、身近なところでオーサーシップに関するアレコレが多発している。
いわく、原稿は主著者のものであり共著者は口出しするべきでない。
いわく、このデータが無ければ論文の価値がないから共著者とする。
いわく、人事審査を控えているから著者に加えてほしい。
いわく、共著者が増えても誰も損しないんだけら入れておけばいい。
業績の数値化や、それに基づく人事評価など、社会要因が原因でもある。
論文が世に出るなら、著者は何だってかまわないかもしれない。
しかし、それでも、最後の砦は各人の判断にある。
論文執筆を主導し最初に共著者への声かけをする側の考え方であり、
同時に、共著者となることの打診を受けた側の考え方でもある。
考え方といっても、ルールがないわけではない。
雑誌によっては著者資格が明文化されている。
もちろん明文化されていない雑誌もある。
その場合は、ルールというかモラルとして、著者側で考えるべきことだろう。
学術誌側の著者に関する規程については、amedの資料が詳しい(文末 *1)。
とてもよくまとまっていて、一読の価値がある。
しかし「無断転載禁止」とやたら主張しているので、紹介に留める。
ここでは同じ題材を扱った以下の、
「倫理的なオーサーシップとは:ジャーナル編集者からのアドバイス」
という記事から引用して話を進める。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
国際医学編集者会議(ICMJE)はオーサーシップ(著者資格)について、以下の4つの基準をすべて満たす必要があると定義しています:
1:研究の構想やデザイン、あるいは研究データの取得・分析・解釈に相当の貢献をした
2:重要な知見となる部分を起草した、あるいはそれに対して重要な修正を行なった
3:出版前の原稿に最終的な承認を与えた
4:研究のあらゆる側面に責任を負い、論文の正確性や整合性に疑義が生じた際は適切に調査し解決することに同意した
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
著者資格についての4つの基準とあるが、『資格』2条件と『責任』2条件と言える。
つまり、資格条件2つを満たしている者に『著者となる資格』が生じ、
有資格者のうち『著者として論文に責任を負う』ものが著者となる、ということだ。
これら4つの基準を「すべて」満たして、はじめて著者となる。
ここがとても大事で「いずれか」ではなく「すべて」なのだ。
資格1「相当の貢献」基準。
「この人がいなけりゃ出せないresultsに貢献」ぐらいのことでしょう。
大抵の場合、資格1を満たす時点で「共著の声がけ」をしているかと思う。
しかしこれは「すべて」満たすべき4基準のうちの、1つにすぎない。
資格2「重要な知見の起草」基準。
「discussionに効果的に貢献」ぐらいのイメージ。
この基準は、とりわけ日本では軽く見られているように感じる。
イジワルに読めば「パトロン&ラボテク排除条項」にも読める。
責任1「最終的承認」基準。
「自分の知見がこの原稿に利用されることへの許諾」とか、そんなイメージ。
著者に入った以上は「データを使われた」「アイデアをパクられた」と言うなよ。
責任2「連帯責任」基準。
「不正に気付いたら自己申告することに同意」とか、そんなイメージ。
また「著者に入っている以上は"不正は知らなかった"じゃ済みませんよ」とか。
こうやって見ると「4基準をすべて満たした」と言うには、結構な覚悟がいる。
自分が共著者になる場合だけではない。
主著者として共著の声がけをするのも、かなり覚悟がいる。
自分が共著に加えたAさんの話がデマだったら、共著者Bさんに連帯責任が生じる。
AさんとBさんには直接の面識がなく、主著者たる自分だけが共通の知人。
Bさんからしたら、自分のせいで、とんだ迷惑に巻き込まれるということだ。
(もちろん共著を引き受けたBさんにも相応の責任はあるが、それはそれとして)
自分自身は、小保方事件以降、かなり気を付けている。
ヨソからくる共著の話はほとんど断っているし、
主著者として共著者を増やすことにもかなり慎重になっている。
しかし身の回りを眺めると「大山鳴動して鼠一匹」といった具合で、
あいかわらず「著者が増えてもあなたは損しないんだからさ」なのである。
*1: 著者の資格・権利・責任と盗用: 医学・生命科学系国際学術誌の投稿規定
<教材提供>
AMED 支援「国際誌プロジェクト」提供
無断転載を禁じます
https://www.amed.go.jp/content/000048638.pdf
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自らの名の下に、人類発展の歩を進める。
人類史に(ほんのわずかではあるが)その名を刻む。
そういうことだ。
最近、身近なところでオーサーシップに関するアレコレが多発している。
いわく、原稿は主著者のものであり共著者は口出しするべきでない。
いわく、このデータが無ければ論文の価値がないから共著者とする。
いわく、人事審査を控えているから著者に加えてほしい。
いわく、共著者が増えても誰も損しないんだけら入れておけばいい。
業績の数値化や、それに基づく人事評価など、社会要因が原因でもある。
論文が世に出るなら、著者は何だってかまわないかもしれない。
しかし、それでも、最後の砦は各人の判断にある。
論文執筆を主導し最初に共著者への声かけをする側の考え方であり、
同時に、共著者となることの打診を受けた側の考え方でもある。
考え方といっても、ルールがないわけではない。
雑誌によっては著者資格が明文化されている。
もちろん明文化されていない雑誌もある。
その場合は、ルールというかモラルとして、著者側で考えるべきことだろう。
学術誌側の著者に関する規程については、amedの資料が詳しい(文末 *1)。
とてもよくまとまっていて、一読の価値がある。
しかし「無断転載禁止」とやたら主張しているので、紹介に留める。
ここでは同じ題材を扱った以下の、
「倫理的なオーサーシップとは:ジャーナル編集者からのアドバイス」
という記事から引用して話を進める。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
国際医学編集者会議(ICMJE)はオーサーシップ(著者資格)について、以下の4つの基準をすべて満たす必要があると定義しています:
1:研究の構想やデザイン、あるいは研究データの取得・分析・解釈に相当の貢献をした
2:重要な知見となる部分を起草した、あるいはそれに対して重要な修正を行なった
3:出版前の原稿に最終的な承認を与えた
4:研究のあらゆる側面に責任を負い、論文の正確性や整合性に疑義が生じた際は適切に調査し解決することに同意した
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
著者資格についての4つの基準とあるが、『資格』2条件と『責任』2条件と言える。
つまり、資格条件2つを満たしている者に『著者となる資格』が生じ、
有資格者のうち『著者として論文に責任を負う』ものが著者となる、ということだ。
これら4つの基準を「すべて」満たして、はじめて著者となる。
ここがとても大事で「いずれか」ではなく「すべて」なのだ。
資格1「相当の貢献」基準。
「この人がいなけりゃ出せないresultsに貢献」ぐらいのことでしょう。
大抵の場合、資格1を満たす時点で「共著の声がけ」をしているかと思う。
しかしこれは「すべて」満たすべき4基準のうちの、1つにすぎない。
資格2「重要な知見の起草」基準。
「discussionに効果的に貢献」ぐらいのイメージ。
この基準は、とりわけ日本では軽く見られているように感じる。
イジワルに読めば「パトロン&ラボテク排除条項」にも読める。
責任1「最終的承認」基準。
「自分の知見がこの原稿に利用されることへの許諾」とか、そんなイメージ。
著者に入った以上は「データを使われた」「アイデアをパクられた」と言うなよ。
責任2「連帯責任」基準。
「不正に気付いたら自己申告することに同意」とか、そんなイメージ。
また「著者に入っている以上は"不正は知らなかった"じゃ済みませんよ」とか。
こうやって見ると「4基準をすべて満たした」と言うには、結構な覚悟がいる。
自分が共著者になる場合だけではない。
主著者として共著の声がけをするのも、かなり覚悟がいる。
自分が共著に加えたAさんの話がデマだったら、共著者Bさんに連帯責任が生じる。
AさんとBさんには直接の面識がなく、主著者たる自分だけが共通の知人。
Bさんからしたら、自分のせいで、とんだ迷惑に巻き込まれるということだ。
(もちろん共著を引き受けたBさんにも相応の責任はあるが、それはそれとして)
自分自身は、小保方事件以降、かなり気を付けている。
ヨソからくる共著の話はほとんど断っているし、
主著者として共著者を増やすことにもかなり慎重になっている。
しかし身の回りを眺めると「大山鳴動して鼠一匹」といった具合で、
あいかわらず「著者が増えてもあなたは損しないんだからさ」なのである。
*1: 著者の資格・権利・責任と盗用: 医学・生命科学系国際学術誌の投稿規定
<教材提供>
AMED 支援「国際誌プロジェクト」提供
無断転載を禁じます
https://www.amed.go.jp/content/000048638.pdf
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