自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
文科省の課長職にあるらしいkuronuma ichiroさんが、科博のクラウドファンディングに関する大学関係者の声を冷笑的に取り上げたとして、炎上した。
この業界で生きていると、大学関係者による文科省非難はよく聞く。
でも、たぶん、ほとんどが印象論だろう。
なんせ普通に大学教員をしていたら、文科省と直接対峙する機会は極めて限定的だろうからだ。
ボクは日本学術会議の若手アカデミーとかいうけったいな組織のメンバーをしている関係で、役所の人々と直接対峙することがある。
日本学術会議あるいはその若手アカデミーのメンバーとして会う時は、基本的には非常に尊重されるというか、有識者として丁寧に扱われがちである。
一方で、本職も非大学の組織で、そちらの仕事でもヒラ社員として役所の人々と話をする機会がある。
こちらの場合は、基本的には低い立場にあるような具合で、ちょっと違った扱いになる感じがする。
一応そんな両面を見ているという自負、というか単に経験だが、そんなものがある人である。
役所側との仕事をしていると、直接に顔を合わせて(含オンライン会議)話をするのと、それを受けて取り扱う書類にある文面と、その両方に触れる。
そうすると「おぉ。あの話は、文書ではこのように書かれるのか」と驚くことがある。
驚くことがあるというか、毎回。毎回驚く。
それで思うのだ。
「これ、先に話を聞いてるからわかるけど、文書だけ読まされたら、どこがキモかわからんな」と。
そしてここに、文科省と大学の対立構図の根源があるんじゃないか。
だからこそ、ここに両者を融和するヒントがあるんじゃないか、と考えるのだ。
ここって、どこよ。
SNSで文科省ヘイトを叫ぶ大学関係者が多くいる。
おそらく「文科省から言われた」という執行部が繰り出す施策に振り回された経験があるのだろう。
文科省発出の文書そのものに触れる機会もあるのかもしれないが、たぶん文書を見ている人も、ごく少数に限られると思う。
そこは大学で働いたことがないからわからないけど、これはなんとなくそうだと思う。
つまり、多くの大学関係者にとって、「文科省」というのは、執行部の方針を介して、あるいは書類の字面を通して垣間見える、虚像でしかない、はず。
一方の文科省。
なぜ大学に謎施策の遂行を迫っているのだろうか。
あるいは、本当に文科省は、謎施策を迫っているのか。
謎施策を迫っているというのは(おそらく)事実とは異なる。
たぶん文科省は「大体こんな感じの、何か新しいことをしたらどうか」と言っている、はずだ。
つまり、多くの大学関係者が思っているほど限定的な要求ではなく、良くも悪くもフワッとした大枠の要求なのだろう。
そう考えるのは、いろんな活動で直接対峙した経験として、そんな感じで物事が進んでいるのを眺めたからだ。
本題からは外れるが、もし文科省がかなり狭い範囲に絞った謎施策をはじめたとしたら、それは『有識者(その多くは大学関係者)』の誰かが、その強烈な思想によって要求したと考えるのが妥当だ。
具体的にどの案件とは言わない。
近年新たにはじめられた、失敗としか言いようのない事業群は、そういう案件だと思う。
ここまで書いてなかったけど、根本的に、文科省は大学を敵視しているわけではない。
むしろとても応援している。
応援しているがゆえに、大学に辛辣になることも多い。
万年下位球団の熱烈なファン・サポーターのようなものだ。
「お前ら、気持ち見せろよ!」
「勝つ気あんのかよ!」
「監督解任!」
「助っ人外国人ガチャしかねえな!」
〜〜〜
文科省「(学術界の窮状をなんとかせねば)有識者会議さん、何か妙案はないの?」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策A!」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策B!」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策C!」
文科省「(なんかピンとこねぇけど)大学さん、施策ABCの感じでよろしく」
大学側「(何それ?意味不明じゃない?)は、はい。じゃあやりますわ」
〜〜〜
文科省「(学術界の窮状をなんとかせねば)大学さん、何か妙案はないの?」
大学側「(何それ、何を求められてるの?まずは普通に)こんな感じで、どうすか?」
文科省「(なんかピンとこねぇな)うーん、そういうことじゃないんだよね」
大学側「(え?普通じゃダメなんか)じゃあコッチは、どうすか?」
文科省「(なんかわからんけど)まぁそれで良いのでは。その方向で数値目標たてて」
大学側「(この数値目標意味あるか?)は、はい。じゃあ作りますわ」
〜〜〜
有識者は、変化球。
大学側は、当てにいくスイング。
文科省は、OB会やオーナーにおもねった対応に終始。
そんなプロ野球に、未来はあるのかい?
「今日集まっている子供たち野球はいいもんだぞ、野球は楽しいぞ」
何の話をしているのだ。
結局、どうやって対立構図を克服するかとなれば、極論すれば、三者それぞれが真っ当な態度を貫くしかない。
有識者は、既存の見解との違いを作るべく「あえて言えば」とか「強いて挙げるなら」みたいな変化球案を出すのでなく、本質的問題を繰り返し指摘すべきだ。この球を打たれたなら実力負けよと、火の玉ストレートをド真ん中に投げ込むべし。
大学側は、真に自分達が信じる道を歩むことを頑として譲らない。当てにいくスイングではなく、常にスタンドに向かって虹をかけんという気概で振るべし。
文科省は、施策の実行主体である大学こそ尊重し、施策に責任を持たない有識者を尊重しすぎない。OB会やオーナーの声が大きく、その意向におもねった対応をして負け続ける球団の屍を超えていけ。
しかしまぁそれぞれjapanese慣習的な意味での立場もあって、言いたいことも言えないだろう。
疑心暗鬼にもなるだろう。
それでも、そうであればこそ、直接対峙する機会は、十分に持ちたい。
非公式設定として「あの書類、ぶっちゃけ何を言いたいの?アレが出来た経緯って?」という話が出来るだけでも、随分と見通しが違ってくるだろう。
そんな時に、今回の炎上のような『役人仕草』を繰り出すのは止めましょう。
証拠と論理に基づいてクリアな議論をしたい学者達の言語体系と、役人仕草は、とても食い合わせが悪い。
ある意味では個人事業主として言いたいことが言える学者と、大きな看板から独立してモノが言えるわけではない役人とでは、たとえSNSといえども、課される制約も違うでしょうから、そこはある程度は汲んであげたい。
あと。
大学関係者の口癖であるところの「給料安い」「忙しい」「国を背負った仕事をしてるのに」は、官僚にも通じるのよ。
文科省の中を見たら、驚くほど少ない人数で、驚くほど多方面の仕事をサバいてる。
そりゃ質も落ちる罠、と。
公務員叩きをしている大学関係者も多いけど、叩けば叩くほど質が落ちて、跳ね返ってくるぞ。
たとえば両者でその境遇(不遇)を感傷的に共有することで、乗り越えられる壁がある、かもしれない。
学術界は若手の時に熾烈な生存競争が行われる(もう過去形だけど)が、テニュアを取ればアガリのようなものだ。
一方、役人は定年に至るまで延々ジリジリと道が狭まっていく状況に置かれるので、ある意味で大学関係者よりもツラい職業である、かもしれない。
結論はいつも同じ。
天に星。(目指すべき大目標を真っ直ぐに見据えよう)
地に花。(置かれた現状を受け止め出来ることをやろう)
人に愛。(人には愛を持って接しましょう)
Tweet
この業界で生きていると、大学関係者による文科省非難はよく聞く。
でも、たぶん、ほとんどが印象論だろう。
なんせ普通に大学教員をしていたら、文科省と直接対峙する機会は極めて限定的だろうからだ。
ボクは日本学術会議の若手アカデミーとかいうけったいな組織のメンバーをしている関係で、役所の人々と直接対峙することがある。
日本学術会議あるいはその若手アカデミーのメンバーとして会う時は、基本的には非常に尊重されるというか、有識者として丁寧に扱われがちである。
一方で、本職も非大学の組織で、そちらの仕事でもヒラ社員として役所の人々と話をする機会がある。
こちらの場合は、基本的には低い立場にあるような具合で、ちょっと違った扱いになる感じがする。
一応そんな両面を見ているという自負、というか単に経験だが、そんなものがある人である。
役所側との仕事をしていると、直接に顔を合わせて(含オンライン会議)話をするのと、それを受けて取り扱う書類にある文面と、その両方に触れる。
そうすると「おぉ。あの話は、文書ではこのように書かれるのか」と驚くことがある。
驚くことがあるというか、毎回。毎回驚く。
それで思うのだ。
「これ、先に話を聞いてるからわかるけど、文書だけ読まされたら、どこがキモかわからんな」と。
そしてここに、文科省と大学の対立構図の根源があるんじゃないか。
だからこそ、ここに両者を融和するヒントがあるんじゃないか、と考えるのだ。
ここって、どこよ。
SNSで文科省ヘイトを叫ぶ大学関係者が多くいる。
おそらく「文科省から言われた」という執行部が繰り出す施策に振り回された経験があるのだろう。
文科省発出の文書そのものに触れる機会もあるのかもしれないが、たぶん文書を見ている人も、ごく少数に限られると思う。
そこは大学で働いたことがないからわからないけど、これはなんとなくそうだと思う。
つまり、多くの大学関係者にとって、「文科省」というのは、執行部の方針を介して、あるいは書類の字面を通して垣間見える、虚像でしかない、はず。
一方の文科省。
なぜ大学に謎施策の遂行を迫っているのだろうか。
あるいは、本当に文科省は、謎施策を迫っているのか。
謎施策を迫っているというのは(おそらく)事実とは異なる。
たぶん文科省は「大体こんな感じの、何か新しいことをしたらどうか」と言っている、はずだ。
つまり、多くの大学関係者が思っているほど限定的な要求ではなく、良くも悪くもフワッとした大枠の要求なのだろう。
そう考えるのは、いろんな活動で直接対峙した経験として、そんな感じで物事が進んでいるのを眺めたからだ。
本題からは外れるが、もし文科省がかなり狭い範囲に絞った謎施策をはじめたとしたら、それは『有識者(その多くは大学関係者)』の誰かが、その強烈な思想によって要求したと考えるのが妥当だ。
具体的にどの案件とは言わない。
近年新たにはじめられた、失敗としか言いようのない事業群は、そういう案件だと思う。
ここまで書いてなかったけど、根本的に、文科省は大学を敵視しているわけではない。
むしろとても応援している。
応援しているがゆえに、大学に辛辣になることも多い。
万年下位球団の熱烈なファン・サポーターのようなものだ。
「お前ら、気持ち見せろよ!」
「勝つ気あんのかよ!」
「監督解任!」
「助っ人外国人ガチャしかねえな!」
〜〜〜
文科省「(学術界の窮状をなんとかせねば)有識者会議さん、何か妙案はないの?」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策A!」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策B!」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策C!」
文科省「(なんかピンとこねぇけど)大学さん、施策ABCの感じでよろしく」
大学側「(何それ?意味不明じゃない?)は、はい。じゃあやりますわ」
〜〜〜
文科省「(学術界の窮状をなんとかせねば)大学さん、何か妙案はないの?」
大学側「(何それ、何を求められてるの?まずは普通に)こんな感じで、どうすか?」
文科省「(なんかピンとこねぇな)うーん、そういうことじゃないんだよね」
大学側「(え?普通じゃダメなんか)じゃあコッチは、どうすか?」
文科省「(なんかわからんけど)まぁそれで良いのでは。その方向で数値目標たてて」
大学側「(この数値目標意味あるか?)は、はい。じゃあ作りますわ」
〜〜〜
有識者は、変化球。
大学側は、当てにいくスイング。
文科省は、OB会やオーナーにおもねった対応に終始。
そんなプロ野球に、未来はあるのかい?
「今日集まっている子供たち野球はいいもんだぞ、野球は楽しいぞ」
何の話をしているのだ。
結局、どうやって対立構図を克服するかとなれば、極論すれば、三者それぞれが真っ当な態度を貫くしかない。
有識者は、既存の見解との違いを作るべく「あえて言えば」とか「強いて挙げるなら」みたいな変化球案を出すのでなく、本質的問題を繰り返し指摘すべきだ。この球を打たれたなら実力負けよと、火の玉ストレートをド真ん中に投げ込むべし。
大学側は、真に自分達が信じる道を歩むことを頑として譲らない。当てにいくスイングではなく、常にスタンドに向かって虹をかけんという気概で振るべし。
文科省は、施策の実行主体である大学こそ尊重し、施策に責任を持たない有識者を尊重しすぎない。OB会やオーナーの声が大きく、その意向におもねった対応をして負け続ける球団の屍を超えていけ。
しかしまぁそれぞれjapanese慣習的な意味での立場もあって、言いたいことも言えないだろう。
疑心暗鬼にもなるだろう。
それでも、そうであればこそ、直接対峙する機会は、十分に持ちたい。
非公式設定として「あの書類、ぶっちゃけ何を言いたいの?アレが出来た経緯って?」という話が出来るだけでも、随分と見通しが違ってくるだろう。
そんな時に、今回の炎上のような『役人仕草』を繰り出すのは止めましょう。
証拠と論理に基づいてクリアな議論をしたい学者達の言語体系と、役人仕草は、とても食い合わせが悪い。
ある意味では個人事業主として言いたいことが言える学者と、大きな看板から独立してモノが言えるわけではない役人とでは、たとえSNSといえども、課される制約も違うでしょうから、そこはある程度は汲んであげたい。
あと。
大学関係者の口癖であるところの「給料安い」「忙しい」「国を背負った仕事をしてるのに」は、官僚にも通じるのよ。
文科省の中を見たら、驚くほど少ない人数で、驚くほど多方面の仕事をサバいてる。
そりゃ質も落ちる罠、と。
公務員叩きをしている大学関係者も多いけど、叩けば叩くほど質が落ちて、跳ね返ってくるぞ。
たとえば両者でその境遇(不遇)を感傷的に共有することで、乗り越えられる壁がある、かもしれない。
学術界は若手の時に熾烈な生存競争が行われる(もう過去形だけど)が、テニュアを取ればアガリのようなものだ。
一方、役人は定年に至るまで延々ジリジリと道が狭まっていく状況に置かれるので、ある意味で大学関係者よりもツラい職業である、かもしれない。
結論はいつも同じ。
天に星。(目指すべき大目標を真っ直ぐに見据えよう)
地に花。(置かれた現状を受け止め出来ることをやろう)
人に愛。(人には愛を持って接しましょう)
PR