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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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しかし研究指導が失敗する類型というのは確実にある。
それは避けねばならん。

弊社には国際ポスドク制度というのがある。
年々名前が変わっている気がするが、制度としては変わっていない。
分野を問わず、何でも良いから、弊社で研究をしたいポスドクを公募する。
毎年6名ぐらい採用枠がある。
任期は3年間、公募にかかる書類はすべて英語、というもの。
1次が書類審査、2次が全職員参加可能な公開セミナー。
それなりに妥当なメンバーが選出されているように思う。

「好きなことをやっていい」
「ファシリティは自由に使っていい」
そういう呼びかけをしている。これは非常に魅力的である。
しかし現実には、うまく回っていない。

既存の職員は「国際ポスドクは(便宜上の所属はあるが)自由独立である」と言われている。
これを真に受けて「余計なことは言わないよう」に接する。
そもそもシャイなので、そんな態度をとろうとすると、まったく会話が発生しない。

何も知らないところにポンと放り込まれて、誰に何を聞けば良いかもわからない。
そんな状態に置かれる国際ポスドク達。

教育や指導の要諦は「待つ」「引き出す」と言われている。
しかし間違えてはいけない。
「待つ」というのは「何もしない」ではない。
「引き出す」というのは「引っ張りだす」ではない。
安全安心な場を作って、適当に刺激を加えて、「待つ」のだ。

そうすると、研究指導の要諦は「便宜を図る」ことなのかもしれない。

必要十分な水準を想定して情報と素材と機会を紹介する。
ハードルの低い投書箱として存在しておく。
適当なタイミングで飴(と鞭)を差し出す。

そんなことを考えている。
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我が意を得たりのツイートに出会った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
白石忠志 @ShiraishiJP
今の自分の専門も大事にしたいのですが、自分の興味関心を再定義して10年後くらいには全く違う分野に詳しい人になっていたいとも思うのです。
午前0:29 · 2021年2月22日
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ここ数年で、この再定義というのを終えた感触がある。
具体的な契機はないのかもしれないが、スイスに行って帰ってきてから、かな。
教員公募で不採用だったことがトリガーになっている気もする。

これまで「メタンを中心とした同位体地球化学で生態系構造を解読する」みたいなテーマで研究を進めてきていた。
博士論文のテーマでもあり、定義するでもなく自分の研究として定着していた。
今もこれは続けているし、たぶんこれからも(後継者が育つまでは)続けることになると思う。
でも、もう自分の興味関心の中心は、ここにはない。

自分の興味関心というと、ちょっとそぐわないかもしれない。
正確には、自分が為すべき(成すべき?)こと、みたいな概念だ。
これは明確に定義できている。
メタンの地球化学という時代からすれば、これは再定義と言えるだろう。

『自身に備わった深海(底)生態系に関する知見と調査経験』を活用し、
『人類の深海利用拡張と環境影響評価の統合プロジェクト』を牽引することだ。

鉱床養殖も、深海CCSも、サウンドスケープも、ポストイベント調査も、古典海洋調査も。
全部をまるっと引き受ける意味づけをした枠組みを作って、それを駆動させる。
そういうマネージャー的な仕事を第一義の仕事に据えて動く。
その上で、1人のプレイヤーとして、欠けている機能を補うために動く。
サウンドスケープ観測だったり、メタンの地球化学だったり。
ここでは、マネージャーたる自分が主で、プレイヤーたる自分は従。
マネージャー的立場からしたら、使い勝手の良いプレイヤーである。
そして、ここまでをベースに進めておきながら、最後の一線でピリッとした研究者であるために、新奇な開発にも取り組む。

再定義は、こんな感じで終わっている。
しかし重要なことは、元ツイートの「全く違う分野に詳しくなる」の部分。
広範な分野を俯瞰するのは得意だけども、やっぱり何かガッと詳しい分野を作りたい。
それには勉強をせねば。
出世しかない。以上。

住宅ローンを見たりすると、はよ返したいなぁと思うわけだが、
同業の友人が「夜は株を触って、これまで数百万の利益になっている」とか、
同僚でも「奥さんがずっとフルタイムなので正直金は余っている」とか、
そういうこと言うわけですよ。
焦るわけです。

でも、じゃあ株とか投資をやるかとなると、絶対に向いてない。
ずっとソワソワしちゃう。
副業もそう。そっちが気になって仕方がないはず。
給料爆増を目指して転職活動すれば、金銭的にはワンチャンあるかもしれん。
しかし日常の環境として、今の職業以外は考えられない。

そうなると、結局、出世して給料を上積みしていくしかない。
じゃあどうやって出世するんだというと、自分から出来ることはない。
上から評価されての出世しかないと思うと、なんのことはない、仕事を進めるしかないのだ。
仕事がんばるしかない。

つまんない結論だけども。
ラボで教員と院生にトラブルが起こった。
これはどうやら教員側に明確な非がある。
そんな場合でも、院生には「解決」にむけた「打ち手がない」。

以下、順を追って考えるべきなのだろうが、まだ生煮えなので、順不同かもしれない。

まず「教員によるハラスメントである」という認定を受けにくい問題。
各機関に「ハラスメント相談室」が設置されるようになった。
聞き及ぶ範囲では、相談室そのものは、よく機能しているらしい。
一方で、相談室に行くハードルは高いままである。
メイルにしても、足を運ぶにしても、心理的な障壁は大きい。
「相談した」ということが漏洩したら怖い、と考えるのも無理はない。
また、大学院のラボ環境は専門ごとにかなりの違いがあり、説明が難しい。
ハラスメントの状況を説明するにも、背景から延々と話すのは面倒で、理解してもらえるか不安である。
相談に至るまでに、そんなハードルがある。

相談できたとして、相談室が信用のできるものかは、正直わからない。
部局の教員が相談員を兼ねていたりすると、守秘義務などガバガバかもしれない。
そうすると、怖くて相談はできない。

相談して、秘密が守られた上で、「あなたのケースはハラスメントと言えます」と認定されたとする。
しかし、相談者の多くは「コトを大きくしたくない」から、外部に公表することがためらわれる。

「コトを大きくしたくない」から、教員への罰を求めない場合もあるだろう。
ワタシが状況から救われれば、それでかまわない。
ワタシと教員の相性の問題であり、教員に罰を与えることは期待しない。
罰によって、結果的にワタシが教員を傷つけることになるのは、ワタシにとって負担である。
しかし、第三者に認定されたことで、気が楽になる効果はあるかもしれないが、実質的には何も変わらない。
当該教員(同僚にも読み替え可)にも、加害者かもしれませんよ、という情報すらいかないかもしれない。

教員から避難するため、同じ部局の中でラボを変えることもありえる。
しかし、同部局には関係者が大勢いるので、明らかに不自然で、噂はすぐに広まるだろう。
被害者であるワタシが移籍をせねばならんのも解せない。

部局を超えて移籍をする可能性もある。
別の部局で似たような研究をしているラボがある場合もある。
しかし、学籍の問題があり、学内といえど、移籍の手続きは容易ではないだろう。
大学を変えるのは、本当に大変だ。
地方大であれば、引越など生活環境の大幅な変更も不可避だ。
私的な出費もかさむし、そこまで築き上げた生活基盤もメチャクチャになる。
費用が補償されるとしても、割に合わない。
そもそもワタシは被害者だ。

仮に当該教員に制裁が下るとする。
しかしワタシは、ラボ同僚は好きなので、ラボ同僚が困るのは本意ではない。
あるいは、ラボで進めている研究には意義を感じているので、進捗を止めたくない。
ワタシは、当該教員だけを抜きにしてこのラボで研究を続けたい、ということもあるだろう。
当該教員にだけ罰が下れば良いが、それはなかなか難しい。
当該教員が逆上したら、ラボ環境も悪化するだろう。


と、こんな具合。
ボクが考える範囲では、どの分岐を辿っても、ツラい。
まず自分に、当該ハラスメント以外の不利益が発生する。
さらに、第三者への影響がデカい。

論点?は大きくわけて2つ。
加害者の処分に解決の意義があるか(第三者の不利益を度外視しても被害者を救済できるのか)
被害者が報われる解決の道筋があるか(学術的・金銭的なサポートを誰がどうやって負うのか)

もちろんハラスメントが無くなれば良いけど、それはまだまだ先だろう。
いま発生してしまう被害者の救済を、的確に行う道筋は見つけておきたい。
学術的な部分を考慮すると、学会の出番という気もするが。
いま同僚が書いている論文が面白い。
海洋観測データを、海洋観測データとしてではなく、単にデータとして扱って、クラスター分けしたりして、いじくった後で、あらためて海洋観測データとして見直す。
そうすると、今までとは違った景色が浮かび上がる。
これぞ「データ・セントリック・サイエンス」ですよ。

ちょっと前に、某教授から聞いた話。
「まったく地質学の知識がない人に、何も言わずデータをわたして処理させる」
「それが海底地形データとわかるか。わからなかった場合、どんな結果としてまとめるのか」
とか、大体そんな話。
これも「データ・セントリック・サイエンス」ですよ。

化学分析とかセンシングとかだと、取得項目が限られるから、こうはならない。
元々が某大なデータの塊じゃないと、「単にデータとして」扱えない。
「ビッグデータのサイエンス」とか「データ・セントリック・サイエンス」とか、
そういうことがしたいなら、そういう対象じゃないと、遊べない。

海洋観測だと、あとはなにかな。アルゴ?
東京五輪開催をめぐるアレコレを見ていると、それぞれの立場にそれぞれの視点があるもんだなと感じる。

誰かが「とてもバカ」であることは、あまりない。
それぞれの立場で、視点が違うのだ。
ここで面倒なのは「声の大きさはそれぞれの視点に等しく分配されて"いない"」ことだ。
関係者全体を見渡した時に、とても声の大きな人が、特定の視点から喋っていることがある。
それがゆえに、特定の集団にとっての局所最適が、全体の方針に採用されてしまう。

とはいえ、それ自体は、ある意味では、仕方が無い。
全体を完璧に見渡して、調和の取れた最適解を導き出すのは、事実上不可能と言っていいほど困難だ。

問題は、声の大きな人がコロコロ変わる、あるいは同じぐらい大きな人が複数いる場合だ。
この場合、それぞれの局所最適に向けた綱引きがはじまる。
それぞれの局所最適には辿り着けず、妥協を探りはじめる。
結果として「全体の調和」とは違った「局所最適同士の調和」に向かっていく。

「局所最適同士の調和」というのは、とても歪なものだ。
最終産物だけを見ると「どうしてこうなった」は、わからないだろう。

天然環境であれば、放っておけば一定の秩序に従って全体が振る舞う。
そこに「全体の調和」がある。
それを探ることが、ボクの研究である深海の科学である。

しかし、人間社会は、なかなかそういうことにはならない。
それは「局所最適同士の調和」だからだ。
そんな人間社会を理解しようとするのは、深海の科学よりも困難で、だからこそ、面白い。
自分でラボを運営したことはない。
所属した大学院のラボも2つしかない。
しかしそれなりの研究キャリアになってきて、少しの良い例とたくさんの悪い例を見てきた。
なんとなく「これは必要」「これはやっちゃダメ」というのが感じられる。
良い例というのは、多くの(マトモな)研究者が飛び立っていることに加えて、途中で辞めていく人が少ないこと、ぐらいで定義できるかもしれない。

まず一番重要なことは『会話の頻度』。
これは間違いない。
鶏と卵みたいだけども、何気ない会話を教員からでも学生からでも出来る関係が大事。
たぶん、最初は教員が喋りまくって、学生の障壁を取り除くのだと思う。
「お茶の時間」みたいな設定があると良いかもしれない。
ラボ選びの段階で、お喋り教員のところにお喋り学生が集まるのかもしれないけど。
会話が多いことには、とてもたくさんのメリットがある。
お互いに知りたいことをすぐに聞けるというのは、不安や不満の解消に必須だ。
お互いにお願いしたいことをスッと言えるというのは、円滑な進捗に必須だ。
これは教員と学生に限らず、学生と学生の関係でも見逃せない。
そしてそういう会話の往復の中で、もっとも重要な部分が共有されていく。
言い回しであったり、避けるべき話題であったり、哲学であったり。
友達としての会話ではなく、同門としての会話が出来るようになる。

次に大事なことは『読み書きの体系的な訓練(指導)』。
読んで書くことは、研究者に限らず、多様な職業で必須な技術だ。
母語での読み書きは「できる」と思っていても、そこには質の問題がある。
日常生活を何不自由なく過ごせたとしても、職業的な文を書けるかどうかとは別問題だ。
そしてそれは、そういう文を読み、ソレが日常の言葉とは別物であると知ることからはじまる。
読み書きは個人の内面から表出するものだから、個々人で習得するしかない。
一般論はこの通りであり、大筋で言えば「読め、そして書け」と指導するほかない。
しかし、それでは指導していないのと変わらないだろう。
「読むこと」ではなく「読み方」を指導する。
そして「読めている」かを判定し、「なぜ読めていないか」を指導する。
「書くこと」ではなく「書き方」を指導する。
そして「書けている」かを判定し、「なぜ書けていないか」を指導する。
個人の内面の表出である文章を、尊厳を傷つけすぎないように指導することは、難しい。
ここのところを属人的にしないため、体系的な指導が必要となる。
日常的な会話が出来る関係性も、これを支える重要な基盤である。
(だから会話の頻度の方が大事だと考えるのだ)

第三には『結果を求めすぎない』だろう。
実験指導が充実しているラボは多い。
素晴らしい結果を出し、素晴らしい学会発表をしている学生が多数いるラボがいくつかある。
一見すると、素晴らしい教育が行われているように思える。
しかし、それが卒業生の成長に繋がっているとは思えないケースが多い。
それはたぶん、ラボ生活の大半が実験に費やされることが要因だろう。
会話や読み書きの熟達よりも、実験技術の精緻さや素早さの鍛錬を重視するラボは多い。
良い結果が早く出ることは、競争的学術界を思うと、一面で正しいかもしれない。
たしかに奨学金の免除や学振の採否など、早期に業績があることが望ましい結果に結びつく部分はある。
しかしそれは、はたして大学院教育が目指す学生の成長において、それほど重要なのだろうか。
経済的不安が致命的であることは認識しても、それを解消することを第一義におくのは違うだろう。

「会話の頻度」「読み書きの体系的指導」「結果を求めすぎない」は同時に実現するだろうか。
そんなに難しくなさそうではある。
いつかくる日までに、この辺りを整理して身につけておきたい。
とてもとても近い分野の論文の査読をしている。
MIT閥とCaltech閥がドンパチやっている(主にCaltech軍が攻撃的)ところ。
ボクはCaltech閥の議論がいつも納得いかなくて、査読でも不満な点をメチャクチャ書く。
しかし英語が拙いことが99%、先方のはぐらかし戦術が1%ぐらいで、全然対応されない。

今回はセカンドラウンドが回ってきて、MIT閥からのコメントも読めた。
言い回しはジェントルだけど、結構なビーンボールも投げ込んでいる。
ちなみにボクが納得いかないと思う点と同じ箇所を強く突いている。

このネタについては、2大派閥(+1)で査読しあっている。
なので、議論がハイコンテクスト。
狭い分野ではあるけども、ここが世界の最先端だ、というのがビンビン感じられる。
緊張感がとてもある。

で。

ボクは自分の周囲に、このネタについて、この水準で議論できる相手がいない。
一方、MITにもCaltechにも、教授とポスドクと院生と、複数人はいる模様。
これが「レベルの高いラボ」になれるかどうかの分水嶺なんじゃないかな。

ボクは、年1回程度、査読を通じて議論をするだけで、あとは自分でウンウン唸っている。
彼らは、週1回ぐらいは、ラボメンと議論できる。
無いものねだりではあるんだけど、やっぱり無いものは欲しい。

ほしい。
来年度の学会開催をどうするかという会議。
オンラインとオンサイトで、それぞれメリットデメリットがある、というのは当然のことで。
そんなことは当たり前すぎて、今さら語ることでもない。
しかし運営にかかる労力コストは、あまり大きくは語られない。
さらに、運営方針が途中で変わることで生じる労力コストとか、
ギリギリまで判断を延ばすことで、その間に『ヤキモキする精神的コスト』とか、
そういう部分が見落とされているんじゃないかと。

COVIDの推移なんて誰にもわからない。
とはいえ緊急事態宣言の3月上旬までの延長がほぼ決まっている以上、5月までは低めで推移するだろう。
そんな5月に9月のことを判断するというのは、かなり難易度の高い判断になる。


今日から乗船する船は、装備的には何でも出来る。
装備的には何でも出来るのだが、運航開始からの5年間で、それぞれの装備の使用実績があがっていない。
それはまぁ当然で、たくさん装備があるから、それぞれにかけられる時間が足りない。
使用実績は、現場作業員の『練度』に大きく関わってくる。
しんかいやかいこうのように、製作から自前であれば「ネジの1本まで」理解できているから、
練度の向上は、運用を開始すれば比較的早いことが期待できる。

しかし洋物輸入品では、そうはいかない。
使用頻度の低い機能に初期不良があっても、それは温存されてしまう。
仕様書が英語だということもあるし、現場作業員の理解が及びにくい。
『練度』は、トラブル頻度のみならず、毎日の作業のちょっとした部分に要する時間にも効いてくる。

現場の人間が悪いのではない。
練度が上げられないような多種多様の装備品を同時に用意して渡すという、判断の問題だ。
「何でも出来る装備を渡した。出来ないのは現場の問題」と思っているなら、大間違い。
全部やらなきゃいけない状況が、どれだけの負担になるか。
現場の責任者は、見るからに疲弊している。
顔の見えない位置にいる人には、現場の疲弊は、わからないだろうけどね。
集中講義から戻った翌週月曜、一息つこうというところで、1日に4件もプレゼン案件が舞い込む。
「チャンスのドアにはドアノブがない。誘いは断らないこと」と学生に檄を飛ばした手前、引き受けるしかないでしょう。

これを機に、スライドのフォーマットを修正し、色バリアフリーと全体の見やすさ向上に取り組む。
マイナーチェンジだけども。

鉱床養殖の話はもうすっかり離れているので概論だけ。一瞬でできた。
親会社(カイチカ)向けの話は新作。結構時間かかりそう。
異分野融合のヤツは、日本人セミナーのヤツをイジればすぐに出来そう。
某大の定期セミナーは、ネタに困るので、どうしたもんか。

来年度は航海が続くので、この2-3月は執筆にあてる予定だったのだが、そんなうまくいくわけない。
プロフィール
HN:
kawagucci
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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