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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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今日、長子である1号が10歳になった。
そんなタイミングで、悩める若手研究者の様子を見た。
10年前、1号が生まれた頃、自分にはどんな悩みがあっただろうか。
2009年3月に学位取得して、2010年の12月。

まず将来不安といえば、研究者としてのポストの問題があった。
当時は科研費雇用の任期付ポスドク。
決して安定してはいなかった。
でもまぁこの部分については、深刻に考えていなかったかもしれない。
この辺りは、今になって思うと、だけどもね。
当時は同世代の中でも抜きん出た業績があったし、職場も良かったし。

自分の研究がツマらないテーマだなぁと思って陰鬱になることの方が深刻だった。
D3の学振PD申請と、続く若手スタートアップが連続して不採択で、迷走していた。
熱水の研究はやっていたけど、だからなんやねん、という思いが消えなかった。
1号が生まれる直前には7週間の米国留学をした。
しかし英語の会話も億劫だし、前のめりに色々学びたい欲もなく、居室に籠もっていた。
「あぁ、自分は世界に通用する研究者じゃないんだな」とか思ってた。
この頃の不安は、いつ頃から解消していったんだろうか。
2011年に地震プルームと培養システマチクスをやって、見通しが立ってきたのかな。

イチ個人としては、夫婦関係が深刻に悪かった。これが一番しんどかった。
特に結婚後、妊娠するまでの1年間。
自分の研究がうまくいかないことでしんどいのに、家に帰るとベタベタと依存される。
とにかくそれが鬱陶しくて、出来るだけ家にいないようにした。
家にいる時も、話しかけられないように読書に勤しんだ。
そうして関係はさらに悪化していった。
妊娠発覚によって、関心が子供に向いたようで、幾分かはラクになった。
しかしその後、2号が生まれた後にまた依存され悪化し、距離を置くため単身赴任にした。

自分のことはさておき、日本社会やべーな、という思いはあった。
社会とか人間とか教育あたりのテーマの本を乱読していた。
もう全然ちゃんと覚えてないけど、色々と思い悩んでいたはずだ。

単身赴任を解消して一緒に住むことを決断したのは"日本社会ヤベー"の思いからだった。
ヨメ氏も義実家も、世間的には全然普通で、とりたてて悪いところがあるわけじゃない。
むしろすごく良い人達ですらある。
でもそれはつまり、世の中の『クソじゃっぷ』な考え方に染まりきっているということ。
そこの部分が、ガマンできなかった。
「良かれと思って」なんだろうが、ボクにとっては悪いパターナリズムで、不愉快に感じる。

なにより『クソじゃっぷ』な価値観に、自分の子供達が染められるのが、耐えられなかった。
これからの時代を生きる子供達に、『クソじゃっぷ』な価値観の教育をしちゃマズいだろう。
この価値観に染まって育ち、沈みゆく日本で大人になったら、地獄を見るだろう、と。
だからスイスに1年間連れて行ったのだった。
(2015年に構想して、2016年に連れ出している)

いかん。
10年前を思い出そうとしても、5年前までは一繋ぎで思い出されてしまう。

今日はここまで。
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体重がついに82kgに到達した。普通に暮らしていて77kgだったので、これはもう減量をはじめねばならない水準だ。実際、動いていても身体が重くキレがない。なお身長は公称で173cmである。

3月航海から続いての新コ症生活で、飲酒量増大かつ運動量激減のため、予想できたことではある。この最中も、もっと戦略的に体重をコントロールしても良かった。しかし子供達と暮らしていると、なかなかそうも出来ない。

もっとも大きな理由は、耳年増になっている子供達を「細身=良いこと」「食事制限=美容」「ダイエット=善行」というジャパニーズ勘違いに染めたくないからだ。ボクはの体重は肥満水準で、ここから標準体重に戻すことを目的として食事制限をしようと考えているわけだ。しかしボクの口から「ダイエットのために食事制限をする」と言ってしまうと、ただでさえ厳格な父親が意を決して取り組むことだから、子供達には「ダイエット=すべきこと」と刷り込まれてしまいかねない。

ここまで「ダイエットしたい」と言い出したキッズに「たくさん食べてたくさん動くことが良いこと」と言ってきた手前、言行不一致は避けたい。もちろん、こういう理屈をしっかりと説明して納得させることの方が望ましい対処ではあるのだが、納得がえられるとは思えない。少女マンガを読むようになり、バレエコミュニティと触れあっていると、どうしても細身絶対主義に引きずられてしまうから、ただでさえカウンターを当て続けねばならない状況なのだ。

さて、どうなるか。

当面の目標は、2ヶ月で5kg減。7月末で77kgに戻す。
2018年の9月に透明球有人潜水船の視察のため、米国の超富豪が所有する豪華クルーザーに乗って2日間を過ごす機会があった。超富豪の所有物を見て、色々と思うところがあって、それが転じて鬱々とした状態になってしまっている。そのことを書き連ねようと思っている。

超富豪のクルーザーは2隻あって、1隻はレジャー用で、もう1隻は宿泊用。レジャー用のクルーザーには、海遊びに使うものなら何でもあった。ボード、ジェットスキー、スキューバセット、そして透明球潜水船。クルーザーを運用するための乗組員も10名程度いて、海からあがるとふわふわのタオルをファサって肩にかけられたり、揺れてるボートから移るときにはガシッと手を握ってくれたりなど、高級ホテルの従業員に劣らない丁寧な接遇だった。レジャー船にはキッチンがあって、シェフはオーナーがレストランで食事をした時に気に入って引き抜いたとかで、ベーグルにベーコンや卵焼きがつく朝食や、バーベキューコンロで肉を焼いたハンバーガーランチなど、典型的なアメリカの食事なんだけども抜群においしかった。宿泊用クルーザーはシャワールームが総大理石だったり、最上階に露天ジャグジーとバーカウンターがあったり、これまた船とは思えないスーパーラグジュアリーだった。さらにネットで調べると、バハマに島を所有していて、城のような住居と、クルーザーを数十隻は止められそうな波止場と、小型機用の滑走路と十数機は収められそうな駐機場があった。

と、超富豪の生活を垣間見て「とんでもねぇな!」と驚き続けて帰ってきた興奮が冷めた頃に、ちょっと違う感慨が襲ってきた。よくよく考えてみれば、富豪の生活や遊び方は、別にぜんぜん特別じゃなくて、ボクの生きている世界と地続きで、本質的には何も変わらないんだなって、そんな考えに至った。美味しいものを食べる時はちょっと良い店に行くとか、本州の梅雨から逃げて北海道に行くとか、ヒッチハイクや18切符よりも新幹線の方が快適とか。超富豪の暮らしってのはそういうものの極端事例でしかなくって、結局は自分が『何かやりたい』って思った時に、それをどれだけ苦労せず実現できるかっていう部分の違いでしかないんだなって。

それに気付いて、じゃあなんで鬱々とした状態になってしまうのかというと、つまり、結局のところ重要なのは自分が『何かやりたい』って思うかどうかで、それがボクにとってはすごく難しいってことを、あらためて思い知らされたからだ。



話は変わるけど、箸が転んでもおかしいって表現されるような心持ちがある。心持ちのことを言った表現ではないけども、つまり箸が転んでもおかしいと思える人がそこには存在しているということだと思う。別にそんな極端なことじゃなくても、日々の暮らしの中で、なんか面白いことがあって、なんとなく「あぁ楽しいなぁ」って思いながら過ごすことってのは、きっと多くの人にあるのだと思う。それがボクにはない。

楽しいって自ら実感することって、毎日あるんですかね?毎週あるんですかね?ちょっと想像できない。思わず吹き出してしまって笑うとか、そんな日常的に起こっているのだろうか。ボクの場合、日常の中でのポジティブな感情ってのは、何か考えて納得した時とか、新しいことを知った時とか、大体がそういう時に限られていて、それってのは直接的に感情にくるってよりは、考察した結果として感情に落ちてくるものなので、頭でっかちな感情だ。さらにそれですら、自ら率先して何か新しいことを考えようとか、知りたいとか、そういう好奇心みたいなモノに動かされているわけではなくて、大体が仕事とか生活の中で必要だから考えたり調べたりした結果として抱く感慨なのだ。

飲み会なんかでみんなが楽しそうに話している時、場合によっては自分もその会話の輪に入っているのだけども、そんな時でも、どこか別の場所からその(自分も含めた)場を眺めているような気分で過ごしている。だからその場が楽しいということもわかるし、自分もどこかポジティブな感情になっていることはなっているのだけども、その輪の全体が共有している楽しさとはまた別のところに感情があるような、そういう場所に自分を置いているような気がする。自分のネガティブな感情は自分のこととして引き受けているのに、ポジティブな感情は他人事、みたいな。ちょっと違うけど。



『何かやりたい』って動機を起点にして、自分の行動で自分にポジティブな感情を引き起こす。そういうのって、みんな普通にやってることなのかな?その起点になる感情がなければ、どれだけ富豪であっても、楽しさってのは別に大したことがない。お金があれば不愉快なことから逃げられるっていう考えは強く持っているけども。内発的動機付けがうまく構築されていないんだな。

で、そんな自分が、自分の考えに基づいて子供と接していると、子供もそうなってしまうんじゃないかとか思って、でも子供と一緒に過ごすことは避けられないから、その圧迫感もあって、さらに鬱々としてしまうのだ。
引っ越しをせねばならない。

引っ越さねばならない。

書き出しとしてどっちの方が良いか悩んでしまった。申請書脳である。まぁどっちでも良い。つまり引っ越しをする必要が生じたということだ。それも、なんと年度内に。

弊社(ときどき「社」じゃないとのツッコミをいただくが面倒なので「社」と呼んでいる)では、いわゆる借り上げ社宅制度が運用されている。賃貸物件を会社が借り上げて従業員(たとえばワタクシ)の住居として提供する、という体裁の仕組みである。それがどれぐらいの補助額なのかは、たぶん書くと怒られるので書かないけど、簡単に言えば「かなり助かっている」状況にある。この制度があるから、さしあたっての選択肢は賃貸物件に限られていたのだが、ここにきて状況が変わってきた。オープンなソースで示すと『「独立行政法人の職員宿舎の見直しに関する実施計画」の実施状況について』ということであり、弊社の方針(?)を簡単にまとめると『借り上げ社宅はヤメにして一般の住宅手当にします』ということのようだ。住宅手当であれば、賃貸のみならず購入も視野に入ってくる。同僚達もざわめき、特に転職の可能性が極めて低い事務職や、腰を据えるつもりの研究職・技術職などは、物件あさりをはじめている。ボクは弊社に骨を埋めるつもりはないのだけど、さりとて出て行く予定があるわけでもなく、労働市場が圧倒的に大きな首都圏へのアクセスも悪くない現職の居住範囲に物件を購入してしまっても良いかな、という状況ではある。

というように背景が変わりつつある状況にあって、一方で家庭の状況がある。2号が来春に小学校に入る学齢なのである。この4月を今の家で迎えると、1号と同じ地区の町立小学校に入ることになる。この学校に対して特別な不満があるわけではないのだが、1号の様子を見ていると、いわゆる「日本の小学校」で、様々なところで「あれ?」と思うことがある(表現が難しいですけども慣習依存的というか前時代的というか・・・)。とはいえ、これは1号の小学校が特別というわけではなく、たぶんどこの街の小学校でも似たようなものなのだと思われ、どうしたものかと頭を悩ませていた。何が悩ましいかといえば(ボクがそういうものが好きではないというのが一番なのだけど)、2号の特徴からして学校にうまく適合しないだろうなというのが想像できてしまうことだ。それで悩みつつネットで調べたりするうちに、比較的近所に国立の小学校があることを知った。ボクの育った街(ヅカ)の近くには『イケフ(大阪教育大学附属池田小学校)』があって、同じ幼稚園だった友達が進学していったこともあり馴染みもあり、選択肢としてはアリなのかな、という思いがムクムクしてきた。それで地元民に下調べをしたところ「あそこの生徒は総じて押しが強い」などのさして役に立たない情報などをえて、悪くない選択肢なのではないかと思い始めた(なお2号は現時点でも押しの強さが難点であるぐらい押しが強いタイプ)。受験は設定されているけども基本的には抽選で決まるということのようで、事前準備なしのダメ元で受けてみようかとなり、いそいそと受験説明会などに参加し(そこで同僚とバッタリ出くわすなどのハプニングもあり)、先日合格通知を受け取ったところである。やったね。ただこの学校の「難点」は、校区が指定されていることで、在学中は指定校区内に住んでいなければならない。そして今のウチは、校区外なのだ。つまり、3月末日までに、引っ越しをせねばならない。しかも説明会では「3月末日までに」としか聞かされていなかったが蓋を開けると「実質1月中には」みたいな話になっていて、風雲急を告げるたけし城なのである。すでに11月も半ばやぞ。

購入だと期日までには間に合わないので、賃貸しか選択肢がなくなった。さらに「2号の校区」と「1号の地元小学校の質(噂)や学童など」と「自分の通勤」との兼ね合いからすると、必然的に「あの辺り」しかないといった具合で、物件を探す区域も決まってしまっている。12月の中旬以降は海外出張〜乃木坂連発〜年末年始なので、12月初旬までに決めてしまうしかない。おそらく吟味している余裕はなく(こんな時期に1ヶ月の間に新しい物件が出てくるとは思えない)、今ある物件の中でベターなものを選ぶしかない。はたして。

賃貸物件を探して不動産サイトを巡回する。どこも同じような情報しか載せてない。いずれも一長一短であり、「短」の部分が致命的なので選択肢になりえない。たとえば駅から徒歩15分とか、地元小学校の校区的にアレだとか。

住居選択の肝となる要素はいくつかあるのだけれども、その中の(一番?)大きなものは「地元の公立の校区」である。居住エリアごとに住民のカテゴリが明確に異なる国こと宝塚で育ったわが実体験からして、これは間違いなく重要だ。宝塚の場合は武庫川からの距離に合わせて帯状に分布する住民カテゴリのようなものが存在していて、川沿いの(オブラートに包むなら)人口密度の高い住宅街から、山にそびえる(超がつくほどの)高級住宅街、という具合になっていた。住民層のため地元coopの駐車場は外車ばかりという謎地域であった。とにかく、簡単に言えば、荒れている地域は避けたい。そこで先住民達への聞き込みから、Z小学校は良い、N小学校はアレ、という噂を聞き(これの真偽は不明だけども町並みを見る限り間違ってはいなさそう)、Z小学校の校区に居住することを決めた。これは1号がいくことになるであろう小学校。なおイニシャルに意味はない。

次に「駅からの距離」である。これは今回の引っ越しの経緯にもなっている2号の通学問題に直結する要素だ。電車通学のため、家と駅の間の移動は単独行動になるので、可能な限りここの安全性は確保したい。今の家を「利便性は気にせず、子供がノビノビと暮らせる場所」として選んだこととは正反対とも言える要望で、家探しの困難がここにあるなぁ、などと感心してしまう。2号のことだけを考えるなら、電車通学不要のエリアに住むことも視野に入れるべきなのだろうけども、そこまで行くとボクの通勤が大変になるし、土地勘がないので物件探しをするベース知識から集める必要が生じてしまうので、今回はあきらめた。

いつもは気にする「耐天災」だけども、これが「駅からの距離」と反比例するエリアなので、今回は諦めることにした。もちろん「床面積」も5人家族で暮らすことを考えれば60m2ぐらいは必要だろうし、「買い物など利便性」も可能な限り高めたい。でもこれらの要素は、今回の引っ越しでは順位が低いのだ。

そんな条件を胸に秘め、不動産屋に向かう。該当1件。

Z小校区、駅徒歩5分以内、海抜3mぐらい、十分な広さ間取り、そして古い。築年数からして旧耐震基準のものだろう。造りも全体に昭和レトロだ。

明確な難点は、洗濯機を置くスペースが狭くドラム型が置けない。ただ洗面台を小さいモノにリフォームすればスペースは確保できそうに見える。あと内階段の勾配が急で手すりがないため3号が心配。この2点を大家が飲んで対応してくれるなら問題はなさそう。しかしすでに古い物件なので、わざわざ手入れするとも思えない。


1月に物件を決めて2月1日から契約した。敷金礼金手数料初回家賃などコミコミで50万程度。社宅扱いの旧宅は2月28日まで契約が残る。旧宅新宅の整理を考え2月20日を生活拠点の切替日に設定。1か月の重複期間を利用して、基本的に友人知人の自家用車を頼って運んだ。

2月1日〜2月14日で乗船している間に、直近の生活では不要な本・本棚などを、ヨメ氏が友人の車で運んだ。

2月17日には職場友人の車で、生活に利用するけど数日ならなくても困らない食洗機やカーテン(旧宅にはシャッターがあるので)などを運んだ。同時にエアコン2台の移設。延長する配管代も含めて46,000円。(設置部屋を間違われて2月18日に無料で付け替えしてもらった)

2月20日に冷蔵庫・洗濯乾燥機・食卓の大型家具三点を、赤帽の幌高車の2時間契約2万円で運搬し、同時に赤帽用の人足&運搬車(布団や衣類など)として同僚3名の助力をえた。洗濯場や浴場の排水が詰まっているなどのトラブルが露見。不動産屋に連絡して対応。

2月21日(木)からは新宅から小学校幼稚園にバスで通わせるため、(母)親が同伴で移動し、日中に掃除と片付けを進める。2月28日の退去立ち会いにはすべて間に合いそう。

電気。東電ネットで申請したら「翌々営業日までに開通」みたいな通知がきたけど、電話したら「30分後に開通」だった。ネット意味なし。旧宅は浄化槽があるため、契約解除後もシャットダウンしない。

ガス。プロパンから都市ガスなので停止と新規。都市ガス開栓は立ち会い必要。

水道。両者ともに神奈川水道局なので電話。一瞬。閉栓開栓は不要。

ネット。IIJの「会員専用ページ」では「登録住所の変更」は表示されるが「転居・移転の手続き」がどこで出来るのか不明。「問い合わせフォーム」を利用して手続き手順を聞いたところ「新規開設した上で旧契約を解約」と返信がありその通りにした。新設用の「コンサルティング」という電話がくるのを一週間待つ(日付もも時刻も指定できない)。コンサルティングの電話で「新設と移転は別手続きなので手続きはできない」と告げられる。そこでサポートセンターに電話したら「『新規開設した上で旧契約を解約』は『NTTの東西を跨ぐ場合』の手順」であり「新設と移転は別手続き」ということで、電話口で情報を伝えて移転手続きを進めることに。そして「コンサルティング電話は三日後」と、さらに待たされるらしい。

まったくの余談で、一番ムカついたことは、サポートセンターに電話した時の「いまネットの画面を見られますか?」「ネットはもう使えません」「え?」「え?」「スマートホンでもネットできませんか?」「いま電話に使っています」「え?」「え?」ってヤリトリ。
noteに移ってみる。
こっちを今後どうするかは不明。

https://note.mu/kgcssk
こういうのは千本ノックみたいなもので,
短期的に意味があるかないかでいったら不明なんだけども,
積み重ねた先に量が質に転換するフェーズがくるはずなので,
オフィスにいる日は最初に必ず何かを書き連ねることにしよう。
どれだけ仕事が積もっていても,まずは書く。
スポーツ競技は,第一義には,そのルールの中で勝敗を決めるものである。であるから「競技者が複数集まって多数の試合を実施して競技として最高位になるものを決定する集会」=競技会においては,勝利することにしか価値がない。各種競技の世界選手権はその最高峰である。プロ化あるいはプロ部門がない競技のことを考えれば,非常に素直に理解できる。日本人に親しみがある競技で言えば,柔道や競泳がこれにあたるだろう。

五輪もこの延長線上にある。ロサンゼルス五輪以降,大会そのものは商業化が進んでいるものの,競技者への報酬は,競技において勝利者になるという「栄誉」のみであり,メダルもその象徴たる物質にすぎない。繰り返すが,当該競技のルールにおいて勝ち抜くことのみが「正義」である。それ以外の価値はない。これはサッカーW杯においても同様である。

五輪やW杯では,観客から入場料を徴収し,テレビ放映権料を介して視聴者からも徴収する。しかしそこに競技者は介在しない。「商売」は主催者と観客のみで完結する。競技者は商売に介在しない。

一方で,プロ興行はどうか。プロ興行は,興行主側に競技者が含まれている。競技者は興行主・興行を介して,観客から金銭報酬を受けとる。競技者は金銭報酬に相当する「価値」を観客に提示する必要がある。ここでその「価値」は,必ずしも競技における勝敗のみに限られない,という点が重要である。サッカーで言えば,ドン引きからのドカ蹴りカウンターでロースコアゲームを連発し無敗優勝するチームと,猛烈なフォアチェックと華麗なパスサッカーでハイスコアゲームを連発し勝点をこぼすチームと,どちらにも観客は「価値」を見出しうる。その「価値」は,もはやフィールド内に留まらず,単に「地元のチーム」というだけでも,それはそれで十分な「価値」である。

柔道において世界選手権4度制覇および五輪銀メダルの実績を引っさげてプロレスラー・プロ格闘家に転じた暴走王・小川直也という選手がいる。プロのリングにあがるにあたって小川直也は言った。「単に勝敗を決めるだけだったら,アマチュアの方がよっぽど裾野が広く,頂点は険しい。プロの世界で頂点に立つことは,それに比べれば難しくない。でもプロが相手にするのは観客なんだよ。観客をどれだけ満足させるか。そここそが勝負なんだ」(意訳)。

話は脱線するが,この「プロとは何たるか」を小川直也に仕込んだ男が,アントニオ猪木であり,小川直也はその確立されたプロ思想のバックボーンを持ちながらも「魅せる」という点で凡百のレスラーであった。(思想を持つことと実現することとは別次元であることの教訓である)


ここでややこしいのは,現代サッカーにおいて,選手達はプロチームに所属していると同時に,各国代表のチームにも参加している。つまりプロ選手であり,同時にアマチュア選手でもあるのだ。

サッカーW杯はアマチュアの大会である。観客の満足は関係が無い。勝利のみが価値である。それは揺るぎない事実だ。その一方で,W杯は(プロリーグ以上に)見られる存在となっている。ここに倒錯がある。そしてこの倒錯(W杯は見られる存在であるという事実)は,日常のプロリーグとも地続きになっている。W杯で名を上げることが,その後に行われる興行(あるいは個々の選手の価値)に大きな影響を及ぼすのだ。

選手の担う「W杯のいま・ここにいるアマチュア選手」と「これからもずっとプロ選手」というアンビバレンツ。それゆえに生じる各選手のエゴとエゴのシーソーゲーム。

学生スポーツが必死なのは,学生生活には年限があるため「負けたら死ぬ」からである。また観客はそれを知っていて,その「死」と隣り合わせで戦う姿に感動するのである(極めて残虐である)。この「死」との距離において,学生スポーツはアマチュア競技としてかなり異質である。日本人が五輪に感情を移入しがちなのは,4年というタイムスパンによる前後の隔絶という意味において,ある種「死」を感じさせるためだろうと考えている。毎年開催されるならば,敗れても翌年に機会がめぐってくるので「死」の意味合いは薄い。

「プロは手を抜くことを知っている」というのは,学生スポーツとは違って,「負けても死なない」という余裕から「手を抜いても大丈夫」と考えているからであろう。だがガットッゥーゾや岡崎や米本といった「手を抜かない闘犬」に心が揺さぶられるのも事実である。怪我を恐れぬ飛び込み。スタミナが切れてもなお追いかける精神力。プロの世界においても,勝利や妙技と同様に,「手を抜かない」という「価値」が存在するのだ。



ということで,プロアマ論。

観客は,プロアマ気にせず,どんなものでも好きなように無邪気に楽しめば良い。しかしプロアマ論をからめた評論をするのであれば,W杯がアマチュア大会であることは外せないし,他のプロ・アマの大会・魅力との区別はすべきだと思うぞ。
「教育の一環として指導」がある。言葉でもって相手にすべきこと・すべきでないことを伝えるのが最たる例だろう。一方で,「指導しない教育」という領域もある。もちろんある。相手の成長に期待するのであればコッチの方がむしろ大事なんじゃないかと思う。環境と課題だけを用意して,見守る。指導するのが鞭打ち走らせる行為で,指導しないのは自発的に走り出すのを待つ,といったイメージである。

指導をすることは簡単で,そしてこちら側の満足感が高い。何かをしている気になれる,というヤツだろうか。でも,本当に実現したいことは,指導を受けることに慣れた相手,いわゆる「指示待ち」「言われたことは出来る」という相手に対して,指導がない状況で自ら走り出す気持ちや能力を発露してほしいということである。つまり最終的に到達したい境地は,指導不要であり,対等な関係なのだ。友人同士で刺激し合うことはままあるし,そういう教育もありえるだろう。そこに至りたい。

しかし現時点では,特に精神的な面で,まだ自発的でなく,指導不要という境地には至っていない。「ご飯を食べる時は前を向きなさい」とか「階段で遊ぶと危ないぞ」とか。まだまだまだまだだ。
メモ。

1.マイナーなコメントがついた投稿原稿のリバイス投稿をする。たぶん早々に受理されるはず。許されるならプレスリリースをしたい。研究としてインパクト系ではないが本邦海洋調査業界にとって重要ではある。

2.6月10日にお呼ばれ会で喋る。沿岸のゴリゴリ生物学系の人達が相手で,しかも英語。何を話せというのか。とにかく話題提供というか,賑やかしというか,滑っても「そんならなんでボクを呼んだのよ!」と逆ギレしてしまえば良いぐらいのつもりで話そう。話題は先方の指定に近いヤツにするかな。

3.日本語総説の分筆担当パートを仕上げる。仕上がるかはさておき,仕上げるつもりで書く。向こう10年間でやりたい研究についての現状整理でもある。研究テーマとしての現状把握と,対象の観測可能性の吟味と,観測可能な項目の中からどこまでが議論できるのかについての吟味。面白いと思ってもらえるはずなので,間口が広がるように書き上げたい。

4.海底系の研究コミュニティのアレで海外出張。3泊4日。夏至の時期にノルウェー。時差ボケとかどうなるんやろか。帰ってきてそのまま飲み会というのもまたアレ。がんばろう。会議そのものには関係しないけども,もっとも研究分野が近く年も同じぐらいの研究者がいるので,出来れば会ってお話ししたいところ。そろそろメイル送らねば。

5.日学関係。6月は特に会議はないが,7月頭にお呼ばれがあるので,プレゼンを整理しておかねばなるまい。ボクはJSPS-PDの倍増(2回採用可)を推したいのだが,それが皆にとって幸福な手段であるかは悩ましい。でも最もフェアで最もベーシックな制度が,倍率10倍程度ってのは,やっぱりおかしいよ。変な言い方だけど,倍率は3〜4倍ぐらいで「JSPS-PDに採用されないなら,そろそろ考え時かな」みたいな指標になるのが良いんじゃないかな,と考えているわけです。

6.宿題論文達。デコルマ掘削は早々に仕上げる。沖縄の穴も。

7.新しい実験。TMOを絡めた同位体交換の実験。水素発生系の実験。

8.ラボ解散に向けた引継。いや,別に解散するかどうかは重要じゃ無いのだけども,この4年ほどラボを任せっきりにしすぎて,ほぼ何もわからなくなっているので,さすがにここらで勉強しなおしておかないとヤバいなと。実際問題としては,本当に解散しそうだし。
ちょっと縁あって男女共同参画的な話に関わっている。
専門的に勉強したわけでも,自分で情報を集めに回ったわけでもなく,個人の経験以上のものは持っていない。
飛び交うメイルを見ると,本当にいろんな研究が世の中にはあるようだ。

日本の学術業界については,ビシッとまとめられたものがある。

〜〜〜〜〜〜
【科学者コミュニティにおける女性の参画を拡大する方策】
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t216-1.pdf

(1) ポジティブ・アクションを拡充し、その実施状況、機能実態を調査・評価・公表・是正勧告する権限を有する専門機関を設置する

(2) ジェンダー・センシティブにデータを収集・整理し、それに基づきジェンダー平等を 目指す取組みのガイドラインを作成し、大学・研究機関等の評価に加える

(3) 科学者コミュニティ全体として、女性の参画拡大を推進する

(4) 研究者のワーク・ライフ・バランス向上のため、「選択肢のある仕組み」を構築する

(5) 科学者コミュニティにおける多様性(ダイバーシティ)を多面的に推進する
〜〜〜〜〜〜

どれもごもっとも。

こうした「方策」が切り込もうとしているのは,単に制度的な問題では無くて,この国に蔓延している「なんとなくの空気感」のようなものだと思う。
「なんとなく女子は文系で進学」とか「なんとなく女子は理学工学よりも農学薬学」とか,まぁもっと色々あるだろうけども。
こういう「なんとなく」を作り上げているのは,「男性による女性の弾圧」とは違うような気もする。
(もちろん歴史的な経緯としてはそういうことがこの空気感を作り上げたのだろうけど)
「男尊女子」的なイメージ。あくまでイメージだけで,言語化できないけど。
https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/06/dansonjyoshi-jyunko-sakai_n_17694332.html


一方に,数値目標の達成を先に樹立すれば,その結果として空気感が変わるとする考えがある。
反対に,空気感が変わっていけば,いずれ数値目標は達成されるだろうとする考えがある。
これについて「鶏が先か卵が先か」みたいなことを言うことも出来るかもしれない。

でもたぶんそんなことは無いと思う。
普通選挙の樹立だって,学制の導入だって,ごく少数の先鋭的な人だけが理念を抱いて制度を導入したはずだし,先に制度ありきでも少し年月が経てば,さも当然のように定着していくというのはまさに歴史が証明しているところである(もちろん導入時に社会は混乱するわけだが,樹立したい社会の理念が正統であれば反対勢力もそれほど勢いが続くことはないのだろう)。

ただ,現状,数値目標の達成に向けて,いわゆる「女性にゲタを履かせてでも」という取り組みをするにしても,その母集団が小さすぎるという問題もありそうだ。たとえばいわゆる理系の研究者で言えば,大学入試の時点でかなり性別比率が偏るので,プロの女性研究者をたくさん採用しようにもプールが小さい。なので大学入試の時点から「ゲタを履かせる」あるいは「インセンティブを与える」必要があるのかもしれない。人事採用に比べ,大学入試というのはかなり公平性に対してシビアなので,ここにどのようなポジティブアクションがありえるのか,考えどころである。

全然まとまってないけど,脳内整理のために。
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kawagucci
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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