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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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順不同おもいつくまま。


1.SSF論文のお直し
絶対やる。すぐやる。査読コメントへの対応まで。

2.国際標準化の報告メイル
すぐ出来るはず。エクセルが大きいので金曜日に会社でやる。

3.SCS論文のお化粧と投稿
やる。複数ウインドを開くので良い環境でやりたい。土日にやる。

4.JpGUのポスター作り
終わらせる。無限に時間がかけられる案件だからこそ早々に終わらせる。

5.分科会のプラン一次案送付
パワポの整備。

6.7月会議での資料準備
事前に関係者で揉むためにも早く準備しておく必要あり。

7.学会申込
ネタをどれにするか。

8.海溝論文の改訂素案
Mnデータについての記述。作図依頼のための下図作り。


とりあえず。
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4月19日(木)に所属部署の外部評価委員会が開かれて,その会の番外編として用意された「お楽しみ枠プレゼン」に指名されたので一席。外部評価委員に向けて研究を紹介するというよりは,外部評価委員もいる場で我が社の置かれる状況(の劇的な変化)と為すべきことみたいな内容にした。話題は社内向けにアレンジしたけども,根底の部分にある危機感は,もっとヤバい(語彙が無さ過ぎてヤバい)。

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交付金による調査船の運航費削減が著しい。運航日数ベースで言えば,8年前に1700日だったものが,今年は690日。7隻で割ると1隻あたり240日稼働だったものが100日。ここまで削減されるとゲームのルールが変わってしまう。今までの航海割当の方式では業界がもたない。業界がもたないことそのものに加え,そういう危機感を抱いている人がそれほど多くないのかあまり変化が見られないのも問題である。

従来の航海公募では「よほど酷い提案は落ちる」「普通の提案は日数削減があるが実施」「良い提案は満額の日数が付く」という審査結果になっていた。今は運航日数が少なく「普通の提案では落ちる」ことを研究者が理解し始めたので「提案書を練り上げる体力と時間のある研究者しか提案しない」という状況になっている。その帰結として「特定の分野の提案が通る(海洋業界全体を見渡して研究の多様性を確保できない)」という状況に向かっている(すでにそこに至っているかもしれない)。

つまり「やりたい研究をやる」という態度では「まったく航海が出来ない」ということが,それほど少なくない人に起こりうる。航海提案者をイチ研究者と見れば,まぁそれはそれで良いのだけれども,彼らの半数以上は大学教員であるから「調査航海に基づく研究を通じた教育」というのが実現されなくなってしまうのは大問題だ。このままでは,近い将来,我が国は海洋調査研究をする体力・人材を確保できなくなってしまう。

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今の仕組みは「航海日数をどう配分するか」だけれども,この方式には限界が来ている。次に構築すべきは「個別航海の内容をどれだけ効果的に出来るか」という仕組みだろう。これまでも実施されてきた「主要課題・相乗り課題」方式をさらに改変する必要がある。

研究者側の考え方も変える必要がある。「こういう研究がしたいから,こういう航海がしたい」というのは,もはや無理かもしれない。むしろ「そういう航海があるなら,こういう研究が出来るからやろう」ということになることを受け入れる時が来ているのではないか。

うまくまとまらないけど。
火曜夜,飲んで帰ってきて寝る前に,背中に近い脇腹が痛くなった。まだ起きていたヨメ氏にマッサージを依頼したがいまいち患部に届いていない感じがする。疲れていたのでそのまま就寝。

激痛で目覚める。右側のあばら骨周辺がとにかく痛む。筋肉よりもその内側が痛い。寝ているだけで痛いし,姿勢を変えようと動くとさらに痛い。座るとそれほど痛くないのだが,とにかく寝不足で眠いので寝転がるが,痛い。ググってみたところ,おそらく肋間神経痛である。肋間神経痛は痛みという症状についての呼称であり,病因については色々と書かれている。

原因はほぼこれだと特定できた。ヘルペスだ。土曜はサッカー対抗戦,日曜はライブで紫外線を浴びまくった。さらに土曜のサッカー帰り,日曜のライブ帰り,月曜の出張帰りと三夜連続で飲酒したし,睡眠時間も6時間を切っていた(最適は7時間半)。紫外線・疲労・寝不足。

ヘルペス再発の誘因条件が揃っていたので,症状が出る前の時点で手持ちの抗ウイルス剤を飲んでいたのだった。たぶんこれだ。いつもは水疱の症状が出るまで飲まないのだが,抑制療法の存在を知って,それを試してみた。そのせいで,いつもなら一気に吹き出す条件なのに,(中途半端な増殖になったから?)神経に潜伏した状態で増殖し痛みを発しているのだ。きっとそうだ。

子供の頃から,肋間神経痛になったことはたびたびあった。でも当時痛んでいたのは主に左側で,痛みは間欠的だった。不整脈もあって,それと連動しているのかと思っていた。と思い出して脈を取ってみたら,3〜5回に1回ぐらい飛んでいた。あらら不整脈もきましたと思ったと同時に,もしかしたら幼少期からの突発的な肋間神経痛も不整脈もヘルペス発症とリンクしていたと考えればツジツマが合うというか,病弱で色々な病気を持っているわけではなくて,ヘルペスウイルスの増殖に連動して肋間神経痛と不整脈が出てきていると考えることが出来て,なんとなくスッキリする(スッキリはしないか)。

水曜朝に起きて,多少は痛みが和らいでいたが,午前中は自宅で(肉体的には座った状態で)寝て過ごす。午後に最寄りの皮膚科に行き,皮膚科学会Q&Aを見せつつ「こういう状況ですので抑制療法のためにたくさん処方してちょうだい」と伝えたが「抑制療法は性器ヘルペスに対して実施するもので通常ヘルペスにはやらないのよ,ごめんなさいね」と断られた。もらえたのは10包のみ。今の症状を治すのに6包は使う必要があろうから,手元に残るのは4包。もうちょっと残しておきたい。なやむ。木曜朝に1包飲んで,そのまま年次報告会で1日スーツだったので,姿勢も良くあまり痛みは気にならなかった。飲酒して帰宅。金曜朝にも多少の痛みは残るが,ほぼ快復。

しかし問題として,肋間神経痛の原因がヘルペスであるということが確定できていない。他の病因での神経痛だとしたら,これはまた要検査案件だ。近いうちにアレルギー検査とともに潜伏ウイルス検査も受けてみよう。何が出てくるか楽しみだ(楽しくないけど)。
日本国際賞(Japan Prize)の授賞式に参列した。
両陛下ご臨席というただ一点のみを理由に。
ちなみにこの財団とは因縁がある。
かつて上司のところに講演依頼がきた。
上司が学位取得二年目ぐらいのボクを推薦した。
先方は「若すぎる」と断った。
そういう因縁。

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授賞式で都内に出たついでに本郷の畏友のところに寄って,そこの学生さんらと夕食に行った。この4月からD2になるという二人。今後のキャリアというか,どういう風な職業研究者になるか(あるいはならないか)というような話。私はテクニシャンが向いてるかもしれんとか,私はクリエイティブではないのですが国の研究所だとある程度テーマが決められている範囲で研究をするのですかとか,わりと具体的に細分化して考えている様子だった(たぶんに意訳がふくまれているけど)。そこはさすがに本郷という具合で,自ラボに教授と准教授に加えてポスドクが数名いて,さらに他ラボの院生なんかも同じ部屋にいたりする環境なので,わりと具体的にそういう世界観が描けるのだと思う。

というのも,今,D5相当の単位取得退学者であるO君の指導をしている(?)のだが,彼はずっと地方大学で,近くに博士の院生がほとんどいなかったことに加え,指導教員が放任主義であることも相まって,まったくといっていいほど業界のアレコレを知らない。たとえば「学振って,あ,聞いたことはありますけどね,申請書は見たこともないです」とか,そんな具合。一緒に論文を修正していても,たぶん論文を投稿して査読を受けて修正してという作業であることは理解しているけども,その背景(というか前提)であるところの「査読制度によって客観的視点を加えより良い論文として残していこう」という哲学のような部分がスッポリ抜け落ちている感がある。

ちまたでは「学振は東大やビッグラボだと通りやすい」とか言われているが,単に看板だけで加点されていることは無いだろう。でも,普段研究生活を送っている環境の中で,どれだけ科学的な手続きに注意した会話がなされているかとか,申請書とは・論文とは,というような話を先輩から聞かされるだとか,そういう「バックグラウンド環境からの教育効果」というものが,やっぱり東大とかビッグラボとかでは大きくて(あるいは地方だとか零細ラボだとかでは小さくて),その差が結果に反映されているのだとは思う。

ということで,とにかく色んな環境に身を置く人と話をすることは大事だということ(?)。

ハリルホジッチ日本代表監督が解任された。
ハリルホジッチという人物そのものと,解任という事象と,それぞれが多面的に評価できると思う。
ものすごくいっぱい書きたいこともある。
実際いろんな人がいろんなことを書いている。
でもなんかちょっと自分の思うところと違う気がする。



「そんな先のことを考えず,今目の前のことをやりなさい」
「理想は良いけど,現実を見ろよ」
「ルールではそうかもしれないけど,みんなやってるよ」
「教科書的には違うけど,オレの経験的にはこっちの方が上手くいく」
「ヨソ者のくせに,オレ達のシマでデカイ顔しやがって」

経験主義,縁故主義,局地的,近視眼的。
自分からの距離と比例して「大事な度合い」が決まるというか。
そういうことなんだと思う。
そういう『日本人的な性癖(性格の癖)』を煎じて煮詰めて起こったのが今回の事態なんじゃないかと。

遠くに到着予定点を設定して,それを共有して,「いつかあそこで落ち合おう」ということが出来ない。
「いま・ここ」で「皆」が同じ方向を向いていることの方が大事なのだ。
その方向の先に何があるかは大事ではない。

ハリルホジッチは,W杯で勝つことだけを目指していた。
ハリルホジッチは,W杯で勝つことが共有された目的だと考えていた。
ハリルホジッチは,W杯で勝つことを目的に,何をすべきかを考えていた。
ハリルホジッチは,W杯で勝つために,全力を尽くした。
ハリルホジッチは,W杯で勝つために,不足していることを指摘した。
ハリルホジッチは,W杯で勝つために,すべきことを要求した。
でも,田嶋会長は,「皆」が同じ方向を向いていることが大事なんだと言った。
ハリルホジッチは,「皆」に含まれていなかった。
ハリルホジッチを日本に招いたのは協会なのに。
前日の夜は22時に就寝。
レスタミンパワーで06時まで。
起きて追浜まで電車で行って,松屋を食べて通勤バス。
コーヒーがぶがぶしながらネットサーフィンしてしゃべる。
昼サッカーは4vs4のミニだったが衝突もなく軽やかに。シャワー後には薬も塗った。
昼ご飯はあんかけチャーハンとレンコンの煮物。おいしくなかったけどバクバク食べた。

で。
昼ご飯を食べ終わって立とうとしたらグワングワンとして立てない。
運動後に一気に食べたせいかと思い,ゆっくりしてから立って居室へ。
食後のコーヒーを飲みつつモニターを眺めたが,どうにもつらい。
居室脇のソファで寝転んでみるも,やはりつらい。
保健室のベッドをかりて寝るも,いっこうに回復の気配が無い。
むしろ長く寝ていたせいで,寝る以外の姿勢になれない(眩暈がするから)。

保健室が同僚事務を呼んでくれて病院に行くことに。でもグラグラ。
仕方がないからトイレに行って,とりあえず吐いた。タクシーで吐かないように。
同僚同伴で病院に行き,病院でも座っていられずトイレで吐いて,診察。

真っ暗になるメガネをつけて,頭を倒して眼球運動を見ると,不随意で動いているらしい。
典型的な眩暈の症状なんだとか。
診断は「良性発作性頭位めまい症」。

医者に「めまいが止まる薬を出すから家に帰ったら飲んでね」と言われたが,
「このめまいで追浜から葉山まで帰るのは無理」と言って,その場で点滴を受ける。
点滴用のベッドがベンチみたいな幅しかなくて落ち着かなかったが,点滴を受けた。

待っててくれた同僚が葉山まで付き添ってくれて無事に帰宅。
ありがたし。
久々にゆっくり話をしたり(ちょっとだけ)。
家に着いたら部屋に直行して,薬を飲んで,そのまま就寝。

朝起きたら,それほどつらくない←今ココ
薬のおかげかもしれないし,
本当に治ったのかもしれない。
(耳石が定位置におさまるとスッキリ治るらしい)


研究関係ない友人達との飲み会予定だったのに参加できんかった。
残念無念また来年(来月)。

日の丸を背負う逸材を育てるために―遅咲きの強打者・和田一浩氏が語る育成論
http://japan-baseball.nittsu.co.jp/article/1271/

「例えば、小学生の間はこれをやりなさいとか、最低限やることのマニュアルが全くない。そのあたりの部分はすごく曖昧です」
「各世代の指導者が集まって、話し合って『これは絶対、この年代に必要』というものを、ある程度、発信していけるともっとレベルの高いものを目指せるチームが出来てくる」
「実際、自分が高校球児だったら負けられない状況に立てば、肘や肩が壊れてもいいと思って投げてしまう。だから、ある程度、大人が子供の将来を長い目で見ていかないといけないんです。」
「日本の体質はこうあるべきだと凝り固まっている部分があります。もう少し柔軟にやってもいい時代に来ていると思います」

〜〜〜〜〜

どこを切り取っても大学院教育にあてはまる。研究に最低限必要な技術・能力というものが共有されておらず,またその教授法が定まっていない。技術というのは要素に分解できるはずで,だからこそ実施者のマニュアルとある教科書や,指導者にとっての指導法マニュアルというものを作れるはず(いろんなバリエーションはあれども)。

英語で書かれた英語を用いた「アカデミックライティング」の本には基礎の基礎が書いてある。アチラでは初等教育の国語が,カッチリした論理的な文章の読み書きからはじまるという(『論理的な考え方・伝え方/狩野光伸』より)。それでも高等教育で「アカデミックライティング」を教えるのだ。

翻って本邦では,初等教育では「どう思いましたか?」という感情論や,論理的な書き方を習熟させる前から読書感想文を書かせる。それに輪をかけて,アカデミックライティングの教科書が乏しく,また高等教育の教養・専門のいずれでもそれほど時間をかけて学ぶわけでは無い(まったく無かった気もする)。

なんとかしたいなぁ。
以前に日本語で総説を書いた時に「もう海底熱水関係で研究することなんてほとんどないよ」「とはいえ,まだコレコレは残ってるけどね」と記述した。その時には考えていなかったんだけど「残された最大の課題」に後から気づいて,これはやらねば,という思いがドンドンと大きくなってきた。

海底熱水活動域は広い海洋底に点々と存在している。にもかかわらず,そこに暮らす生物は,明らかに近傍の熱水域から移住してきている。ここで「近傍」と言っているのは「数十から数百キロ離れている」という意味。でも「ある程度離れた」熱水域同士では,どうも生物の交流が無いように見える。

熱水域ごとに生態系を構成する生物種を比べてみると,大洋間で明瞭に異なる「生物地理区分」が見える。これの原因は「生物分散」であろう(もしかすると定着する瞬間の生物生理や既存種との競合が決定的に重要かもしれないけど)。

これまでの「生物分散」についての研究は,主としてこの「生物地理」から類推したものである。「生物分散」に必須の水の流れ(=海洋物理)を調査対象としている研究は乏しい。数少ない例の一つであるOISTのミタライさんが2016年PNASに出した仕事は,ゴリゴリの海洋物理なんだけども生物地理に焦点を合わせたモノである。

一方で生物の飼育観察から,「生物分散」時に発揮されるであろう生物種の能力を見極め,そこから分散の仕組みを類推するというアプローチもある。最近AORIで学位を取ったヤハギの仕事なんかがある。

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生物分散の研究を進める上で最大の障壁は,まさに分散中の水塊を漂っている卵や幼生の数密度(匹/リットル)があまりに低く,観察や採取が現実的には困難であることにある。そして,前文で「あまりに低く」と書いたけど,数密度が低いことに加えて,そもそも数密度がどれぐらい低いのかすらわかっていないというのが,この障壁の高さをあらわしているように思われる。

数少ない研究の一つとして,WHOIのステイスが(LOMethodに発表した?)幼生採取をしている研究がある。まさに噴出している熱水のすぐ脇(数メートル)に現場濾過器を設置して,2000リットルだか濾過をして,各種について数個体〜数百個体が得られているというもの。この他にセジメントトラップも仕掛けている。

熱水は噴出した後,周囲の海水によってただちに希釈されていくので,すぐ脇でこの程度の数密度(=0.1匹/リットル)であれば,ちょっと離れたら,たとえばカルデラ底に噴出口がある熱水域のカルデラ口で観測したら,少なくとも三桁(五桁ぐらいかな?)は数密度が低くなるだろう。

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科学研究を進める上での制約として「観測可能性」がある。中谷宇吉郎「科学の方法」でも述べられているように,われわれは「観測可能なものしか観測できない」のである。深海調査ではそもそも調査機器の制約が大きいため機器側での観測可能性が限られている上に,さらに生物分散では対象の数密度の低さに由来する問題もあって,「観測不可能性」が非常に高い。漂流する卵・幼生を観測するのは不可能である,と言い切った方が良いぐらいだ。言い切った方が良いぐらいなんだけど「じゃあどれぐらい観測不可能なんですか」と聞かれた時に,説明できるだけの定量的な情報が整理されていない。

情報が整理されていないがために「まずはやってみようよ!」という謎ポジティブな取り組み(と討ち死に)が行われるのは意味不明だし,「絶対無理だから生物分散の研究は止めよう」という諦めもまたもったいない。

あぁそうだ。生物分散の研究を進める意義。ボクは深海底で生物地理が見えることがおもしろいと思う。交流が盛んな範囲と,交流が断絶している範囲。何がそれの決定因子なのか。海はつながっているのに。

ーーーーーーーーー

そういうことで,生物地理的アプローチではない生物分散の研究をやるべきだと思って,底生生物の研究者をけしかけてきたのだけど,いつまでたっても腰があがらない。それは彼らが「底生」生物の研究者であり,海底を対象にした研究しかアイデアが無いからだとわかった。なるほど。たしかに生物分散の研究は,底生生物が興味の対象だけど,研究対象は水塊だ。研究対象についてのベーシックな考え方とか,研究手段の引き出しとか,そういうものが底生生物研究とあまりに違うので,手が打てないでいるのか。

ボクは,水塊も海底も相手にしているので,たぶん彼らよりもその辺の感覚がある。もちろん,いわゆる海洋学をやっている人の方が深層流だなんだには詳しいだろうけども,それと生物分散を結びつけるには,それはそれでまた別の知識がいる。そう考えると,たぶんボクがある程度まで勉強して,この間を繋ぐような仕事(それは研究かもしれないし,研究ではないかもしれない)をしてしまうのが良いかもしれない。

ということで,熱水域の生物分散に関わる総説を書こうと決めた。総説と言っても,どちらかというと仮説提案に近く,それ以上に観測計画のラフデッサンのようなものになると思う。特に「どの要素であれば観測可能か」あるいは「この要素を観測可能にするためにはどのような装置開発が必要か」ということを提言するところをゴールに据えたい。まずは日本語で。

これは早々に仕上げてしまいたい。できれば今年中に。

ずっと「生物分散」って書いてきたけど,実際はもっと狭い範囲の「底生生物の幼生分散」です。
調査船の運航費不足,つまり運航日数の減少は我が業界の喫緊の課題である。しかし運航費レベルのお金(300マソ/dayとか)を普通の研究者が自前で稼ぐのは現実的では無く,つまりもうこれは,運航日数が少なくなった現在の状態を,本邦海洋調査のデフォルトと認識すべきであるということだ。その認識をまず共有したい。プレイヤーの意図とは無関係なところで,ゲームのルールは変わったのだ。

たくさんあるシップタイム(運航日数のことです)に対して,研究計画のコンペを開いて,上から順番に実現していく。”今まで”はそういうやり方だった。なぜ”今まで”かと言えば,つまりまだそういうやり方だからなんだけども。でもそれをやると,数件しか採択できない。これは研究哲学の問題かもしれないけど,いくら優れた提案であれ,数件しか採用しないでそれ以外はすべて不採択になる状況は,研究の多様性を担保することや,学生教育の場として機能させるという視点で,あまりに不健全である。

それで,じゃあどうするか。潜んでいる「隠れシップタイム」を掘り起こして有効活用すべきである。たとえば普通に研究計画を立てたのでは協同することが無かった内容を組み合わせることで,シップタイムのシェアが可能になる。物理探査の航海は,出来るだけ走っていたいので定点観測との組み合わせは不向きである。しかし採取物の船上処理がないため乗船者数は多くなく,ベッドは空いている。となれば,航走観測が可能な研究を合わせて実施することができる。あるいは,探査機や潜水船の試験・訓練のための潜航が行われている。試験・訓練という内容を実現できるのであれば,場所は問わないので,何もない海底に潜るぐらいなら,定期的に観察して意義がある場所に潜行する方が良いだろう。操縦訓練であれば,研究に資する採取物をえることも可能だ。

というように,改善の余地は明らかにある。しかし,それを妨げるものもある。「フェアネス」とかいうものだ。いわく「公募を経ていない研究内容を後から好き勝手に追加するのは公募という位置づけを考えた時にフェアではない」とか「試験訓練などの機会をJ社の研究者だけが特権的に利用するのは大学の研究者など業界人に対してフェアではない」とか。

フェアであることは大事だ。それこそ疑う余地はない。一方で,業界内のフェアネスを担保するために,業界全体が縮小する方向に物事を動かすのは,この業界の運営を(税金を通じて国民から)託されている業界人としての資格がない。一般化するなら,内側の論理でもって外側に被害をもたらす,ということかもしれない(違うかな)。

大所高所から発言すべき人にこそ,高らかに宣言していただきたい。「業界内のフェアネスが守られていない?あなたはどっちを向いて言っているんだ。私たちが目指すのは,一つには海洋調査の成果最大化,一つにはそれを通じた国民からの負託への回答。それを実現することこそが正義である。業界内のフェアネスがそれ以上に大事であるはずがない。」と。


引用 https://withnews.jp/article/f0180403001qq000000000000000W03j10701qq000017099A から

「人生や社会における大きな問いに対して簡単に結論を出すことって、危ないんですよね。人生の問題は、地に足を着けて、時間をかけて取り組んだ方がいいことが、ほとんどです」

「だからたとえば『この三択で悩んでいます、いったいどれが正解なんでしょうか』という質問には、『いやー、四択目も五択目もありますよ』、というような回答がいいんだろうなと思っています」

「怖いのは、『大人や賢い人が自分の知らないすばらしい解決方法を教えてくれる』と思ってしまうこと」

「さらに怖いのは『この世のどこかに、自分のことを自分以上に分かってくれている人がいる』と思ってしまうことです」

「それは依存先が自分からその相手に変わっただけで、背負っている荷物はまったく軽くなっていない」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

まさにこれですよね。
高等教育を終えるまでに身につけておかねばならないこと。
自分の人生を自分自身で引き受ける。
でも自分の人生の重さに潰されないで,うまく自分と付き合っていく。
独立自尊。

そして後半では「良き敗者」についてという,今朝書いたこととドンピシャの内容。
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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