自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
河本問題。
事実だけでとらえると,
・河本母・河本ともに本当に困窮していた時に生活保護を受け始めた
・河本が年収数千万に至った
・その後も河本母は生活保護を受け続けた
・河本はその事実を把握し「もらえるならもらっとけ」と言った(という雑誌の第一報)
だろうか。
この話は,
法律に不備(親族の収入と支給の関係)があるとか,
運用(保護支給の審査)に問題があるとか,
そういう問題じゃ無い。
たとえ子に収入があろうとも,
手続き上は問題とされずに受給資格が認められているわけで,
その点で河本一家には非は無い。
(罪を犯していても裁判で無罪になれば被告に非は無いことになるのと同じ論理)
このほかにも色々な側面から色々なことが言われているけども,
大原則に立ち返ると,
「ある人の権利の行使を,第三者が否定することはできない」
ということだろう。
河本母に受給の権利があると判断された以上,
受給することには手続き上,問題は無い。
こうした状況下で,
第三者が「受給を辞退しろ」と強要することは,
「権利を侵すべからず」という大原則に反する。
ただし,
あくまで「権利」であって「義務」ではないので,
「受給しなければならない」わけではなく,
自発的に権利を放棄することは何の問題もない。
ということで,
今回の騒動から教訓というか問題点を洗い出すなら,
「実際は生活に足る金を持っていながら,
権利を行使して生活保護を受給していた,という,
河本家の卑しく醜い精神性」
だろう。
では醜いのは河本家だけなのだろうか。
30歳の平均年収は400万ほどらしい。
アレな話だけども,
ボクはこれより多くはもらっている。
なので,
生活に困るほど貧窮しているわけでもない。
ということもあって,
ボク自身,
子ども手当を受け取ることに逡巡があり,
子ども手当受給手続きをしないでおこうと思っていた。
しかし,
まぁ色々とあって,完全に納得したわけでは無いけども,
現在は子ども手当を受け取っている。
「子供が成長することが社会のためになり,
ボクはその代行をしているにすぎない。
私腹を肥やすためでは無い」
と思う(思い込む)ことで,
なんとか自分を納得させたのだと思う。
しかしこの騒動で忘れていたそうした初志を思い出し,
それこそ現状の自分の醜さに吐き気がする思いだ。
なんともタイムリーなことに,
昨日はうちの会社で給与減額に関する説明会があったらしく,
相当な不満の声があがったらしい。
(出てないから詳しくはわからないけども)
法的にも年度当初の雇用契約に反して減額するのは問題があるし,
任期付という特殊で不安定な契約形態の職員まで,
国家公務員に準じて一律減額というのはおかしくもある。
そもそも今回の公務員減給は政治パフォーマンスだと見る向きが大勢で,
そんなのに付き合わされるのは迷惑だという気持ちも理解はできる。
確かにボクもそう思う。
立ち話や飲み会では,
「任期付の減額が大きすぎる。
理事長は半額にしろ!」
とか楽しんで言っている。
とはいえ,
とはいえ,だ。
普通の会社であれば,
会社の業績が傾けば給料は下がるだろうし,
無い袖は振れないわけだ。
逆に考えれば,
今までが超厚遇であっただけで,
(多くの人は)減給されたって今すぐ生活が立ち行かなくなるわけでも無い。
「任期付で不安定な若手研究者」とか言って嘆いている連中も,
実際のところは「晩酌はプレモルじゃないと」とか言ってる始末。
この現代社会で,
数パーセントの減給なんてことは容易に起こりうるわけで,
(経済自体がシュリンクしてるんだから)
「うちのローンが」とか「子供がたくさん」とか
あまり騒ぐのもどうか,と思うわけで,
実際のところ,
ボク自身は,
ボク自身の減給について特にごねることもなく受け入れるつもりでいる。
で,
話を元に戻すと,
いったい何が問題だったのか,ということ。
うちの会社の人々が,
「減給,受け入れ難し!」
「契約違反だ!」と言って,
自身の雇用契約上の権利を主張する。
河本母が,
権利が認められたから生活保護を受給していた。
何の違いがあるのか。
どちらも等しく「権利の行使」であって,
どちらも等しく「卑しく醜い」と思う。
ある人が卑しくて醜い。
でもそれは,その人がそういう人であるということであって,
それ以上の意味はまったくない。
だから社会問題ではない。
これを社会問題とするならば,
「品性下劣な人々で社会が構成されている」ということが,
問題なのだろう。
だから生活保護の支給基準の見直しとかそういう施策には意味がなく,
やはり本質的な教育の問題なのだ。(もちろん学校教育だけの話じゃない)
もう1つ。
ここまで考えてきた通り,
河本一家は権利を行使しただけであって,
これを糾弾することは重大な権利の侵害である。
それを国会議員が,
ネットを通じて「調査する」と宣言したことの方が,
よほど大きな問題だと思う。
その程度の社会観念しか持たないものが国会議員をしていて,
それを後押しする国民が多いという現状は,
生活保護の不正受給者が多数いるという事実を凌駕するほどに,
この国が「品性下劣」であることを示していると思う。
端的に「未熟」である。
卑しく醜いと言うことは,つまりは未熟であるということだ。
こうして他人を攻撃する文章を書かずにはいられないボクも未熟だ。
福澤諭吉の言うところの「独立自尊の精神」が必要だ。
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事実だけでとらえると,
・河本母・河本ともに本当に困窮していた時に生活保護を受け始めた
・河本が年収数千万に至った
・その後も河本母は生活保護を受け続けた
・河本はその事実を把握し「もらえるならもらっとけ」と言った(という雑誌の第一報)
だろうか。
この話は,
法律に不備(親族の収入と支給の関係)があるとか,
運用(保護支給の審査)に問題があるとか,
そういう問題じゃ無い。
たとえ子に収入があろうとも,
手続き上は問題とされずに受給資格が認められているわけで,
その点で河本一家には非は無い。
(罪を犯していても裁判で無罪になれば被告に非は無いことになるのと同じ論理)
このほかにも色々な側面から色々なことが言われているけども,
大原則に立ち返ると,
「ある人の権利の行使を,第三者が否定することはできない」
ということだろう。
河本母に受給の権利があると判断された以上,
受給することには手続き上,問題は無い。
こうした状況下で,
第三者が「受給を辞退しろ」と強要することは,
「権利を侵すべからず」という大原則に反する。
ただし,
あくまで「権利」であって「義務」ではないので,
「受給しなければならない」わけではなく,
自発的に権利を放棄することは何の問題もない。
ということで,
今回の騒動から教訓というか問題点を洗い出すなら,
「実際は生活に足る金を持っていながら,
権利を行使して生活保護を受給していた,という,
河本家の卑しく醜い精神性」
だろう。
では醜いのは河本家だけなのだろうか。
30歳の平均年収は400万ほどらしい。
アレな話だけども,
ボクはこれより多くはもらっている。
なので,
生活に困るほど貧窮しているわけでもない。
ということもあって,
ボク自身,
子ども手当を受け取ることに逡巡があり,
子ども手当受給手続きをしないでおこうと思っていた。
しかし,
まぁ色々とあって,完全に納得したわけでは無いけども,
現在は子ども手当を受け取っている。
「子供が成長することが社会のためになり,
ボクはその代行をしているにすぎない。
私腹を肥やすためでは無い」
と思う(思い込む)ことで,
なんとか自分を納得させたのだと思う。
しかしこの騒動で忘れていたそうした初志を思い出し,
それこそ現状の自分の醜さに吐き気がする思いだ。
なんともタイムリーなことに,
昨日はうちの会社で給与減額に関する説明会があったらしく,
相当な不満の声があがったらしい。
(出てないから詳しくはわからないけども)
法的にも年度当初の雇用契約に反して減額するのは問題があるし,
任期付という特殊で不安定な契約形態の職員まで,
国家公務員に準じて一律減額というのはおかしくもある。
そもそも今回の公務員減給は政治パフォーマンスだと見る向きが大勢で,
そんなのに付き合わされるのは迷惑だという気持ちも理解はできる。
確かにボクもそう思う。
立ち話や飲み会では,
「任期付の減額が大きすぎる。
理事長は半額にしろ!」
とか楽しんで言っている。
とはいえ,
とはいえ,だ。
普通の会社であれば,
会社の業績が傾けば給料は下がるだろうし,
無い袖は振れないわけだ。
逆に考えれば,
今までが超厚遇であっただけで,
(多くの人は)減給されたって今すぐ生活が立ち行かなくなるわけでも無い。
「任期付で不安定な若手研究者」とか言って嘆いている連中も,
実際のところは「晩酌はプレモルじゃないと」とか言ってる始末。
この現代社会で,
数パーセントの減給なんてことは容易に起こりうるわけで,
(経済自体がシュリンクしてるんだから)
「うちのローンが」とか「子供がたくさん」とか
あまり騒ぐのもどうか,と思うわけで,
実際のところ,
ボク自身は,
ボク自身の減給について特にごねることもなく受け入れるつもりでいる。
で,
話を元に戻すと,
いったい何が問題だったのか,ということ。
うちの会社の人々が,
「減給,受け入れ難し!」
「契約違反だ!」と言って,
自身の雇用契約上の権利を主張する。
河本母が,
権利が認められたから生活保護を受給していた。
何の違いがあるのか。
どちらも等しく「権利の行使」であって,
どちらも等しく「卑しく醜い」と思う。
ある人が卑しくて醜い。
でもそれは,その人がそういう人であるということであって,
それ以上の意味はまったくない。
だから社会問題ではない。
これを社会問題とするならば,
「品性下劣な人々で社会が構成されている」ということが,
問題なのだろう。
だから生活保護の支給基準の見直しとかそういう施策には意味がなく,
やはり本質的な教育の問題なのだ。(もちろん学校教育だけの話じゃない)
もう1つ。
ここまで考えてきた通り,
河本一家は権利を行使しただけであって,
これを糾弾することは重大な権利の侵害である。
それを国会議員が,
ネットを通じて「調査する」と宣言したことの方が,
よほど大きな問題だと思う。
その程度の社会観念しか持たないものが国会議員をしていて,
それを後押しする国民が多いという現状は,
生活保護の不正受給者が多数いるという事実を凌駕するほどに,
この国が「品性下劣」であることを示していると思う。
端的に「未熟」である。
卑しく醜いと言うことは,つまりは未熟であるということだ。
こうして他人を攻撃する文章を書かずにはいられないボクも未熟だ。
福澤諭吉の言うところの「独立自尊の精神」が必要だ。
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