小田嶋隆が大好きだ。
大学生から大学院生を過ごした00年代は、ちょうど内田樹がブログを経て世に出てきた頃だと記憶している。
ボクはたしか、木庭さんのブログを通じて内田樹の存在を知ったはずだ。
いまでも覚えているのは、2006年冬の白鳳丸インド洋航海。
まったく春の植松SOLAS航海とはうってかわって、同世代のメンバーがほとんどいなかった熱水探査航海。
当時はまだ熱水をヤル気でもなく、先生から言われて乗船し、なぜかDOと塩検を両方やらされた航海。
あの頃はまだ船でネットは使えず、個人のメイルが使えるようになったばかり。
船内で遊ぶ相手もいなそうだったので、出発前にTzeさんにお願いして、スポニチウェブのテキストを転送してもらっていた。
なぜか内田樹の「ためらいの倫理学」を持っていった。
船内で読んだ記憶はないのだけど、成田空港までの空港バスで読んでいた記憶だけが鮮明にある。
バスで先生と乗り合わせ、会話がなく気まずい雰囲気を感じながら、読んでいたのだ。
ボクはそれまで本を読んだことがなかった。
「ためらいの倫理学」が最初だったかは覚えていない。
でも札幌時代の自宅にもラボにも本棚はなかったから、読書習慣は東京に移ってからだ。
新宿で昼から夜まで立ち読みしていた記憶があるが、札幌での記憶はない。
札幌でも雑誌は読んでいたかもしれない。
いずれにせよ、内田樹をブログで読むようになった頃から、本を読むことを覚えた。
そして、そんな内田樹自身がファンだと公言していたのが、小田嶋隆だ。
内田樹による小田嶋隆の追悼文がある。
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220627-takashi-odajima-tatsuru-uchida
ボクが好きになった内田樹の文章で、ボクが大好きな小田嶋隆の小田嶋隆たるところが表現されている。
小田嶋隆の文章は、常に、小田嶋隆によって書かれている。
当たり前なのだけど。
借り物の表現は、徹底的に排除される。
たとえば「徹底的ってなんだよ」といった具合だ。
近頃はやりの相手を論破するとか冷笑や逆張りとは、似て非なるものだ。
相手があって、自分の立ち位置が決まるのではない。
自分は単に立っていて、そこから相手が見えるだけなのだ。
世間に対して斜に構えているようにも読めるが、それは違う。
小田嶋隆からすれば「なんでお前ら斜めに並んでんだ」ということだ。
内田樹の追悼文を借りれば、
"孤立していることは彼にとっては初期条件なのであり、彼はそのことにそれほど大きな意味を認めていなかった"
"「私は世の『ふつうの人たち』が考えるようには考えないし、『ふつうの人たち』が用いるような言葉づかいをしないのだが、それには個人的な経緯や理由があり、それをみなさんは理解できるはずである」というのが小田嶋さんのスタンス"
ということのようだ。
小田嶋隆が晩年、たびたび使ったフレーズに「お詫びせず訂正します」がある。
「おれの書き損じを、お前らに詫びる理由はない」と。
「話が通じない」という場面に接し、無力感と憤怒にまみれた時、小田嶋隆を読むようにしている。
「オレがなぜそう感じるのか、考えたことを説明してみる。わかってもらおうとは思っていない。」
「わかってくれれば嬉しい」とか「なんでわかってもらえないんだ」とか、そういうものがボクの場合は続いてしまうのだが、小田嶋隆のコラムにはそういう部分が感じられない。
相手に伝わらなければ、いや伝わったとしても、ひとしきりの説明を終えたら、家に帰るだけなのだ。
時間切れ。
大学生から大学院生を過ごした00年代は、ちょうど内田樹がブログを経て世に出てきた頃だと記憶している。
ボクはたしか、木庭さんのブログを通じて内田樹の存在を知ったはずだ。
いまでも覚えているのは、2006年冬の白鳳丸インド洋航海。
まったく春の植松SOLAS航海とはうってかわって、同世代のメンバーがほとんどいなかった熱水探査航海。
当時はまだ熱水をヤル気でもなく、先生から言われて乗船し、なぜかDOと塩検を両方やらされた航海。
あの頃はまだ船でネットは使えず、個人のメイルが使えるようになったばかり。
船内で遊ぶ相手もいなそうだったので、出発前にTzeさんにお願いして、スポニチウェブのテキストを転送してもらっていた。
なぜか内田樹の「ためらいの倫理学」を持っていった。
船内で読んだ記憶はないのだけど、成田空港までの空港バスで読んでいた記憶だけが鮮明にある。
バスで先生と乗り合わせ、会話がなく気まずい雰囲気を感じながら、読んでいたのだ。
ボクはそれまで本を読んだことがなかった。
「ためらいの倫理学」が最初だったかは覚えていない。
でも札幌時代の自宅にもラボにも本棚はなかったから、読書習慣は東京に移ってからだ。
新宿で昼から夜まで立ち読みしていた記憶があるが、札幌での記憶はない。
札幌でも雑誌は読んでいたかもしれない。
いずれにせよ、内田樹をブログで読むようになった頃から、本を読むことを覚えた。
そして、そんな内田樹自身がファンだと公言していたのが、小田嶋隆だ。
内田樹による小田嶋隆の追悼文がある。
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220627-takashi-odajima-tatsuru-uchida
ボクが好きになった内田樹の文章で、ボクが大好きな小田嶋隆の小田嶋隆たるところが表現されている。
小田嶋隆の文章は、常に、小田嶋隆によって書かれている。
当たり前なのだけど。
借り物の表現は、徹底的に排除される。
たとえば「徹底的ってなんだよ」といった具合だ。
近頃はやりの相手を論破するとか冷笑や逆張りとは、似て非なるものだ。
相手があって、自分の立ち位置が決まるのではない。
自分は単に立っていて、そこから相手が見えるだけなのだ。
世間に対して斜に構えているようにも読めるが、それは違う。
小田嶋隆からすれば「なんでお前ら斜めに並んでんだ」ということだ。
内田樹の追悼文を借りれば、
"孤立していることは彼にとっては初期条件なのであり、彼はそのことにそれほど大きな意味を認めていなかった"
"「私は世の『ふつうの人たち』が考えるようには考えないし、『ふつうの人たち』が用いるような言葉づかいをしないのだが、それには個人的な経緯や理由があり、それをみなさんは理解できるはずである」というのが小田嶋さんのスタンス"
ということのようだ。
小田嶋隆が晩年、たびたび使ったフレーズに「お詫びせず訂正します」がある。
「おれの書き損じを、お前らに詫びる理由はない」と。
「話が通じない」という場面に接し、無力感と憤怒にまみれた時、小田嶋隆を読むようにしている。
「オレがなぜそう感じるのか、考えたことを説明してみる。わかってもらおうとは思っていない。」
「わかってくれれば嬉しい」とか「なんでわかってもらえないんだ」とか、そういうものがボクの場合は続いてしまうのだが、小田嶋隆のコラムにはそういう部分が感じられない。
相手に伝わらなければ、いや伝わったとしても、ひとしきりの説明を終えたら、家に帰るだけなのだ。
時間切れ。
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寝苦しくて午前2時に起きた。体が熱いのは精神負荷とそれを発散するための運動とアルコールのせいじゃないかと思った。でも本当に部屋が暑かった。自室から出たら、どうやら自室だけが暑い。エアコンは動いているが冷えていない。どうやらエアコンが壊れたようだ。と思ったがリモコンの電池を朝に入れ替えたことを思い出した。見てみるとモードが冷房から自動にかわっていた。冷房に再設定したらよく冷えた。というところで、腰の激痛に気がついた。痛い。痛いのは左側。ヘソの水平線ぐらいが痛みのピーク位置。鈍痛というか気持ち悪さは肋骨の下からケツの山までぐらい。
とか何とかいう話をツラツラと書いていたのだが、ブラウザを落としてしまい、全部消えた。
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とか何とかいう話をツラツラと書いていたのだが、ブラウザを落としてしまい、全部消えた。
バスケットボールのワールドカップ、沖縄開催で日本代表男子が5戦3勝。パリオリンピックへの出場権を獲得した。
2021年には東京オリンピックで女子が銀メダルを獲得。
ワールドカップ沖縄開催に向けてか、昨年末にはスラムダンクの映画も公開され、世間のバスケ人気に火が付いている。
と書いたものの、世間のことはわからない。
今年は甲子園が慶応で盛り上がっただとか、いま売れている芸能人がなんだとか、ピンとこない。
ボク自身の世間との接点は、職場やママ友であって、そこらの人々から「盛り上がっているね」と言われて、はじめて認知するのだ。
スイスから戻って6年。戻った葉山に電波が届かないこともあって、テレビを持たない生活を続けている。
巷に言う世間の盛り上がりというのが実感できない。
世間の盛り上がりというものが、いかにテレビによって作り上げられているかを、思い知らされる。
テレビの影響力を、テレビを持たないことで感じているのは、なんだか不思議なことである。
反対向きに考えれば、四六時中ネットを監視していても、やはりそれは自分からアクセスするような限られた情報空間であり、大なり小なりエコーチャンバーの中で生活しているのだろう。
いや、これもまた反対かもしれない。
テレビという強力な情報空間の中で世間の人々が暮らしている、ということでもあるのだから。
それはさておき。
はからずも三年前からミニバスに関わるようになり、バスケに親近感が増してきたタイミングで、日本代表が躍進している。
にわかながら、我が事として嬉しい気分になる。
バスケ村で育ったコーチなどは、もう完全に興奮しきりで、熱く語っておられる。
そういう対象があるってのは、人生を豊かにするよね。
シアトル生まれのホーキンソンは、大きくなるまで「イチロー・任天堂・寿司」しか日本のことを知らなかったそうだ。
それが長じて、米国ではバスケ選手にはなれず、日本のバスケ界に流れ着き、帰化して代表で活躍している。
「イチロー・任天堂・寿司」しか知らないというのは、良いイメージしか持っていないということでもあろう。
事実、ホーキンソン自身がイチローのファンであることを公言している。
そういう人生の妙のようなものも、スポーツ報道を通じて知るわけだが、とても興味深い。
世間に届くような大きな舞台で活動をすることには、本人がその舞台で成し遂げること以上の価値がある。
そういう価値は、その価値そのものだけを生み出そうとして、生み出せるものではなく、あくまで付随するものだ。
でも、成し遂げたことの価値以上に、そこに付随する価値の方が、広く大きく、人間社会に影響を及ぼす。
日本代表がパリオリンピックに出場したからといってパリオリンピックやバスケットボールの価値が上がることはない。
しかし、現代日本の世間にとっては、「日本代表がパリオリンピックに出場」ということに抜群の価値があるのだ。
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2021年には東京オリンピックで女子が銀メダルを獲得。
ワールドカップ沖縄開催に向けてか、昨年末にはスラムダンクの映画も公開され、世間のバスケ人気に火が付いている。
と書いたものの、世間のことはわからない。
今年は甲子園が慶応で盛り上がっただとか、いま売れている芸能人がなんだとか、ピンとこない。
ボク自身の世間との接点は、職場やママ友であって、そこらの人々から「盛り上がっているね」と言われて、はじめて認知するのだ。
スイスから戻って6年。戻った葉山に電波が届かないこともあって、テレビを持たない生活を続けている。
巷に言う世間の盛り上がりというのが実感できない。
世間の盛り上がりというものが、いかにテレビによって作り上げられているかを、思い知らされる。
テレビの影響力を、テレビを持たないことで感じているのは、なんだか不思議なことである。
反対向きに考えれば、四六時中ネットを監視していても、やはりそれは自分からアクセスするような限られた情報空間であり、大なり小なりエコーチャンバーの中で生活しているのだろう。
いや、これもまた反対かもしれない。
テレビという強力な情報空間の中で世間の人々が暮らしている、ということでもあるのだから。
それはさておき。
はからずも三年前からミニバスに関わるようになり、バスケに親近感が増してきたタイミングで、日本代表が躍進している。
にわかながら、我が事として嬉しい気分になる。
バスケ村で育ったコーチなどは、もう完全に興奮しきりで、熱く語っておられる。
そういう対象があるってのは、人生を豊かにするよね。
シアトル生まれのホーキンソンは、大きくなるまで「イチロー・任天堂・寿司」しか日本のことを知らなかったそうだ。
それが長じて、米国ではバスケ選手にはなれず、日本のバスケ界に流れ着き、帰化して代表で活躍している。
「イチロー・任天堂・寿司」しか知らないというのは、良いイメージしか持っていないということでもあろう。
事実、ホーキンソン自身がイチローのファンであることを公言している。
そういう人生の妙のようなものも、スポーツ報道を通じて知るわけだが、とても興味深い。
世間に届くような大きな舞台で活動をすることには、本人がその舞台で成し遂げること以上の価値がある。
そういう価値は、その価値そのものだけを生み出そうとして、生み出せるものではなく、あくまで付随するものだ。
でも、成し遂げたことの価値以上に、そこに付随する価値の方が、広く大きく、人間社会に影響を及ぼす。
日本代表がパリオリンピックに出場したからといってパリオリンピックやバスケットボールの価値が上がることはない。
しかし、現代日本の世間にとっては、「日本代表がパリオリンピックに出場」ということに抜群の価値があるのだ。
社内の昇格審査で落選した。
なぜ落選したかはわからない。
ちなみに当選しても理由はわからないと思う。
そういう審査がこの国には定着している。
今回は、准教授格から教授格への昇格で、正直いってしまえば、時期尚早だと思っていた。
今年から制度が変わり、自己推薦式になった。
同僚から「どうする?」と聞かれて、自分にも受験資格があることを知った。
完全にノーマークだったけど、受けるだけならタダだし、定年制への移行審査と違って落選で失うものはなく、受かれば給料があがる。
ノーリスクハイリターンなので、記念受験で手を挙げたのだ。
このあたりは精一杯のつよがりだと思って読んでほしい。
今ならわかる。
落選すると、まずヤル気を失う。
もちろん会社への忠誠心のようなものも失う。
この記念受験で失ったものは大きい。
一方で、アッチがコッチを失ったんだ、という思いもある。
今日はその話をしようと思って書き始めた。
学術界には、審査や評価が溢れている。
なんのかんのと審査され、評価される。
ここで「される」と言っているが、もちろん向こう側には「する」人がいる。
審査員、評価者。
憎むべき。
恨むべき。
あの審査員。
あの評価者。
というほどではないのだけど。
どうして幸せな関係になれないのか。
審査や評価は、双方にとって、あるいは第三者(たとえば会社組織)にとって、より良い関係のために、行われているはずだ。
選抜の結果、より良い関係が築かれるとしても、選抜の過程で不幸を生み出したら、トータルでマイナスじゃないか。
不調に終わったお見合いのように「今回はご縁がなかったということで」と、双方がサラリと終えられないのは、なぜだろう。
イマイチだった合コンのように「今日は時間に無駄だったな!ガハハ!」と、二次会で揮発するように消えていかないのは、なぜだろう。
そんなことを考えた。
つまり、今(まさにこれを書いている今)、ボクの中で燃えるネガティブな感情は、何に起因しているのだろう。
一つには、そもそも関係の対等性がないことがある。
アチラが上で選ぶ側、コチラが下で選ばれる側。
アチラは金を持った買い物客で、コチラは陳列棚の商品。
そういう関係になってしまっている。
コチラにとっては自分事だが、アチラは流れ作業でこなす仕事だ。
30分おきに次々に運ばれてくる商品を見て、アッチよりコッチだな、なんて選別する。
少なくとも、ボクはそう感じていて、そこを不愉快に思っている。
これは書類やスライドを準備している段階から、一貫して抱く思いだ。
もう一つには、十分に吟味されたという実感がないことだ。
研究計画評価であれば、計画書を一読すれば、良し悪しがわかる。
研究計画は、その中身からして複雑ではないからだ。
もし計画書を一読しても意味がわからないとしたら、読み手がバカか、書き手がヘタかのどちらかだ。
書き手がヘタならば、それは落ちても仕方がない。
しかし人物評価は、そうはいかない。
人間というのは、そもそも複雑な存在だからだ。
それを踏まえて、十分に吟味しようと思ったら、すくなくとも今の方式では無理だ。
A4数枚の紙と1時間にも満たない面接。
しかし、いずれにせよ、確信をもって言えることがある。
8年前に定年制への移行審査で落選した時も思ったし、それから今までずっと思っている。
ボクはずっと、この会社が、日本のため世界のために、どうあるべきか、という話をしている。
そして、ボクが思うこの会社が為すべきことに、ボクは必要な人物だと言っている。
アチラが何を求めているのかはわからない。
思い描くあるべき組織像は共有しているが、そこにボクがハマらないのかもしれない。
思い描く組織像が違うのかもしれないし、単純に能力不足なのかもしれない。
あるいは、被評価者が組織論を話すのが的外れだと思っているのかもしれない。
一般論のような。
具体論のような。
書いても書いても、悪感情が昇華されず、むしろ増幅している気がしてきた。
そんな土曜日の朝。
これから朝食の準備をして、バスケのコーチに出掛けるまでに、会社の委員会での報告書を書かねばならない。
全部投げ出してしまいたい気持ちもある。
しかし、まぁ、審査落選などはボクの個人的なことで、委員会の報告書は組織のことなので、同じ土俵で考えちゃならん。
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なぜ落選したかはわからない。
ちなみに当選しても理由はわからないと思う。
そういう審査がこの国には定着している。
今回は、准教授格から教授格への昇格で、正直いってしまえば、時期尚早だと思っていた。
今年から制度が変わり、自己推薦式になった。
同僚から「どうする?」と聞かれて、自分にも受験資格があることを知った。
完全にノーマークだったけど、受けるだけならタダだし、定年制への移行審査と違って落選で失うものはなく、受かれば給料があがる。
ノーリスクハイリターンなので、記念受験で手を挙げたのだ。
このあたりは精一杯のつよがりだと思って読んでほしい。
今ならわかる。
落選すると、まずヤル気を失う。
もちろん会社への忠誠心のようなものも失う。
この記念受験で失ったものは大きい。
一方で、アッチがコッチを失ったんだ、という思いもある。
今日はその話をしようと思って書き始めた。
学術界には、審査や評価が溢れている。
なんのかんのと審査され、評価される。
ここで「される」と言っているが、もちろん向こう側には「する」人がいる。
審査員、評価者。
憎むべき。
恨むべき。
あの審査員。
あの評価者。
というほどではないのだけど。
どうして幸せな関係になれないのか。
審査や評価は、双方にとって、あるいは第三者(たとえば会社組織)にとって、より良い関係のために、行われているはずだ。
選抜の結果、より良い関係が築かれるとしても、選抜の過程で不幸を生み出したら、トータルでマイナスじゃないか。
不調に終わったお見合いのように「今回はご縁がなかったということで」と、双方がサラリと終えられないのは、なぜだろう。
イマイチだった合コンのように「今日は時間に無駄だったな!ガハハ!」と、二次会で揮発するように消えていかないのは、なぜだろう。
そんなことを考えた。
つまり、今(まさにこれを書いている今)、ボクの中で燃えるネガティブな感情は、何に起因しているのだろう。
一つには、そもそも関係の対等性がないことがある。
アチラが上で選ぶ側、コチラが下で選ばれる側。
アチラは金を持った買い物客で、コチラは陳列棚の商品。
そういう関係になってしまっている。
コチラにとっては自分事だが、アチラは流れ作業でこなす仕事だ。
30分おきに次々に運ばれてくる商品を見て、アッチよりコッチだな、なんて選別する。
少なくとも、ボクはそう感じていて、そこを不愉快に思っている。
これは書類やスライドを準備している段階から、一貫して抱く思いだ。
もう一つには、十分に吟味されたという実感がないことだ。
研究計画評価であれば、計画書を一読すれば、良し悪しがわかる。
研究計画は、その中身からして複雑ではないからだ。
もし計画書を一読しても意味がわからないとしたら、読み手がバカか、書き手がヘタかのどちらかだ。
書き手がヘタならば、それは落ちても仕方がない。
しかし人物評価は、そうはいかない。
人間というのは、そもそも複雑な存在だからだ。
それを踏まえて、十分に吟味しようと思ったら、すくなくとも今の方式では無理だ。
A4数枚の紙と1時間にも満たない面接。
しかし、いずれにせよ、確信をもって言えることがある。
8年前に定年制への移行審査で落選した時も思ったし、それから今までずっと思っている。
ボクはずっと、この会社が、日本のため世界のために、どうあるべきか、という話をしている。
そして、ボクが思うこの会社が為すべきことに、ボクは必要な人物だと言っている。
アチラが何を求めているのかはわからない。
思い描くあるべき組織像は共有しているが、そこにボクがハマらないのかもしれない。
思い描く組織像が違うのかもしれないし、単純に能力不足なのかもしれない。
あるいは、被評価者が組織論を話すのが的外れだと思っているのかもしれない。
一般論のような。
具体論のような。
書いても書いても、悪感情が昇華されず、むしろ増幅している気がしてきた。
そんな土曜日の朝。
これから朝食の準備をして、バスケのコーチに出掛けるまでに、会社の委員会での報告書を書かねばならない。
全部投げ出してしまいたい気持ちもある。
しかし、まぁ、審査落選などはボクの個人的なことで、委員会の報告書は組織のことなので、同じ土俵で考えちゃならん。
この10年間ぐらいはツイッターにかまけて、こちらでまとまった文章を書かなくなっていた。
同時に、年々、毎日が流れ作業的に流れていってしまう実感がある。
なんとなく浮かんだ思考が、ツイッターで散発的に消化(昇華?)され、練られて固着するに至らず、いざという時に確たる核のない状態になっている。
それをツイッターのせいにするのは簡単だが、安易な考えというのは直感的で正しかったりもする。
今回はそんな直感を信じることにした。
デジタルミニマリストの本だったか、こんな話があった。
「SNSが悪いのでも、スマホが悪いのでもない。SNSをスマホでやるのが悪いのだ」
これには膝を打った。
隙間時間に読み書きするアプリが、隙間時間に取り出せるデバイスで動く。
隙間時間に読み書きするアプリでも、デバイスを出すのが面倒なら見ない。
隙間時間に取り出せるデバイスでも、読み書きが面倒なら読み書きしない。
そんなわけで、しばらくこの母屋に戻ってみようと思ったのだ。
どれだけ続くかはわからない。
なんせ直感的にやっていることだ。
とはいえ、1ヶ月間の助走期間をおいて、つまり8月の頭にはこうしようと思ったけどなかなか踏み出せなくて、9月になったらはじめようと踏ん切りをつけたのだ。
しばらくは続けるだろうし、きっと続くだろう。
続けたいとは思っている。
Tweet
同時に、年々、毎日が流れ作業的に流れていってしまう実感がある。
なんとなく浮かんだ思考が、ツイッターで散発的に消化(昇華?)され、練られて固着するに至らず、いざという時に確たる核のない状態になっている。
それをツイッターのせいにするのは簡単だが、安易な考えというのは直感的で正しかったりもする。
今回はそんな直感を信じることにした。
デジタルミニマリストの本だったか、こんな話があった。
「SNSが悪いのでも、スマホが悪いのでもない。SNSをスマホでやるのが悪いのだ」
これには膝を打った。
隙間時間に読み書きするアプリが、隙間時間に取り出せるデバイスで動く。
隙間時間に読み書きするアプリでも、デバイスを出すのが面倒なら見ない。
隙間時間に取り出せるデバイスでも、読み書きが面倒なら読み書きしない。
そんなわけで、しばらくこの母屋に戻ってみようと思ったのだ。
どれだけ続くかはわからない。
なんせ直感的にやっていることだ。
とはいえ、1ヶ月間の助走期間をおいて、つまり8月の頭にはこうしようと思ったけどなかなか踏み出せなくて、9月になったらはじめようと踏ん切りをつけたのだ。
しばらくは続けるだろうし、きっと続くだろう。
続けたいとは思っている。
文科省の課長職にあるらしいkuronuma ichiroさんが、科博のクラウドファンディングに関する大学関係者の声を冷笑的に取り上げたとして、炎上した。
この業界で生きていると、大学関係者による文科省非難はよく聞く。
でも、たぶん、ほとんどが印象論だろう。
なんせ普通に大学教員をしていたら、文科省と直接対峙する機会は極めて限定的だろうからだ。
ボクは日本学術会議の若手アカデミーとかいうけったいな組織のメンバーをしている関係で、役所の人々と直接対峙することがある。
日本学術会議あるいはその若手アカデミーのメンバーとして会う時は、基本的には非常に尊重されるというか、有識者として丁寧に扱われがちである。
一方で、本職も非大学の組織で、そちらの仕事でもヒラ社員として役所の人々と話をする機会がある。
こちらの場合は、基本的には低い立場にあるような具合で、ちょっと違った扱いになる感じがする。
一応そんな両面を見ているという自負、というか単に経験だが、そんなものがある人である。
役所側との仕事をしていると、直接に顔を合わせて(含オンライン会議)話をするのと、それを受けて取り扱う書類にある文面と、その両方に触れる。
そうすると「おぉ。あの話は、文書ではこのように書かれるのか」と驚くことがある。
驚くことがあるというか、毎回。毎回驚く。
それで思うのだ。
「これ、先に話を聞いてるからわかるけど、文書だけ読まされたら、どこがキモかわからんな」と。
そしてここに、文科省と大学の対立構図の根源があるんじゃないか。
だからこそ、ここに両者を融和するヒントがあるんじゃないか、と考えるのだ。
ここって、どこよ。
SNSで文科省ヘイトを叫ぶ大学関係者が多くいる。
おそらく「文科省から言われた」という執行部が繰り出す施策に振り回された経験があるのだろう。
文科省発出の文書そのものに触れる機会もあるのかもしれないが、たぶん文書を見ている人も、ごく少数に限られると思う。
そこは大学で働いたことがないからわからないけど、これはなんとなくそうだと思う。
つまり、多くの大学関係者にとって、「文科省」というのは、執行部の方針を介して、あるいは書類の字面を通して垣間見える、虚像でしかない、はず。
一方の文科省。
なぜ大学に謎施策の遂行を迫っているのだろうか。
あるいは、本当に文科省は、謎施策を迫っているのか。
謎施策を迫っているというのは(おそらく)事実とは異なる。
たぶん文科省は「大体こんな感じの、何か新しいことをしたらどうか」と言っている、はずだ。
つまり、多くの大学関係者が思っているほど限定的な要求ではなく、良くも悪くもフワッとした大枠の要求なのだろう。
そう考えるのは、いろんな活動で直接対峙した経験として、そんな感じで物事が進んでいるのを眺めたからだ。
本題からは外れるが、もし文科省がかなり狭い範囲に絞った謎施策をはじめたとしたら、それは『有識者(その多くは大学関係者)』の誰かが、その強烈な思想によって要求したと考えるのが妥当だ。
具体的にどの案件とは言わない。
近年新たにはじめられた、失敗としか言いようのない事業群は、そういう案件だと思う。
ここまで書いてなかったけど、根本的に、文科省は大学を敵視しているわけではない。
むしろとても応援している。
応援しているがゆえに、大学に辛辣になることも多い。
万年下位球団の熱烈なファン・サポーターのようなものだ。
「お前ら、気持ち見せろよ!」
「勝つ気あんのかよ!」
「監督解任!」
「助っ人外国人ガチャしかねえな!」
〜〜〜
文科省「(学術界の窮状をなんとかせねば)有識者会議さん、何か妙案はないの?」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策A!」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策B!」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策C!」
文科省「(なんかピンとこねぇけど)大学さん、施策ABCの感じでよろしく」
大学側「(何それ?意味不明じゃない?)は、はい。じゃあやりますわ」
〜〜〜
文科省「(学術界の窮状をなんとかせねば)大学さん、何か妙案はないの?」
大学側「(何それ、何を求められてるの?まずは普通に)こんな感じで、どうすか?」
文科省「(なんかピンとこねぇな)うーん、そういうことじゃないんだよね」
大学側「(え?普通じゃダメなんか)じゃあコッチは、どうすか?」
文科省「(なんかわからんけど)まぁそれで良いのでは。その方向で数値目標たてて」
大学側「(この数値目標意味あるか?)は、はい。じゃあ作りますわ」
〜〜〜
有識者は、変化球。
大学側は、当てにいくスイング。
文科省は、OB会やオーナーにおもねった対応に終始。
そんなプロ野球に、未来はあるのかい?
「今日集まっている子供たち野球はいいもんだぞ、野球は楽しいぞ」
何の話をしているのだ。
結局、どうやって対立構図を克服するかとなれば、極論すれば、三者それぞれが真っ当な態度を貫くしかない。
有識者は、既存の見解との違いを作るべく「あえて言えば」とか「強いて挙げるなら」みたいな変化球案を出すのでなく、本質的問題を繰り返し指摘すべきだ。この球を打たれたなら実力負けよと、火の玉ストレートをド真ん中に投げ込むべし。
大学側は、真に自分達が信じる道を歩むことを頑として譲らない。当てにいくスイングではなく、常にスタンドに向かって虹をかけんという気概で振るべし。
文科省は、施策の実行主体である大学こそ尊重し、施策に責任を持たない有識者を尊重しすぎない。OB会やオーナーの声が大きく、その意向におもねった対応をして負け続ける球団の屍を超えていけ。
しかしまぁそれぞれjapanese慣習的な意味での立場もあって、言いたいことも言えないだろう。
疑心暗鬼にもなるだろう。
それでも、そうであればこそ、直接対峙する機会は、十分に持ちたい。
非公式設定として「あの書類、ぶっちゃけ何を言いたいの?アレが出来た経緯って?」という話が出来るだけでも、随分と見通しが違ってくるだろう。
そんな時に、今回の炎上のような『役人仕草』を繰り出すのは止めましょう。
証拠と論理に基づいてクリアな議論をしたい学者達の言語体系と、役人仕草は、とても食い合わせが悪い。
ある意味では個人事業主として言いたいことが言える学者と、大きな看板から独立してモノが言えるわけではない役人とでは、たとえSNSといえども、課される制約も違うでしょうから、そこはある程度は汲んであげたい。
あと。
大学関係者の口癖であるところの「給料安い」「忙しい」「国を背負った仕事をしてるのに」は、官僚にも通じるのよ。
文科省の中を見たら、驚くほど少ない人数で、驚くほど多方面の仕事をサバいてる。
そりゃ質も落ちる罠、と。
公務員叩きをしている大学関係者も多いけど、叩けば叩くほど質が落ちて、跳ね返ってくるぞ。
たとえば両者でその境遇(不遇)を感傷的に共有することで、乗り越えられる壁がある、かもしれない。
学術界は若手の時に熾烈な生存競争が行われる(もう過去形だけど)が、テニュアを取ればアガリのようなものだ。
一方、役人は定年に至るまで延々ジリジリと道が狭まっていく状況に置かれるので、ある意味で大学関係者よりもツラい職業である、かもしれない。
結論はいつも同じ。
天に星。(目指すべき大目標を真っ直ぐに見据えよう)
地に花。(置かれた現状を受け止め出来ることをやろう)
人に愛。(人には愛を持って接しましょう)
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この業界で生きていると、大学関係者による文科省非難はよく聞く。
でも、たぶん、ほとんどが印象論だろう。
なんせ普通に大学教員をしていたら、文科省と直接対峙する機会は極めて限定的だろうからだ。
ボクは日本学術会議の若手アカデミーとかいうけったいな組織のメンバーをしている関係で、役所の人々と直接対峙することがある。
日本学術会議あるいはその若手アカデミーのメンバーとして会う時は、基本的には非常に尊重されるというか、有識者として丁寧に扱われがちである。
一方で、本職も非大学の組織で、そちらの仕事でもヒラ社員として役所の人々と話をする機会がある。
こちらの場合は、基本的には低い立場にあるような具合で、ちょっと違った扱いになる感じがする。
一応そんな両面を見ているという自負、というか単に経験だが、そんなものがある人である。
役所側との仕事をしていると、直接に顔を合わせて(含オンライン会議)話をするのと、それを受けて取り扱う書類にある文面と、その両方に触れる。
そうすると「おぉ。あの話は、文書ではこのように書かれるのか」と驚くことがある。
驚くことがあるというか、毎回。毎回驚く。
それで思うのだ。
「これ、先に話を聞いてるからわかるけど、文書だけ読まされたら、どこがキモかわからんな」と。
そしてここに、文科省と大学の対立構図の根源があるんじゃないか。
だからこそ、ここに両者を融和するヒントがあるんじゃないか、と考えるのだ。
ここって、どこよ。
SNSで文科省ヘイトを叫ぶ大学関係者が多くいる。
おそらく「文科省から言われた」という執行部が繰り出す施策に振り回された経験があるのだろう。
文科省発出の文書そのものに触れる機会もあるのかもしれないが、たぶん文書を見ている人も、ごく少数に限られると思う。
そこは大学で働いたことがないからわからないけど、これはなんとなくそうだと思う。
つまり、多くの大学関係者にとって、「文科省」というのは、執行部の方針を介して、あるいは書類の字面を通して垣間見える、虚像でしかない、はず。
一方の文科省。
なぜ大学に謎施策の遂行を迫っているのだろうか。
あるいは、本当に文科省は、謎施策を迫っているのか。
謎施策を迫っているというのは(おそらく)事実とは異なる。
たぶん文科省は「大体こんな感じの、何か新しいことをしたらどうか」と言っている、はずだ。
つまり、多くの大学関係者が思っているほど限定的な要求ではなく、良くも悪くもフワッとした大枠の要求なのだろう。
そう考えるのは、いろんな活動で直接対峙した経験として、そんな感じで物事が進んでいるのを眺めたからだ。
本題からは外れるが、もし文科省がかなり狭い範囲に絞った謎施策をはじめたとしたら、それは『有識者(その多くは大学関係者)』の誰かが、その強烈な思想によって要求したと考えるのが妥当だ。
具体的にどの案件とは言わない。
近年新たにはじめられた、失敗としか言いようのない事業群は、そういう案件だと思う。
ここまで書いてなかったけど、根本的に、文科省は大学を敵視しているわけではない。
むしろとても応援している。
応援しているがゆえに、大学に辛辣になることも多い。
万年下位球団の熱烈なファン・サポーターのようなものだ。
「お前ら、気持ち見せろよ!」
「勝つ気あんのかよ!」
「監督解任!」
「助っ人外国人ガチャしかねえな!」
〜〜〜
文科省「(学術界の窮状をなんとかせねば)有識者会議さん、何か妙案はないの?」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策A!」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策B!」
有識者「ぼくのかんがえるさいきょうのがくじゅつかいかいかく施策C!」
文科省「(なんかピンとこねぇけど)大学さん、施策ABCの感じでよろしく」
大学側「(何それ?意味不明じゃない?)は、はい。じゃあやりますわ」
〜〜〜
文科省「(学術界の窮状をなんとかせねば)大学さん、何か妙案はないの?」
大学側「(何それ、何を求められてるの?まずは普通に)こんな感じで、どうすか?」
文科省「(なんかピンとこねぇな)うーん、そういうことじゃないんだよね」
大学側「(え?普通じゃダメなんか)じゃあコッチは、どうすか?」
文科省「(なんかわからんけど)まぁそれで良いのでは。その方向で数値目標たてて」
大学側「(この数値目標意味あるか?)は、はい。じゃあ作りますわ」
〜〜〜
有識者は、変化球。
大学側は、当てにいくスイング。
文科省は、OB会やオーナーにおもねった対応に終始。
そんなプロ野球に、未来はあるのかい?
「今日集まっている子供たち野球はいいもんだぞ、野球は楽しいぞ」
何の話をしているのだ。
結局、どうやって対立構図を克服するかとなれば、極論すれば、三者それぞれが真っ当な態度を貫くしかない。
有識者は、既存の見解との違いを作るべく「あえて言えば」とか「強いて挙げるなら」みたいな変化球案を出すのでなく、本質的問題を繰り返し指摘すべきだ。この球を打たれたなら実力負けよと、火の玉ストレートをド真ん中に投げ込むべし。
大学側は、真に自分達が信じる道を歩むことを頑として譲らない。当てにいくスイングではなく、常にスタンドに向かって虹をかけんという気概で振るべし。
文科省は、施策の実行主体である大学こそ尊重し、施策に責任を持たない有識者を尊重しすぎない。OB会やオーナーの声が大きく、その意向におもねった対応をして負け続ける球団の屍を超えていけ。
しかしまぁそれぞれjapanese慣習的な意味での立場もあって、言いたいことも言えないだろう。
疑心暗鬼にもなるだろう。
それでも、そうであればこそ、直接対峙する機会は、十分に持ちたい。
非公式設定として「あの書類、ぶっちゃけ何を言いたいの?アレが出来た経緯って?」という話が出来るだけでも、随分と見通しが違ってくるだろう。
そんな時に、今回の炎上のような『役人仕草』を繰り出すのは止めましょう。
証拠と論理に基づいてクリアな議論をしたい学者達の言語体系と、役人仕草は、とても食い合わせが悪い。
ある意味では個人事業主として言いたいことが言える学者と、大きな看板から独立してモノが言えるわけではない役人とでは、たとえSNSといえども、課される制約も違うでしょうから、そこはある程度は汲んであげたい。
あと。
大学関係者の口癖であるところの「給料安い」「忙しい」「国を背負った仕事をしてるのに」は、官僚にも通じるのよ。
文科省の中を見たら、驚くほど少ない人数で、驚くほど多方面の仕事をサバいてる。
そりゃ質も落ちる罠、と。
公務員叩きをしている大学関係者も多いけど、叩けば叩くほど質が落ちて、跳ね返ってくるぞ。
たとえば両者でその境遇(不遇)を感傷的に共有することで、乗り越えられる壁がある、かもしれない。
学術界は若手の時に熾烈な生存競争が行われる(もう過去形だけど)が、テニュアを取ればアガリのようなものだ。
一方、役人は定年に至るまで延々ジリジリと道が狭まっていく状況に置かれるので、ある意味で大学関係者よりもツラい職業である、かもしれない。
結論はいつも同じ。
天に星。(目指すべき大目標を真っ直ぐに見据えよう)
地に花。(置かれた現状を受け止め出来ることをやろう)
人に愛。(人には愛を持って接しましょう)
2022年8月
回答:研究力強化--特に大学等における研究環境改善の視点から--に関する審議について
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-k328.pdf
【提案1】教育業務の最適化
【提案2】より良い学生支援のための学生・教員サポートシステムの創設
【提案3】事務・技術サポート強化と研究機器環境(コアファシリティ)整備
【提案4】科学研究費助成事業(科研費)の全種目基金化による研究力向上
【提案5】過剰評価と評価疲れの解消
【提案6】若手研究者のスタートアップ支援の充実
【提案7】若手研究者の国際的人材流動性・国際ネットワーク構築
【提案8】博士課程学生の位置付けの明確化
【提案9】高度な「人材流動性」社会実現のための多様な博士課程進学者とキャリアパス
【提案10】学術研究に対する社会的理解の醸成に向けたステートメント発出
※この回答は、内閣府からの審議依頼を受けて、日本学術会議に設置した「我が国の学術の発展・研究力強化に関する検討委員会」が中心となり審議を行ったものであり、日本学術会議として公表するものである。
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回答:研究力強化--特に大学等における研究環境改善の視点から--に関する審議について
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-k328.pdf
【提案1】教育業務の最適化
【提案2】より良い学生支援のための学生・教員サポートシステムの創設
【提案3】事務・技術サポート強化と研究機器環境(コアファシリティ)整備
【提案4】科学研究費助成事業(科研費)の全種目基金化による研究力向上
【提案5】過剰評価と評価疲れの解消
【提案6】若手研究者のスタートアップ支援の充実
【提案7】若手研究者の国際的人材流動性・国際ネットワーク構築
【提案8】博士課程学生の位置付けの明確化
【提案9】高度な「人材流動性」社会実現のための多様な博士課程進学者とキャリアパス
【提案10】学術研究に対する社会的理解の醸成に向けたステートメント発出
※この回答は、内閣府からの審議依頼を受けて、日本学術会議に設置した「我が国の学術の発展・研究力強化に関する検討委員会」が中心となり審議を行ったものであり、日本学術会議として公表するものである。
2022年が始まった時点で「今年は今後10年のターニングポイントになるぞ」と思っていたが、フタを開ければ何てことはないという状況。
特に以下の3つが大きいと思っていた。
2021年11月にエライ人から呼び出され「2022年度から10年モノの重ため案件を頼みたい」と告げられ、天を仰ぎつつこれも天命と受け入れることにした。しかし2022年には断続的に会議が開催されるものの本丸での作業が遅れたおかげで負担はそれほどでもなかった。そして話の流れから総大将は別の人が担当することになっていった。これはラッキー。
2023年からはじまりそうな(事実上の継続)案件について「キミに任せる」と言われていた。それなりにマジメに準備にも関わっていたのだが、9月になって突然「やっぱりキミには任せない」と言われた。弊所に代々伝わる奥義ハシゴ外し。しかしその後の成り行きを見るに、「任せない」という判断をした部分と、ボクが「関わりたくない」と感じる部分とが同根の様子で、結果オーライかもしれない。
8月に第四子が生まれた。上の三人のリアクションが読めず、うまくハマらないと家庭内が大変になるなと思っていた。高齢出産でもあるので、母子の健康も不安だった。しかしこれは嬉しい誤算というか、母子健康はもちろんのこと、上の子達も歳の離れた弟の誕生を非常に前向きにとらえて生活している。
その他は、これまで通りで、可もなく不可もなしという具合。
50周年記念誌は、3月までキュウキュウ、夏まではダラダラと作業を続けた。9月の公開以降、基本的には非常に高い評価をもらっている。やって良かったと思える仕事になった。
入れ替わるように学術会議の『回答』にむけた委員会活動。隔週開催の委員会では前に進んでいる実感がえられず、案の定、締切直前にスゴい負荷でガガーっと書くハメになった。自分の中では真摯に取り組んで、他の委員からも色々なインプットがあって、最終的に公表したバージョンはなかなかの出来になったと自負している。しかし、銃殺事件などがあって、施策への実装が吹き飛んでしまった印象。中長期的に活きていけば良いのだが。
航海は4つ。プロジェクト、企業、プロジェクト、共同利用公募。すべて主席。それぞれの航海で色々あった気もするけど、それほど特別なことは起こらなかった。今まで一緒に乗ったことがなかった人との新たな出会いが(近年の航海に比べ)多く、航海後にも交流が続いたりした。
5月の連休明けには超弩級案件が発生。記念誌後始末、回答会議連発、妊娠後期という時期で判断力が鈍っていたのだろう。うっかり引き受けたものの、まったく対応できないでほぼ放置してきた。年末になってついに追撃を受けてしまい、逃げ道がなくなった。しかし幸か不幸か、色んなことが片付きつつあるので、観念して取り組むことに。
そんなところに深海探査機能WGでの議論が発生したり、某企画の主要メンバーになったりで、まだまだ仕事はなくならない。しかしこういうのは、同じアホなら踊らにゃそんそんですからね。やりますよ。
主著論文は出てない。出してない。出てないのではなく出してないんだから、問題ない。問題ないんだ。
ミニバスが楽しくなって、すっかり常連になっている。小学生の成長を見守るのは何よりの娯楽だ。安西先生のきもちがよくわかる。ずっと思い描いていた「早めにセミリタイアを決め込んで町の子供たちにサッカーを教える」というのがバスケに変わっただけだし、自分自身もバスケの素人だから勉強するのも楽しい。在宅勤務が続くので、これまで平日の昼サッカーがあった分の運動量が浮いていて、これを週末のミニバスに回せているのも大きい。まだまだ続けるだろう。
こんなもんかな。
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特に以下の3つが大きいと思っていた。
2021年11月にエライ人から呼び出され「2022年度から10年モノの重ため案件を頼みたい」と告げられ、天を仰ぎつつこれも天命と受け入れることにした。しかし2022年には断続的に会議が開催されるものの本丸での作業が遅れたおかげで負担はそれほどでもなかった。そして話の流れから総大将は別の人が担当することになっていった。これはラッキー。
2023年からはじまりそうな(事実上の継続)案件について「キミに任せる」と言われていた。それなりにマジメに準備にも関わっていたのだが、9月になって突然「やっぱりキミには任せない」と言われた。弊所に代々伝わる奥義ハシゴ外し。しかしその後の成り行きを見るに、「任せない」という判断をした部分と、ボクが「関わりたくない」と感じる部分とが同根の様子で、結果オーライかもしれない。
8月に第四子が生まれた。上の三人のリアクションが読めず、うまくハマらないと家庭内が大変になるなと思っていた。高齢出産でもあるので、母子の健康も不安だった。しかしこれは嬉しい誤算というか、母子健康はもちろんのこと、上の子達も歳の離れた弟の誕生を非常に前向きにとらえて生活している。
その他は、これまで通りで、可もなく不可もなしという具合。
50周年記念誌は、3月までキュウキュウ、夏まではダラダラと作業を続けた。9月の公開以降、基本的には非常に高い評価をもらっている。やって良かったと思える仕事になった。
入れ替わるように学術会議の『回答』にむけた委員会活動。隔週開催の委員会では前に進んでいる実感がえられず、案の定、締切直前にスゴい負荷でガガーっと書くハメになった。自分の中では真摯に取り組んで、他の委員からも色々なインプットがあって、最終的に公表したバージョンはなかなかの出来になったと自負している。しかし、銃殺事件などがあって、施策への実装が吹き飛んでしまった印象。中長期的に活きていけば良いのだが。
航海は4つ。プロジェクト、企業、プロジェクト、共同利用公募。すべて主席。それぞれの航海で色々あった気もするけど、それほど特別なことは起こらなかった。今まで一緒に乗ったことがなかった人との新たな出会いが(近年の航海に比べ)多く、航海後にも交流が続いたりした。
5月の連休明けには超弩級案件が発生。記念誌後始末、回答会議連発、妊娠後期という時期で判断力が鈍っていたのだろう。うっかり引き受けたものの、まったく対応できないでほぼ放置してきた。年末になってついに追撃を受けてしまい、逃げ道がなくなった。しかし幸か不幸か、色んなことが片付きつつあるので、観念して取り組むことに。
そんなところに深海探査機能WGでの議論が発生したり、某企画の主要メンバーになったりで、まだまだ仕事はなくならない。しかしこういうのは、同じアホなら踊らにゃそんそんですからね。やりますよ。
主著論文は出てない。出してない。出てないのではなく出してないんだから、問題ない。問題ないんだ。
ミニバスが楽しくなって、すっかり常連になっている。小学生の成長を見守るのは何よりの娯楽だ。安西先生のきもちがよくわかる。ずっと思い描いていた「早めにセミリタイアを決め込んで町の子供たちにサッカーを教える」というのがバスケに変わっただけだし、自分自身もバスケの素人だから勉強するのも楽しい。在宅勤務が続くので、これまで平日の昼サッカーがあった分の運動量が浮いていて、これを週末のミニバスに回せているのも大きい。まだまだ続けるだろう。
こんなもんかな。
2021年8月に提案書を提出。
熱水プルーム内のプロセスを見るべく、比較的新規な手法を持つメンバーで総合調査を行うもの。
申請書としては、萌芽探索系なのか網羅観測系なのか、立場が揺れて微妙だった。
2021年11月に「仮採択」。
C評価。40件中の13-18位。
可もなく不可もなし。
2022年12月17-24日の実施となり、提案から時間が十分にできた。
が、他の航海などあり本航海にむけて勉強が出来ていたとは言いがたい。
事前の乗船者セミナーの感触を受けて、実施にあたっては、萌芽探索系に絞ることにした。
積込などの手配は、主席として航海準備を番頭殿に任せきりで気楽であった。
毎度のことであるが、本当に感謝している。
一方、試料採取立案でプルーム専門家としての立場でまで気を抜いてしまったことは反省。
結果的に現場で説明なく急な変更を迫ることになってしまった。
この辺りの「カマすとマカす」をうまく出来るようになりたい。
今回は提案書通りのメンバーで航海が出来た。
乗船メンバーからは「誘われたことで新たなテーマに取り組めた」とか「大親分の庇護を離れてチームリーダーとして振る舞う経験が積めた」とか「単純に楽しかった」とか、満足してもらえた。
強烈な北風が吹き続けて、出港を早めて八丈島待機。
たった9時間しか観測できなかった。それも21-06時。
船長判断でAフレームから投入したCTDは、ケーブルが軽いせいか線長からかなり離れた。
それでも実施した3キャストで、それなりに良い試料が取れたはず。
06時に離脱して最高速度で高知沖へ走る。
それでも室戸沖ぐらいから揺れ始めた。
翌朝は吹雪。高知観測史上最高の積雪。
白鳳丸での人身事故もあり、時間外の飲酒を伴う集会は自粛要請があった。
それでも、幸か不幸か待機時間が長かったので、三々五々ながら十分な会話ができた。
それぞれが昔なじみでもあり、昔話や共通の知人の話題などで盛り上がる。
みんな気の良いニイチャンネエチャンだった。
今回の試料を使ってみんなが年度末までに出してくるプレリミナリな結果に期待。
それはきっと面白い結果になる(ここには根拠なき自信がある)。
それをベースに、同じ座組でさらに練った航海提案をすることになる。
というか、そう出来ればこの上なく嬉しいし、そうすることが提案者主席としての責務だとも思う。
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熱水プルーム内のプロセスを見るべく、比較的新規な手法を持つメンバーで総合調査を行うもの。
申請書としては、萌芽探索系なのか網羅観測系なのか、立場が揺れて微妙だった。
2021年11月に「仮採択」。
C評価。40件中の13-18位。
可もなく不可もなし。
2022年12月17-24日の実施となり、提案から時間が十分にできた。
が、他の航海などあり本航海にむけて勉強が出来ていたとは言いがたい。
事前の乗船者セミナーの感触を受けて、実施にあたっては、萌芽探索系に絞ることにした。
積込などの手配は、主席として航海準備を番頭殿に任せきりで気楽であった。
毎度のことであるが、本当に感謝している。
一方、試料採取立案でプルーム専門家としての立場でまで気を抜いてしまったことは反省。
結果的に現場で説明なく急な変更を迫ることになってしまった。
この辺りの「カマすとマカす」をうまく出来るようになりたい。
今回は提案書通りのメンバーで航海が出来た。
乗船メンバーからは「誘われたことで新たなテーマに取り組めた」とか「大親分の庇護を離れてチームリーダーとして振る舞う経験が積めた」とか「単純に楽しかった」とか、満足してもらえた。
強烈な北風が吹き続けて、出港を早めて八丈島待機。
たった9時間しか観測できなかった。それも21-06時。
船長判断でAフレームから投入したCTDは、ケーブルが軽いせいか線長からかなり離れた。
それでも実施した3キャストで、それなりに良い試料が取れたはず。
06時に離脱して最高速度で高知沖へ走る。
それでも室戸沖ぐらいから揺れ始めた。
翌朝は吹雪。高知観測史上最高の積雪。
白鳳丸での人身事故もあり、時間外の飲酒を伴う集会は自粛要請があった。
それでも、幸か不幸か待機時間が長かったので、三々五々ながら十分な会話ができた。
それぞれが昔なじみでもあり、昔話や共通の知人の話題などで盛り上がる。
みんな気の良いニイチャンネエチャンだった。
今回の試料を使ってみんなが年度末までに出してくるプレリミナリな結果に期待。
それはきっと面白い結果になる(ここには根拠なき自信がある)。
それをベースに、同じ座組でさらに練った航海提案をすることになる。
というか、そう出来ればこの上なく嬉しいし、そうすることが提案者主席としての責務だとも思う。
40になって、60以降の人生も見据え、少し仕事比率を下げている。
具体的には、土日に仕事をしないで、キッズのミニバスに参加している。
もともと、良いところでセミリタイアしてサッカー少年團をやりたかったので、競技は違うものの、理想的な着地点を見出しつつあるとも言える。
小学生の指導というものは、考えていたよりもずっとずっと難しい。
しかし成長速度は、想定よりもずっとずっと速くて、ハマった時のノビを見るのは快感だ。
それはさておき。
土日にまったく仕事をしないと、さすがに色んなことが回らなくなってくる。
ただでさえ最近は多様な仕事にそれぞれイッチョ噛みするような状況であり、頭の切り替えが難しいから、より進捗は芳しくない。
「カマすとこカマす、まかすとこまかす、割と適当な段取りで」だが、まだまだうまくない。
これも昔からわかっていたことで、やっぱり期限のない仕事が後回しになっていく。
論文執筆は、執筆そのものは期限がないけど出さないと失職する、というかつてのプレッシャーがなくなり、本当に後回しになっている。
でもこれは、前向きに選択している部分でもあるので、それほど問題とは思っていない。
いや、問題なのだけど。
学徒から学者へのトランスフォーメーションの核であって、学徒でなくなり学者であるとしても、インプットを続けることと合わせて、アウトプットで一定の品質保証を続けることが不可欠だからね。
「世の人のためになれば」と引き受ける仕事と、「世のためになるから引き受けねば」と着手する仕事と、両方にまみれていると、どっちがどっちか見失いそうになる。
隣人を愛しながら、しかし世界も愛していきたい。
二律背反だと言ってしまえば簡単な事態に陥った時に、それでも両取りできる道を探る。
あるいは、心情的には悩み抜いたとしても、論理と態度では毅然として泣いて馬謖を斬る。
その辺りの腹の据え方を、そろそろ身につけねばならない。
ついに狭い意味でのラボの陣容が確固たるものになった。
本当はもう一歩、最終的なラインがあるけども、そこの突破は時間の問題に過ぎない。
安堵&安堵。
ヒトの人生を背負う、じゃないけども、人事は軽々に扱えることではない。
「結果的にどうこう」と言って、適当に丸めて良い話じゃない。
心配や心労をかけてしまうことになったのは本当に申し訳なく思っている。
それでも、何とか話を進められ、ここまで漕ぎつけた。
本当に良かった。
この先の混沌の時代をいかに歩むか、と言われる。
しかし、この世には不変の原理原則がいくつか存在する。
元素は不変で、熱力学にしたがい、海水は光を通さない緩衝溶液だ。
原理原則を押さえ、そこから論を構築すれば、最新にキャッチアップできていなくても、大きく外れることはない。
逆に、最新のうわべをなぞっているだけなのが、一番あやうい。
心情に委ねるのはもっと危険かもしれない。
書かねばならん文章から逃げているだけの、ひさびさのブログ。
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具体的には、土日に仕事をしないで、キッズのミニバスに参加している。
もともと、良いところでセミリタイアしてサッカー少年團をやりたかったので、競技は違うものの、理想的な着地点を見出しつつあるとも言える。
小学生の指導というものは、考えていたよりもずっとずっと難しい。
しかし成長速度は、想定よりもずっとずっと速くて、ハマった時のノビを見るのは快感だ。
それはさておき。
土日にまったく仕事をしないと、さすがに色んなことが回らなくなってくる。
ただでさえ最近は多様な仕事にそれぞれイッチョ噛みするような状況であり、頭の切り替えが難しいから、より進捗は芳しくない。
「カマすとこカマす、まかすとこまかす、割と適当な段取りで」だが、まだまだうまくない。
これも昔からわかっていたことで、やっぱり期限のない仕事が後回しになっていく。
論文執筆は、執筆そのものは期限がないけど出さないと失職する、というかつてのプレッシャーがなくなり、本当に後回しになっている。
でもこれは、前向きに選択している部分でもあるので、それほど問題とは思っていない。
いや、問題なのだけど。
学徒から学者へのトランスフォーメーションの核であって、学徒でなくなり学者であるとしても、インプットを続けることと合わせて、アウトプットで一定の品質保証を続けることが不可欠だからね。
「世の人のためになれば」と引き受ける仕事と、「世のためになるから引き受けねば」と着手する仕事と、両方にまみれていると、どっちがどっちか見失いそうになる。
隣人を愛しながら、しかし世界も愛していきたい。
二律背反だと言ってしまえば簡単な事態に陥った時に、それでも両取りできる道を探る。
あるいは、心情的には悩み抜いたとしても、論理と態度では毅然として泣いて馬謖を斬る。
その辺りの腹の据え方を、そろそろ身につけねばならない。
ついに狭い意味でのラボの陣容が確固たるものになった。
本当はもう一歩、最終的なラインがあるけども、そこの突破は時間の問題に過ぎない。
安堵&安堵。
ヒトの人生を背負う、じゃないけども、人事は軽々に扱えることではない。
「結果的にどうこう」と言って、適当に丸めて良い話じゃない。
心配や心労をかけてしまうことになったのは本当に申し訳なく思っている。
それでも、何とか話を進められ、ここまで漕ぎつけた。
本当に良かった。
この先の混沌の時代をいかに歩むか、と言われる。
しかし、この世には不変の原理原則がいくつか存在する。
元素は不変で、熱力学にしたがい、海水は光を通さない緩衝溶液だ。
原理原則を押さえ、そこから論を構築すれば、最新にキャッチアップできていなくても、大きく外れることはない。
逆に、最新のうわべをなぞっているだけなのが、一番あやうい。
心情に委ねるのはもっと危険かもしれない。
書かねばならん文章から逃げているだけの、ひさびさのブログ。