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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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番組名:サイエンスZERO
放送日時:
1月 15日(土) 22:00~22:35/ETV
1月 21日(金) 18:55~19:30/ETV(再)
1月 22日(土)  3:25~4:00 /BS2(再)
放送局:NHK教育テレビ
	
内 容:
最先端の科学と技術を紹介する番組です。
今回のテーマは、「熱水噴出!深海に生命を探れ」。2010年9月に沖縄近海で
行われた大規模な深海熱水域調査に密着し、熱水の周りに暮らす深海生物捕
獲の様子と、地球深部探査船「ちきゅう」によって初めて成功した海底熱水
噴出孔の掘削調査の様子をお伝えします。
高井研プログラムディレクター、布浦拓郎主任研究員、和辻智郎研究員(海洋・
極限環境生物圏領域)がわかりやすく解説します。 
 

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年末年始の帰省のお供にしたのが、
「社会的共通資本」(宇沢弘文)

なんと内田樹の年始のエントリーもコレに基づくものであった
なんたる偶然

まだ初めの半分も読めていないし、
後半には本丸である「大学論」もあるけど、
現時点でのボクの考えをまとめておいて、
比較するのも一興かと思う

もちろんいつも通り、
グダグダでございます



宇沢は本著の中で、
社会的共通資本について、
「自然環境(大気・水・森林・河川・湖沼・海洋・土壌など)、
社会的インフラ(道路・交通機関・上下水道・電気・ガスなど)
制度資本(教育・医療・金融・司法・行政など)」
と定義している

また宇沢は本著の中で、
社会的共通資本の扱われ方について、
「市場的基準によって支配されてはならないし、また、
官僚的基準によって支配されてはならない」
「職業的専門家によって、
専門的知見にもとづき、
職業的規範にしたがって管理・維持されねばならない」
と述べ、さらに、
「社会的共通資本の管理をゆだねられた機構は、
あくまでも独立で、
自立的な立場に立って、
専門的知見に基づき、
職業的規律に従って行動し、
市民に対して直接的に管理責任を負うべき」
としている。
また、これらの言及の背景には、
社会的共通資本が、
「社会にとってきわめて「大切な」ものである」
ということがある。 


この論に従えば、
いわゆる基礎科学を含む科学技術もまた、
社会的共通資本にカウントされるものであろう
また、
科学技術が職業的専門家たる研究者によって、
社会構成員の委託たる税金を用いて推進されているのは、
科学技術が社会的共通資本であるからとも言える

ボクはこの論から、
現在の科学技術をとりまく話題の中でも、
2つのことを考えた


1つはポスドク問題について
科学技術が社会的共通資本であるならば、
それは「職業的専門家」によって管理されるべきであり、
これを逆に読むと、
将来的に研究者となることを望む者は、
自らの能力・実力(専門的知見)が、
社会的共通資本である科学技術の「職業的専門家」として管理を委ねられるに足る、
という矜持を抱くことができるか、
ということを自問する必要があるだろう
現在のポスドク問題の、
もっぱら職業としての研究者にスポットをあてた、
自己責任論やセーフティーネット論には、
こういう部分が抜け落ちているのではないだろうか

もう1つはサイエンスコミュニケーション・アウトリーチについて
科学技術の管理を委託された研究者は、
「あくまでも独立で、自立的な立場に立って、
専門的知見に基づき、職業的規律に従って行動」するため、
その如何を社会構成員に対して説明する責任を負わない
というか、
科学技術研究は専門家に委託された社会的共通資本であるので、
一般社会構成員はその内容について判断する能力を持たない
だから、
「市民に対して直接的に管理責任を負うべき」というのは、
「市民は研究内容を理解する権利がある」という意味ではないだろう
むしろ、
「科学技術に対する管理責任を担いきれない」と研究者が判断した時は、
すみやかにその旨を自ら申告することこそが、
「自立的な立場に立って(中略)管理責任を負う」ということではないだろうか
つまり、
研究成果については、
社会的共通資本制度の前提として、
「職業的専門家が行動する限り研究成果が出ること」が「すでに決まっている」
むしろ、
もし成果が出ないのであれば、
その問題は、
職業的専門家(研究者)の専門的知見(実力)にあるのではなく、
職業的専門家が「自立的な立場に立って(中略)管理責任を負っていない」こと、
言い換えるならば、
「管理責任を全うできないことを隠蔽」し、
「構成員からの委託を受け続けていること」にあるのだろう
要するに、
研究者は、
常に社会の信託・委託を受けるに足るか否かを自問し、
その専門的知見がそれに足らないと認識したら、
すみやかに職業的専門家であることを辞せねばならない、
ということになる
で、
つまり、
あくまで社会的共通資本論に基づけば、
「タクスペイヤーである国民に対するアウトリーチ」なぞ、
そもそも必要ないのであろう


まとめると、
研究者は職業的専門家であるから不断の自己批判が必要ということになる
あるいは、
研究がある程度のコミュニティサイズで運営されることを考えると、
自己批判は相互批判としたほうがより効能が強いことも考えられ、
また、
研究内容のみならず、
いや、
むしろ研究者個人についてこそ、
専門的知見・職業的規範に対する厳しい直接的な相互批判が必要ということだろう

業界発展を望むばかりに、
この視点が欠落することは、
社会に対する科学業界の責任として、
あってはならないのではないだろう

と、思ったが、
これはあくまで社会的共通資本論のみに基づく話であり、
他の側面も含めて複合的な解釈をすると、
この限りではないのだろうなぁ

論文も、航海の準備も、
結構いそいでいかないと厳しいかも

「念入りに、しかも早く」
松下幸之助


昨年末に新作が出ました
伊是名海穴熱水直上の熱水プルームの化学組成
追悼号に滑り込ませた博士論文第4章

この論文の一押しはH2/CH4比に注目したことだけど、
その解釈自体は続く作品で改訂をしているので、
この論文の図は少し恥ずかしい

あとは、
カルデラ壁面と底部の二つの熱水でガス組成が違う
これはきっと、
底にはたくさん堆積物があるから、 
それが煮出されて成分が変化しているからだろう、
という推測をしていて、
それは、昨秋の首席航海で実証された

今年はどういう年になるんだろうか
もうね、個別の目標とか掲げるの、難しい

とりあえず今現在のテーマは「個人の公共性」


これはちょっと違う話だけども、
公私の境目は、
職場との物理的距離感や、
その場にいるメンバーではなくって、
公共性を問われるか否かにあるのでは
ということを考えると、
非常に狭い範囲にしか「私」は存在し得なくて、
そのうち、そのわずかな「私」の時間も、
自分の生活の支配的属性である「公」的な振る舞いで過ごした方が、
もう楽だなぁ、みたいな状態になって、
終いには公私の区別などというものは無くなるのかな


今年も楽しくいきましょう
 
公務員の定年延長検討されていて、
これはわれわれにとっても重要な流れになりそうな予感
(もちろん色んな意見があるので、これからどうなるかはわからんけども)

60歳定年だと65歳の年金受給までにブランクがあることから、
65歳まで給料を得られる体制を作ることには皆同意
しかし、ただ60を65にするだけでは、
総人件費が膨大になってしまうという経済的な側面と、
いつまでも上が抜けないという職場環境的な側面と、
両方でネガティブな問題点がある

その緩和策として、というか折衷案として、
60-65の期間は、60までとは別物として扱う方が良かろうと、
60定年-即再雇用ー65再定年というシステムが、
一般企業では採用されている、らしい
大学の技官やアルバイト職員などもこの扱いなような気がする
まぁ、落とし所としては、こんなところじゃないか、と概ね同意できる

しかし、大学教員は、すでに無条件の65歳定年制に移行している
つまり、教授を65歳まで続ける
給料もそのまま、職務もそのまま
これは、大変にいかがなものかと思うし、
これまでも疑問を投げ続けてきた
「人件費収入が縮小してるから若年教員の枠が無いのよねー」なんていうジジイどもが、
「人件費支出を増大させている自分たち」の65歳までの定年延長に触れないのは、
はっきりと口汚く言ってしまえば、卑怯だ

これまでは公務員が60までだったから、
この大学教員の無条件65歳制は黙認されてきているが、
一般公務員が職種変更・給与体系変更による60-65対応特殊職を設けるのであれば、
大学教員もこれに準ずるべきであろう、という声があがってもよかろう

60-65教員は、たとえば助教程度の給与とし、
授業はできるが、大学運営(教授会・委員会など)には参加せず、学位授与権限も持たない
言うなれば、ポスドクが非常勤講師をしているような、そういうポジションにすれば良いと思う
もちろん一研究者としては元気に頑張れば良いのだが、
スペースの問題などが生じるだろうから、
それは60未満教員との協議で調整すれば良い
なんせ老人一人なのだからどうにでもなるわけだし、
科研費申請資格を持たせておけば、あるいは「鴨ネギ老人」に化ける可能性も大きいわけだ
「最後の一華」を咲かせていただくためには良いのではなかろうか
 
母校凱旋?
色々な人と色々な会話

そっちの道は楽だし、
動かすモノが大きいから充実感はあるが、
そっちに行くと研究者には戻れない。
若いうちからそっちに染まるのは不幸

だって圧倒的に論文が少ないんだもん
いくら人柄が良くても、
最初のフィルターは業績リストですよ

外国人と対等に渡り合ってるんだもん
今日本にいるだけで、世界の研究者なんだよ

と、上記の言葉は心にひっかかりました
あとはいつものように、くだらない話
@@と@@がこっそり付き合っているという噂、とかね
今回の噂は、いずれも驚きな組み合わせでした
今後の内偵活動に力を入れる必要がありそうです


待望の「悩めるAORIFC主将」とようやく対面
やっぱり、修士の時点でしっかり悩んで、
その上でドクターに進むことを決めただけあって、
というか、彼の場合はその前から決意をする局面があったのだろうけども、
とにかく、
そういう、まさに「ダンコたる決意」というのができているんだけども、
「その決意に対する自信はまだない」ような、
そういう不安定さを感じて、
その不安定さがすごく美しく感じる

悩まないなんてありえないし、
でもどこかで「えいや」と決意する必要はあるし、
かといってその決意がずっと揺るがないというものでもない

それは、
海面を漂う船のような、安定が起こりえない揺らぎじゃなくって、
たとえば、ずっと歩いてきた人が、
どれだけ立ち止まっていられるかを自分に課して試している中で起こる体の揺れのような、
できそうでできない、根源的な揺らぎの制御への挑戦
そんな感じがする
と、書いたものの、
自分でも何言ってるんだかよくわからなくなってきた

それはいみじくもゼニモトが今年の総括として述べているように、
ネガティブな物事にフタをしてポジティブに生きるんじゃなくて、
ネガティブな物事をしっかりと見据えて、
それでもなおポジティブな方向に足を踏み出すような、
そういう心情と同質のものに思う

帰り道ではM1君から、
「なんで安易に博士に進学してはならないか」と質問されたので、
彼が少し目をそらしていそうなネガティブな項目を強調しておいた
その後に彼がどう判断するかは、彼次第なのでね

ということで、
非常に充実した一日でした

 
東大農学同期のシオスケが台湾から帰国
横浜で落ち合いあれやこれやと
すっかり自信を付けた様子がほとばしっていたが、
とりあえず台湾生活はシンドイらしいことも伝わってきた
非英語圏の外国というのは、
そういう意味ではギャンブルかもしれない

いつの日か、
しっかりとした形で一緒に研究がしたいものだが、
いかんせん進む道がだいぶ違ったりするので、
どうなることかはわからない

しかしまぁ、
ああいう視点を持っていて、
しかもちゃんと論文を書き続けている同期がいてくれるというのは、
ボクにとっては非常にありがたいことで、
今後とも良い付き合いを続けていきたいと思う

あとは、結婚だね
台湾嫁の線は消えたので、
帰国後、日本で、でしょうか
カアさんに負けず頑張らねばね
 
師走だとかクリスマスだとか今年最後の週末だとか、
そんなのは全然関係ない、
本当にただの週末

朝、少し遅めに起きて、
歩いて出社
人のいない実験室で色々とするも上手くいかず、
徘徊するボスと雑多な研究の会話をして、
少し早めに帰路につき、
少し早めに21時就寝

悪くはないが、
決して良くもないね


娘が泣き叫び嫁は寝不足らしい
すいません
遊び回っております
 
イジリさん
M1の時はサンタの格好ですすきのに繰り出しナンパ
M2の時は「つぼ八」で「あちらのお嬢さんにボジョレを」とナンパ
そして今回は、
ノマキさんセッティングの含女性飲み会
すばらしいね
早く相手を見つけてもらいたいものだ


GCの中にゆるみ箇所を発見!
なぜこんなところが??
これがブランクの原因なら良いのになぁ
という期待をこめて、この週末は実験


ボスと熱水反応域でH2濃度はバッファーされるか否かという論争
「敗れた方が誠意を込めて詫びをいれる」というルールで、
ケンタローさんに裁定を依頼 
結果
大勝利
やったね
しかし残念なのは、
自信満々で語っていたのがシュガー部屋で、
詫びを入れたのがプレカン部屋だったこと
せっかくならシュガー部屋で詫びを入れさせたかったなぁ


コバヤシデータを相談
「とりあえずヒットアンダウェイ」の了承をもらう
しかし、その前に自分のH2培養を出さねばならないのだ
地球化学の若手会とか、
地球科学ニューイヤースクールとか、
まぁそういった集まりが色々とあるんだけども、
数年前から、
そういう集まりに対して懐疑的というか、
少なくとも運営側として関わりを持ちたくない気持ちが強い

もちろん運営をしている人達には敬意を抱くし、
参加している人達の向上心とか好奇心には関心するのだけども、
だけれども、
「それは違うだろ」という思いも拭えない

具体的にどうこうと言われると難しいのだけれども、
なんというか、
向いている方向とか、
行きたい場所にアプローチする手段とか、
そういう部分で、
はっきり言うと「ムダ」っぽい印象を受けてしまう

どこか同人集会的で、
なぜか対等・水平な目線での横の関係をやたら追求するのだけど、
それって本当にそうあるべきなのかね?
目線を下げてあげることで、
全体の水準が下がってはいないか
プレゼンの仕方の目線を下げるのか、
サイエンスの中身の目線を下げるのか、
その辺りの調整が難しいことが現状の「なんか違う」感じの原因だと思うのだが

あと、サイエンスコミュニケーション
なんなんでしょうね
マジでガンでしょ
ダメ
なんで若手の集会とかになるとサイエンスコミュニケーションなんでしょうか
伝える中身なんてまだ持ち合わせてない、
自分の研究のなんたるかを理解できていない人間が集まって、
コミュニケーションもクソもないでしょ
意味不明 

とにかく、
現状のフレームから突き抜ける企画・システムを生み出さないことには、
こういった集会がダメドクターの温床になることは必至なので、
なんとかしてメスを入れたい
目標としているところには共感を覚えるので、
別に対立関係ではないんだからね
同じ労力をかけるのであれば、
よりクリティカルなものが良いよね

とりあえずの方向性としては、
むしろ原点回帰というか、
与える側と受け取る側に明確に別れる(わける)のが良かろう
そういう意味で、
今年の地球化学若手会の、
『「ちょっと年寄りの若手」から「学生」へのメッセージ』
という取り組みは良かったように思う
あれはあれで、
企画としてもっと煮詰める必要はあっただろうけどね
第一回としては及第点なのでは
体調悪すぎて記憶無いけどね


とか考えると、
やはりそういう集会には参加しなければならないんだよなぁ
こういう思いを共有できる人とゆっくり話したいなぁ


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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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