自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
執行期限の早いものは、そろそろなのですよ
恒例の「今の内に買っておくべき物を列挙せよ」オーダー
買いたい物はあるが、
ぶっちゃけ人手がたらんので大物は自粛
ちなみに自分の科研費は残り16万
バルコの8方バルブが4つぐらいほしいのだが、
1つしか買えないよね
どないしましょ
恒例の「今の内に買っておくべき物を列挙せよ」オーダー
買いたい物はあるが、
ぶっちゃけ人手がたらんので大物は自粛
ちなみに自分の科研費は残り16万
バルコの8方バルブが4つぐらいほしいのだが、
1つしか買えないよね
どないしましょ
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とある国の出来事ですが、
ギョーセー刷新会議とやらが、
このような文書を公開し、
とある自由の国が54ページ目あたりで、
血祭りにあげられているとか、あげられていないとか
お前も蝋人形にしてやろーか!
Tweet
ギョーセー刷新会議とやらが、
このような文書を公開し、
とある自由の国が54ページ目あたりで、
血祭りにあげられているとか、あげられていないとか
お前も蝋人形にしてやろーか!
サッカー部のフタムラ氏と前門飯店
フタムラ氏はプロパー事務なので、
普段聞けない向こうサイドの事情などを楽しく聞く
それほどサイズの大きくない組織だからか、
情報の齟齬があるようなことは無かったが、
意識の部分ではまだ乖離があるように感じる
とりあえず、
サイエンスコミュニケーターとか言う前に、
事務職と研究職をつなぐような、
もっと内向きな、広報というか、
そういうようなものが、
互いのモチベーションのために重要なんじゃないかと
航海のベッドに空きがあれば事務方が乗ってみるってのも良いし、
産総研みたいに研究者が出向したって良いと思う
もちろん希望者が、だけどね
あとは新設されたコミュニケーションルームがまったく使われていないことも
個人的には、「スケルトンハウス生活」じゃないけども、
ある研究者が一週間、コミュニケーションルームで仕事をして、
自分のPCモニタをプロジェクタで映し続けるとか、
そういうことをしても良いと思う
まぁせっかくなんだし、色々と面白いことしたいよねー
Tweet
フタムラ氏はプロパー事務なので、
普段聞けない向こうサイドの事情などを楽しく聞く
それほどサイズの大きくない組織だからか、
情報の齟齬があるようなことは無かったが、
意識の部分ではまだ乖離があるように感じる
とりあえず、
サイエンスコミュニケーターとか言う前に、
事務職と研究職をつなぐような、
もっと内向きな、広報というか、
そういうようなものが、
互いのモチベーションのために重要なんじゃないかと
航海のベッドに空きがあれば事務方が乗ってみるってのも良いし、
産総研みたいに研究者が出向したって良いと思う
もちろん希望者が、だけどね
あとは新設されたコミュニケーションルームがまったく使われていないことも
個人的には、「スケルトンハウス生活」じゃないけども、
ある研究者が一週間、コミュニケーションルームで仕事をして、
自分のPCモニタをプロジェクタで映し続けるとか、
そういうことをしても良いと思う
まぁせっかくなんだし、色々と面白いことしたいよねー
微生物と地球化学の境界
固体地球科学と生物地球化学の境界
そういうような場所で研究をしている
紙面とかそういう意味で両者を把握するという勉強もあるが、
やはり中の人のフィロソフィみたいなものも重要なわけで、
そのあたりはやはり飛び込んでみないとわからない
今一番遠いのは固体地球科学
地球物理と呼ばれる研究の知識・感覚も身につけないとね
地球化学、とくに流体の方をやっていると、
「海水が温められて熱水になる」んだけど、
固体地球的には、
「地球の熱が奪われる」なんだよなぁ
循環の大きさの議論の一つの終着点として、
やはりちゃんと勉強しておかねばと思うわけです
Tweet
固体地球科学と生物地球化学の境界
そういうような場所で研究をしている
紙面とかそういう意味で両者を把握するという勉強もあるが、
やはり中の人のフィロソフィみたいなものも重要なわけで、
そのあたりはやはり飛び込んでみないとわからない
今一番遠いのは固体地球科学
地球物理と呼ばれる研究の知識・感覚も身につけないとね
地球化学、とくに流体の方をやっていると、
「海水が温められて熱水になる」んだけど、
固体地球的には、
「地球の熱が奪われる」なんだよなぁ
循環の大きさの議論の一つの終着点として、
やはりちゃんと勉強しておかねばと思うわけです
冊子体にこだわらなければ、
つまりWebPDF配布限定Open Accessであれば、
サーバーインフラさえ整えればなんとかやっていける
財務的には、
投稿料で諸経費をまかなうようにすれば良い
諸経費の大部分は人件費(と事務所家賃)
であれば、
既存の研究組織が学術誌を運営する方が、
メリットがあるのではなかろうか
たとえば大学(あるいは研究独法)の図書館が主体となって、
学術誌を発行する
インフラはすでに整っている
人件費は余分に必要だが、
何もない会社がひねりだすよりも、
大学の方が総量が大きいのでどうにかなりやすかろう
そして儲けを出す必要が無いので、
トントン経営で投稿料も低めに設定可能
編集運営については、
エディターやレビュワを職務の一環として押しつければ良い(?)
身内がレビューすることによるレベルの低下が懸念されるが、
特にOpen Accessが導入されている場合においては、
雑誌の評価はそれほど重要ではなく、
各論文の評価(たとえば引用数)になっていくだろう
少なくとも、
多忙で薄給の研究者が手弁当で運営している学会が、
息絶え絶え中小出版社、あるいは独占目前の猛禽出版社と手を組むより、
よほどメリットがあるように思う
Tweet
つまりWebPDF配布限定Open Accessであれば、
サーバーインフラさえ整えればなんとかやっていける
財務的には、
投稿料で諸経費をまかなうようにすれば良い
諸経費の大部分は人件費(と事務所家賃)
であれば、
既存の研究組織が学術誌を運営する方が、
メリットがあるのではなかろうか
たとえば大学(あるいは研究独法)の図書館が主体となって、
学術誌を発行する
インフラはすでに整っている
人件費は余分に必要だが、
何もない会社がひねりだすよりも、
大学の方が総量が大きいのでどうにかなりやすかろう
そして儲けを出す必要が無いので、
トントン経営で投稿料も低めに設定可能
編集運営については、
エディターやレビュワを職務の一環として押しつければ良い(?)
身内がレビューすることによるレベルの低下が懸念されるが、
特にOpen Accessが導入されている場合においては、
雑誌の評価はそれほど重要ではなく、
各論文の評価(たとえば引用数)になっていくだろう
少なくとも、
多忙で薄給の研究者が手弁当で運営している学会が、
息絶え絶え中小出版社、あるいは独占目前の猛禽出版社と手を組むより、
よほどメリットがあるように思う
自分の能力を考えた時に、
この能力で最大限の仕事をするには、
どういう分野で仕事をするべきかと悩むことがある
今でも
それは人間としてうまれて、
(いちおう)健康で恵まれた生活をしているものとして、
ある意味で選ばれた人間として、
その立場だからこそできることをするべきだと考えるから
まず自己評価として、
極めて気弱でビビリな人間だと思っているので、
リスクを冒して攻めに出るような仕事はあまり得意ではない
ただここで言うリスクも、
世間一般で言うリスクとボクの思うリスクには乖離があるんだけども、
それはちょっと割愛
あと集中力とその持続性も致命的に無い
手先も絶望的に不器用
要するに、あらゆる意味で、
「まっすぐに・狭く・深く」
というのは苦手分野
つまり研究には向いてない
というのが自己評価なわけです
もちろん論文一本作り上げるレベルならどうにかなりますが、
最先端の研究を開拓していくのは苦手だと思っている
一方で、
物事を俯瞰して見て、
要素に分解して整理して関連づけて、
それを相手に伝わる形にして表現することについては、
右に出る者がいない自負がある(とまでは言わないが)
そう考えると、
巷で話題のサイエンスコミュニケーターなんて、
まさに「kawagucci以上の人材なんているんですか」と思うのだが、
ボク自身、まったくそこに魅力を感じない
それはそれは驚くほど興味がない
そうこう考えていくと、
相手に伝えること自体はボクにとってはさほど重要では無くって、
俯瞰して分解して整理して関連づけて、という作業をすることによって、
そこに内包されているというか、構造化されている事象を洗い出して、
それを真の、新たな問題点として解決法を添えて提案することが、
ボクにとってもっとも楽しい仕事であるとともに、
ボクの能力が最大限いかせる仕事なのではないかと思うわけです
特に、人間が関与する比較的規模の大きな組織を対象とした、
社会システム学とでも呼ぶべきようなものが、
得意かつ好んで取り組める仕事だと思うわけです
しかし、
とりあえずそういう個人的な志向は脇に置いて、
良い研究をする一流の研究者になりますよ
苦手かつ好みでないだけで、
努力でそれを乗り越えて一流の研究者になる自信はありますから
そして、
今の仕事のような境界領域での研究というのは、
上で述べたような志向に非常にマッチしているので、
研究分野の中では比較的楽しみながら取り組めるものだとも思うしね
Tweet
この能力で最大限の仕事をするには、
どういう分野で仕事をするべきかと悩むことがある
今でも
それは人間としてうまれて、
(いちおう)健康で恵まれた生活をしているものとして、
ある意味で選ばれた人間として、
その立場だからこそできることをするべきだと考えるから
まず自己評価として、
極めて気弱でビビリな人間だと思っているので、
リスクを冒して攻めに出るような仕事はあまり得意ではない
ただここで言うリスクも、
世間一般で言うリスクとボクの思うリスクには乖離があるんだけども、
それはちょっと割愛
あと集中力とその持続性も致命的に無い
手先も絶望的に不器用
要するに、あらゆる意味で、
「まっすぐに・狭く・深く」
というのは苦手分野
つまり研究には向いてない
というのが自己評価なわけです
もちろん論文一本作り上げるレベルならどうにかなりますが、
最先端の研究を開拓していくのは苦手だと思っている
一方で、
物事を俯瞰して見て、
要素に分解して整理して関連づけて、
それを相手に伝わる形にして表現することについては、
右に出る者がいない自負がある(とまでは言わないが)
そう考えると、
巷で話題のサイエンスコミュニケーターなんて、
まさに「kawagucci以上の人材なんているんですか」と思うのだが、
ボク自身、まったくそこに魅力を感じない
それはそれは驚くほど興味がない
そうこう考えていくと、
相手に伝えること自体はボクにとってはさほど重要では無くって、
俯瞰して分解して整理して関連づけて、という作業をすることによって、
そこに内包されているというか、構造化されている事象を洗い出して、
それを真の、新たな問題点として解決法を添えて提案することが、
ボクにとってもっとも楽しい仕事であるとともに、
ボクの能力が最大限いかせる仕事なのではないかと思うわけです
特に、人間が関与する比較的規模の大きな組織を対象とした、
社会システム学とでも呼ぶべきようなものが、
得意かつ好んで取り組める仕事だと思うわけです
しかし、
とりあえずそういう個人的な志向は脇に置いて、
良い研究をする一流の研究者になりますよ
苦手かつ好みでないだけで、
努力でそれを乗り越えて一流の研究者になる自信はありますから
そして、
今の仕事のような境界領域での研究というのは、
上で述べたような志向に非常にマッチしているので、
研究分野の中では比較的楽しみながら取り組めるものだとも思うしね
何にもめでたくないけどね
JSPSのリリース
なぜPDなんだ
PDとDCが逆だろ
コンテストにした民主も、
PDを出場させた文科省も、
ウンチですね
学振PDに関する以前の文章たち
定年延長がポストの流動性を下げたのでは?
学振PDは他のポスドクとは違うのだ
学振PDは生活保護・弱者救済なんかじゃない
ちなみに2ch情報によると、
Webで確認すれば、
当選者->学振受理
落選者->不採択
となっているとのこと
Tweet
JSPSのリリース
なぜPDなんだ
PDとDCが逆だろ
コンテストにした民主も、
PDを出場させた文科省も、
ウンチですね
学振PDに関する以前の文章たち
定年延長がポストの流動性を下げたのでは?
学振PDは他のポスドクとは違うのだ
学振PDは生活保護・弱者救済なんかじゃない
ちなみに2ch情報によると、
Webで確認すれば、
当選者->学振受理
落選者->不採択
となっているとのこと
連合から声明も出ているみたいなので、
現在の自分の状況を記しておく
参考にされたし
質問は直接メールでされたし
ポスドクの形態の一つとして、
プロジェクトに雇用されるというものがある
この場合、理屈上、
「プロジェクト研究に従事する」ことになるため、
「プロジェクト以外の仕事はしてはならない」ことになる
いわゆるエフォート100%状態
でも、これでは研究者としてのキャリアの一歩目から、
研究者としての自由度が無いことになってしまう
連合の声明というのは、
お金の出所とかを考えた場合には、
「筋論的にそれは無しでしょ」なのだが、
若手の立場に立った人情論で言うと、
「そうしてもらわないと困る」ということ
で、
でも、
連合声明はいささか無理筋な感じがするのですが、
実はボク自身はその無理筋を解決するトリッキーな状態にあります
それを紹介するのがこの文章です
さて、ボクの話ですが、
身分的には某機構のポスドク研究員
ボクと機構は1枚の契約書で契約関係にある
機構ポスドク研究員としてのエフォートが、
80%->科研費(ボスが代表)
20%->所属ラボ
ということに(たしか)なっていて、
上記の契約書にも、
「科研費~~に関する研究」および「~~に関する研究」と記されていて、
この通りの配分で給料の「出所」が分別されている(らしい)
(契約書には配分は書いていない)
「らしい」というのは、
「給料の出所」というのはボクの財布に入る一歩手前の話で、
いわゆる会社の中のお話
機構からは契約書通りの額が月に1回振り込まれているので、
ボク自身にとっては「給料の出所」の実感は無い
とはいえ、
毎月出勤簿と一緒に勤務報告書みたいなものを提出していて、
そこには「今日はアッチ」「昨日はコッチ」ということを書いて、
実質の(つまりは書面上の)エフォートが、
給料の出所に関するエフォートと一致するようにしている
ボスの科研費での雇用にあたる80%に関しては、
そのまま科研費の目的に沿った仕事をしている
一方、
機構のラボの仕事に従事している20%というのは、
普通に機構の金で雇用されているポスドクと同じように、
科研費を含む外部資金に応募する資格を有し、
実際に獲得・利用しながら、
ラボの研究を実施している
エフォート管理も普通の人たちと同じだ
ということで、
現在のエフォートは(細かい数字は間違ってると思うけど)、
80%->ボスの科研費
8%->自分の科研費若手
8%->自分の外部資金A
2%->自分の外部資金B
2%->ラボの仕事
ということになっている(はず)
と、
ボクの場合は20%分を「機構のお金」でまかなえるので、
「科研費で雇われつつ科研費を受領(申請)する」ことが可能になっている
しかし、
たとえば大学教員の科研費で雇われる場合、
科研費以外の残りの部分をどのように捻出するのか、
大学としてどのような形式がありえるのか、
これは個別の事例になってしまうかもしれない
いずれにせよ、
科研費申請資格の有無というのは、
お金を得ることができるかどうかはもとより、
「研究費獲得実績」にも関わるので、
非常にシビアな問題である
と、いうような認識をポスドク自身が持つことも重要かと思う
「ラボにお金あるから科研費申請せんでもえーわー」とか、
そういうこと言ってるとそのうち痛い目にあうかもしれませんよ
あと、
ボクのようにややトリッキーな方法が実際に行われていることを、
情報として提示できるだけで、
それぞれの所属でのヤリクリをお願いする糸口になると思うのです
事務手続き的には結構お堅い我が機構で出来ていることですから、
大学でも(大学ならではの問題を除けば)可能なはずなのです
Tweet
現在の自分の状況を記しておく
参考にされたし
質問は直接メールでされたし
ポスドクの形態の一つとして、
プロジェクトに雇用されるというものがある
この場合、理屈上、
「プロジェクト研究に従事する」ことになるため、
「プロジェクト以外の仕事はしてはならない」ことになる
いわゆるエフォート100%状態
でも、これでは研究者としてのキャリアの一歩目から、
研究者としての自由度が無いことになってしまう
連合の声明というのは、
お金の出所とかを考えた場合には、
「筋論的にそれは無しでしょ」なのだが、
若手の立場に立った人情論で言うと、
「そうしてもらわないと困る」ということ
で、
でも、
連合声明はいささか無理筋な感じがするのですが、
実はボク自身はその無理筋を解決するトリッキーな状態にあります
それを紹介するのがこの文章です
さて、ボクの話ですが、
身分的には某機構のポスドク研究員
ボクと機構は1枚の契約書で契約関係にある
機構ポスドク研究員としてのエフォートが、
80%->科研費(ボスが代表)
20%->所属ラボ
ということに(たしか)なっていて、
上記の契約書にも、
「科研費~~に関する研究」および「~~に関する研究」と記されていて、
この通りの配分で給料の「出所」が分別されている(らしい)
(契約書には配分は書いていない)
「らしい」というのは、
「給料の出所」というのはボクの財布に入る一歩手前の話で、
いわゆる会社の中のお話
機構からは契約書通りの額が月に1回振り込まれているので、
ボク自身にとっては「給料の出所」の実感は無い
とはいえ、
毎月出勤簿と一緒に勤務報告書みたいなものを提出していて、
そこには「今日はアッチ」「昨日はコッチ」ということを書いて、
実質の(つまりは書面上の)エフォートが、
給料の出所に関するエフォートと一致するようにしている
ボスの科研費での雇用にあたる80%に関しては、
そのまま科研費の目的に沿った仕事をしている
一方、
機構のラボの仕事に従事している20%というのは、
普通に機構の金で雇用されているポスドクと同じように、
科研費を含む外部資金に応募する資格を有し、
実際に獲得・利用しながら、
ラボの研究を実施している
エフォート管理も普通の人たちと同じだ
ということで、
現在のエフォートは(細かい数字は間違ってると思うけど)、
80%->ボスの科研費
8%->自分の科研費若手
8%->自分の外部資金A
2%->自分の外部資金B
2%->ラボの仕事
ということになっている(はず)
と、
ボクの場合は20%分を「機構のお金」でまかなえるので、
「科研費で雇われつつ科研費を受領(申請)する」ことが可能になっている
しかし、
たとえば大学教員の科研費で雇われる場合、
科研費以外の残りの部分をどのように捻出するのか、
大学としてどのような形式がありえるのか、
これは個別の事例になってしまうかもしれない
いずれにせよ、
科研費申請資格の有無というのは、
お金を得ることができるかどうかはもとより、
「研究費獲得実績」にも関わるので、
非常にシビアな問題である
と、いうような認識をポスドク自身が持つことも重要かと思う
「ラボにお金あるから科研費申請せんでもえーわー」とか、
そういうこと言ってるとそのうち痛い目にあうかもしれませんよ
あと、
ボクのようにややトリッキーな方法が実際に行われていることを、
情報として提示できるだけで、
それぞれの所属でのヤリクリをお願いする糸口になると思うのです
事務手続き的には結構お堅い我が機構で出来ていることですから、
大学でも(大学ならではの問題を除けば)可能なはずなのです